第343話「外交戦」 ベルリク

 夜でも内務長官執務室は明るい。扉の隙間から廊下に灯りが漏れ、夜勤当番が出入りする。照明代を気にする財政ではないが、生まれの貧乏根性からちょっと気になってしまうところ。

 部屋に入れば昼とはいかないが影を消すくらいに煌々と明るく、身体に悪そう。ここの主の顔色も相変わらず悪い。せめてマハーリールが成人するか、孫の一人くらい見てから死んでほしいが、寿命は持つのか? 自殺願望に近いものは前から感じている。

「教会税徴収権取った時の手続き計画出来たか?」

 権利を神聖教会からもぎ取ったとして、実際に吸い上げるまでどれくらい時間が掛かるかだ。徴収先の収入の割り出しと移送法の確立。わざと徴収しないで歓心を買うだけにしても把握していないのは間抜けだ。懲罰的に回収する時に困る。移送法も把握していないと怠慢されたり、盗まれたり、警備計画も立てられないし、地元の銀行経由で入金するにも一度金庫まで運ばなければならない。

 国外軍をマトラ低地に入れたが、いつ撤退するとか増派するとかその辺りが頭の中で整合性が取れていないので寝る前に聞きに来たのだ。

「ねえあなた」

 ジルマリアが眼鏡をかけた。普段はこちらの顔も見たくないと矯正しないこの女が?

「お?」

 案の定、回転式拳銃で腰だめに連射、左で抜いた刀の腹を右前腕――利き手の右で抜く暇が無かった――で支えて受け切った。骨が折れた気配。

 面白い撃ち方。射撃の反動使って撃鉄を起こし直しながら撃っていた。今度真似しよう。

「もう五人目が欲しいのか!?」

 って言ったら短剣のお化けみたいなやつを両手に持って拳闘風で殴りかかってきた。最高だな。

 部屋で仕事をしていた官僚が逃げ出す。ジルマリア付きの女性偵察隊員は射撃準備だけ。

 教会税の案件、余程嫌な仕事らしい。ジルマリアがあちらの内部事情を探る時に使う密偵は神聖教会の連中が中心と思われる。そいつらに自分の親組織が不利益被り、面子潰される計画のための情報を、精確に探らせるとしたらどれほど面倒な作業が必要か。普通に探らせる、齟齬が無いか比較するために別口で探らせる、そいつらの背後を探らせる、とかの膨大な積み重ねになるだろう。糞真面目で嫌でもちゃんと仕事はする性分だ。あと、聖女様から野郎を殺せって言われてそうだ。

 避ける、刀と鍔と護拳でいなす。机に齧りついている割には良い動きだ。誰にも見られないところで稽古しているな。

「お前ら退室」

「は」

 女性偵察隊員が部屋を出る。

 夫婦水入らず――「痛ぇ!」腹刺された――夜の舞踏。

 距離取って拳銃抜いて顔を撃つ、おお避けた! 死んでもいいくらいの早撃ちをした心算だ。

 次弾撃つ、銃身を弾かれ反れ、窓硝子割る。

 ジルマリアの次の手は手榴弾!? 照明の火に当てて着火を流れる動作で……どうする? 投げる? 投げつける? 転がす? 握ったまま突っ込んで来た! 持った手毎蹴り、割った窓から外へ飛び空中で炸裂。外の警備が騒ぐ。

 心中? いや、抱き着いて手榴弾を背中に回して腕一本犠牲に背中を吹っ飛ばすか!

「心中の覚悟も無けりゃそんなもんだ!」

「死ね糞が!」

 手榴弾を握っていた手が痙攣している。折れたか脱臼……これはしばらくお仕事お休みだな!

 扉を叩く音がちっちゃい。

「母さま、どうしたの?」

 扉越しでも可愛いザラちゃん。扉を撫でちゃおうか。

「母さまは明日からお休みだ。遊びに行くぞ!」

「きゃぁー! やったぁ!」

「はぁ?」

 ジルマリア、脱臼した指を自分で嵌め直した。いやそれ痛いだろ。

 さて次はどうしてくれようか。


■■■


 警備に”爆発物は止めて下さい”と怒られた次の日、内務長官執務室に遊びに来ました!

「彗星ちゃん、こっちだよこっち! ザラ姉ちゃんのとこおいで!」

「彗星、こっちだぞこっち! ベル父さんのところに来るんだ」

 床の上でご機嫌に「ひゃふー」とか言ってる彗星ちゃんがどっちに来るか競争だ。猫に対応するように姿勢を低くして目線の高さを合わせる。

「ほらダフィドだよ。黒くてふわふわで可愛いよ!」

「ほらルドゥだよ。むっつりしてて可愛いよ!」

「ほらダーリクだよ。お姉とお兄だよ!」

「ほら拳銃だぞ拳銃。これを使えば子供でも敵をぶっ殺せるぞ!」

「もう! 父さまったら、私が名付け親なの!」

「何だと? そんなこと言ったら俺が種付け親だぞ」

「子供の前で何てこと言うの!?」

「男なんだからもう少ししたら直ぐにチンポチンポ言い出すって、なあダーリク」

「ブットイチンチンマルス」

「おいお前誰からそんな言葉聞いた!?」

「ちょっとダーリク言いなさいよ!」

 ダーリクはほっぺた膨らませて口を閉じ、絶対に言わないと目線を横にして合わせない。お、こいつ、どこで覚えた?

 発砲、床に着弾。ダフィドを含めて皆、銃声に慣れているのか平然としている。

「うるさい」

 子供の前で威嚇射撃をやる母親がいるか? いるんだな、これが。

「ダメ! 彗星ちゃん、父さま!」

 彗星が何とここで拳銃を選んで手にして抱え、銃口を齧り出した。生え始めの歯が痒いらしい。

「いいか、手を出すなよ」

「弾入ってる!?」

「馬鹿野郎お前、セレードが殺せねぇ武器持つかよ」

「あ、そっか」

 銃爪に手が入る前に、撃鉄が不意に降ろされる前にその機械部に指を突っ込んで取り上げて、泣かれた。

 皆で遊びに行くことになっているが、その前に内務長官の仕事を官僚達に引き継げる程度には残務を整理しなければならないので待っているのだ。放っておいたら来年まで整理しているだろうから、このように出発準備を整えた子供達を並べて見せている。

 待つ。別段急いだ様子も無くジルマリア母さんは書類を眺めて眉間に皺を作っている。

「父さま、義務教育ってまだ?」

「法律も出来ていなければ正規の教科書を作る予算も人員も割り当ててないな。本格的に全国一律始動はかなり先じゃないかな」

「仲良し社会主義はいつになるの?」

「それをやるかどうかはまず主都管理委員会の実績次第だ。今は最低限の工業労働者として通用する程度の授業が都市部で、軽度短時間で始まるぞ。工業用だからマトラ語限定。機械の取り扱い説明書だとか表札、注意書きを読める程度だな。誰でも事務が出来るって程度は先の話だ。そこは妖精さんの出番。まだまだ」

「地方の言葉はダメなの?」

「父さまとかザラちゃんは何か国語も喋って言葉が足りなかったら別言語から引っ張ってくるとか器用な真似出来るけど、普通は出来ないし、一つの言葉だと最新科学が持ってる新しい概念に対応出来ないとかあってな、どう教えるかって教科書がマトラと違って出来ていない。それぞれの地方で独自にはもうやってるけど、国としては皆が完全同一に理解するようにしていかないといけない。間違ってるわけじゃないが、方針と違う教育をやってからまた直したら混乱する」

「私たちの共通語が必要!」

「そうそう。ケリュン文字使ってケリュンの大内海方言を基準に、魔神代理領共通語、マトラにランマルカ語から語彙借用して作る予定だが、時間が掛かるなぁ。遊牧諸語の方言差を書き言葉基準で消すって発想は簡単だけど、実際に効率的にするってなると難しい。あの言葉を使って、この言葉は捨てて、でも微妙に表現に差があるからそのまま取り入れるべきかって取捨選択がな。”国語辞典”の編纂って流れになるか。なっちまうなきっと。辞典より先に教科書は作れるだろうが、ああ、辞典のこと忘れてたな」

 大掛かりな辞典を持っている国、文明は数少ない。大国の文化を象徴するものとしては外せないぞこれ。

「ジルマリア、辞典の編纂ってやってたか?」

「……専門的な用語辞典類を分冊と見做した一覧表が各省各部に配布されている程度です」

「これも合わせると共通語作成はかかるな、時間が」

 仕事の話になると受け答えがしっかりしやがる。昨日は違ったが。

「ねえねえ、そのままケリュン語使ったら皆に反対される?」

「それぐらいだったら一応支配的なセレード語使ったほうがいいくらいだ。ケリュンは手広くて賢いが、圧倒的な権力を持ってるわけじゃないからな。言葉の拳が小さい。いっそ遊牧諸語はそのまま、マトラ語か魔神代理領共通語を公用作業言語って位置づけにするとかな」

「基準にするのはいいんだ」

「実際には基準にして、表向きはそうじゃないって感じにしとけばいいんだ。料理屋って看板の店で飯食うのと、便所って看板の店で飯食うのは違うだろ」

「そういうとこ行ったことない……」

「あ、外食屋って行ったことないか! 家か野営の料理番だもんな。あ、いや、聖王さんのとこは外食じゃないもんな。ロシエ……店なんかやってなかったな」

「うん」

「じゃあ魔都行く時か途中で行こうな」

「うん! でね、何語って名前にするの?」

「今候補になってるのは帝国連邦共通語。ただこれだと魔神代理領共通語と略称が被る感じだからややこしい。蒼天語ってのが良さそうだけど、俺は何かちょっと引っかかる」

「そうなの?」

「いや、文句は無いけど、こう、美的感覚?」

「実用ならいいと思うよ」

「そうか、そうだなぁ」

「方言って消えてくの?」

「消えないな。蒼天語……でいいか。これは書き言葉や、公的な宣言を出す時に使われる方言の上位に位置する標準語でな、話し言葉である各方言にそういった喋り方は強制しないんだ。義務教育での書き言葉としての普及から徐々に、世代を超えて少しずつ若い奴が口振りを変えればいいってぐらいだ」

「義務教育は蒼天語とマトラ語と、魔神代理領共通語の三つ?」

「蒼天語とマトラ語だけの案が有望。共通語の方はその言葉を使う職業に就く者が別に専門教育を受けるってところだな。前の二つが公用語、それで共通語が準公用語ってとこか」

「あ、そっか。でも、行政の言葉って今その共通語だよね」

「お、ザラちゃん、演説やっただけあって分かってるな! これが微妙な話だ。共通語は官僚帝国魔神代理領で発達してきた言葉なだけあってかなり便利だ。でも共通語は帝国連邦内で母語として使っている者はほとんどいないから公用語かと言うと何か違う。けど共同体の一員としては無視が出来ない。マトラ語は行政語で使えるだけ洗練されているけど、これは妖精ぐらいしか習得していない。そして新しい蒼天語は行政に使えるかどうか作っている最中で未知数。そこで……」

「公用作業言語!」

「と共通語にそういう位置付けを与えると。で、たぶんというか、蒼天語が義務教育で確固たる地位についてから使い続けられて、段々と効率的になっていくと思うんだ。その時になったら改めて、共通語では非効率だから蒼天語に切り替えようってことになるかもしれない」

「それならケリュン文字じゃなくて共通文字にしたら?」

「それも検討中だな。とりあえず言語が出来ていないし、二つ作ったけどどっち選ぶって段階でもないんだな、これが。さて……」

 歯ぎしりはわずかに、唸り出したジルマリアを横抱きに上げる。無理矢理休暇にしないと休まないお役所機械はこうだ。

「行きません」

 ザラが「母さま行こうよ!」と言う。可愛い。

 ダーリクも「ジル母さん、行く」と言う。可愛い。

 彗星ちゃんも「だうー」と言う。可愛い。

 それらの顔を見て、声を聞いても全く心を揺らがせる気配すら見せない糞女。こいつの性別、女じゃなくて役人だろ。

「ルドゥ、武装解除」

「ああ」

 昨日の今日で執務中のはずのお母さまからは拳銃二丁、手榴弾一つ、短剣一本、握りの暗器一つ、毒薬瓶一つ。口の中に吹き針筒一本、帯仕込みの薄刃剣一本。脱がせた靴には爪先と踵に飛び出し刃。

「お前、何考えてんの?」

「死ね糞が」

「やった、母さまも一緒だね!」

 ザラちゃん、言葉を意訳で聞けるんだなぁ。偉いなぁ

 一緒に居られないリュハンナを除けば、こういう機会も作らないと今後無さそうだ。ザラは留学するし、ダーリクはセリンに返すし、ジルマリアは長生きしそうにない。


■■■


 列車に乗って出発した。馬でのんびりお泊り旅行も良さそうだったが、流石にそこまでのんびりやるとお母さまが子供を殺してでも逃げかねない。

 執務禁止の車内は、流れる風景に騒いで人に手を振るザラと、窓に額つけて皮脂汚れを残すダーリク。彗星ちゃんのうんこしたおしめを変える自分に、むっつりルドゥ。そしてずっと寝ているジルマリア。寝顔は可愛いと言いたいところだが、寝ていても眉間に皺寄せたりと何らかの末期症状を見せている気もする。

 どこかに連れて行かないと休まない女だ。手の届くところに筆と紙を置いたら覚書きもびっしり作り出すから何も出来ないところへ連れて行く必要があるのだ。いい加減分業体制も進んでいるはずなんだが、そんなに仕事が忙しいのか? 他人が信用できないから決裁は全部目を通し、内容まで理解しているのだろう。これだといきなり死んだ時に後釜が困るし、ジルマリアとしては死んだ後の混乱など全く気にしていないのだろう。中毒患者かよ、参ったな。

 もう三十半ば過ぎくらいか。楽な生活をしていたわけではないから身体にガタがきていておかしくない。長生きしようとする気配もしないから強権持たせた医者を付けたほうがいいかもしれない。いっそ愛人だとか作ってうつつ抜かしている方が健全。

 ジルマリアの身体に掛っている毛布がずれたので直そうと手を伸ばしたら叩き落された。自分で直しやがった。

 この糞女。


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 列車は三七番広場駅に到着。建国記念公園へ向かい、そこからマトラ苦難と栄光の歴史館改め、帝国連邦歴史と戦争博物館へ入館。建物は増築の形で対応し、旧館と新館に分かれる。旧館は前にイューフェの家族と見て回ったところだ。

 中の剥製は数が増えた。総統執務室で死蔵するよりはと戦争で手に入れた偉人の剥製を寄贈しており内容は更に充実。四つ足の剥製も、天政の霊獣が揃って圧巻。

 我々が今まで経験した戦場の模型、監修入りの出来るだけ史実に近づけた、伝説的ではない戦場絵画を添え、実際に使われた――新品から血塗れ、砕けた物まで――武器や服装に車両、そこで戦って死んだ兵士や民間人の剥製まで可能な限り揃えられている。

 開戦から戦後の歴史的経緯も概説され、当時の新聞記事も切り抜きで張られる。敵味方双方の視点が入っていて意外に中立。我々に取っては国際的正義――そんな微妙なものがあるとして――というのは然したる問題ではない。力強くぶん殴り倒した事実がカッコイイ、最高なのだ。

 海戦もある。流石に船は無理だが同型の艦載砲の展示があって、船の装甲はこのくらい厚いと部分的な展示がある。

 それから誇大にしているわけじゃないが、あらゆる解説にて自分が先頭になって突撃している場面が書かれ、表現されている。何か嘘吐いてるんじゃないか、影武者か分身の術でも使っているんじゃないかというぐらいに最高司令官殿が突撃に進んでいる。

 随分この男は気違いみたいに先頭で戦ってるな。常在戦場の古典、前時代指揮官でも最前列にここまで立ち続けている奴なんていないんじゃないか? あれ、こんなに危険なことばかりしてたっけ? 良く死なないな。飛び矢弾のいい加減さが良く分かる。

「セリン母さまがいるね」

「うん」

「ジル母さまいた?」

「いない」

「戦場には出ていません」

「何でー?」

「専門が違います」

「そっか! でも楽しいよ」

「お姉がいた」

「わっ! ホントだ!」

 戦場模型の一つ、自分の騎馬人形に、確かに子供が一人乗っている。細かいなぁこれ。触れないよう硝子張りだが手を出したくなるな。

「ほら彗星ちゃん、フレッテ人だぞ。猫さんみたいな目ぇしてるなぁ」

「うー」

 彗星をフレッテ人の剥製に近づけてたら泣くかと思ったが特に反応無し。

「ほらダーリク、にゃんにゃんねこさんだよ!」

「きも」


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 家族団欒の時もあっと言う間。自分と妻子は列車にて違う道を行く。南のバシィール行きの列車と違い、西のダフィデスト行きは貨車が長大になっている。

 家族と別れて到着したのはマトラ低地、終点ツァミゾール。この枢機卿管領の中心である。

 この地の人口は重なる逃亡と鎮圧で減じている。税収は全く期待していない。教会税を筆頭にするアタナクト聖法教会基準の各種聖領税がルサンシェル枢機卿のところへ収められていて、運営費と上納金でそこそこ赤字。赤字決算が出てからは上納分が免除され、わずかに黒字へ転向している。

 人が離散すれば当然土地が空いて法に基づき国有地となる。国有地は内務省が管理して、特別に協力的な住民と認定された場合に貸し出される。方面軍を築くには至らないが、土地等不動産を筆頭にする利権供与を見返りとした帝国連邦支持派は着実に増えている。その中から補助警察隊を――失業対策でこれも利権の一つ――募り、同胞同士で血塗れに治安活動をさせる。こうしてその利権を取り上げられると飯が食えなくなるような具合に仕上げる。

 支持派を増やすために在留現地人と近隣に逃れた流民双方に対して工作がされている。主に彼等の中に潜んでいる内務省軍統合作戦司令部直轄の特別任務隊が行動を起こす。貴族と神聖教会の坊主共は暴利を貪っている、という嘘でもなければ本当でもない言説を流して共和革命工作に繋げる。目的は革命じゃなくて内乱の助長、不穏にさせることによる間接攻撃。

 また不屈にこちらの手立てで思想的に極化してしまった聖シュテッフ報復騎士団を介して内外で暴動を頻発させる。近隣諸国のバルリー及びマトラ低地難民に対する感情を悪化させ、同情を損なわせる。もう争いはこりごりだから静かに暮らしたいと言う同胞達からも見限らせる。

 暴動は食糧や居住地に仕事を寄越せという厚かましいものから、流した武器を持たせた武装蜂起まで幅広い。マトラ低地内ならばそれを理由に内務省保安局特別行動隊が出動して抹殺とエルバティア人の需要に適う儀式的肝臓啄みを行う。

 こうして誰が敵で味方か分からない混沌した状況にした上で、真に帝国連邦の敵になりそうな者へは国境を跨ぎ、人間のふりを得意にするマトラ共和国情報局特別攻撃隊が襲撃を仕掛けて暗殺などする。

 こう政情不安になると政治思想は看板程度にした盗賊も出て来て、これは警察が攻撃して殺す。現地人は民兵ではないので武装はしておらず、許可しておらず、防衛は警察頼みとなる。依存させる。

 作り出した混沌、誰も奪い返したくないような糞溜めに仕上がっている。耕されたとも言える。

 今、糞溜めを発酵させて堆肥とするためにイスタメル人が送り込まれている。耕されて移民が良く植えられる状態と見ている。現地人が反発、排斥に動ける余裕が無いのだ。

 当初の目論見ではマトラ低地は人口を削りに削って、帝国連邦寄りの人間だけを残して意識も文化も以前と違った形にしながら妖精人口を増やして浸透、乗っ取り、穏やかに神聖教会圏には低刺激に浄化していく予定だったが、カイウルクの親イスタメル的利用論によって軌道修正がされた。妖精の各主都移住計画で入植人口が不足していたので助かった。

 広義の大イスタメルの民、イスタメル、メノアグロ、ヒルヴァフカ、マリオル人を入植させていく。ノミトス派や魔神典礼派の聖職者も送り込み、教会を建てることも宣教することも許す、というか無視する。アタナクト聖法教会派に対する敵対行為だが、これは帝国連邦中央が感知している活動ではなく、彼等が自主的に細々と良識の範囲内で行っているという建前である。だから法人格である両派寺院などからは徴税などしない。行政上は存在せず、勿論信教の自由に干渉することはない。敵を減らし味方を増やす策は直接戦闘と違う面白みがあるものだ。

 彼等を防衛するのはイスタメル人傭兵。アソリウス事件とアッジャールの侵攻以後は久しぶりの平和を謳歌して力を持て余している。移民の防衛が基本だが、傭兵なのでそれらしい戦いを仕事にさせる。現状では警察に雇われる補助警察隊という位置付けだ。現地人の相手だけなら現状の警察力で十分だが、彼等は対神聖教会圏向けの示威を兼ねる防衛力なので平時体制としては軍事力を過剰にしておく。

 マトラ低地は聖女ヴァルキリカとの約束で軍隊の立ち入りが禁止されている。理由も無く軍を入れると外交的に失点なので、これは軍じゃありませんという兵力を持ち込むには方便が要る。あからさまな嘘に見えても、事実としては重武装の警察に留まる。仮に査察されても嘘を積極的に吐く必要は無いくらいだ。

 ツァミゾール駅ではお客を待たせていた。マインベルト商人だ。彼等に「さあどうぞ、ご覧になって下さい」と貨車を開放して見せたのは天政、アマナに留まらず、タルメシャ、南洋諸島からジャーヴァルに至る豊富な東方産品の山。そしてそのお宝の山に対し、西方世界では今まで有り得なかったような安価な数字が書かれた帳簿を、ナレザギーの部下の狐頭が見せて説明し、その差額で得られる利益に奇声、嬌声に近いが上がる。

 快速船で順風に、幸運に恵まれても半年は掛かろうと言う東西航路だが、この列車だと各方面軍の再編作業の合間を縫っての運送とはいえ一月と掛からなかったのだ。

 今はまだ何本も商用で列車は出せないが、方面軍再編作業が終わって路線の整備も戦時応急的なものから平時恒常的なものに仕上がり、複線運行も完全になれば一月に三便は確実に、供給元も安定すれば値がこれより安くなって供給される。そのように説明され、聖王領内では領土こそ大きいが貧乏な田舎者で通って来たマインベルト商人はもう、麻薬でも打たれて喜びの小便漏らしをしたみたいな顔をしていた。メルカプールの狐頭の前でそれなのだから性質の悪い冗談にも見えてくる。

 頭が沸騰しているそんな彼等相手に更に商談。

 まずはイスタメル人傭兵指揮官にして移民守護者、ラハーリの禿げの親戚であるドルバダン・ワスラブ隊長と、隊長付きの少年士官候補生にカイウルクの長男のユルグスくんである。

 ドルバダン隊長が傭兵と移民用の食糧の買い付け。土地の開墾と耕作放棄地の復活までは輸入頼りになるので大規模、長期になる。

 ユルグスくんが「はい」と言いながら鞄から書類を出し、秘書働きをしている姿が見たまま、顔を赤くして頑張っている少年で微笑ましい。

 ユルグスくんはカイウルクとの、ジャーヴァル遠征時に結婚した第一夫人との間に出来た子供だ。もうあれから十年以上経った。歳を取るのは早いもの。

 この少年は暫定で、イスタメルの血が入っていないがラシュティボル派の領袖ラハーリの後釜かそれ相応の立場が予定されている。まだカイウルクの第二夫人リビュアとの間に男児がまだいないせいだ。イスタメルでは女に継承させることはほぼ無いので、力関係からもそうなっている。議会の時には面倒な突っ込みを避けるためかカイウルクは誤解されるような喋り方をしていたが。

 もしリビュアに――見込みが無さそうなら養子縁組やワスラブ一族から第三夫人を得るか――男児が誕生したら彼はラハーリの後釜ではなく、このままイスタメル人傭兵と移民の代表になる。マトラ低地の発展と神聖教会との関係によるが、枢機卿管領が消滅した時、彼が有能でまだ生きていたらこの地の責任者になるかもしれない。傭兵というか外人部隊として編制される未来が少し見える。

 と、そのようなちょっと微妙な関係があるので、ユルグスくんがドルバダン隊長に虐められていないかと何だかちょっと不安になってしまう。どうしようかな、ウチの親戚に手を出したらイスタメル血に沈めるぞとか言っちゃおうかな? 余計なことは言っちゃダメだよね。

 次は国外軍副司令のラシージ。マトラ低地に集結、編制中の軍を指揮していた。

「閣下」

「お」

 気付いたら抱っこして膝の上に乗せていたので降ろす。秋なのに暖かいと思ったらこれだ。

 国外軍もまたマインベルトから食糧を短期輸入する。帝国連邦内で不足していることはないが、まずマトラの山越えで搬入すれば少々大掛かりで、山の向こうの国から買った方が効率が良いこと。鉄道も万能、無限に分身しながら働き続けるわけではないので負担を減らす。戦災で荒れた東方地域への補給が最優先という事情もある。

 重要な目的の一つはマインベルトとの親交とそれの誇示、そしてこちらへの経済依存を推進するためだ。神聖教会に対する圧力は軍だけに留まらない。

 鉄道、大陸横断線の、現在の西側終点はツァミゾール駅だが、ここから北に曲げて伸ばし、モルル川、マインベルト王国国境まで延伸する予定があり、既に着工している。ダフィデスト工場から続々と線路が送り出されている状態。更にだが、鉄道が繋がったら蒸気船を分解して船団規模で送って川で組み立てて運行を開始する予定もある。商用が名目だが、河川砲艦として運用すれば水運を制御出来るのだ。既に親善に一隻贈っている。

 建国始まって以来の大商機に頭が茹で上がっているマインベルト商人の彼等、こちらの企みを理解しているかしていないかはともかく、何でも買います何でも売りますという精神状態になっていた。たくさん儲けさせてやらないとね。

 儲かればマインベルトは帝国連邦自体とそれに関連する事業に投資を始め、他国も追従する可能性が大。そうなると一部諸侯との経済依存が深まり、神聖教会側は聖戦を発動するにしろ諸侯の足並みが揃え辛くなるので統制に手間取り、容易にこちらへ宣戦布告が出来なくなる。

 我が帝国連邦はというと、商人と銀行、まして構成国などに気兼ねしてまで戦争を止めることはないので優位に立てる。あちらからは仕掛け辛く、こちらからは変わらずに仕掛けやすいというだけで主導権が取れる。中央集権国家万歳。

 戦争の主導権を取っていれば外交の主導権も取りやすい。こっちが仕掛けるぞ、という脅しが何時でも使える。その状態になれば一方的、射程外から殴り続けられるも同然。大胆に軍事顧問団の派遣から、ランマルカ・帝国連邦規格の鉄道の導入から何からやりたい放題。連邦参加まではいかなくても同盟国、保護国とすることも可能。刺激し過ぎると撃発するが、そうなれば挑発に乗ったも同然、あちらが先に仕掛けたと堂々と戦争が出来る。

 鉄道にてフラルの海運商人へ、それだけでとどめは刺せないだろうが衰退させて神聖教会を貧乏にしてやるのも面白い。対ロシエ戦の雇用費も重ね、そうして聖女ヴァルキリカが統一した”見做し神聖同盟”が内から崩壊する時を想定している。こちらの圧力に屈することを続ければ神聖教会圏の皇帝たる聖皇、聖戦軍を発動する最高司令官としての権威は落ち、独立を招く。各国が自力救済こそ未来への道と見做した時が、教会権力の過剰拡大と見做される時。戦国時代が訪れるように思われる。その時に気軽に送り込めるのがイスタメル人傭兵や国外軍だ。各方面軍を総動員するような総力戦は難しくても出来る戦争がある。

 無敗を思わせる帝国連邦と魔神代理領共同体を聖域にし、そこから自由に出入りして各国の戦場に勝手に顔を出して横からぶん殴って遊ぶというある種の理想状態が実現しようとしている。防御が備わってこそ全力攻撃が出来ると考えるが、それが戦略級に実現しようとしている。

 いいぞ、未来が戦火に照らされて明るい。


■■■


 国外軍編制時における準備単位の一つ、マトラ臨時師団を統率する上位のマトラ妖精ナルクス将軍が、ミザレジとは違うが、何だか暑苦しく喋る。

「総ォ統ォ閣ッ下ァ! マトラ臨時師団総員整列致しておりまァす!」

「ご苦労」

 歩兵と工兵を中心に補助部隊を加えて準備編制状態にあるマトラ臨時師団がツァミゾール郊外に集結し、約二万名が各隊隊事に方形整列し、軍旗を掲げる。人間と妖精と獣人が立ち並び、全て軍服で揃う。目新しいのは偵察兵限定に採用されたエルバティア兵だろう。目の良さが世界一で、山岳踏破能力にも優れているとのことで期待している。

 軍隊としてはまだ本格的な戦闘行動に移る編制ではなく、連隊を最高位にして細かく分かれている。ガズラウ臨時騎兵師団とイリサヤル臨時砲兵師団と合流した時に組み合わせるためだ。

 グラスト分遣隊もいる。魔術戦団の主力はベリュデイン新大宰相の元へ、治安維持、示威戦力として使われるので帰ったが、前から借りていた者達は国外軍へ編入した。

 グラスト魔術使いの娘達である、マトラ山中のザモイラにて教育されているザモイラ術士候補生連隊は、編入こそしないが今日ここで初のお披露目となった。バルリー侵攻から数えて大体四年目、その第一期生達が並ぶ。当時は物心がついていなかったバルリーの小さい女の子達が、帽付き上衣で肌を隠すような怪しいグラスト流の服装で揃う。あの小さい胎に魔族が入っているのかと思うと流石に、マジかよ、という感じになってくる。いや、流石にまだ入れていないか? 身長はまだ伸びるから骨に呪術刻印入れて金型嵌めるなんて真似は出来ないだろうし……これからまた選別されるということか。

 彼女達は魔術の才能があり、秘術を会得し、そして天政の符術から派生した詠唱術という新技術を獲得。まだ研究、会得の最中だそうだが、本を片手に術を行使するという。

 秘術は”火の鳥”を始め――人体への処置はさて置き――あえて魔術に名前をつけて型に嵌めて行使するやり方でもある。

 符術は天政官語で書かれた詩文を読んで術の有様を定型的に想像して方術を行使するやり方。

 詠唱術は本に書かれた魔術の名前とどんな術であるかを具体的に声に出して行使するやり方になるという。

 実際に女の子達が本を片手に、グラスト魔術使い専用言語と思われる言葉を唱えて発動させた集団魔術の実演は実用に耐えると判断した。詠唱術は合唱歌のように調子を合わせると集団魔術が非常に上手く、簡単にいくという。古くは軍楽の登場から軍隊の効率性は劇的に向上したものだが、術にもそういう流れが登場したことになるだろう。これはかなり歴史的案件じゃないかな。少なくとも軍事革命史には載せられるぞ。

 国外軍は今後の帝国連邦軍が目指す姿を先導する。先鋭実験的で実証性に不足している。

 帝国連邦軍の最大の弱点は、仮想敵の規模に対して圧倒的に人的資源が不足していること。神聖教会圏と天政を合せた人口比だと三対五十くらいに見積もっている。同盟国の存在もあるがそこに頼っては外交的劣勢時に負ける。そこで人の少なさを補うものは火力と機動力と奇襲性である。馬と鉄道、機関銃と火砲、毒瓦斯と魔術、鋼鉄艦と外交、挙げればキリがないがまずこれ。

 銃砲類はゴムを使った発射瓦斯の漏れを改善した新式に統一される。旧式装備は数合わせのように含めない。

 後装式小銃。地形と視界によっては砲兵とも撃ち合え、狙撃眼鏡を使った長距離狙撃も出来る。

 底碪式小銃。十六発装弾出来て連射が出来る。

 散弾銃。対人に鹿撃ち散弾。龍人のような強敵を想定した熊撃ち一粒弾と使い分ける。

 回転式拳銃。六連発。士官級以上には全員配布。

 回転式機関銃。三脚と車載で使い分ける。給弾方式は弾倉と弾帯で切り替え可能。

 防盾付き後装式軽山砲。重小銃の代替。砲脚で射撃時後退を防ぐ。狙撃眼鏡装着可。軽い。

 手榴弾。手投げで運用。擲弾銃は迫撃砲のように使える大型。

 防盾付き後装式突撃砲、山砲。砲弾共通。砲脚で射撃時後退を防ぐ。

 前装式騎兵砲、野戦砲。砲弾共通。野戦砲の方が肉厚で重く、頑丈で高圧射撃可。

 組み立て式重砲。大規模運用前提で国外軍には効率的ではないが、対砲兵射撃用に使う予定。

 火炎放射器。燃料、圧縮空気容器が天政式の陶器缶から金属缶へ。以前より高圧、安全に。

 薬缶投射砲。大規模運用前提で国外軍には効率的ではないが、攻城用に使う予定。

 擲弾矢。小型榴弾付きの鏃。破片で負傷させるのが目的で毒塗りにすると効果的。

 翼付き安定火箭。信号用途以外で砲兵装備より撤廃。大砲一門と同等の重量で百発に相当。単体で飛翔能力があり、軽い発射装置で運用出来るので騎兵火力として注目。

 バネ柄棍棒。打撃時の慣性効率性がバネで向上、威力が上がっている。

 打撃爆雷。着発信管を付けた着脱式の爆薬鎚を取り付けた長柄。建物への突入用。

 鉄兜。避弾傾斜を科学的に効率化。冶金技術向上で対腐食、強度も上がる。内張りの改善、二重構造化で衝撃吸収力向上。

 主だった装備武器はこれら。銃剣、刀剣類も冶金技術向上で強度が増して古典的な鍛冶物より良くなった。一部の遊牧騎兵が使う弓も魔神代理領式の古くからの世界最高水準のまま。

 工具類は少しずつ形状を変えて使い易いように、これもまた冶金技術が上がって頑丈になって来ている。蒸気機関を使った作業機械は重過ぎて導入見送り。小型化すれば見込みはある。ロシエが羨ましい。

 偵察兵や砲兵用の砲隊鏡は装備率を上げた。戦闘時に頭が馬鹿になることを前提にして専用の計算尺も増やした。戦闘距離の把握を制すれば一方的に攻撃出来ることから、これらの器具は立派な殺戮兵器である。

 レスリャジン式半仮面は、前装式小銃撤廃により全仮面に転換しつつ防弾性能を向上。アマナの呪術的舞踏面を参考に凶相感を増した。

 さて、人も武器――砲兵装備は無い――も揃ったところで楽しい射撃大会、火力演習が始まる。射撃の的はマトラ低地警察が今日のためにたくさん集めた犯罪者や、売られて連れて来られたバルリー人などである。死刑は違法だが、教練等資材刑は合法である。バルリー人は生きているだけで有罪。個人的には全く恨みはないが。

 各火器に熟達した兵士が、初めてこれらの火器に手を触れた者達を優先して射撃の教導を開始する。猛烈に射撃するのではなく、良く狙って撃つ。それから速射教育の段階になってから煙が霧のように広がる。

 大量の、銃弾砲弾で骨付き挽肉になった教練資材はザモイラ術士の詠唱術にて灰に焼却処分。まだ小さくて行軍に耐える体力ではないことが残念だ。あと七年、いや、強行軍だとかも考えると十二年は待たなければならないかな。年長さんでも十歳になっていないらしい。

「総統閣下、僕が代わりに試し撃ちをします!」

「おう」

 新しい拳銃をベリュデインから――髪の毛の束とかじゃなくて良かった――貰った。騎兵小銃とまではいかないが大きい型の、長銃身大口径の秘術式回転拳銃である。また術の才不要。これはまだ試し撃ちがされていない新品で、暴発して腕が吹っ飛ぶと危ないし、それに今、自分の腕の骨にはひびが入っている。

 治療呪具は緊急時以外、幻傷痛などの副作用が認識された今は使うべきではないというのが一般論。器具に頼らない治療の術でもそこまでの副作用は無いが、自然治癒が――回復困難な大怪我を除き――一番である。

 秘術式拳銃を構える妖精は親衛偵察隊員で、帽子に赤い瞳の目玉飾りが一つあるのが目を引く。白子かなんかの目を抉って加工したと思うが、何となく宝石のような吸引力があって思わず目線を飾りに合せてしまう。

 赤目帽子は拳銃を両手でしっかり持って腰を落して構えて射撃。反動強く肘が上がり、縦に五人並べた教練資材をブチ抜き、最後の一人は背中どころか胴体が砕け散って胸から上の四半身が蛇のように舞った。大砲とまでは言わないが、かなりだな。

「片手で撃てる反動ではありません!」

「ご苦労」

 赤目帽子のほっぺをつねってぐりぐりやる。

「帽子のこれどこで抉ったんだ?」

「赤目ちゃん!」

「赤目ちゃん?」

「ポーエン川でフレッテ兵の夜襲を受けた時に拾いました!」

「もう一個は?」

「逃げました!」

「俺もイスハシルを逃がしたことある。しょうがないよな」

「はい!」


■■■


 火力演習終了。

 マトラ臨時師団は次の作戦行動に向けて即応待機。

 アクファルと竜跨隊がマインベルトから帰還した。用向きはマインベルトへ分解して一隻だけ贈った蒸気船の進水記念式典への出席。これに総統が、となれば大事だが、総統秘書で妹のアクファルとなれば刺激の程度はほどほど。大事化は混乱を招き、緩衝国家化しつつあるもまだ立場が定まらない相手側は極端を嫌がったのだ。

 それから不測の事態が一つ。ロシエ帝国軍がバルマン国境に向けて少しずつ軍を集めているという情報。神聖教会が軍事圧力を挟んで受け、対応に諸侯軍を動かしているが劣勢へ傾いているのは明らか。

 ”見做し神聖同盟”は一つの頭で動く統一国家ではない。フラルの聖皇が原因でエグセンの聖王領の各国が金と手間のかかる動員をしなければいけないのだから内部的にも失点。この事態は予定通りか偶然か、こっちとあっちが共謀したか。自分が知らないところで軍務、内務、マトラのどこかの情報部が動いたのか。不思議。

 三つの下拵え。これでツァミゾールの聖使徒大聖堂にいるルサンシェル枢機卿を訪問する。根回しは重要だと昔から聞いている。

「支払いの方、どんな具合で進展していますか」

「何も動きはありません」

 ああ、ルッシェくんは、それは昔は可愛らしい青年だったのに、今はもうくたびれたおっさんじゃないか。歳は同じくらいだというのに……あ、四十絡みで十分におっさんだな。

「マトラ臨時師団、無補給で即座に再演習可能な状態です。鉄道延線工事に集中させることも可能。鉄道の力は既にご存じでしょう。ガズラウの騎兵、イリサヤルの砲兵、両臨時師団三万も今呼べば冬には来られます。入植は今ならイスタメル人だけですが、まだ当てが別にあります。ジャーヴァル、天政は人余り。あと、もしかしたら、になりますが、革命アマナが敗北した時の亡命者を流す先として検討中です」

「今、私に出来ることは連絡を取るだけです」

 ルサンシェル枢機卿、帳面に覚書きをしている。

「アクファル」

「はい」

「内務省軍宛て、マトラ低地からの出国禁止。マインベルトの者は通して良し。便乗出国者は出来るだけ取り締まるように。強引に突破しない限りは一時拘束で済ませるように」

「はい」

「国外軍宛て、ブリェヘム軍侵攻を想定した野戦築城演習開始。勿論、国境際で準備中の敵を砲撃出来るような構成だ。これは言うまでもないが測量もしとけ。言うまでもないが」

「はい」

「親衛一千人隊にはピャズルダ市の街道封鎖、理由は防疫でいいや。封鎖破りをした者は拘束。抵抗したら目玉抉って市内に送り返せ」

「はい」

「以上」

「はいお兄様」

 外交戦の目途が立つのはどれくらいかな?

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