第342話「帰郷組」 アデロ=アンベル
コヤトン山の一角、その東斜面からは雄大なハシュラル川が右から左、視界尽きるまで一望出来る。そこに在るイクスード市は過去、軍事劣勢に立たされても存続してきた。コロナダ族に包囲されても山の湧き水で耐え、堪え性の無い彼らの攻撃を高所から迎撃した。仲間となる前のクジャ人からの襲撃も同様に凌いだ。余りに包囲が長引けば、下流のハザーサイール帝国ムピア領から援軍がやってきて追い払ってくれる。物流が途絶えて被害を受けるのは彼等も同様だ。
この地は交易の中心になれる条件を満たす。大河ハシュラルの畔で、北はムピアの人間世界、東は山を隔ててギーレイの犬頭世界、南は戦ったり交易したりを繰り返すコロナダの蜥蜴頭世界、西は少し遠いがサイール人が築いた後に崩壊してしまった旧ディーブー帝国諸国があってその中間地点。
イクスード市の要塞は石で作った基礎に練り土の壁を乗せた程度の城壁であるが、大砲を持たない敵相手には十分で安上がりだった。地形的優位から並の大砲を用意しても容易に撃てない。今ならば財政にも余裕があるので近代化改修か、いっそ都市拡張のために撤去しようかという話もある。山の都市部から下った川沿いの、雨季増水に備えた高床式住居が並んだ焼き討ちされることを前提にされている港町も恒常的に整備された街区とし、山と川の街を繋げて統合し大都市にしようというのだ。夢があり、展望がある。
かつてのイクスードは通行料をせしめるために馬賊がムピアに貢納金を払って占有していた程度だったが、そこを武力制圧して都市化を進めたのが解放奴隷にして幾多の優秀な高級奴隷を育て上げて来た奴隷商人、青虹鱗のコロナダ人”とさか頭”のアセルシャイーブ=イゾルカ・ベレンボ。アセルシャイーブが奴隷名、イゾルカが本名、ベレンボは出身氏族で、二つ名は頭の鱗が伸びて羽毛のようになり、とさかになっていることから。
元々この北コロナダからクジャ人居住地域にかけては村が散在して人口密集地すら稀であったが、アセルシャイーブ首長が整備して都市化を始める。ハザーサイール帝国を筆頭に魔神代理領商人から後援を取り付け、昔育てた高級奴隷達に声を掛け、奴隷主に事業のために解放してくれと説得して人材と武器を集めて回った。そして南の黒鱗朝に圧迫されていた青虹鱗と斑鱗のコロナダ人を糾合し、周辺のクジャ人も纏め上げて”北コロナダ及びクジャ人による都市国家同盟”略して”北部同盟”を結成。それは先の聖戦終了後、今より十五年前になる。勢力としては若い。
アセルシャイーブ首長は自分の住んでいる川がどこから流れ、行き着くのかも知らなかったような彼等を、各部族毎にそこ出身の教育された高級奴隷をまずあてがって啓蒙し、隣の村より外の世界をほぼ知らなかった者達に世界の広さを知らしめた。法の意識を統合するため、一番単純明快とされる魔神教法典派のアルワニー派を採用。後は交易の中心地としてイクスード市を保持し、ここならば安全に商売が出来ると内外に宣伝した。ここまでは都市の広場に建てられた巨大彫刻石柱に絵と文字で刻まれている。
それから黒鱗朝、統合されていないクジャ人の一部、略奪遠征に来たディーブー系馬賊を相手に戦いを続け、滅ぼされずに生き残って収益を少しずつ上げて投資を諦めさせなかった。防壁になると証明し、ハザーサイール帝国からは常に緩衝地帯という価値もあって支援がされている。
そして転機が訪れる。帝国連邦が地続きの戦争に飽き足らず海外にも触手を伸ばそうと作られた傭兵公社を仲介に、我々フェルシッタ傭兵団が投入された。
帝国連邦式の最新装備を貸与された我々フェルシッタ傭兵団は、まずディーブー系馬賊の根拠地を襲撃して小さい井戸から村落まで補給限界まで破壊して焼き尽くして当分の間の襲撃を予防した。それまでの北部同盟軍は、防衛はともかく遠征に出ると自領を守れなかったのでこういった攻撃が出来なかった。そうして力を見せ、最後まで服属していなかったクジャ人を取り込み、黒鱗朝との小競り合いを一度行った後、蒸気船と機関銃を手に入れてから先のハシュラル川沿い、メルシュの滝下流の戦いで大勝した。
先の戦いにより黒鱗朝コロナダ王バビンカ・ロロンエから和平の申し入れがあり、アセルシャイーブ首長は受け入れた。
今回の黒鱗朝の遠征は公称五万で大規模。もし我々が居なかったら北部同盟は大後退を強いられ、ムピア軍が大動員されるかもしれなかったというのはまだ希望的な意見だ。大戦続きの負担からハザーサイール帝国は北部同盟を見捨て、黒鱗朝と新たな関係を築く可能性すらあった。
遠征が大規模化した理由はまず旱魃による不作。次にエデルトがブエルボル湾沿いから追い出し続けているゲムゲム人がコロナダ盆地へ達して非組織的に野生動物化したように分散して略奪、密猟を繰り返す被害が続出。そして盆地より南のワアンガ高原に住む金獅子頭のカウニャ族の間で家畜に疫病が流行って取引が滞ったことなど要因は複合的である。北部同盟の畑を当てにする、口減らしに人を出す、十分過ぎる理由だった。好きで飢えたわけではない。
そして和平の証として金と銅、宝石がイクスード市に送られて来た。
コロナダの刻印が入った金と銅の地金はハシュラル川を下ってムピアの首都ママールヘリスに直接送られ、これで穀物を買って黒鱗朝に送る。北部同盟は勿論その仲介手数料、輸送料を貰う。これは賠償金といえば賠償金だが、勝敗を明らかにせず、痛み分けという体裁が取られているので単純にはいかない。
純粋な贈り物扱いの宝石は加工されていない原石が多い。未熟な加工技術を持つ彼等に弄られるよりは熟練の職人の元へ送った方良い出来になるということは昔から互いに了承していること。今イスクード市の市場で宝石商達が競りに入っている。かなり大きい石が見られ、買い手や女じゃなくても覗いてみると結構楽しい。
純粋な贈り物という建前はあるにせよこれまた別口に、宝石の返礼として北部同盟からは岩塩鉱山から切り出した塩板が贈られる。それから資金源にしろと――換金作物で外部経済に依存させるためにも――ゴムとキナにカカオの苗木も贈る。この苗木を持ち込んで来たのは我々ではなく帝国連邦の商人だ。これにより交易とは素晴らしい利益が得られる生業だということを身に染みさせる。
これらのやり取りから分かるように黒鱗朝は最大の敵でありながら絶滅戦争には誘導しない戦略が取られる。憎いところはあるが、そういう憎しみではない。アセルシャイーブ首長の計画では、奴等を崩壊させるとしたら経済的に北へ依存させてからの内部崩壊。敗北する王、外部頼りの王、戦争も出来ない王、などと条件が重なれば内戦も始まる。そうなればどこか分裂した軍閥に与して引き入れれば同盟の拡大も可能だ。
旱魃だとか逆に畑も流されるような洪水だとか気候の不安定さに一喜一憂するしかないのが今の黒鱗朝だが、北部同盟ならハシュラル川交易から外国からの食糧輸入が容易いので安定している。確かにこの旱魃で北部同盟農業は打撃を受けて自給水準を下回ったが、備蓄と支援と購入経路の確保と常日頃から整備している分配経路の確保で餓死者など一切出していない。交易の中心地ならばこういった外とのやり取りで難局でも凌げてしまう。この事実を返礼の穀物で知らしめ、交易に長けた北部同盟の方がコロナダ奥地の連中より有能だということを教えられる。
こういった柔らかい侵略の他に硬い侵略も計画される。蒸気船の導入で大分快適になった河川交通だが、未だに滝や急流で寸断されている。馬や駱駝に牛を入れられない眠り病蔓延の熱帯森は貧弱な荷運び人頼りになって大規模な軍など入れられない。そこへ鉄道が導入されれば劇的に変わる。まだ予約をしただけで輸入はされていないが、これでコロナダ盆地奥地まで打通がなれば相手側の主要都市の確保は難しくない。蒸気船を分解して鉄道で運んで滝や急流を越えた先で組み立てることも可能。そうなれば黒鱗朝の王都パラドゥンボに北部同盟の旗を翻すことも不可能ではない。それまでの行程は困難だろうが、今までのような絶対不可能ではなくなっている。
これら金と物の流れのにおいをわざわざ嗅ぎつけたわけではないだろうが、金と銅がイクスード市を通過すると同時にある商隊がやって来た。雇われ黒人がいるが、多くはジャーヴァル人でこのまま北部同盟に入植する。南大陸の外の出身でも殊の外熱帯病に強いというジャーヴァル人が労働者として入って来ているのだ。
何かこう、言い知れないものがある。南大陸内だけで人のやり取りをするのは、良い悪いは別として自然な流れだろう。しかしこう、関係ないというのは少しおかしいが、ジャーヴァルからわざわざ? と思えて来る。アセルシャイーブ首長が開発に人手が足りないからと誘致したものだが。
さてその商隊の代表とも言うべき者がメルカプールの狐頭商人マフルーン。帝国連邦財務長官ナレザギーの持ち会社の一つである南大陸会社の代表で、傭兵公社の南大陸部門の代表でもある。彼とは市内の会社事務所で会い、今日までまとめた報告書を手渡し、そして審査される。
フェルシッタ傭兵団は傷害が残る重傷者と死者に対して障害者年金や遺族年金を支給している。
障害者ならばイクスードで治療した後、障害者年金手帳を渡して本国に帰してやっている。本国事務所にも通達するのであちらで発行しても良いが、やはり勲章というか直接貰った感があり好評だ。
死者なら本国事務所に遺族年金を発行するようにと通達し、そちらから遺族に渡される。お悔やみの手紙も出さなくてはならないので作戦が失敗した時などこちらが首を括りたくなる。
これら年金額は積み重なると馬鹿にならなくなるが、その分兵士達の働きぶりは目覚ましいものになり、返って奮戦して勝利を掴んで被害も減るという教訓を先人が証明している。士気も低く壊走してバラバラに逃げれば追撃を喰らって掃討されて被害確認すら困難になるが、最後まで士気高く統率を守れば追撃しても割に合わないと見られることもあり、撃退してもまとまって堂々と投降しても良いのだ。いっそ身代金の支払いの方が一時高くついてもまた稼ぎに行けるので結果安くつくこともある。敵にも味方にも信頼、畏敬されれば交渉事が万事良くまとまる。
さてフェルシッタ傭兵団と傭兵公社の間では、障害者や死者が出た場合には追加保証金が出る契約になっている。そのため負傷者が障害者や死者にならぬよう施された医療措置はどのようなものだったかという報告義務がある。勿論、その戦闘に至った経緯や、どのような指揮を戦前から戦後まで下したかという報告の義務すらある。であるから報告書作成の項目が細かくて非常に面倒くさいのだ。混乱もあって書けない部分などいくらでもあるのだが、空欄は基本的に許されていない。商人如きにこれで分かるのかと書いてやるのだが。
「なるほど、ご快勝何よりです」
「兵器と戦術が合いました」
「この蟻縫合という処置は?」
「これは結構優れものですよ。蟻に開いた傷を噛ませて閉じて、頭を取ると針縫いより早いんです」
「適正な処置のようで」
こういう質問もして来る。胡散臭い狐が真面目に仕事してくると、これはもう根こそぎ搾り取られそうな気にしかならない。それは偏見である。しかしメルカプール商法などという悪名高い阿漕な噂は昔からフラル界隈では聞かされるのだ。”狐の皮を剥がす者でも東では服を剥かれる”と。
「確かに追加で入金するよう手続きしておきます」
「お願いします」
傭兵公社さんは金払いが良い。渋ったり値切ったり全くしない。検査は厳しいが納得のいくもの。誰が阿漕だ。
そして次が問題。我々が使用している火器全般は帝国連邦もしくはそこを介して入手したランマルカ製の物ばかりで、気前良く支給してくれるのではなく、あくまでも貸与で、壊れようが何しようが返納する義務があるのだ。であるから故障ならともかく損失した場合の報告も登録番号が振られた小銃一丁からしなくてはならないのだ。その損失経緯を書かなくていけないのだが、それがまた難しい。無くした者から話を聞けば、何時だったか? と不明瞭で、死人からは聞けない。
自前の火器ならこういう面倒が無いのだ。先の戦いを振り返れば皆殺しにされて食われて悩むことすらない。
審査の途中で別の報告書が外から上がってくる。フェルシッタ傭兵団の武器庫で行った点検報告である。それと、こちらが出した物を照会して読んでいる。これに齟齬があると大変だ。密輸したとか、技術を盗むために分解してどこかに送ったとか、そのような疑いが掛かるとあの素晴らしい火器の貸与が中止になるかもしれないのだ。機関銃だけは、いや河川砲艦もいや小銃も大砲も全部惜しい。あれ等があればフェルシッタによるグラメリス統一ぐらいはやってやれそうなのに。
「川で紛失とは、川沿いか中で戦闘を?」
「この第五八中隊が追撃に出て突出したクジャ騎兵を救出するのに川まで行って、反撃を受けて二名が流されました」
「戦闘の報告にもありましたね。なるほど。遺体は?」
「行方不明です。鰐も多いですから」
「なるほど」
報告に書いてあることでも突っついてくる。読めば分かるのは当然だが、思いつきで書いてないかと探っているのだ。
「誤って小銃を一丁贈与とは」
「第一五中隊のバルメロ一等兵の件です。そのクジャ騎兵の一件と似たような状態なのですが、互いに助け合った敬意を表するために武器を交換してしまったようです。戦場の興奮がありますから判断力が鈍っていたと思われます」
「返還は求めましたか」
「使者を送ったのですが、北西の砂漠に住んでいる遊牧系オモノ氏族の者達らしいので調査と合わせて折り返し連絡がつくまで時間が掛かります」
「なるほど」
今のところ把握し、即答出来る案件ばかりだ。
「贈与した一丁の件はまた今度。武器庫の故障品と新品、入れ替えて予備部品も補充しておきましたので後でご確認を。お疲れさまでした」
「はいお疲れさまでした」
商人というより役人を相手にしていた気分だな。息が詰まる。
次は武器の受領確認と、贈与の一件で追加報告があるか確認に、オモノ氏族とのやり取りで当たり障りの無いようにアセルシャイーブ首長に根回しを頼んで、だなぁ。
■■■
雑務が終わり、フェルシッタ傭兵団用に作られた駐屯地へ戻る。
アセルシャイーブ首長が帰り際に「これはほんの気持ちです」と蜥蜴頭のたくましい荷物持ちを付けてくれた。荷物の中身は素晴らしかった。
この駐屯地は山の都市と川の港町の中間地点にあり、我々の住む場所を確保すると同時に都市拡張計画に組み込んだものだ。柵はあっても城壁は無い。ただ見張り台や常駐警備を置いているのでそこまで不安ではない。
都市と駐屯地の間には自然に、新しい小市場が出来上がっている。買い手は主に傭兵達と現地妻、使用人の奴隷などだ。
黍、豆、胡麻、芋、落花生、塩に解体した羊に山羊、豚に魚。反物も多く、女達が絹に群がって店主から「もう触るな金取るぞ!」と怒られている。この前まで無かった砂糖に珈琲、煙草に石鹸はマフルーンが卸していったやつか。砂糖黍蒸留酒も山のように並んでいるじゃないか! ガシリタの薬草酒もあるが、高いなこれ。お、バナナのビールもあるな。
聖なる教えでは妖精を奴隷とする。人間も条件が揃えば奴隷にしてよく、白人黒人を問わない。獣人などの異形は敵なので奴隷にはなり得ない。そしてここでは全て問題無い。
奴隷市場に去勢、抜爪牙、尾先切断済みの”全処置”コロナダ人がいた。こうまでしないと奴隷にならない反抗性がある。望んで奴隷になるか、幼少から教育されてきたような者ではなければ大抵が”全処置”だ。筋力が強いので肉体労働に向く。
刑罰を受けた後と見えるクジャ人もいる。全裸だから背中の鞭打ち跡が分かり、傷物なのであまり良い値ではない。一族の掟に反するなどして私刑を受けた後に売られたと見える。秩序を乱す性格と見られると更に安くなる。
一目でゴロツキと分かるムピア人。顔が凶悪で、酒や阿片か頭部の重傷か、顔が歪んで不健康と分かる。かなり安いがこれは誰も買わないだろう。奴隷商人も厄介なものを抱えたものだ。売り物にならないからと言って商品を、奴隷を殺すのは違法である。一度預かったのなら責任が発生する。だから誰も見ていない砂漠で殺したりする。
どこかの馬鹿が連れて来た鼠頭のゲムゲム人。面白半分で並べるのも悪趣味である。彼等には感染症を伴う酷い噛み癖と混乱癖があるので奴隷どころか隣人にも向かない。見た目も悪い。言葉は通じるので一応知的生命体だ。見世物小屋だとか興行団向けではあるか?
今一番に人気になっているのは痩せた金獅子頭のカウニャ人で、競りになって値がつり上がっている。身内は殺しても奴隷には売らない連中だからどうしたのか? 故郷じゃ食えなくなって放浪していたところを拾われた可能性がある。黒獅子頭のヴィラナン人なら高級奴隷で出回ることもあるが販路は州総督などお偉いさん限定、一見さんお断り。格落ち感はあるがカウニャ人は人気である。
競りにかけられたカウニャ人は最終的に、覆いで顔を隠したサイール人の奥様が落札していった。偉い金持ちそうだったから、たぶん護身を兼ねた愛玩用か?
昔は黒人、獣人奴隷と言えば魔神代理領の高級奴隷ぐらいしか知らなかった。現地に来てみれば当たり前だが、奴隷としてすら売れないような連中もいると分かった。当たり前だがそういうものだ。
”正しさのみによって優越する”という魔神代理領の言葉は魔族、各種族、奴隷を含めた各階級に向けられた言葉であるが、良い意味でも悪い意味でも良く分かる。少なくとも神聖教会のお膝元に留まっていた頃よりは感じる。
有名な黒人奴隷ことムピア奴隷が特に神聖教会圏で高級感があったのは、政的排除に教育された貴族一門だったりしたからだ。我々の感覚では兄弟姉妹を修道院に入れるように奴隷として売ることもあるらしく、解放奴隷になったらまた故郷に帰って、自分の経歴を売り込んでより高く売ったりすることもあるらしい。そうして売り込んだ先から送金して家族を養ったりもするとか。
買い手の中にはギーレイ傭兵もいる。任期切れ次いでに鉱山奴隷を買って、故郷で売って二重に儲けようという魂胆だ。道中逃げたり死んだりすることもあるので博打だ。
ギーレイ族領の鉱山開発が進んで、今は砂金と硝石鉱山が一番儲かっていると聞く。従来の硫黄鉱山と合わせて火薬工場も建設されたぐらいで、先の黒鱗兵を粉砕したのはギーレイの火薬だ。
少し昔までギーレイ族には嬰児、女、老人殺しの伝統があったと思えない購買思考になっている。調整していた人口が今では労働力不足で足りないというのだから不思議なもの。北大陸の集団移住先からも少し戻って来ているとも聞く。そういう話を聞くたびにフェルシッタも発展させないといけないと覚悟が決まる。この勢いは眩しいぞ。
新興都市のイクスードは眩しい。ここは我々の植民地ではないが、フェルシッタ人と現地のクジャ人妻との間に植民地生まれ第一号の混血の赤ん坊が誕生したのが三日前。新たな段階へと進む兆しに思えてしまう。
クジャ人は魔神教のかなり変わった少数派の救世派で、戒律が本流と比べてかなり厳しくて娼婦は禁止。それならばいっそ結婚を認めた。クジャ人は我々の目からでも鼻の形が好みの結構な美女が多くて皆大歓迎であった。ロシエで見るマバシャク人だとか、個人的にはあの鼻が大きくて唇が厚くて尻がデカ過ぎて馬鹿にやかましいのが異種族感すらあって好みじゃなかったが、こっちのムピア人とクジャ人は違う。こう、スッキリしてる。シュっと。体格もそんな感じ。
本国の生活との兼ね合いから、フェルシッタ流の誠意あるやり方により、現地妻には子供が誕生した場合は協定成人年齢十六歳に達するまで年金を支給することになっている。するとそこまで多額ではないがうちの娘をやると申し出が増えた。元は裕福ではない地域なので口減らしではあったが、これで女に飢えた男どもを何とかなだめたり、北からやって来た娼婦が擦れて痛くて休業をする必要が無くなって規律は守られた。
不貞に対しては部族的には手酷い拷問刑が待ち受けるが、これも協定により罰金刑となる。妻の側が犯した場合は年金停止で夫が望めば親権も停止。とりあえず、血を見ず金で解決する方向に修正してある。我々の兵士に鞭や棒を入れられて使い物にされなくなったら困る。
それから混血児の行き場がどうしてもなくなったらアセルシャイーブ首長が直々に面倒見てやると言ってくれている。高級奴隷式に育ててくれるならいっそ預けてしまった方が将来のためになるんじゃないかとは本気で言っている奴もいた。人手が欲しいから働き手にならない子供でも歓迎してやるという言葉は好景気だからこそ言えるわけだが、ここは今実際、好景気だ。
駐屯地の自宅へ帰る。あまり隊員と酷い格差があるのは問題だと言いたかったが、建設済みのお屋敷を前に取り壊せとは言えずに使っている。屋敷の一部を事務所、社交場にすることによって言い訳はした。アセルシャイーブ首長としては将軍たるものこのくらいの権勢は必要だろうと建ててくれたらしいが。
出迎えは娘と同じくらいの歳の現地妻。その美しさは南天の黒真珠。家族に手紙で報せているわけがない! 何でわざわざ不和の種を撒く必要があるのか。
自宅には先客がいる。招待したフェルシッタ商人達だ。ペシュチュリアやファランキア、ゼカに比べたら我が都市の商人は弱小そのものだが、雄飛の機会は今である。その機会、足台は自分が用意する。自分がやらねば誰がやるというのだ。
「お呼びしたのに遅れて申し訳ありません。手強かったもので」
『ははは!』
「メルカプールですからな」
商談ではなかったが、神経はこう、荒らされた感じだ。
「物は卓に並べて」
荷物持ちが並べたのは、今回贈り物になった宝石から戦功の分け前として貰った分だ。汚いか綺麗かで言えば、その判断基準がこの地には存在しない。
「原石とはいえエメラルドが枕大! 凄い、これは加工が勿体ない」
「外では加工する前から研磨されてしまっていましたが」
『ははは!』
「今期の出征に投資して頂いた分としてお分けします。ただこれだと枕を割って離婚調停に入らざるを得ないので、こちらの調整で許して頂ければ幸いです」
更に金地金を卓にゴトっと乗せる。重たい! もう一回乗せて、もう一回、まだまだ行くぞ。
こう、金の地金ってのは凄い。同じ重さだとしても硬貨より力がある。まるで最上級の生娘。宝石よりも心を吸い込んで来る。
『おおっふ』
変な声が出ちゃうくらいにね。
「アデロ=アンベル閣下は良き仲人でいらっしゃいます」
酒飲んで商談をするなという奴はいるが、宝石を見て商談するなと言いたくなる。ここではもう商談は既に終わった後で、結果報告の段階だ。
「あなた」
黒真珠の声。可愛い。
「ああ、皆さん、食事にしましょう。先程から良い匂いがしていますので」
「そうですよ! 待っていた間ずっと香っていたんですよ」
部屋を移り、御馳走を前に皆で座る。現地妻と奴隷――ママールヘリスで職を探してた未亡人――が作った料理で、食べ慣れないとおやっと思う物もあるが、慣れればもう国の飯だ。
現地の妻はよく働く。召使いの如くとも言えるが、これが貴族じゃなければ普通なんだよな。
フラルの貴族女は着飾って、詩集読んで? 刺繍して、踊って、お喋りして、ああ家計簿書く奴は書くよな。うーん? 子育ては乳母と家庭教師だったな。洗濯は、召使いだな。あれ?
出来るならフェルシッタをこっちに移転してしまいたいぐらいだな!
昔は熱帯病でこの世の果てだったが、宝石みたいな値段がしたキナ薬は安くなったし、宣教師が水銀と瀉血でやるヤブ治療の時代は終わってちゃんとした医師がいる。野生動物が少々、いやかなり手強いが、対処を誤らなければいいのだ。
■■■
今日は投票日である。イクスードの? 違う。フェルシッタのだ。
フェルシッタ総督選挙の国外投票日。出国前に確認した国外投票登録と本国の役人が照会して、厳重に本人確認してから投票して投票箱を封印した。
現総督である義父が時期遅れの新聞を読んでも優勢である。ただアタナクト正法教会が推しているらしい司教から還俗した候補もかなり有力。
義父がフェルシッタを発展させてきたのは市民も認める事実。欠点は若くないことか。長男である義弟の奴を候補に出せればいいが、放蕩する程の社交能力も無ければ秀才とも呼べない凡人なのでどうにもこうにもで、しかも風采はパっとしない。友人としてならそんなに悪くないんだが。
この南大陸での稼ぎ口を安定化させ、商売の窓口役として自分が存在感を示せるようになれそうなのは来期選挙ぐらいになるだろうとは見込んでいる。もう一期義父が持ってくれれば、よしんば今回落選しても接戦には持ち込んで影響力を維持してくれれば次回総督選挙に自分が出る心算だ。
先の聖戦、二十過ぎの時に隊長が戦死し、野戦任官で代わりに隊長になってからそのまま継続して四十過ぎになった。これ以上老けると最前線から退くどころか隠居になってしまう。軸足を移すならそろそろだ。
そして封印された投票箱と役人と、今回の帰郷組等共に、土壁で出来た神聖教会魔神典礼派の聖アジラ教会を借りて従軍司祭と集団礼拝を執り行う。
寛容さといい加減さは分けて考えなくてはいけない。ここの黒人の教会主は寛容だ。外ではやり辛かろうと初めて来た時から場所を貸してくれている。
尚、ここで宣教から説法から何からやろうとした一代目の従軍司祭は早々に国へ帰した。良い大学で優秀な成績を収めたお坊ちゃんというだけではどうも、世間知らず過ぎた。少し歳が言っているが、聖戦軍に参加したことがある歴戦の爺様を改めて迎え、今は良く節度を保ってやってくれている。敵とは言え、血を流し合った間だからこそ理解し合えるところがある。
「汝らと汝らの祖国と祖国に託す想いに祝福を」
従軍司祭が我々と投票箱に聖水を掛けて祝福。これで準備が整った。あとはハシュラル川を下る船が帰郷組を揃って届けられるだけ集まってからの出港になる。
隊員全員には定期的に交代で故郷へ帰らせている。これが長期勤務の秘訣だ。我々は雇われては給料も払われずに、勝手に略奪でもして雑草でも食ってろ、と現地解散を言い渡される連中とは違う。勿論、市民権も無いようなその辺を放浪している野盗とも違う。
■■■
今日は出港日である。帰郷組と投票箱、手紙と綿花と象牙に犀角などなども一緒に帰る。移動のついでに商売をするのは基本だ。
イクスード連隊、ジェーラ大隊だけではなくイクスードにいた各同盟軍兵士にフェルシッタ傭兵の皆が、全員並んだら混雑するのである程度数を限って徒列し、港で見送ってくれる。
別れを惜しむというか、絶叫して泣き喚く現地妻も多い。うちの黒真珠はしっかりしていて、大人しくて、でも涙がぽとりと落ちて、抱き上げて連れて帰りたくなってしまったが堪える。
そして事件というようなものではないが、選択に迫られるようなことがあった。
「占い師が君に良くないことが起きると言った。彼をお守りに連れて行ってくれ」
イクスードでアセルシャイーブに買われたジェーラの名を持つ同盟軍司令が、司令とは疑似家族を構成する少年ハザク・ジェーラを寄越して来た。
ジェーラ大隊は産みの親や己の部族を知らず、骨髄の恨みを持っていない無垢な子供を一から育てて作り上げられた実質の親衛隊で、男だけで共同生活をして四人組が最小単位になっている。戦場に出る大人、大人を補佐する青年、家の留守番をする少年、皆に育てられる幼年で疑似家族を形成。それから皆が同性愛で繋がる。規律を乱す略奪強姦に走らせず、娼婦という無駄を省き、家族であり恋人である者をを守るために強く結束するという仕組みで理には適っている。古代エーランでもそういう例があり、嘘だろ! と笑ったものだが、実物は笑えない。
「お供します」
少年ハザクは当然若いが高級奴隷式に英才教育を施され、信頼を感じられる。その辺の勢いだけある英雄に憧れた少年とはわけが違う。イクスード市着任当初、駐屯地が完成するまではジェーラ司令と彼の家に下宿していたので全く知らない仲ではない。
尚、聖なる教えでは道理に反する同性愛を禁じている。今までの付き合いでジェーラ司令を始め、ジェーラ大隊の男達はもう何というか聖人みたいに良い奴等ばかりだった。常識を引っ繰り返されそうになるぐらいで、返された者もいるらしいが、まず文句をつけるところは何も無い。
ジェーラが――黒真珠のように、いやまさか――目をやや潤ませている。無言でも、またここに戻ってきてくれ、と言っている。
どうする? 連れて行く? 何か差し障りがあるか? 無いよな? 別に同性愛だからと言って、別に襲撃してくるわけではない。下宿時も怪しい素振りは全くなかった。相撲や拳闘の稽古に付き合ったことはあるがそんなものあれではない。
ジェーラ大隊の誰かに襲われたという話を聞いたことは一切無い。あの素敵な連中がそんなことするわけがない。蛇や蠍から守ってくれたという話なら結構ある。
それにほら少年だぞ。下宿中にはこの子の飯ばかり食って来たんだ。でもほら、こう下手にお願いしますとかこられたら困るじゃないか。敵対的じゃないからこそ辛いというあれがほら、あれがそう、あれだよ。そんなこと今まで無かったけど、寂しくなってあれがあれだよ。
「必ず連れて戻ってくるよ」
ジェーラが頬を擦るように抱き着いて来た。白兵戦能力を活かして全く動きが見えず、反応も何も出来なかった。
あれだよ、あれ、これは友情のあれだ。聖なる神に誓う。
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