第339話「獣人の世界」 アデロ=アンベル

 太古、南大陸は獣人の世界だった。わずかな人間は中大洋沿岸部を中心に僻地に隠れ住んでいた。山や海を利用して難を凌いだ。間違いなく狩猟の対象であった。今でも人間が食われる事件が、文明化された獣人が住む魔神代理領内ですら発生しているのだから未明の時代ならばどれほどだったか。聖なる教えで詠われるような人間不遇の時代とはそのような感じだったと云われる。

 古代から中世、鉄と馬の登場により人間が中大洋沿岸部から南進に成功して砂漠地帯までが手中に落ちる。装甲を纏い、馬で機動すれば頑強な獣人相手でも打ち勝てた。魔族のようなより強い化け物の存在も征服を助けた。ただし、砂漠より南の熱帯草原地帯にまでは進出出来なかった。補給の限界と熱帯病、雨季に冠水する悪路、湿地に強い蜥蜴頭等の獣人の存在である。熱帯森林部に至れば牛馬を殺す眠り病が蔓延しており、探検どころですらなかった。

 戦いを通じて餌と捕食者という関係が終わり、砂漠の交易路が出来上がり、獣人奴隷という概念すら誕生した。また獣人の中でも人間に対して融和的だった犬頭のギーレイ族は砂漠地帯にて鉄と馬を手に入れ、人間と同盟するなどして故地を維持した。他にも同盟までせずとも鉄と馬を手に入れて物にし、帝国を築いた獣人も存在する。神聖教会圏では前者がフレッテやビプロルのような広義の人間、後者が狼、猪、白獅子頭などの今や絶滅した獣人に当たるだろうか。

 近世、火器の登場により大軍を用いずとも比較的少数の部隊、武装隊商程度の規模にて人間は熱帯草原以南の獣人とも渡り合えるようになった。力の均衡により交易所の位置が更に南下する。ただし、雨季には火器の能力が低下して不利なので、人間が強気で活動するのは乾季限定となる。中世から続いて征服には至らなかったが、食肉目当てで人間を組織的に襲撃する獣人という存在はこの時期からほぼ消滅する。襲っても割に合わないという認識は平和をもたらす。

 現代……今から披露して見せよう。


■■■


 我々は雨季攻勢を予測して長期計画を練り、熱帯病予防のキナ薬を服用しながら待ち伏せをした。あちらの、大っぴらになっている深刻な内情を探る密偵がいれば難は無かった。

 侵略して来る黒鱗朝軍が、増水で本流が太くなり、枯れ川が復活して枝が増え、彼等と川船にとって動きやすくなったハシュラル川を下って来るのを待つ。夏の最大増水時期だと流石に彼等でも動き辛いので、それが少し落ち着く秋まで待った。そして北部同盟との境界線であるメルシュの瀑布、崖を彼等が川船を陸揚げして降りてからしばらく、引き返すのには名誉にもとる程遅い地点に到達してから蒸気機関搭載の河川砲艦艦隊を遡上させ、補給路を断ったのだ。駄獣を持たない彼等は水運が絶たれると弱い。

 悪疫蔓延する未開の熱帯雨林、コロナダ盆地からやってくる悪疫知らずの彼等とて土や木の股から生まれて来た存在ではない。本土からの、川伝いの川船水運による補給が無ければ飢えて倒れる。食糧の現地調達にも限界があり、広範囲に狩猟、漁労へと出れば軍の分散、各個撃破の危機となる。その危機を煽るように騎兵隊で忙しなくつついて挑発してある。

 彼等の持つ川船は丸太を抉った物か革張りが精々。それでも集団を組んで一挙果敢に押し寄せれば素早く大軍を動かせるのでかつては洪水のような衝撃を担保していたが、時代が変わったのだ。鉄製で槍で突いても穴が開かず、鉤で引いても引っ繰り返る重量ではない河川砲艦は接舷防止柵で覆われ、銃砲と手榴弾と生石灰で戦い、水面に暗色鱗の死体を大量に浮かべて下流へ流した。水域絶対優性という根拠で戦っていた彼等の軍事哲学を粉砕したのだ。

 こうなれば彼等なりの名誉を重んじる黒鱗朝軍は前進し、我々の拠点を襲撃して略奪、腹を満たすことを強いられる。予想外の出来事で流石に一晩、野営して悩んだようだが、停滞したまま士気を落して疲労し続けることは最悪の手と考えたようだ。

 待機中に食べる飯は、相手がまだ遠くにいた時は多少手が込んで黍粒飯に煮た肉を乗せた物。今は手軽に隙を見せず、缶詰と瓶詰。保存食だからと期待していなかったが何と美味い。マトラまんとかランマルカ漬けという、不吉な名前のやつが良かった。こういった物は補給計画に則り、下流の方からは別の河川砲艦、駱駝に驢馬と牛、荷運び人が運んで来る。

 偉大なるのは蒸気船、河川砲艦。一応伝統的な陸路運送も危機分散に混ぜ込んだのだが、汽船様の運送能力には全く敵わない。これで川の途中に滝が無ければ奴等の本土にまで進撃出来るというものを。

 南の空から信号火箭が揚がり、炸裂。攻撃してくるという合図を斥候が報せた。

「全隊! 方陣を組め!」

 喇叭が鳴り、太鼓連弾。各々、好きに寝たり遊んでいた者達が訓練通りに動き出した。

 見晴らしが良く、要塞めいた防御力感が薄い小高い丘というよりは地面のうねりの頂上部にて一個の大きな方陣を組む。

 我がフェルシッタ傭兵団一個。当たりが”キツい”と予測される正面、左翼――右利きが戦いやすいのは向かって左――の辺を我々が二個歩兵連隊で担当。ほぼ白人、出稼ぎ労働者。

 右翼は同盟都市バールジェバ市、ダルマン市合同の一個歩兵連隊で担当。黒い鱗と怨恨深き斑鱗の蜥蜴頭。

 背面は同盟中核イクスード市の一個歩兵連隊で担当。青虹鱗の、早期に盆地文明とは袂を分かった蜥蜴頭。

 四正面は鎖で繋いだ荷車で城壁とする。四つ角にはフェルシッタの砲兵大隊を四分割して配置。方陣中央にはギーレイ傭兵騎兵中隊を入れた。

 周囲の障害物は除去済みである。背の高い草は刈り、岩は割って転がし、木を切り倒した。緑深くない熱帯草原なのでそこまで手入れに苦労していない。

 防御は完璧、これにて要塞である。彼等がこれを無視すれば我々の努力は無為になるが、迂回して北上するならばいつでもその背後を突け、北の北部同盟都市の守備隊と挟撃出来る。東西に大回りをすれば歩き慣れた道から外れて難儀をし、更に飢え、戦わずして崩壊する危険に晒されるのはあちら。要塞は無視出来ない位置にあるからこそ要塞、要害だ。

 急に湿った風が吹く。仲間の蜥蜴頭が舌を出して「雨が来る」とその前から言っていた。晴れた空だと思っていたが急雨でも来そうだ。水気に火器が駄目になると学習している黒鱗朝軍が攻撃に動き始めた理由だろう。

 敵は暗色鱗の、広い意味での黒い鱗の蜥蜴頭で構成されて歩兵のみ。熱帯森林地帯では深刻な熱帯病に加えて厄介な眠り病で死んでしまうので馬などおらず、飼い慣らせる動物もいない。しかも火器の類は持たず、赤土から粗末な炉で鍛造した鉄の短槍程度。

 風で足を速めた雲が南からやって来て日が陰り、雨が降り始めた。布覆いの鉄兜から帽垂れ布に染みる。斥候が戻って来て所見を報告。

 夏の雨季本番が過ぎた秋なので吃驚する程の、一晩で川が出来上がるような雷雨ではない。川に飲まれるような場所にも布陣していない。この地は北部同盟の縄張り、有利な勝手知ったる土地なのだ。

 太鼓、咆哮、黒い群れの列が南方向からやってくる。地震のような揺れ、土埃は立たず、蹴った泥の飛沫が見える。

 あれが蜥蜴頭じゃなくて人間ならば最初から方陣など組まず、まずは横隊で射撃を加えてやるのだが、あの脚の速さが問題だ。爪で地面を掻いて捉える走法が常識外の速力を生む。

 遠く、黒い線程度だったものがあっと言う間に肉体の列に見えて来る。あの脚力と迫力は騎兵同等と見做すから横隊から方陣に隊形転換をしている暇も、根性も無い。無いなら最初から受け身になるしかない。

 黒鱗の軍が三つに分かれる。正面、左右、基本的な包囲攻撃。人間にとっては緑の砂漠と云われる熱帯社会が送り出す遠征軍とは思えぬその頭数、斥候が言うに五万を優に越え、こちらの十倍は確実。熱帯病知らずにとって彼の地は普段、豊穣なのか?

「構え!」

 雨だろうが雷管式小銃なら撃てる。

「狙え!」

 距離ならばそう、以前までの常識だったら大砲で狙う、ではなく脅す距離。遠距離照準の構えから銃口は斜め上を向く。

「撃て!」

 一斉射撃、軽砲も共に榴弾を撃つ。椎の実、楕円の銃弾で黒鱗の敵が転がり始める。砲弾の炸裂に泥水と草と武器と鱗と肉が飛ぶ。

「自由射撃!」

 銃撃以外でも敵の足が止まり出す。鉄の撒き菱は古典的かつ効果的。刈った草でも被せておけば中々目に入らず、釣り針状なので外科手術か、思い切り抉るかしなければ抜けないので、たとえ痛みを感じずともまた走り出すのは困難。敵は裸足で、突撃の襲歩で、体重も脚力もあって踏み込みが強い。だからかなり刺さる。痛そー。

 三方向から包囲機動を取る黒鱗の敵に対し、左右の辺からも一斉射撃からの自由射撃が始まる。方陣中央のギーレイ騎兵も馬上、友軍の頭越しから銃撃と毒矢を放つ。四角い、火と煙と鉛を吐き出す火点になる。

 大量の死傷者を出そうとも敵は怯まない。左右に広がった敵の波がもっと広がって分かれて包むように、渦巻いて背面側にも回り込んで全周を囲い始める。

「機関銃、射撃許可!」

 方陣四つ角からの機関銃交差射撃により、連射される銃弾の線が相互に幾何学模様を作り、柔らかく言うに阻止線が出来上がる。目前で交差し、遥か向こうで肉に当たらなければまた更に交差する。手回しで機関が装弾、発射、排出を繰り返しては過熱した銃身を交換し、水桶に突っ込んで冷やす。

 それでも押し寄せる黒い鱗の蜥蜴頭、凶悪な爪と牙と短槍を持つ巨体の勇者。そこへ軽砲から缶式散弾が発射されて鱗を捲って肉を見せる。銃弾が効かない呪い――ただの暗示で当人等もどこまで信じているものか――を掛けられているのは知っているが、ここまで命知らずに突っ込んで殺戮されるとは自意識を持っているのかと疑ってしまう。死んだら美女だらけの楽園に行ける呪いかもしれんな。

 投じられた短槍が方陣に飛んでくる。たまに銃弾が弾くが、重くて鋭いそれは荷車に突き立ち、人間に蜥蜴頭、犬頭や馬なら骨を断って肉を裂き、勢いで吹っ飛ぶ隊列が乱れる。

 黒鱗が肉薄する。銃剣の壁で防いで至近距離から撃って頭を砕く。

 黒鱗の蜥蜴頭が目前、開いた口、牙……拳銃で撃つ、喉から後頭部を吹っ飛ばした。あぶねぇ。

 旧式火器ならこんな戦いは出来なかった。既に突撃の圧力に屈服して潰されていた。新式の小銃、大砲、機関銃のお陰。火力寺でも建立したら御神体にして崇めたいくらいだ。しかし残念ながらこの優れた火器の持ち主が別にいる。我々に貸し出してくれているのは帝国連邦の傭兵公社で、担当はメルカプールの狐頭だ。しかもこれでも中古の型落ち品だというのだからたまらん。ほぼ瓦斯漏れしない後装式小銃、同様の大砲、回転式機関銃とかいうのがあるらしい。何だそれ? 聖なる兵器か?

 聖なる神の教え的には獣人ってのは人間にとって滅ぼすべき敵なんだが、何なんだろうな。黒鱗朝の、暗色鱗の蜥蜴頭共も広義の獣人ってことになるんだが、教義だけで考えると世界が分からない。

 かつて槍の密集隊形があらゆる敵を跳ね返したように、火器の密集隊形が化け物の群れを跳ね返している。この装備の運用方法、実現させるために自分で研究したものだがその元になる戦訓を生み出したのは悪魔大王の帝国連邦軍である。戦い方も中古で型落ちか?

 神が与えたもうた炎の槍でも限界がある。撃ちまくって銃砲に煤がゴミが溜まり、動かなくなってくる。発射瓦斯の漏れが顔を焼いて、時に目を潰す。突き出した銃剣が衝突で曲がって、肉と骨に挟まれて銃身も曲がって射撃不能になってくる。

 ただ一つの方陣で待ち構えるだけの戦術など無いだろう。

 喇叭が鳴る。勿論、方陣を解いて突撃などしない。

 北の方角、草で偽装して潜伏していた予備兵力が黒鱗の敵の包囲を破りに攻撃を開始するのだ。

 黒人解放奴隷とその奴隷による北部同盟軍司令官の私兵、その名を取った精鋭のジェーラ大隊が前進。方陣と射線が――特に機関銃――被らない位置より、背面を攻める黒鱗の敵に射撃を開始。恐ろしく早く精確で、術使いも混じっているのか時折変な音の弾が飛び、近寄る黒鱗の敵を銃撃以外の手段でも倒す。

 同様の要領で、更に左右からは同盟部族連合体の魔神教救世派駱駝騎兵連隊が騎乗射撃を加え始める。少し前までは鎖帷子に刀槍程度の装備だった連中だが、北部同盟が訓練し直した。

 圧倒的な火力と伏兵により勢いが頼りの黒い突撃は萎える、散って壊走が始まる。

 駱駝騎兵、ギーレイ騎兵が、撒き菱の無い道を通っての、予定通りの追撃行動に移って死体の追加を始めた。安易に近寄らず、騎乗射撃に限定される。

 両腕を上げて一番に喚声を上げたのは斑鱗の蜥蜴頭。色違いからコロナダ盆地から排外されてきた者だ。

 雨と熱と血の咽る臭い、疲れた。フェルシッタの傭兵隊長としては疲れた様子は見せられない。指揮用の、血を付けたことの無い剣を掲げて煽ってやれば皆が喚声を上げる。

 勝った後はこれよ。酒でも女でもこんな喜びを与えてくれない。

「アデロ=アンベル! 本当に耐え切るとは!」

 鼻が高くて唇の薄い、ロシエで見るのとは違う顔の黒人、同盟軍司令官のジェーラ・イクスード・アセルシャイーブが、兵達が見ている中で抱き着いて来た。感情表現がまあ、南の人間は派手なもんだ。北の人間からそう言われたことがある。

「勇気と努力、最新の軍事科学、その結晶ですよ」

「うわっはぁ!」

 ジェーラ司令官、自分の股座に頭を突っ込んだと思ったら肩車にし、上下に踊るように振りながら歩き始めた。喜んでいる皆の顔と手が良く見える。築いた膨大な死体の山もだ。


■■■


 近年稀に見る旱魃が襲い、ハシュラル川の水量が減って北部同盟領の農作物に被害が出ている。水源地のコロナダ盆地でも同様らしく、その周辺部族も似たような状況に置かれて混乱が巻き起こっているようだ。そして飢えた黒鱗朝コロナダは急進的になり、北進を試みている。北部同盟の、今は一時的に痩せたがまだ生産力がある農地、眠り病に侵されていない家畜の群れは魅力だ。そして何よりこの周辺地域の交易拠点となっているイクスード市を奪えば食糧輸入がやりやすくなるのは明白。

 平和的に交渉で解決をしないのかという疑問に対しては、隣国は仲が悪い法則に当てはまる青虹鱗族、非差別階級だった斑鱗族と黒鱗族の歴史的な確執が邪魔をする。魔神代理領風文化に馴染み、同じだった言葉を変え、文字と数学を学び、今では比較的裕福な彼等はかつてコロナダ盆地では弱者で、間引きの対象で、奴隷として売られたり、肉として食われていた。また北のハザーサイールとギーレイが限られた輸出枠の穀物を買い占めているので南のコロナダに流す物など無かった。だから和解はならず、死んででも殺しに来る理由が出来上がった。

 北大陸では寒冷期が来たとか、やっぱり暖冬で温暖だとかで騒いでいる。フェルシッタにいた時はあまり実感が無かったが、間違いなく季節ではなく気候の変わり目が来ているらしい。

 傭兵が暇しないというのはあまり、良い世情ではないなぁ。

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