第2部:第9章『大国の尖兵』

第338話「往年の貴女」 第9章開始

 昼も遅いというのに屋敷に小包が届いた。ただの包み紙の癖に雰囲気がある。何がどうとはっきりしないが、配達人の汗、脂の臭いに混じるこの感じは、政庁の気配。

 革命以後、配達業者が入れ替わって今まで当たり前だったことが――配慮されてきたというのは間違っている――変わってしまった。不躾な他所の人間に、この没落フレッテ貴族が何の文句を言ってもしょうがない。色が、褪せて見通しが良い夜はフレッテの、氾濫して眩しい昼は人間の時間だ。真夜中の田舎道を歩いて来いというのも配慮が足りないか。

 差出人の名を確認するのが怖い。見たら断れない名前があると勘が言う。政庁絡みから自分宛に送られて来る物など争いごとに関すると決まっている。そんな人物しか連絡を寄越さない……と思ったが、机の引き出しにはこちらから婚約破棄を申し出た元婚約者からの、破棄の破棄を願い出る手紙があったか。

 槍と秘跡探究修道会から、会員向け挨拶状と寄付の願いもあった。そんな金など無いし、正装も売り払った。勲章は……流石にまだ手元にある。あったっけ?

 独立した人間の小作人から、土地台帳を確認したいという手紙もあった。領主の一元管理から離れ、今までは曖昧でも気にならなかった境界線で揉めたり、共同管理に失敗した水場争いの決着をつけたいらしい。調停依頼を無料でさせようという魂胆だったことを覚えている。

 無料同然で手放した土地以上にまだ何か欲しいと言うのか? これだから人間はと蔑みたいところだが、元領民のフレッテからも職人組合の権利話、狩猟特許から縄張りが不明瞭だったところをはっきりさせて欲しいとやはり土地台帳を確認したいと手紙が来ていた。

 面倒なのはユバールにあった資産に関する権利の所在やら、戦災による喪失欠損の補償に保険やら、ランマルカに撃沈されたらしい商船株やら……考えるのも面倒くさい。全て人任せだったから何の質問が来ても答えられないということにしてある。答えるために必要な書類は家令が辞める前に、革命派住民の襲撃があったことにして燃やしたので大分、面倒事を知らぬ存ぜぬで通した。長らく領外で活動していたことも、知らぬ、の説得力となった。屋敷まで押しかけてきたら父を見せてやった。

 みんな死ね。

 身体さえまともなら刎ねて廃れた伝統に則って門飾りにしてやってる。

 引き出しから探って紙切りを取り出す。利き腕の無い生活も年単位になった。

 こんな不具の、革命で財産を失った、血塗れの、酷い不具の父を抱える女に何の価値があろうかと思うが、連絡がまだ来る。趣味が悪いのか?

 小包を巻く紐に刃を入れようか、入れまいか?

 ……差出人は帝国宰相、ビプロル侯ポーリ・ネーネトとなっている。

 見てしまった。若いというのに全権を握ってしまったあの坊やじゃないか。

 相手が誰であれ盟友ビプロルを無視することは伝統あるフレッテなら出来ない。人間なら断れた、気がする。見て見ぬふりが出来る性分でもなかった。

 肘から切断した先の右腕がある感じがして来た。まず先にこの感覚。

 脚に腹に胸、未だに細かい砂利が幾つか埋まっているかもしれない古傷に異物感。そして痛み出す。

「うーん……」

 左手で特に辛い腹部を抱えて机に突っ伏す。椅子に座ったまま足踏み。歯が折れないよう舌で口内の上を押して噛み締めに代える。肉が痛いだけならまだしも、右腕の骨伝いに響くような痛みが堪える。

 寒くなったり、頭痛がするような気分の悪い時にこれが来る。あとノミトス派の修道女を見るとやっぱり来る。

 この症状、幻傷痛と名付けられていて幻肢痛とは細かく違うらしく、また重なるらしい。治療呪具という傷を簡単に治す理術の発明品は、傷を綺麗にしても魂か何か、本質を癒さないらしい。ただ治療された者全てがこうなるわけではない。運悪く呪われて、自分は生き残ったがこの有り様。生きているだけマシという考えもあるが、大したことも出来ない後の人生を苦痛に苛まれながら無駄に永らえるくらいなら……。

 包み紙に額の脂汗がついた。これで差出人とか宛名とか消えないか? 消えないか。

 窓硝子をきゅっきゅと擦る音。

 遮光幕を開けると日陰の庭から、陽光の照り返しが射してきて片目が痛い。もう片方は無い。

「ウーヤ」

 不具になって部屋を一階に移してからは、昼寝をしにやってくるデブ猫が硝子窓に肉球と腹の毛を当てて軽く潰して見せている。

 餌をやったことはなく、どこで食っているのか知らないが野良のくせに腹が太い。ビプロルにゃんこかお前。

 窓を開ける。開けた手に顔を擦りながら、高く「みゃん」と鳴いて入ってきて、机に跳び乗り、横になって転がり、撫でろと腹を向ける。飼い猫のような懐き様。

 遮光幕を閉め、腹に鼻先を入れる。

 陽と猫の匂い。

 幻傷痛、少し和らいだ。小包は後でいいや。

 昼はフレッテにとって寝る時間。遅くまで起きていたのはこのデブ待ちだった。

 ウーヤを抱えて書斎から横に繋がる寝室へ。

 外、廊下の方から「ああ!」と老人の声。

 またか。

 革命で財産を失い、退職金をつけて使用人は解雇してしまったが、唯一残ったのが年老いた人間の馬丁だ。行き先が無く、今では屋敷全般のことをやっている。あの声は、父の便所桶を日没の起床前に始末しようとして、運んでいる時にこぼしたものだろう。

 行き先が無い彼が残って良かった。父の糞の始末など自分に出来るか? もう飼っている馬もいないし、丁度いいじゃないか……また痛くなってきた。ウーヤを潰してしまいそうなので寝台に軽く放る。

 寝台横の戸棚、前に処方されて使うかどうか迷っていたアヘン溶液が……いつ貰ったやつだったか? 止めておこう。鋸で骨ごと四肢を切る時に使うような劇薬だ。今はそうじゃない。

 すぐ寝れそうにないが、寝よう。


■■■


 眠れない。

 窓も書斎への扉も開けっぱなしで強めの風が重い遮光幕を押している。ウーヤは一眠りして出て行ったようだ。

 具合が悪い。頭も胸も腹も気持ち悪い。鏡を見るのも怖い。元婚約者は美人だ綺麗だと――フレッテ貴族の節度を保ち――囃していたが。

 夕方、日没。起きた父に起床の挨拶へ行く。

「おはようございます」

「おはよう」

「晴れております。風はやや強いですが、表へ行かれますか」

「頼む」

 馬丁が夕食を作っている間に、腕を引いて車椅子に乗せて日向の庭にある白薔薇園へ連れて行く。規模は縮小したが、家紋にもなっているその花を売って生活の足しにしている。傷痍軍人年金、元使用人が時折持ってくる食糧、成功率が著しく下がった狩猟と合わせ、食べるのがやっと。飢え死にしていないだけ一昔前の農民よりマシだが。

「色はどうだ」

 風にざわめく白薔薇の茂み。乙女のように言えば笑ってる。

 貴族が財産を失った時のために趣味と合わせて手仕事を覚えておくのは伝統。だが本当に役に立つ時が来るとは思わなかった。もっともこれは父の手仕事で、自分のではない。そして父の手はもう無い。東方蛮族、妖精共に手首から先を切り落とされたのだ。勿論、両目も抉られている。脚の骨折は治ったが寝てばかりの生活で弱った。

「よろしいかと」

「うむ」

 この白薔薇は自分が片手で手入れをしている。父の指導通りやったつもりが全く良くない。良し悪しは分からないが、目利きが品評会で散々に評価したので安値でしか売れない。安いなりに庶民向けに売れば良いと親切に、革命前は投資先だった商人に教えて貰ったが、利益を出すには大量生産が必要だ。当然、そんな手は数からして無い。馬丁に手入れさせようにも他の仕事で忙しいし、やることが全て遅い。気配だが、次の冬には死ぬ老い方をしている。

 まるでここのお家のようだ。

 何もよろしくない。

 草刈り鎌を取って戻る。

「剪定には横着しないで鋏を使いなさい。お前の腕は分かっているが、武芸ではないのだ」

 見えずとも鉄のにおいの量で分かる。良く研いでおいたので金臭さがうるさい。

「これはそう使いません、お父様」

 その首切り通し――頚椎に当たったら関節を探り当ててしゃくって外すようにすると比較的簡単――落ちる前に胸と片腕で抱く。上手くいった。間抜けな処刑人にはならない才能は前のままだ。

 分離しても視点がそのままなら切られたことに気付くまい。しかし即死させるつもりが、首だけ、口が何やら動いている。断頭台で首を落されてもしばらく、いくつか数える内は意識があるんだったか……革命の大量処刑で分かった話を思い出してしまった。その前に、そういうことは分かっていたじゃないか。

 切れ目から血が溢れる。

 もっと早くにこうしていればよかった。

 首を、車椅子に座ったままの父の膝へ。苦しい顔はしていない。たぶん。

 馬丁はどうしたか? 厨房側に耳を立てると唸っている。どうやらまた腰をやったらしい。

 彼も苦しまないようにしてやろう。

 厨房へ行けば床にうずくまっている馬丁。見習いでやってきた時は元気溌剌で、部屋を覗きに来たぐらいだったが。

「お嬢様、申し訳ありませんが……」

「いえ、ご苦労様でした」

 鎌で首を切り落す。骨が脆くて小手先も不要だった。

 夜一番の食事は……いつもの、雑に刻んだ野菜、解き卵入りの麦粥で、竈に薪がくべられ、火が点いていない。屈んだ時にやったようだ。

 今日は卵入りだったか。この前拳銃で落とした白鳥の腹に入っていたやつだ。

 二人共終わった。

 部屋に戻り、小包を前にする。机の上、猫の抜け毛を手で転がして丸めながら開封を決める。謎を残したままにする必要はないだろう。

 ウーヤは、たぶんあれは死肉漁りを革命で覚えた猫だ。今でこそ白骨も減ったが、当時は虫と獣に漁られる肉が散らばっていた。死体を食べては太り、数を増やしたねずみでも食っているのかもしれない。家に通っていた理由は、死にそうな者を見つけるのが得意で、餌になるのを待っていたと見た。猫はそういう自由さがある。三体分もあればもっと太ってしまうね。

 開封。封筒一通と、紙で包んだ硬貨、黒い眼鏡が二つ、球体の呪具が一つ。呪具だとか理術具だとかどっちだか。

 封筒も開封すると手紙が一枚に、ポーエン川で運行している汽船の乗船券も一枚。政府発行で無料と読める。資産喪失前なら大口株主用の、川でも海でも行ける上に一等船室に食事、ワイン付きで船長がご挨拶に来るようなもっと良い券が使えた。あれで良く出掛けた。

”盟友たるフレッテの貴女へ、ご機嫌いかがでしょうか? このような身分になってから初めて手紙を書きます。堅苦しい挨拶は抜きに致しましょう。

 同封しました球体の理術具は試作の、術使い用の外部動力を不要とする義眼です。赤目卿の眼窩の大きさが分からないので嵌らないかもしれませんが、術にて神経を通わせるようにすると手に持っているだけでも疑似の瞳孔を向けた先に視界が得られます。これは亡きロセア閣下が作った密偵道具”目蟲”の応用で、三点以上の視界を得ようとする疲労が強くなります。

 それから遮光眼鏡を一組。昼の活動にお使いください。ただの色硝子で壊れやすいので予備もどうぞ。

 この義眼についてご興味ありましたら是非オーサンマリンにまでお越し下さい。旅費と乗船券も同封しておきます。義手の方もこの義眼くらいに良い物に仕上がっております。是非調整させて頂きたい。往年の貴女をまた見たいと願っています”

 左手に義眼を持つ。術で神経を繋ぐように……暗いが、手の平側から開いて来た。動かすと目、首を振った時のように視界が回る。振り回すと失神しそうなくらい物が振れて見える。

 眩暈、神経切断、吐き気。慣れる前に無茶なことをしてしまった。

 落ち着いてからあまり義眼を動かさないにようして風に煽られる遮光幕を開け、何度も見て来たはずなのに、でも見たことのないような瞳孔に刺さらない茜の空へ手を伸ばして見た……ああ、これ、フレッテの夜目じゃなく、人間基準の昼目なのか。

「ふっふふふくくく……」

 笑いが止まらない。

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