第332話「難儀な戦い」 シンザ
暖冬から春に移り変わるより前。既に気温は春の様相で雪に雨が注ぐ程。
両手、両踵を合わせた和合の構えの守護尊鬼、温和の相ながら剣山に立っておられるザイグン像の前でお声を授かるために座禅を組んでいる。入室時に点けて貰った大蝋燭はとうの前に融け切った。このクモイ軍が本陣を敷く臨時首府マンガン寺のザイグン堂、本堂内は光を隙間も通さず闇である。
以前までのクモイ、北部戦線の状況。
クモイ、アザカリ軍など中国勢三万。マザキ軍四万にハセナリ軍など旧マザキ勢二万で西国勢六万。龍軍、定数より少なく八千。約十万の兵力が待機していた。
先のカギ島海戦にて龍朝天政の東洋、南洋艦隊が崩壊した。そしてカギ島も同時に占領され、アマナ海が奪われた。ランマルカ海軍にも多大な損傷を与えたとのことだが行動不能に至っていない。クモイ奪還計画が潰れた。
予定通りならば陸上西正面から西国勢を先頭に十一万の軍で対人地雷、鉄条網、塹壕線、砲台を掻い潜って強引に攻め、海上北側面から艦砲射撃支援の下に天政上陸部隊が攻めて火砲不足を艦砲揚陸で補い、龍軍と虎軍が山越えに東背面を断って孤立化させ南側面からも圧力を掛け、全正面から攻撃する計画だった。
鎮護将軍アバシラ・ドウモンなど”鬼子マザキなどこの機に死に尽くせば良い”とまで、マザキ鎮護代シラハリ・ハルタダの面前で言った。その前にハルタダ鎮護代は”名どころか生まれも怪しき僭称将軍の命令など聞くのは手前の犬だけよ”と言っていた。
不仲はともかく、鎮護総督の命令ならば聞くと言うハルタダ鎮護代のマザキを先頭に立てて計画通りに作戦が進めばクモイ本城、落ちていたかもしれないが、それも今や意味が無い。
攻撃計画が頓挫し、集めた者達が血の気を持て余す。喧嘩からの刃傷沙汰は予測されていたので厳密に各軍各兵、行動範囲を実際に柵で囲って隔離はしていた。
マザキ軍は駐屯地でも臨戦態勢を解かず、ハルタダ鎮護代は”補給滞れば分捕りで対応致す。クモイとかいう落ち武者が狙い目か”と公言した。
マザキ軍を監督する立場のハセナリ鎮護代シラハリ・エンヨウも”鎮護総督ならばともかく弱兵大将の下で死ぬくらいなら犬の糞でも食っていた方がマシだ”と言う。
そしてアザカリ鎮護代フルクシ・トウカイ、間に入って仲を取り持つことなく”ほれ、犬の糞じゃ”と本当に糞を持って来たことがある。
西国勢と中国勢の仲が険悪になっている間にもクモイ城は要塞化され、手がつけられないほど堅固になった。大規模な守備隊が不要になり、余剰兵力がどこかに流れると予測された。
装備、練度共に西国勢が遥かに上である。鎮護将軍の肩書を除けば現状、多少分裂したとはいえマザキ軍が数量でも圧倒、最大勢力。自惚れではないが、鎮護将軍の上に位置するように、彼等を統括する鎮護総督の立場に自分がいて良かったと確信出来ている。この仲の悪さは説教程度で収まりはしない。
以前までのヒシト寺、中部戦線の状況。
ネヤハタ軍に労農一揆から逃れて来た者も含めた雑多な者達など東国勢三万。各地の寺から集めた人間僧兵などによる門徒勢二万。虎軍、定数より少なく七千。約六万の兵力で守っていた。
狭隘な山岳地形を生かして防御に専念して耐え忍んだ。レン・セジン特務巡撫が遺してくれた蛇龍が象徴となっており、各地から集まった者達を良くその姿でまとめてくれていた。
以前までのネヤハタ、南部戦線の状況。
南国勢の中小規模軍が集まって二万。龍朝天政東洋、南洋軍上陸部隊をまとめる東護軍、未だ集結ならぬも総数六万。約八万の兵力が待機していた。
南国勢は弱兵とまでは言わないものの、寄り合い所帯で統率が取れておらず、最新装備ではない。そして自国防衛ならばともかく、ネヤハタ攻めとなればやる気も少ない。
伝統的な東服呼称改め、アマナに配慮した呼称、東護巡撫に就任したのはオン・グジン将軍。東洋軍、南洋軍と指揮系統が別なので統一指揮する者が必要とのことで現地で就任された。
各地へ分散上陸した東護軍集結完了の暁にはネヤハタ攻めも現実味を帯びて来るが、問題は彼等を食べさせる食糧に欠くことだ。天政海軍による海上補給路があればその悩みも無いのだが、カギ島海戦以降、輸送船団を守る海上兵力が失せてしまっている。護衛も無く決死の覚悟で輸送すればそれなりの成果は望めるものの、そんな無謀は先細りの未来しかない。勝利したランマルカ海軍にいいように撃沈、拿捕されることだろう。また艦隊再建のために経験ある船乗りは貴重で、輸送船乗り達は保護される。商船乗りまで動員し尽すほどに彼等がアマナに入れ込んでくれるとは思えない。海上補給、当分の間は止まる。食糧が少ないなら我慢しろなどと言って、大人しく聞ける者はそうはいない。本能に対して極限まで逆らえはしない。対策が必要。彼等には南国勢の離反を防ぐ役割も期待しているが略奪暴徒と化した時、そんな期待は出来なくなる。
この件とは別に、南方のリュウトウ商人から国籍不明の船団がいるなどという不安な情報が入って来ており、海上には不安しかない。
新編制した部隊がある。故事に倣い狼軍八千八百名。これにて鴉頭僧兵の人的資源は尽きた。随意に動かせる最後の部隊でもある。
諸々の不具合を調整するため、危険を伴ったが既に軍の再配置を終えている。
中国勢と内戦を始めかねない西国勢をヒシト寺へと向かわせた。その間のクモイ方面の兵力不足は狼軍で補強。
西国勢と代わるようにネヤハタ軍はネヤハタ方面へ向かわせ、本領奪還を目前にさせる。ただの亡命生活状態から本領西半に戻らせたので下がった士気も上がった。今まで防衛上の都合でそのような不便をかけていた。その士気軒昂となったネヤハタ軍の影響で南国勢の弱気もある程度は収まりを見せた。
最後に虎軍をヒシト寺直衛から外し、クモイ南部の山岳部へと移動させた。
再配置中に主だった攻撃を受けることは無く、成功した。ただこれ以外の問題への対処が難しい。労農一揆勢撃滅が一番の答えだが遠い、または訪れぬ未来の話だ。
答えなどあるだろうか? 辿り着く先の見えぬ龍道探求のようだ。いや、龍道探求はとりあえず進むことは出来るのだ。これは行く先の踏み場が見えない。
何か特別な謀略を働けば解決するのかもしれないがそんなことは分からない。何か出来る手先は持たない。御堂に籠り、この時期に贅沢にも瞑想のような真似を許して貰って思考に集中しても軍の再配置が精々。初心に戻り、脚を使う以外に他無いだろう。
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筋を通すことになるだろうか。人によっては違うとも言うだろう。
クモイ軍総大将にして鎮護将軍アバシラ・ドウモンが間借りしている屋敷へ赴く。
兵士達の姿が見える。装備の現代化がある程度進んでいる。最早鎧兜、特別あつらえでもなければ施条の椎の実型銃弾相手に意味が無いと分かり、多くの武士が軽装となっている。白兵戦に備えて額当て、小手、鎖帷子などはまだ身につけられている。武器は天政から輸入した新式小銃、銃剣があるが旧式小銃に弓と槍持ちが目立つ。
小姓控える広間にて目通り叶う。ドウモン将軍は刀傷が顔に映える堂々とした中年男だ。
「どうぞこちらへ!」
高座を勧められたが固辞し、自分は手前で正座する。
「此度はお願いに参りました」
「いやいや、猊下にそのようにされてはこちらが困ります!」
胡坐も掻かず膝立ちで、さあ、と勧められる。
「お願いがございます」
ドウモン将軍、どうしようかと足を迷わせた後に、高座を避けて対面に正座する。
先代鎮護将軍カバナ・オウサンに取り立てられるも忘恩の果てに毒殺し、一人娘を娶って家督を乗っ取った、元は下士どころか素性怪しい商人か野伏の出、と言われている男だ。自称では父の代では敗戦して落ち延び一度下野するも祖父はさる上士だとしている。両論真偽定かではなく、特定したとしても何にもならない。
「カギ島占領の案件、対処しようと思います」
「あれは脅威ですな。ただ我らで水軍を用立てても十年かけたところで全く敵いませぬぞ。大陸の海軍も増援の見込みは立たぬと聞きますが、妙案お有りで?」
「マザキ鎮護代シラハリ・ハルタダ殿に沿岸防御、そのための艦隊再建をこれから打診したいと考えております」
「何故我らにわざわざそんなことを。西国の話は西国者にして頂きたい」
ドウモン将軍、脚を崩して胡坐を掻く。顔に静脈が浮く程に憤っている。侮辱され、鎮護将軍であるにも拘らず主導権を握られかけ、その上で影響力の拡大を許すというのだ。鎮護将軍に能力が足りないから他の者に任せると自分は言ったのだ。面子が立たぬ。
これがまだ鎮護将軍の命令により鎮護代が動いたとなれば全く問題はないが、肝心のハルタダ鎮護代はそのような命令を聞きはしないだろう。”空の鎮護将軍位、いかがされるかお決まりか?”とドウモン将軍の面前にて自分に対して発言している。公式の手紙のやり取りでもクモイ鎮護代々某ドウモンと書く始末で、こちらに対しては”鎮護総督に下ったのであり、あのような山出し野伏にではありません”と言った。アバシラ将軍は、例え致し方ないと頭で理解しても憤懣やるせないだろう。相手が実績の無い若者ではなく先代のハルカツならばどうだったか。
「お怒りを買うこと承知しております故、先に将軍へお話を通しに参りました。寛容の程を」
手を突き、座礼で願う。
「猊下に頭を下げられては何も言えぬではありませんか」
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マザキ軍総大将にして鎮護代ハルタダがいるヒシト寺城へ赴く道中、声が響いた。
「泣くよ武士団、鉄槌射撃! 労農一揆が大成敗! それ一揆!」
『一揆! 一揆! 一揆! 一揆! 一揆!』
道を外れて山渡りの術にて山頂へ駆け上がり、木に登って前線を見に行く。
山谷を生かした塹壕線を幾重に組んだ防衛線に洋式――帝国連邦式でつまりマトラ式でつまりランマルカ式ということになる――軍装のマザキ兵が展開する。労農一揆勢と違い鉄条網――切断困難な太さと硬さの長大な針金を茨状に編んで螺旋に巻けるような物を生産する設備はこちらに無い――などという優れた装備はなく、逆茂木や馬防柵に留まる。
騒ぐ労農一揆勢の雑兵が塹壕線に対して遠巻きに隊列も組まずに散らばって、自棄になったような踊りをしている。彼等の境遇は、皆ではないが自棄にならねば狂う程と聞いている。あれも戦乱の病が現れた姿だ。
ただ大声を出して嫌がらせでもしているのかと思ったが、何も荷も載せていない、車軸がかなり太い二輪の車? が押し出される。そして点火がされたか車が噴煙を吐き出しながら転がり始めた。その姿は奇天烈そのもので、マザキ兵の銃撃を弾き、砲撃を受けて大きく爆散、目立つ車輪を筆頭に破片を跳び散らした。そして迎撃の砲弾を掻い潜った一部の車は障害物を乗り越え踏み潰し、塹壕に嵌まり込んで爆散。煙と炎の大きさ、人の叫び声から大きな被害が出ていると分かる。
続いて人でも小人でもない、人形めいた兵士が横隊整列で一千弱程度、雑兵の中から現れ、前進しながら銃撃を繰り返す。マザキ兵の銃撃を受けて火花を散らしても動じない。砲撃を受ければ血も流さずに砕け散るが、人形めいた兵士は鉄の規律を持っているのか砲弾の炸裂に全く怯まない。思わず爆裂音がした方向に顔を向けることすらしない。おかしい。
これは虎軍に報せを出して山から側面を叩かせるべきだろうか? 少し考えている内に人形兵が三割程倒れたところで綺麗に揃って回れ右をして背を向け、後退を始めた。片脚、上半身だけになって這って後退する者も……あれは生物ではない、からくり人形か。雑兵達も逃げ出した。
一応、小競り合いに収まったようだ。
破壊されたはずの人形兵だが、マザキ兵は近寄ろうとせず、砲撃で破壊処理をしている。鹵獲する気は無いようだ。
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ヒシト寺へ到着する。
龍神池と称される御池には肌の色真新しい木造界門が設置されている。その御池中央の岩に蛇龍が佇んでいる。参拝客の如きに兵士達が手を合わせて若干騒がしいが、御本尊と化した大陸の異形は日向ぼっこか目を閉じている。
ここに見える兵士達、マザキ兵もハセナリ兵も同じ、ほぼ同じ洋式軍装。生地の色合いは褪せた茶、つば付き帽子、詰襟洋服、脚絆巻きに革長靴。弓や槍の装備は禁止されており、帝国連邦式の小銃と銃剣装備で揃っている。隊長級、抜刀隊員だけは佩刀している。アマナの人には似合わぬと思うのは単純に見慣れぬだけ。天政の兵士も色も形状も違うがこのような洋装であった。夏場は大層暑苦しそうだが、これが現代化の正解なのだろうか。
地図や作戦図に載せられた駒が乗った机が中心にあり、細かな報告書が束になって整頓、一部閲覧中だったか広げられている司令室で目通り叶う。
ハルタダ鎮護代は椅子に座っており、こちらも軍服を着た女中? に椅子を勧められて対面に座る。互いの間には机があってどうにも居心地が悪い。茶が出される。
ハルタダ鎮護代は母が異人であるからか目鼻の形が少々大きい相貌の若者である。洋装であるので若武者とは言えない。ドウモン将軍と違い、父の血筋は文句無しの旧家。母は海賊と聞けば下賤になりそうだが、世界に名立たる大海賊ギーリスの娘であり、兄はタルメシャ南洋諸島海域における大王ファイードである。異人の血統を認めるかどうかは難しいところだが、匹敵する者をこのアマナで探すことは難しい。
由来定かではない中年武者、血統確かな若き……何というのだ、現代人? 気の合うところも少ないだろう。
「小競り合いがありましたね」
「あれは小出しに新兵器を見せて、攻撃してくるなよ、という主張ですね。走る爆弾は自走爆雷と言い、中々難儀する破壊力です。からくり歩兵は戦列型呪術人形と言い、恐怖を知りません。また死んだふりからの自爆攻撃などもしてくるのでこちらも難儀しますね」
「恐ろしいですね」
「はい。あの牽制行動、どこまでがハッタリなのかは偵察を出して確認していますが、こちらから攻めるには決め手にかけるのが現状です。この山に挟まれた谷の地形、守るに良いのですが攻めるには悪いのです。鎮護総督が玉砕覚悟で進めと仰るならば、後詰が確認出来次第攻められますが、その後は保証出来ません」
「本日は別の件があって参りました」
「何なりとお申し付けください」
「現状の鎮護軍では割ける兵力が無く、占領されたカギ島を拠点に今後展開されると思われる敵の西国攻撃に対する術がありません。ですのでそちらから現地の民兵達に働きかけて代わりに防衛して貰えないでしょうか。マザキの優れた艦隊も必要と考えます」
椅子に座ってはやり辛いが頭を下げる。
「頭を下げられる理由がありません」
「ただ負担を願うばかり、下げる頭しかありません」
「今やマザキ鎮護代は、旧領民からは敗者、守護者として不足ということで名が地に落ちています。我らの本領の者達は我が軍を支えるだけで限界です」
「その旧領民達に働きかけて頂きたいのです」
「労農一揆勢は一見、あの馬鹿踊りをする者達を見れば獣の如きですが、指導者は強かです。現在あちらから、アマナ連邦の西国統領にならないかという誘いも受けています。どうも労農一揆、宗旨替えさえすれば武家でも僧侶でも、平民と平等という意味で隔てなく受け入れております。つまり生半可な相手ではありません。カギ島経由で買収、始まっていると見て良いでしょう。その上で働きかけるのならば言葉で足りぬ分、多くの物が必要になるでしょう。あれを寄越せと言われ、鎮護軍にどれ程出せるかと一々窺っていては機嫌を損ねます。話し合いをしている内に横から奪われるかもしれません。マザキは今や粉骨砕身、鎮護軍のために人に金に物を出しております。海洋貿易も完全に止まって台所に余裕がありません。ですからせめて説得の頭金、即座に出せる分は頂きたい。勿論、交渉が終わり次第、資金が余れば帳簿と合わせてお返し致します」
「ありがとうございます。本山に用立てさせます。ただ申し訳ないのですが……」
「お山の事情も詳しくはありませんがお察ししております。手付金分程度の余裕さえこちらに無いのです」
「ご苦労お掛けします」
「かつては敵でも今や我らは国家鎮護の尖兵です。頼まずやれと命じて頂ければよいのです。労いも不要。懲罰の心算で命じて下さい」
「忝く存じます」
「そのような。私は降将です……ただ、艦隊の方はどうやってもどうにもなりません。こればかりは」
「分かりました」
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アマナ随一の大きさを誇るアタラ川。治水の困難さから暴れ龍が住まうとまで言われてきた。大雨洪水となる度に畑が流される代わりに、そうならぬ時の豊穣さ、水運の便利さは格別で破壊の危険と隣り合わせでも人が住み着く。
今のアタラ川流域、洪水の破壊から復興がされていない。
ネヤハタ軍が目前のアタラ川越えを諦めてヒシト寺経由で逃げて来たのは洪水の影響であった。その時川が暴れていなければもっと多くの者が助かったかもしれない。
田畑荒れ尽くし、泥に埋まった屋根が見える川沿いの道を下る。ネヤハタ軍の者達が西岸の住民と共同して荒れた土地を取り戻そうと泥に塗れて働いている。暦では冬だがもう初春のようで、凍えずに動ける。
今年の暖冬では川が凍てつかず、水量保って流れも速いまま、弱気な南国勢でも労農一揆勢の侵入を防ぐに苦労しなかったと聞く。
下流へ進む。東岸には鉄壁に分厚く高い石垣で固めた地盤から鬱蒼と建物が並ぶネヤハタの都が見える。あれほどの都であれば籠城出来たように見えるが、当時は労農一揆の忍び者による火計により、大火が発生して籠城どころではなかったらしい。不運か備え足らずか、敵の計略が見事であったか。戦の理で考えれば全てであろうか。
ネヤハタを占領したのは雑兵集団であったが、今やかの地にて軍の主導権を握っているのは遥か北の島よりやったきたクイムの小人軍である。
クイムの小人兵が、おそらく軍規を乱したと思われる、粗末な衣を血で黒くし、傷だらけの丸刈りにされた人間達を川沿いに立てて「総括敗れ者に断罪!」という号令で集団処刑している姿が良く見られた。その逆は一切無い。確実に人間が下位に置かれている。
公開処刑だけではなく、拙いアマナの言葉で対岸より訴えかけが定期的にされている。毎回軍楽隊の伴奏がつき、特に袋付き笛の音が奇天烈に響いている。
「い、い、い。革命万歳、革命万歳。今もお天気です、今もお天気です。言葉を試し、言葉を試し」
拡声器という声を増大させる器具を使っている。
「今かぁら、クイムの偉大なる将軍さぁま、ナマラアッペ元帥お言ぉ葉!」
「アマナ人民に教える。科学を学べば、宗教は麻薬。社会主義を学べば、富豪は抹殺平等。お前らぁ弱い。逃げないとぉ、焼き鳥海苔お弁とー。反革命、消滅。さもなくばぁ、甘辛鳥そぼろお弁とー……」
分かるような分からないような演説が続く。平時に聞けばただ滑稽だがこの戦時に聞けば不気味である。言葉が通じるようで会話にならない者達と戦っていると知らされるのだ。
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東護軍司令部があるアイガネ城へ赴く。到着は夜になってしまった。
月に照らされ、金風飛龍東”服”軍旗――旗の意匠替えは間に合わなかった様子――と鎮護軍旗が並んでいる。並立するのは占領したのではなく肩を並べているという意思表示。
天政軍はエデルトに倣ったという洋式軍装で、東洋兵は黄、南洋兵は紺の生地で、帽子も大きく帯も白と装いが派手。マザキに似て小銃と銃剣で揃えて弓は無いが、督戦役の下士官等が矛槍を持っている。夜でも警備には緊張感がある。
城で酒宴でもあったか、酒が臭う天政軍の高官達がぞろぞろとそれぞれの駐屯地へ帰る最中に出くわす。彼等からは尊敬される立場でも無いので、通りがかっても礼も無し。鴉の頭は珍しいか不躾に見て、何やら酔いの大声で大陸の何処かの方言で何事か喋る。見ず知らずならばこれが当たり前だが、気になってしまうのは持ち上げられることに慣れてしまったせいだ。供も連れず、高貴な衣装で飾らず、夜にひっそりとやってくるような者相手ならこの程度だろう。
門衛に東護巡撫オン・グジンに取り次いで貰いたいと言っても直ぐに通されず、訝し気な目で立ったまま待たされ、小走りに当人がやってきて兵士達が見るからに動揺した。
老境に達し、鹿に似た、それよりは小さい角が生え、瞳孔が縦割れ、肌に異色の鱗が見える龍人将軍。大抵の人物よりは偉く、己の足でしかも急ぎに出迎えに来ることなど君主相手でも無い限り有り得ないのだ。天政の故事などを思い起こせば、このような上下の礼を欠くような失敗を作り出した者は容赦なく斬首など極刑に晒されている。
「これはシンザ殿! 夜に一体、お一人でどうされました!? まさか、どこか落ちましたか!」
「これは失礼を、お騒がせしました。慌てる要件ではありません。時間が悪ければ出直します」
「そのような謙りはお止め下さい! アマナ人なら良いかもしれませんがこちらはそれでは困るのです……とここで言っても仕方がありませんな。どうぞ城内へ」
「失礼致します。それと彼等ですが」
「咎め無しでは規律が保てません」
「悪いのは私です」
「地位の高い者は、より高い者に咎められぬ限り悪いなどということは、我々の中では無いのです」
「差し出がましいことを申しました」
「……棒打ちには手心入れるよう言っておきましょう」
とんでもないことをしてしまった。
オン巡撫に案内され、従者が蝋燭で足元を照らして先導。食器を片付ける者達と廊下で鉢合わせればあちらが急いで引き下がり、膝を突いて道を開けて行く。
大広間では宴があったようで食べ物と酒と汗、人間の女の臭いが混じって暑く漂ってくる。
「戦場で愚かな乱痴気騒ぎと蔑んで下さいますな。東洋、南洋の軍、初顔合わせの者ばかりで、私も彼等も相手を知らないのです。酒の一杯で何もかも分かるわけではありませんが、少なくとも顔を覚え、名前のうろ覚えぐらいは出来ますので」
「必要なことなのでしょう」
そして寝室まで通され、オン巡撫が用意してくれた座布団に座って対面する。従者が蝋燭台を用意し、下がった。夜の城は月明かりも射さず暗い。
「応接間など用意出来れば良かったのですが、大広間はあの有り様でしたので、とりあえず密談出来るところはここぐらいでしょうか」
「ご配慮感謝します」
「いえ。では、早速要件とは?」
「はい。春先にかけて食糧の供給、季節柄少なくなります。不躾な物言いをお許し願いたいのですが、どうかその間も買い占め、徴発、略奪などに走らず、忍耐のほどをお願いしたいのです」
座礼にて願う。オン巡撫は信頼出来る、と思って出たこの言葉、何と無礼か。
「結構、私に対してそのような振舞いは結構です。頭を上げて下さい」
「はい」
頭を上げる。オン巡撫「むう」と唸り困った顔をしている。この仕草、慣れぬからか。
「勿論、野盗ではありませんのでそのように指導します、していますが、信用なりま……せんな。私も顔も知らぬ兵ばかりで掌握していると言えません。良く見張るように、重ねて肝に銘じておきましょう。これ以上の敵を増やしては故郷の土を踏めるかも怪しいところです」
「ありがとうございます」
「しかし何故わざわざ、手紙で済むような案件を、頭まで下げて?」
「これより行脚して各国を巡り、飢えを忍耐してまで食糧の提供を、と願いに出て参ります。その成否、分かりません。その間、飢えを堪えて貰う事になります。各軍、各々の国許より、友誼ある国より金銭、食糧を融通されていますがそちらはそうも参りません。各軍各地より集めてお渡ししたいところですが、友軍とはいえ異国人。十分な量を用意することはまず不可能かと」
「海戦惨敗のツケですな。何をどう考えてもその不足を埋める算段つきません。せめて本土の戦が終わってくれれば海軍も船を回してくれるのでしょうが……虹雀にて食糧補給を本土に改めて強く要請しておきましょう。どうにもならぬから共食いでもしていろと言うような輩は既に残っておりませんからな!」
オン巡撫が、こう、何とも言えぬが、どうだ、という顔をする。
「お願い申し上げます」
「……ううん、どうにもならぬとなれば徴発を直接お山から命じられてはいかがか。一度くらいならばその権威から頷いて貰えるのでは?」
「長引く戦乱。その余裕、物心共に無いと思われます」
「反乱確実ですか」
「はい」
特に今、西国で反乱など起きたらどうなるか分からない。そこから崩れるように連鎖すれば鎮護国家体制が終焉を迎えると分かる。だからお願いするしかないのだ。
「……うーむ、それはどうにも。さて、行脚と仰いましたが、御身、歩いて回られますか。いえ、脚の速さは存じておりますが」
「はい。代理人を考えましたが、決定権がある私が向かわねばただ時間を取らせるばかりです。決まる話も決まりません。礼も失します」
「白羽の姿で参れば固まった首も縦に振れるやもしれませんが……クモイ、マザキの不仲はどうされますか? 総督がいなければ連携もままなりませんぞ。不在時の指示書があるのは分かっていますが」
「代理も立てました。キサギ猊下もおられます。あとは早期に帰着するのみです」
「うーむ……その前に口を減らされてはいかがか? ネヤハタ攻め、成功の算段はまだつきませんが、適度な失敗ならいくらでも、自慢することではありませんが。アマナ兵も共に、程度の低い兵を削るように根回し、出来ないことはありません。敵も消耗すれば一度攻め手を失い、時間も稼げます。そのような作戦ぐらいならば用意出来ますぞ」
「ネヤハタ方面に関しましてはお任せしておりますがしかし、無用な殺生、お控え願いたく存じます」
「そう仰ると思いました。いえ、口減らしはいささか性急でしたな。ただ、弱兵は帰農させて頂きたいものです。今年は何とか凌いでみたとしましょう、来年はもっと酷いとなれば腹より心が先に折れます」
「確かに」
「ただ相手の力量が分からず、弱兵でも手元に置いておきたいのも事実。こちらは分散上陸した部隊の集結に合わせて、南国勢にはその分帰農するように指示して頂きたい」
「良き案と考えます」
「後はそう、悪者役が必要であれば受けましょう。戦いが終われば帰る身ですから」
「戦の仕方、ご教授下さりありがとうございました。救国の恩は忘れません」
「いえいえ。それはこちらも考えあってのことですから、利害の一致です」
「しかし謀略は我々には許されないのです」
「そのようで。難儀な戦いですな」
「ご迷惑お掛けします」
「その謙り! せめて、私との個人間では止めにしませんか」
「そう言われましても……分かりません」
どうすれば良いのか、考えても本当に分からない。ゴロツキのように? それは違う。
「分かりました……今晩は泊まって行って下さい」
「いえ、休息休眠、不要です。急ぎ各国を巡らねばなりません」
「夜も遅いです。その健脚で夜通し何処へ向かわれるというのですか。南国勢の者達に話をしていないのではないですかな?」
はっと気付かされた。普通ならば気付くことだ。夜更けに尋ねてお願いをするなど無礼の極みではないか。龍道に長く籠っていたとはいえ世間知らずで済まされない。
「その通りです。一晩、屋根をお借りします」
「この屋根、私共の物ではございませんよ?」
オン巡撫、ハハハと笑った。
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明朝、日昇と同時にまた演説が聞こえて来た。大音声でアマナの言葉、天政の言葉、双方で響く。拡声器とやらにしては余りに音が大きいので術が併用されているのかもしれない。
「アマナ人民に告ぐ! 天政人民に告ぐ! 君達は籠の中にいる。檻の中で飼われている。悪辣な者達に囲われ畜産されている! 気付いているか君達よ。彼等は偏った思想で君達を洗脳し、都合の良い家畜に調教してしまっている。麻薬のような言葉に痛覚も麻痺させられてしまっている! その手と足が重ねてきた苦労を思い出すのだ。日に炙られた頭の熱を、額から落ちた汗を、泥に汚れた指先を、痛い腰に膝を思い出すのだ。その結果得られた生産物の数々、多くの人々を支えて来た。そして不自然な輩がいることに気付くだろう。そのような苦労もせず、狡猾な口先だけで、不当な暴力でもってその苦労の産物を掠め取っている卑怯者達がいる! 貴族に武士、僧侶、不徳なる商人共、様々な圧制者達である! 君達を下民と貶し、自らを高貴と驕る者達だ! 君達を虐め、蹴飛ばして物を奪う輩だ! 本来君達が得るはずだった食べ物を奪い、不当に物を作らせては横暴に奪い去る。時に甘い言葉を弄しては卑怯な小細工で騙し取る連中だ。身に覚えがあるだろう! 感謝すらせず、当然の権利だと言う顔で奪い去る野盗にも劣る厚顔無恥な圧制者達の憎い、憎い憎いあの顔を思い出せ! あー! 思い出したか!? 怒りが沸いてくるだろう! 飢えと寒さで死の恐怖を感じている時、奴等は君達から奪った食べ物を食らい、作らせた布団で温まっていた。君達が生きるために必死に仕事をしている時、横から現れて徴兵だ、労役だと物どころか人も奪い去っていく。父を子を兄弟を奪われた者がいるだろう。遊びのように母を娘を姉妹を嬲られた者はいないか? ぐっ、うー……あ、圧制者達の、敵の暴力と理不尽を思い出せ。兵士達も威張り散らすだけの無能な上官を思い出せ。思い出したか? 胸に怒りが沸いてきただろう。それを解放する時がきた。革命である! 旧体制を、横暴な敵を打ち殺す日が来たのだ! あの面を血塗れにする日だ! それは明日でも明後日でもない、今日訪れたのだ! 立ち上がり、怒りをぶつけろアマナ人民よ! 天政人民よ! 復讐の時が来た! 圧制者達を成敗し、本来の権利を取り戻すのだ。そして社会主義を学び、公正さを学び、豊かな社会を手に取り戻すのだ。本来の生活を取り戻せ。明るい未来をその手で掴み取れ! 明るい未来へは我々が引き上げよう。手を伸ばすのだ。そうすれば我々は掴み取り、渾身の力で引き上げよう! 例え血を流し、肉が裂けて骨が折れても手を離すことはないぞ同志達よ。血で結ばれた団結は解けぬ! 我々は革命軍! 我々は革命軍! 新時代の守護者、旧時代の破壊者である。言葉巧みな敵は君達を必ずや反革命への道に引きずり戻そうとするぞ! 気を強く持て、意識しろ、今の苦しみを生み出している敵を強くハッキリと想え! 見えたか、それが敵だ! 殺すべき敵だ! 我々革命軍は革命の君達を助けるぞ! いいか!? 死んででも助けるぞ! 我慢の日は終わった! 胸を縛る鎖を切れ! 手に武器はあるか!? 手が届くところに武器に使える物はあるか!? 戦う意志はあるか! あるならば立ち上がれ! 自分のためだけではない、家族や友人、将来の子供達のために立ち上がれ! その行動は皆のためにあるぞ! やれるか!? やるぞ! お前らの頭に浮かんだ糞野郎共をぶっ殺せ! ぅがぁ!」
後は少し、アマナの言葉を話す者の泣き声だけが続いた。
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