第328話「魔都の戦い」 セジン
初日。
龍道から夜間を狙って魔都中心部、市街地に出る。開口地点はラーシャータ区。大内海から注ぐ大々河メルナ=ビナウ川の分流地点より少し南へ下り、大河メルナ川沿いにある。元は小さな中洲で、埋め立ててから拡張し護岸。水路に囲まれた島と化した場所だ。要塞化しやすく拠点として選んだ。事前調査は十分にしてある。
減りに減って龍行軍は残る一万名。鉄亀は一割、龍馬は五割、蛇龍は九割が介錯含めて損失。虹雀は残り四羽、馴虎は一頭残らず全滅した。黒龍公主が出口を龍道から開き、現実世界へ順次、皆を送り出した。
魔都の戦い、始まった。
一番手に龍馬騎兵を出し、敵がどこから襲撃を受けたか把握が難しくなるよう長距離を突進させた。矛槍で大袈裟に敵を斬り払って恐怖感を煽るように。そして一通り混乱を振り撒いたら撤退。
二番手に変化前から武器の扱いに長け、体力も抜群、そして何より術が得意な精鋭で固めた主力部隊をム・ヤン将軍が率いて敵の真の中枢、魔神代理の御所を目指して攻撃前進。これは陽動で、そちらに敵兵力を結集させてこちらの真の目的を隠す。
三番手は精鋭ではない――決して体力だけに頼るような練度ではない――歩兵隊を複数同時に、通り沿いに密集横隊で前進し、威圧感を持って、必要があれば威嚇を持って住民を追い払い難民の津波を作る。避難誘導や保護活動で敵を麻痺させる。一人の足手まといは一人の敵と同等に厄介なのだ。
歩兵隊は前列に古典的な重装歩兵の如き剣盾兵を並べる。その後列には龍人仕様の大口径小銃を持つ銃兵が並ぶ。そして追随するように建物の中を捜索し、住民を追い出す屋内戦闘部隊が続く。扉を叩き割る斧と、接近戦用の大口径散弾銃を装備する。
四番手は鉄亀隊が進む。鉄亀の背に組んだ櫓には軽砲と、銃兵を兼ねる砲手が乗っており、ほぼ歩く防壁。足元には随伴歩兵がつく。この鉄亀隊が進んだ場所までが制圧圏となり、敵の有力な逆襲があれば阻止する仮拠点となるようにする。鉄亀の良いところは頑丈で痛みに鈍すぎるほど鈍く、何より死んでも勿論死体は消えず、重過ぎて撤去不能。壁として機能し続けること。
当作戦中は別段の指示が無い限り虐殺厳禁である。抵抗されようとも常人程度ならだだをこねる赤子程度なので、死なない程度に平手打ちでも食らわせて追い払え、という指導をしてある。空砲による威嚇射撃は回数を制限して許可している。
また血を見ずとも住民を人質に取るかは考慮されたが、我々は帝国連邦のような悪の軍団ではないという矜持がある。実利的にも、多少の不利益を被ってでも討伐しなければならないこの世の邪悪と判断されることは避けなければならない。今後の文明的な外交交渉にも障りが出てはならないのだ。
かく乱、陽動、恐慌、勢力圏の確定の四段階を初動とする。
もしラーシャータ区に設置した火鳳の卵に対して敵がその脅威に気が付いた時、大砲による曲射撃破が想定される。それを防ぐ意味でも奇襲効果がある内に射程距離分は距離を稼いでおく必要がある。
我々の本命は火鳳の卵だ。大層に複雑で時間の掛かる孵化の術を掛け続けるサウ・ツェンリーを守り切る。龍道龍脈を使って鉄亀四頭に運ばせる御大層な大物なのだからそれなりの活躍を期待したい。ただ長きに渡った過酷な行軍で制御が思ったより不安定であり、施術完了までの時間が想定より長引きそうだという。腐ったとは言わないが、長時間崩れないように捏ね回していたせいで一本の糸が毛玉になってしまった程度に複雑化した、らしい。
五番手は蛇龍騎兵を中心にした水域部隊。他所へ侵攻できるほどの数がいないため、ラーシャータ区周辺水域防衛に徹する。
六番手は自分、レン・セジンが率いる予備騎兵隊。全て龍馬騎兵であり、ム・ヤン将軍の部隊に充てた者達より精鋭、最精鋭。武芸全般、騎乗弓射にも長けて術も使える選りすぐり。どのような強敵が出現した時でも撃破ないし牽制が出来る程度の能力を求めた。何かあった時に備えて今は何もしない。
七番手は開口地点のラーシャータ区の完全制圧と要塞化を担当し、工兵としての活躍が期待される。工事と防御の指揮はサウ・コーエン将軍。親戚同士の方が守る時に身が入るだろう。
ラーシャータ区から外へ攻撃に出た部隊だけで孵化までの時間を稼ぎ、集合してくる各敵を撃破壊走させ続けられれば何も問題は無いが、そんな甘い相手ではないだろう。ある程度こちらが進出し、時間が経過した時点で奇襲効果は失せ、まとまった戦力で逆襲を仕掛け、こちらの進出を取り消しに撃退。そして最後、ラーシャータ要塞にて最終決戦へともつれ込むと思われる。最期は己が身一つでサウ・ツェンリーの弾避けになるような事態まで想定している。
籠城戦は外からの援軍が見込めるか、敵が兵糧を切らしたり疫病の蔓延で撤退せざるを得なくなることが見込めるか、落城してでも時間稼ぎがしたい時にやる。今回の援軍は眠りこけている火鳳一羽だけだ。
八番手以降は爾後、前進する歩兵隊による領域拡大に伴って歯抜けになる防衛線の穴埋めへと向かう。
夜襲は概ね失敗なく進行した。初動から躓いていたら泣いていたかもしれない。
現在、戦闘した敵の程は巡邏中の、隊としての編制もされていない警察や、相手に取っても邪魔そうな武装市民程度に留まる。これからどうなるかは敵の、魔都の警戒体制如何で変わる。ここ数百年で見れば侵略すらされず、内戦も起こらなかった平和の都であるから平和慣れしているのは間違いない。ただ、平和ではない地域へ良く出入りする者達が魔都にはいる。魔都は交通の要衝、何か警備案件ではなくてもこの地にやって来ている戦慣れした者がいる。何より役職持ちの魔族が大抵は連れている武芸達者な獣人、黒人奴隷だっている。油断はならない。
しかしこのような龍道龍脈を使った長距離行軍からの奇襲作戦、今度これと同じことをするなら絶対に死んでも、いや、約五千歳をブチ殺してでもお断りである。これ程までに嫌気が刺すという言葉が腑に落ちたことはない経験だった。
苦しかった。次の機会があった時に、あの行軍に同道できるのは今回行かなかった者達だけだ。苦しみを想像することは、経験者ですら感覚の喪失による痴呆のようなもので出来ないくらい辛い。そして黒龍公主は別、と思いたいが彼女も参っている。あの約五千歳、龍道限定で空を飛ぶ仙術が使えるのだが、今回の道案内では鈍足に歩いてきたので泣きそうになっている。行軍中の大損失にも、一応我々異形達の親に当たるので大層心を痛めている様子。
龍道の道路整備をすれば二度目はもっと楽になるだろう。鉄亀を増やせば確実に楽になる。全員その背に乗って寝たり遊んだり歌ったりしながら行けたら楽かもしれない。龍道龍脈入りの術も習得人数を増やせば休日の頻度も上げられる。今回は黒龍公主と、火鳳の面倒を見なければならないサウ・ツェンリー両名だけでの出し入れだった。頻繁に術を使っていたら二人が倒れてしまうので回数は限られた。
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夜明け前に一番手のかく乱担当の龍馬騎兵達が、返り血が乾いた姿で帰還した。休ませ、住宅、店舗を漁って確保した食べ物を飲み食いさせる。屋台や料理店が暖かい物を残したまま、火を入れればそのまま美味しく食べられる物が残っていて良かった。現実世界に出た皆は久し振りにまともな飯を食っていたが、先発行動させていた彼等はまだ食べていなかった。任務とはいえ酷いことをした。酒も飲ませてやりたいところだが、判断力の低下は全体の危機なので禁止。これも酷い。
各歩兵隊と鉄亀隊により、ラーシャータ区の制圧が完了し、周辺区への進出が始まったと報告が上がる。同地区の、神聖教の”ハレレアの聖ゼブロイ寺院”の拝礼呼びかけに使う尖塔を監視塔に応用し、ここをサウ・コーエン将軍が司令部とすることも決まった。中心地点が定まれば指揮系統も整理され、情報を集めるべき場所が明らかになり、各隊の運用が滑らかに速やかになろうというものだ。
火鳳の卵の設置場所は複数検討され、聖ゼブロイ寺院の裏庭に決定された。集中的に守る場所は一か所に絞るのが妥当だろう。
ラーシャータ区を要塞島とするべく工事が進捗中。民間人など邪魔者がいなくなった建物を崩して建材とした。漆喰を塗ったり木材同士を組むような接合作業は時間が掛かり過ぎるため省略。積んで造るような、しかし分厚い瓦礫の城壁を建造する。耕土、木網の術にてある程度成型するが本格的な要塞の防御力は持てないだろう。敵の対応速度は不明だが、それでも正規軍砲兵が展開し、圧倒的な火力で攻撃してくることを想定した厚みは持たせなければならないのが厳しいところ。
城壁は特に、ビナウ川方面を優先して建造する。地上の砲兵より、水上の軍艦の到着が早いという想定。また川からの強襲上陸作戦も想定し、桟橋などは全て焼き、叩き割って破壊。また水域部隊が区を囲む水路への軍艦突入を防ぐため、周囲から船を引っ張って集め、沈めて出入口を封鎖する。陸上でも水路と同じく、城壁の基本として敵の進入路を最小限に止めるために小路も瓦礫で埋める。
広く、隙間無く、厚く高く壁を築くには龍人の力でも時間が掛かる。壁の他、地面を掘って下げて壕を築く必要もある。騒動故に火の不始末――夜間照明、篝火、松明の放置は危険――などで火災が度々発生しているので消火作業も必要。時間が掛かる。その時間を稼ぐためにも各隊は進撃している。攻めて押した分、守って下がる距離が稼げる。
ラーシャータ区外への進撃は順調で縦深を確保しつつあると報告が上がる。ある程度まとまった数の警官隊による抵抗はあったらしいが、軽武装の常人相手の装備しか持たない敵では相手になっていない。龍甲兵の甲冑、盾は並みの小銃弾など受けても砕くだけだ。銃弾の一発も使わず、剣すら不要に盾殴りで粉砕したとも。また偶発的に接触した魔族との戦闘では強力な術を受けて損害が若干出たそうだが、組織的行動を取っていたわけではないので十分に対処したとも。
異形の魔族は体力も術も優れている。寿命が長いせいか驚くべき水準で武芸を嗜んでいることも多い。だが化け物と戦う基準で揃えた武器を装備する龍甲兵ならば問題無く撃破が出来ている。龍人の膂力で振るっても壊れない武具は重く、驚異的な破壊力がある。大口径銃に強弓も、大型の四足獣の相手ですら急所を狙わずとも致命傷を負わせる威力がある。
各地の防御塔であるが、奇襲のおかげで敵が今のところは有効利用している気配はない。
予備騎兵隊の出る幕は今のところはない。予備待機は焦れる。何事か起こるまで何もしないことが仕事なのだ。
夜も過ぎ、夜明けがやってくる。
二日目。
遠くから、戦中だというのに神聖教会の礼拝呼びかけの美声が響く。流石に大都市だけあって名手なのか声の張りと響きが素晴らしいが、悠長な……いや、優雅と言うべきか。文明国の余裕を見せつけられているようだ。
朝食の時間となる。時間は決めておらず、出来上がり次第配食が始まる雑な型式だ。
既に屋台や料理店、各家から徴発した料理は食べ尽くした後。新たに料理する必要がある。そして、龍人士官が――末端の知性低い奴は作る能が無い――作った食事が配られる。前線にも届けるように大鍋を荷車に載せた部隊が出動していく。前線は各家、露店、料理店等に押し入って食べ物を漁れるが、足りない場合があってはならない。
出来上がった物を見る。いい加減にぶつ切りの肉と野菜、穀物、酒、乳を混ぜて煮たお粥もどきだ。皮の処理も骨の処理も加熱も甘く、何より味と香りに全く! まーったく気を使っていない。雑で汚い。食えれば良いという発想は有る物でどうにかする蛮族にも劣るぞ。まるで野に放たれた箱入りの物知らず!
竈に立つ料理番の胸倉を掴む。
「おい貴様が作ったのか!?」
「はい!」
「これは文明人が作る物ではない!」
「……すみません」
料理人はいないのか? 我々は文明人だぞ。おそらく龍人選定基準は良い兵士であって良い料理人ではなかったのだ。だが武辺者なら武辺者でそれなりに肉を捌いて飯を作る程度出来そうだが、完全に給養班に食わせてもらう環境に浸った者しかいなかったのだろう。もしくはいてもム・ヤン将軍と一緒に出て行った後だろうか。
予備兵力動員。美味い飯は活力源である。
我々は長らく龍道龍脈で砂を噛んで穴を掘っては埋め、気まぐれに処刑されるような気分を味わってきた。ここに来て不味いものなど食っていられない。異形に成り果て、宇宙の果てのようなところまできて雑で不味い飯を食って死ぬなど酷いにも程があるではないか。
手間暇掛けて作っていられないことは事実。戦時的な都合に合わせた物を作る。愚かな料理番にも教える。
基本は粥。麦だけなくデーツも米も三種作る。味と香りと食感の違いを楽しむ余裕が文明に生きる文化人だ。
肉も野菜も皮と骨をしっかり取り、細かく、米の粒程度にまで刻み潰す。知性が駄目でも指示通りに動く龍人にやらせると、案外下手に知恵がある者より手際が良い。これが複数手順を踏み、火加減まで見れれば良いが難しい。
料理を集中して行うために、各家から竈毎剥がして広場に持ってこさせる。薪に乾燥糞、燃料は十分。鍋、竈に包囲される形で料理するので暑い。
塩は多めだ。香辛料はくどく無いよう、癖の無い物を選ぶ。臭み消し程度に胡椒だけ。
焼き物揚げ物ではないが、単純な栄養強化に油を多めにする。油は大蒜と辛子を刻んだもので香りづけ。
煮るためには水がいる。手近な水瓶が空になり、補充を持ってこさせたが、勘が働いた。桶の組んできた水を嗅ぐ。
「馬鹿者! 川の水を汲んでくる者があるか! 大河の濁り水など腹を下すぞ馬鹿者め! 井戸か他の家の水瓶から調達しろ!」
全く、まともに飯も炊けない連中ばかりだったとは盲点だな!
龍道では野蛮な共食いも致し方なかったが、この都に来てまであんな生臭を食べる心算など毛頭無いぞ。
砂糖と麦粉がある。木の実や干し果実と合わせて、よし、甘味饅頭でも作ろうか。
ふふふ、これを術中のサウ・ツェンツェンの口に突っ込んでやる。見てろよ、猫面饅頭にしてやるからな。猫さんかわいい、とかあの面で言ってみるがいい。
饅頭――火の通りを考慮して薄い――が蒸し上がり、顔も土産人形程度の出来栄えに膨れた。見て驚けとサウ・ツェンリーのところ、聖ゼブロイ寺院の裏庭へ持っていく。彼女は椅子に座り、赤く緩く燃える巨大な火鳳の卵を見つめ続けている。術が何やら複雑に動き続けている感じは取れる。
「お疲れ様です。どうぞ」
「ありがとうございます」
術中は手が離せないというわけではなかったので饅頭を手掴みで食べていたが、目線は卵に向けたまま、しかめっ面だった。
おのれ! 蒸し上がった時の具合も考えて生地を練ったんだぞ!
■■■
ム・ヤン将軍より虹雀で緊急口頭伝令。虹雀は残り四羽。その華美な姿は目立ち、似た姿の鳥など現地におらず、狩られる危険が大きいので余程で無ければ飛ばさない。消耗前提で考えている。
中央政府庁舎や魔神代理の御所が集まる宮中区の手前、東門外のサヒーファリヤ区で足止め受けたとのこと。
どう足止めを受けているか? 相手は宮中を直接警備する御所衛と呼ばれる部隊で当然精強。まず当たり前だが地形は敵方に優位。宮中区は丘の上にあり、攻め上がるには坂を上っていかなければならない。また区を隔てる城壁、防御塔からは銃撃だけではなく、龍甲兵の甲冑すら射抜く強弓の狙撃があるそうだ。また突撃に接近しても正体不明の術で容易に近づけないとのこと。加害距離が無限にあるわけでも、部隊丸ごと仕掛けられるわけでもないが、足が浮いて転んだり、空高くまで持ち上げられ、自然落下で潰されるそうだ。術使い全員で術妨害を仕掛けても効かないらしい。相性の良し悪しか、技術が圧倒的に上の相手か、仕掛けと効果が想定外。とにかく容易に攻められないと判明した。
御所衛は坂の上で壁と塔と術で防御を固めた上で魔族や獣人、黒人奴隷が機を見て逆襲に、抜刀突撃を仕掛けてくるので適宜防御、火力投射による迎撃体制へ転換しなくてはならず、引くも押すもならず現状から抜け出せなくなったそうだ。
最初は抜刀突撃程度なら龍甲兵で対処出来るかと思い込んで白兵戦を臨んでみたら被害多数だったらしい。まず術妨害が通用し辛い――飛び道具的な術には効果覿面――魔術剣術の威力が高い。火術なら装甲を越えて焼き、水術ならばわずかでも傷でも動脈を裂いたように血を抜き、金術なら刀身の金属を流し込んで血管を詰める上に毒化。
剣盾兵を並べて突進で押し倒し、殴り殺し、転んだら剣で刺していける最初は優勢に進めた。しかし乱戦が進めば膂力で勝っても組み討ちで転ばされて急所を突かれ、素早い動きで非装甲の目を突き、撃ち、単純に魔族の怪力で粉砕されるなど、術を封じても戦力まで封じられていない。最速で宮中区を目指したこともあり、まだ軽砲、弾薬も揃っておらず戦闘態勢も万全ではないことが祟ったようだ。
そのようにム・ヤン将軍は足止めを受けて余裕を失う。そして横合い、南側面から集団編制を整えた警察隊による横隊射撃攻撃を受け始めたそうだ。御所衛との戦闘継続は陽動に適うが、この警察隊による横撃は作戦計画に支障を来すと判断。弱体な軽装歩兵とはいえ、反撃地点として別動隊に利用されれば不利で、かと言って撃退に部隊を抽出すれば隙を突く逆襲を仕掛けられて形勢逆転の恐れもあると判断。であるから予備騎兵隊に警察隊を蹴散らして欲しいという要請であると解釈した。口頭伝令可能な虹雀ならではだな。
予備騎兵隊、出撃する。
ラーシャータ区を北西に陸橋、魔都では伝令用の高速道路を渡って出る。高い位置から街並みを見るに戦場になっている場所、制圧した場所にもまだ民間人が残っている。今、戦闘が行われていると理解出来ていないような顔もある。
陸橋と共にある防御塔には警察がいて射撃してくるがこちらの甲冑相手には役立たず。ほとんど命中もしない。施条もしていない旧式小銃のようだ。騎乗弓射で騎兵が射撃手を射抜いた。
パルサザール区の市場通りへ陸橋から降りて進む。こちらの機動先が敵に察知されると奇襲が失敗するのでここまで。あまり、この陸橋は我々にとって使い勝手が悪そうだ。敵の攻撃に使われないように落とした方が良いかもしれない。
市場通りは、昼が暑い気候のせいか夜間でも営業している店が多くあったようで棚に商品が陳列されたまま、そして避難民に踏み荒らされて散乱。火事場泥棒も混ざっていた。
歩兵隊が一応は制圧した区であるが、まだ民間人が走り回ったり、消防団のような非武装組織、慈善事業の延長線上のように僧侶達が避難誘導をしていて混沌している。ああいった者達には逆らわない限り手出し無用という指導をしている。知性薄い龍人達にも徹底されている様子が実際に見られて一安心である。血の池を作りに来たわけではないのだ。
パルサザール区から西のサヒーファリヤ区には向かわず、南西にヤブス区へ進入する。ム・ヤン将軍の背後に張り付いても戦果は得辛い。
ヤブス区にはまだ歩兵隊は進入していない。同区とラーシャータ区の間には親衛軍本部等があるダーマルズ区と呼ばれる。そこは夜間ということで人は少ないようだが、軍人が、戦を心得た魔族がいたようでまだ抵抗中である。要塞でも訓練場でもないので非常に頑強というわけではないだろうが、巡邏中の警察が少々うろついている程度の区とは話が別のようだ。
ヤブス区は広く、中心部には寺院が立ち並ぶ公園があり、そこには武装した警察が集結して集団戦闘に備えて隊伍を組んで編制中である。
これはこれは……。
「二段交互に横隊整列、敵の隊列幅に合わせろ」
隊列を整理させる。一撃で決める。
「前進」
隊列が揃った龍馬を歩かせる。
人よりも龍寄りの異形となり脚が獣脚形になって尻尾まで生えたが乗馬には今のところ障りはない。鐙は足を入れず爪で引っ掛け、尻尾はやや前傾で座れば良し。指令を出す時に前傾姿勢では恰好付かないのでその時は立てば良い。
「構え、狙え」
大口径銃を馬上で構えさせ、狙わせる。編制中の警察隊がこちらへ向けて横隊を組み始め、一部が気も早く発砲。施条銃ではなく距離もあってほぼ当たらず、街路樹や石畳を穿ち、龍馬の馬甲に当たって弾ける程度。
「撃て!」
一斉射撃。敵の小銃射撃が豆鉄砲に聞こえる響き。手足どころか胴体も千切り、弾丸が砕けず貫通したなら二人、三人とまとめて撃ち倒した。
大口径銃を鞘に納め、矛槍を鞍の長柄用吊り具から外して手に持つ。それぞれ、横に武器を振り回せるだけ間隔を取っている。
「吶喊!」
チャルメラ手が合図に吹き鳴らし、龍馬を走らせる。大重量と脚力が石畳を削って、芝生で固めた地面を抉って揺らす。
馬上銃撃で血肉を散らし、悲鳴を上げて敵が転がる姿が見える。怒鳴って撃ち終わった小銃を投擲する変わり者に、今することではないのに倒れた仲間を引っ張り始めた者も見える。騎兵突撃で踏み潰す。
槍騎兵のように我々は正面の敵を狙う必要はない。龍馬が馬のような臆病さも無く、わざと足を高く上げ、狙って踏み付け、牙の顎で噛み千切り、角と頭突きで高く跳ね上げる。
騎手は横を通り過ぎようとする敵を矛槍で殺す。刃に当たれば勢いも借りて腕毎胴体も両断、柄に当たれば肉を骨が突き破るほど砕け、小銃を盾に翳しても武器毎身体を破壊。しゃがんだり避けた者は後続の、交互配置についた龍馬騎兵が潰す。自分は左手の爪も使って敵の顔を抉った。
噴水へ飛び込み、木や日よけの東屋の屋根に登って逃げた俊敏な者もいるがそれは突撃の勢いが終わったあと、各自弓矢を持って狩り、突き立てた矢を回収する。時間はかけず、一手間増やす程度で切り上げる。
寺院公園から敵を一掃した。何てことはない、倒しやすい形だっただけだ。
次に北へ、サヒーファリヤ区へ入る通りを進む。本屋、文房具屋が多く見える。ちゃんと重要な物は持ち出されているだろうか?
そしてム・ヤン将軍の精鋭部隊へ横撃を加えている警察隊を視認する。背中が見えている。あれは銃撃の煙幕もあって別動隊を配置しやすそうだ。人垣で作る橋頭堡めいている。
「横隊密集整列、道幅に合わせろ」
隊列整理を整理させる。先ほどの公園のように敵が散開していなければ単純に潰してやる。
「前進」
龍馬を歩かせる。道に散らばる荷物は踏み潰し、荷車であっても龍馬が頭突きで転がし、連携しあって脇の小路へ退ける。
逃げ遅れの民間人が道を横切るが無視。流石にこれで足は止めていられない。龍馬が噛んで放り投げ、道路に叩きつけられて動かなくなり、踏み潰される。
「装填」
大口径銃に各自、弾薬を銃口から装填。
「構え、狙え」
大口径銃を馬上で構えさせ、狙わせる。ム・ヤン将軍の部隊へ向けて射撃中の警察隊の背中は隙だらけである。横隊を組んでいる者達の背後で待機してきた騎馬警察が慌ててこちらに振り向こうとして、気付いて怯えた馬が嫌がって暴走を始める。前方に集中すべき銃撃中の警察が一人、こちらを向いて大声を上げる。
「撃て!」
一斉射撃。密集横隊に対して密集横隊で大口径弾を撃ち込んだので面白いくらいに一斉に身体の一部を飛び散らせ、隊列が潰れた。距離も取らず、減衰しない近距離から撃ったのだ。
「吶喊!」
チャルメラ手が合図に吹き鳴らし、龍馬を走らせる。倒れた警察隊に馬を踏み潰して肉の絨毯にして全滅させる。残り僅かな生き残りは小路や建物へ走って、扉があれば体当たりで破って逃げた。
坂の上の東門と、その外側の市街地にも待ち構えている御所衛、宮中から掻き集めたと思われる魔族、獣人と黒人奴隷の部隊が見える。
ム・ヤン将軍の前線にはようやく鉄亀隊が到着し、櫓の軽砲から東門側の敵へ向けた砲撃が始まる。軽砲の砲列も並び、砲撃が強まる。城壁や防御塔へ砲弾を送って砕き、無力化し始める。流石は平和の都、壁と塔が現代仕様ではなく、高くて薄い中世仕様だ。倒壊が早い。
防御施設の破壊が認められ、そして東門外近辺の市街地へと部隊が進撃。龍甲兵が剣盾兵を前列にチャルメラと太鼓の音に押されて坂を駆け上がって行く。正体不明の足を浮かし、宙に浮かして落として潰す術を受けながらも突撃が行われた。
彼等は我々が横撃をしている部隊を潰したので正面以外に注力しないで済んでいる。通常の小銃射撃は余り効かないから今後は思い切って無視してしまうのもありのような気もするが、潰せる時に潰した方が良いか。人垣は橋頭堡になるし、たまに急所へ当たれば死ぬ。甲冑に当たっても衝撃が強いので吃驚する。
そして東門に一部が張り付くまで進み、宮中へ突入出来るように見えて来た。門扉は砲弾で既に崩壊しているが、敵部隊は健在で寄せ付けない。
ム・ヤン将軍より、伝令の龍馬騎兵がやってきた。
偵察によればサヒーファリヤ区の北側、ビナウ川に面した港へ魔都駐留の海軍が集まり、海兵隊と船員で組んだ陸戦部隊を上陸させて来ているとのことだ。海軍令下の海軍歩兵ではないので軽武装だが、早急に討たなければ艦砲を降ろし、砲兵と化すので危険である。だから今、早急に撃退してほしいとのこと。
東門に向けて突撃中のム・ヤン将軍の部隊を横切って進む。この部隊が今囮になっているも同然で、我々に矢弾も術も飛んで来ない。こちらの通行を優先するために通りも開けてくれた。皆龍人なので、頑張れだとか声援は一切無く静かなものだ。
敵海軍の陸戦部隊には橋頭堡を確保される前に撃破しなければなるまい。上陸したばかりならば防御陣形も取っていないだろうと予測し、横切りが終わった時点で龍馬を走らせて、隊列整理は後回しに速力重視で騎兵突撃を仕掛けることにした。
「隊列自由、走れ!」
武装してはいるが、戦闘隊形を整えるよりも船を桟橋につけて武器弾薬入りと思しき箱に艦砲を陸揚げすることに集中している標的の陸戦部隊が目に入る。民間の港湾作業員も、有志と思われる民間人も手伝っている。警戒に小銃を持って歩哨に立つ海兵隊員もわずかだ。まるで戦地後方での手順を守ったかのような中途半端な体制だな! 現場の状況を把握していないのだろう。
「各自判断、蹴散らせ!」
先着の龍馬騎兵は躊躇わずに敵集団の真ん中に飛び込み、両手で矛槍を持って掻き回すように振り回して血風を作る。攻撃的な龍馬に移動は任せ、とにかく暴れるのが今は正解だ。
敵集団はあちらこちらに散り始める。続々と到着する龍馬騎兵は個別に動き回る敵を、ここではもう民間人など区別などなく斬殺して回る。戦闘の渦中に入る隙間が無くなったら距離を置いて弓矢で射撃する。岸壁だけではなく船上まで追うのならば下馬して切り込む。
橋頭堡の確保に失敗した陸戦部隊が見えているのかいないのか、それでも敵船が港に続々と入港しようと試みている。今、蹴散らした敵集団がいた場所以外でも接岸し、船同士縄で繋いで接舷して海兵、船員、武器を続々と上陸し始めている。無防備に見える。
岸壁は港の外より低い位置にある設計――増水時に備えてだろう――で、艦砲射撃を直接陸地に撃ち込めないようになっているのが幸いだ。艦砲の水平射撃範囲外になる高いところを走って移動し、新たなに上陸作業へと入った別の敵集団へと突っ込む。
龍馬で踏み潰し、蹴り、噛み付かせ、馬上で矛槍をぶん回して草のように敵を刈り倒し、川へ吹っ飛ばして落とす。
敵味方が入り乱れる。艦砲射撃などさせない。
岸壁の兵を薙ぎ倒しつつ、下馬しても戦いを止めない龍馬に後を任せ、船へ乗り込んで敵を叩き切る。そして船上を制圧したと判断したら火を放って燃やす。この巨大な焚火が鎮火するまで海軍も上陸作戦を実行出来ないだろう。これは船内まで敵を捜索し、抹殺する時間を省くことにもなる。
そして各敵船の焼き討ちを確認。弾薬庫への誘爆から船が裂け、船材が燃えながら降り始める。
上陸作戦を防いだ。
撤退し、ム・ヤン将軍に手伝いがいるか確認する。
「予備騎兵隊の手、まだ必要か?」
「後は任せて下さい」
東門付近の敵は全て門内へ退いたようだ。それでも壁越えとなればまた時間が掛かるだろうが、その脅威を感じ取らせるだけで十分に陽動となる。宮中へ敵を入れまいと、中に入っても好き放題させまいと、宮中区以外の場所から兵力が吸い取られれば狙い通りである。
一先ず、予備騎兵隊の役目を終えてヤブス区側へと下がる。警察隊は蹴散らされたのが分かって、寺院公園を避け、ヤブス区の外で部隊編制をしているのが見て取れる。留守にしていたが、こちらの勢力圏と判断して気安く足を踏み込まないことにしているようだ。
慎重な敵である。治安維持が仕事の警察だから、とりあえず暴徒相手のようにまず身体を張って、前に出て密着して押し止めるような具合に戦いを挑んで来ると思っていたが考え始めたようだ。
ラーシャータ区にまで後退せず、ここで対処しよう。ダーマルズ区からやってくる部隊には脅威の排除もせずに渡さない方が良いだろう。あちらは現在、軽砲射撃で親衛軍本部を叩いている様子だが、まだ攻撃準備段階。突入と制圧までは時間が掛かるだろう。あっさりと砲撃された程度で降参するような者が詰めている建物でもあるまい。
この各派寺院が軒を連ねる寺院公園は守備拠点に使えると見た。寺院のほとんどは造りが頑丈で大きく、鐘楼や窓に軽砲を設置すれば臨時の要塞として十分に働いてくれるだろう。これを敵の手に、先に渡すのは避けたい。非常に芸術的な、中を覗けば地上に現れた楽園かと思うような寺院、霊廟の数々に、こんなところで戦闘するなど愚かと認めてしまうのが辛い。
まずは区外の敵の状態を偵察し、対処を決める。
こちらから見て西、宮中区の南門外、ズィブラルヤ区の警察隊には大砲が見られる。警察が砲兵など持っていると思えないが、砲兵と思しき者は私服混じりである。また元砲兵の警察、民間人がいてもおかしくはないだろう。そしてその砲金の輝きは新品に見える。であれば都内の砲兵工廠から引っ張って来たのかもしれない。そこの大砲技師なら使い方も心得ているか。素人砲兵とは考えない方が良い。
こちらから見て南、マハシブ区に集まっている警察隊は、数はそこそこ集まっているが大砲のような重火器は装備していない。大砲に向かって突撃を仕掛けるのは龍馬とて恐ろしい。まずは倒しやすい方を倒す。
「横隊密集整列、道幅に合わせろ」
隊列整理を整理させる。追撃は考えない。路傍に転がる障害物を退けるだけだ。
「前進」
龍馬を歩かせる。気付いた警察隊が散発的に銃撃をしてくる。距離もあってほとんど当たらないと高をくくっていたら偶然、目玉に銃弾の直撃を受けた者が一名、馬上から転がり落ちた。兜は口元も眉間も守る作りだがこういうこともある。流石に龍人と言えど眼球、眼底まで銃弾を防げない。
「構え、狙え」
大口径銃を馬上で構えさせ、狙わせる。警察隊相手なら突撃準備射撃も必要無いかもしれないが、万が一である。今先程、あった。
「撃て!」
一斉射撃。密集隊形を取っていなかったので分かりやすい程に射殺出来ていないが、怯ませるには十分。
「吶喊!」
チャルメラ手が合図に吹き鳴らし、龍馬を走らせる。矛槍で薙ぎ払い、龍馬で踏み潰す。
物陰に隠れても龍馬は跳んで踏む。跳び越えたら後ろ脚で蹴り砕く。脇に逃げたら弓矢で射る、強弓故矢が貫通して道や壁に突き立つ。
撃破。敵は壊走した。
マハシブ区へ突撃に入った。次にここから迂回してズィブラルヤ区の南側から進入し、砲兵持ちの警察隊を背後から叩く。あの警察隊を見た時には砲口、弾薬車両と人員の配置は東、ヤブス区を攻めるように向けていた。我々の行動を完全に理解し、対処され、射撃方向を転換される前に一気にやってやる。
迂回に走っていると別の敵が現れた。魔族と獣人奴隷騎兵隊だ。表通りを駆け、集まって戦闘態勢を見せている。こちらより数に劣るので突撃ではなく牽制攻撃を仕掛けて増援を待つ手を取る気がする。
この辺りは巨大な邸宅が多い。州総督や王族級の別宅地かもしれない。ならばかなりの手練れが集まっていると見て良さそうだ。
あの新たな敵はどうするか? 並の騎兵なら無視して砲兵撃破を優先するが、奴等を背に駆け回るのは肝が冷える。
指揮をしている魔族は赤い単眼の蛇のような異形だ。姿が気色悪い異形である程に強力と言われる。また従える獣人達は猫頭のレスリーン人。俊敏で白兵戦の強さは無類と聞く。どう考えても手強いが。
魔族一、獣人三十名程度だが。迷うより倒して後顧の憂いを払おう。
「横隊整列、道幅に合わせろ」
隊列整理。
「構え、狙え」
大口径銃を馬上で構えさせ、狙わせる。その最中にも馬上より矢を射掛けられる。甲冑に当たっても鏃が滑るだけ。目に当たれば即死はしないが動きが止まって痙攣を始めて倒れる。毒矢だ。
単眼の目、大きく開いたような気がした。
「撃て!」
一斉射撃……単眼魔族の術か、発射数半分以下。理屈は不明だが睨まれた者、全身が硬直している。猫頭騎兵は被害少ない、馬への命中はそこそこ。
「術妨害! 前へ出ろ、吶喊! 後列、弓射かけろ!」
チャルメラ手は固まったまま、音無し。龍馬を走らせる。動ける者だけ矛槍を持って走る。強弓の矢が支援に入ると思ったが矢の数、少ない上に避けるか刀で叩き反らされる。突撃の指示に従う者もわずか。
術妨害まだ効いていない? 自分と、龍馬は全て効いていない。騎手が動けないまま突撃前進。
単眼魔族の前に立ちはだかる猫頭騎兵、矛槍で胴を斬り払おうとしたら、馬上で曲乗りに、馬の頭を手綱引いて下げながら身を横倒しにして避けられ、同時に拳銃で龍馬の目を撃ち抜かれた。
倒れる倒れない? その前に跳んで下馬、悪いが龍馬の頭を蹴って加速して転がり単眼魔族の脚を尾で払う、踏んで止められた。
勘で、相手の右に合わせて頭を傾ける。単眼魔族の刀での斬り下ろしを弾く。肩に当たる。
矛槍を片手で振り回しつつ立つ。単眼魔族、伏せて避けた。
他の猫頭騎兵、龍馬騎兵の突撃を避けるために散開。馬上から跳び上がって龍人龍馬に、時に仲間同士の足の裏を蹴り合って曲芸に逃げる。馬を乗り換え、屋根や壁の上と乗り移る。中には龍人の首、鎖帷子の縫い目に鎧通しを入れて殺してから龍馬を乗っ取ろうとして嫌がられて落馬するも、身軽に着地して逃げるという動きをする者もいた。これは尋常の兵士では太刀打ち出来ないな。
剣を逆手にて単眼魔族へ抜刀斬り上げ、頭を狙ったが起き上がりで避けられた。これも駄目? 体勢は崩れるが、尾で地面を押して身体を前に、脚をわざと滑らせように伸ばして逆手突き、腹に切っ先が届き、倒れる勢いで縦に切りつつ少し捻る。内臓を引っ掛け、引き摺り出すことに成功。
「エスアルフ様!」
猫頭が内臓を見せた単眼魔族を馬上から拾い上げて一目散に逃げ始め、残る者は殿に道を塞いで立つ。判断が早い。
突撃した龍馬騎兵は通り過ぎた後で転換に時間が掛かる。後列で弓を構えている者に射掛けさせれば……避けるか?
記憶に違いが無ければエスアルフとはレスリーン州総督の名前だ。今作戦に当たって魔都に関連する情報は頭に入れて来たつもりだ。思ったよりも大物を仕留めたらしい。
殿の猫頭達は決死の形相である。であれば、あっち行けと手を振ってやる。そうしたら逃げ去った。奇妙なことだが利害の一致だ。
休んでいる暇はない。術から解放された者――身体は動かずとも心肺まで止まらなかったようで、催眠術?――を起こし、毒殺された者は矢弾を回収して捨て置く。自分は失った龍馬を替える。
西へ向かい、ハズーラ区へ入る。立派な建物の高級住宅街だ。
先発の騎兵が通り、警察を数名斬殺した跡が見える程度で戦地には全くなっていない。窓から民間人の顔が多少見える。戦場から遠いと思って侮って逃げていないらしい。
集結途中の、組織としてまだまとまっていない警察隊に遭遇する。集合場所手前となればこんな感じか? まともに相手せず、通りがかりに斬り殺す程度で走り去る。後続の騎兵が同じようにしていくので、小路に逃げ込まなかった勇敢な者は皆殺しだ。
そして北へ道を曲がってズィブラルヤ区へ入る。茶と珈琲臭い通りを、店外席の椅子と机と日傘を踏み潰して抜け、ヤブス区へ砲兵連れで進もうとしている警察隊の背後を取る。大砲は二門と判明。ヤブス区側から見た時より増えていない。その場凌ぎではこの程度か。
「横隊密集整列、道幅に合わせろ」
隊列整理を整理させる。敵部隊の撃破よりは大砲から人を剥がすのが目的。
「前進」
龍馬を歩かせる。ヤブス区攻撃に集中していた警察隊がこちらへ気付くのが遅い。散発的な銃撃を受ける。
「構え、砲兵を狙え」
大口径銃を馬上で構えさせ、砲兵を狙わせる。その砲兵がこちらへ大砲の車輪を左右、前後に回して二門とも旋回中。
「前列撃て!」
前列一斉射撃。勇気ある警察が肉の盾となるも、大口径の銃弾は盾を千切って砕いて砲兵を穿つ。砲兵は生き残りがいて、代替がいる。死者が出て対応する者が出る、誰がそうしているか見える。狙いやすい。
「後列撃て!」
後列一斉射撃。砲兵の生き残り、代替の者達の胸に腕が飛ぶ程の穴を開け、頭を潰して全滅させる。
「吶喊!」
チャルメラ手が合図に吹き鳴らし、龍馬を走らせる。
砲兵の手から離れた大砲二門へ、これが望みと警察が殺到して旋回を続行、砲口がこちらに向くまで少し。
馬上で弓を構え、狙って大砲に取りつく警察を射る。三人まとめて首、肩に胸、胴と串刺しにした。
警察隊に衝突。踏んで潰し、旋回中の砲身にぶつかり元の向きになる。粉砕完了。
砲身に衝突した龍馬に怪我が無いか確認したが、無かった。
新品の大砲二門と弾薬車両は鹵獲してヤブス区へと戻る。大砲であるが、施条が彫ってあり、砲弾も榴弾に榴散弾、それから施条を傷つけないための缶式のぶどう弾に散弾と新式仕様が一揃いあった。帝国連邦軍と違って魔神代理領の軍は新旧装備混じりと聞いていたが、後方で新装備を受け取っている部隊はもう刷新を始めているということだ。敵も進化の足を止めていないということか。
ダーマルズ区の制圧を完了させた部隊がヤブス区へとやってくる。土産の鹵獲大砲を預け、寺院公園の要塞化を指示しておく。”赤の寺院”として知られるゴルゴド霊廟が指揮所に適当であるとも……中に夕日が射し込むとと目も開けていられなくなるほど真っ赤に輝いて染まるという話だが、見る機会が無いな。観光で来たかった。
予備騎兵隊は縦横無尽に活躍したわけだが、まだ戦いは始まったばかりである。
遂この前まで朝だったような気がしたが、もう昼も過ぎて日が傾いてきている。ラーシャータ区に戻り、我々は休息に入ろう……もう少し、待っていようか? 防御体制がある程度整うまで警備をするべきだろう!
■■■
朝、日昇。三日目。
また神聖教の礼拝呼びかけが聞こえる。魔なる神の信者の慎ましさと比較してみたくなったが、彼等は彼等で集団で固まって祝詞を延々と繰り返して唱えることがあるのでやかましさは同等か。
ラーシャータ区全域の完全掌握が確認された。民間人は一人残らず退去させ、こちらが把握していない建物や部屋などが無くなった。
火鳳の卵とサウ・ツェンリーを守るための、聖ゼブロイ寺院の要塞化工事も始まった。
大河メルナ川方向を除いた全方向へ水路を跨いで掛かる橋――小船程度なら潜れる曲線描く馬蹄型――五本は要塞化し、鉄亀も使って管理中である。
川から水路への出入り口の沈没船による封鎖も完了。もし衝角攻撃のように突っ込んで来ても止められる厚み、重量となっている。これで奪った船舶全てを使ってしまったが、こちらが水上戦闘に出向く機会は無い。出発当時の編制を保っていたならば別だが。
ラーシャータ区を中心に見て、北のパルサザール区は西側市場方面を掌握。中央の倉庫群、川に面した港、メルナ=ビナウ川分流地点の灯台を始めとする小さな海軍施設では海軍陸戦部隊と商船乗り――要は魔神代理領公認の海賊――に港湾関係者が抵抗を続けていて死傷者続出。あの地域は建物が入り組んでいて戦いが長引く要因になっている。倉庫群には地下通路に排水路が巡らされていて、水門の開閉で封鎖したり開通出来たりと仕掛けもあって攻略が容易ではないらしい。また船を要塞に見立てた戦法、艦砲を陸揚げして砲兵隊編制がされて頑強。他にも倉庫には武器や油などもあり、敵はこれを利用して惜しまぬ火力を発揮。そして火炎瓶、火炎壺を作って投擲してくるので予想以上に被害が続出している。
いかに強靭な龍甲兵とはいえ火炎を食らえば死んでしまう。火炎で生物を殺すなど当たり前の話だが、これが敵に勇気を与えている。この話が広まれば多くに更なる勇気を与え、苦戦必須である。民兵程度の敵でも扱えるの武器で龍甲兵が殺されてしまうのだ。
西のダーマルズ区は親衛軍本部筆頭に大きな庁舎系の建物が間隔を空けて並んでいる場所なので一つ一つの建物の制圧は大掛かりだった。最後まで抵抗していた親衛軍本部攻略は魔族の高級軍人が立て籠もっていて苦戦を強いられたが既に陥落済み。尚、外見の特徴が四つ目という異形である親衛軍長官アスタムスは該当地域では確認されていない。軍部の重鎮を殺害ないし捕虜に出来れば有利になることは間違いなかったが。
南西のアリーディーフ区は人口が少なく、目立った建物としては迎賓館、それに各国大使館と職員向けの各地郷土料理店程度である。二種の建物を抵抗拠点として使うのは遠慮されたようで簡単に掌握出来た。それから大使館は、魔神代理領共同体構成国外の完全な第三者の場合は流石にこちらも、戦争協力はしないようにと警告はしたが占拠は遠慮した。また異変が、特に大火などあれば直ぐに退避するようにとも言っておいた。
迎賓館の広い敷地は公園並だが庭園であり、壁で囲ってあって軍隊の集結地点には向いていない。庭園回りの通りは見通しが良く作られていて、警察隊が通りに集結しても射撃で一掃することが容易になっている。ここではあまり戦闘が起こらない雰囲気があった。警戒は怠らない。
南のマムサルル区には遺跡並に古い、地区名にもなったマムサルル大学があり、大図書館があり、博物館ありの文化的な地区である。一部義憤に駆られた学生が武装民兵になろうとして警察隊と揉み合っている姿が確認されているが、文明人としてはここでの交戦は――子供の火遊びにも付き合う気はない――控えたいところ。一応使者を立てて、重要書籍や文化財を素早く持ち出すように、その場合は白旗を掲げて非武装で行うようにと伝えておいた。通達直後からそのような動きが始まっている。
これは敵に譲歩しているようで違う。持ち出し作業に追わせることで民間人に周辺を往来させ、敵の軍事活動を妨害。尚且つそれらが焼失した場合の責任はこちらではなくあちらにある程度負わせられる。あとは対話可能な文明国、どこぞの連邦とは違うということを知らしめるのだ。本が焼けた、壺が割れた、これらの出来事は全く何も天政の得にならない。これを利用する。
ム・ヤン将軍の部隊が大半を掌握したサヒーファリヤ区は今一番の激戦地だ。補充部隊を何度も送っている。
北の港は焼いて、船も沈めて使用困難な状態にしてある。市街地も、丘の下はほぼ制圧下。南に隣接するヤブス区は要塞化して防御を固めてある。そのようにして宮中区にだけ集中して戦えるようにと環境を整えたのだが、敵の増援――都内在住の軍人はそこで再編制を受けている様子――は宮中区優先で集結しているため防御力が高く、砲撃で城壁が崩れた今でも全く突入へ至れる気配が無いそうだ。つまり、苦戦はしているが陽動目的は果たしている。
ヤブス区の防御は固い。そこから見た西のズィブラルヤ区には警察隊の主力が集結している。そこを攻撃し、主力を蹴散らし、宮中区を南からも攻められれば戦況が改善されるだろう。
同区から南にあるマハシブ区には各州総督級と見られる歴戦の雰囲気漂う魔族と獣人奴隷達が集結中であり、西へ攻撃を仕掛けた時に隙有りと攻撃してくる恐れがある。かの敵集団は大砲などの重火器を持っていないのでこちらの寺院要塞の砲台を恐れて今は近寄ってこないが、それも隙を見せたら別だろう。
あと、ゴルゴド霊廟は素晴らしかった。西日が採光窓から射しこんで鏡や装飾伝いに反射して屋内全てを照らし、そして光の行き着く先が、元が人間だったとは到底思えない程の異形である”竜王”ゴルゴドの銅像だった。魔神代理領では日の入りが一日の始まりなので魔なる教え的にも意義深そうだったが解説の者がいなかった。当たり前だが。
銅像は巨大だった。実寸大らしいが身の丈五人分、四肢がある上で翼が二対で尾もあった。鉄も融かす灼熱の二本角を再現するにその部分は赤の色硝子。緑の色硝子の目は虫のごとき複眼。鱗が赤かったということで、その西日に照らされると往年の色に染まったかのようだった。全く素晴らしい出来栄えであった。それと同時に、こんな化け物を相手に戦った者の恐怖はどれ程だっただろうか。
……また全域に巡らされている陸橋だが、こちらが攻撃に使うには無案内で目立つことから使用は手控えて爆破して落とすことに決定した。
陸橋と共にある、各地に点々とある防御塔は内部の階段や梯子を破壊し、焼いて使用不能にしてある。敵の動きを見るのに使いやすいかと思ったが、利用された時の方の不利が大きいと感じた。これが正解だったかは少し分からない。
先発の龍馬騎兵以外が到達していない区については、奇襲から時間が経って警察隊が多数集結しており、組織的に道路を封鎖、包囲を開始している。軽武装の彼等は戦力の逐次投入的な行動に終始してい容易に撃破出来るのだが、補充数が多い上に市街各地に散らばっていてまとめて壊走させられるような状態ではない。包囲して退路を断って殲滅、などという華麗な戦術が使えず、相手をすれば泥沼の様相。それでも警察撃破だけに集中出来れば一掃は不可能ではないが御所衛と宮中区――それ以外の区でも始まった――編制を受けて逆襲を仕掛けて来る部隊の圧力がそうはさせない。
勢力圏、防衛範囲の拡張であるが人数不足によりこれ以上は困難となっている。予備を放出すれば広がるがそれでは脆弱となって意味が無い。市街地で無ければ機動的に対処、ということで広げられるが大都会ではそうも行かないのだ。横の連携が建物、小さな水路、街路樹、公園など様々な障害物で大きく寸断される。多少孤立しても持ち堪えられるだけの部隊分けで、敵の浸透突破を防ぐように通り毎に、密に配置している。思うようにいかないものだ。
警察隊の後方には義勇兵や宗教系団体、病院関係者が出揃っている。住民の避難誘導や、負傷者の手当、物資の運び入れに炊き出しまで行っている様子が見られる。兵站が確保されているのだ。軍属と見做して攻撃しても良いが、泣き喚く民間人相手に武器を振るっている横から義憤に駆られた攻撃を受けては面白くない。
民間人は敵軍にとって只管守られるべき対象であるべきで、そうである限り足手まといである。戦術として民間人は敵中に留めておくように心掛けるため、ラーシャータ区以外の占領区からも民間人は発見次第、敵の方へ逃がしている。その度に敵部隊は動き辛そうにする。
神聖教会の尖塔から、方術で増幅した大声を魔神代理領共通語が話せる龍人に「抵抗しない限りこちらから民間人を殺傷することはない!」と繰り返し声明を出させている。
さあ、少しでも安心するといい。
■■■
四日目。
敵と違ってこちらは交代要員などいないのでほぼ不眠不休である。龍人の体力がそれを持ち堪えさせているが、辛い。五日目はまだ大丈夫だろうが、しかし六日目が来れば怪しいかもしれない。龍道龍脈も不眠不休で油断ならぬ道だったが、流石に戦闘行動程には忙しくなかった。精神を殺して只管歩くのとは別だ。常に神経も心肺も昂るのだから。
「ジンジン、ここ任せてええよ」
「分かりました」
防御が固まったヤブス区に――ラーシャータ区には戻らなかった。要塞の適した寺院の視察と、固まるまでは危険であった故――黒龍公主が増援……と呼んで良いか怪しいが、遺体修復術――手術と方術、非常に高度が故に仙術――が施された戦死したはずの、反魂受肉によって再び立ち上がった龍人部隊を引き連れてやって来た。健全な肉体に魂を宿したわけではないので軒並み肉体精神知能に著しい障害があることが見て分かる。先に毒矢で殺された者などまだ痙攣気味だ。これらをまともに統率して動かすには、更に傀儡の術にて操る必要がある。
傀儡の術。詳細は明かされていないが聞くにおぞましい仙術である。これと陰謀癖というか前科と合わせるに、あの黒龍公主がいくら愛想良くしても可愛げを見せても全く好きになれぬのがそこだ。
いくら人間が人外的な存在になれるとはいえ、術にて超人的な振る舞いが可能とはいえ、その術は領分、道理を越えているというものだ。
死に戻り部隊でヤブス区を補強した分、要塞化が進んだ分、戦力を引き抜いて新たな攻勢に出る。西のズィブラルヤ区へ攻め入り、そしてそこから宮中区の南門へ攻める。御所衛を東門の守備に専念させず、可能であれば突入し、更に可能であれば魔神代理や大宰相を筆頭にする首脳陣を捕虜とする。たぶん、突入に成功し、上手く行っても逃げられると思う。しかし宮中区がそれ程までの危機に陥るとなれば本命のラーシャータ区への攻撃は更に疎かになる。これで良いのだ。
「ねえジンジンあれ、猫ちゃん?」
そう黒龍公主が指差す先は南のマハシブ区側。今回の大戦で州総督などの要人が前線、警戒地域に出払ったせいで集まりが悪いと見えるが、それでも少しずつ獣人奴隷兵達が集結している様子が窺える。服装が多様なことから、解放奴隷になってそれぞれ就職した先からも応援に駆け付けているように見える。
人数は確実に前日より多い。わざと牽制に頭数を――通りを往来する数は雑感五百程度?――多く見せているのか、隠していても隠し切れない分だけ見えているのかは不明だが、こちらから手を出すには躊躇する威容だ。引いては押すを繰り返す遊牧騎兵戦術を心得ている連中であるから練度、装備、実数以上の脅威であろう。
「レスリーンとヴィラナンが見えます。最良の獣人奴隷の五指に入りますよ」
最良五指が金猫レスリーン、金馬サブドルタ、黒獅子ヴィラナン、黒犬ギーレイ、魚人ナサルカヒラ。最悪五指が鷹のエルバティア、蜥蜴のコロナダ、蛸のフォスホホ、鼠のゲムゲム、あと何だったか? 本を読んで得た知識で、こういうのは差別的で公式見解ではないから書き手によって違う。
「ちょ、怖いんやけど」
「でしょうね」
怖くない戦争などあるか。
行動開始。
まずはズィブラルヤ区の警察隊主力へヤブス区から、マハシブ区への警戒を念頭に入れて小規模に砲撃させる。百数えるまでに五斉射を終わらせる。
龍馬は置いて、龍道に潜る。百を数えながら進む。
魔都中央直下の龍道は何も無い、そこそこ平坦な塩砂漠で助かる。山谷入り乱れる場所だったら困る。
そして百を数え終わり、少し念のために待って、龍道から出る。
敵の背後を取った。警察隊は直撃弾に爆散し、跳ぶ弾殻片、石片、肉骨片に切り刻まれた後。後は伏せるなり建物の陰へ分散して隠れている状態。戦闘態勢ではない。
隙だらけの敵を雑に振り回した矛槍で撫で斬りに殺す。刃で切り裂くというよりも棒で薙ぎ払うように、柄で殴り殺すように。龍人の膂力で凡人を素早く大量に殺すにはこれが一番だ。
これで警察隊の統制を完全に乱した。
予備騎兵隊が加勢に現れ、残敵を掃討。追撃は禁止。
ヤブス区への脅威を一方向に一時的に限定して安全を確保し、南門を目指して移動する。
龍馬に乗る。徒歩と龍馬騎乗とでは敵の殺傷効率が段違いだ。馬と違って積極的に噛み、踏み蹴り殺してくれるしあっちを殺そうこっちを殺そうと動いてくれるのだ。
ズィブラルヤ区に入り、北に見えて来た南門の警備だが一見して御所衛が少ない。門外に配置されている兵も少ない……これは一気に突破出来るか? 突破突入して、制圧出来なくても東門から戦力を引き離せれば陽動も更に効果的だ。
南門へ至る丘の坂に足を踏み入れようとした時、不気味な地鳴り、裂く? 割る? 音。
「全隊停止」
突如、坂を、石畳、建物、土に花壇に街路樹に池に、あらゆるところを突き破って生えたのは逆茂木!? 何だこりゃ!?
「引け! 術妨害!」
どう考えてもまずい術だ。
龍馬の反転が、隣同士くっついていて上手く出来ずに後退が遅れた、先頭側にいた者達が逆茂木でもない……茨? 黒い蔦に捕まる。矛槍で薙いでも切れて液体が飛び散るが直ぐに伸びて、得物伝いに手に伸びて捕まる。自分は先頭にいたが辛くも逃れた。
龍甲兵に龍馬が蔦に捕まえられ、振りほどこうと足掻いても蜘蛛の巣に掛かった蝿のよう。巻かれて持ち上げられた。分厚い甲冑も空しく、目や繋ぎ目から蔦が入り込む。そしてその痛がりよう、身体の蠕動具合といい、体内にまで伸びて根を張っているのが分かる。しかも分かりやすいくらいに啜る音を立てて――脅してるな――血だけでなく体液全てを吸ったように萎びさせてしまった。吸血植物とは、常人が見れば泣いて逃げ出す異形だ。
蔦は伸びて増えてあっという間に、南門の坂の下だけではなく宮中区まで覆うような黒い樹海と化した。葉がまばらに生え、粒のように小さな花まで見える。植物だと思うが動きは動物だ。
次に樹海の上を魔族が走って来た。蜘蛛みたいな八本足で、衣装なのか鎧なのか外骨格なのか不明な格好の、乳房の巨大な女魔族。良く分からないが、異形で女で乳房がデカいとなると無性に腹が立つ。
これは特徴あるから覚えているぞ。情報にもあった。魔導評議会副議長のハルバハールだ。その蜘蛛みたいな見かけは伊達ではなく、何と樹海の上に糸で巣を張り始めた。そんな特徴まで魔族というのは獲得するのかと感心するのも束の間、その巣を足場に敵兵がやってきた。
三角形の頭、四本腕、服の外に見える外骨格の身体。触覚も尻の位置に腹も無いが、ハザーサイール最強の虫人魔族の奴隷騎士だ。
その四本腕で弓を構えて矢が放たれた、と思ったら龍甲兵の甲冑穿ち、鞍から腰を浮かせて吹っ飛ばして落馬させた。見て避けられるような速度ではなかった。東門で防御塔から狙撃していたのは彼等か。
蔦はどうやら術妨害など全く意味が無いようだ。ならばと火噴の術で樹海と巣を焼ければと思って使える者に試させるが湿気た薪より火が点かない。接近に感知されてそいつも捕まって殺されてしまった。これは無理だ。
あちらが攻撃に出て来て、こちらが迎撃に銃と砲で集中射撃を加えれば倒せそうだと思ったが、相手は要塞に籠る側。つまりこれは戦いにもならない。想定外、対処困難。南門攻撃中止。
ズィブラルヤ区を放棄、ヤブス区へ後退する。
後にム・ヤン将軍からも、黒い異形の藪の出現で宮中区突入続行不能と連絡が来た。
とんでもない隠し玉があったものだ。
■■■
五日目。
火鳳はまだかとせっつきたくなるが、そんなことをするほど馬鹿ではない。あれは術で卵の形に無理矢理折り畳んで性質ごと梱包したもので、それをまた逆に無理矢理展開して元に戻すという孵化の術である。木細工、紙細工の何かというのならばまだしも、霊地の底にいるような、だとしても生物をそのようにしたのだ。それは時間も掛かろうというもの。むしろ時間を掛けた程度でどうにかなるというだけで驚愕に値する。
さて、状況は前日の蔦の樹海の出現で悪くなった。パルサザール区の制圧完了の報告も大きな損害を伴っていた上に、敵は船を使って撤退を成功させてしまっている。学習した敵との二度目の戦いが待っているだろう。
偵察によれば宮中区の、魔神代理がいると言われる場所から大樹のような根が伸びて運河に漬かっているという。また黒い蔦へ軽砲による射撃を加えた結果としては、破砕をするも修復が素早いこと。そして破砕時に樹液か水か、液体が動物を害した時の血液のように撒かれたということだ。吸い上げた水が蔦の活力源と思われる。蔦の持ち主は非常に高い確率で異形の王である魔神代理。壊しても元に戻り、その源は大河の水で、国家元首が平気で砲弾に身を晒せているという余裕、複合事実から考え、我々の兵力と装備では宮中区への攻撃はこれ以上不可能であると判断された。悔しいが、あちらも真に化け物を揃えているということだ。
ム・ヤン将軍の部隊はサヒーファリヤ区にて、宮中区からの反撃に備えて防御体制を取っている。黒い蔦の限界距離が不明だが完全撤退は今のところ選択肢には無い。同区を敵に明け渡すと火鳳の卵防衛線が大きく崩れる。まだまだ敵には遠くの位置で反撃の機会を窺っていて貰いたいので、宮中区の防備を捨てさせないよう圧力をかけ続ける方針。
敵がこちらの司令部にまで至るような反撃の機会は遅れてくれる程こちらに良い。反撃準備を整えている部隊に一撃を入れ続け、それを台無しにして計画を遅らせられれば非常に良い。そのためには待ちに徹していてはいけない。主導権を握られ、敵の攻撃に合わせて右往左往している余裕など無いのだ。
予備騎兵隊はヤブス区から行動を開始する。
西のズィブラルヤ区はこちらの襲撃を警戒してか、空白地帯のように敵部隊が一見して配置されていない。黒い蔦の防壁が出来上がったので南門側は留守にしても問題無いと判断したためだろうか。それとも誘ってこちらの戦力分散を狙っているのか。おそらく両方。
南のマハシブ区の敵は戦力の増強が始まっている。獣人奴隷の数はあまり変わっていないが、鈴鳴りの親衛軍乗馬歩兵隊――騎兵かと思ったが馬が良くないし装備が歩兵――が合流を始めている。騎兵砲のような重火器も持たず、軽装備なので魔都で休暇でも取っていた一部が集結したか、そんなところだろう。様子見の先発隊程度だ。
まだまだ敵は応急編制の部隊しか揃えられていない。混成部隊は指揮系統も戦闘方法も違い、合流直後に連携しての行動は取り辛い。総合的に弱い。防御が固まったヤブス区へ奴等が突撃を仕掛けてきたら、寺院からの一斉射撃で壊滅させてやれる自信がある。そんなことは敵も分かっているので攻撃を仕掛けて来る様子は見られない。
彼等はこちらを牽制する役目に現在徹している。主力と呼べるような増援が到着するまでそうしていたいと思っているだろう。その目論見を砕いてやりたい。
あの騎兵をこちらの攻撃範囲に引き込む方法は? 騎兵突撃を入れ、一撃離脱に後退して追撃させて? あからさま過ぎて乗って来ない。であれば打って出るしかない。
「殿下、マハシブ区の南側、あの騎兵の背後から死に戻り部隊を出して下さい」
「え、あれ、妾が直接操らんと、棒振り回すのがやっとの案山子よ? それとも、表出ろって……」
出来るならそうして貰いたいが、出来る顔はしていない。無理だろう。龍人の膂力はあっても武芸の程はたぶん、素人に毛が生えた程度。もしかしたら全く、直接暴力を振るえない性分の可能性すらある。
「殿下は龍道に隠れたままで結構。欲しいのは単純な陽動です」
「分かった」
「合図は私が龍道で出します。準備に少し掛かりますから、その内に部隊を入れておいてください」
「うん」
黒龍公主が死に戻り部隊を龍道へ入れ始める。
軽砲予備にマハシブ区へ向けた砲撃準備をさせる。予備騎兵隊は建物の陰にて突撃準備をさせておく。
この準備で良く様子を窺ってくれている獣人奴隷達は逃さず、こちらヤブス区に対して戦闘態勢に入って警戒し始める。陽動の陽動となる。
軽砲でマハシブ区への攻撃準備射撃を開始させる。相手は砲兵の動きを眺める余裕があり、撃たれる前に散開して建物の陰に隠れた。分断したも同然だ。これは十分な火力ではないが、それに気づく前に動かなければならない。
これまでズィブラルヤ区が留守にされていたが、また補充された警察隊が間合いを詰めて進入してきた。こちらのマハシブ区への攻撃を見てか、側面攻撃のように騎馬警察を先頭に攻撃を仕掛けて来る。要塞化した寺院からの銃砲、弓矢による迎撃射撃が始まる。焦ってはいけない。警察隊はうるさいが優先対処するような脅威ではない。
龍道に入る。
死に戻り部隊がいるところとは別の方角、獣人奴隷、親衛騎兵の背後ではなく側面を取る位置へ移動。
「殿下、出して下さい!」
「分かった!」
死に戻りの兵が現実世界へ出され始める。地上では砲撃と合わさり、案山子のようとはいえ怪力で矛槍を振るう龍人に驚き、撃ち殺され始めているだろう。
敵は騎兵ばかりだが今は砲撃に隠れ、足を止めたそれこそ案山子である。良い勝負ではないか、
龍道から出る。目の前にいた親衛軍乗馬歩兵を矛槍で馬毎縦に両断する。
死に戻り部隊の出現を合図に軽砲射撃は止み、建物の陰に隠れていた予備騎兵隊が突撃を開始。
完璧ではないが最良。また雑に矛槍を振り回し、騎兵に慣れぬ中途半端さの乗馬歩兵を撫で斬りに両断して回り、壊走させる。
ふらふらと歩いては棒を振るように死に戻り兵が敵を矛槍で殴っている様を見れば物悲しさが迫る。死んだ後でも休むことも出来ず、情けなく動いている。その異様さに勇敢な獣人奴隷も気味悪がっている。
龍馬騎兵が到着。銃、弓を連射しつつ、矛槍で撫で切りにして回る。長柄武器では戦いづらいくらい肉薄したら剣を抜いて剣戟を交わす。まともにいけば龍人が怪力で押し切り、技で負ければいなされる。
個々、技量腕力に差があるが、砲撃で分散してしまった敵を優勢に殺し続ける。
流石は遊牧騎兵戦術を心得ている獣人奴隷騎兵はあっさりと、しかし背面射撃をしながら逃げ始めた。親衛軍の乗馬歩兵は馬が臆病なのか騎手を振り落として逃げるなど散々。
マハシブ区、危ういが大体の敵を一掃した。
敵が現在使える主力たる騎兵を追い散らしたのでここから、この主戦場の外に構築されている包囲網を各個、虫食い程度に荒らしてやる。
敵は今、我々の行動範囲を特定している。大体、宮中区から東へ川へ突き当たるまでぐらいだと正確に割り出しているだろう。その前提を崩す、もしくは疑念を抱かせる程度でも乱してやるのだ。
龍道に顔を出して黒龍公主には、
「殿下はヤブス区へ下がって守備に専念を」
「はい……」
と指示しておく。
しかしやはり先程から約五千歳の癖にしおらしい。陰謀は働く癖に実戦は働きの経験は無いのか? 怯えてしり込みして足を引っ張ってるわけではないが、かなり冴えない顔をしている。
■■■
六日目。龍人故に眠気や脱力といったものはないが、戦の興奮が続いていて身体が変に熱くなっている。脈も速くて強い。おそらく常人なら鼻から血を流れ出すぐらいだ。同行する龍人の目を見れば充血、試しに口内を見れば腫れている。明日には全身の穴と言う穴から出血して死ぬことも冗談ではなくなってきている。甲冑を脱がずとも、龍馬につけた鞍には身に覚えの無い血がついている。これは肛門からの出血だろう。粘膜の腫れ、馬上行動により摩擦、重度の痔になるには十分だ。
包囲網を虫食いにする襲撃行から帰って来た。戦場を遠くに眺めていた民間人を驚かせて回り、難民の津波を小さいがまた作ってやった。途中、散発的に獣人奴隷騎兵から妨害を受けたが、戦闘より駆け抜けることを重視してやり過ごした。
マハシブ区に戻って来たが、敵はまだ奪還に来ておらず、空白地帯となっていた。表通りにいないだけで反撃の機会を建物内で窺っていると見做し、各宅の捜索に出る。
待ち伏せを考慮し、ヤブス区から兵力を少し引き抜いて数を確保。表通りに予備兵力を置いて区画毎、数件まとめて、壁を乗り越え門を斧で破り、壁を爆薬で開口、多方位から一斉突入して屋内を捜索する。
自分が直接突入した邸宅はかなり広かった。敷地内の庭園が公園の規模である。
草木や花の間に誰か潜伏していないかと捜索したところ、作業小屋より作業服姿の老いた黒人奴隷が枝切り鋏を持って出て来た。耳の遠い爺様に見えた。
「そこのご老人! 聞こえるか」
聞こえていない。微動も反応なく、日課に移るように植物を触って具合を見始めた。
肩を叩いてやろう。民間人は逃げ散ったと思っていたのに。
痛いと思う前に上体を反らす、目前に鋏の先。手に持った矛槍では近過ぎる、下段蹴り。膝の上に乗られた!? 金属音、鋏の留め金外れ、二刀流、片手は短く持ち替えられ、また目に刺突、避ける? 不可能、ならば噛んで止めた。
刃は縦向き、歯の隙間に鉄の刃がめり込む。痛み以上に気分が悪い。
もう一本刺突、兜で弾き、両脇を握り込んで骨を折り、爪を肺に突き立てて握って両開きに千切る。
糞、目を潰されかけた、歯の具合が最悪だ!
邸宅群の制圧をしている最中にパルサザール区から救援要請が虹雀で届く。
メルナ=ビナウの本流側から船に乗った魔族部隊が襲撃を仕掛けてきたらしい。制圧が終わったばかりだが奪還されそうとのこと。
船団を組んでやってきて、対処するまでもなく真っ直ぐ港に座礁、乗り上げて上陸を始めたそうだ。
出鼻に放たれた集団魔術は火と風を合わせた熱風で、上陸地点近辺の、風の通りが悪いところ以外にいた者は肺も含めて全身火傷で瀕死、戦死。また高熱の外でも窒息、失神者多数。
敵は集団魔術を使う統制された部隊であり、そして新型の後装式施条銃を装備し、射撃の腕が良く、甲冑ではなく装甲の無い顔を狙って撃ってくるらしい。
訓練された正規兵だ。今までの応急対処的な連中とは一線画すだろう。御所衛の魔族は集団魔術など使わなかった。ム・ヤン将軍が予備部隊を出して同区守備隊と協働しているが劣勢だという。
マハシブ区の制圧は中断、放棄してヤブス区へ後退する。
そして予備騎兵隊でパルサザール区へ急行。市場通を通り、倉庫群に到着すれば建物全てが火災状態。火の粉が盛大に舞い上がっている。
魔族部隊は異形ながら制服で揃っており、各隊に分かれ、新型小銃を連射している。集団魔術は術妨害にて抑え込んでいる。しかし現場指揮官に聞けば敵の術使いの数が多く、術妨害に術使い全てを働かせないと抑えられないそうだ。
敵の前進は止まっている。しかし異形の後続部隊は数を増し続けており、阻止の限界も近いだろう。
まずい、かなり厄介だ。パルサザール区を敵が橋頭堡にすればラーシャータ区へは直通。ここで損害を恐れては全てを失うと考える。何度も繰り返した手だが、対策を練るための連絡の時間も訓練の時間も無いだろう。
龍馬から降りて龍道に入る。せめて一頭引き連れて行けるくらいの技量があればと思うが……そう言えば龍道入りの術は妨害受けないな。何に効くか効かないか、術者の力量技量に依るのか全く研究がされていないな。課題だな。
敵上陸部隊の後方まで何の脅威も無い龍道を進み、矛槍を構えた姿勢で出る。
目前に魔族兵、何と構えた小銃の銃口が目の前、しゃがみ、立ち上がりに銃身を兜で跳ねつつ左手で鳩尾に中指一本、爪を突き入れ動く心臓を引っ掻きながら殴り上げる。
矛槍を肩に担いで、右手の中を滑らせるように振って石突の手前で止め、最大距離で周囲を薙ぎ払って魔族兵を複数斬り払う。甲冑も着ない軽装なので滑らかに殺せた。首に腕が落ちる。
相手が驚いている内に近くの者をとにかく派手に素早く斬りまくりつつ安全圏を探して走る。一撃離脱の風体で、敵中孤立状態を凌ぐ。
そしてチャルメラ吹きに龍馬騎兵が突撃を開始、大口径銃を景気づけに発射し、前列部隊が矛槍を構えて振り回し、後列部隊が弓射をしながら走行。異形の中に巨体もいるが十分な威力で持って殺せている。
そして蛇龍騎兵が川から奇襲、弓射を開始。合わせてくれた。
突撃の衝撃、衝突で魔族部隊を一気に押して殺して、そして勢いが止まり出す。流石の魔族兵が相手、白兵戦となればあちらも化け物の膂力と、優れた武術や魔術剣術に魔術銃剣術まで使ってくる。
龍馬で踏みつけ蹴散らしたと思えば目や甲冑の隙間を狙って撃たれ、刺され、単純に剛腕で掴まれて止められ、引き摺り降ろされる。
魔族兵の頭を齧り割る龍馬の口に銃剣が差し込まれ、銃撃を受け、水術で血流を操ったか吐しゃのように血を噴き出して死ぬ。騎手が下馬しながら反撃に剣を抜いて上段に斬り付け、小銃で防がれ、押し切って頭を叩き割る。
龍人が組討ちに投げて転ばされ、喉に小銃から外した火術に燃える銃剣が刺される。死ぬくらいならと両手両足で相手に組み付き、死体になっても拘束し続ける。
胴体のごとく太い腕を持つ魔族兵が単純な怪力にて、戦槌で龍馬騎兵を叩き伏せる。そんな分かりやすい強敵には強弓からの矢が殺到、十数本と全身に、腕と胴、脚と脚も貫いて身動きを取れなくした。それでも血反吐を吐きながら、頭に矢が刺さった状態でも唸って、転んで蠢いていた。後に通り際に龍馬が頭を踏み潰して殺して行った。
術妨害が掛かった中、互いに組み合い刺し合いで殺し合う。相討ちの姿も珍しくない。
どちらが勝つか分からなくなってきた。騎兵突撃の後に続いた剣盾兵の横隊が盾殴り剣突きに中央突破、銃兵がその切り開いた突破口から掃射し戦果拡大。後続の屋内戦闘重視の斧兵が加われば優勢に転じる。しかし動きが柔軟であっという間に交代、増援を得て隊列立て直しに至って決定打ではない。
そして水際で戦う者の一部が川へ引き摺り込まれ始めた。黒い触手みたいなものがうねっていた。魔神代理の黒い蔦にしては細いが、とにかく異形の魔族の仕業だ。あれは救えないと判断する。
水中から、水棲生物のような特徴があるような魔族が顔を出し始めた。弓射で支援射撃を始め、上陸して白兵戦に加わり始める。先程にわかに感じた優勢は劣勢に転じる。
座礁上陸に使った船が、既に他の船に曳かれて撤去が始まっている。水中から作業の手が入っているためか手早さが段違いだ。
戦闘する軍艦にしては武装が貧弱だが――商船でも徴発してきたのだろう――後続の船団がパルサザール区の各港へ接岸、部隊の上陸を始めている。見た目は全て魔族。
魔なる教えでは魔族は量産するものではなかったはずだが、政策的に変わったらしい。これではまるで魔族軍だ。数が十分に揃って組織的。
船上、帆柱に設置している檣楼からの狙撃や旋回砲による砲撃も始まってきた。制海権を取られている沿岸部で戦っているような絶望感である。
パルサザール区は放棄すべきと考えを改める。ラーシャータ区は橋が掛かっているとはいえ水路に囲まれた島。水上、水中まで制圧されたら分断危機だ。相手に制圧能力があると判断し、その力が発揮される前に、各区に分断される前に撤退すべきだ。
ム・ヤン将軍、黒龍公主、各区へ散開した部隊全てへラーシャータ区へ全面撤退を通達する。また死に戻り部隊による龍道からのかく乱攻撃も要請。
現状だとサヒーファリヤ区からム・ヤン将軍を引かせるのが最優先で、その退路である市場通りはまだ確保しているが、この魔族軍をそれまで抑え込まないといけない。それから指揮官たる自分がここで死ぬわけにいかない。
出来るだけ、血みどろに白兵戦を演じている龍人達の背後へ背後へと魔族と打ち合いながら、時に顔狙いに銃弾を撃ち込まれながらも――兜が防いでもやはり衝撃で吃驚するし首が痛いし眩暈がする―安全地帯まで移動。
死に戻り部隊の出現に合わせ、重傷者と戦闘から手が離せない者には死守命令を下し、残る軽傷者以下を連れて同区西側、市場通りへ後退。ム・ヤン将軍の部隊の退路を確保した。
■■■
七日目。
案の定、鼻や歯茎から龍人達が何もしなくても流血し始めた。医師ではないが脈を取るに拍動が激しく心臓、血の巡りが相当悪い。一部では血の涙が出るに至って視力異常を訴える。深刻である。隙を見つけて交代で休ませるがどれほど回復するだろうか? 龍道龍脈の長距離行軍中には起こり得なかった劇的症状だ。その行軍の後の連戦であるから、起きるべくして起こったことか。
昨日、今日の早朝まで時間をかけてム・ヤン将軍の部隊の撤退を完了させた。市場通りの防衛も、建物を防壁に見立て、軽砲射撃によって魔族軍を撃退することで防ぎ切れた。死に戻り部隊と死守の殿達が時間を稼いでくれたお陰である。
その後は攻撃が止んだ。敵も一度乱れた部隊を立て直すのに時間をかけたようだ。つまりの次の攻撃が辛いというこである。
皆、疲労に流血を伴い、連戦で負傷も多く、身体への過負荷で筋肉に関節も痛めていて手足の動きがぎこちなく、目に見えて酷い。ラーシャータ区で工事に専念していた者達はまだ元気に見えるが、前線に立ち続けていた者は酷い。ム・ヤン将軍など直接攻撃を受けていないのに失明同然に目が腫れ、無くした腕の古傷が開いてしまった。ほぼ戦闘不能である。
黒龍公主も顔色がかなり悪い。出血するような様子はなく、術の使い過ぎによる疲弊という風でもなく、精神疲労だ。鉄火場に慣れていないからだろう。約五千歳のくせに。
「う……」
吐き気を催している様子。口に手を当てているのが分かりやすい。約五千歳のくせに。
「吐いたらどうです」
「そんな汚い……」
妙なところで上品。約五千歳のくせに。
「ねえ、ジンジン、あのね」
「はい」
「出来ちゃったみたい、生理止まっちゃった」
「糞ババアは大人しく龍道に潜っていて、いいですよ」
「……でも」
遂、糞ババアと本音が出たが、気にする余裕も無いか。
「死に戻りを作っておいてください。何かに使えます。余るだけあっても困りません」
「うん」
普段からこれくらいしおらしければな!
ラーシャータ区へ籠城するにあたり、全ての橋を爆破させた。戦力を分散させられる戦力比ではなくなったと判断し、橋の外に牽制攻撃をする部隊を置くこともしない。
撤退にあたり、敵はこちらの狙いが宮中区への襲撃、魔神代理の首取りと勘違いしていたようだ。そのため攻撃の足掛かりである橋を落すとは考えつかなかったようで水中からも妨害は無かった。
敵はこちらの橋の爆破からの籠城戦への行動に対して疑問、疑念が強かったらしく、夜になっても積極的な行動を起こさなかった。火鳳の卵を待っていると分からなければ首狩り作戦に失敗して狼狽えているようにしか見えない。いっそ捨て身に宮中区へ突撃を仕掛けるべきなのに、と思われているだろう。
敵はその代わりに部隊の立て直しや、残存兵力がいると想定しての掃討作業を徹底していた。優勢を確保したので一旦冷静になり、確実な手で勝利を掴もうというのだろう。もしかしたらこちらに降伏勧告を出してくるのかもしれない。
この区、島の周囲には水中戦が得意な魔族がうようよしている。一度川が熱湯のように沸いたのを機に、水中待機してきた龍人、蛇龍騎兵は圧倒的に劣勢となって全て陸へ逃げて来た。水域部隊の半数が煮えたみたいな死体になって浮いて川を流れて行った。
目撃情報によると特に、髪の毛が触手になっている魔族が強く、強烈な酸を撒いたり、あの水中撤退の機会になった水を一瞬熱湯? にする術を使ってくるらしい。その情報と突き合わせるに、それは”賢者”アスリルリシェリを継承したという、南洋でも大暴れしていた聞くセリン提督だろう。何でもベルリク=カラバザルの夫人だとか何とか。それだけでもきっと頭がおかしいに違いなく、戦にも滅法強いはずだ。昔を思い出せば南王の後継者として戦っていた時に少し通信した覚えがあるな。
いよいよ完全包囲かと覚悟を決める。
■■■
八日目を迎える日の出より前に悲報。
ム・ヤン将軍が死亡した。隻腕の古傷が開いての大量出血が祟ったようだ。重傷の龍人も続々と落命している。疲労と負傷で死に始めた。
そして将軍の死を見て何かしなければと思ったか、サウ・コーエン将軍が区の周囲に作った城壁に上り、考え事をしていた時にセリンの髪の毛の触手に水中へ引き摺り込まれ、そして首になって帰って来た、と現場を見ていた龍人士官から報告を受ける。
ラーシャータ区全域、水中からの術攻撃を想定して広範囲に術妨害を――もしやと思ってサウ・ツェンリーに確認、孵化の術にほぼ支障無し――常時かけさせる。見張りを立てて機動的に対処しても、水中で何をやっているかまでは見えない。負荷が強いがそうせざるを得ない。水際に兵を立てられない状況ならばそれしか手が無い。
こちらの本命は火鳳の卵。撤退により作業員が増えた――出血するほど疲労した者は休ませる――ので要塞化を更に進めている。
瓦礫の城壁を第一線として今日まで構築してきた。銃眼、砲眼も瓦礫の隙間へ底を抜いた箱を嵌めて開け、機能を高めてある。砲撃に備えて退避壕も全軍が潜れるだけ用意した。術妨害の必要が無い時に耕土、木網、繁茂の術を使って強化しているので応急建築にしては強固な出来である。
最期の一瞬まで抵抗するため、一部残っている建物に石畳も剥がして利用して第二線も新規に構築する。それからパルサザール区で苦戦した記憶から地下通路の掘削も行う。敵の知らない通路は便利な物だ。あまり長距離を掘る余裕はないが、一枚壁の内外を這って行き来する程度ならいくつか可能。
鈴の音が遠くから鳴り響いてくる。同時に民衆の歓声も合わさっているようだ。親衛軍の到着である。
聖ゼブロイ寺院の尖塔からの偵察により、親衛軍は歩兵砲兵が揃っていて、数は一万に達するかどうかだが、局地的な市街戦に投入する規模と見れば大軍。その戦闘配置はこちらの軽砲の射程距離より外。計算されていると考える。そしてあちらの大砲は通常大の、おそらくは帝国連邦やランマルカ基準の施条大砲である。魔族軍の装備からそう予測するに、これから一方的に撃たれるだろう。
もうこちらは防戦一方、それしかない。
砲の声、煙、炎、一瞬白んだかのような衝撃から第一線の城壁に着弾、爆発。石に煉瓦、術で絡みついた木が思ったより派手に散る。術で加速しているような威力だ。龍人用の甲冑が無ければ死傷者が凄まじいことになりそうなくらい破片が霰と飛ぶ。
陸上からの砲撃に続き、水上からも艦載の臼砲射撃が始まり、同じく着弾。放物線を描いて壁を越え、被害が出る。砲門の数が少ないのが幸いか? 鉄亀隊を川の方へ割り振って迎撃させる。船と砲打撃戦をやらせる。
積んだ瓦礫、術で木が絡んで土が隙間を埋めていた分厚い壁が崩れ始める。砲撃の間隔から、崩れた壁に瓦礫を注ぎ足して簡易に補修させる。術妨害を掛けているから全て手作業で補修だ。
陸上からの砲撃が激しい。都内に保管してある砲弾、火薬の在庫を、大規模な敵予備兵力を警戒する必要もなく撃てるからか相当に激しい。連射が過ぎると大砲が過熱で変形しそうだが、やはり術で冷却しているようだ。
距離が相当あるが、術妨害はかなり遠くまで届くので、術使い達には水辺の妨害と合わせて遠距離妨害もさせる。これは負荷が強くあまり長くはさせられない。戦力は全て島に集めたおかげで術使いは揃っているが、長期戦を考えると頻繁に疲労させたくはない。そろそろ脳の血管が切れる者が出そうで怖い、と思っている矢先に前線で術を使い続けていたものが昏倒を始める。術の使い過ぎは脳に損傷を与える。龍人と言えど脳みそまで頑丈ではない。
術妨害を始めると敵の砲撃が弱く、そして間隔も長くなってきた。
そして砲撃が止む。
敵は次の手を考えて準備を始めたようで、それからは砲声、銃声も無く時間が過ぎた。
集中を乱したくないが、サウ・ツェンリーに所要時間を尋ねる。聞きたくて堪らなかった。
「失礼、あと?」
「工程の半分は過ぎました。後は機嫌次第」
だそうだ。何だそれは、とまた甘味饅頭を――乾いてぱさぱさ――口に突っ込んでやった。
何だよ機嫌って。まあ、化け物でも生き物なら機嫌の良し悪しくらいあるか。
■■■
九日目。変化に乏しい龍道龍脈と、激動の戦場とどちらが良いかと聞かれたら、うるさい、と答えてやろう。
疲れやそこかしこで軍隊が動き回って最近はあまり耳に入っていなかったが、朝の神聖教の礼拝呼びかけが聞こえて来た。かなり遠い。初日あたりに聞いた距離より倍は遠い気がする。しかし魔神の教徒達は毎朝異教のあの呼びかけを聞いて腹が立たないのだろうか。生まれてこの方ずっと聞かされていればそうでもないか。
我々龍行軍は、行軍で大消耗した挙句に孤立無援である。気兼ねしなくて良いところは撤退を考える必要が無いところか。この状況で撤退のことまで頭に入れて作戦計画を立てていたら脳みそが焼き切れる。いや、考えなくても疲労と興奮で脳の血管が切れ始めたらしく、脳溢血の症状で倒れる龍人が出始めている。ルオ・シランも常人の時にこれで瀕死になったらしいが……自傷酷吏、いや変な冗談だ、止めておこう。
聖ゼブロイ寺院の尖塔は前日の砲撃で倒壊したので、注意を払って砕けた城壁の上に立って眺めるに陸上の包囲網は更に強化されている。親衛軍が増強され、数を増して大砲も数が増す。長い円筒帽を半ばから追って背中に垂らす特徴的な姿が目立ち、鱗のように揃って見える。
頑丈な建物――寺院、応急修理した陸橋に防御塔――の上に大砲と弾薬が運ばれ、射線上の障害物が一部撤去されている。砲撃が再開された時、前回の勢いとは比較にならないだろう。今度は高所からの砲撃もあるから、きっと城壁を悠々と飛び越えて来る。その砲弾も榴弾や榴散弾だろう。かなり死ぬ。
それから親衛軍を指揮する異形の中に、四つ目のアスタムス親衛軍長官と思しき人物も見えた。東の前線にではなく中央で予備待機していたようだ。指揮統率に全く問題が無いと見て良いだろう。
苛烈になるだろう砲撃への対策としては退避壕を当てにする。穴倉に隠れていれば砲弾もそこまで怖いものではない。ただ、鉄亀は穴倉に隠せる図体ではなく集中砲撃を食らえば流石に死ぬ。前回の砲撃でも削れた城壁の上を通りこした砲弾を受けて何頭か死んだ。櫓もほとんど破壊された。次こそは全滅すると考え、第三線の城壁として火鳳の卵を囲む用に座らせる。もう置物として考えた。背中の櫓からの軽砲射撃は市街戦で活躍したがもうその機会は無い。
水上からの包囲だが船の数が増している。岸壁より高い位置に砲列がある戦列艦も混じり、城壁への砲撃が苛烈となるだろう。戦列艦など軽砲装備の鉄亀隊では勝てないので引かせてある。
水中に潜んでいる魔族の様子は不明。術妨害で封じ、上陸してきたら陸上戦力相手のように迎撃してやるしかない。
次の砲撃は何時だと待っていれば白旗を掲げた降伏勧告の使者がやって来た。歩いてくるのは二名で、一人は異形である。ここで水中から引きずり込みになどかからないだろうと確信し、城壁の上へ立って出迎える。
やってきた異形はあのハザーサイールの虫人魔族奴隷騎士のようだが官服姿。付き添いも官服姿で常人……異形の方はハザーサイールの英雄、大宰相ダーハル当人か! 彼が言葉発し、付き添いの通訳が天政官語で続ける。魔神代理領共通語は分かるので、二度手間に聞く形になる。そこは様式だろう。
「魔神こそ全てである! これより、魔神代理より俗なる法の執行を託されし大宰相である我、アークブ=カザンの息子ダーハルが降伏を勧告させて頂く。そちらの意表を突く作戦、奮闘、天晴である。また賊ではなく国に忠義を尽くす兵士としての振舞いに敬意を表するものである。降伏するのならば正当な捕虜として遇し、終戦の暁には条約に基づいて解放すると約束しよう。既に退路は無く、完全に包囲されていることはそちらも存じている通りである。賢明なる判断を期待する。以上、これは地上における最高存在である魔神代理の意志であると承知して頂こう」
話が通じる相手との戦争、こんなにまともだとは思わなかった。ニビシュドラとアマナ、あれは一体何だったんだ?
「我は天政地より、天より降りし、宇宙を開闢し、夷敵を滅ぼし、法を整備し、太平をもたらし、中原を肥やし、文化を咲かし、四方を征服した偉大なる八大上帝に並び、宇宙を司りし龍帝の名において特務巡撫に任ぜられたレン・セジンである! 寛大なるお言葉痛み入る! まだそちらに真の力をお見せしていない。ここで降伏しては早仕舞いである! それに命が惜しく、退路を考えて戦っていると思われても困る。何度死しても、魔都でもダスアッルバールでもベシュフェでも、三帝国の都であろうと、干戈交える敵とあらば何度でも繰り返してみせる。目にもの見せてくれよう!」
大宰相ダーハルが去る。
そしてその背中が軍列の後方へ消えた時、太鼓連弾が響いて、それが長い。斬首刑前の予告のように長い。
城壁から立ち去り、まるで臆病者のように退避壕に隠れる。黒龍公主と、損害分散のために一部避難させた龍甲兵と残余の龍馬、蛇龍のように龍道に隠れようかと考えたが止めた。砲撃直後に突撃された時に防御指揮をしなければ。
そして、連弾終わりにタンッと鳴って、喚声ではなく号令が一斉に響いてその余韻が完全に消えるほどに空気と地面が震えた。
全方向より砲撃開始。一斉同時着弾。第一線の城壁が一斉に表面を削られ、破片をばら撒いた。同時に第二線に高い位置から砲弾が飛び込み、空中と地面で炸裂、弾殻に散弾をばら撒いた。鉄亀の第三線、火鳳の卵とサウ・ツェンリーを守った。
砲弾の雨と、破片の砂嵐。龍道の塩と吸えぬ空気の砂嵐よりマシじゃないか。退避壕に潜れば大丈夫だから。
退避壕の中からも術妨害は掛け続ける。
瓦礫を城壁に立てた状態から、瓦礫が均され、退避壕へ流れ込み始める。何年とかけて設計して建築した要塞ではないのだ。術で補強してもそれは大火力の前に壊れてしまう。当たり前だ。
砲撃が続いて嵐は終わらず、生き埋めになるまいと地上に出た龍人が破片散弾に甲冑を叩かれて高い音を上げている。
盾を持って別の壕へと救助を始める者もいる。これくらいなら負傷者程度で終わるかとも思ってしまうが、弾種が変わった。
弾着、爆発。龍甲兵といえど死ねる。直撃しなくても爆風で骨が折れ、銃弾どころではない大きな破片が甲冑ごと骨肉引き裂く。
鉄亀も一発と甲羅に受けても苦しそうに呻くだけだが、二発と同じような場所に当たれば甲羅が砕け、血を振り撒く。鈍さは本物で、立ち上がったり逃げ出したりしないが。
死んだ兵の盾を借り、城壁の状況を確認。
第一線、削れて崩れて高さを失い、その上をかすめた砲弾が内部に落ちて爆発。
第一線程頑丈ではない第二線も直接砲弾を受けて崩壊中。
生き埋めになっては戦えないと退避壕から出て来る龍人に砲弾が直撃することもあり、甲冑武具ごと骨肉内臓爆散。
術妨害は常に遠距離までかけているが、生き埋めにならないよう這い出る時に術は中断され、地上で再開しても砲弾で死ぬこともある。完全に全体として中断されるわけではないがその勢いは弱まる。そうすると集団魔術による攻撃が危惧される。
大砲の冷却が出来ず、強烈な砲撃を続ける敵砲兵もそろそろ金属の疲労で中断を強いられる、かもしれない。帝国連邦やランマルカの指導が入っていそうだが、奴等なら砲兵予備を置いておいて、休ませ働かせと交互にやってきて隙を見せないような気もするが。
無限に砲弾があったわけではないのか、砲撃が止む。
粉塵でラーシャータ区は砂嵐の中に飛び込んだようになっている。
瓦礫の城壁や主だった建物はほとんど倒壊した。退避壕のおかげで、死傷者は続出したが龍行軍は健在である。一番重要な火鳳の卵とサウ・ツェンリーだが、鉄亀とその死体と、術妨害に拘わらず展開された彼女の高度な繁茂の術――多様な植物が死んだ龍甲兵を縦のように組み込み――の壁に覆われていて無事だった。やはり術妨害、万能ではないな。
砲撃が止んで終わりではない。その後に待っているのは勿論、別の攻撃。
騒がしくなる。行進曲にしては派手でやかましい。下町祭りの騒がしさ。
『わっしょいわっしょい!』
ニビシュドラの経験が脳裏によぎり、寒気がした。
「嘘だろ」
声に出してしまった。
ラーシャータ区へ向かう――落した橋五本の通り以外も、水路に突き当たる全て――通りを横断する親衛軍の隊列が開き、出た。出た! 楽団を乗せる、赤帽党の卑猥な男根山車を先頭に突撃してきた! 赤い帽子をかぶった小人共、人間も混じってが『わっしょいわっしょい!』と楽し気に合唱している。
近づいて来る。
無事な銃眼、砲眼から迎撃射撃開始。先の砲撃で大分崩され、火力が足りずに効果が薄い。
瓦礫を登り、各兵が銃と弓で撃ち下す。
山車に傷がつき、押し手、引き手が倒れ、後続の者が次々と倒れた者の後を継ぐ。親衛軍の散兵も続き、銃撃支援を行ってくる。
剣盾兵が前に出て、銃兵に肩を貸して狙撃しているので数で劣ってもそれほど劣勢に感じられない。
軽砲を四人程度で運んで軽快に機動的に砲撃を加えれば火力で劣る感じもしない。
小銃射撃程度、甲冑の前では大したことはない。ただ狙撃の達人が目を撃ち抜くことがある。
そして目ではなくても大口径の狭間銃射撃では甲冑を射抜いて殺して来る。帝国連邦製なら狙撃用の重小銃だったか。
その散兵に混じり、獣人奴隷兵が弓矢で射掛けて来る。矢など更に大したことはないと思ったらその矢、炸裂した。爆弾付き!? しかし軽装の常人相手にしか通じない程度だ。ただ顔の前で炸裂されると失明に至り、耳がやられて均衡を崩す、指示が聞こえなくなる。如何に龍人とはいえ、目をやられては案山子になるしかない。耳がやられれば組織行動も困難。
それへ更に混じって奴隷騎士の超強弓。龍甲兵の甲冑を貫いて吹っ飛ばす。術妨害の影響を受けないのか、そもそも単純な筋力なのか。
赤帽党は山車が先頭で、その後続には大量の荷車の列が続く。全てに土嚢が積んであるようで、あれは崩れた橋の代わりに水路を埋めるためか? 水路は船が通れる幅、そして深さがある。そう易々と埋めることは出来ないだろうが、無駄な行動をこの期に及んでするとは考えられない。
陽動? これから繰り出す突撃、架橋部隊を支援するための射撃部隊を置く壁の設置が目的だろう。厄介だな。
『合体連携チンチン出ッ車ー!』
だが、山車に荷車が水路に突進を続けて一切動きが止まらない。撃ち殺しても一切怯まない。何だこいつら!? 壁を設置する勢いかあれが?
その蛮行に対するような驚愕、別の驚愕に変わった。水路、既に埋まり始めていた。
水中、透明度は高くなく、水深が、船が通れない程に浅くなっているのが見える。水の流れが水底から盛り上がった分、押し上げられて流れているので分かる。何で盛り上がっているのか? 水面から見えるのは木の板。各地の港から剥がして来たように見える。その下の土台、脚は何だ? 分からない。
水中の様子が分からないと、セリンが怖いと偵察を怠っている間に、術妨害があるから安心と思っている間に、水中で敵魔族が工兵働きをしていたのだ。どのようにして音も立てずに重量物を水中で手配したのか……魔族セリン、確か音の術を使うのだったな。音を消し、大きな工材も我々の視界外、術妨害の外でやれば問題ないか? だが術妨害が……術で処理した水が流れて来ていた? 分からない。術妨害は水越しだと弱いのかもしれない。単純に静粛で、こちらの耳が悪かったか。砲撃中に騒がしい仕事は全て終えたのかもしれない。とにかく敵ながら天晴だ。
浅くなった水路では魔族と赤帽党員が協力して落とした土嚢を積み、足場を作っていく。橋脚と階段に見える。既に足場など作らずとも、水路沿いの船着き場からは階段を上がれば突入可能だ。足場が完成する前でも梯子を掛ければ良い状態である。
辛いのは、第一線の足場が崩れて悪い城壁の上に立って外側直下の、足場となっている水路の敵へ射撃を加えるには身を乗り出すぐらい前へ出なければならないということ。そうすると良い的になり、集中射撃を受けて死ぬ。そして瓦礫の隙間から射撃で妨害しても、山車から降りた楽団が応援に演奏しているためか怯んでいる様子はない。高い笛の音、太鼓と鉦鼓の連弾に躍らされている。
容易に妨害出来ない。工事の進捗は速やかなものとなり、重ねて親衛軍の行進曲が鳴り出す。そして魔族士官が刀に炎を纏わせて掲げて象徴になり、先頭を切って歩き出す。密集隊形の歩兵が鈴を鳴らして前進してきた。
並の兵士ならば、龍甲兵ならば十人、二十人、百人と相手出来よう。だが龍甲兵対策装備をした兵士ならば、ヒチャト回廊の経験から精々五人程度。彼等はどの程度の装備か? 砲撃から今までの感触で、帝国連邦兵よりは多少装備が劣って……十人程度か。十万は無理だが……相討ち覚悟なら丸々消してやれるかもしれない。
足場となった水路から土嚢の階段が両側へ積み上がり、梯子が掛けられる。そして前進して来た歩兵の大軍のために、土嚢の橋脚に板が渡され即席の橋となった。それに先駆けて赤帽党員が、大した武装も無いくせに船着き場の階段から陽動のためか駆け上がり始めた。城壁で一応塞いであったが、砲撃で最早用は成していない
『ズィブラーン・ハルシャー!』
全方位から敵が突撃、城壁へ張り付きよじ登り、迎撃に出れば他の兵士から銃撃され始めた。甲冑と盾を頼りに銃で撃ち、弓で射る。数が多く殺してもキリが無い。
足場になった水路以外にも船が横付けし、移乗攻撃のように水兵が突っ込んで来る。
それぞれの隙間、水中からも魔族が跳び上がり、這い上がって突入してくる。
既に城壁は意味を為さない。チャルメラを吹かせて第二線まで総員を後退させる。
後退し、敵が第一線の城壁を占拠。その上から射撃し、その支援の下に更なる突撃で第二線に張り付く。
そして不要になった第一線の瓦礫の城壁、仕掛けた地雷で一斉爆破、吹き飛ばす。無数の破片となった瓦礫が飛び散って、雪崩れて打って突入した敵を吹き飛ばし、刻んで、飲み込んで潰した。こちらは第二線に隠れ、爆破の影響に関しては無傷。かなり殺してやった。
『ズィブラーン・ハルシャー!』
それでもやはり波状攻撃。第二波が瓦礫と死体と負傷者を乗り越えて突撃してくる。敵は撃ちまくりながら瓦礫を乗り越え突っ込んで来る。
こちらは瓦礫の陰から撃ちまくり、接近したら矛槍に剣に斧で叩き殺す。大口径散弾銃なら複数まとめて撃ち倒す。
劣勢のようだが流石は龍甲兵。足場が悪く、勢いも悪い敵を相手ならば一人で五十人は殺せそうな奮闘振りだ。
集団魔術が浴びせられる気配は今も無い。術妨害が無ければこうはいかなかったな。
兵士の一人が突然燃え上がった。まさか術か? 違った、硝子の割れる音、火炎瓶だ。甲冑に叩きつけて割れて、か。ああ、これはまずいな。それだけではなく手榴弾も投げて来た。龍人なら死なずとも、足をやられて転ぶ、倒れる、隊列が乱れる。そしてもっとすごいのが来た。一見何の変哲も無い藁の束だが石油で濡らされていて、火炎瓶の放火と合わせて猛烈な火炎と黒煙を噴いた。密集し、押し込められる形で防御しているこちらにとっては最悪だ。
第一波と第二波、装備が違った。最初の通常部隊を被害担当にして前進位置を確保してから、事故率が高い火炎装備兵を安全に後から届ける算段だったか。銃撃なら甲冑と盾が大体防ぐが、燃える油はどうしようもない。生物の限界だ。火に強い生き物などいるわけないだろ!
火炎放射器まで投入され、火炎の舌に巻かれて焼かれる。我が天政の武器を真似た奴だ。帝国連邦が改良して実戦投入しているのは分かっていたが、こっちでも使ってくるか!
火攻めを受けて第二線、放棄するか判断に迫られるが、放棄しない。第三線は火鳳の卵とサウ・ツェンリー保護用だ。後が無いのは変わらないなら、前に出るしかあるまい。
「全軍突撃! 押し返せ!」
チャルメラを吹かせる。龍人が吠え、燃えながらでも前に出て逆襲を仕掛ける。もう少し早く、第一線を爆破した直後に出れば良かったな!
逆襲は効果があり、有利な白兵戦、敵が友軍誤射を恐れる混戦に持ち込んで一挙に押し返す。
剣盾兵が盾で殴って剣で刺し、後ろから銃兵が肩越しに撃ち掛ける。軽装歩兵などこんなものかと殺戮。あの魔族兵相手でなければこんなもんだ……まだ奴等を全滅などさせていなかったな。後から来るか?
第一線まで押し返し、更に水路まで叩き落とし、対岸で待ち構えていた騎馬砲兵隊と目が合う。こいつらが前進用の予備砲兵か。
放たれたのは缶式ぶどう弾。我々の甲冑を容易に撃ち抜き、勢い足りず当たり所が良くても凹ませ、中の肉を潰して骨を砕く。盾で防いでようやく勢いに転ばされる程度で済む。そして一斉射で終わるわけもなく、装填発射が繰り返される。
騎馬砲兵は追い落とされる前の味方ごと撃ち殺した。首都を奇襲された上に神霊の如き魔神代理にまで危害を加えようとした敵相手、その程度の被害は許容範囲か。それもそうだな。
そして第三波の突撃がやってくる。
『ズィブラーン・ハルシャー!』
波状攻撃は何度もやってくるものだ。
先頭に立っている顔の青い魔族、妙に泣きそうな顔をしてこちらを見る。目立つ青肌、シャクリッド州総督ベリュデインか。かなり嫌な雰囲気で、目が合い、遠くから拳を振るって来た。更に嫌な予感がして後ろへ、這い蹲るようにして飛び退いた後、自分の近くにいた兵士がほとんど甲冑ごとべちゃりと潰れて瓦礫と団子になっていた。恐ろしい術だ。術なりの論理も全くわからない、理不尽さだけが感じられる。
遠距離からの術だったがあれにも術妨害が効いてない。無視して使える技量もしくは押し退けるような圧力がある上、気軽にああも避け難く殺してくれるとは。とんでもない敵だな。あの程度の化け物がまだまだいるということか。明日まで持ち堪えたら何がやってくるか分からないぞ。
「第二線まで引け! 飛び道具は拾っていけ!」
チャルメラ手が今の術で潰れたので大声で指示。幸い、今の言葉を繰り返して叫ぶだけの士官は残っていた。
第三波待つ。
待つ。足音はする。ゆっくり、慎重に、転ばぬ歩調。
待つ。砲声がする。砲撃に合わせるらしい。
風を切る砲弾、着弾、爆発、弱い? 臭い、まさか、硫黄臭、悪臭剤、毒瓦斯弾か!
防毒覆面、装備していない。魔都でそんな、いや、失敗、酷い失敗だ!
目に、鼻に、喉に来た。爆発続く。
呼吸を止める? 何時まで堪える? 痛い、咳が出る、腫れた鼻に喉に目から血が出る。染みる、熱を感じる痛さ。まだ息を我慢する? 隅に残る綺麗な空気を探って、豚みたいに鼻を突き出して這い蹲る羽目になる。何時までだ?
親衛軍の行進曲と足音は続く。瓦礫を蹴ってる、第一線越えて来たな。
術妨害を停止して術で硫黄毒を拡散させるしかないか? いや今、術妨害、掛かっているのか? 目鼻喉を焼くこの薬を吸いながら術は使えるか? 使えない。
隣の部隊が丸ごと何かに潰された。龍人の甲冑も肉体も、紙くずのように平らに潰れる。次々と潰れていく。自分に当たっていないのは偶然。
集団魔術も使えるようになってるな。熱風の術を食らったら全滅……逃げる。第三線まで逃げる。
サウ・ツェンリーは鉄亀と龍甲兵の死体と蔦が絡まった壁の内側だ。この近辺、空気が清浄である。安全圏か?
蔦の壁に寄りかかる。正直、立つのも辛い。息も辛い。鼻息を噴いたら血飛沫が飛ぶ。
第一線を越え第二線に親衛軍が迫った。皆、防毒覆面を付け、小銃など持たず、手には重小銃や火炎瓶や火炎放射器、そして燃える刀に、魔術剣。
硫黄毒に中てられた残る龍甲兵が拙く抵抗しながら焼かれて死んでいく。完全に健康な状態ならまだ抵抗出来ただろうが、目鼻口から出血するあの症状と合わさって呼吸もままならず。どうにもならないか。
何故防毒覆面を持ってこなかったのだ。忘れていた? 長距離行軍を考えて装備は最低限と考えたのも一因だが、まさか敵が魔都内そのような兵器、使うとは思わなかった。何故なら民間人に巻き添えが、と……笑える。民間人は丁寧に追い出した後だ。敵も今更撃ってきたのは民間人が周囲にいないと気付いたからだろう。何分初めての龍道龍脈経由の首都直撃だ。不備もあろうというものだ。
「施術、完了しました」
まさか、今か。丁度良いのか、強引に間に合わせたのか? サウ・ツェンリー。遅いのか早いのか、理解出来ぬ複雑な術なので文句も理不尽にしかつけられない。
蔦の壁が解け、持ち上げられた龍甲兵の死体がボタボタと落ちる。
巨大な火鳳の卵。弱く赤い火を纏って揺らめかせ、その色を強い青にと変えて燃え上がる。熱い、目が潰れるかと思った。熱の範囲から逃げる、距離を取る。
炎が表面で回り、複数の流れになって何か卵型ではない別の形を作っていき、そして殻を割るようにではなく閉じた翼を広げ、冠羽も王者の如く、偉容の大鳥が首を上げて高く「キェーン!」と鳴いて火柱が上がる。周囲の粉塵が炙られ火の粉になる。
これは美しい! 絵に描いて残さねばなるまい。この身体の目が潰れてでも焼き付けよう。しかし近寄ってはいけない。サウ・ツェンリーは既に姿を消して退避した後だ。
鉄亀に龍甲兵が焼ける、燃えて赤熱、焦げるどころか融解に至る。
瓦礫も土も焼けて赤熱、融けて滑らかに見せる。
龍行軍を焼き、親衛軍を焼いて、火薬を爆ぜさせ、燃料を爆発燃焼させる。火鳳が地を離れようと翼を羽ばたかせる度に炎が波に広がって熱風が焦熱させていく。
船が燃え、水兵海兵が川に飛び込む。艦砲誘爆、弾薬庫引火、爆発四散、船の破片が宙で焼けて火の粉を増す。
砲兵隊が焼ける。弾薬が誘爆。砲身が赤熱して曲がり、砲台が潰れる。
包囲部隊が焼け、悲鳴を上げて逃げながら焼けて倒れる。
勝ったぞ!
逃げる。自分のことなど、侵略者などもう構っていられないと逃げる敵の背中を飛び越し、建物の屋根伝いに跳ねて、火鳳の美しい破壊の飛翔を見守る。
サウ・ツェンリーめ! これを見ないとは一生を捨てるぞ。
火鳳は燃える滝のような尾羽を長く引き、羽ばたいて魔都と敵軍を焼き尽くす。その身の金属も潰し、岩も土も融かして骨肉も灰とし、空まで熱気で歪ませ異界と化す熱風は仙術最高傑作!
これは絵になる。死んで帰ったらしばらくは画房に籠るぞ! ゴルゴド霊廟も描かねばな……焼失するから責任を持って描いて、写しも作って魔都に進呈しようじゃないか。再建に使いたまえ。
我々が死力を尽くした魔都中心部、熱風に変色して潰れて火災すら高熱に消されて潰れる。
火鳳、目覚めからの寿命は非常に短いと聞いている。己の身を霊的燃料として燃やし尽くしてあの至高の熱風を生み出すのだ。であるから魔都中心部に我々は直接現れた。寿命が長ければ安全を考え、隠密行動にて、敵軍が展開し辛い魔都郊外のどこかでも良かった。対空迎撃の可能性はなくもないので陽動は必要だろうが今のように全滅覚悟で戦う必要は無かった。
火鳳は一旦飛翔し、限界の高さ――鳥にしてはやはり低い高度――まで舞い上がり、そしてゆっくりと翼を広げて滑空に入る。これからなめるように魔都を焼き尽くす。
広い魔都。メルナ=ビナウ川の分流地点、魔神代理がいる御所。魔神代理領共同体の物的、精神的、経済的中心地。これを焼き払う能力を見せつければ、どこからともなく奇襲攻撃で行える能力を見せつけたのならば、無茶な要求をせずむしろ温情的にすれば彼等は必ず和平条約締結に合意するだろう。
またこれと同じ作戦など、あと何年掛ければもう一度出来るか分かったものではない。だがまた出来ると虚勢を張った時、頷けない首があるか? 虚勢が虚勢であると見破る方法は?
これで魔神代理領を脱落させ、その経済頼りに作戦を続ける帝国連邦を引かせ、そして哀れで愚かなソルヒンの偽帝国を討つ。
魔都が焼け、そこに予備待機していた後衛の親衛軍に魔族軍も焼け、逃げ散って隊列などあってものではない。大勢の敵が逃げているが直に大旋回に滑空している火鳳の熱風に追いつかれるだろう。直接の熱風ではない、高熱に煽られた熱い風が吹き続ける。
ラーシャータ区は瓦礫と死体が溶け合って潰れた。今はもう一塊となり、熱が引いたら奇妙な硝子の塊となるだろう。
パルサザール区は燃えやすい商品から発火していって、焼けて溶けて潰れた。
ダーマルズ区とアリーディーフ区の大きな建物は跡形もない。マムサルルに熱風が差し掛かって焼いている最中である。重要書籍は退避出来たか? 今、運び忘れた紙が燃え尽きているぞ。
それら近隣区の燃えやすい木や草、船、外に出ていた布類は既に燃えている。
次はメルナ川を上って、分流地点へ向かって、ビナウ川に入って、そしてあの旋回の程度から、次は宮中区とサヒーファリヤの中間あたりに突入するだろう。魔神代理が、大宰相や閣僚達が住む中央政府庁舎が消える時が来たのだ。
マムサルル区が燃え尽きて溶けて潰れた。
メルナ川が煮立つ。水中に逃れた者も魔族も死んだか、流れに任せて泳いで逃げたか。
分流地点にある灯台が融けて曲がって潰れた。
ビナウ川が煮立つ。そしてあの黒い蔦、燃やし尽くす時が来た。
伸びた。黒い蔦、伸び上がって滑空中の火鳳を掴まえた。
「あれ?」
消えた。
食虫植物が虫を瞬く間に捕らえる速さで引きずり込んで消えた。
気が抜けた。
逃げ回っていた敵兵達も足を止めて、あれ? という顔をして、声を出している。
唐突だ。焼け融けた地上から上がる熱気がまだ空気を、熱が光を歪めている異様な光景は残っているが、空を旋回していたあの美しい、青き炎の大鳥がいなくなっている。
「あ!?」
と声がし、敵兵が自分を指差している。
気が抜けたお陰で落ち着きを取り戻した。龍道へ逃げ込む。
……魔都の戦い、終わりだ。
龍道に入れば現実の騒動も何も無かったよう。海上の嵐は海中にまで届かないという。
塩砂漠の上、逃げて来た距離分の遠くに龍行軍の生き残りがいる。若干の龍甲兵、死に戻り兵、龍馬、蛇龍、サウ・ツェンリー。虹雀は狩られた後か。
「ジンぶえぇー!」
こっちを見て叫んでいる黒龍公主が見える……何だあれは? 頭の悪い声など出して。
気の利く龍馬が走ってやってくる。それに乗って皆の下へ戻る。
「火鳳の働きを報告する。ラーシャータ区を中心に出火が無くなる程の焼き討ちに成功したが、あの黒い蔦のような、おそらく魔神代理と思われる異形に掴まり、飲み込まれて消えた」
「消えましたか」
そう答えるサウ・ツェンリーの目線、ラーシャータ区より宮中区の方角。魔神代理らしき異形が火鳳を掴まえ、龍道に入って魔都の難を防いだという可能性はあった。だがその様子は無い。
「龍脈は」
「可能性はあります。しばしお待ちを……」
「ジンジぇえ! 生ぎべべぼばっばぁ!」
黒龍公主が「あぶぅぅ!」と泣いて縋りついて涙に鼻水を垂れている。火鳳の姿を見届けたので退避が遅れ、焼け死んだかのように思われていたか。しかしこの顔面蹴りたいな。
サウ・ツェンリーがふらつく。龍甲兵が支える。
「……ん、失敬。たぶん今、一瞬、寝ました」
「その様子で龍脈入り、危険ですね」
「……ん? あ、何か?」
まさかの、十年不眠不休のサウ・ツェンリーが役立たずになる程疲労困憊になっている。龍甲兵が抱え上げ、龍馬の背に乗せると半目になって「えーと……」と言ってから頭を下げて動かなくなった。
元気の有り余っている黒龍公主に覗いてきて貰おうか。自分は倒れて寝たい。直接身体に弾も刃も炎も食らっていないが疲労と硫黄毒で辛い。
「殿下……」
黒龍公主の頭半分、何かにバクンと食われて千切れた。下顎を残して倒れる。死に戻り兵も一斉に倒れる。
何か、動く、首に来た、倒れる。手足、動かない!? 神経断たれた?
見えたのは斧を持った鮫? の異形。齧った黒龍公主の目玉付きの頭半分を吐き出す。魔族か!? こいつ、龍道に来れるのか!
目だけ動く。
龍甲兵、武器を構える。
サウ・ツェンリー、らしくもなくグガァと寝息を立てたと思ったらハッと目を覚まし、懐から拳銃を抜いて鮫頭へ射撃の構えを見せた。
そして鮫頭、水中にでも飛び込むように龍道から消えた。
どういう理屈……もしかしたらあの魔族、我々が龍道を出入りする様子を何度か見て要領を掴んだと考えた方が良さそうだ。我々に出来て、敵に出来ぬ道理が無いのだ。
龍馬を下りたサウ・ツェンリーが膝に肘を突き、倒れている自分に目線を合わせて。早口で喋り始めた。
「一つ、この魔都直撃相当の奇襲攻撃は今後も繰り返し可能である。また今回は準備不足故小規模で装備不足、拙いところが多々あった。次回はより苛烈に大規模に、しかも同時多発で行えると虚勢を張る。二つ、このような奇襲攻撃に備えて魔神代理領が今後、重武装の軍を臨戦態勢にて各所へ配置し続けることは軍事、経済的に困難である。ロシエはアレオン奪還を目指して動いており、今大戦の戦訓を得たエデルトを筆頭とする神聖教会圏諸国からの軍事圧力は日増しに確実に高まる。三つ、著しく東西中央にて不安を抱える魔神代理領が以前までのように経済の中心地として機能することは、戦時である限り保障されない。仮に魔都から中心地を移したとしてもそこに直撃が可能と嘘を吐く。四つ、東と中央の不安を取り除く方法は我々と和平条約を締結することにある。平和的な関係を維持するのならばこのような奇襲は有り得ない。戦後復興に移るか、これから何年も不安定であるか選択させる。五つ、和平の条項に帝国連邦軍への補給や協力停止を当然加える。あの冒険的な攻勢を支える兵站組織を維持出来なくなるようにすれば現在膠着している戦線を完全に停滞させられる。逆襲の機会も巡り、同時終戦も不可能ではない。最後に戦時疲弊、経済的後退の回復は我々との貿易復活で大きく補填可能。またこちらは銀本位制で、外に出せる金を多く保有していること。復興予算、貸出が可能」
これから和平条約交渉に出向く。そしてこれら要点を私は踏まえているので安心しろと言っているのだ。
「かの鮫の魔族についても可能な限り調査、研究しておきます」
龍道龍脈は我々の独壇場。それが崩れた時、この苦労を重ねた魔都直撃も影響力が減じてしまう。
目蓋が重くなってきた。眠い。
「後事、託されよ」
安心して死ねると思ったのはこれが初めてか。
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