第326話「組織、数量」 エルゥ

 龍元永平九年、新正月も過ぎて秋半の節に差し掛かる。

 新規に設定したバルラ・シュレ川防衛線とタムガル砂漠防衛線は停滞している。否定的にではなく、肯定的に守り切れていると言って良いだろう。ここから逆襲に転じて占領域の奪還が出来るのならば理想的であるが、そのような行動は机上での想定――必要があれば即時逆襲計画の始動は長期間を要することで出来る――に留まる。そのようなことは想定せず、防御に徹しているからこそ現状がある。

 あらゆる事態を想定し、一所懸命に注力した結果だ。旧レン朝時代ならば敗北の責任を取れと批難や処罰が待ち受けていたと想像に易い状況を過ごして来た。だがこの龍朝ならば、まだ腐っていないこの政権ならば防御専心のこの戦術に理解が示されている。憂いなく失地が許されてきた。非常にやりやすい。

 自分も部下の失敗に対して批判はするが処罰はほとんどしていない。失敗により学び、成長することに期待をかけている。

 ティーツン放棄時に酷い動きをした将軍がいた。しかし反省は促したが処罰はしていない。失敗は経験で、成長に繋がる。人材が育つ前に首を切っていては戦う度に軍が弱体化する。ただし責任感が欠如していたり、誤解ではない虚偽報告をする者は流石に斬首、見せしめにしている。

 決断の結果失敗した者は生かす。

 決断もせず、利敵行為を働く者は殺す。

 龍朝の軍法はまだまだレン朝時代のものを流用しており、この際なので新法草案もこの実戦を通じて作成した。具体的な整備は戦後に、他軍の法運用実態で照らし合わせた上でされるだろう。失敗した者を吊り上げて留飲を下げるための法ではなく、軍の改善を目指す法にしたいものだ。

 新規防衛線に対する敵軍の行動は、過激なものでも精々が威力偵察程度の攻撃である。大した損害が出ないからと言って油断することは当然許されない。

 威力偵察は防御体制を確認し、弱点を探るものだ。弱点が露呈した時、敵軍の攻勢が始まると考えるべきである。

 弱点を見せないためには兵士の集中力を維持する必要がある。疲れ果てて寝ている部隊と、精力旺盛に勤務をする部隊とでは当然の差がある。

 兵士達の士気と体力維持のために前線勤務、前線予備勤務、後方勤務、戦地休暇、都市休暇の五交代制度にし、それに合わせた補給計画に修正した。高地適応訓練は進んでいるものの、空気の薄い山岳勤務、生物が生きるに適さぬ砂漠勤務は心身を削る。二つ重なれば更に削れる。削れる環境はどうしようもないので、勤務で痩せた身体を休暇で太らせて戻すようにした。

 敵軍はもう本格攻勢を仕掛けて来ないのではないかという、希望的観測に基づくものの、将軍達からの意見がある。内容は一々尤もである。

 第一に、敵の補給線は長く伸び切り、計画的に実施した焦土作戦により荒廃している。

 第二に、ランダンの厳しい冬への備えには大量の食糧と燃料を必要とする。冬季は交通も麻痺しやすく、その分も考えて敵軍は蓄えておかなければならないのだ。戦闘用物資の搬入ばかりしていては自然に殺されてしまう。

 第一、二の理由により、敵軍は攻勢を停止し、多くの戦力を後退させなければならない。偵察によれば敵北方総軍は甚大な損害を被り、ランダンの都、焦土作戦により崩壊したサルラで停止している。北ランダン軍集団の撤退時には追撃戦力を繰り出していたが、恒常的な前線はサルラまでである。こちらが逆襲に出ないことをあちらも認識しており、多くの戦力を前線より後方へ後退させていることが確認されている。

 敵南方総軍も似たような状況で、焦土作戦と市街戦による崩壊したティーツンで停止している。彼等が弾避けのように使っている南ハイロウ軍は消滅し、ザカルジン軍は特にティーツンの戦いで大損害を受け、新たにプラブリーから山越えに避難してきたジャーヴァル系のシンラーブ軍が追加されているが、新しい集団を迎え入れることにより指揮系統、部隊配置はしばし混沌を強いられる。

 第三に、終戦後を見据えてのことだろうか若い兵士を後方にさげ、老いた兵士をあからさまに前線へ配置し始めた。帝国連邦は老人を優先的に死なせて若い世代を温存する効率的な戦い方をする傾向にあるが、それが顕著になってきている。ある種の消耗抑制策を取り始めているということは積極戦闘の回避と取ることも可能。

 しかし同盟軍相手にも容赦の無い用兵を強いる南方総軍司令ゼクラグの性格を考えれば、補給や維持をある程度無視した攻勢があると想定しておくべきだろう。北方総軍からは、逆襲を恐れないことによる前線兵力の全投入、南方総軍からはシンラーブ軍全消費前提の攻勢、これらが有り得る。

 油断したい、休みたい、他の戦線を全力で支援したいという考えを将軍に辞めさせる。前提が崩れることは何時でも有り得る。

 まず次の冬が厳しいとは限らない。前の冬が万年雪も解かす程だったから、今年は均衡を持って厳冬だろう、などということはあり得ない。天候の移り変わりには人智が及ばぬ。何があってもおかしくはないのだ。ランダンの厳しい冬が優しくなってしまった時、ますます敵の攻勢開始が現実味を帯びる。

 帝国連邦軍の補給体制は効率的である。多数の家畜を持っていて輸送能力が高いこともあるが、小人達に加え一部の人間が人肉を食らうのだ。通常の軍では末期状態に追い込まれなければ有り得ないが、奴等はそれが常態である。加えて犬や豚に鳥、ルラクル湖での養殖魚にも食わせて太らせ、人肉食を忌避する者にも配慮。そして草食家畜飼料にも人肉骨粉を使用する体制が出来上がったそうだ。真似出来ぬが感心してしまう。

 南ハイロウ軍に対しては配慮されず、敵と味方の人肉を食らうことを強要され、それが嫌ならば撃破した部隊から略奪しろということで一切の食糧供給がされなかったという情報がある。布華融蛮策の先駆けとなったバフル=ラサド氏は負傷しながらもまだ生きているという情報があるのできっと、彼も食らったのだろう。

 ザカルジン軍に対してそのような仕打ちがされたという情報はないが、シンラーブ軍に対してそのようなことが無いとは断言不可能。補給事情が悪くても、常識を越えた攻勢を実行してくる可能性が依然としてあるのだ。寿命の短い老兵で実質的な消耗抑制をしているというのも、体力の有る若い兵士を次の攻勢に動員するために休ませているだけという可能性もある。

 一方のヒチャト回廊防衛線であるが、未だに懸念しているのは、捻じ曲げたコショル川を主な水源にした巨大人造湖である。十分な数の対洪水用の放水路を建設して整備体制も確立した。また龍行軍が決死で堤防の一部を破壊して水を抜いて洪水の発生を延期してくれた。しかし堤防は堅固な防御線も兼ねており、その奪取に失敗し、その全面に軍を配置して対峙を続けることすら出来ていない。つまり、また貯水が始まり、洪水危機が訪れる。

 隙を窺って堤防へ肉薄して破壊工事を行う規模、装備、練度が必要とされる。前回行った堤防攻撃の反省を踏まえた上で再編を果たした西克軍を再度派遣する準備を整えている。春の雪解け水が発生する前までに何かをしなくてはならない。

 秋の内は堤防直前までの道路整備、補給基地の拡充、攻撃準備に充てる。

 冬は厳しいので基本は秋からの攻撃準備の続きとする。冬の悪天候の隙を狙った破壊工作も狙いたいが、凍った水は流れ出さないので、その点は凍結の具合を探らせて現場対応させるしかない。

 春の雪解けが始まった直前直後までには、多少の被害を出してでも堤防の破壊を狙い、洪水を放水路で対応出来る程度に抑えておきたい。

 しかし、そのあるとされる洪水の規模が全く不明であり歯がゆい。もしかしたら我々は、何も手を下さずとも一切の被害が発生しない幻影の洪水を恐れているかもしれないのだ。敵軍が多大な労力を払って工事をしているという事実。対アッジャール戦、対ロシエ戦時に洪水戦術が多大な戦果を上げたという事実に圧倒されているのかもしれない。

 幻影ではない懸念もある。機関銃という連射銃兵器が配備され始めていることだ。ランマルカ製で、我が軍の評価では一つあれば百人の銃兵に匹敵する。研究が完全ではないのでそれだけではないだろう。

 世界の脅威、宇宙の悪であるランマルカと帝国連邦は兄弟のような存在である。彼等には永続的軍事革命という思想があり、新兵器開発速度が尋常ではない。ランマルカが開発し、帝国連邦と共に実戦運用を通じて研究を更に進めているのが現状。今、我が軍が使っている軍事技術はエデルトより輸入した物が大半であるが、そのエデルトもランマルカより学習したのだ。後塵を拝している。

 兵器で敵わないならば組織、数量で勝るしかない。

 高地養兵制の草案を練っている。基本的には西克軍編制時の工夫を発展化、制度化を目指すもの。

 高地は生産力が乏しいが過酷な環境、薄い空気により強兵を育てる土地である。そこへ補助金、食糧を出して生産力以上の人口を養い、その分を兵隊とする。原住民は少数で用が足りぬので兵士の定住化、移民募集で補う。同時に辺境文明化により敵方への離反を防ぐ。物流が辺境にまで行き届くことにより交通網が強化され、平時から運用されることによって最効率化がされ、戦時にも活用出来る。

 昔より辺境に屯田兵を配することはあったが、自給自足を旨としていたので職業軍人として中途半端であり、農業が出来る土地にしか配せなかった。それを軍事的に先鋭化させる。ただ軍を駐屯させるのではなく、辺境防衛に有効な愛郷心も育むために家族も住まわせ、最低限の自活をさせる。

 高地に限らず沙漠に適用しても良い。沙漠養兵制では、帝国連邦に感化されないような文明的な遊牧兵を育成して騎兵戦力の原泉とするのが良いだろう。

 双方合わせ、僻地養兵制と名付けようか。これは離島や辺境沿岸部にも適応し、優秀な水兵の育成、沿岸防衛の強化が出来るかもしれない。海軍は専門ではないので専門家の意見が必要だが、水兵になる前から、幼少時より沿岸漁業などで海に慣れ親しんでいれば質の程も違うのではないか? 陸軍以上に海軍は専門家集団である。幼少時より高い素養がある集団を管理して抱えていれば、例え前内戦時のように一度海軍が壊滅したとしても、また復活するまでの時間を大幅に短縮することが可能だろう。

 僻地養兵制を実現させるためには中央に相当する地域が強大な生産力を保ち続ける必要がある。

土地開発、農業振興は当然のことで、自分が何か入れ知恵しなくても既に進んでいる。更に推進させるためには男性の兵役義務、女性の労働参加が必要だろう。これは旧来的な伝統を崩す必要が見られる。

 お家の存続を重視する家族制度では家長の跡継ぎは兵士に出さないという考えがある。これは徴兵人口の減少に繋がる。多少はその考えを秩序維持のために尊重するにせよ、予備役登録をして非常な劣勢時には有効な戦力として動員出来るようにしておくべきだ。

 女性は家内労働に従事すべきで、外に出たとしても家業範囲内に留まるべきという考えがある。双方捨て置けぬ仕事であるが、女手が余っている家庭は必ずあるだろうし、事情により女性単身家庭か、男性が人事不詳である故に外に働きに出かけなければいけない女性がいる。これらを風聞で愚か者、恥知らずと呼ばれぬ労働者として地位を確立させて募集、就業させ易い環境を作るべきだ。

 強大な軍を作っても効率的でなくてはならない。汚職を防ぐため、僻地軍の人員は定期的に人事異動させると良いが、これは軍事に先鋭化させることで屯田兵のように土地持ちとしないことで可能に出来るだろう。自分の土地でなければ自活のための労働意欲も減退するだろうが、それは中央からの給養でどうにかすれば良い。経済的に中央へ依存させ、独立化も防げる。

 辺境の軍が独立軍閥化することを防ぐために対立勢力として按察使を、警察能力を強化する必要がある。軍と戦えるだけ重武装化をしなければならない。そのために予算を確保しなくてはいけないが、まず手付けの口実がいる。軍部の警戒心を煽らない内に戦力を強化するには反乱勢力鎮圧という名目が相応しい。

 本土内ではレン朝復古宣言詐称に騙されて武装蜂起をした者達が散見されるので、それを叩くのは軍ではなく警察の仕事としたい。

 死刑と族滅、辺境や新大陸への移住、北征南覇に纏軍への編入、両金道への逃走誘導、諸々でかなり旧政権派の数を減らしたがまだまだ根深く生き残っており、現実的な脅威である。それに対して警察だけで対処しようとすれば軍部が介入しようと口を挟んで来る可能性がある。その口を塞ぐためには最前線へ全兵力を張り付けるように取り計らわないとならない。前線ではない中央には軍の管理部、補給部に憲兵、訓練中の新兵にそれらを育てる教育部隊、休暇中の部隊がおり、一線級ではなくても十分に戦力として存在する。この中央残存諸部隊を前線へ送り出す口実が必要。全てを送り出すのはあり得ない話だが、口を挟む余地を無くす程度には必要。

 彼等に政権転覆の兆しがあるわけではない。戦時に内輪揉めなど愚の骨頂であるという考えは至極尤もである。だが自分が考えるに、軍部への統制はまだまだ足りない。

 帝国連邦のような常識の通じぬ敵と戦うためには温情が通ってはならず、不要な伝統は改めなくてはならない。冷徹に将兵を工業的に作り出しては戦地へ事務的に送り出し続け、損害に一憂も戦功に一喜もせず機械的に只管戦闘へ邁進出来るように制度を固めなくてはならない。

 西方防衛をしながら、適宜掣肘して軍部の行動を制限し、法整備草案をまとめよう。今日と明日のために。

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