第323話「龍道、龍脈」 セジン

 目を徐々に蝕む赤ぼんやりとした灯りに目が定期的に眩むようだ。そんな赤い泥濘に覆われる果て無き隧道、龍脈。音を吸い込む泥が耳から脳まで麻痺させてくる。

 長期、長距離行軍を支えるのは一番に訓練された龍人軍楽隊だ。太鼓を叩いて笛を吹く、これだけで心持が大分違う。この果てしなく思える道のりを正気で越えるには音楽が不可欠である。飽きぬだけ用意された行進曲はエデルトで編曲されたものばかり――かの国を参考に作られた新曲もある――であるのが少々癪に障るが、天政には軍隊行進曲とはっきり呼べるようなものは無かった。典雅な宮廷音楽ならば量質共に負けぬのだが、歴史的に文武どちらに偏重して来たかで差が出るのだろう。

 龍行軍の編制は龍甲兵四万、龍馬騎兵一千、蛇龍騎兵四百、鉄亀三百、馴虎二百、虹雀五十、軽砲二百門。その先頭を行くのは龍馬に乗った黒龍公主。目的地までの道を知る唯一の人物だ。彼女は初めの頃こそ”あんよが上手あんよが上手”などとふざけ半分、激励半分に先導していたものだが、最近では疲れた顔で全く冗談の一つも喋らない。

 先頭側で黒龍公主の名代という立ち位置で総指揮をしているのがム・ヤン将軍。妖怪ウータイマースーに片腕をもがれ、しばし負傷療養に姿を見せていなかったが出発前に何とか、隻腕ながらも動けるまでに回復した。あれと一戦交えて生き残ったというのだから相当な使い手である。

 中間で龍行軍全体を実質管理しているのはサウ・コーエン将軍。元は西克軍の司令だったが、大軍指揮には優れた将軍が必要ということで龍人化の上で異動となった。術の素質があり粗製とならぬ将軍の数も限られているので、まま巡り合わせがあったと言えるだろう。

 そして最後尾にて、脱落者がいないか目を光らせる役目を自分、レン・セジン特務巡撫が龍馬騎兵の小隊を率いて負う。あの約五千歳は”ジンジン、面倒見良いからええやろ”とか言って指名しやがった。部下共の尻拭いをしろというのだ。あのババアめ。

 最後尾にはもう一人重要人物、サウ・ツェンリーがいる。鉄亀四頭を使って背に組んだ鋼鉄の輿、石綿の台座にはぼんやりと火が揺れる火鶴の卵が置かれており、その側にて方術で管理をしている。

 龍脈は左右に幾度も道が分岐する。幸いか? 上下にも複雑に分岐することはなく、基本的に二股なので迷う可能性は低い。目の前の背中も追えない程も精神に異常を来した龍人、霊獣が道を誤ることがあって、他人に注意を払えるだけ周りの意識が保たれていないとそのまま永遠の別れとなる。

 脱落者拾いに奔走することが難しい。基本的に常軌を逸した者達だけで編制されているので滅多なことで沼に嵌って抜け出せなくなることはいないのだが、いないものと思って巡回に手抜かりが出るといつの間にか定時で行う点呼で欠員が報告される。たまに寝てはいないのに失神したような状態で沈みかけた龍人、霊獣を見つけて救出することはあるのだが稀で、感覚的には無い物探しを延々と繰り返している気分だ。頭が変になりそうだ。

 龍脈というのは正体不明の不思議の力で長距離を縮地に短期間で移動出来る謎の道……脈と言うのならば流れである。ヤンルーから遠くウェイドまで一日であったのに対し、今回の目的地までの移動は優に一節を跨ぐ。確実に目的地までの最短距離を直進していない。

 懐中時計にて時間を見て日付確認をしているから昼も夜も無くても時を忘れること――見過ごさなければ――はない。既に龍元永平九年の秋始、新正月を迎えた……ああ、今迎えたのか。

「サウ・ツェンリー殿」

「何か?」

「新正月を迎えました。おめでとうございます」

「左様ですか。おめでとうございます」

 全くおめでたくない口調で気分だが、何かこう、特異なことは無いかと探っているところなので良いのである。

 新正月になったので伝令を使い、サウ・コーエン将軍に伝えて月餅を配布させることにした。生の餡ではなく、日持ちするように固く乾燥させた物になっているので保存食風に味気無かったが、龍人達の中には幾分か生気を取り戻した顔が見えてくる。

 元気が無いか、逆に叫び散らすかのように「新年おめでとうございます」と声が交わされる。喋れない粗製龍人も手を合わせるなり、色々と表現している。

 これで一度やる気が復活したものだが、果て無く風景もにおいも何も変わらない龍脈には直ぐに飽きが来てしまう。溜息が聞こえる。

 そしてしばらく……時計を見るに半日ほどか、馴虎が騒いで走り回り出すような暴走を始める。龍脈は感覚が鋭い者ほど気が狂いやすく、馴虎が一番先に精神的に参る。こいつらの限界が訪れた時が休憩の合図となっている。軍楽隊によりその合図の楽曲が演奏される。

「では……」

 サウ・ツェンリーが鋼鉄の輿から離れ、龍脈より龍道へと戻る間口を方術で広げ始める。管理する術者がいなくなった火鶴の卵が火を上へと伸ばし始める。鈍い鉄亀でなければ焼け死ぬように周囲が熱くなり、間口固定が成ったらまた管理の方術に取り掛かった。

 同じように先頭側でも間口が広げられ、前後の端から、現実世界に比べれば恐ろしく荒涼とはしているがまだ風景に変化のある龍道へと龍人も霊獣も元気良く進み出る。

 自分は尻拭いの龍馬騎兵を率いて、最後まで居残りがいないか見て回ってから龍道へ出る。

 自分は、単身だけなら現実世界、龍道、龍脈を移動出来るようになった。己が身を原子に分けて向こう側で再構築する感じを頭の中で描く――原子……バッサムー相撲を思い出してしまったぞ――そして幽地の底へ這い上がって元通りに組み上げる想像。これが感覚で捉えられるようになると間口不要。やれるからこそ間口を開閉する術の困難さを思い知らされる。

 赤と白の斑雲、霞まず遠近を狂わせる視界、荒涼たる岩石の砂漠と、時折見える水気も無いのに育つ正体不明の植物、これこそ龍道。とても気持ちが休まる風景ではないが龍脈の異常さに比べればすこぶる快適である。

 龍人も霊獣も疲れを隠さずに久方ぶりのまともに地に足、尻をつけられる地面で休みを取る。

 時計を見ての、定時で配布される菓子も配られる。味と香りが強烈に濃い嗜好品としての菓子で栄養面は考慮されていない。普通の食糧を運ぶ余裕は無い。

 龍行軍に参加している我々異形の種は全て食い溜め等、長期の飲食が無くても行動出来る体質である。皆、出発前に太るだけ食べ、行軍中は糞尿を排泄しない。異形故かそうしても耐えられ、体調不良も簡単には起こさない。ただ敵に発見されないよう、少数に分けて現実世界へ戻しては排泄をして体液全てを入れ替えるように水を飲んでは塩を舐めなければならないが。

 排泄と水飲みを終えたら今度は龍脈には直ぐに戻らず、龍道を歩いて進む。地に足つけて歩くという当たり前の感覚を忘れないためであり、別の――内部のどこかで繋がっているとは思うが――龍脈へ移ることも兼ねる。あの不思議の道を迷路に見立てたとしたら、法則を無視して壁をぶち抜いて終着点までの道のりを短縮する行為に匹敵する。

 龍道も龍脈とは違う意味で道が険しい。まず平坦なところは目標物が全くないほどに広いこともあれば、道と見做せそうな足場も無い地形が続くこともある。

 壁のようにそそり立つ山と言うか、正にそのまま壁が行く手を遮る。登れるわけがないので迂回する。滅多にあることではないが、山が比較すれば板のように薄いことがあるのでその時は方術で隧道を掘削する。

 逆に底までの距離が全く経験と勘で掴めぬ程に深い谷もある。方術にて岩の橋を架けられるような幅ならば良いが、そうでなければ進む先が見えているのに大きく迂回しなければならないことがある。谷の深さがまともならば橋桁も作れるが、大山脈の頂上から見下ろす麓程の距離があればどうしようもない。

 それから迷路のような小山と岩が連続して転がっているような場所がある。歩くにも跳び越えるにもただ立っているだけにも不便という有様。

 現実世界がいかに風雨や川、波、植物、大地の力によって削られて均されて平に作り替えられているかが良く分かる。

 そして塩の砂漠。歩けるところ沈むところがあり、何より少し踏めば雪崩のように崩れるところがあって足場を確かめないと渡れず、距離が遠ければ確かめる時間が膨大になるので渡らず迂回しなければならない。乾いているのに海と同等に通れない。平底船があればおそらくもう素早く動けるが、持ってきていない。それを作るような木材は周囲に一切ない。現実世界から持ち込み、運び続けるのは非現実的。休憩途中で戻れる現実世界の土地はほとんどが山と砂漠だ。そういう気候帯を移動している。

 塩砂漠にはどう作られたのか塩の柱があって押し並べて太い。塩の砂漠が崩壊するように崩れるのはあれが塩の天井を支えて構築し、空洞になっている箇所があるからだろう。

 遠くに見えるようで、巨大すぎて近くにあるような気もする塩の柱の一本が崩れてそこから連鎖的に塩の天井が崩れていくのが見える。崩壊の風圧に塩の砂嵐が巻き起こる。

 砂嵐は窒息の恐れもある。目鼻口に入らぬよう布を当て、方術でその嵐で身を守れる者は守り、出来ない者、霊獣は岩や鉄亀の陰に隠れる。

 息苦しい。塩のせいだけではない、風の風味と言えばいいか、普通ではない。薄いとも違うが何というか、不活性? そのような何とも言えない感じがする。そして塩に埋まらぬように隠れていても倒れる者が出てくる。吸えぬ空気でも塩の空洞内に閉じ込められていたか? まるで鉱山事故だ。

 砂嵐が収まった後は塩に埋もれている者の救助と、埋まっていなくても窒息で倒れた者達の蘇生。被害が出た上で行軍日程が狂う。

 先導役の黒龍公主がいつもの調子は一切なく、むしろ弱った様子で馬上にて塩を被った頭でうつむいていた。一人で調査していた時にはこのようなことが無かったか、無視出来たのだろう。今日この日が来ると考え、千年以上かけて調べ上げたらしいが、それなのにこの被害。万までいかないが龍人だけでも千人は死んでしまった。過敏な馴虎は半分にまで減る。

 シンザ僧正から聞いた龍道僧の苦労話を思い返すに、終着点が一応分かっているだけでも良い方だろうか? あちらは彼一人以外、先の見えぬ道を行って上で全員衰弱か過労か事故死らしい。


■■■


 また龍脈に戻る。またあそこに戻るのかと憂鬱な気分になる。馴虎など猫か犬かという有り様で、意志ある龍人達に擦り寄って鳴いてくる。甘えて何とかやり過ごせないかと知恵を働かせているのだ。可愛いことは可愛いが、虎共も戦力なので嫌がるようであれば担ぎ上げて連れて行く。

 本能と言うか、龍脈への拒否感というのは正しい認識である。進む度に皆の靴や足の裏のように心が削れていく。まるで無理矢理に引き込まれているかのように粗製ではない龍人の将校が騒ぎながら沼に沈み出す。その様子が遂に龍脈が牙を剥いたかのようで肝が冷えたが、引っ張りだすと簡単に抜けてしまった。引き込まれたのは身体でもあるが精神の方だった。

 このように狂気に負けた者は鉄亀に縛り付けて乗せる。鉄亀も作戦に備えた物資を大量積載しているのであまりやりたくない。弾薬を最優先に、鉄亀の体力も考慮して大きな櫓を組んで積んでいる。

 馴虎の衰弱が激しくなってくる。疲れ果てたように動かなくなり、沼に沈んでも抵抗すらしなくなってくる。休憩の時間ということになり、龍道に戻る。

 龍道に戻って地に足つけて休むのだが精神が以前のように回復せず、もう歩けないと動かなくなる龍人、霊獣が続出する。知性ある龍人将校ならばともかく、意識も怪しそうな粗製龍人ですら動きを止め始める。動けなくなったならばここで止めを刺し、龍人は霊獣に、霊獣は龍人に食べさせる。共食いはしない――当たり前だ――が、言い換えても仕方がないが友食いで何とか、腹に物を入れてこの精神疲労感を誤魔化せないかと試みる。尚、鉄亀だけはその辺の岩を齧って食べており、全く精神疲労の気配がない。

 久しぶりに嗅いだ生臭の匂いに気分も転換した。これ以降の歩みは前より倦怠感が無くなっていた。食肉用の霊獣という発想が無かったのが悔やまれる。まさか家畜のように霊獣を作るなどという考えを持つわけが、ここに至るまで出て来るわけがなかった。食肉とは希少性の欠片も無い下等存在であるという前提、常識があったのだ。まさか神話や昔話に出て来るような霊力帯びた獣を食べるために、とは考え付かなかった。霊的な牛に山羊はいるが、軍用には微妙となれば開発の手が伸びない。

 馴虎は全滅した。


■■■


 立ち上がるのが遅い龍馬を起こし、寝入ったふりが上手くなった蛇龍を叩いて龍道を進み、また龍脈に入っていく。皆、友を食ったものの大分痩せてきている。

 遂に意志も強かろうというサウ・コーエン将軍が歩みを止めて沈みかかってしまい、それを引っ張り上げて助ける。

「将軍ともあろう方がどうされた?」

「目が見えないのです!」

 半ば錯乱しており、友食いに? しかし置いていくような人物ではないので鉄亀に乗せて対処する。休んで治れば良いが。

 霊獣はあまり訴えることはないのだが、将軍の事例以降龍人から視力の急激な不調を訴える者が多数出て来る。龍脈入り当初からあった目のかすみ程度ではない。発症者は皆、痩せた以上に目つきが徹夜を幾度も繰り返したような、官僚登用試験当日か中日の受験生のごときになっている。

 急遽、龍脈に入って時間があまり立っていないが龍道に戻ることになった。視力異常者が回復の兆しを見せ、少数ずつ現実世界に戻すとすっかり治って来る。

 視力異常の症状が現れるのもある一つの限界点を知らせるものだったようで、気が付けば龍行軍全体の数が減っていた。

 脱落者の数を改めて、不眠不休の方術によりビジャン藩鎮節度使時代から一睡もしていないという精力集中力の怪物であるサウ・ツェンリーに被害を計上して貰った。その他の者達は思考力が落ちに落ちて物を数えるのにも子供のように指を折らねば計算が先に進まぬ有り様なので頼りにならない。

 数えた結果、龍行軍の軍容は龍甲兵二万七千、龍馬騎兵五百、蛇龍騎兵三百、鉄亀三百、虹雀五十、軽砲二百門である。脱落者は半数以上? いや半数以上は生きているか。思考力が落ちて本当に半数かも何だか理解出来ない。二の半分が一とは分かるが、百の半分となると、何だったか? 十桁台? 何か違うな。

 長期休養の必要が通常はあるが、我々が行う奇襲作戦においてはその暇が無い。現実世界で大々的に休もうものなら敵に警戒され、奇襲効果が失せる。また飢えの問題がある。龍道、龍脈の行軍に合わせて我々は皆食い溜めした栄養にほぼ頼り切っており、まごまごしていると飢餓で倒れてしまうのだ。お菓子には気付け以上の効果は期待していない。

 精神を慌てず休め、しかし急いでまた龍道から龍脈入りとなったが今度は先頭側、先導役の黒龍公主が座り込んでしまった。騎乗していた龍馬が力尽きて倒れた時に落馬したそうだが、落馬したまま怪我をした様子でもないのに動けないらしい。あの約五千歳、こんな時に何の心算だと文句をつけられるのは、疲労も何もない現実世界における話だ。

「どうされました?」

 一応、作戦のこともあるので声を掛ける。

「膝枕」

「は?」

 軽口を叩いている様子も無く、真顔で黒龍公主がそう言って来た。ぶっきらぼうに駄々を捏ねている風でもある。

「えーと……殿下? ああ、セ、せ、巡撫殿、お願いします」

 人の顔と名前も怪しくなってきた……この者、誰であったか……む? む、ム・ヤン将軍! うん、彼にも頼まれた。

 龍が強いこの身体の獣脚を折って座り、その大腿に黒龍公主の頭を乗せると安らかな顔で寝始めた。だがここは今龍脈、足を止めると沈むのだ。まずは一旦、次の分岐点まで黒龍公主を負ぶって歩き、到達したのならば引っ叩いてでも起こそう。

 龍道、龍脈、これは全く常人には使えない道だ。これで世界中どこにでも軍隊が送り込めればと考えるのは安直にも程がある。

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