第320話「龍鯨」 シゲヒロ
熟練船員でも躓く揺れ。階段でもないのに三点保持体勢。海面から突き出る恐ろしく巨大な角。
「総員戦闘配置!」
当直責任者の号令、警鐘鳴る。
鼓手が連弾で急かして各員配置へ走り出す。既に甲板へ砂は巻かれている。
「針路外せ、取り舵! 最大速、潮と風に合わせろ!」
とマーシム船長。
「取ーり舵!」
航海長に告げられ舵輪を回す舵長。
号笛を鳴らす掌帆長。
「総帆開け!」
「全砲門開け! 弾種榴弾、ビビって撃つなよ早漏共!」
掌砲長が怒鳴る。
また揺れ、海面から突き出る水竜より倍近い大きさの角。巨大な白い頭、海洋生物らしからぬ睨みつける眼力。
正体不明の怪物、途轍もなく大きい。大人の”水竜”と比較にならない。初遭遇時に、水竜の巣の経験が無ければ既に撃沈されていただろう。二度目の今、良く対応が取れていると思う。
「舵中央!」
「舵中央!」
船長指示で取り舵が終わる。船体左舷に傾斜、怪物が起こす波と合わさり船員が甲板を転がり、砂塗れの甲板を引っ掻き耐える。
あのような異形の怪物、繰り出して来るとしたら天政の妖術によるものだろう。どうやったらあんなもの作れるのかは知らないが、龍人が作れるのなら出来そうである。
また海面から角が出る。位置は船尾側、真後ろ。そして頭は出ず、角だけが出て、船尾砲の有効射角に入るか入らないか、海中へ没する前に砲撃、外れて海面を叩くだけ。一度頭を出した時にこちらの大砲の位置を確認したと考えて良いかもしれない。走竜の例といい、天政仕込みが加わって頭の良さは人以上と仮定すべきだ。
「船尾砲、弾種散弾に代えろ!」
「船尾砲、弾種散弾!」
掌砲長が号令、連呼で船長室の砲座まで繋いで砲弾の種類を切り替えさせる。
狭間銃を持って後甲板につく。イスカが船縁に付けた万力締めの銃座に備えて構え、興奮した口調で喋る。
「ねえシゲシゲ! あの角取ったらハゲジージの船より凄いよね!?」
「あれは折らなきゃ積めねぇな」
「えー」
船の航跡のみが続く。白い身体が青い海に映えそうで、全く見えない。水面下に白い影が見えないか目を走らせる。ダメだ。
我々ファルマンの魔王号は怪物から逃げるが、しうかし逃げ切ってはいけない。囮に走り回るのだ。
航跡から怪物ではなく、ヘリューファちゃんに乗った頭領が現れる。
「頭領どうだ!?」
「爆雷用意!」
「了解! 爆雷用意!」
「爆雷用意!」
将来の帝国連邦海軍構成員を乗せたルーキーヤ艦隊を守らなければならない。いつものように恰好良いファスラ艦隊を演出するためにはそうしなければならず、命を賭して船員一丸となって彼等を逃がす、送り届ける。そうすれば死んでも格好が良い。伝説になる。伝説になるために死ぬ気で仕事をしているのだ。やらない理由が無い。
竜大陸での一件以来、水竜対策装備に爆雷を用意してある。空樽に爆薬、仕切りを隔てて導火線と錘。導火線の長さで爆発時間、錘で水深を調整するのだが、爆破実験は少ししかやっていないからどうなるか分からない。とりあえず、船と頭領とヘリューファちゃんに影響が無ければ良い。
後甲板に爆雷が持ち込まれる……二つ。考案と作成、保存は別だ。竜大陸にはしばらく近寄る予定は無かった。
怪物を待つ。
怪物が来ない。
怪物って名前無しじゃあれだな。
「集中を切らすな! 奴は油断を誘ってるぞ!」
マーシム船長が怒鳴る。そうなのだ。イスカが無意味に空を見上げていたので足を軽く蹴る。
「分かってるって、もう」
船舷側に怪物が現れれば用意した大砲で撃つが、現さない。相手は分かっている。
船尾砲の射角が限界まで下に向けられ、角だろうが一発、脅かしだけになろうとも撃ち込んでやると用意がされるがしかし、海面からは少しも頭を出さない。相手は分かっている。
機関銃を二丁譲って貰ったのがあるので使いたくなるが、その機会が無い。接舷戦闘では効力大と見込まれているが、海中の敵相手には厳しい。
怪物は安全な水中から、角だけを出して船に穴を開けようとしている。もしかしたら船の竜骨や船底を少し曲げて足を鈍くしてやれば良いと考えているかもしれない。天政の小規模艦隊と、蛇のような龍と思しき生物に水上で騎乗している龍人水上騎兵が遠巻きにこちらを窺っているのだ。全速力を出してからは距離を離しつつあるが、まだ逃げ切ったとは言えない。組織的に追って来ると考えられる。一番の獲物であるルーキーヤ艦隊を追撃せず、我々、囮に引っかかっているあたりが間抜け風だが、あちらの詳しい事情が分からない限りは何とも言えない。敵を簡単に間抜けと断じるのは簡単だ。
戦闘中は医者の真似も出来るアラジ先生は船内に引っ込んでいるのだが、今回は外に出て来た。眼鏡の縁回りを抑えて鉢巻のように、乾留液で防水仕様にした布で巻いて強引に固めた変な恰好である。それから水に顔を突っ込んだ後のように濡れている。おまけに、変態趣味者のように全身を縄で巻いている。
「何だそれ先生」
「水中眼鏡だよ……頭領! 相手を観察する! 降りるぞ!」
「来い!」
頭領が手招き。
アラジ先生、まさかの出撃である。であるが声も身体も震えて、飛び降りようにも躊躇している。
「ただで死んじゃダメだよ」
イスカが先生の頬に唇をチュっとつけた。それをやると男は死ねる。
「おおりゃ!」
震えが止まった先生が飛び降りて、航跡、海中に没して頭領とヘリューファちゃんも潜る。
「鉤縄と竿を用意しておけ! 先生の回収準備だ!」
先生は変態だがあの縄の意味は回収用だ。最悪、肉と骨に引っ掛けてでも引き上げて回収する。
頭領が潜水する時と違い、頻繁に呼吸する必要がある先生のためにヘリューファちゃんが海面に何度も現れる。息の合う組だけならともかく足手まといがいる。
怪物の姿は船上から窺えないが、船と彼等の彼我距離を見るにしつこく海中から追跡し続けているようだ。怪物の姿が無いまま、浮上潜航が繰り返される。
そしてヘリューファちゃんが船に寄り添って海上に現れた。頭領が「拾え!」と手招き。船員が鉤縄を下ろし、死にそうに荒い息遣いをしている先生の変態縄に引っ掛けられて揚げられる。
「爆雷投下! 深めにしろ!」
頭領が怒鳴り、ヘリューファちゃんと船首側へ増速して回る。
「爆雷投下、深度目一杯!」
導火線を長めにして着火、錘には鉛以外にも砲弾を応急に入れ、後甲板から航跡に放り込まれた。
油断してはならないのでまだ狭間銃を構えてまま、後甲板から目標が現れたら撃てるようにしておく。龍人水上騎兵の奇襲はあり得る。
先生が海水とゲロを吐きながら、変態縄を外して貰いながらヒィヒィ喘いでいる。
過ぎ去った航跡の向こう、海面が膨れて揺れた。
全速力で離脱。
■■■
怪物こと、アラジ先生命名”龍鯨”とその支援艦隊の追撃からファルマンの魔王号は明確に逃れたと確認がされた。あの敵はおそらく、こちらのような雑魚ではなくランマルカの東大洋艦隊対策に準備されていた連中であろう。
離脱に成功した後に、我々が囮になっている間にジュンサン島沖にまで到達したルーキーヤ艦隊――どさくさに紛れて敵船を拿捕して隻数を増やしていた――と合流を果たす。座標を予め決めておき、洋上時計と天体観測を使えば海の迷子とならずに済む。
今日でマザキ出港より一か月弱が経ち、東へ針路が取れていない。東大洋艦隊制海権下へ逃げ込めていないのだ。
天候が安定して、直進出来ればクモイまでマザキから十日も要らないのだが、台風一過直後、荒天収まらぬ中で出港したので速足に進めなかった。台風を後追いする形になったので海が荒れたままだった。
荒天の鈍足の中、始めにマザキを封鎖していた天政艦隊とロウサ湾沖で遭遇してしまった。通常のアマナ本島北岸航路がこれで塞がれた。
敵と遭遇がし易い航路であった。賭けに失敗した。成功したならば最短距離で脱出出来たのだ。先導するファルマンの魔王号が警戒すれば事後対処が出来るので失敗分は織り込み済み。読み違えは良くあり、東大洋艦隊に期待していた意識もあった。
敵艦隊との遭遇後は我々が囮になっている間にルーキーヤ艦隊に別針路を取らせてから逃走。相手も東大洋艦隊を意識していたようで追撃距離は短かった。
次にロウサ湾北東、沖にあるカギ島の北迂回航路を取った。ここで龍鯨とその支援艦隊と初遭遇。天政海軍は極彩色の鳥を伝令に使っている可能性があり、受動的ではなく能動的な待ち伏せだった可能性がある
北岸航路を使っていなければ龍鯨とは遭遇しなかったかもしれない。読み違えは良くある。完璧に出来る奴がいるのか?
初遭遇が、先導していた我らがファルマンの魔王号でなければ不意打ちで撃沈されていたことは確実だった。水竜との戦いの記憶、何よりヘリューファちゃんの警告が明暗を分けた。
ここでまた同じく、我々が囮になっている間にルーキーヤ艦隊を季節の南風こと、弱めの台風と海流に乗せて北進させ、出来るだけ最高速度で離脱させた。
航路予定が変更された。一旦クモイに寄港して補給、休憩をした後にウレンベレ着という予定だったが、中継無しでウレンベレ行きということになった。両金道東岸航路、敵の海域を通るので補給、休憩が無い。平時ならヒャラン、ワイジュンと寄港地候補もあるが使えない。正直、途中で敵味方に関わらず船か漁村を襲撃して食糧と水を補給したいところだ。
合流した後に頭領がヘリューファちゃんに乗って、ルーキーヤの姉御との会合を済ませて戻って来る。
ジュンサン島沖で新たに得た情報としては、島内で内戦が勃発。龍朝政府軍と復古レン朝反乱群が殺し合いを始めているそうだ。また情報によればレン朝を帝国連邦が支援しているらしく、更に、流石に眉唾物の噂によれば旧東王領の都イェンベンが帝国連邦軍とレン朝軍に包囲されているらしい。
ジュンサン島は田舎である。確かで新鮮な情報を持っているような場所ではないが、内戦を起こす判断を下せるような状況には推移しているようだった。
以上を踏まえ、我々はワイジュン経由でイェンベンへ向かうことになった。帝国連邦海軍の仕事をするためだ。正直、艦隊を構成する船は旧式ばかりである。鋼鉄艦は一隻あるが、戦力としては奇襲作戦に一度使える程度だろう。
こういう目論見もある。いっそ、船を放棄してでも船員を全て陸に避難させ、帝国連邦陸軍に保護して貰うのだ。大事なのは船ではなく船員である。
一つ、危険な両金道東岸航路を行って安全なウレンベレへ入港する。
二つ、危険なワイジュン海峡通過航路を行って帝国連邦軍が包囲している可能性があるイェンベンに突入するという危険な作戦を実行する。
成功したら格好良いのはどちらか? 考えるまでもない。
■■■
「シゲ一大事!」
チンポに違和感。
吊り床で目を開け、横を見れば自分のチンポを掴んでいるイスカ。殴ってやろうか?
「……眠い」
朝に当直交代したばかりで眠いったらない。同室の奴が戻って来ていないから次の当直にもなっていない。というか、まだ寝転がったばかりで寝入っていない。
「チンポばっか起こしてないで目ぇ覚ましてよー!」
チンポ掴みながら肩も揺すってくる。こいつ、何掴んでるかちゃんと理解してるよな?
「出来たの!」
「先生との子供が?」
「ちーがーうーのー!」
「あっそ」
チンポを掴んでる手を払い、足を組んで目を閉じる。戦闘でも始まらん限り起きないぞ。
「起きてってばー!」
「ぐー」
「チューしたら起きる?」
「こうか?」
唇尖らせて、むーと突き出す。
「バカ、シゲ、チンポ!」
今度は腹を叩いてきやがる。野郎だったら顔面蹴飛ばしてるところだ。
「起きるの!」
「はいはい」
「はいは一回!」
うるせぇな……小便したくなったな。
せっつくイスカにケツを殴られながら便所で小便をしてから士官室ではなく、甲板へ行くとアラジ先生が作った鯨、水竜、そして龍鯨の骨格標本と絵が披露されていた。仕事が丁寧で、どういう生き物か分かる。骨だけだとやっぱり分からないが、肉と皮がついた絵があると違う。
「私も手伝ったんだよ!」
「知ってる。前から言ってたろ」
「先生、いっつもチンポ立ててたけどちゃんと作ってたよ」
「やっぱ変態だな。知ってる」
今更恥じる気も無いアラジ先生に皆の視線が顔と股間、それからイスカへと行き来する。
「キュイー」
ヘリューファちゃんも甲板に揚げられており、一緒に見る。お勉強しましょう。
龍鯨の絵は、全体的に胴の長い白鯨のようである。鯨に比べ、頭の比率が小さい。鼻の穴は頭に、鯨とほぼ同位置で肺呼吸の海洋哺乳類の系列。水竜なら鼻の位置は、所謂鼻先の位置にもう少し近い。
骨格標本で間接可動域が説明される。
尾は上下じゃなくて左右に振って動かすようで、鯨類ではなく魚や鰐の動きで尾びれは対応するように上下に付く。
胴体の大きさ、長さ、重さを無視すれば足だけは陸上行動も可能な形で、おそらく海底を這うように歩くくことが可能。また、海中ならば浮力で立つことが出来るので、浅瀬ならば海底に足を付けたまま頭を海面に出して呼吸しながら待ち伏せが可能である。
胸鰭に見えるのは水竜のような翼から変形したもので、腹鰭に見えるものは手から変形したもの。
顎は明らかに力強く、頑丈な牙と筋力で骨ごと噛み砕く形。魚を挟んで咥えるような細長型ではない。
海中での基本姿勢は泳ぐときでも頭を上、首から下を海底に下げている。海中でも巨体を水平に保つのは骨格のせいか苦手なようだ。そして浮きになる肺は上半身側に集中。
目の形から視野角が分かるのだが、目の周りを肉や皮が邪魔しておらず、目が出っ張っている。真後ろまでは見えないだろうが、かなり後方まで視野が、馬並みに確保されていると予測される。眼力が強いと思ったのはこれか。
「……かなり変形しているが、龍鯨は天政の方術か何かによって水竜が変化したものである。嗅覚はこれらに加え、水竜同等に鋭い。ゴミの投棄は相手にこちらの存在を知らせるだろう。基本的な対策は水竜と同じ。ただし、確実に龍鯨のほうが立ち回りが上手い」
アラジ先生が結論を出した。
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時間帯を調整し、我々はジュンサン海峡を夜間に抜ける。加えて台風とまではいかずとも、強風や雨、時化を待った。大きく揺れる船上から見える街灯りはワイジュンの都市である。リュ・ドルホン提督と初めて顔を合わせ、離脱次いでに一撃食らわせてやった場所だ。
夜を選んだが月明かりの程度までは選べず、多少は暗い海に光の筋が出来ている。ワイジュン港を見れば外洋船以外の沿岸艦が係留されている。櫂走式でまるで洋上の砦のような造りの木造旧型の楼船に、新型の帆柱も無い鋼鉄蒸気艦も見える。外洋船、アマナでの艦隊決戦に向けた艦隊は全て出払った後だと見て分かる。既にアマナ近海に到着していると思われ、ロウサ湾で遭遇したのはその一部かもしれない。ランマルカの東大洋艦隊の影響力、こうして見ると改めて凄まじい。
海峡を北進し、そのまま攻撃もされず、発見はされたかもしれないが追撃もされずに通過する。勿論こちらからは手を出さない。敵艦隊の規模が規模であるし、我々の目的は第一に船員の避難なのだ。
強風と高波に鈍足を強いられながら南進してくる天政の沿岸艦を何度も見かける。イェンベンが包囲されているという噂を証明するかのようだ。この行動の目的は艦隊をワイジュンに集結させ、帝国連邦軍を海軍力によって防ごうという考えだと思われる。陸軍もおそらくはイェンベンを捨て石にワイジュンへ集結しているだろう。如何にベルリクの大将の陸軍が強くても、守りを海から固めた海峡都市は容易に落とせまい。
龍朝天政の狙いは両金道の北部を放棄し、ワイジュンで防衛して持ち応え、アマナ海上で東大洋艦隊を龍鯨も使って決戦で撃滅し、取って返して大規模艦隊にて帝国連邦軍を撃破は無理そうだから拘束して別戦線で戦況打開。弱らせたところで反撃開始か……停戦交渉?
■■■
順調にジュンサン海峡を抜け、複雑な海岸線、無数の半島が突き出るミンラン湾へ入る。湾内の島々、半島部でも内戦が起きているようで、龍朝やレン朝、光復党の旗が入り乱れて立っていた。
ミンラン湾は、大昔から海賊のねぐらとして名を馳せ、レン朝勃興時には最後まで征服されずに抵抗を続けていた海域だ。それが今度はレン朝支持に反乱を起こしている。リュ・ドルホン提督が手懐けた、海軍というか水軍衆が動いて回っており、小規模な沿岸襲撃を繰り返して各地の龍朝所属の守備隊と戦っていた。
水軍衆、光復党の者達とは同盟関係にあるので対話を試みれば友好的に接触が出来た。そして食糧はあちらも戦いで不足しているが新鮮な水と、沿岸艦隊のワイジュンへの南進、イェンベン包囲の確定情報を貰った。そしてイェンベンを海上から攻撃してやると言ったら水先案内人もつけてくれた。
ミンラン湾を北進し、すれ違う龍朝天政籍船も数を減らし、巨大なトウ江河口部にある旧東王領の都イェンベンへと到達した。
湾と化した河口部の大都市は巨大で、こちらの艦隊は比べれば遥かに矮小である。だがその大都市を囲むレン朝と光復党の旗、そして黒い旗にわけのわからん白字の帝国連邦旗と、轟く巨大な大砲の砲声が合わされば、小艦隊だけでも止めの一撃にもなり得る。
イェンベンの敵守備隊は完全に都内、城壁内部へと押し込まれているのが観察して分かる。湾内各所にある沿岸要塞全てに帝国連邦旗が立っており、そこに砲兵陣地が確認出来る。敵沿岸艦隊がワイジュンに逃避したのはこれのせいだろう。陸上から好き放題に砲弾を撃ち込まれる状態では港にも河口部にも留まることは許されなかったのだ。後は、たぶんだが、蒸気艦などは石炭が必要で、石炭備蓄があって蒸気機関を整備出来るような施設がこの界隈ではワイジュンにしか無かったというところか。ミンラン湾での水軍衆の跋扈を許していたのもそのせいだろう。
ファルマンの魔王号が先行する。懐かしの妖精砲兵達に向かって魔神代理領旗を掲げて見せればあちらも手に旗を振って、小銃を掲げて応えてくれた。『ホーハー!』と喚声も上がる。
イェンベンの沿岸砲台は沈黙していると確認出来た。港へと接近。
「取ーり舵!」
航海長に告げられ舵輪を回す舵長。船首、左へ回頭。
「舵中央!」
「舵中央!」
船長指示で取り舵が終わる。右舷が港へ向いた。
号笛を鳴らす掌帆長。
「総帆閉じろ!」
帆が畳まれ、推力を失った船の行き脚が止まり始める。
「右舷砲門開け! 弾種榴弾!」
掌砲長が怒鳴る。
「撃て!」
そして脅迫に、海上から艦砲射撃を一斉射加えた。
十数発の榴弾、小さな商船程度しか残っていない港、灯台、防波堤に当たって次々と爆発、砕いて煙と削れた石埃を上げる。
この砲撃が与えた損傷は大都市の規模と比べれば遥かに矮小だったが、陸と海からの完全包囲という状況を知らしめるには十分だった。そしてイェンベンは間もなく降伏した。
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降伏し、帝国連邦軍ではなくレン朝軍と光復党軍――どうも指揮系統が違うらしい――が制圧したイェンベンに我々は入港した。久しぶりの上陸に足が喜んでいる。望んで選んだ海の生活であるが、陸地こそ人が住むべき場所だと歩いただけで分かる。
都内の様子からどうやら、皆殺しにしたり焼き尽くしたりしない代わりに降伏が認められているらしい。少々、信じられない。ベルリクの大将が包囲したんだぞ? いや、降伏したら寛容だったか。どうも噂だけ聞いてると行く先々で死体と廃墟ばかり作ってるような気がしてくる。派手な話ばかりが取り上げられるのは無理も無いが。
武装解除や抵抗勢力がいないか家探しが行われている中、大人数では騒動に巻き込まれるのでファスラ頭領、ルーキーヤの姉御、自分とおまけのイスカにハルアキくんを連れてイェンベン包囲を解いている最中の帝国連邦軍包囲司令部へと、光復党の兵士を護衛、案内につけて向かう。船長と先生は船の補給業務と、興奮した友軍から襲撃を受けないようにお留守番である。
都内であるが、思った以上に破壊を受けていなかった。昔の記憶を辿ればあちこちに砲弾が撃ち込まれ、死体が無数に転がっている光景が浮かぶのだがほぼ無傷である。破壊されたのは沿岸要塞部や、城壁回りの砲台だけだ。必要最小限の破壊で終わっている。
案内の兵士に促されて道の脇に寄る。跪くようにも指導される。何事かと思ったが従う。イスカが「なんでー?」とか言うが肩を掴まえて「争ってもつまらん」と促す。
「レン・ソルヒン陛下万歳!」
『万歳!』
「万歳!」
『万歳!』
「万々歳!」
『万々歳!』
凱旋行進である。レン朝軍兵士の隊列と、輿に乗ったレン・ソルヒンという女帝が城壁正門を抜け、大通りを練り歩き始めたのだ。輿の前で先導するように馬に乗っているのはリュ・ドルホン提督である。行進が通りの真ん中で止まり、出迎えた都市警備担当で東洋軍所属の将軍とイェンベン市長が平伏し、民衆に対して降伏したという姿を改めて見せた。
レン朝の行事、行進を見送ってから城壁の外へ出る。この様子だとまた天政は二分された形で暫く維持されそうだ。
見たことあるような、無いような帝国連邦兵の隙間を縫って包囲司令部へ向かう。大規模な征服や動員で兵士の数も種類も増え、装備も更新、見覚えが無い気がしてくる。
妖精は見分けがつかない。顔見知りがいても話になるかどうか。
獣人に主だった知り合いはいなかった。ニクールは見れば分かるが犬頭は見当たらない。
遊牧民は……「シゲか!? 痩せたな!」と手を振ってくれた。「おう!」と振り返す。覚えてる顔がある。イラングリの戦い以来か? こりゃ懐かしい。素手でアルルガン王の首をもいだことがあるし、サウ・ツェンリーに一太刀入れたこともあるから結構覚えが良い。挨拶してくれる奴が結構いる。それから「妹様が三十過ぎても独身でもう諦めてるぞ」とか、そういう話を聞いた。
アクファルに恋慕というか、嫁にしたら成り上がれると安易に考えていた若い頃が懐かしい。サウ・ツェンリーに串刺しにされ、瀕死になった自分を見て嬉しそうに笑っていたあの顔、忘れられない。あの女は今更だが頭がおかしい。ベルリクの大将の陰になっていたが、あれは大分おかしかった。
匂いがする。南洋諸島でも時々嗅ぐ時がある、ジャーヴァル風の濃厚な香辛料の香り。腹が減る。野戦食堂の方では妖精達に人間、獣人達も揃ってお行儀良く座って食べている。それから、配膳を受ける前に皆がうがいと手洗いを殊勝にもしている。清潔は良いことだが、水が勿体なくないか?
司令部天幕前に到着。目つきの悪いルドゥ、そして偵察隊が周囲を警戒中である。いつものように隙が無く、人間を加工した装飾で不気味な連中だ。イスカが思わずか、手を繋いで来る。ハルアキくんも姉御の身体にひっついた。
「ようルドゥ、生きてたか」
「大将が待っている」
気安く挨拶してくれる奴じゃなかったな。
司令部天幕へ入る前にファスラ頭領がズボンを脱ぎ、ルーキーヤの姉御にケツを蹴られて入る。ベルリクの大将の声で「おお!?」と笑い出しているのが中から聞こえた。
皆で入る。作戦地図が広げられた卓の席には、はっきりと老けてはいないが、雰囲気が若干変わったように見えるベルリク=カラバザルの大将がいた。顔も声も変わっていないと思うが、統率している人数が変わったか、貫禄が違うように思える。
「お!? おチンポお兄ちゃんだけじゃなくて姉さんにシゲもいやがるのか! おーおー、こりゃこりゃ、凄いな! やっぱ長いこと見てないと変わるな! チビっ子共も良く来たな」
変な霊媒師? 化粧のアクファルが自然な動きで拳銃を向けて来たので伏せて避ける。銃声。
「シゲくん何で避けるの? 私のこと嫌いになっちゃった?」
と言いやがる。化粧だけで中身は変わっていない……いや、ここまで過激だったか?
イスカが咄嗟に鴨足拳銃を抜こうとするので、両腕を動かせないように抱き上げて外へ連れて行く。一旦、頭に上がった血を下げなければ。
「ちょっ、シゲ、何なのあいつ!?」
「はいはい」
「なーにー!?」
外に出れば、吸っていた煙草を撃ち抜かれ様子の、びっくりしている奴がいた。そいつは頬に怪我があって、それが無ければなんだか甘い顔の色男である。
イスカを地面に降ろして「絶対に武器抜くなよ」と言い含めて「はいはい」と言わせてから再度司令部天幕へ入る。ルドゥと偵察隊連中が射撃用意をして背中にいるが気にしても無意味だ。
「戻って来たな。そっちのチビっ子を紹介してくれ」
ベルリクの大将はハルアキくんの顔を撫で回していた。
「ほら、自己紹介」
イスカの背中を軽く叩いてやる。
「うん。えーと、ファスラ艦隊頭領の、孫のイスカです……それからシゲヒロの妻です」
「アホか、親戚のおじさんだ」
イスカが、え!? って顔をしてこちらを見る。あれ、もしかして知らなかったか? 昔説明した記憶があるが、覚えてないか。
「イスカっていうのか。ファスラの孫ってことは……おー、似てるな。黒くてちっちゃいセリンみたいだな」
大将がイスカの脇に手を入れて持ち上げて目線を合わせる。
「ベルリクおじさんって呼んでいいぞ。俺はセリンの旦那だ」
「おリンちゃんの旦那さん?」
「そうだ」
「あ! 前に聞いた! おリンちゃんね、優しいの!」
「優しい? そうか、そうだな」
そうだっけ?
「とりあえず座ってくれ」
大将が膝にイスカを乗せて椅子に座る。こちらも席に付く。頭領はズボンを履く。妖精の給仕――こいつも昔からいるな――が「お茶の配給どうぞ!」とお茶を淹れて回る。
「さて、手紙で極東艦隊編制の話があったが、姉さん方は亡命で良いのかな。アマナは魂から捨てて貰うが、本当に良いのか? もしアマナ侵攻の機会があったとしても帝国連邦の方針に沿わなければ手を出すこともないし、勿論独自行動は許さない。死ねと言ったら死んで貰うし、沈めろと言ったら船は沈めて貰う。ギーリスの娘ルーキーヤ殿は本当にそれでよろしいか?」
「不束者ですがよろしくお願いします」
姉御が頭を下げ、続いてハルアキくんも下げる。そして大将が手を一度叩く。
「よろしい、歓迎します。さて、一応聞くがお兄ちゃんの方は?」
「このチンポのように一本立ち」
またズボンを脱いだ。何なんだろうなこれ。
「まあ、だよな。これからの予定を教える。ソルヒン帝がこれからイェンベンを復古レン朝の臨時首都に定めて、改めて王朝復古を宣言する。それから旧東王領全土を奪還し、中央に攻め入りたいと考えているらしいが、ジン江の防衛線は恐ろしく堅いし、我々の海軍力では沿岸から攻め入るなんてことは不可能。この復古戦争にまともに付き合っても泥沼、キリが無いから適当にしておく。レン・ソルヒン派の天軍、リュ・ドルホン派の光復党軍の権力争いがあるようだが、我々はレン・ソルヒンを支持する。今のこのイェンベン回りにはワゾレ方面軍とイラングリ方面軍がいるが、ワゾレ方面軍をこちらに残してソルヒン帝の後ろ支えにする。ワゾレ方面軍司令のジュレンカ将軍は女帝陛下と、おそらく唯一のお友達だ。仲良くしている。それからイラングリ方面軍と、ここより東部にいるユンハル軍は北上してジン江北岸に移動して敵主力に備える。こっちも敵もこれ以上攻めるのは厳しい状況だ。帝国連邦の目的である極東打通、ウレンベレ港の奪取も、そこまでの長い東西回廊も確保した。後はそれを維持するために戦い、講和を迎えるか、鉄道の接続で恒久的な支配を確立するか、両方かだな。ということでまず極東艦隊に命令する。ウレンベレ港にて艦隊保存。主だった行動を起こすとしたらそれは、ランマルカから軍艦を買い、技術を導入して最新式の艦隊を揃えるまで人員と練度を維持、向上させた後だ。そのためには何が必要だ?」
「はい。艦隊への補給とウレンベレまでの安全な航路の確保が出来れば良いですが、天政海軍の排除が前提となりますので難しいでしょう。提案としては船を放棄して人員は全て陸へ避難、これが確実です。イェンベンからジュンサンまでの陸路は遠くて狭い上に洋上からいくらでも支援を受けられる。レン朝支持の民衆蜂起が起きていますがそう簡単に金南道、東王領南部は陥落しません。敵艦隊はこれからもしばらく……恒常的に影響力を発揮し続けます。そのいつ来るか分からない陥落の日まで、このいつ海上から襲撃を受けるか分からないイェンベンに、我々の木造船ばかりの弱い艦隊で停泊するなど自殺行為です。それにレン朝の人間を信用する気にはなれません。我々を利用しようと、当然の論理を持って共同海上作戦など提案して来るでしょう。もう解散した、と言ってしまった方が面倒が少ないです」
「なるほど。それじゃああれだな……船の艦砲は全て降ろして陸軍用の大砲へ転用した上で、最近こちらに鞍替えしたユロン族にくれてやろうと思う。光復党の天龍艦隊とやらに実質吸収されるみたいなことになったら確かにつまらん。姉さんは大砲と弾薬の引き渡しの用意を……おっと、お兄ちゃんの方で装備が必要ならまずそっちを優先に引き渡してくれ」
「分かりましたが、我々は砲兵として加わらなくても?」
「その操船技術は後で生かしてくれ。まだ死ぬ時じゃない、陸じゃ勿体無い。まずは生存、それから訓練だ。海軍技術協力は北大陸極東担当の大陸宣教師アドワルと話をつけてある。まだこっちに到着していないし手紙でのやり取りだけで具体的な話はまだだが、後で一緒に会おう」
「分かりました」
「それでお兄ちゃんの方はどうするんだ?」
頭領がズボンを履く。何なんだろうなあの無意味な動作。
「補給が済んでちょいと休んだらアマナに戻るぜ。ランマルカの東大洋艦隊と天政海軍が決戦を控えている雰囲気だ。その前準備にかく乱しておこうと思ってる。一隻も撃沈出来なくたって掻き回せれば艦隊集中は万全じゃなくなるからな。それに仕留めなきゃならんのがいる」
「ほう?」
「龍鯨だよ!」
イスカが言う。そうかそうかと大将がイスカの頭を撫でる。子供なんだが、子供扱いだな。
「で、何だそれ?」
「こっちの博物学の先生が解析するに、水竜の大型亜種ってところだ。天政海軍所属の巨大な海の化け物、海中からデカい角で船の腹に穴開けに来る。大きさはそれこそ鯨大だ。ハゲの船についてた角の倍はデカいのを生やしてる」
「そんなのいるのか」
「それでだ、水中発破用の爆雷が欲しくてな、出来の良い樽と大量の火薬が欲しいんだ。ああ、それはルーキーヤの艦隊から貰えば良いか、そういうこった」
「じゃあユロン族にやる火薬はこっちから都合付けるか……お! そうだ、良いのがあるぞ」
大将が手を上げ、そこへ言葉無く連携したアクファルが見た目が呪術様式めいた鞘に収まった短剣を渡す。
「ベリュデイン州総督から貰った秘術式高熱短剣。駱駝のケツに一刺ししただけで熱死させられる逸品だ。正直、俺じゃ持て余してる。使ってみるか?」
卓に秘術式高熱短剣が置かれ、頭領へ突き出される。
「旦那にゃ貰ってばっかりだな。お礼にこのチンポでもどうだ?」
頭領がまたズボンを脱いだ。
「そんなおっきいの入らねぇよ」
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