第319話「来客」 セジン

 死ぬ心算は無かった。当然だ。

 名誉の戦死も避ける心算だった。あのはしたない身体は忌々しかったが、命と引き換えに捨てる程ではなかった。

 死なないように振舞っていた心算だった。どうせまた反魂受肉の仙術で復活できると侮っていたことは否定出来ない。

 これで四度死んだ。四度も死んだと認識出来るとは不幸中の幸いと言えるだろうか、それとも幸福中の不幸せか。言葉遊びに意味はない。己の間抜けが際立つ。

 新しい身体は異形であった。まるで魔神代理領の魔なる宦官共にも及ぶような異形だ。基本は龍人だが人の肌は無く全て鱗に覆われる。そして背骨の延長というよりは胴、下腹部の続きとばかりに太い尾が続く。脚も獣脚に爪先立ちである。幸いは手先が器用なままであること。爪を削る必要はあるが筆を持つことに違和感はない。鱗によって肌感覚が異様に鈍いと思ったが、手の平のような柔らかな部分は元に近い。

 霊山にてその新しい身体を試す。手始めに糞ババアが用意した厚手の股割れ下衣を薄紙のように引き裂いた。それから適当な岩を掴んでは持ち上げ、放り投げてみる。絶壁をよじ登り、穴を掘って埋める。敢えて不整地を駆け回り、足の爪で地面を掴んで捉え、尾を使い姿勢を安定させる術も身に付けた。身の躍動感、力強さが今までと段違い。全ての筋肉が確かに絞れて限界まで締まっている。今までが弛み過ぎていたように思えた。常人から龍人になった時に感じたことだが、この何と言おうか――敢えて名付ける必要はないが――半龍の身体能力は凄い。あの鴉面にも勝てる……気はしないな。あれは戦い殺すための専門訓練を積んだ上で経験も豊富な刺客だった。毒瓦斯砲撃に合わせた夜襲にて、司令官を首狩りにと仕掛けられる者が半端のはずがない。

 身体の動作を確認し、まともな衣服を何とか縫製して現実世界へと戻る。見た目は……中途半端で、龍の威厳より、獣に劣る冷血動物風なのが何とも言えぬ。やれ怪物だとしばし騒がれることを覚悟しなければなるまい。


■■■


 龍元永平八年、雲茂の節。今年の夏の暑さがいや増すばかりである。芸術照覧会でも熱に弱い作品の避暑が始まって、屋外展示の多くが屋内へと移される。屋外でも屋根や垂簾をつけて対応しているという。

 新しい出品を考え、絵にしている。兵士が目と指先、そして口語にて”天下の人民よ共に国難と戦え”と語りかける宣伝絵である。国策風過ぎて芸の凝らしようが薄いかと思ったが、他者を脅迫する精神効果付きの、台詞付きの絵というものも考えれば非常に面白い。かつて破廉恥絵にて情欲を煽ったものだが、今度は人民の団結、戦意の向上を煽る。戦いも長引き、損害も過多で天下の工場は全て戦争のために回り、大規模反乱勢力も現れる程に末期の気配がしている。総力戦というものだろう。

 宣伝絵で重要なのは量産性である。この原画は芸術照覧会に出品するが、印刷した物は天下中に配布したい。配布するような仕上がりにせねばならないと思えば中々、作成難易度は高い。今まで一品物として、理解出来る者が理解出来れば良いという絵とは隔絶する。まずは色を限定する。何万と刷ることを考えれば色は単純であることが望ましく、理想は白黒、もっと正確に言えば紙の色に関わらず明暗のみ、単色で描かれること。版画になるわけだからあまりにも細やかな線や虹が滲むがごとく色調は避けること。芸術的なのは勿論、精神に影響するようにすることも勿論、工業的にも優れた意匠としなければならない。これは難しい。原画を試しに描いてみて、あまり納得のいかない出来だったが、技術試しにそれを木板に刻み、塗料を塗って紙に押し当てて版画としての仕上がりを見てみると、こう、やはり描と彫の違いが如実に現れる。

「老兄、出来ました」

「うむ、どれ」

 反乱を起こした大罪人レン・ソルヒンの弟、シャンルが自分の画房に来て文字の練習をしているので見てやっている。八大上帝の有難い言葉を複数書くという基本的なものだ。

「良くなっている。その調子で励みなさい」

「はい! 老兄に指導してもらったおかげです」

「そうか」

 怪物である半龍の姿をした自分を兄とし、懐いた顔をする。皇族ならばそのくらいの胆力は必要、当然だ。

「ぼく、もうちょっと!」

「慌てて書く必要はない」

 世のどんな愛玩小動物も敵わぬのではないかと思われる白金髪の小人、ピエターことお豆様も同席し、天政官語に文字を書いている。筆の進みは遅いのだが、こう、画一的に美しい字を書く。そこには理知が感じられ、こいつ本当に黒龍公主に仙術――他人の意志を操るなど妖術邪術の類――で頭を弄られたのかと疑いたくなる程だ。

 レン家のシャンルが何の障害も無く自分の元へ訪れているのが不思議である。以前も、老いた体の時も文字の指導にと来ていたがその時は顔も分からなかった。目が悪かったのだ。黒龍公主がそういった人物とは容易に会わせる気が無いのだろうとも勝手に思い込んでいたことも気づかなかった理由である。

 今のこの良く見える目でシャンルの顔を見る度に血縁を感じる。シャンルだけではなくソルヒンとも会っていて、教育指導の機会あれば帝国連邦と結託いや、蛮族の手先になるなどという愚行には至らせなかったと思いたいが、過ぎたことはどうしようもない。

「お豆は字がとても綺麗ですね。どれも崩れず、同じ字が同じ字です。まるで印鑑のようです」

「えへへ」

 シャンルとお豆はまるで学友のように見える。実際のところは、お豆はランマルカの大陸宣教師という強い特権を持った外交官なので教養のところはおそらく、西洋式であるが自分より上であろう。官僚の中でも抜群の優等者なのだ。ますます怪しい。潜入工作員か? 黒龍公主の能力を把握した上で送り込んだなどとはとても想像出来ないが。まさか、同意の上?


■■■


 宣伝絵が出来上がった。天政官語は書き言葉だからこれだけで済ませれば良いと考えるのは浅はかである。天下万民に精神的衝撃を与えて戦時協力体制を意識させ、強固とするためには話し言葉でも訴える必要がある。

 東方言、ジュンサン語、ユロン語。

 西方言、西中原方言、ツァンヤル語、ランテャン語。

 南方言、南海方言、マナハライ語、ワンナン語、シンルウ語。

 北方言、内北山方言、ウラマトイ語、ユンハル語、マドルハイ語。

 外南藩諸語からカオマ、ウスウン、ヴラン、アシリ、ピナル、チャンプウ、ハウフル、東ギ、西ギ、カニ、マオトン、ハパ、クノ、オワ、キャッタ、ダームラ、グェンブン、ザトシャ、チンラ、アシャンマ、クモーロー、ルン、ビョモ、クリー、サン語。

 これらの言語にて語りかける。音と文字が対応していない場合は表意文字を表音文字に転用して表現した。確認を取るためにそれぞれに話者も――フウの奴は外南藩諸語について詳しく、助かった――招いて確認した。それぞれ地方で文字の発音が違うのでその点にも勿論配慮した。流石に文盲にまで読ませることは出来ないが、上からいい加減に見ているのではなく、ちゃんと個々の語集団まで目を配っていると教えてやるのだ。その行動、良く見ているとの脅迫でもある。

 全てを一面に並べて見比べる。これは会心の出来である。今まで書き言葉として残せなかったような言葉まで表記が出来ているではないか。これは音表記を兼ねる言語辞書編纂の機運が高まる。文武芸に秀でてしまうとはやはり、血統才能努力全てを兼ね備えてしまった天下一の貴人である自分が為してしまえる偉業よな。

 一気に多くの版画を作ってしまったので手抜かりが無いか慎重に確認していたところ、来客があった。通訳とお付きをぞろぞろと連れた、西洋から来た神聖教会の高僧である。あちらの人間の顔は目鼻と顎の形が珍妙で肌の具合も何やら病弱に見えてしまい、どうにも人間の言葉が通じるか怪しんでしまうのだが、その高僧は青白さと痩身の軟弱さが一層不味そう……いかん、肉体に精神が怪物に引きずられているな。

 青白の高僧が何やら挨拶めいた言葉を出す。フラル語らしいが、方言というか、言い回しがたぶん独特で良く分からない。階層毎に言葉が違うというのは珍しくはないが。

「何用か?」

 高僧の言葉に続いて通訳が訳す。挨拶は挨拶という意味で省略された。それか、通じているのが当たり前という高慢か。

「このお方はあなたの絵を買いたいと仰っております」

「売り物ではない」

「市場にて販売していらっしゃいます。更に欲しいのです。特にこのような……」

 すると通訳が取り出して見せたのは、販売用の光鵬天女降臨図の模写である。贋作作りの天才というのはいて、自作かと疑ってしまう出来、否、本物以上の雰囲気を醸すことすらあって、これは本物以上である。絵に生涯を費やした才有る者には中々敵わぬと思い知らされるところである。着想では勿論、自分が今天下、否、宇宙一であるが。

「それは私の絵ではない。原画ならば売らん」

「新たに描いて欲しい絵がいくつか、いくつもあるのです」

「人に言われて取る筆などない!」

 機嫌が良かったのにこれだ、西方蛮族め。帰れと手を振る。

 高僧と通訳はそれぞれ何かフラル語で言って帰った。お付きの雑魚共が何か言いたそうだったが知ったことか。


■■■


 文化文明、そしての粋たる芸術作品にて、北のみならず西の蛮族にまで乱された心を鎮めようと考えた。

 女の姿の時と同じように、中からは外を窺えるが、外からは中が見えぬ仕様となっている垂簾付きの馬車にて作品避暑済みの芸術照覧会場を訪れる。この異形は要らぬ騒ぎになる。

 半龍の姿は戦仕様と言えるが、平時用ではないことは確かだ。出発前に腹ごしらえと思って食事を取ったらまるで牛馬のように腹に収めてしまった。昔、宴の余興にと大食い芸を見たことがあるが、あのくらいを普通に食べてしまった。龍人達のように大食いはするがいざ絶食となっても長期間動けるだけの活力を秘められれば良いのだが……一度食い溜めが出来るのか実験しなければならないな。蛇や鰐は一度食べれば数日どころではなく絶食しても平気で、長期に耐える。数か月もの実験をしてはいられないが、そう、二十日程度は様子見を一度してみても良いかもしれない。水だけは飲み、身体も動かして観察だ。途中で無理が来たと思ったら中断すれば良い。

 会場は相変わらずの盛況ぶりで人がごった返す。そして変わらず、変態王子の特別展は行列が長蛇となり、兵士が交通規制を敷いている。全く、破廉恥絵如きにこの有様とは嘆かわしい……。

 まずは目当ての、両巡撫の作品を見に行ったのだが、サウ・ツェンリーの新作が無かった。方術の天才である彼女の農業界に衝撃を与える植物が無かったのだ。研究が行き詰っているのならばせめて普通の盆栽の新作が無いかと見て回ったが無かった。北征軍の編制に加え、龍脈の研究に、おそらくは黒龍公主の仙術の手伝いなどあるだろうから一般公開に手を回している暇が無いのだろう。さして戦も上手ではない――相手が悪いということもあるが――のだから前線から下げてはと思うが。

 ルオ・シランの新作はあった。南洋戦線は緊張しつつもある種の安定期を迎えているとは聞いている。余裕があるのだろう。出品は、透明な硝子の筐体の中で歯車や振り子、専門家でなければ見当もつかぬ機械が回り、反復して動いており、顔となる部位は文字盤で、その表層を三本の針がそれぞれ違う速度で、そして一定の調子で回り続けている。これは中のからくりが見えるようになっている時計だ。それも洋上時計であり、その台座の接地部は弓形となっていて端を手で押せば揺れるようになっている。揺らしても誤作動しないと示しているのだ。天政海軍で使っている洋上時計は全てエデルト製で懐中時計の大きさである。このルオ・シランの時計は家具程度の大きさで技術力の差は歴然と言ったところだがしかし、これも国産の目途がついたようなものだ。

 目当ての新作を見た後は会場を適当に御者に回らせた。避暑対策のせいで見辛い出品が多かったが、続々と各地から新作が集まり、そしてヤンルーにて製作されている様が見られた。自分が芸術界に新風どころか台風を巻き起こした雰囲気に乗ってかそれぞれ独創性に溢れた名品から珍品、とりあえず奇をてらっただけの物まで様々に見られた。大変に満足がいった。

 本当にこの流れが維持されて欲しい。真に、天に上帝に願う。実際のアレではない、概念上では素晴らしい龍帝にだって願いたい。戦争は早く終わらせ、そして末永くするべきではない。


■■■


 画房にて、次の新作は一体どのようなものにしようかと白紙に向かって思うまま、あまり物を考えずに描いてみる。何やら……何だこれ?

「老兄、これは妖怪ですね!」

「いや……」

 シャンルが絵を推測する。いや、絵とは言えないだろう。幾何学模様にしては意味も法則性も見いだせない。方や幽地思想を表記する新しい図像描画法だという言い訳は通用しないぐらい乱雑。

 何だこれ?

「多角形が八十八で曲線が二十!」

 お豆が答えを言う。え、そうなの?

「お豆、老兄はそんなもの描きません」

「でも、そういう構成だよ」

「それでは意味がありません。大望ある方はそんな馬鹿ではありません」

「でもでも、分解するとそうなるよ」

「でもでもじゃありません」

「うー」

 お豆が上目遣いにてこちらに答えを求める顔をする。シャンルは、どうだ、と勝ち誇り顔である。

 さて、何と答えたやら? こういう時は大人らしく、誤魔化して適当に流すべきだろうと考える。

「シャンルは何だと思う?」

「えっと……」

 時間稼ぎ。考える時間を確保。

 そして不測の事態の到来。

 来客である。またフラル語にて挨拶をする高僧に通訳、お付きの雑魚はいない。そしてお豆が高僧を指差し「旧時代精神の牢名主め何をしにきた!」と怒鳴る。酷い言い様である。

「何用か?」

 シャンルがまた何か言おうとするお豆の口を手で塞いで「静かにしないと駄目です!」と抑える。もがもごと騒ぎだす。

 フラル語でまた挨拶。変わらず西洋蛮族の言葉は分からない。遊牧蛮族のほうが人間の言葉に近い。

「こちらのお方は、神聖教会そして全神聖教徒の長にして聖なる神の代理人、聖皇レミナス八世聖下にあらせられます」

 聖皇だと? 西洋最高峰の人物ではないか。神聖教会関係者が渡来してきて禁城に出入りしているのは以前からだが、来賓の話などわずかたりとも聞いたことがない。龍脈伝いに来たのか? あの危険な道を? 秘中の秘を? 胡散臭すぎる。それにこの前、この通訳は名前すら明かさなかったではないか。後ろ暗いところがあるか、自分をなめているのか、どちらか。どちらにしても不愉快である。比較すれば一応こちらが格下となるが、素性怪しい者に遜る気は無い。

「それで」

「聖下はあなたの絵が新たな信仰の形に、帝国連邦に対抗するために必要と仰っております。どうかご協力を」

 それだけのためにわざわざ神聖教会の頭がここまでやってきているだと? 宗教画や彫刻、つまり聖なる御絵、御像で民衆の心を繋ぎ止めて総力戦体制の雰囲気を作る気か。宣伝版画を作った身としては全く効果が無いとは言わない。ただ真偽はともかく、外交使節ではなく直接聖皇が訪れて来る意味が分からない。黒龍公主はこのことを知っているか? 知っていないわけは無さそうだ。依頼するのなら本人に直接頼め、とは言ってそうだ。嫌なことにあのババアは自分の性格が分かっている。

 こいつらは光鵬天女降臨図の模写をこの前は持参していたが、ああいった神々しい絵を宣伝に使うためだけにそんな……これは仙術絡みか。天女みたいに変身したいのか、いや、作るのか? 仮に、西洋蛮族の宗教は詳しく知らないが、龍人や蛇龍に該当する神聖教会的な怪物を作り上げられたのならばその影響力、並々ならぬだろう。兵器級である。

 符術の例がある。ある方術の理想形を詩にて表現し、それを詠んだ者が容易くそれを脳内に描き、比較的簡単に術として発現することを助ける。つまり、自分の素晴らしい絵にて彼等の足りぬ頭の想像力を補って何か、聖像術? とでも言うべきか、それに繋げたいのか。

「具体的にどのように必要であるか?」

「新たな、強力な信仰と団結のためにです」

「人に言われて取る筆は持たない」

「謝礼は勿論致します」

 何より描く力は他人の口先に踊らされて発現するのではなく、想像の源泉より沸いて出て来るものなのだ。

「金を出せば言われた通りに働く画家、彫刻家に陶芸家などいくらでもいる。そいつらを当たれ。私は知らん、邪魔だ、去れ」

 聖皇と通訳を追い出した。それが気に入ったのかお豆が「わっ!」と笑って尾に抱き着いてきたので振った。そして「お豆、いけません!」と止めに飛びついたはずのシャンルが『わー!』と二人乗りである。


■■■


 ヤンルー郊外にある禁衛軍の演習場へ出向いた。ヒチャト回廊より龍行軍が帰還し、集結している。損害多数で出発時の姿ではない。また訓練中だった霊洋艦隊の部隊も合流した。艦隊自体は通常編制に戻った。

 ヒチャト回廊の堤防破壊により大洪水は一時凌いだ。ここまでは自分の目で確認したことだ。それから放水路の建設は順調で、仮に今直ぐに洪水が引き起こされても被害は最小限に留まる状態に持ち込んだとのこと。一安心である。状況が改善したことにより損害が大きい西克軍は一旦後退し、再編制に臨む。代わりに守備と警戒を担当するのは再び朱西軍集団。あまり高地にまで人を入り込ませず、無理無く守勢を維持して西克軍復帰を待つそうだ。サウ・エルゥは手堅い判断をする。

 サウ・エルゥは北で西で大損害を受け、負け戦ばかり続けているというのに全く動揺せずに冷静だ。負け続きの中に一つ無理にでも勝利を獲得してやろうという欲が無い。ルラクル湖の戦いでの大敗は勿論聞いているが、あれは予想しろという方が無理な話だ。

 因みに、話によれば女だった時の自分を撲殺したはウータイマースーと呼ばれる帝国連邦軍の中でも相当な手練れらしい。何でも人食いで怪力らしい。冗談ではないらしい。

 演習場を借りてまで龍行軍が集結したのは再編制と訓練を行うためだ。それも大規模に、四万名にまで増強される。霊獣も、龍馬、馴虎、蛇龍、鉄亀、虹雀だけではなく、何やら巨大で赤い炎を弱く纏う卵のような何か、途轍もない気配がするものが台座に乗せてある。

 初期の龍行軍と大きく違う編制になる。指揮が出来る意志の強い龍人が比率的に圧倒的に少なくなり、意志が弱くて指示が無ければ案山子か獣のような粗製龍人ばかりであるということ。粗製の者は術の才能が無い者がなってしまう姿である。これでは精密で素早い機動は不可能であるが、次の任地は乱戦確実な市街地であるという。この不利は乱戦で補う心算だとサウ・コーエン将軍は言う。

 因みにサウ・コーエン将軍、ウータイマースーから逃れるために死人の内臓を身体に被り、息を長いこと止めて死んだ振りをして凌いだらしい。恐るべし。

 炎の卵であるが、これはサウ・ツェンリーが管理するらしく、付きっ切りで面倒を見ている。

「芸術照覧会、新作ありませんでしたな」

「代わりにこれになります」

 サウ・ツェンリー、こちらを見ずに大きな卵を見上げたままである。隣にいる公安号の犬コロが「クウン」と鳴く。

 彼女と犬コロ、大層物憂げに見える。その新作とやら、最高の出来栄えに見えるが決して満足と言えぬ様子だ。何かを犠牲にしたような。

「術に集中しておりますゆえ」

「これは失礼した」

 以後、その背中の前には公安号が面会謝絶と座る。

 この演習場は市街戦を想定にした無人の都市が広がる。流人等が屋根があって丁度良いと時折住み着くらしいが、そういった者は排除されてから龍行軍の、頭少なく手足の多い市街戦演習が開始された。

 粗製共を通路、交差点、広場にて前進、回頭、後退、分散に集結と動き回らせるだけで一大事。

 屋内へ突入させ、家探しをさせ、そして出す。これも通路移動と合わせると複雑になる。並の頭の人間ならもう少し簡単に教えられるが、粗製共は学習が鈍い。指揮官達が、鈍いが素直な奴等を上手く誘導させないといけない。言った通りに動くものだから、指揮官が誤った指示を出すとその通りにも動いてしまうのだ。

 射撃訓練は遠距離射撃から近距離、肉薄射撃まで行う。想定される敵が常人だけとは限らないので銃剣で相手の急所を刺し、照準を固定してから射撃するなどの過剰とも言える攻撃が必要とされる。

 龍行軍と霊洋艦隊諸兵は霊獣の運用を心得、実戦で経験している。

 基本的に龍馬に乗る龍騎兵は強敵相手に備える予備兵力。

 馴虎は指揮官護衛や追撃用で、邪魔な非戦闘員や士気の低い兵士を威嚇で追い散らす役目もある。

 蛇龍は水路での運動が想定されており、蛇龍騎兵として使う。構成員は旧霊洋艦隊員。この演習場には水路があり、目的の任地にも同じものがあるそうだ。

 鉄亀は輸送用のみならず盾、障害物、そして甲羅の上に銃兵を乗せて亀騎兵、銃座砲座としても使う。

 虹雀は伝令に専念。

 新編の龍行軍はまた龍脈を行く。この大戦の真の決戦となる場所へ向かう。

 ジン江の線で戦いを膠着させ、両金道は時間稼ぎに使って見捨てた。反乱勢力は加勢のようでいて、強力な統制で動いている帝国連邦を阻害し、布華融蛮を促す。

 ニビシュドラとアマナへの支援は続行する。旧来的に考えるのなら両地方へ投入している戦力は両金道へ差し向けるべきだが、違う。重視する地方は変わり、戦略は一新された。

 今の戦略は黒龍公主だけで考えたのならば疑念だらけで信頼出来ぬが、ルオ・シランにサウ・ツェンリーが考えたものだ。信頼が出来る。

 黒龍公主は”ベルリク=カラバザル。百年に一人では不足、千年に一人の征服者かもしれん。じゃあどうする? 死ぬまで待ったらええ。ああいう勢いがある相手になんぼ策を巡らして足りんのやわ。頭と勘がすこぶる良くてどうやっても敵わん。兵隊の勢いも同じく凄くてな、こっちが最高の妙手に嵌めても単純な地力でやられてしまう。それとこっちに都合の悪い不運がいくつも起きて、あっちに都合の良い幸運が幾つも舞い込む。天災は防げんから出来るだけ被害を減らすだけ。百年とまで言わん、五十年後に勝つ算段をつければええ”と言っていた。


■■■


 龍元永平八年、黒陽の節。年始が秋になっているので次の節、秋始の節から九年となる。伝統に則るなら既に龍元永平九年になっているはずだったが、改められた。

 古来より年を重ねるのは右天の節から、星空の基準位置に達する日からであった。この時に合わせて祭事が設定されているので龍朝開闢以来、右天が正月だった。今は秋始が新正月となっている。

 秋始も古来より祝祭日とされていたので違和感は思った以上に無い。その日の夜は眩しい月を見つつ虫の鳴き声を聞き、というのが風流。街では獅子舞が練り歩き、爆竹を鳴らし、灯籠を灯したり、芸人が出回るのを見て、出店で食べ歩くのが庶民の楽しみ。また月を模した菓子を食べるのが流行り。

 庶民の賑わいも見えず聞こえそうにない演習場での訓練は続いている。回数を重ねる度に市街戦の動きは良くなってきている。今ならばヤンルーも一日で陥落、否、完全制圧可能である。いざ動くとなれば不眠不休で動き続ける龍人ならば全く不可能ではない。

 来客があった。何と演習場に聖皇レミナス八世が、である。ここに訪れるまでは通訳にお供に馬車など連れ立って来たようだが、自分の司令官用宿舎には一人でやって来た。そして挨拶をしてきた。

「私、本名ジョアンリ・オスカーニと申します」

 天政官語である。発音はまあ、怪しいが分かる。

 相手のことを知らなくてはならない。聖皇は只人にあらず、人を越えた教会使命の体現であるので人の名を捨てて聖務に励むため、選任された時の月に因んで通名が付けられ、それが何代目であるかで何々世とつく。お豆に聞いたらスラスラと教えてくれたものだ。政治的に嫌っているだけあって良く知っていた。本当にあれが正気ではないなどと思えない。

「それでジョアンリ殿が何用か?」

「魔神代理領並びに帝国連邦そしてロシエ帝国に対抗するため、我々には技術が必要です……」

 ジョアンリが本を開いて何やら確認し始める。チラっと覗くと、フラル語と対応した天政官語辞典だ。言葉を確認しているらしい。殊勝である。

「かの強大な敵に対抗するために尋常ではいられません。天政に龍あれば、こちらには聖典の偉人や霊獣、伝承の数々があります。それを現実に顕現させる必要があると考えています。もはや工業力だけで競争しても敵いません。仮に同等まで迫っても、人で負けます。並みの人間は騎馬民族や妖精や獣人に魔族に敵いません。そこで我々は黒龍公主殿と出会い、数多の霊獣を生み出す術を知りました。元から魔神代理領の魔族の種を使った技術は多少把握していましたが、相手に比べて遥かに劣るもので、宗教的にも相容れず、対抗出来ませんでした。そこでレン・セジン殿の絵が必要なのです」

「逸話のように絵を叩けば飛び出るものではありませんが」

「あの生き生きとした、絵であるのに、想像の産物であるのに現実じみたあの絵が必要なのです。霊獣を生み出す術と、こちらの教会で今まで持て余して来た聖遺物、そしてあの翼ある人のような脳裏に姿として想像しやすい絵が組み合わされば、我々は尋常を超えることが可能なのです」

「言いたいことは分かりました」

 聖遺物とやらはおそらく魔族の種、龍道に転がる龍の遺骸、獣の神に並ぶ幽地の底にある類の、おそらく触媒的な代物。それを上手く使うために絵が必要というわけだ。

 彼は三度参った。

「私の世界をお救い下さい。お願いします」

 流石に立場があるので平伏はしなかったが、西洋式にて最敬礼をしてきた。

「分かりました。ではどういった物を描いて欲しいか具体的に教えて下さい」

 これで断れば男であるまい。

 青白のジョアンリ、微笑んだ。そして聖典にある偉人や霊獣、現象の伝承を天政官語にして暗唱する。それを聞き、勿論部屋に持ち込んでいる画材にて下描きを作る。作り続ければまるで妖怪絵巻物の有様だ。それから下描きのものを神聖教会の思想と聖遺物とやらの性質、加えて博物学的な合理性に合わせた修正を加え、ジョアンリが納得する下描きを一晩で仕上げた。色指定も行った。何を描くか定まり、気も乗った。近日中に全て仕上がる。

「完成したら禁城に送ります」

「お願いします」

 そう言えば、黒龍公主は仙術にて怪物の母となっているわけだが、これにて西洋における怪物の祖母ともなるわけか。怪物ババアだな……! いや待て、それでは自分が西洋怪物の父になるではないか!? 怪物の母と怪物の息子の子、つまり怪物の孫!?

 ええい、今のは無しだ。ふざけるな。


■■■


 演習場での訓練は進む。龍人だけではなく霊獣用の専用装備も人数、頭数分揃ってきてかなり戦力が向上したと実感できる。重装甲重火力高機動、三つ揃っている。それから、自分もそうだが、食い溜めが効くので高機動の意味合いが常人とは遥かに異なる。これは大業成し遂げられる機運がある。

 霊獣の中でも一番に気になるのが火鳳の卵というサウ・ツェンリーが終日、全く傍から離れずに見守っているもの。常に方術にて管理しなければならないらしく、不眠不休で食事もその場で取っている。さて便所はどうしているのかと思ったが、そんな下世話なことを探るようなことはしない。ちょっとからかってみたくなるが絶対にしない。

 来客があった。ハン・ジュカンである。わざわざ用向きなことがあっただろうか? タルメシャもアマナも後は成り行きに任せるしかなく、新規に開拓出来るような商路は戦後を待たなければならないと思うが。

「これはレン・セジン殿、お久しぶりでございます。並々ならぬご様子、戦場が近いご様子で」

「ハン・ジュカン殿、そのようです」

 半龍の身体、戦目的以外にあるまい。

「そちらの絵は、これはまた雰囲気が違いますな。神聖教会風です」

「お、見て分かりますか」

「はい」

 ジョアンリに頼まれた絵は全て描き終わり、今は部屋に並べている。まだ完成とは言い切れない。しばらく経ってから修正点が見えて来ることがあるので、それが浮かび上がってくるかどうか待っているのだ。絵の呼吸が乱れて不全を起こして窒息してくるようであればあちらから違うと訴えて来る。今のところは全て良く息が通っている。

「お耳に入れたいことがあります。魔神代理領との通商再開、目途がつきました」

「ついた、とは、事後ですか」

「はい。既に南洋諸島を介して、戦略物資のやり取りは流石にありませんが再開しています」

「なんと」

「相手はあの帝国連邦の財務長官、ナレザギー王子の会社を手始めにと。息子のアンスウから聞いておりますが、あちらも話が早くて助かるそうで」

「ううむ、私からは何とも言い難いところですね」

 自分の肩書と生まれに育ちがそういった話を素直に聞きたがらない。ただ否定する程に若くない。

「北は北、南は南、戦は戦、商いは商いというところです。いつまでも争っていられませんから」

「確かに……」

「ということで、こんな物をご用意しました」

 ハン・ジュカンが風呂敷包みを差し出して来た。中身は箱? 受け取ると重さを感じる。

「見ても?」

「どうぞ」

 風呂敷を解いて現れたのは硝子蓋の飾り箱で、中身は何とエスナル王国とアマナの鋳造所の刻印が入った銀錠!

「おお……」

 うおおお!?

「商人、いえ、天政の人民の一人として特務巡撫レン・セジン閣下に厚くお礼申し上げます」

 ハン・ジュカン、床に座り平伏した。

 何ということしてくれたのだハン・ジュカン!?

 目が熱いではないか! 前が見えないぞ……。

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