第315話「守護尊鬼の護風」 シゲヒロ
ファルマンの魔王号はクモイより出港、トマイ鎮護体制下に入ったアマナ本島北岸部を南に見ながらマザキへ入る航路を西進。航路が各所で寸断されているため航行中に見かけた民間船舶は少なかった。天政籍の護送船団は良く目立ち、接触しないよう回避した。
北岸部が途切れたところで南進し、東に見えて来るマザキ港へ至る入江への接近を試みたが、その近辺で天政艦隊が主力艦十隻以上の体制で海上封鎖を行っていた。入江にあるマザキの沿岸砲台が完全な封鎖を許してはいなかったが、隙は無く、通常の手段で入ることは困難と判断された。
機会を待つことにした。悪天候時、また新月の夜に船体透明の術を用いるのだ。術は晴天時に、敵艦が目を凝らして警戒している中、他に船舶が通行していない海域を悠々と通過出来る程に万能ではない。また台風が接近して天政艦隊が封鎖を一時解いた時――解かずとも行動不能な時――でも良いが操船が辛すぎる。やはり適度な視界不良を待つのが良いだろう。
時折警戒に周辺を走り回る敵艦からは距離を取りつつ機会を待った。新月ではないが余り明るくない夜に霧が発生したのでその中を無灯火、静穏航行。ヘリューファちゃんに乗った頭領が先行して沿岸砲台を訪れ、砲台指揮官にこちらの船が通過することを告げて無事に入江入りを果たす。
夜間、封鎖されているはずの海域から小型船舶ならばともかく大型船が侵入してきたマザキ港は一時騒然となったものの、先行上陸した頭領が手続きを済ませて無事入港。海上封鎖の影響で多くの船が岸壁に係留されており、空きが無いので係留されている船へ横付け。その船とはセリン艦隊所属の通報艦であった。
港湾局の者と話すに、船員の上陸宿泊、入浴も食事も可能。ただし、船への給水は可能だが食糧の補給は相談しなければならず、されたとしても非常に限定されるとのことだ。海上封鎖の影響、物資不足である。こういう港に入った時に闇市で色々調達してくれるのがアラジ先生なので金を持たせた。
譲渡した鋼鉄艦が修復された姿で港に見られるが、案山子のように見えなくもない。兵器は数が揃ってこそだろう。
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頭領と共にシラハリ邸へ赴いた。会議の面子は五人。
海軍大将ルーキーヤ、マザキ城代長男ハルタダ。ファスラ艦隊頭領ファスラ、陸戦隊長シゲヒロ。セリン艦隊通報艦艦長。鎮護代シラハリ・ハルカツは最前線へ出兵中である。
情報交換を行う。
アマナ本島はクモイとハセナリから東、東北地方の端まで労農一揆の手中にある。それとは別にクイム島はクイム人民共和国となっている。全てランマルカ革命政府の傀儡属国で、一部は最新鋭の兵器を揃えて強力。しかし賊や暴徒の集まりでもある。精鋭と雑兵の落差が激しいが、時間が経つと共に改善される見込み。天政の軍事支援が無ければトマイ山も敗北して押し込まれていたぐらいに強い。
ランマルカ東大洋艦隊司令とは、マザキから脱出する者達を帝国連邦極東艦隊要員として扱うという名目で亡命を助ける段取りが付いている。ファスラ艦隊は独立艦隊だが、今はランマルカと協力関係にあって無暗に独自行動は取れない。あちらの影響力を間借りして行動している以上は好き勝手が出来ない。ただ義理からマザキの人間を逃がすというなどという話は妖精に通用しない。ベルリク=カラバザルにただ甘えるというのも沽券に関わるだろう。脱出を選択するならアマナは捨てること。
ファスラ艦隊保護下にて、一時クモイに亡命希望者を運ぶ手筈になっている。それからウレンベレへと運び、帝国連邦へ海軍要員として亡命する。亡命希望者の数が多く、一度の航海で全員運べないならクモイに一時滞在して貰う。クモイは最前線で、労農一揆兵も屯っていてマザキの人間には居辛い場所だから滞在するなら短期間にしたい。もしウレンベレみたいな異郷が嫌ならクモイに残っても良いが、扱いは確実に良くない。
ランマルカを通さずに労農一揆を頼れば武士は敵対階級と見做されているから騒動が予測される。それから徴兵される可能性も大いにある。あくまでもファスラ艦隊預かりということにしなければ保護は難しい。トマイ山という敵を同じくするというだけで思想も利益も相容れない。何か協力関係になったとしても信用してはいけない。
現在、東大洋艦隊は一時クモイ海域を離脱して戦力を整えて天政艦隊と決戦を行う準備をしている。今こちらまでやってくることは有り得ない。海上封鎖の突破を試みるなら、近日行うなら独力。いつ行われるか分からない艦隊決戦の後、制海権を東大洋艦隊が取ることを待つのなら時期不明。
マザキの敗北は時間次第。ハセナリ城代が離反してトマイ山に下った。城代はシラハリの分家。男子の跡継ぎがいないので四男を養子として出している。男子跡継ぎのいない者を城代としてあえて選んだわけでもあり、お家の存続は今のところどっちに転んでも問題ない。トマイの鴉坊主は敗者、それも降伏した者達に鞭打つような連中ではない。マザキ勢を今後統制下に置くという意味でも生かすだろう。
マザキより南のブンガ湾には既に天政の南洋軍が上陸を開始している。主要港が無いので人と物を揚げる速度は遅く、天候や事故により何度か中断されているが既に数万規模が展開。マザキ主力軍が対峙しているが勝ち目は薄い。特に天政艦隊の艦砲射撃能力によって沿岸部にはまともに近寄れない。ハセナリの降服、鎮護軍の接近も合わせれば天が味方でもしない限り全く勝ち目が無い。
日和見を決めていた南部諸勢力もトマイ山に靡いている。鎮護体制下への復帰も時間の問題。
トマイ山からの降伏勧告は既に届いているが拒否するとのこと。鎮護代シラハリ・ハルカツ指揮の主力軍が当たって負けたわけではないのだ。
赤帽軍はニビシュドラ島の北部と中部の境、ロルコンまで進軍。ギバオ政権軍は追い込んだがそれ以上の北進は中止。プアンパタラ諸島は戦線圧縮のために放棄。ファイード朝が友好中立の姿勢を維持するのは南覇軍の勝利により限界であるから海路の維持は諦めた。また赤帽艦隊も含め、魔神代理領海軍はタルメシャの大海域から全面撤退。ランマルカ式の鋼鉄艦が揃うまで海上作戦は停止される。
チェカミザル王はインダラ・カピリ解放軍と島に残って終戦まで残り、天政軍を陽動し続けるとのこと。また弾薬不足が常態化している。赤帽軍は現地で工廠を建てているが火薬原料が足りない。
ランマルカから火薬に関して朗報がある。糞石という火薬原料があって、乾燥地帯にも熱帯にもある。熱帯なら洞窟の、蝙蝠の巣から採取出来る可能性が高い。もう知っているかもしれないが、インダラはかなり開発から遅れている。気付いていないかもしれない。
以上をそれぞれ踏まえて行動、作戦を定めた。
マザキに残留する者達はハルカツとハルタダが率いて徹底抗戦を構えを取る。まず当主は死ぬ運命にある。長男、後継者のハルタダは当主ハルカツが死んだ後の処理に当たり、その後シラハリの首が足りぬと言われれば差し出す。その青年ハルタダだが、覚悟は決まっているようで会議中はうっすら笑ってすらいた。
亡命組はルーキーヤが率いる。「ベルリクの旦那に甘え切る気はない」と言い、艦隊要員と最低限の若い女だけを連れて行くとのこと。子供は三男のハルアキだけを連れて行く。後の子供は死んだか嫁に行ったので面倒を見る必要は無い。これで降伏、抗戦、逃亡と三方にシラハリの男子が行き、生存戦略を実行することになる。非常に危うい情勢の中だが手堅い。
亡命航海は一度だけ、往復はしないことになった。足の遅い船は連れて行かず、良く動ける外洋船に限る。また亡命希望者を募るようなことはせず、全てルーキーヤが秘密裏に素早く選ぶことになった。国を見捨てて逃げ出す者達になるのであるから、それは秘密でなければならない。
海上封鎖を突破する方法は台風を狙う。台風で天政艦隊が沿岸を離脱し、凪いで戻ってくるまでの間隙を狙う。準備期間は次の台風までとなる。
セリン艦隊の通報艦は入江脱出後に単独でニビシュドラへ向かい、その後は状況が許せば本国帰還、艦隊へ合流する。
■■■
会議の次の日の朝。
町の人間は海上封鎖を突破してきた、ある程度見知っているファルマンの魔王号に興味津々である。軍港へは人が寄り付かないよう警備の数が増員されている。亡命、脱出の噂が漏れた時これが暴動に変わるだろうか。マザキの民衆はきっと怒るだろう。怒らないのは、ルーキーヤの姉御が外国から連れて来た者達。そういった外国人水夫、商人がマザキ海軍の主力なのであるが。
そんなルーキーヤの姉御が人選を終えるまで暇なのでカザイ先生の雑兵道場を見に行く。
道中、城下町を少し遠回りするなどして見て回ったが、一言で言うとしけている。市場、商店、倉庫の造りの良さ、広さに反して商品が並んでいない。戸を閉めている店舗が多く、貧相な品物に高値がついて並ぶ。食糧品は一切見られず、統制されて配給制となっている。配給所の列は長蛇となっていて勿論、老人に女だらけなのだが、通行人も女だらけで男が少ない。
昨日の晩、今日の朝の食事はかなり質素であったなと思いながら酒場を覗いてみたが、どこも閉店。米を酒にしたら罰すると看板があったぐらいだ。酒が禁制品になっている。食事が質素と感じたのは酒が出ていなかったからかと思い至る。
道場に赴けば、町で見かけなかった細い腕と首の男達が小銃に銃剣をつけ、気合で戦うのだと言わんばりに絶叫を上げて稽古をしていた。訓練された正規兵は全て出兵している。あれがどれくらい戦い、死んで、逃げて、生き残るのだろうか。生き残っても次は労農一揆との戦いに駆り出されるのだろう。
茶ではない、白湯を啜る。カザイ先生は少し痩せた。
「死人を見るような目だな」
門下生一同、今は生きているだけと見えてしまう。
「そうですね」
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昼になり、質素な食事の後にシラハリ邸の人々以外にも各部へ呼びかけ、揃って龍道寺参りへ出掛けた。お家の者以外ではファスラ艦隊から頭領、自分にイスカ。裏切ったハセナリ城代の人質――首は斬らない方針らしい――も含めた各武家から本城にやってきている女達、地元の各部代表者、外交官として派遣されてきたトマイ山の鴉坊主まで。
大勢にてお寺参りをした理由はブンガ湾沿いへ出兵した鎮護代ハルカツの勝利祈願である。今回は勝負事、特に大事の戦争に関わるとのことで普段は開放していない――だからこそ御利益が有る――マザキの守護尊鬼が座するお堂へ入り、魑魅魍魎を踏みつけ右手に長棒、左手に銭束を持つアバガン像に向かって城代ハルタダ筆頭に手を合わせ、鴉住職の祈祷を聞きながら、室内用の焼き台へそれぞれ祈願文を投じて焼いていく。敵が敵なだけに部外者からは奇妙に思えるが、宗派が別なので大したことではない。
こういった儀式事には興味も真剣さも無いイスカがちょんちょんと背中を突いて「シゲ」と小声で話しかけて来た。
「どうした」
「曇って来た」
祈願文に”台風早期到来、亡命作戦成就”と書いたのが早速当たった? と思い、お堂から足音を立てないように外へ出て見上げれば、南の空から雲が迫って来ていて、色は灰に濃い。境内の霊木の葉も裏返って白い腹を見せるぐらいに風が吹いている。戸もガタガタと鳴り始めた。
台風は入江脱出作戦時に必要である。複案はあるがこれが一番安全。また鎮護代ハルカツの主力軍が、ブンガ湾に上陸して展開する南洋軍へ攻撃する際に敵艦隊を封じて戦えるので不利を覆すことも可能性。今、台風は我々にとっては護風となり、これを祈願した者は多いと思われる。火中に投じられた祈願文の文字にもそれに近い物が、遠目だが多かった気がする。
「ねえねえ、これ御利益あったってことなの?」
「そうだな」
祈祷が終わり、各自が寺から出て来る。そして突風が吹き、女が髪を抑え、南の雲行きが怪しいのを見て『おー!』と皆から声が上がった。
■■■
強風と大雨が到来。台風直撃である。沿岸砲台から伝令がやってきて、天政艦隊が入江の封鎖から離れたと告げる。
この荒天中に準備を終え、収まる前に出港する。
各船、船員は総員で集まって故障や不足が無いか最終点検が行われる。末端には台風を利用した奇襲作戦程度にしか思われておらず、騙されていて士気は高い。洋上まで連れて行けば亡命の気が無くとも後は為すがままだ。強制徴募で船を動かす手法はそれぞれ心得ている。海上の牢獄と呼ばれるのは伊達ではない。下っ端の意志は無視される。
物資の搬入も行われる。元より物資不足のマザキから作戦であるからと無理を利かせた量を持ち出しているので出港後、こちらの目論見が露見した時に大層恨まれるだろう。恨みが怖くて生存競争など出来たものではない。またアラジ先生が闇市で余剰分の物資も確保し、加えて闇商人をマザキの警察に通報して潰させて没収した金はルーキーヤの姉御の手元へ行くという好循環も達成。
物資不足で空になった港湾倉庫が流用される。帆の修理や、選抜された船員以外の脱出組の臨時宿泊所としてである。連れて行くという若い女達は皆、シラハリ邸に泊まる。
人員名簿と食糧と水の量を照らし合わせ、最悪の状況を考慮した迂回航路を通っても間に合うか計算がされる。
万全の準備を整え、一晩過ぎ、昼を過ぎ、また夜。そして峠を越えた昼になる。
気象の影響を受け辛いマザキ港内でもまだ海面が唸り、海水は川から流れ、海底から煽られた泥で濁っている。白波が立って、索具に風が当たって怪物が歌っているような音を立てる。ファルマンの魔王号の練度ならばどうにか出港出来る時化になった。
ファルマンの魔王号は先発して出港する。天政艦隊が近海にいるかどうか広く偵察する。安全が確認されれば亡命艦隊が、もう少し時化が落ち着いてから出港する。
入江の水道を行く。警戒すべき暗礁の位置、岸部には旗が揚げられて要注意地点を報せてくれる。分かっていても目印があると無いとでは操船難易度が大分変わる。
当然、荒れる海上の操船は難しい。速さよりも正確さを重視、張る帆は最低限。魔術を使った補助を多用。
そして普段の十倍以上時間をかけて入江を出る。沿岸砲台からの情報通りに、付近には天政艦隊が見当たらない。
それから入江を離れて偵察開始。波の荒い海面に揺られる船の、最も振れ幅の大きい帆柱の上から眺め、天政の軍艦が見当たらない。台風避泊にかなり沖へ行ったか、北と南のどこかの湾に入って風を凌いだか、避泊ついでに作戦を変更して遠くへ行ってしまったか。既にマザキは風前の灯火と判断して海上封鎖を止めたとも考えられる。もう手古摺る敵ではないと見做せる段階だろう。ランマルカ東大洋艦隊との決戦に備えて艦隊集結を試みていてもおかしくない。
一日かけて偵察を終え、海が凪ぐ。そして入江へ戻り沿岸砲台へ旗を振って合図を送った。
そしてしばらくして旗艦の鋼鉄艦を先頭に亡命艦隊が入江から出て来る。手旗信号で通信し、互いに悪天候による損害は無く、航行に支障は無い、と確認し合う。
これは守護尊鬼の護風があった。ファルマンの魔王号へザガンラジャード像に続き、アバガン像が祀られる日も近いだろうか。
しかしマザキを捨てる日が来るとは思わなかった。昔、世界を見たいと船に乗った時とはまるで違う。
そう言えば結局、ヒナオキの実家には一度も帰れなかったな。
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