第305話「とっとと撤退する」 シンラーブ

 メルカプール軍を主体にする我がジャーヴァル帝国の別働軍、自分の名を取って通称シンラーブ軍は、賢い弟ナレザギーにしつこく重装備化を勧められたお陰で火力戦重視、金は掛かったが強力であるはずだった。結論としては金を掛けた火力主体軍ではないと現代では最低限の水準にすら達しないということであった。帝国連邦から軍事顧問を受け入れていなかったら装備の揃え方すら分らなかった。

 南ハイロウ攻めではムルファン要塞で手酷く手古摺らされた。理由は北征軍の方が軍運用が巧みで、方術を絡めた防御戦術も巧みで、何より士気が高かった。もしかしたら高くなくて、こちらが異常に低かった可能性は否定出来ない。自分はまだ完全に理解出来ていないのだが、軍事顧問が言うにはジャーヴァル軍は旧体制的な封建軍式で、天政軍は軍事革命的に正しい国民軍式であるという。そんなにはっきり分かれている感じではないと思うが、説明しろと言われれば苦しい。こちらは指揮系統の統一、序列の制定は過去の反省からされている。ただ兵士の帰属意識の向く方向は種族、民族、宗教、言語のせいで動員、訓練の段階からバラバラであるが。

 次なる主戦場はタルメシャ中部から東部へ入る境界、ラーチョン川の線だった。勿論こちらでも手酷く手古摺らされた。南覇軍を主体にシンルウの牛頭軍、バッサムーの象頭軍の連合体で、こちらも運用から戦術から巧みで、地の利もあって川越えなど出来なかった。プラブリーの現地部隊が案内、指導――居丈高に――してくれたが絶対的な差を覆す程ではなかった。

 あちらは乾季雨季とその中間時期、季間中の天候、川の水位の変動を掴んでいるので、相手を川向うにしていても襲撃を受けて何度も押し返されては、予備を惜しまず多目に確保した火箭射撃の集中で何とか凌いできた。毒瓦斯装備も進めていなかったら有利な地形での防戦すら出来なかった。

 牛頭と象頭は体が大きく健脚で多少の川や泥濘を物ともせず、重量物を良く扱って小銃のように手持ち式に整えた旋回砲を撃ち、三人程度で大砲を担いで持ち運びするので砲兵機動力が高く、小銃弾程度なら防ぐ分厚い置き盾を運用するので的が大きいと侮れず単純に手強い。

 何にせよ自分に将才が無いので今一つ戦いに結果を出せていない。全て参謀と幕僚団任せにしているが、彼らが正解を導き出しているのかも自信が無い。

 戦争は嫌いだ。面倒くさい。旅がそもそも嫌いだ。日帰り出来ない距離は辛すぎる。一応はお飾りでも将軍職を背負っているので前線の司令部から離れることも出来ない。暇な時間くらいタルメシャの森の狩りぐらい堪能させてくれても良いのだが、便所用足しの隙を窺って弓で、現地の祖猿信仰の影響で人に警戒心が無い猿を獲って、猿頭に叱られる前に地面に埋めろと怒られたぐらいだ。だから手早く捌いて煮て食べた。皮と骨は、川縁の陣地の激励にかこつけて川に捨てた。

 もう個人的な感想としては家に帰りたいの一心。そこにケテラレイト陛下からの、南覇巡撫との密約を告げる手紙の到来だ。細かい政治状況はともかく、こちらがやることはラーチョン川線を放棄して撤退、裏切りのプラブリー軍を警戒、アルジャーデュルの本軍に支援を要請すること。魔神代理領中央から叱られるどころで済まない気はするが、責任は臨時皇帝にある。言われた通りにしよう。

 参謀に作戦を練らせて実行した。その間、川を挟んだ戦闘は沈黙した。

 撤退経路は南ハイロウ方面、北上することに決定した。アルジャーデュルへ向かうと本軍と道を共にして大渋滞を引き起こすので危険。懸念があるとすれば高地を通るから高山病の危険があり、食糧は気候的に不足してしまうこと。人馴れというか人をなめている、退治されることなく繁殖して大群になっている猿を食えばいいんじゃないかとは思っているが、少々甘いか。参謀はプラブリーの都市の中で弱いところを狙って略奪すれば良いと言っていたのでそうしよう。


■■■


 段階的にラーチョン川線からの撤退を開始した。東岸の敵を観察する限り、密約は遵守されるようで、追撃するような積極攻勢を仕掛けてこない。しかしやはり警戒し合う敵対関係なので、こちらの撤退を何らかの攻勢準備かと疑われ、何か用事があって川に足を入れた兵士がいたか、見間違ったらしく威嚇射撃からの銃撃戦が起こって、砲兵射撃まで始まる事態に発展してしまった。

 上層部はともかく末端まで急に戦闘を終わらせるなどということは出来ないので、一度か二度は戦闘してからじゃないと撤退は不可能と思われたが、こちらも相手も上級将校が状況を把握していたので予備砲兵まで動かす段階に至らず、双方決め手に欠けて戦闘は収束。局地戦に留まった。

 この動きに対して反応を示したのはプラブリーの観戦武官達にお付き連中。こいつ等に事前予告などしていない。

「将軍閣下、撤退されるのであればご相談を。奴等めが川を越えて来れば、我が帝国の東方防衛が崩壊します。こちらが南への攻勢を重点的に仕掛ける代わりにそちらが東へ攻勢を掛けるという取り決めだったではありませんか」

「至極真っ当な反論なので、私からはごめんなさいとしか言えないんですね」

「は?」

 観戦武官の顔を掴んで親指で両目を潰し、そのまま握り込んで持ち上げる。白猿頭が叫んでこちらの手首を掴んでジタバタ。

「暗殺部隊は予定通り、背後につけてるか?」

「滞りなく」

「実行」

「承りました」

「うん」

 参謀に指示を出しながら片手に観戦武官を持ち替え、腕や脇腹を掴んでペキペキと骨を折る。骨が細いなぁ。プラブリーの赤猿頭の方の体は人並みだけど、タルメシャの白猿頭の方は子供くらい。白いのは頭がかなり良くて神官、知識層――暦の取り扱いから雨季乾季の予測、作物の品種改良、鉄を筆頭にする金属加工技術、法整備、宗教文化伝道など――として大昔はこの一帯、タルメシャを支配し、今でもその心算になっている。

 その後、撤退する道中、我がシンラーブ軍にいた各観戦武官やプラブリーの東部軍将校の首が次々と届けられた。督戦役に味方殺しの暗殺部隊を一万――我が軍の”封建式”を考慮すると必要数――用意していたのがここで功を奏した。前線を放棄しようとしたり、独走しようとする将校を殺して手っ取り早く警告を与えて指揮を引き継ぐ者の暴走を止める役割が期待されていた部隊だが、一時的に情報漏洩を防止する役にも立った。

 プラブリーの東部軍皆殺しの情報は洩れなくてもあの死体の山は早い内に発見されてしまうだろうし、見つからなかったとしても我が軍に同道せず不在という事実によって露見する。ラーチョン川線を放棄したという行動そのもので疑われ、どちらにせよあちらからは裏切りと見做される。

 プラブリーの裏切りというケテラレイト陛下の情報も、裏切りは裏切りだがまだ正面切っての宣戦布告の状態になり切っていない微妙な状態。

 逃亡に失敗した処遇の難しい相手、目の前に引き出されてきた僧衣姿の外交官の白猿頭は観念したわけではなさそうが、手を合わせ目を瞑って死を覚悟した顔をしていた。

「話では、そちらの裏切りの方が先らしいですよ」

「南覇巡撫の策謀でしょう。あなた如きがどうこう出来る段階ではなさそうですが」

「そうみたいですね」

「野獣には期待していません」

 プラブリーの東部軍は、こちらの暗殺部隊の大規模一斉殺害を未然に防げなかったとはいえ、全くその後の対処もなっていなかった。予見していなかった、そしてケテラレイト陛下がいる沿岸部の情報がまだ伝わっていなかったようだ。竜跨隊の伝達速度のおかげだ。

 外交官は生かしても仕方が無いので刀で首を切り落とした。小さくすばしっこいので逃げられると捕捉が難しい。それにまあ気に食わん。


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 敵が対応出来ない内にとっとと撤退する。

 参謀が言うには無警戒な内に電撃的に襲撃を繰り返すことがお勧めとのことで、撤退街道上の都市には素早く砲火力を集中させて降伏させ、略奪して占領維持部隊は、軍最後尾が到着するまでしか置かないことにした。

 略奪以外でも、現地で商売している天政系商人が微妙に中立の立場を維持していたので彼らを介して必要な物を各地から買い求められた。金さえあれば何でも手に入るとは嘘のようだが本当の話だ。金に色は付いていない。

 プラブリー国の基本構造は、最高神官である主張する最大領域と釣り合わない称号のタルメシャ皇帝がいて――皇帝は過分なので――その王と防衛契約を結ぶ各都市の族長がいる。族長達は防衛の見返りに兵士、賦役、税を提供する。この関係上、戦略的には価値の低い地方都市であっても襲撃があれば軍は防衛出動をしなくてはならない。もし防衛出来ないのならば契約違反になり、見返りの提供義務が無くなって王国から離脱してしまう。この地の部族は他の地方より地縁は重視しても血縁は重視しない伝統があるので契約以上の義理は感じないらしく、離反の見切りが早い。だから一つ都市が契約解除をすると連鎖反応が起きて王国崩壊へと繋がる。これが逆に契約成立の連鎖反応を起こすこともあるが、今のプラブリーは成立連鎖の後なので、後は解除連鎖が待っている。

 この都市攻略によってプラブリー軍は我が軍の動向に応じて防衛出動しなくてはならない。そしてその動きは後手に回って把握がし易い。また都市を陥落させた後に住民を縄で縛り、牢や出入口を工事して塞いだ建物に閉じ込めて、早く救出しないと飢え渇き不潔で死んでしまう、加えて食糧も奪い去ったので当面の食べ物も持って行かないと餓死すると非常にやり易い。嘘でも目標に無い都市へ予告すれば陽動にもなり、時にはあちらからやるなあっちの都市にしてくれと指定が入ることすらあり、それに従うと降伏から物資引き渡しまでが速やかに行われることがあった。

 そのようにプラブリー軍を操って撤退。具体的には参謀と幕僚団が計画するので、自分は「そのようにしなさい」と答えるだけ。

 都市襲撃の道中、象に乗って移動して、食事をとって便所に行く以外に仕事は少なかった。弓でメルカプールでは見ない珍しい動物を狩るぐらいで、毛皮や革に角、牙の蒐集品が増えて楽しかったが、近衛の隊長からは「警備が難しくなるので止めて下さい」と怒られた。拾った珍しい色の石、宝石の原石もあったが、言う事聞かないと石を入れた箱を捨てるとまで言われてしまった。

 各都市、族長は主に白か赤の猿頭が支配層として直接か間接的に担い、下部に赤猿頭が戦士層を担い、その他獣人が平民層、人間が奴隷層という他種族混合の細胞的”小タルメシャ”社会式部族を構成し、土地によってまた差異があって階層構造の解明が難しく、不満を持っている層を焚きつけて革命させる策を練る時間も隙も無かった。彼らが今まで体験して来なかった内乱を起こせば有効な妨害になると思ったが、即席に出来はしなかった。

 それからジャーヴァルが今後あなたを保護するから協力してくれ、という出来ない約束は通用しなかった。虐殺しないから一時的に協力しろ、は通用した。


■■■


 プラブリー軍の本隊が南のナコーラー攻めから離れられないこともあり、割と優位を確保したまま暑くて湿った密林地帯を抜け、北の熱帯草原地帯へシンラーブ軍は撤退に成功。湿気に疲れた馬と駱駝も元気を取り戻して戦術優位も固まった。

 北上するための主要拠点になるナームモンを、ここぞとばかりに弾薬を、今後の戦闘支障が出来るくらいに使って占領。撤退殿用に利用。

 それから先遣した騎兵隊が遂に南ハイロウとの境界にあたるトルボジャに到着して帰って来た。

 我が軍の受け入れに関しては、我が軍を養う食糧は現地に無いという話で、しばらく食い繋ぐ分はプラブリー北部の占領統治で賄う必要があると判明した。

 アルジャーデュルの本軍との直接連絡もついた。竜跨隊の連絡は素早く、こちらの撤退に合わせてプラブリーに攻め入り、現在は西側主要都市のヤオを占領維持しているそうだ。

 ナームモンとヤオからは王都チャラケーまで大きな障害無く攻撃出来る位置にある。本軍司令官のタスーブ藩王は王都攻略を提案してきたが拒否しておいた。ケテラレイト陛下の命令に王都攻略は含まれておらず、戦争の泥沼化を参謀が指摘したのだ。撤退に専念している現状から方針転換をすると問題が多発することが予測されたし、何より早く安全な普通の寝床で寝たいのだ。誰が好き好んで戦場に長居するものか。あと父王からは、あまりザシンダル藩王に功績を積ませると帝国の政治均衡が南に偏るとの指導も出兵にされていた。その通りだと思うし、もう寿命が近い父の言う事は聞いておきたい。

 昨今は宝貝装飾の、赤猿頭のプラブリー人の中でも現チャラケー政権の中核民族から、士気の高い民兵が麻薬を服用してから奇声を上げ、鎌型の山刀を持っては夜襲を繰り返して来ているので軍全体が疲れている。聖戦士戦法みたいなもので、やられると中々に辛い。やり返してやろうとは思ったが、これから安全圏に向かうところなので、普段なら薬漬けと洗脳術で聖戦士にしてしまうような負傷兵でも無事に帰してやるようにせよと命令を出した。参謀は反対したがこれは押し通した。自分も帰りたいんだから兵士達も帰してやりたいのだ。

 赤猿頭の民兵は神出鬼没。自分が便所に出かけた先でも泥の中から現れた。捕まえて腕や脇をペキペキ折ってみたが全く痛まないようで反応が面白くなかった。早く帰りたい。

 南ハイロウに到着しても帰郷は遠い話なんだろうと予測出来る。敵対したプラブリーに対する北の抑えと食糧調達、そして戦況次第では帝国連邦軍の支援にも回らなければならない。病気になれば帰郷して弟達――皆仕事で忙しいが――の誰かに将軍職でもなんでも譲って隠居したい。

 しかしいまいち病気というものが分からない。何だか具合が悪くなって熱が出たり、咳き込んだり、頭や腹が痛くなったりするらしい。

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