第304話「拒否は出来る」 ケテラレイト
今まで長くカリン川の戦線を維持出来ていたことが嘘のようだ。川向うにいる南覇軍は精強、装備が良い。初期から旧式装備の多かったこちらが質で劣っていたが、大口径砲が敵方に配備されるようになって更に格差は広がった。足手まといになりがちなタルメシャの属国軍は前線には出て来ないが、後方予備に配置されていて実態以上に脅威になっている。今まで少しでも突破を考えていたことが馬鹿のようだ。
状況は川の線で攻めあぐねていたというよりは、そこで敵の逆襲を防御するので精一杯だった。蒸気機関と鋼鉄の河川艦隊もいてどうしても攻められなかった。このまま戦争が終わってなし崩しに停戦になればと思っていた。南覇軍はやれば成功出来る本格的な逆襲に出られなかった、出なかった理由ははっきりとはしないが、こちらが術中に嵌められ抜け出せない感じはしていた。脅迫で同盟にしたプラブリー軍のナコーラーへの南進攻撃と、内陸部からの別働軍によるバッサムーへの東進攻撃が状況を打開してくれればと安易に考えていたのかもしれない。安易に考えてしまう時は、疲れているか、完全に術中に嵌められているか、双方。手の打ちようがない。
行き詰ったところで後方連絡線の内、主要な沿岸線を南覇艦隊による奇襲上陸作戦で断たれてしまった。ラスマル大提督が対応したが遅かった。そもそも戦力に開きがあったから奇襲ではなくても防げなかったと竜跨兵を使って伝達が来ていたが。
ラスマル大提督が敗戦を認めて西タルメシャの海域を放棄した。今まで良く堪えたと個人的に言いたいが、ジャーヴァル臨時皇帝としては、生き残れればこの件について追及し、遺族将兵へ公式声明を出すことになるだろう。生きて帰れれば、帰っても立場があればの話だ。
この状況を窺っていたか、そもそもその予定だったのか、裏切りにプラブリーの糞猿が後方連絡線の内、内陸線に居座って我々が挟み潰されるのを眺めている。護送料として奴隷十万人、エンサル峠までの領土割譲を要求してきた。なめくさっている。
後方連絡線開通の努力はした。大提督の艦隊の一部がカリン川河口部に特攻した隙、東岸の敵軍が渡河攻撃を即断出来なくなった隙に予備兵力を派遣したのだが失敗した。海岸に並んだ南覇海軍の艦砲射撃を前に十分な兵力を集中させられなかった。集中が成功してもどこまで戦えたか。不幸中の幸いは特攻艦隊の船員を救えたことだろう。
こうなれば殿部隊を残し、犠牲になって貰って通行に不便な内陸線を通って撤退するしかないのだが、糞猿とはいえ一応は歪んだ関係ながら同盟相手であるプラブリーの軍へ攻撃を仕掛けるのは決断がいる。今、プラブリー北の内陸側からタルメシャ東部へ攻勢を掛けているシンラーブ王子の軍がいるのだ。もしここで明確に同盟破棄、敵対行動を取れば彼らが敵中で孤立する。
あらゆる外堀が埋められたようだ。その絶望的な状況下で、護衛も連れず豪気に、自分と直接交渉がしたいとやってきたのは龍朝天政の南覇巡撫、ルオ・シラン本人。ただの外交使節などではない。今大戦における南洋方面の敵総司令官だ。
「ケテラレイト陛下。勢力範囲を確定しようではありませんか」
開口一番から甘い。
「プラブリーを緩衝地帯に、ナコーラーとラノを猿の犠牲にして東西勢力圏を確定しましょう。これ以上の争いは第三者の利益にしかなりません。魔神代理領への義理ならば、その新勢力圏を境に疑似戦争をやればいいのです。血が必要ならプラブリーの猿を殺して戦争参加のふりをすればよろしいのです。もし提案を受け入れるのならば陛下の軍は、攻城砲の放棄でもって武装解除相当と見做して後退を認めます。沿岸道路をゆるりとお下がりください。内陸の別働軍の撤退に対しては東側から追撃は一切加えません。そちら武装解除も求めません。プラブリーの追い剥ぎ部隊を殺して逃げなくては行けませんからね。そもそも今互いに保持している前線をこれ以上伸長したところで維持は困難です。手打ちにするならば今です。帝国連邦への義理を感じているかもしれませんが、百万のジャーヴァル将兵の命、無事な故郷への帰還を犠牲にするほどでしょうか? 帝国連邦が押し込まれていて、その領土や領民の大半がこちらの手中にあって塗炭の苦しみを味わっているというのならば義憤し、損害を甘受して戦っても良いでしょう。ですが北陸方面では帝国連邦が、そちらが把握している通りにこちらの領土を奪いに奪い、領民に対して史上類を見ない残虐な仕打ちをしております。同盟でありますから、ジャーヴァルの正義の伝統があっても非難したり出来ませんね。それでもある程度助けなければならないことは理解しますがしかし、程度問題ではありませんか。私ならばその程度を調整しましょう。権力があります。そこそこ戦う必要があるならそこそこに戦いましょう。どうですか? 密約になりますがしかし、徹底して反対されるような裏切りでしょうかそれは。私はそう思いません。そもそも何もこれで失いません。むしろ損失回避という得難いものが得られます。最高司令官にはそう呼ばれる権限があり、そう振舞うべきで、私は南覇巡撫としてそうします。ケテラレイト陛下、いかがでしょうか?」
この絶望的な状況を作りだし、プラブリーもおそらく手の平で猿回しにしたこの男が、飲み込むには丁度良い要求を出してきている。それも嘘は無く、真実のみで語って、誠意すら見せて、こちらに乗り込んで説得に来ている。拒否させない状況を作ってからだが、納得するしかない条件を出して交渉に来ている。
体面上これを拒否は出来る。しかし出来るはずがない。
ルオ・シラン、恐るべし。
「プラブリー、これの扱いには関知されますか」
「第三勢力とは孤独なものなのでしょう」
勝っているのは腕と歳の数ぐらいか。
「受け入れます」
「それは良かった」
魔神代理領軍務省の裁可を仰がぬ約束、密約成る。講和合意文書への調印はまだ先の話だろう。
■■■
ラスマル大提督より預かった竜跨兵を使い、他二軍へ伝令を飛ばす。
プラブリー内陸部にて孤立する軍の、シンラーブ王子にはプラブリー領の切り取り目的の占領は行わずに南ハイロウか、アルジャーデュル――アルワザン、ジャラマガン、デュルガン三国の名から取って新規命名――地方へ脱出せよ。また南覇軍の追撃は行われない予定だが、用心せよと命令を出す。説明は後程するから絶対遵守、猿頭はいくらでも殺しても構わないが脱出、生存が最優先とも。
シンラーブはメルカプール藩王の長兄、王太子。彼の弟の、何かと頭が回る帝国連邦のナレザギー財務長官と違って言われた通りのことしかやらない怠惰な男だが、こういう時は信頼がおける。余計なことをしない、参謀の言うことを良く聞く将軍なのだ。
アルジャーデュルの本軍を指揮するザシンダル藩王タスーブにも、プラブリーにおける領土切り取りはせずにシンラーブ軍の脱出支援を行えと命令を出す。あの親殺しの陰謀家なら自分の暗殺のために何か仕掛けそうなところだが、ザハールーンに譲位予定であるので頭を巡らしても動機は無さそうだ。維持のし辛いプラブリー領の切り取りも、行ったとしても節度ある範囲、相手方からの逆襲予防程度で収めるだろう。あの者に絶対遵守の命令など意味が無い。
まだ終戦ではないから気を抜いてはいけない。降伏、敗北を認めたではなく、高度な戦略判断、妥結によって整然と後退するようにしないといけない。気が抜けた時に奇襲を受ければ瓦解する。将兵は疲れている。
■■■
自分は魔なる御力を、”神の如き”ケファールより継いだ。
目の前には白猿頭の、この大地方の語源にもなったタルメシャ人指揮官を筆頭に、赤猿頭のプラブリー人兵士が道路を塞いで布陣している。あの北のハカサラン高原からわざわざ渡ってこのようなことをしに来たのだ。
先頭に立ち、近衛の象騎兵隊を従えて内陸線を進んだ。その姿を見て猿頭の糞共が高い笑いを上げて転げて待っている。奴等には、自分が主力のほとんどを前線に残し、我が身可愛さに最低限の数だけで本国へ脱出するかのように見えているのだろう。
我が軍主力は大型砲を放棄し、道が整備された沿岸線を進んでいる。南覇巡撫が約束を守った。
言葉を交わすことも不快。野卑に猿のように崩した姿勢でプラブリー兵の使いが寄って来たので、象から降りてその口が開いた瞬間に指揮杖で頭を叩き潰す。猿の脳みそは美味いが、こいつらのは特段に臭そうだ。
額の第三の目を開き、煌めく一閃を横薙ぎに敵封鎖部隊を爆炎の壁に埋めて焼き払う。悲鳴すらまともに上げさせず糞猿を液状、砕けた炭、黒焦げ、生焼けにする。熱風を吸って肺が焼けた猿が転げ回ってから動かなくなる。液化した地面が湯気を上げ、熱が空気を歪め、冷えれば硝子になり始める。そして頭痛、寿命が削られるような気がする疲労。これは一度目が辛く、二度目で後を引きずる疲労困憊、三度目で寝込む。
魔術の中でも威力だけは最高とされる、”神の如き”ケファールの必殺”破壊光線”。史料で確認出来なければ何かの冗談みたいな名称だ。
上の腕で弓を持ち、矢を放って小銃をこちらへ構えて当てそうな猿を射殺す。銃弾を撃ち込まれるが専用の甲冑に当たれば問題ない。
中の右腕で槍を持って倒れた猿へ死体突き、中の左腕で指揮杖を振って象騎兵隊に攻撃指示。
下の右腕で刀を持って、近寄る剣盾の猿を武装ごと切り伏せ、左腕の投石紐で地面の石を拾って回して投げて中距離の猿の頭を砕く。
象騎兵が背の櫓から小銃、旋回砲射撃を加えて一掃し始め、巨大な足で猿を踏み潰して進む。
進んで行った先で命乞いに指揮を継いだ? タルメシャ人が変な笑い顔を作って「これは陛下! 何かの誤解でございます!」と言ったので、投石で顔を潰した。
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