第291話「矜持」 セジン

 龍元永平八年、冬も近づくの雷熟の節。中原ではこの頃から激しい雷雨がやってくるのだが、この南の地ニビシュドラでは乾季が到来し始める。

 ニビシュドラ島中部のルッサル地方、その玄関口である東岸のリチエ川河口のケムアラに大龍銀船艦隊の陸戦部隊、訓練されて良く戦える者達六百だけを上陸させて進出する。それから少ないが持てるだけの武器弾薬に、あとは出来るだけ美味い酒。かなり死ぬだろう。死ぬ前に飲ませる。ニビシュドラの連中にもだ。

 自分とグジンは蛇龍を伴い、ニビシュドラのクワダット王子も連れて出陣する。王子には我々が何をしてどうなったかを見て貰う。宗主国と属国がいかなるものかを教授しよう。水竜はフウに託し、ハン・アンスウにはこれまで通り南洋経済の活発化に専念せよと言っておいた。

 通商の仕事だけで南洋交易路の開通は終わらなかった。ニビシュドラ島に敵軍が出現。重装備と思われる魔神代理領軍が上陸し、蜂起したインダラ人とカピリ人の反乱軍が加わっておそらく十万以上の兵力になっている。共にルッサル地方へ南端のインダラ地方から北上中で、非人間勢力もその蜂起に続々と参加して数が増し、支える拠点、勢力が増え続けている。当地方のに駐留するニビシュドラ軍は並の民衆反乱を鎮圧出来る程度の兵力しかない。まともに戦えば確実に負ける。だから住民避難と現地軍の撤退を支援するのだ。

 古くから天政では蛮を融かし、化を排してきた。ニビシュドラもそのように徹底していればこんな蜂起も無かっただろうに。

 南覇軍と南洋軍に現状を通報したので少し時間はかかるが増援がやってくるだろう。それまでニビシュドラ国を物理的にも精神的にも持ち応えさせるのだ。例え玉と散ろうとも、たとえ今わずかに力が足りずとも、戦わない理由にならない。宗主国の矜持を見せてやる。

 南から北上する敵は最終的に島の北端、最重要拠点ギバオを目指すだろう。戦略的にもギバオを落とされればニビシュドラ海峡交通に障りが出て大きな影響が出る。死んでも無駄にならない有意義な戦いである。

 西の小人に鳥頭共は平気で人を食うという話だ。人の民を虐殺し、食糧としているそうだ。食糧確保が容易な分、進軍速度は速いだろう。

 敵が初期に掌握したインダラの地は人間も少ない化外の地。敵後方での対抗反乱が起きるとは考えられないので正面から真っ当に戦うしかない。

 そして今攻め入られているルッサル地方は未開で貧しく、抵抗が期待出来ない。住民の国に対する帰属意識も薄く、人外部族も多くてまとまりが無く、主要都市とされるケムアラでも規模が小さく、その他は防御拠点になるような都市が無い。

 この惨状、ニビシュドラの落ち度であり、そこを守る義務を持つ南覇軍の責任であり、魔神代理領軍が上手だった。

 南覇海軍は装備も錬度も高いとされるが、広範囲に行われる海上遊撃戦術に対応出来ていない。錬度の高さは個艦の範囲にとどまり、艦隊の域に達していないということだ。決戦では勝てても決戦を避けられれば手も足も出ないと証明された。海軍の専門家ではないがそのくらいは批判出来る。ニビシュドラの南半が奇襲と蜂起、謀略に対策不足で瞬く間に陥落した事実は覆せない。

 ルオ・シランめ、お前の尻を拭う手が誰だったか後で教えてやろう。あまり酷いようならこちらも薄殻豆と呼んでやる。

 しかしファイード朝め、この奇襲のための航路を準備したと見做して良いのだから敵対中立どころか敵対ではないか。あの海賊軍団と多正面作戦は避ける方針で争わない判断らしいが、後で誅するべきなのは明らかだ。そうされるのが分かっているから支援するのかもしれないが。

 批判は批判として口には出さない。軍も権限も情報も限られているこの身ではそれらに対する有効策など思いつきもしないのだから。歯がゆい。


■■■


 リチエ川沿いに内陸へ進む。陸戦隊六百、王子の護衛五十、ケムアラからの増援二千、他荷担ぎの労働者と牛が多数。今は乾季で天候は晴れ間が続き、雨が降らず川の水位は下がって通りやすく、水田は収穫された後で水が抜かれ、洪水も滅多に起きない。これは敵の進軍も早いということ。あちらは人外だから尚更だろう。

 川を上る道では避難民達と擦れ違いながら、そして人外達が処刑された姿を見ながらの行軍になる。敵の情報を知るために避難民から通訳が話を聞き、それぞれの物語を削ぎ落としてまとめると、蟻の群れのように数が多い敵は赤い帽子を揃いに被った小人と鳥頭で、牛と象を伴い、虐殺しながら人を食らう。それぞれ獣のように足が速く、異形の神か精霊を祭って運んでいて、沢山の銃や大砲に船まで持っていて、聞いたことのない騒がしい音楽と歌で遊ぶ子供みたいに笑っていたという。おぞましい。

 王子から現地のルッサルの警備隊の装備と、各所に分散した上で六千という規模を聞いたグジンは、対抗手段が思いつかぬと首を振った。土地に不慣れな小人だけならば遊撃戦という手もあろうが、人より適合した鳥頭がいるのだ。地の不利はこちらにある。

 そして川の上流に到達し、川沿いを離れて土が剥き出しの道を南下し、新しく作られた焼畑の農村に到着。この地に集結できた警備隊の兵士は総数二千余りで、避難民――軍事的には足手まとい、同数の敵が増えたと同様――を抱え、多くが各地で各個撃破された上での総数だから部隊としてまとまりが薄く、食われる仲間を見たという異常体験込みで戦意が喪失しており、負傷者も少なくない。これで兵力の合計五千弱といったところ、厳しいな。

 村を軍事拠点とするため警備隊が柵を巡らし、空堀に先を上に向けた杭を並べ、急いでその辺から拾ってきた石で雑に胸壁を作っているが、余りに頼りない。一応は高地から見下ろせるような位置にはあるが、高低差が城壁のように機能するほどでもない。地形のうねりを利用して丘に見立て、稜線沿いに何段階か防御線を構築出来れば良いが、既に前線の哨所の部隊は敵先遣隊に抗えず撤退して来ている。連れてきた兵達にも手伝わせるが時間が足りない。被害を通報してきた快速の伝令が遅かったのではなく、奴等の侵攻速度が速過ぎるというところか。

 とっとと避難民を追い出したいところだが負傷や病気で動けない、避難先までの食糧が無いとか、兵士優先でお前らは道端の草でも食ってとっとと失せろなどともめている。あとは方言というよりは現地語が多様で通訳が足りず、話がまず噛み合っていないらしい。

 この地は、焼いた森が、栽培はまだだが農地としてある程度出来上がっていて焼けた木や石は撤去された後で歩くのに不便が無く、障害的な地形ではない。複雑なことは出来ない。

 少数編制の敵先遣隊がやって来たら、一時的に迎撃の利で数的に圧倒して一撃し、速やかに後退するのが良いだろう。グジンも、ルッサルの警備隊長も賛同した。これしかあるまい。

 警備隊には持ってきた最新式の小銃を配ったが、今まで施条式に触れたこともない兵士ばかりで訓練が少し必要だった。尚、大砲は無い。全て放棄して逃げてきたそうだ。情けない。

 村を中心に迎撃体制を組む。何とか作った壕と胸壁に隠れ、銃撃を浴びせて敵の攻撃を受け止める。それから逆襲に出てその攻撃で防御力を失った敵を追い返し、追撃はしないで後退するという想定で演習をした。

 ここを守る意義はルッサルの防衛ではなく、避難民の逃げ切りと、敵がいかなる装備と組織と数であるかの威力偵察だ。無意味ではない。

 待機中に各兵へ銘酒を振舞う。

「飲め飲め、庶民じゃ死んでも飲めない銘酒揃いだぞ」

 自棄酒のように飲まないように責任感のある者達の手で兵士達に二口程度ずつ配らせる。

 そうして避難民への追い出しがされ、敵を待っていると話に聞いた音楽とやらが聞こえてくる。軍楽というか祭囃子のやかましさに、魔神の共通語の歌も伴っている。


  赤帽党! 赤帽党! 吶喊吶喊赤帽党!

  赤帽党! 赤帽党! 突撃突撃赤帽党!

  壁を撃ち抜く赤帽党!

  城を落とすよ赤帽党!

  全体進撃赤帽党!

  死を恐れぬ赤帽党! はい!


『ワッショイワッショイ!』

 広い農地を横断するような戦闘陣形で赤い帽子の小人兵はやってきた。その数は先遣隊どころではない、主力だ。

 雰囲気がマズい。熱量というか、見ただけで士気も何もかもが圧倒していると理解させられてしまう。巧みな演説と演出に狂喜した時の民衆の熱をそのまま持って運んでいる。

 装備は、先端を朱に染めた隠す気の無い男根を御神体と楽隊と銃手と砲手を乗せた山車、その屋根の上で扇を持って先導者が踊っている。山車と山車の間には小銃、小型の砲で装備した兵士が進んでいる。その前衛第一陣の後方には第二陣、象や牛も伴った補給部隊が混じっている。あれは前衛の負けを前提にしていない。一気にここを踏み潰してそのまま北上する気だ。


  赤帽党! 赤帽党! 押し出せ超力赤帽党!

  赤帽党! 赤帽党! 引っ張れ強力赤帽党!

  折れず断たずの赤帽党!

  欠けず錆びずの赤帽党!

  花丸百点赤帽党!

  花丸百点! 赤帽党! はい!


『ワッショイワッショイ!』

 砲声。農地を前進する敵軍から発せられたものではない。

 農地の脇にある密林、内部の農耕に適してない地形にある燃えた木が残り草が生え始めているところが揺れる。草木が揺れ、伏兵が悲鳴を上げて逃げ出す。その上空には砲弾が炸裂した煙が発生している。榴散弾か。

 伏兵がバレた。見て察知したかとりあえず撃ち込んだのかは知らないが、見えている第二陣より後方に長距離射撃が出来る砲兵隊、第三陣がいるのか。

 ニビシュドラの警備隊が浮き足立つ。伏兵が村に逃げて来てその負傷した姿を見せて士気が下がる。その下がっているところで第二陣が停止、吹き上がる噴煙と飛翔体、火箭の一斉射撃が始まる。同時に第一陣から散兵が前に出て来て、こちらの名射手でも狙撃出来ないような距離から銃撃を始める。


  赤帽党! 赤帽党! 筋立つ体が赤帽党!

  赤帽党! 赤帽党! 来たぜ爆散! 赤帽党!

  行けるぞ行けるぞ赤帽党!

  そんなに行けるの!? 赤帽党!

  赤い拳が赤帽党!

  拳が赤い赤帽党! はい!


『ワッショイワッショイ!』

 石壁、木柵、土、肉に銃弾が当たって、空気を裂いて鳴る。火箭が的を絞って着弾し初めて爆発。人と銃が倒れて鳴って、悲鳴を上げ始めた。負傷者が後方へ引きずられて行くが、引きずる者が狙って撃たれた。そしてこの刺激臭、着弾地点の兵が咳き込み出した。硫黄毒か!

「防毒覆面着用! 毒煙だぞ!」

 貴人がこんな無骨な物を被らねばならんとはな。

 防毒覆面はこちらの陸戦隊は万全で、警備隊には配備されていない!

 爆発で脆い建物が壊れ、火箭と合わせて破片が散って兵を切り裂き、混乱が広まっているところで毒煙が蔓延。それと同時にそこそこ当たる銃弾が狙ってくる。一発、減衰した弾だが食らった。服に穴が開いたじゃないか。

 次の銃弾を避ける。今、撃った奴と目が合った。狙ってると分かって、直前で避けた。避けなければ当たった。上手いな、とんでもない距離だぞ? 昔なら大砲撃って届くかどうかだ。

 龍人の豪腕で放つ強弓にて射返すが、銃弾のように早くなく、矢の幕を張る程じゃないので見て避けられた。弓は貴人の嗜みだが、この距離は流石に厳しいか。

「諦めずに撃て! 撃ち尽せ! 残して死ぬな、撃ち尽くせ!」

 このままだと士気が一方的に下がって壊走する。

 自分は長として大声を張り上げて激励し、グジンが具体的に各所へ命令を出す。こちらの銃弾が届かなくてもとりあえず撃って、銃声で味方を勇気付けるのだ。一方的に殴られているわけではないという気分にさせねばならない。自分も矢を火矢にし、攻撃しているということを目に見えるようにする。


  赤帽党! 赤帽党! そそり立つのが赤帽党!

  赤帽党! 赤帽党! そそって立ってる赤帽党!

  太いぞ太いぞ赤帽党!

  立ってる立ってる赤帽党!

  友情努力の赤帽党!

  勝利で極太赤帽党! はい!


『ワッショイワッショイ!』

 射撃戦、勝ち目無し。士気の高いこちらの陸戦隊、脆いとはいえ防御陣地から撃っているのだが、敵の小銃はこちらより隔世という程ではないが性能で勝り、その射撃手の単純な腕は圧倒的にこちらを凌駕する。山車と歩兵からの銃撃、小型砲の砲撃が激しくなり、続々と倒れる。

「少しでも長く踏みとどまれ! その分人々が遠くに逃げられるぞ! 家族を守れ! 人食いの化け物から守るんだ!

 思いつく限り激励の言葉を発するが、この混乱の巷でどれ程届いているかは分からない。

「閣下、ニビシュドラ軍、逃げ始めました」

 当たるか分からぬこちらの銃声が減っているのは分かっていたが、死ぬのではなく逃げていたか。負傷者の悲鳴や苦悶だけは続いていたから分かり辛かったな。

「断りも無しにか。殿下は?」

「いらっしゃいます」

「ええい、殿下に残るニビシュドラ兵を率いさせて撤退に規律を復活させるように。蛇龍も同行させろ、いざとなればそれで殿下だけでも川を下らせろ」

「は」

 弓で狙うのは、第一陣中央の一番大きい山車の屋根の上、踊りが激しく目立っている先導者。

 矢を番え、並の五人張りでは利かぬ龍人二人張りの弓で放つ。矢が飛び、扇で叩かれ受け流された! こちらに強者がいればあちらにもいて、数が多ければその分多いというわけか。厄介な。

 他を狙い、矢が刺さって二人三人と貫くが、その貫いた脇の敵兵に動揺する素振りが一切無い。防毒覆面被りで分かりづらいこともあるが、顔を横に向けることもない。


  赤帽党! 赤帽党! わっしょいわっしょい赤帽党!

  赤帽党! 赤帽党! わっしょいわっしょい赤帽党!

  どんどんどんどん赤帽党! はい!

  それそれそれそれ赤帽党! はい!

  どんどんどんどん赤帽党! はい!

  それそれそれそれ赤帽党! はい、もう一回! はい!


『ワッショイワッショイ!』

 敵の第一陣、迫ってくる。圧倒的な射撃量と、山車を先頭にする破城槌のごとき突撃。これをまともに食らってはいけない。

「後退しろ!」

 陸戦隊に後退命令。動けない者は置いて行かざるを得ない。

 如何に龍人とはいえあの数に単身で何も出来ない。兵達が全て後ろを向いて走り出したのを確認してから、矢を放ちながら下がる。

 矢を当てる。防毒覆面越しの目が笑っている。苦痛などあるか無しの、小人の不気味な笑い顔のまま倒れた。それから何度も射る、当てる、殺す。全く手応えが無い。殺しているのは確実なのに、藁人形相手に練習している感覚。微々たる恐怖すら感じさせていないからか。

 龍人の脚で、陸戦隊の最後尾につきながら矢を放ち続ける。

 村に火を放って後退、脱出。これで多少は中央の面だけ足止めになった。

 敵は村の幅より広い横隊なのでその脇から追ってくる。

 脚を撃たれて倒れている兵がいるから担いで走る。一人二人、手に持って三人四人、口に咥えて五人、肩に一人ずつ増やして、手に持った奴らを加えて三段重ねにして七人。もう一人いやがった! 爪先に引っ掛けて上に上げて首の後ろに重心を置いて八人。

 グジンが撤退を統率。村の迂回で少し緩んだ敵の追撃部隊に対し、統制された殿部隊で射撃と後退をさせている。

 リチエ川方面へ道なりに逃げるが、今度はその先に火の壁と化した森が見える。

 ニビシュドラ人め、撤退に火を放ったか! 判断は正しいが、我々を蜥蜴の尻尾にするとは生意気な!

「閣下、こちらへ! 抜け道が!」

 蛇龍が足元に這って来た。負傷者をその長い背に乗せる。クワダット王子に随伴させていたはずなのにだ。

「殿下、何故こちら側に残っている! あなたは死すべき者ではないのだぞ!」

「説教は後でいくらでも。ここの地理に詳しい者がおります」

 ええい、せめて彼だけでもと思ったが。

『ワッショイワッショイ!』


■■■


「殿隊、持ち応えろ! 男がこんなところで逃げたら女共に笑われるぞ! 玉があるのかとな!」

 手傷を負っていない選抜兵で組んだ殿隊にて敵の追撃部隊に銃撃を加える。

 数の減った陸戦隊五百、クワダット王子とその護衛五十、逃げ遅れの住民数百、ニビシュドラ兵も数百で負傷者だらけ。これを率いて燃え続ける密林を迂回して逃げるのは大層に難儀だ。今逃げている獣道を行き、リチエ川に出たら下る。

 火災がまったく止む気配が無いのは泥炭土に燃え移ったせいらしい。それを分かっていてニビシュドラ軍は火を放ったのだ。川の船はおそらく奴等が全部使って下った後だろう。迎えの増援は期待出来ない。

 殿隊にて、隘路や橋があればそこで敵の追撃を足止めし、その間に皆を逃げさせる。脚がやられた負傷者は連れて行けないので小銃だけ持たせ、銘酒の残りを飲ませ一度切りの殿を任せて死んで貰った後だ。

 敵の追撃部隊をそこそこに足止めしたら走って逃げる。

「走れ走れ! やれ走れ! 振り返るな全力だ! こんなところで殺されてやるな! 踏ん張れ! 死ななきゃ休めるぞ!」

 自分が殿隊の殿になり、矢が尽きたので銃を撃っている。本来はグジンの仕事だが、あちらはいざとなればクワダット王子だけを担いで単身逃げて貰う必要があるためだ。

 敵の追撃が早い。追撃部隊はいつしか小人から鳥頭に代わっている。密林に紛れれば容易に追って来られまいと思ったが、奴等人外共は人の脚より健脚、足場の悪さを物ともしない。一旦距離を離すことに成功したと思っても直ぐに追いついてくる。

 敵はしつこく、横隊に広く隅から隅まで捜索しながら前進してくる。殿隊を広く、待ち伏せ包囲の形にして追撃隊の先方を殲滅してやろうと画策した時もそれで各個撃破されてしまった。

 密林に反響して聞こえる音から判断して、逃げる集団から逸れた者達も漏らさず発見されて殺されている。そのような恐怖に満ちた悲鳴だ。そして密林の鳥の鳴き声に混じって鳥頭の嗤い声が不気味に混じる。

 鳥頭の表現しがたい嗤い声。庶民どころか兵も聞いただけで頭を抱えて発狂し出す。時々だが、食われた後が見える死体が先回りに木からぶら下げられていることもあり、精神が衰弱する者達が続出。負傷もしていないのに置き去りにすることになった。


■■■


「川が見えたぞ! これでもう玄関口に立ったも同然。私の故郷ではそういうものなんだ。だから今日からお前らもそうしろ」

 リチエ川沿いに出ても油断ならぬし、状況は良くない。船は全て無く、村は放棄され、食べ物も残っていない。牛もいない。上流からは食えるところが無くなった死体や血の色が落ちない服やその断片が流れて来る。

 川沿いの沼沢地を通れば蚊が酷い。虫除けの煙を焚いても人数分に足りず、日に日に熱病罹患者が増え続ける。因みに鳥頭共だが、羽毛があって無いところは硬い鱗なので蚊にそもそも刺されないらしい。

 不眠不休、歩きながら水を飲んだり少ない食糧を口にする程度で体力も無く簡単に病気になり、病気ではなくても落伍者が続出する。あちらは人を食いながら栄養に満ちていることだろう。

「帰ったらお前ら全員に私の権限で馳走してやろう。肉も酒もいくらでも食わせてやろう。職人がいたら菓子も出そう。ほらどうした、帰る目標が出来たぞ!」

 皆を一時的に元気付けることは出来るが長続きしない。何度も喋れば激励の言葉も在庫が減って飽きられてくる。庶民の分際で飽きるとは生意気な。誰に気を使って貰っていると思っているのだ。

 密林ばかりじゃなく開けた平原、砂地もあるのだが隠れるところが無く、足の早い鳥頭が騎兵の様に追いついてくる。

 殿隊が追撃を食い止めるが、地形が開けていると思うように守れない。敵は散らばって銃撃してくる。その昔、鳥頭共をニビシュドラが制した時は銃と大砲によって脅かしたそうだが、今ではあちらが使いこなしている。

 大きな被害を出し、川沿いに敵が集結していて川の傍の道が使えなくなってくると辛い。足場が悪く、飲み水が無くて渇く。泥水の上澄み、小便、死人の血で賄うことになる。

「帰ったらお前ら全員の絵を描いてやろう。庶民なんぞの顔が後世に残ることなんてないんだぞ。その栄誉に預かれ。一つ一つに名前も添えてやる。貴人でもそうそう顔も名も残らんのだぞ。さあ立て。死んだ奴は描いてやらんからな」

 落伍者は増え、老人子供がいなくなった。負傷者も病人も、赤子を手から離さない女もいなくなった。だがまだ意味はある。


■■■


 リチエ川の下流、ケムアラの近いところまで逃げた。敵の追撃の手は日増しに緩み、川沿いの道が使えるようになってからが早かった。それまでに足手まといになる者達が軒並み落伍してしまったからだろう。

 中、上流と違い堤防が整備された水田地帯に出た。灌漑の取水口に挟まった、食えるところのない死体に蝿と蟻、魚に海老、蟹が集っている光景を除けば長閑なものだ。

 やはり無人、警備の兵もいないがしかし、ド田舎とはいえある程度まとまった集落、農村に出ると文明の光に照らされた感があって元気が出てくる。

 皆疲れ果てていた。その目は捨てられた民家の中、寝台を透視しているかのようだった。

 一人が耐え切れずに転んだ。立ったまま寝て、その衝撃でも目が覚めていないのだ。

「ほら寝てないで歩け!」

 掴んで起こして、川へ逆さ吊りに頭を突っ込んでやると流石のそいつも目が覚めた。

「お前、若いな、名前は?」

「はえ、カブアンでしゅ」

「よしよし覚えたぞお前、カブアン。この私に覚えさせたのだから無駄にするな、歩け歩け!」

 休んでいる暇は無い。村での休憩は無し、河口のケムアラを目指しての逃避行は中断させない。

 銃声、近くの泥が跳ねる。追撃部隊か。カブアンが走って逃げ出した。元気じゃないか。

 殿隊は集落の建物に入り、防戦の態勢を取る。敵は、川を船で下ってきた小人共だ。鳥頭と追撃を交代したらしい。

 それにしても数が多い。こちらを認めてから続々と岸に寄せて下船し始め、あっという間に何百と歩兵が展開され、撃ってきている。こちらも撃ち返しているが、敵は小型砲を何種類か持っていて砲撃で建物を潰してくる。建物を放棄しながら後退する。

「閣下、あとは私にお任せください」

 逃走集団を指揮していたはずのグジンが戻って来てそう言う。駄目だな。

「お前が引き続き指揮しろ。どうせ死んだらあの約五千歳に蘇らせられるのだ。案ずるな爺や、お前こそ死ぬな。生き残りを、殿下を連れてギバオに戻って伝えろ。子は親に従い、親は子を守るものだとな」

 グジンの皺、鱗顔が歪む。面倒な奴め。

「坊ちゃま、しかし」

「殿は任せろ。それと坊ちゃまは止めろ」

「……ならば、いざという時、自決の見極めを誤らないように。あやつら、何をするか分かりません」

「そんなものするか馬鹿者め」

 こちらの話し合いなど構わずに敵は撃ってくる、砲弾が飛んで来て村の建物も最後の納屋が崩れて終わりだ。グジンが指揮へ戻った。

 銃撃戦をしながら殿隊は後退、どんどんと撃ち殺されて数が減る。参ったな。敵は船で川を下って来て続々と兵力を増しつつある。追撃戦というよりは、ケムアラ攻略軍といったところか。

 馬鹿なことにクワダット王子とその護衛が殿の加勢に、岩場にて待ち構えて銃撃支援をしてくれた。

「殿下、下がりなさい」

 強く言わねば駄目だろう。

「あなたの役目はギバオに戻り、対策を講じること。国を動かして人外の人食い共の脅威を人民に知らせて団結を図り、戦うことだ。ここで雑兵のように死ぬことではない」

 愚かな顔はしていない。通じるはずだが、通じねば護衛に無理矢理連れて行かせるか。

「分かりました。無駄にしません」

 良し。

「勝てなくてすまんが、後は任せたぞ」

「はい閣下!」

 良い目だ。ニビシュドラは後継者に恵まれただろう。何せ、この自分が薫陶したのだからな!

 今度は川の中から蛇龍が顔を出して「ヴフ」と鳴いて、逃げるか? と誘ってくる。

「また会おう」

「フルルゥ……」

 蛇龍は潜った。クワダット王子と護衛が去る。

 しかし少し良いことがあった。彼らが待ち構えるのに使った岩場、迎撃するのに中々良い立地だ。敵が来る方角、丁度崖が迫り出したところの足場が悪く、大人数で攻めて来られない。胸壁に良さそうな岩があり、石が積まれて組んである。手土産にと小銃と弾薬も置いていった。

 残る殿隊、準備はよろしい。

「良いか、伊達に死ね! 最期の見せ場、天が照覧されているぞ! 万歳!」

『万歳!』

「万歳!」

『万歳!』

「万々歳!」

『万々歳!』

 天に振り上げた拳、肘から落ちる。

 あれ?

 脇を見れば、川沿いの密林から現れた鳥頭共の隊列、揃った銃口から上がる銃煙、一斉射撃か。右にも左もいる。殿隊、尽く倒れる。

 転んだ。膝が撃たれた。次は頭かと思ったら、腕と脚ばかり撃たれる。


■■■


 花が赤い。死に際、目が冴えている。

 龍人とて手足をもがれ、首と顎と腹の筋まで切られたら何も出来ない。一つ暴れようとは考えていたのだが、己のもがれた手足や、死んだ、生きていた兵達が料理されて小人や鳥頭共が仲良く笑いながら食っていた姿を見て、気が抜かれてしまった。和気藹々と人肉を食べさせあったり、肩車をして走ったり、わけの分からない踊りで楽しんで、お互いの像を拝んでいた。

 そうして不具にされ、ケムアラにまで敵軍に連れて行かれ、その祭囃子と歌がやかましい包囲陣に加えられた。

 鳥頭、顎に赤い袋が垂れる火食鳥頭に片手で逆さに吊り下げられる。目の前にはカムアラの正門と城壁。防御陣地の整備はそこそこ進んでいるようだが頼りない。

 城壁の上にクワダット王子は……いないな。ギバオへ早く戻ってニビシュドラの総力を結集するのだ。

 グジンは? いないな。いたら飛び出して来るだろう。それで良い。早く中原に帰って己の職分を果たし、この特務巡撫の次なる任務のための兵隊を集めるのだ。次の任地がニビシュドラとは限らないが、天政の勝利、最終的に奴等へ仕返しをするためには何にせよ準備が必要。

「偉大なる星の魔女よ、我らに運命を与えたまえ!」

 鳥頭、魔神代理領の言葉を喋るので分かる。何と野蛮な。

 自分を吊り下げる鳥頭が刀を自分の首に当てる。冷たい、そして引かれ、切れない。龍人の皮膚は生半ではない。

 次に、そんなもので野蛮な儀式は終わらず、鋸が首に当てられ、頭を踏まれて固定、挽かれ始めた。龍人の特性か痛みがそこまで苦痛ではないが、肉が行ったり来たりに斬られる感触は良いものではない。いや、結構苦しいな。

 首から流れる血が真下の杯に注がれた。そして自分の体は、長槍三本に刺されて持ち上げられた。この体をケムアラの者達に見せびらかすのだろう。

 程々の恐怖は良く軍民を団結させるが、この人外共の常軌を逸した恐怖はどうだろうか? 見届けられる程に体には血が残っていない。

 火食鳥頭は血の入った杯を手に気色悪い像に浴びせる。

「血を捧げたぞガマンチワ、我等に運命を与え給え! ケムアラを陥落させ給え! 人間共を尽く殺させ給え! ルッサルの地が我らの手に戻りますように!」

 何と、愚かで醜悪な人外共め。

「ホヴォー!」

『ホヴォー!』『わー!』『キェピー!』

 次こそ……。

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