第287話「兄妹艦隊連携」 シゲヒロ

 米は旨い。白い飯は極上、豆腐の味噌汁は最高、油臭い油揚げも良い。獣肉や野草はしばらく食いたくない。

 玄米じゃない粘る白い短粒米をまともに食えるのはここアマナ人街の飯屋だけだ。だが南洋諸島の住民はどうも苦手らしい。しかも味付けしないで食べるとか正気ではないと思われている。口の中でおかずと混ぜてると言ってもおかしな顔をする。そんな顔が無いのもこのアマナ人街の飯屋だけだ。

 竜大陸を一匹欠けたが脱出し、ガシリタ島のユルタンに入港する前に通ったバチャルル島の空は明るかった。

 一昨年ぐらいは薄暗かったものだが、もう火山灰は大分落ち着いた。去年までの周辺地域での不作はファイード王の”恵み”で飢饉を回避したので大問題になっていない。そして今年は、寄港した時に聞いたら豊作とのこと。何だか良いことばかりのような感じがしなくもない。

 天政行きの商船から奪ったアマナ銀だが、頭領が自分とイスカを救助するために反転する前にファイード王の海軍に託しており、無事にユルタンに届いていた。入港時には、所詮は海賊なので国を挙げてというわけにはいかなかったが、知ったる顔ぶれの連中が歓声で迎えてくれた。

 いつも通りのことではあるが、ファスラ艦隊の船員はユルタンを手ぶらで歩いて飲み食いが出来るようになっている。請求は全部艦隊の方に回され、更にファイード王の金庫番に回る。好きなところで酔い潰れても盗まれる金も無いし、近くの宿へ丁重に運ばれる。売春宿でも可。

 そんな有名なファスラ艦隊だから色んな有象無象が絡んでくる。一番多いのは、艦隊の者だと偽ってタダ食いをしようとする乞食。寄港中はそこら中に艦隊の者がいて、そんな名乗りを上げようものなら捕縛する。そうして無理矢理船に乗せて一航海働かせたら解放する。

 アッサンくんもその手の乞食で無理矢理乗せたのが始まりだったが、首が吊られた時に折れて死んでしまったことが分かった。戦闘機動中の勢いで助かるわけもない。

「シーゲ、いつまで食べてんの!? ホドリゴ出ちゃうよ! 鐘聞こえてんの!?」

 店の入り口からイスカが顔を出して声を上げる。

 時刻を知らせる鐘楼がユルタンにはあって、出港時刻が決まっている船があれば何時頃出るのかと分かるので港湾関係者に便利である。たぶん聞き逃した。

「おー」

 茶碗の白飯に味噌汁ぶっ掛けて啜って「ごちそうさん」と言って店を出る。もちろん支払いの必要は無い。

 艦隊の人間と偽るように、頭領ファスラの息子、娘と名乗りを上げる子供は無数にいる。手持ちの金があればじゃあ養育費だ、と一食分の小銭程度をくれてやるのが艦隊でのある種の習慣になっているぐらいだ。だがこの孫娘と名乗った少女イスカだけは頭領の対応が違った。その死んだ母と祖母の話を聞くと身に覚えがあったらしい。イスカは当時、年齢は分からなかったが一桁年齢の子供も子供。四十過ぎのファスラなら十代前半でどうにかすれば不可能ではない。そしてすぐに船で預かることになった。小さくて身軽な少年は火薬運び仕事等に向いているから無茶な話ではない。

「もー! 船下りたらボケちゃったの!? しっかりしてよね」

「へいへい」

 あの時に比べたら大きくなったがまだ痩せたガキんちょだ。嫁さん気取りで手を引きやがる。見てる通りすがりに笑われる。

 あ、爪楊枝忘れたな。


■■■


 ホドリゴが旅客として乗る船はユルタン発、メルナ川河口ベシュフェ着の商船。積荷は南洋諸島の特産品だ。

 大賑わいのユルタン南埠頭へ行く。こちらは商船が主に使い、市場が併設されている。

 南洋諸島産の薬草酒、香辛料、香木、南洋木材、麻、更紗、金、硫黄、愛玩動物が主に輸出されていく。

 商業が活発だと海賊をやっている暇が無いので治安が良い。南洋諸島は海賊の聖域などと呼ばれるが、海賊被害があまり無いから聖域であり続ける。ファイード王の天下で乱暴狼藉さえ働かないのなら自由に出入りして良いという暗黙の了解の下に、外海へ商業より儲からない上に危険な海賊仕事をやる馬鹿が出て行く。

 目的の商船が係留されている岸壁に行くと、大体何でも揃うユルタンで買った西洋の衣装を着て、髪も髭も整えて良い男になったホドリゴが旅行鞄を持って見送りを待っていた。出港時刻はまだだが、船の荷積みは大体終わった後だ。客なら船で待機していないと落ち着かない時間帯。のんびりし過ぎたな。

 ホドリゴは当然無一文だったが、頭領が支度金から旅費まで全部出した。男ファスラは見返りなど求めない。

 図々しくないホドリゴはせめて礼にと、頭の中にある新大陸南回りの東大洋横断航路の情報を提供すると言ったのだが、頭領は断った。男ファスラは、お前は何も考えないで仲間の魂を本国に持ち帰れと言って泣かせた。新規開拓された航路の情報など為政者達が涎を垂らして欲しがる戦略級に貴重なものだが、下品だが卑しくはない我々は受け取らないのだ。

「よしよし」

 大の大人であるホドリゴが小さい女の子であるイスカの胸でベロベロに涙と鼻水を垂らして声を上げて泣いている。泣き虫なのは出会った時から大体分かってる。これは個人の性格で、大人だとかは関係無い。あの境遇で心折れて狂人になっていないだけ立派なのだ。

 女の服を濡らしたホドリゴが立ち上がり、こちらと握手する。

「男なら己の使命を果たせ」

 ホドリゴは頷いてばかりだった。

 ……出港を見送った。

 船が出てからも、船尾に立ったホドリゴはずっと手を振っていた。あれが初めて世界一周を遂げた男になるんだろう。自力での周航ではないところが惜しいが、対策が出来たら次は成功するかもしれない。成功した時は分かる。南洋諸島にエスナル船が東からやってくる。

「行っちゃったね」

「ああ」

 今度はイスカが自分のズボンをベロベロに濡らした。

 遭難仲間のシンザだが、昼夜寝ることもなく、久しぶりの俗世が珍しいのか歩き回っているので連絡がつかなかった。全員揃えたかったが船には予定がある。


■■■


 ホドリゴを見送ってから後の日。着飾る服も無いが、せめて臭くないように風呂に入り、洗濯した服を着て軍用の中央埠頭の岸壁に来た。

 頭領が立ち小便中で自分も並んでしている。博物学者以外にも色々兼任しているアラジ先生は眼鏡を掛けている上にハゲで育ちが良くて上品なのでそんなことはしない。船長のマーシムは二日酔いで呼吸が深い。イスカはおまけでついて来ている。

「おバカまんちょこリン」

 頭領がそう言う。沖を眺めると艦隊がやって来る。

 巡洋艦八隻、砲艦八隻、通報艦八隻のセリン艦隊だ。大所帯だからユルタンの海軍港湾員や、基地司令一行の出迎えがあって慌ただしい。そんな中で小便垂れる度胸はなかなかつかない。

 船長が海へ噴水の勢いで吐き出した。口説こうとした女と飲み比べしたら勝ったけど相手は潰れて自分も倒れそうになったという話である。

 計二十四隻が続々と岸壁に接近し、船上から投じられる細めの錘付き投げ索を港湾員が受け取り、投げられない太さの係留索を手元まで引き込んで係留柱に繋ぐ。船上では係留索が引いて巻かれ、接岸側に防舷物が下ろされて、接近していって遂に着岸。各艦の入港に湾内が揺れ、海面が上下する中で舷梯が降ろされる。

 セリン艦隊の船上にはナサルカヒラの魚頭も見受けられる。イスタメル州にはいないはずだから借りてきたのだろう。

 艦隊旗艦からセリンの姉御、提督が降りてくる。基地司令一行の軍楽隊吹奏、火食鳥頭の奴隷兵の徒列で迎えられ、基地司令と挨拶を交わし、着飾った馬が引く無天蓋の車に乗って宮殿へ。

 一応、ファイード朝は魔神代理領と龍朝天政に対して中立ということになっているので親善訪問ならば問題の無い行動。

 流石の頭領も栄誉礼中にお遊びはしない。ただ、入港作業を見て妹の艦隊を冷やかしには来た。ちょっと失敗したりまごついたりしたら後でからかうのだ。当然、頭領以外の誰かがやったら攻撃を避けられずに殺されるので頭領しかやらない。

 車の後を追ってちんたら歩く。宮殿でも外交儀礼があるので一緒に行っても待ち時間が退屈だ。

「ねえジージ、あの偉そうな女の人が大叔母さんなの?」

「ああ、あれが俺の可愛いおバカまんちょこリンだ。それから偉そうじゃなくて、偉いだ」

「そっか!」

 ユルタンの宮殿は古代に建てられたジャーヴァル的な多神教世界の大寺院を土台に、中世に時の政権が打ち捨てられたその遺跡を魔神教的に改装した建物だ。異形の神々や動物の像が乱立し、壁面や柱には神話を伝える彫刻が隙間なく刻まれている。保護に塗装がされた白と派手な鳥みたいな原色がうるさい。それに玉葱型の屋根が金箔張りで陽光にギラギラ輝いて、そこに魔なる感じで彫刻のブドウが追加され、魔神教の寺院が併設され、床の石畳や回廊が螺旋になってと様式が混ざる。南洋諸島の人間的にはこの派手でごちゃごちゃの意匠が良いらしい。アマナ人には派手過ぎて眩暈がする。晴れの日に直接宮殿を見ると照り返しで目を悪くするから見るなとまで言われている。

 宮殿前広場に入る。

「イスカは外で遊んでろ」

「えー、何で?」

「ハゲジジイに新妻と間違われてチンポ突っ込まれるぞ」

「いやー」

 と頭領が言ってもついてくるので、自分が「仕事だから子供は駄目だ。大きくなったらな」と言うと「シゲのチンポみたいに?」と返して来るので「そうそうそうそう」とイスカの頭に手を乗せて、乗せた甲をぺちんと叩く。

「わっ」

 イスカは、大人しくはしないが広場をうろつき始める。蝶でも追っかけてればいい。

「時間掛かるから帰ってろ!」

「はーい!」

 ガシリタ島にて水竜ヒュルムの八つ当たり伝説から始まるファルマン人の共同体意識は古代――アラジ先生は中世初期と言うが大体古代――に始まり、中世ぐらいから魔神代理領南部系商人がユルタンを拠点にして現地人との混血が進んで文化が混ざりながら発展。そして一昔前に魔神代理領南部サルファム地方出身のギーリスがそこを橋頭堡に東西に名の知れる大海賊として台頭。そしてそのギーリスの息子ファイードが南洋諸島帝国を形にしようとしている。

 広場にはギーリスの金箔張りの巨大な像が建っていて近衛の奴隷兵が番につく。派手趣味はともかく、これには意味がある。ファイードの王国の始祖である偉大な男がいたと言葉ではなく目で分からせることが出来る。南洋諸島に無数にある都市や部族の代表を服従させるためにはこういう、宮殿も含めた大仕掛けが必要なのだ。見て分かる、矮小な自分にはこんな建物は作れない、維持出来ない、従うのが利口だと。

「よっ、親父。今日も輝いてんな!」

 頭領が手を上げて像に挨拶。こんなことをするのも、許されるのも頭領ぐらいだ。一般人がやったら、内臓をぶち撒ける蹴りの一撃を放ってくる火食鳥頭の奴隷兵に殺される。

 順調に行けば後にこのギーリス像の隣にファイード像が、そしてその長男の像が並ぶ予定になっている。

 後継者指名も公に行われており、それは第一夫人の長男。王の後継者は能力資質如何に拘わらず長幼の序に従うと法で定められ、割としつこく宣言もされている。像の台座にも各語にてしつこいくらい刻まれている。

 王が馬鹿でも臣下と官僚がどうにかするという体制への強化が進められている。前に聞いた話だと最近のファイード王は、平時に限れば儀式と子作り以外に仕事が無いらしい。頭領は端的に”お呪いチンポ”と呼んでいた。それはあんまりだろう。

 宮殿に上がり、玄関正面のギーリスとファイードの巨大な肖像画が目に入る。

「よっ、兄貴。今日も輝いてんな!」

 いつもの不敬に慣れている使用人に恭しく、まるで王弟のように待合室へ案内される。

 宮殿は政庁でもある。魔神代理領、旧レン朝、タルメシャ大陸部から移民し、亡命して来た高級将校や官僚を見かける。才能があればと実務を任せられている王子に王女もいる。そんな甥、姪に対して頭領は「おっぱいデカくなったな!」とか「チンポデカくなったな!」とか言い、胸を掴んだり尻を触ったりチンポ鷲掴みにしたり、頬をつねくったり頭撫でたりする。それから美女を見かける度にズボンを下ろしては「あ、間違えた!」と言う。

 そんなふざけた雰囲気の中、絶叫と女の悲鳴。音の方角は謁見の間の方だ。通りがかる官僚や使用人達は一瞬動きが止まるが、またかと直に仕事に戻る。

 ファイード王は自分の元に集まった服属都市や部族の長達を集めて儀式を執り行う。行う機会は定例の年賀行事、ある程度新参者が増えた頃合、そして突発的に行われるような理由がある場合。

 南洋諸島の宗教は独自のもの、大陸由来のものと様々に分かれているが、支配者層の、文明人としての証として魔なる神の教えが貴族階級に普及し、生活に馴染んでいない。諸島の共通語として魔神代理領共通語が自然と普及した時に、常識を共通しようとして教えも表面上だけ取り入れたらしい。

 だから支配者を受け入れる、水を飲む呪術儀式なんて魔神代理領にはないものが当然のように行われている。裏切り者にはそれが毒に呪いで転じ、死ぬというのだ。参加を拒否すれば開戦理由になる。

 あの絶叫は呪われて死んだ男の声で、悲鳴は慣れてない女の誰かだ。

 頭領ほどではないと思うがファイード王も殺法の達人である。儀式の場に呼ばれる立場ではないので見たことはないが、手品のようにどうにか出来るのだろう。

 南洋諸島は広く、文明と遠いところが多く、合理や数字だけで統治出来ない。言い知れぬ恐怖が必要。

 ファイード朝は一代で広げるには過剰かと思える程に拡大している。南洋諸島には無数の国があり、小領域国家、都市国家、部族国家程度の小規模なものが乱立。それらと保護の代わりに税、賦役、兵役義務を負う契約を結ぶ際に、証として婚姻も結ぶのが伝統になっている。タルメシャに限らない伝統。血の連帯感というものはどの文化でも通用するのだろう。

 その無数の国の分、ファイード王は妻を迎えているのでその数が尋常ではない。そして子供の数も更に尋常ではない。ファイードはそれら子供達に教育を施し、それぞれ妻の故郷に送り込んで性別に拘わらず長にし、繋がりの無い諸国を一つ、ファイードの血統に繋げようとしている。送り込まないで実務担当についている者も先ほど見たようにいる。

 これはどう考えてもチンポが何本あっても足りないので、ファイード王と名目上だけ結婚してから年長の息子達に嫁がせ、出来た子供は養子として迎えるという手法も取られている。死んだ男の妻を、兄弟や血の繋がりの無い息子が引き継いで娶るという伝統は地域によってあるが、ここまでやる伝統は知らない。ファイード王が考えた苦肉の策だろう。

 伝統に反するような行為は基本的に嫌われるものだが、それは資金力と軍事力でどうにか出来る。嫌悪以上の恩恵と恐怖があればいい。恐怖は逆らえば潰しに掛かるという軍事力と、無法者を吊るした数に加え、呪いの儀式によって醸成されている。呪いは馬鹿げているようで、実際目にすると如実に効果がある。

 絶叫の主が何故呪われたかは分からない。理由は決して明かされず、ファイード王の胸の中だ。

 個人的に話せば気の良いおっさんなんだけどなぁ。


■■■


 待ち時間を潰すのが嫌なのでセリンの姉御の後をちんたら歩いて追ったのだが、丁度呪いの儀式と被ってしまったので待機が長くなってしまった。食堂に呼ばれて飯をのんびり食うだけ時間があった。

 頭領が「ハゲ遅ぇなぁ、酒飲むかなぁ」と言い始めた頃に会議室へ召集された。

 ファイード王筆頭に、ファスラ頭領、セリン提督と、各々腹心数名ずつ。その数名に自分が入る。

 ファイード王が、ツルテカに剃った頭を照らしてちょっと申し訳なさそうに笑って喋る。

「いやあ悪かった! セリンが来る前にとっととあの野郎殺してしまおうと思ってたら時間が被ってしまった。すまんすまん。親善訪問も儀礼を省略するわけにはいかんしな。いやぁ参った!」

 ちょっと可愛らしさすら感じるおっさんの顔をしているが、先程裏切り者もしくは邪魔者を絶叫上げるような毒で殺した男である。

「ハゲ」

「ハゲ」

「ははは!」

 王をハゲと呼べるのは勿論その弟に妹。

「さて、魔神代理領海軍の親善訪問の方も終わった。おリンはお兄ちゃんに何をして欲しいのかな?」

「海賊働きするから補給許可、代金は軍務省にツケ、すぐに動きたいから手続き簡略化ね。狙うのは補給船は二の次に鋼鉄船。補給船団の護衛艦を狩って拿捕、艦隊の分散も誘導する。拿捕は研究用と戦力補充用。余ったのお兄ちゃん買う?」

「そんな物買ったら面倒だ。そっちの旗付けないで持って来るくらいなら沈めろ。捕虜も奴隷に買わんぞ。国としては支援出来ん。現状で天政と戦うのは不可能だ。勝ち負け以前に被害が甚大になってやっと形になった体制が吹っ飛ぶ」

「チンポコ弾けるな」

「そうだ。散々擦ってきたのが無駄になる。だから一般の武装商船扱いだ。軍港使用許可は出せん。天政から引渡し要求があれば、先に密使で通知を出す。それから表向きに使者を送って相手がそう言ってると伝える程度だな。今までのファスラの艦隊と同じ扱いだ。どこかに寄港してもいつでも出港出来るようにしておかないと庇うことも出来ないぞ。ああ、たぶん、部隊だの艦だの港に常駐させろとか言ってきそうだな。陸に連絡将校だけでも置かせてくれって連絡はもう来てる。軍艦が補給に寄港するかもしれないからって名目だが、魔神代理領海軍の聖域を作らせたくないってことだ」

「それで十分。海賊が海賊やるだけよ」

「艦隊分の入港許可証を発行させる。信用払いもやれるようにしよう。優遇事項は何も記載無しだ」

 ファイード王が目配せ、控える官僚が立ち去った。書類作成に入った。

「お兄ちゃん大好き」

「俺も好き!」

 セリンの姉御にそう言われるとファイード王は、生まれたばかりの我が子にもそんな顔しないんじゃないかというぐらいに顔が緩む。仲が良い。

「俺は?」

「死ね糞が」

「俺も好き」

 セリンの姉御にそう言われるとファスラ頭領は、生まれたばかりの我が子にもそんな顔しないんじゃないかというぐらいに顔が緩む。仲が良い。

「そうそう、死ねば良い方にお土産」

 セリンのお付き将校が、長鞄と重々しく持ち上げた鞄の二つから物を取り出した。

「アサーシャルー工廠の帝国連邦基準火器。こっちの小銃は雷管式、水中用の雨火縄が要らないくらい不発率が下がる」

 頭領が小銃を手に取り、雷管を取り付けて、出されていたお茶を口に含んで吹きかけて濡らしてから空砲発射。警備の奴隷兵が覗きに来る。

「良さそうだな」

「徹甲榴弾。頑丈な弾頭と遅延信管。頑丈な装甲を貫いて破壊してから爆発する。元はランマルカの対装甲艦砲弾で凝固土や石で補強した地上防御施設破壊に流用可能。旦那の砲兵が使ってる。生産数は信管の量産がまだ乗ってなくて少ないけど、分けてあげるから使ってみて。こいつなら鋼鉄船にも大穴が空く」

「補充は利くのか?」

「赤帽軍と新編の連合艦隊用に調達されてるから、お試しね」

「そうなるか」

 頭領は「信管は抜いてます」と言って渡された砲弾を持って眺め、上げたり下げたり重量の手応えを確かめる。今装備している施条式艦砲の砲弾と規格は同じだ。

 それからは、プラブリーの白猿頭の糞野郎共に余った旧式装備をジャーヴァル軍経由で送っている話題。奴等は不実で信用出来ないが、ジャーヴァル本軍が圧迫することで当面の間は従わせることが出来ているらしい。奴等が昔から欲しがっているナコーラーの沿岸地域はくれてやる約束になっているそうだ。これはケテラレイト帝の構想で、臨時扱いが勿体無い。

 ケテラレイト臨時皇帝の孫ザハールーンが皇太子――これもまた臨時、暫定――で后がザシンダルの王妹。その息子、曾孫が成人したら帝位が譲られる予定だがまだ十一歳。成人の十六まであと五年。南北ジャーヴァルと旧パシャンダ統一の象徴になるのだが、個人的な感想として何か間違っている気がしなくもない。

 情勢を確認する話し合いをしている最中に入港許可証と補給物資の為替取引手続き書類が出来上がって署名がされる。

 ファスラ艦隊とセリン艦隊の行動計画とファイード朝側の補給計画との調整が始まり、連れて来た腹心達が活躍する。自分はファスラ艦隊の陸戦隊指揮官なので、陸地を使った行動がある時に口を出す。

 ファスラ艦隊は南洋諸島海域を中心に活動しているが、魔神代理領の軍務省から独立軍事集団と認められ、金を貰い、長であるファスラが公式な肩書きとして”頭領”と呼ばれる立場である。龍朝天政は、今までの経緯を除いても敵だ。


■■■


 会議が終わってからセリンの姉御より「ザラちゃんがシゲにって」と手紙を受け取った。割と分厚い。

”ヒナオキ・シゲヒロ様へ。初めて彼方様へお手紙を送ります。ザラ=ソルトミシュ・グルツァラザツク・レスリャジンです。覚えておいででしょうか? 私は幼いながらも、お顔ははっきりと思い出せないのですが良くして頂いたことを覚えております……”と始まる。自分の名前だけアマナ語で書かれ、後は共通語になっている。丁寧で字も綺麗。若過ぎるので一瞬代筆を疑ってしまったが、直筆で間違いないと思い直す。これは顔を見なくても美人だ。

 あの泣いて漏らしてたちっちゃいザラが手紙だ! 超嬉しい! 生きてて良かった。

「誰その女!」

 イスカが吠える。こいつ字読めたっけ? アラジ先生に教えて貰って自分の名前ぐらいは書けるようになったと思うが。こっちの顔見て勘付いたか。チビでも女かよ。

「帝国連邦総統のベルリクの旦那の娘。お前よりちっちゃい」

 年下相手にむきになるなと言ったつもりだった。

「私もぺたぺたのつるつるだよ!」

 張り合い出した。面倒臭い! こういうのはアラジ先生みたいな少女売春ばっかりしている変態が担当するべきだろう。でも帳簿弄りの仕事があるから任せられないか。ギーリスの親戚のマーシム船長にお任せしたいが、まだ調子が戻っていない顔だ。

「あっち行ってろ、邪魔邪魔」

「いー!」

「おっとぉ、なーに怒ってんの?」

「わっ!?」

 イスカが浮いた。持ち上げてるのは髪の触手を伸ばしたセリンの姉御。

「シゲが不倫してるの!」

 してねぇよ。

「シゲ、あんた悪い男ね」

「悪い!」

「でも、ザラちゃんはめちゃくちゃ頭良いからあんな男と好き同士になったりしないよ」

「あんな男じゃないもん!」

「あらら」

 うるさいな……手紙も頭に入らん。走ってあっちに行こう。下手に近場だと追ってくる。ファスラのジジイはとっととおチンポしてもいいんだぞとか言ってくるだろうから駄目だ、頼りにならん。


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 内陸に食い込んでいて水上住宅地と合わさったような利用頻度が低い旧港、古い船渠があって漁船が多い北埠頭の方へ行く。

 どこか尻を落ち着かせる、索もつけてない鳥の糞がついてない係留柱は無いかとうろうろしていたらシンザを見つけた。

 あの術使い坊主の方術は船の主力として欲しいぐらいだったが、そのような人物ではない。上人と呼ばれるぐらいのお人ならば俗界にいてはならないのだろう。

「シンザさん、どうしたんですか?」

「これはヒナオキ殿。もしかしてここは北埠頭ではないのでしょうか? 乗る船が見当たらないのですが」

 シンザはアマナ行きの硝石輸送船に同乗することになっている。今アマナで硝石を売れば樽一つで奴隷五十人、天政が戦時体制に入ってからだとたぶん百人は買えるような高値になっているとも言われる。百人は無茶な値段だが、奴隷価格はマザキ衆の乱捕りで下がっているのは確実だ。恨みを買った地域の人間は根こそぎにしていると聞く。

 そのような硝石の輸送だからそれなりに情報を秘匿した上で生半可な海賊は返り討ちにするような船団を組んだところが運ぶ高級品に今やなっている。

「北埠頭であってますが、積荷が高級なので賊対策にかく乱してるかもしれませんね。もう一度担当のところへ行くか、その人のところで待機して一緒に行った方が良いのかもしれませんね。獲物の出港に合わせて出港して後をつけるってやり方もありますんで」

「なるほど、ごもっとも。ありがとうございます」

 手を合わせた礼をされる。返礼。

「いえいえ」

「一つ、お尋ねしたいことがあるのですが」

「なんでしょう?」

「市場の方で、アマナ人が何人も売られていましたが、間違いありませんか」

「ええ。あの、説教するわけではないんですが、買い取って救うなんてことは無駄ですよ。キリが無い」

「分かっておりますが、乱世、そこまでのものになっているのですか?」

「色々事情はありますが、多いのが占領した土地に元の住民がいると邪魔で、でも殺すだけだと勿体無いから売るんですよ。領主の名前が変わったってぐらいにしか感じない連中ならいいんですが、上下ともに懇ろだとね。今この南洋諸島は大規模農場広げてますから、真面目に働くアマナ人は需要があるんです。まあ、一番は現地人じゃないし気候にも慣れてないから逃亡し辛いってのがありますが」

「おかしな事を聞きました。失礼しました」

「いえ」

 烏坊主は本来そういう善良な頭でいるべきなんだろうな。今のお山の坊主共と違って。

 さて、座るところは……岸壁でいいか。


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 ……読み終わり、胸が躍るやら苦しいやらで跳ねる。酒飲むより酔っ払っているかもしれない。

 ファルマンの魔王号に戻って次のお仕事の支度もしておかないとな。

 手紙は長かった。自分がマリオルを出港したあの日からこの手紙を書いた最近までのことを、時系列に沿って書いていた。弟と妹、兎、年上の友達、初の実戦、髑髏帽子、初めて出した政治改革案だとか、流石はあの両親の子供かと思わせる話の連続だった。返事はどうしよう?

 シゲ、と初めて言葉を発した時のあの感動が蘇る。嫁は要らんから子供が欲しいと思ったぐらいだ。

 イスカを思い出すに子供は要らないから嫁が欲しいと思わなくもないが。仕事場ならともかく、年がら年中大きくなるまであんなのが家にいると考えれば耳がおかしくなる。一歩距離を置いているから程々に可愛いのだ。

 手紙の内容からザラはイスカのように騒いだりチンポコマンポコと下品な言葉を吐いたりしないだろう。どこぞの姫とは言わないが、結婚相手はある程度節度というか品のある女が良いな、やはり。

 宮殿前広場に行ってみる。あの辺でむくれている可能性がある。

 そうして行くと、仲良さそうに膝くっつけてイスカとセリンの姉御が宮殿に上がる石階段に座って話をしていた。

 姉御が肩をさすりながら、水竜のリンちゃんがいなくなった話をとりとめなくしている様子。盗み聞きは嫌なので距離を取る。

 水竜の赤子リンは孵化からあまり時間も経たずに海へ遊びに行きたがるようになって、自分で食べ物を獲るようになったと思ったらいなくなっていた。賢かったし、一応は懐くが人に依存しない生き物だったのだろう。水竜は群れの生き物だが、人間と群れるわけではなかったらしい。あの時はホドリゴが慰めようと努力していたが、所詮は男だからなぁ。効果あったか分からない。

 時間が経って、頃合かと思って少し覗いてみるがまだ話をしている。女の話は長いものだが、ただそれを待つとなると修行のように更に長い。先に帰っても送ってくれそうだが、姉御に手間掛けさせたくはないな。どうせ仕事の支度は今日の夜に酒飲みながら大枠決めて、具体的に動くのは明日の朝からだ。まだ仲間達も街中へ好き好きに散らばっているから集めるのにも時間が掛かる。

 二人を見ると肌の色は違うし、片や恐ろしげな魔族だが、並んだ女の顔つきは同系統、同血統。童顔に見える目鼻の大きさと形といい、これは間違いなく頭領の孫だ。頭領もファイード王も年齢相応に見えない若い顔。あの三人と比べると他人の空似じゃないと分かった。

 話はそれから切り上げられて、姉御がイスカの背中をぽんぽんと叩いて手を引いて立った。姉御はあんな子供の面倒見が良かったのか。頭領の話とザラちゃんの手紙で、ベルリクの大将から長男のダーリクを貰ってからは人が変わったと聞いたが。

 姿を見せる。姉御はこっちの気配は察していたという顔。

「おい、帰るぞ」

「はーい!」

 イスカの機嫌が良い。

「姉御、世話掛けました」

「にふふん、あの糞の孫だってんだからまあ私の妹みたいなもんよ」

 親等が大分略されているが気にすることはない。

 イスカが手を繋いでくる。

「ねえシゲ」

「うん?」

「私の血統はね、おっぱいは赤ちゃん出来ないとおっきくならないんだって!」

「あん?」

 イスカ、歳相応。セリンの姉御、大きくも小さくもないが、やや小さめ? ルーキーヤの姉御、子供がいるならおかしくない大きさ。

「だから女はケツだって!」

 イスカがケツをくっつけてくる。歩き辛い。腰掴んで持ち上げて肩に乗せる。

「はいはい」

「イスカ、またね!」

「お姉ちゃんまたねー!」


■■■


 ファスラ艦隊の編制。危険で速度がいる仕事は――この前のような天政籍船から銀を奪ったような――ファルマンの魔王号単独でやるが、数がいる場合は兄弟艦を集める。同型艦を姉妹艦と呼ぶこととは別概念。

 常に組んで行動するわけではないが、大仕事になれば組んで動く船仲間のことを南洋諸島では兄弟船と言う。由来は、普段は別に漁をしている兄弟の漁船が鯨漁などの大仕事をする時だけ協力したことに由来する。戦闘艦を集める時は兄弟艦となる。だから誰でも良いわけではない。仕事のやり方を互いに熟知し、連携が取れる者同士でなければいけない。ファスラ頭領の指示に従わないような跳ねっ返りは不要。それが自由に好き勝手やるものの、軍隊のように動く時は動くのが独立軍事集団であるファスラ艦隊。頭領曰く”ケツの穴のように締めたり緩めたりするのが気持ち良い”だ。

 それで今回の隻数だが、かなり高度な連携が必要なので昔から付き合いのある精鋭だけ呼んで三隻編制で望む。自由契約なので都合が合わずそれしか集まらなかったとも言える。

 セリン艦隊は流石に正規の海軍様で入港時と同じ二十四隻編制。それを提督の頭一つで動かすのだから風来の海賊には真似出来ない。ファスラ頭領でも一つの目的にその隻数を団結はさせられても、それぞれ制御するのは無理だろう。軍と賊では組織形態の違いが過ぎる。

 ファスラ艦隊は狩りを始める。

 まず狩場の設定。交通量が多いカンダラーム海峡。

 次に拠点を決める。広くて逃げ隠れがし易いプルヒナク諸島西岸部にする。東岸部は発展していて人が多く、要塞も多くて隠れていられない。暗礁もかなり知られていて逃げる時に工夫が付け辛い。

 まずは偵察。天政籍船が良く使う航路を把握する。戦争勃発前と現在とでは流れが全く違うので改めて把握する必要がある。

 偵察の結果、警備がしやすい主要航路に一本化されて多数の護衛艦を伴った船団が列を成して進んでいる。とてもではないが三隻で正面から襲える獲物ではない。護送船団方式は単純で効果的。これをやられると海賊は商売上がったりである。その戦力が集中した船団を狙うのは愚かである。

 好機を待つ。焦らず、確実に仕留められる機会が訪れるまで待つ。

 暗礁を避ける沿岸航路には中継港があり、難所がある。休めるところと休めないところがある。そして天候は不順。雨と風と潮汐の組み合わせで海の状態は容易に変化する。狙うのは暴風雨の発生。完全に乾季に入れば数は大分減るが、まだまだ発生する時期だ。

 敵船団そして、補給に立ち寄る単艦、小船団の動向を探り続ける。競争でもしない限り、風と潮に船は逆らえないので、天候が分かれば未来位置が分かる。熟練のこの海域に精通した、相手の行動予測が仕事の海賊なら、早く進むだけが仕事のただの商船乗りより分かっている。

 暴風雨は小さいものもあれば大きいものもある。その違いを理解し、標的がどこで避難するか予測する。

 暴風雨の中で操船するのは至難だ。不眠不休で岩礁や暗礁にぶつからないように、船がおかしな場所へ行かないように制御し続けるのは非常に辛い。どんなに頑丈な者でも泣きたくなるくらい疲れ、帆や策具も痛んで壊れる。だからそういう時は風を避けられるような場所に避難する。港に入るのが最善。暴風雨も物ともしない何かに追われているのなら別だが、活動を休止し、安全な場所で出来るだけ疲れないようにするべきなのだ。

「来たぞ」

 陸上ならあまり気にならない程度の小暴風雨の中、風を避けるために日暮れ前にプルヒナク諸島にある避泊に丁度良い、無人の入り江に船が入ってくる。日没後に暗礁がある海域で無理をすることはないのだ。ましてやいくつか難所を越えて疲れている時は無茶をしないほうが身のため。だから予測出来る。何度も外したが。

 ここで三隻で突っ込んでも勝ち目は無い。相手は船団の上に、軍艦には龍人兵が乗っている。船倉にぎっしり入っているわけではないだろうが、十名もいればこちらに百人の死傷者が余計に出ると思って良い。

 夜を待つ。そして船団が錨を下ろして一休みをして、風と潮に流されて錨索が伸びて、位置が流されながらも大体の範囲に船体が定まるまで待つ。

 陸に揚げた大砲で暗闇の中の船団を狙う。風と潮は一定ではないので定まったとしても動き続けているので撃破は主目的にしない。

 ファスラ艦隊は陸海共同で狩る。

 砲撃開始。命中弾は少ないが、時々風雨に負けない着弾音が鳴る。

 大きくは無いとはいえ暴風雨の中、戦闘隊形も取らず錨を下ろし、暗闇の中で陸地へ船の側面を向け、発射時だけ一瞬、森や岩の陰に見える大砲を狙い、味方を誤射しないように砲撃が出来る船は恐らく、まだこの世に存在しない。夜が明けるまで陸からの砲撃を、錨に繋がれたまま受ける判断を下す海軍指揮官はいるだろうか?

 こちらは陸に大砲を四門揚げ、弾薬は多めにしてある。

 本来はケチな海賊だが、後援しているのは世界の大国。そして採算度外視の軍事作戦だ。大砲の放棄、弾薬の撃ち尽くしでアラジ先生が会計簿を見て悲鳴を上げる心配は無い。

 夜は長い。大砲は二、三発撃ったら陣地転換を行ってまた発射する。陸地の広い各所からじわじわと嬲り殺しにするような演出にする。

 最新式の施条砲は軽くても射程距離が長いし、砲弾も鉄の塊じゃなくて徹甲榴弾だから比較してそこまで重たくない。この待ち伏せ場所も決めた時から――あのマトラの妖精工兵には遥かに及ばないが――工事をしてある。今までの陸上作戦より遥かに、難易度と比較して上手く出来ている手応えがある。成功は別。

 敵はどの危険を選ぶか腹を決めたようだ。僚艦に位置を知らせる灯りを各艦、砲撃の目標になることも恐れずに一つ点けて、風雨の中で錨索を切って出航し始める。操船が不能な程の風ではない。苦労すれば出来る程度の風だ。

 我々の大砲の腕では岸から離れ始めた船に当てられない。伝令に、敵船団が出航したことを伝えに走らせる。雨天でも燃え盛るように調節した烽火台へ行かせた。陸仕事はこれで終了。

 雨で濡れて寒いので、小屋に皆で集まって、乾いた布で体を拭いて着替えて火を焚いて温かい汁物を飲む。染みる。


■■■


 夜を明かして海面状況の沈静化を待って、そこそこ揺れる程度になる。

 待機していると入り江にファルマンの魔王号が入ってくる。小船に乗って揺れる中、回収される。大砲は穴に埋めて隠した。

 船で報告を聞く。はっきり言ってあの船団は逃がしたが、目的は別にある。

 次に待ち伏せするのは船団から通報を受けたであろう軍艦。ここに砲台や烽火台があるとなれば秘密の軍事基地の存在が予測され、無視することは出来ない。しかし南覇海軍が担当する海域は広い。段取りがあるだろう。

 小事に対していちいち動いていられない、かもしれない。

 偵察に一隻派遣し、対処出来るかどうかを見に来る、かもしれない。

 一気に集団戦闘可能な艦隊で来る、かもしれない。

 これは賭けだ。裏目に出たらとっとと逃げるのだ。

 弱い者いじめが海賊のコツ。群れからはぐれて疲れ切った子羊を狙うのが海のシケた狼の技。そして節度が大切。欲深くてはいけない。


■■■


 三隻で連携が出来る距離で広く散って南覇海軍の対応を待つ。

 一隻が持ち場を離れて動いた。発見か?

 ヘリューファちゃんに乗った頭領が詳しく状況を把握しに行って……戻ってきて、優勢な敵艦隊の接近が判明する。

 裏目だから逃げる。こういう時もある。


■■■


「わたし、シゲのチンポ好きだよ!」

 帆柱の上の見張り台、檣楼の見張り番を交代した証明のように、甲板に下りて船縁に立って立ち小便していたらイスカに言われた。こいつ大きくなったらどうなるんだろうな? 恥じらいを覚えるのかもっと遠慮が無くなるのか。

 肩に圧力、目前に小便の筋。

「俺も好きだ!」

 頭領が自分の肩の上に立って立ち小便を始めた。これは迂闊に動けない。汚い臭いとか以前に洗濯が面倒くさい! 昨日洗って干したばかりだ。

「船影発見!」

 見張りを交代したばかりの仲間が叫ぶ。頭領が横跳びに小便を船外に出し続けながら走り、ズボンにしまいながら縄梯子を駆け上がって檣楼へ行く。

 距離があって焦ったものではないので、仕事終わりにと船内に入って飯を食う。今日のおかゆはそこそこ良い出来だった。

 食い終わって船外に出て話しを聞けば、エデルト籍の鋼鉄巡洋艦らしい。龍朝天政とは同盟はしていないが軍事交流が活発であるという。

 政治的に面倒臭く、結構強いし、足も相当速い。諦める。


■■■


 次に発見した船影は大船団だった。大小十隻以上と思われる。

 その群れからはぐれる船はいないか? と近づいて観察すると商船が大五隻、中十六隻、小二十隻の大船団で、護衛は南覇海軍の鋼鉄艦大一隻、小三隻。大龍銀船の旗が翻り、天政政府直属と思われる。知らない船団名だが”大龍”の字は、あちらの論理で考えて民間船舶が使うことは出来ない。

 距離を取って追跡することになった。大船団は互いに助け合えるので脱落の可能性は低いが悪天候に期待しよう。天運に任せることもシケた海賊には必要。味方してくれる時の天に味方になって貰うのだ。ご機嫌を窺い続ける。


■■■


  天運に期待したが大龍銀船艦隊狙いは失敗だった。だがこれで焦ってはいけない。忍耐と節度である。

 忍耐を続ければ機会が訪れる。

 鋼鉄船でもなければ金目の積荷があるわけでもないような、小さいカンダラーム籍の商船が単独で通りがかったのだ。

 シケた狼は容赦をしない。弱い者を糧に戦う。

 ファルマンの魔王号は優速でその商船の後方から追い抜き、正面へ回って航路を一時塞ぎ、回頭して一周、もう一度航路を塞ぐ。

 そして、弱装で空砲を一発撃つと白旗が揚がって減速、停戦する。

 接舷し、武装解除させる。船員も少ないし怯えているし積荷も米だけで、大砲も旧式で二門しかなく、火薬も十発撃てるだけの量も無い。

 十分。天運あった。


■■■


 天候が悪くなってきた。大時化ではないがあまり好ましくない。新人が便所桶を引っ繰り返して一騒動あったぐらいには揺れる。

 船影確認、南覇海軍の四隻組の艦隊。移動のための縦列隊形。目標の鋼鉄艦。

 こちらが相手を視認している時、相手も大概は視認している。

 ファルマンの魔王号に乗っている魔術使い組は水と空気と光を組み合わせて操れる。術の話なので感覚は掴めないが、集団魔術で色々工夫して光を曲げて姿を消せる。近寄れば歪んで見えるが、寄らなければ見えない。この姿隠しは術使いへの負担が強く、船体に白い布を張って凹凸を見かけ上減らし、単色に近づけることで多少でも発動時間を延ばせる。これで一度視認された後に姿を消せば相手の見張りも見間違いと勘違いすることもある。例え一度警戒体制に入ったとしても、遠巻きにしていればいつか警戒も解除される。見えたか見えなかったかの船相手に長時間警戒を続けることは困難。忍耐だ。

 忍耐をしつつ、相手が一度警戒体制に入り、解除するだろう時間を置きつつ、仕掛ける。

 拿捕した商船に頭領が乗って、旗を振って救助を求めて叫ぶ。甲板には怪我だとかで動けなくなったかのように捕虜にした船員を転がしている。喉は潰され、怪我に苦しんでいるように見える。

 カンダラームの国は龍朝天政の属国。属国の商船は、小型船であろうともその天政下という枠組みの下で経済を回している。経済を回す船を守るのが海軍の本業。

 四隻の艦隊は商船に接近する。頭領は、反乱が起きて負傷者ばかりだから接舷して救助してくれと喋る手筈。

 南覇海軍は装備も良くて人員も訓練が行き届いているが、内戦時の熟練船員の喪失から立ち直ったわけではないらしい。

 一隻が救助のために接舷する。うお、善良過ぎる。

 そう、仕事は出来るが勘が悪いのだ。船を素早く動かして正確に大砲を撃てるのかもしれないが、こういう卑怯な手は勉強でしか知らないか、全く知らない。

 接舷し、容易に離れられない状態になったら頭領が海へ飛び込み、ヘリューファちゃんに掴まって逃げる。

 そして商船が煙と炎に膨れ上がって弾け飛ぶ。接舷した鋼鉄艦が爆風に傾く。吹っ飛び、滑って善良な艦の船員が海へ落ち、帆が燃え、火災になる。

 焼討船戦法は貧乏人には辛い。船体に帆に索具に火薬、全て高い。小さい船の物であったとしても再利用はいくらでも出来る。

 火災が起き、溺者が出た僚艦への救助作業に三隻が動くが周辺警戒をしない。まだ単純に事故としか思っていない?

 兄弟艦に好機を報せるために信号火箭を発射し、上空で炸裂させる。

 そして反撃を臆病に恐れつつ、遠巻きに敵艦の大砲が少ない艦首、艦尾側に回って砲撃。

 砲撃の度に煙と風圧と衝撃波で姿隠しの術が乱れ、ファルマンの魔王号が姿を消したり、見せたりを繰り返す。少々見当外れながらも敵艦は艦首、艦尾の大砲で反撃してくる。完全に隠れられなくても被弾率は下げられる。航跡は消えないが、そこに気づいて工夫をつけるには時間が掛かる。

 こちらも砲弾を当てる努力はするが、命中は二の次。艦砲射撃での無力化は狙わない、狙えない。大砲の性能に差はそこまでないが船体の頑丈さが違う。撃ち合ったら確実に負ける。撃ったら逃げるを繰り返し、狙い澄ました反撃をされる前に距離を取る。そして敵艦の帆捌きに隙が出来ればまた砲撃を仕掛ける。こうして救助作業を妨害し、敵に判断を迫る。

 敵は判断を下した。一隻残って焼討船の自爆攻撃を受けた艦への救助を続行し、怒りに燃える二隻が追ってくる。

 敵艦隊の分断に成功。逃走し、艦砲射程外に出たら集団魔術は解除。術使い達は疲れているので休ませる。無限に姿を消せたら無敵だ。

 信号火箭の効果が現れる。兄弟艦二隻が現れ、救助作業中の敵艦へ艦砲射撃を始める。兄弟艦は仕事が分かっている。

 こちらを追ってきた二隻が来た道を戻り始める。だから反転して後を追う。

 敵艦四隻を遠巻きにしつつ、執拗に挑発のように艦砲射撃を、有利な位置を取った時だけ行う。

 こちらの徹甲榴弾がたまに命中して被害を与える。装甲に穴が開き、そこから煙が噴く。

 敵からの反撃も食らう。ただの鋳鉄砲弾ではなく榴弾。ただ穴が開くだけではなく炸裂して木片が派手に散って死傷者が出る。一発食らっただけでも中々、たまらん。

 鋼鉄船相手じゃなければ、隻数で負けていなければ一撃離脱に波状攻撃を加えて損耗させ、余裕があれば悪天候も待って疲労させるのだが少々厳しい。

 敵は間抜けだったかもしれないが錬度は高い。火災は鎮火し、溺者は救助され、帆や索具が砲撃を受けながらも張り直され始めている。

 四隻はつかず離れず、大きく分断せず、こちら側の局所的な数的優位を許さないように互いに連携している。手堅く、手を出し辛い。徹甲榴弾も好きに撃てるだけ持っていない。

 だがそれで良い。派手に動いて信号火箭を打ち上げた。

 距離を取ってにらみ合いを続ける。何日でも続ける。


■■■


 持久戦に入った。敵艦四隻は固まって守りに入り、友軍艦隊の接近まで待つ様子。定期的に号砲を鳴らして危機を周囲に発している。非常に手堅い。

 ここでも賭けになる。

 表と裏のどちらが出るか待つ。忍耐。

 焦って艦砲射撃で大打撃を与えるなどと考えてはいけない。節度。

「セリン艦隊接近!」

 見張りが叫ぶ。

 兄妹艦隊連携成る。

 賭けに勝った。

 セリン艦隊の先行する巡洋艦八隻が敵艦四隻の周囲を帆柱の檣楼まで登らなくても見える距離まで接近して囲む。そして信号火箭が一発上がり、上空で炸裂。次いでほぼ等間隔で七発の信号火箭が同時に打ち上がって上空で炸裂した。

 整然した軍の行進、隊形変換を敵に見せ、錬度の差を分からせて降伏を迫るという戦術がある。それの海上型だ。

 やや時間を置いて更に水平線の向こう側からも信号火箭が八発上がって炸裂する。これは流石に等間隔ではなかったが、全周を囲んでいると分からせた。

『降伏せよ』

 何十何百人もの女の、震えるように海の底から、とにかく不気味に恐ろしく変調された声が風と波に負けることなく響き渡る。それも同時通訳のようにこの海域で聞くような言語が混ざっていて、魔術の巧みさに留まらない技術が窺える。

 セリンの姉御が魔術で増幅した降伏勧告だ。この海のどこかに今いる。

『抵抗しなければ命を保障する。平船員に限り、食料と資金を与えて近くの港へ上陸、速やかに解放する。士官以上は捕虜として丁重に扱う。龍人兵はそちらで殺処分せよ。自沈は許さない。一隻沈む毎に四分の一名を恐ろしい方法で処刑する』

 この聞いたこともないような声だけでも迷信深い海の男なら怯えて竦むが、加えて隻数でも圧倒的に負けている。そして、内部分裂を誘うような待遇の差。

 反応を待つ。

 龍人兵と思われる者達が各船から海中に飛び込む。ざっと数えて……一隻あたり四人程度、十六か? あれに接舷切り込みをかけてたら、単純に考えてこっちの船員が百六十人余計に死傷していたと思われる。その前に劣勢になって負けて皆殺しだろうな。

 この劣勢になる今まで姿を見せてこなかったのは、龍人だけでこちらへ仕掛けるには人数が足りなかったということ。昔ならいざ知らず、今では銃を使えば十分に殺せることが広く知れ渡ったから相手も使いどころを悩む。白兵戦用途以外にも使っていたのかもしれない。あの体力で操帆したら凄そうだ。

 そして今の使いどころは、この恐ろしい声の術の主を殺すことだ。それで首でも掲げて船員達の士気を持ち直してから打開策を講じる、だろうか?

 海面が泡立つ。龍人と白い腹を見せる魚が浮いてくる。

 毒に痙攣し、酸で全身に火傷を負った瀕死の龍人が敵艦に投げ込まれる。

 相手が悪かった。

『警告する、降伏せよ。ただちに応じない場合、全員その龍人のように毒で苦しんで死ぬことになる。即死しないように薄く入れる。船員達に告ぐ。艦長以下士官達が降伏に応じない場合は反乱を推奨する。その首を差し出したならば賞金を与える。ある程度、望む待遇で迎える。操船に協力する場合は加えて給料も出そう。天政に居辛いなら再就職も斡旋出来る。軍艦勤務以外でも配慮する。商船乗りは今、いくらでも欲しい』

 敵艦隊はこちらの執拗な挑発により疲労して神経が磨耗している。そこに切り札の龍人が恐ろしい死に方をして目の前にあり、加えて魅力的な報酬付きの反乱の推奨。

 敵艦隊の旗艦と思しき艦が白旗を揚げた。航行不能な艦も揚げる。そしてまだ動ける残り二隻、白旗が揚がらない。

 銃声が鳴り始める。一隻は反乱が発生、乱闘が見える。

 もう一隻は逃走を始めるために帆を張り始めた。マーシム船長が即座に判断を下す。

「よし、追うぞ! 追撃開始!」

 武装解除の完了、反乱の支援、拿捕艦の指揮系統の再編など面倒な仕事はセリンの姉御に任せるのだ。


■■■


 夜を徹してファルマンの魔王号は逃げた一隻を追跡する。包囲していたセリン艦隊の軍艦も追撃に加わる。

 敵は不眠不休で疲れている。こちらはいつもより多めに船員と猫を乗せ、交代で休みながら、主導権を握って嫌がらせをしていたので心身の疲労は少ない。追われる者と追う者、疲労の差は歴然。

 雨が降ってくる。降雨の中で動くのはかなり疲れる。体が冷えるし視界も耳も悪くなって大声を張り上げたり、目当ての物が見つかり難くなる。嫌になる。

 笠を被る。風が強くなってきて煽られる。

 天候がいよいよ悪化してくると術使いによる帆走補助はあてにならなくなる。雨、風、波の影響が強いと微調整程度の効力しか出せない。最後は何時だって風読みと索具捌きがものを言う。

 敵艦を追うためには速度を出さなければならないが、風が強い時に帆を張れば帆や索具が壊れる危険がある。波と向かいあえば船首が潜りそうになり、甲板の上を海水が流れる。滑って、角度がつけば船員が流れてくることもある。事故を起こさないように最速を目指す。重労働で疲れる。

 疲れるのは逃げる方も同じ。しつこく追って、元気を削り合う。セリン艦隊の軍艦が追撃を諦めた? いや、追いつけなくなったか。単艦追撃になる。

 単艦になっても諦めずしつこく食らいつき、遂に敵艦が潮読みに失敗して舵取りを、風向きが変わった時の操帆に失敗して風を逃がし、帆が遊んで速度が死んだ。島、岩礁、暗礁と、季節の風向き、潮流と月齢、時間の潮汐を総合的に理解していれば、全て把握していなくても部分的に分かればその変化が読み取れる。長年この界隈を狩場にして来たファスラ艦隊、天政沿岸で訓練してきた連中に負けるわけがない。

 距離を詰めて砲戦を挑む。ここで姿隠しの術を途切れ途切れで発動させれば敵を翻弄出来るのだが、雨風に乱されると維持が困難なので今回は出来ない。術使いへの負担を減らす白布張りも甲板作業の邪魔になり、風に煽られて固定索も切れるので出来ない。今回は微調整に留まるが艦の射撃姿勢を一時安定させるように術を使う。

 敵艦の艦尾に向かって船首から砲撃、だが外して至近弾。だが、有効射程距離に捉えたことを目測で確認。頃合になって、一時距離を離されることも折り込んでファルマンの魔王号は回頭して右舷を向ける。

 右舷前部砲門徹甲榴弾発射。敵艦艦尾の装甲板貫通、めり込み、遅延信管起動で炸裂、破孔が内から拡大、破片と艦尾砲を外へ追い出す。内部露出。敵の艦長室が見える。

 右舷後部砲門徹甲榴弾発射。露出した内部を砲弾が走り、戦闘配置中の砲手と大砲へ直撃。硬質の弾頭が当たって砕き、内壁、甲板に刺さり遅延信管起動で炸裂、破片と爆風が荒れ狂う。中から壁面に破孔が生じ、装甲板が裏から捲れ、膨らむ。

 誘爆が無いように見える。火薬管理が良くされ、錬度の高さが窺える。

 まだ上甲板の操帆要員は死んでいないが、艦内の機械類が破壊されると動かない装置が出てきて操船が難しくなる。回頭での彼我距離の広がりはこれで挽回される。

 敵艦は足が鈍る。波に煽られて船体が傾く度に破孔から人と千切れた手足に道具、破片が大砲に潰されながら海へ転がり落ちる。しかし逃げるのを諦めない。

 天候の悪化が続く。右舷を見せてからの折り返し回頭してからの左舷からの砲撃は見送られた。丁度と言って良い時に波が高くなる。上甲板以外の大砲を撃ってられない程になって、射撃体勢になっていた大砲が引っ込められ、波が入って来る窓の蓋が閉められる。上甲板以外の砲撃中止。

 これなら敵艦には確かに逃げの目があるかもしれない。天候が悪過ぎれば追撃どころではない。一緒に追撃をしに来ていたセリン艦隊の軍艦はもう見えない。

 敵艦の艦尾を取り続け、艦首砲から帆柱に向かって鎖砲弾を発射、帆に索具を切断、帆桁が一本落ちて上甲板の敵船員が潰れる。足を殺す。

 降伏の意思を示せば良いのだがまだ敵艦は諦めない。尊敬の念すら沸いてくる。

 あの、損傷は激しいが鋼鉄の船体は欲しい。セリン艦隊にだけ手柄を上げさせるなんて有り得ない。獲物はある程度譲ったが、直接狩らないのは格好が悪い。格好が悪いはファスラ艦隊で死より受け入れられない。

 敵の諦めの悪さの理由が更に距離が詰まって分かった。龍人がその抜群の身体能力を生かして修理作業を行っているのだ。しかもそれに加えて方術により帆や索具が急成長する植物のように伸びて絡み合って切断されても繋ぎ合う。これでは諦めそうにない。

 檣楼から敵の船員を狙撃して殺し、士気崩壊を狙いたい。出来れば艦長、士官だが、修理作業を見るに龍人、方術使いでも良いか。

 さて点火装置に覆いを付け、笠を被って濡らさないようにした狭間銃だが、風に吹かれた大粒の雨が横から入ってきて濡れて引き金を引いても言うことを聞かない。いきなり格好悪い。だから雨は嫌だ。

 狭間銃に入れた濡れた点火薬を捨て、イスカが笠を持って風に合わせて雨を防いでいる内に装薬し直して、懐から乾いた雨火縄を出して、火口箱で点け直して……失敗する。横風で雨が入って濡れた。同じ檣楼の仲間も、隣の帆柱の檣楼の連中も似たり寄ったりの状況だ。

「替える」

「うん」

 雷管式小銃に持ち替える。

 イスカが万力締めで付けた銃座に銃身を乗せて狙う。

 海面がうねる。風とうねりがぶつかって飛沫が飛ぶ。普段は付けないが命綱を巻く。高い位置にいるから余計に揺れる。普段なら人を上げない揺れだ。

 まずは敵艦の檣楼にいる狙撃手を狙って撃つが外れた。逆に狙われ、反撃に撃たれ!? と思って姿勢を低くしたら何事も無かった。敵の小銃は不発、狙撃手がしまったという顔をする。

 イスカから装填済みのもう一丁を受け取り、狙って撃つ。当たる、倒した。凄いぞ雷管式。

 他の仲間の狙撃手も別の檣楼、上甲板から雷管式小銃で射撃。上甲板でも大砲と旋回砲、抱え大筒で砲撃を続ける。敵艦も勿論撃ち返して来る。銃火箭が飛んできてほとんど命中しないがたまに甲板上で炸裂、燃え盛る油が広がって雨の中でも火達磨になる仲間が現れ、頭領が要領良く海へ蹴飛ばしつつ刀でとどめを刺して落とす。助からないし、そのまま暴れまわっては巻き添えを食らう。

 消火作業に追われる。焼夷弾は厳しい。雨と海の水が流れて油が広がる。砂や布での鎮火作業が慌ただしい。

 龍人はいるが、ここまで射撃で殺したら接舷切り込みで勝つ見込みはあるものの、海面状況が悪くて接近出来ない。衝突して諸共沈む恐れがある。敵も相討ちを狙いかねない。

 適当に距離を保ち、銃砲射撃で敵船員を削って消耗狙う。時間をかけて勝利を目指す。

 戦いは長い。イスカが帆柱を降りて食事を持ってきてくれる。寒いから身を寄せ合って食べる。他の配置場所でも男同士臭い体を押し付け合っている。

 こっちは不思議と良い匂いだ。香水をつけてるわけでもあるまいに。


■■■


 朝になる。一面曇り空だが黒い雲は減り、日を受けて眩しいくらいに白い雲が見える。

 まだ天候は悪いが夜に山場を越えた。雨は小降りで風も収まってきている。海は泥で濁ってうねっている。陸が近い。珊瑚以外の暗礁も増えてくる。

 敵艦はまだ浮かんでいる。大分撃ち殺したと思うが、まだ人が動いている。敵ながらその根性は褒めてやりたい。

 船長が射撃方針を変えた。今まで船体に撃ち込んでいたが、あえて海面、至近に砲弾を撃って水柱を上げさせる。

 警告射撃。ある種の飴と鞭。

 白旗が揚がった。悔しそうな、泣くような絶叫も上がる。

 しかしこの揺れで武装解除をやるのは結構キツいな。

 曳航もキツいからこっちの船員を送って乗っ取るが、修理もキツいな。

 本番はこれから。

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