第286話「大龍銀船艦隊」 セジン

 龍元永平八年、秋始の節も過ぎて露実の節に入った。

 南の海からの季節風や大雨が終息し、北の山から乾燥した空気が下りて乾季を迎える手前の時期。

 タルメシャは――広域なので一概に言えないのは勿論だが――南国。高い湿気と終わりの見えない暑さにまだ支配されている。旧南王領もその傾向にあったがここまでではない。内陸高地になると別だが沿岸部は暑く湿り、海を行く船も同様。

 湿気と暑さの中、船の重しの砂利にあか水が合わさると途轍も無い悪臭を発して船底から上がってくる。

 水は腐るし虫が湧いて藻が生える。食べ物にも虫が沸いてカビが生える。

 衣服や吊り床は汗と潮に濡れて乾く暇も無い。晴れている隙を狙って天日干しにするが突発雨に台無しにされる。それでも真水洗いになるからマシと言われる。勿論、カビが生えている。

 船内も湿っている。窓が閉まっていると暗くて照明が無くて暗い。通気のために窓は開けるようにされているが、悪天候や高波となると閉める。勿論、カビや苔が生えている。そして臭い。

 甲板にも、所詮は木の板なので苔が生えて滑る。船員が砂で磨いて削る。洗い流すのに海水が撒かれ、湿る。

 珊瑚礁がこの南大洋では危険な暗礁となっていて航路が思った以上に限定されている。沿岸航路は知り尽くされているが、知らなければ危険。遠洋には未知の珊瑚離礁群が無数にあるので危険。夏季は特に嵐が連続で訪れるため、既知の航路でも座礁の危険が高い。未知の航路では尚更だろう。

 タルメシャの海を制するには沿岸部を抑えることから始まる。危険な遠洋まで把握するには長い時間が掛かる。原住民共にそこは一日の長があるが、それは金の力で彼ら水先案内人を雇い入れれば良いだけの話だ。難しい話じゃない。

 自ら筆を取り、旗に書いた”大龍銀船”の艦隊の目的は三つある。タルメシャ各国に詳しいファン・ドウ・フウと、商人代表ハン・アンスウと、手段も合わせて具体的に定めた。

 まずはパラマに寄港し、南覇巡撫ルオ・シランに面会すること。面会したならば、この命名した大龍銀船艦隊に対する軍の検問と検品を免除し、無制限で陸海問わずに重武装をする特許状を得る。次に冊封下にあるシンルウ国、バッサムー国、カンダラーム国、ナコーラー国、ラノ国に対する紹介状を書いて貰う。特務巡撫の名と権限が蛮域に通じない可能性はあるが、その諸国を軍政下に置いた南覇巡撫の名と権限は通じないわけがない。

 既にニビシュドラ国の都ギバオには上陸し、属王と会合を果たしている。大龍銀船艦隊という大規模商船団が今後南洋航路を通過することを通達し、税関を素通り出来るように特許状を貰っておいた。また名を売るためにギバオにおいて貿易も行っておいた。また、こちらに参加したい商人も集めた。

 名を為政者や商人が知っているか知らないかだけで扱いは異なるというもの。特務巡撫、つまり中央政府の息が掛かった船団であると認識させることが出来れば不当な扱いもされ辛い。されてから対処しては遅いのだ。わざとそれで相手に過失を作って逆手に利用する策もなくもないが、面倒事の方が多そうだ。

 ニビシュドラのようにこちらのやり方が分かっている国ならば良いが、これから訪れる予定の各国は違うと考える。

 まずは数で圧倒する。売りに出す商品の数も、船の数もそうだが大砲の数もだ。たかが民間船と侮られると蛮族共を相手にする時に面倒ごとが起きる。実際の大砲も、張りぼての大砲も含めて搭載して威容を高めた。頭が弱く知性に劣る蛮族共には大砲でも見せておかないと話にならない。金銭と筋肉の違いも分からないような無分別共を相手するのは大変だ。

 その上で、各国の都を訪れたら艦隊を見せ付けつつ税関を素通り出来るように、そして無制限で陸海問わずに重武装が出来る特許状を貰う。南覇巡撫の紹介状も使ってその威光を借りる。そして貿易を行い、こちらに参加したい商人を集めて巻き込むように拡大。巻いて混ぜて巨大になれば東洋も南洋も商業上ではいずれ区別無くなるのではないか? つまり天下が広がり、蛮地が文明圏に加わる。流血無くして征服出来る。九大上帝と後世では改められよう。

 このようにして連鎖的に規模を拡大して行って銀を集める。集めた銀は、商人たちが法に則った税率で政府に支払い、利益を用いて新しい商売に乗り出して経済を活性化させていく。特別なことをする必要は無い。

 放埓の感があるが、まずは自由に成長させる。成長して歪になれば規制を厳しくし、厳しさが成長を阻害し始めたらまた緩めていく。この天政下に新たに収まった南洋交易路、今は自由に成長させる時なのだ。

 パラマに到着したら忙しくなるだろう。ただ船上では全く暇である。具体的な方針が定まってやることが決まったら仕事が無いのだ。風と波に揺られ、酷い食事を取り、防疫に洗濯や日光浴をしつつ、体操などして運動不足を解消する。

 良く海の男達はこの生活に我慢が出来る。辺境の蛮族ですら泣きを見るような悲惨な不潔さだ。牢獄に等しく全く信じ難い。環境改善策など悪いところ見ればいくらでも沸いてくるが、実践に移すとなると船という限られた空間上難しいのだろうと結論に至る。栄えある大龍銀船艦隊の者達が汚物同然であることには耐え難い。これから増えていく各船で実践が出来ている良策を集めて体系化して工夫させよう。南覇海軍からも出来れば工夫の聞き取りの機会があればさせよう。ハン・アンスウに命じておき、各船長や船主にも徹底させたい。これは多少強引にでも進めなければならない。良く働くには良い環境が必要だ。

 それにしても暇を持て余す。時間があるのならば芸術に専念すべきだろう。

 船は揺れる。揺れる船上での筆運びに慣れるため、まずは目の前に見える海の風景画を写実的に描くところから始めた。当然だが出来がよろしい。画帝には多少の悪条件など――時化れば流石に無理――障害にならず容易い。

 気分が乗って来たので大洋を渡るグジンを描いてみる。頭には虹雀を止まらせよう。

「ふふふははは!」

 新大陸に置き去りにしたと思った虹雀、何とリャンワン出港前に帰って来たのだ。どこを飛んでいたかは知らないが、泳いで来た年寄りより遅いとは何事だ? どこか陸伝いにでも来たのか?

 笑える。約五千歳から新しく貰った虹雀は自分の肩に止まっていて、帰ってきた虹雀の方はグジンに懐いていてその肩やら頭に止まることが多い。

 次は龍の似姿、黒龍公主から貰った新たな霊獣、蛇龍を描く。

 鱗は青魚のように背は青黒く視認性を下げるように紋様がある、腹に向かって青になり、腹で白となる。頭と顎は蛇ではなく龍の屈強さで角もある。体は蛇のようだが短い手足が有って地面や物を掴んで這える。長さに対して胴は太めで背に乗れる。陸地は鈍いが湿地ではそこそこ速く、水上水中では快速。龍人用の水上騎獣にと仙術で創られた。常人の直接騎乗は難易度が高く、船を牽引させるなどの運用が適当だろう。

 蛇龍の姿は絵画の龍の如くで、龍甲兵の騎乗にも耐える筋力があるので逞しく威容がある。船員達は怖がって近寄らないし、興味本位で寄れば蛇龍は威嚇して追い払う。

 龍画は正直ありふれている。面白い生き物だが、絵の題材としては余り気乗りしない。ただ懐く獣ではあるので、手ずから餌を与えたり撫でたりすると愛い反応をするのでこれはこれで良い。

 船員達も仕事がある時は忙しないが、非番の者は酷く暇そうにしている。暇との戦いも船員の苦難だ。良い船は風紀が乱れない程度に彼らを遊ばせて士気が落ちないにしているという。単純な札や賽、駒遊びを延々とやっている。賞金の出るネズミ、虫獲りも仕事であり遊びの内だ。

 こちらも遊びを、文化を実践してみる。まずは描いた絵を船に飾る。物珍しそうに船員達がそれを見て、あれやこれやと喋る。絵や芸術のなんたるかが分かるような頭は無い、などと言いたくなるような下等な連中だが、面白い絵とは見て衝撃が来るものだ。理屈で理解する必要は、評論家以外に不要。

 普段見ている海の絵だけじゃつまらない。似顔絵を描いてやることにした。試しに描くと酷い不細工の面ばかりで逆に面白かった。人相の美醜は美しいと醜いに分かれるが、醜い面の絵というのは時に、いや極めれば必ず美しいに転化する。美人画ばかり描いて満足することは浅はかであると分かった。あえて醜い人間、あえて奇怪な化け物を描く画家の美学が指先で分かった。目では分かっていた心算だったが、指では今日まで分かっていなかったのだ。宇宙大画帝を名乗る日も近い。

 似顔絵はうけが良かった。良過ぎて醜悪面に飽きる程描いてしまった。それから気分転換に美女の裸婦画を描いていたら「似顔絵描いてくれ」とねだられることがあった。

 まず描くかどうか以前の問題がある。

「お前、それが目上に対する態度か! 座礼を致せ、不恰好で構わん。三度跪いて額突けとまでは言わん。やってみせい。相手はこの上に天子しかおらぬ巡撫ぞ。恥ではない、ほれ」

 ねだってきた顔の悪い船員が躊躇する。

「ええい、己! 描けと頼んでおいて今更何をやっておるか早うせんか! 座礼が分からんのならまずお前のやり方で敬意を示してみせろ。ちゃんと心が篭っているか見れば分かるぞ、やってみせい」

 そうして顔の悪い船員は背筋を伸ばして握り拳の親指側を額につける。

「ん? こちらのやり方ではないな」

 はっとしたか、次は手の平に拳を当てて頭を下げた。

「うんうん、まあそれで良いわ。無礼は西域蛮人なら仕方あるまい。ほれ、そこに立っていろ。下描きはそうかからん」

 そうして下描きを作ったら解放し、本描きを済ませたら近くを通った暇そうな者に「この顔に持って行け」と命じる。

 横槍が入りながらも美女の裸婦画が仕上がる。これを船に飾った時は秩序が乱れそうになるくらいに船員が喜んだ。仕事も手につかないとのことで、船長から撤去を求められてその通りにしたが。長い船上生活で女に飢えている連中にあれを見せたのは失敗だった。

 似顔絵の次は裸婦画をねだられるようになったが、秩序に鑑みてしばらく止めることにした。絵を描いている時に頻繁に集団で股間を大きくしながら覗かれるなど耐えられない。きっと何人か撲殺してしまう。

 だからと言って暇つぶしの手慰みを止める理由にはならない。

 船員達の見分けが多少ついてくるようになって、日光浴で半裸になっている彼らを見ると顔以外にも個性がある。刺青だ。

 刺青の入れる理由は文化で異なり、多岐に渡るがお洒落の一言で済ませることも出来る。船に限って刺青が何であるかと言えば、顔以外の個性。たとえ頭が砲弾で吹っ飛んだり、水死体になって見分けがつかなくなっても、刺青で個人を特定出来るという実用面がある。死体の見分けが出来ると都合の良い事柄としては遺産相続手続きだ。死亡か行方不明か分かればそういった手続きに面倒が無くなる。

 刺青は皮膚へ傷を入れながら染料を刻む絵だ。刺青は絵である。彼らの体中に描かれている刺青の何と稚拙で醜くて出来が悪いことか。見ているだけで頭が痛くなる程だ。中には立派で芸術的なものもあるが、大層金が掛かったそうだ。

 ということで今度は似顔絵ではなく船員達に刺青を彫ることにした。まずは希望者に、どんな刺青が欲しいか聞いて、その趣味の悪さや表現の拙さを貶してからもっと良いものを彫る。痛いのは当然で、素早く掘り進めると激痛の波状に騒ぐが龍人の力で押さえつけてやりたいように彫る。下種の分際でこの手仕事を邪魔することは許さない。出来栄えは勿論、画帝の名に相応しい傑作揃いで、人間の方の見た目が悪過ぎて均衡が崩れるくらいだ。

 刺青は痛いので必要以上に彫りたがらない者もいるが、自分がやりたいので知ったことではない。希望者全員を彫り終えたら嫌がる連中も彫る。こう、感覚が掴めてくると面白いので無理やりにでも彫る。痛がってる様子を皆が見て笑うので余興にもなっている。

 刺青は、下手糞な自彫りでさえ染料代が掛かったり消毒剤が要るので金が掛かる。船員の中には代金だと言って持ってくる者もいたが「お前らの端金など何にもならん」と断った。下手に曖昧な態度をとれば面倒になる。

 彫る肌が無くなってきたら今度は調髪をしてみる。絵とは違うが、芸術と手捌きは通じる。

 短刀を用いて、まずは適当な通りがかりを捕まえて髭を剃り、辮髪を作ってやる。やはり天才であるか、上手くいった。ただ手が途轍も無く臭くなった。これも面白くなったので希望者かどうか問わずに船員の髪を弄って綺麗に整えた。知っている限りの蛮族の辮髪を試した。奇天烈な頭は大好評で笑いが絶えない。調髪後でもその髪型をからかい合って騒いでいた。

 船員達の暇をこの手で解決した。

 天上人であっても庶民と親しくするべきである。ただ同族同類ではないので一線を引き、尊敬でもって差をつけねばならない。

「セジン様、絵画の方を作り続けるべきです。閣下の絵は高く売れます。流行し誰もが欲しがるようになれば青天井に値がつきます」

「フウよ、私は芸術に天賦の才があるが職人ではないのだ。気が向いた時に作るが、そうでなければ作らん。今は絵を描きたいのではなく暇を潰したいだけなのだ」

「はは、指図するようなことを、失礼しました」

「言わんとするところは分かっている」

 南洋航路の開通が先決。画房を拵えるのはまだ少し先だ。


■■■


 南覇軍総司令部が置かれ、ルオ・シランがいるパラマ国、同名の都に入港。ここは東タルメシャ最大最重要交易拠点である。

 パラマの冊封国には一応王家が残っているが、南覇軍の軍政に政府は解体され、取り替わられている。他のタルメシャ諸国より中央集権化が進んでいたせいでもある。

 ハン・アンスウは現地商人へ商談をしに行く。具体的な取引は専門家に任せるものだ。

 港、要塞、軍艦に翻る旗は紺水舞龍南覇軍旗。レンの旗ではないとやはり見る度に気分が悪くなる。先祖の代からの、功罪あるかもしれないが、確実に重ねてきた実績そのものが否定されている気になる。

 見かける南覇軍の兵士の軍服軍帽は紺色で統一されている。兵士はエン家縁、そして南王家縁の者が多いということで中原西方、南方の者が多い。こちらの顔を覚えている者など咄嗟に礼をしてくる。

 兵士の中に龍人兵が混じっている。命令は聞くが痴呆にかかったような者と、並の受け答えが出来る者。

 龍人兵は単独で使うか常人と混成して使うか、どちらが優れているかは今、実戦で試されている。

 龍人単独の高機動中規模部隊を運用する北征軍式。

 龍人単独の高機動少数偵察部隊と、通常の大規模部隊に龍人を混ぜて全体的に能力を向上させる南覇軍式。

 黒龍公主の気持ち悪い仙術とやらの体制が大規模化すれば使い分けだとか気にしなくなるのだろうが、それはそれで好ましくない。具体的にどうか曖昧過ぎて言えないが、不気味だ。

 蛇龍を連れ歩く。陸で騎乗して歩くと鈍いので、愛玩に飼う蛇のように肩に乗せてみるが、重い、大きい、これは不恰好……普通に連れて行こう。

 蛇龍を各国属王へ訪問する時に連れて行くことにする。霊獣で威容を補う。威を借りるわけだが、蛮族にはこれが通用する。それにその威は己の統制下にあるのだから恥じることはない。大軍を率いる将が己の兵士達を誇っておかしなところはない。

 ルオ・シランは文明人なので威圧する必要はないが、今後軍に導入されるのだから見せておいて損は無いだろう。しかしこの場で大した役にも立たぬとは何か勿体無い。

「蛇龍よ、お前も幽地の際より底にいる者ならば我に天啓を与えてみせよ!」

 蛇龍、言葉が通じた顔で了承したように目を合わせて海に飛び込む。

 お! 何か見せる気か?

 ……待つ。

 ……潜水したまま戻ってこない。

 ……何でこうなったのだ!

「獣め。グジンよ、ここであの獣が帰ってくるかどうか人を立てておけ」

「は」

 蛇龍の代替、必要だろう。あれは元々黒龍公主が用意したもの。ではその代わりを、あの約五千歳の薄殻豆であるルオ・シランくんに用立てて貰おうじゃないか!

 あの体格なら薄殻豆どころの話ではなさそうだが。

 さてそのルオ・シランに司令部が置かれる宮殿で面会する。

 久し振りに会えば相変わらずの偉丈夫。冠のように短い龍人の角が四本あって威圧が増す。これが武官ではなくて文官とは何かが間違っている。

「これはセジン殿、辺境まで良く参られました。ご用件を窺います」

「シラン殿に頼みがあります。我が商船団、大龍銀船艦隊に対する南覇軍の検問と検品の免除と、無制限で陸海問わずに重武装をする許可が欲しい。その証である特許状を得たい。それからシンルウ、バッサムー、カンダラーム、ナコーラー、ラノに対する紹介状を書いて頂きたい。税関に囚われず、武装したまま我が特務巡撫の特権保護下に通商を行いたい。目的は経済の活性化、銀を天政に運んで決済を円滑に行わせること。これは黒龍公主殿下からの指令です」

「なるほど。確かにタルメシャ大陸部側の通商は一時麻痺しておりました。どのように再開させるかもこれからでした。こちらからもお願いします」

 ハン・ジュカンの慧眼、的中ではないか。元丞相侮り難し。

「つきまして、これより各地へ赴くので軍艦を借りたい。また各地の艦隊に同道を要請する権限も頂きたい。交渉に臨む特務巡撫が威力の無い船で訪れては面子に拘わる。蛮族ならば攻撃力を見せ付けねば話にもなりません」

「同道の要請は権限のある将校を同乗させましょう。ただ作戦が最優先ですので期待はしないで下さい」

「当然です」

「それから訓練中の新造艦を旗艦として一時お使い下さい。大きさと火力だけなら進水した全軍艦の中で一番です。まだ実戦に参加させられるほど船員達も慣れてないので、訓練で騒がしいかもしれませんが」

「それは大変結構!」

 話の分かる男ルオ・シラン。内戦時には末恐ろしい相手だと思っていたが、味方となると頼もしい男。レン朝光復の折には重用しよう。

「レン・セジン殿、一つ、いや二つ、聞いて頂きたい」

「私に出来ることであれば何なりと」

 良くして貰ったのだから良くする。問題無い。この男が天下のためにならぬことなどは考えていないだろう。

「いえ、助言と言いますか、頭に入れておいて欲しいことがあります」

「はい」

「一つ。目下最大の脅威である帝国連邦の力の源泉、いくつかありますが、その火力の最たる源がジャーヴァルの硝石鉱山です。かの国の財務長官が経営する会社が大半を抑えており、魔神代理領内の市場から外国へはほぼ出回らなくなってきているぐらいです。彼らは膨大な硝石を元に大量の火薬を保持し、大規模な火力演習を行うことによって類稀なる銃砲錬度を維持し、火薬に慣れた馬や駱駝をほぼ完全に揃えます。戦場で発揮する火力の高さも脅威ですが、それ以上に惜しげもなく使われる火薬で鍛えられた兵士こそが脅威です。この南覇軍によるタルメシャ横断はまだ序の口。ただ魔神代理領中枢は流石に遠過ぎる。だからジャーヴァルを征服までいかずとも制御、抑えることが出来れば、その硝石を断てれば今後に見込みがあります」

「それは壮大。タルメシャ西部まで取れば内陸部はまだ遠いですが、海洋経路を抑える作戦が容易に出来ますね」

 今の戦争中に間に合うか怪しい話ではあるが、歴史は昨日今日明日で終わるものではなく、何百何千年と続くもの。百年戦争にもつれ込むか、休戦の後に第二次があればこの構想も意味をなすと思われる。今の内から用意するべきだろう。先手を打てるのなら百年前からでも遅くない。

「二つ。黒龍公主殿下は平気で嘘を吐く。今更だが自分も吐かれる側です。殿下の頭の中では一本筋が通っているのは間違いありません。しかし我々の想像外のことばかり、そして我々を説得するという名目で嘘を吐く。おそらく癖になっていて、本人も気付かぬ内に吐きます。あの言葉全てを正直に捉えてはいけません。しかしその通った筋に沿った発言であるのも事実。長齢故か、子供を誤魔化すような気分で嘘を吐いてるのかもしれません。ある程度、自分の思った通りにしたいなら現場裁量として、命令は聞いたふり程度にしておくのがよろしいでしょう。無論、戦略的な大方針に逆らうと多大な混乱をもたらしますのでその点は配慮せねばなりませんが……説教するような発言、お許し下さい」

「いやルオ・シラン殿、参考になります。あの方との付き合いはそちらが長い」

 そのように下から思われているのに大権を振るえるところがあの妖怪の恐ろしいところであろうか。

「そうそう、シラン殿」

「はい」

「パラマ王千歳」

「は?」

「南覇巡撫二千歳」

「急にいかがされました?」

「黒龍公主五千歳」

「ぶっ!?」

 南覇巡撫、天政無双のルオ・シランを一撃。

「どうされました? 龍帝万歳」

「これは失敬、しかし、いやはや、しかし……龍帝万歳」

『龍帝万々歳』

 ははは!


■■■


 パラマを出港し、タルメシャの冊封国の内、一番早くに天政下に入ったシンルウ国の都バンエンホンへ入港する。西の端を目指すのではなく障害無き貿易路の開放が目的である。通商に通過するだけならギバオ、バンエンホン、パラマの順が早い。

 バンエンホンはランクアン川河口の三角地帯にある都だ。その昔は水位の低い乾季が終わってからの雨季の大雨による水位の劇的な上昇で人の住めない大洪水地帯になっていたのだが、この地が天政を模範として中央集権的な官僚制度を導入してからは利水事業が進み、大穀倉地帯に変貌する。

 最近では南覇巡撫が更に川の利水工事を手助けするという飴と、大軍の威圧による鞭で冊封国にした。現地人を希釈するように移民も送り込まれており、月日が経てば野蛮な風習も薄まり文明へと編入されよう。

 自分が乗る旗艦は鋼鉄船体の巨大な戦艦である。入港時には礼砲という名の威嚇の空砲一斉射撃を鳴らす。爆音を鳴らして礼も何も無いだろうと思うのだがこれは西洋、エデルト海軍礼式だ。意味合いとしては威嚇ではなく、砲弾は発射済みなので今から攻撃する意図は無い、と通達することになるそうだが上辺だけのことだろう。自分にはわざわざ鞘から剣を抜き、見せているようにしか思えない。効果はあるので否定しないが。

 バンエンホン行きへの警備艦隊の同道は限られ、補給に立ち寄るための船が一隻だけ。それでも武装し、偽大砲で威容を嵩増ししているとはいえ商船ばかりで入港するよりは良い。

 上陸時にはグジンが集めた武官とその兵隊達に武器と軍服を揃えて着させて登殿する行列に加える。旗艦の陸戦隊も借りることが出来た。

 現在の法では商船員に軍服は着せられないので軍服の大行列で陸上でも威圧ということは出来ない。陸戦隊員名義でとは考えたが、今こそ商船乗りだが状況が変われば海賊になる奴らだ。軍服は渡せない。

 バンエンホンの宮殿へ兵を引き連れて登殿。門前で兵達は整列して待機。グジンとフウを連れて中へ入る。アンスウは勿論商談に走っている。

 謁見の間にてグジンが白檀箱から勅命状――黒龍公主の認可如きで”勅”とは堕ちたもの――を広げて声を張る。

「シンルウ国属王に告げる! この方は天政地より、天より降りし、宇宙を開闢し、夷敵を滅ぼし、法を整備し、太平をもたらし、中原を肥やし、文化を咲かし、四方を征服した偉大なる八大上帝の古より宇宙を司りし天子の名において特務巡撫に任ぜられたレン・セジンである! 特務巡撫の名の下に今後陸海上にて活動する大龍銀船艦隊の完全なる無害通行権を要求する!」

 勅命状を読み上げたら箱にしまう。

 この宣言は宣言として、属王の裁可が得られた後でフウがシンルウ側の官僚と、ルオ・シランからの紹介状を見せながら実務調整に入る。完全なる無害通行には税関の素通り、重装備、その他にも細かくシンルウの法に照らし合わせた条項の調整が必要だ。その細かいところまでをこの場で宣言は出来ない。

 シンルウ属王、牛頭の獣人が玉座から立ち上がる。角も体も大きい。龍人でなければ威圧に引け腰になっていたかもしれない。

 属王がシンルウの言葉を言う。フウがやや困惑顔で通訳する。

「失礼ながら、可能な限り属王の言葉を再現致します」

「当然だ、何と?」

「ルオ・シランは強かったがお前はどうか? です」

「意味が分からん」

 謁見の間にいた兵士や官僚が部屋の隅に移動し始める。そして属王は上着を脱いで、自分が立っている下まで段を降りて来てから四股を踏み始める。毛と脂肪の下からも太い筋肉が蠢くのが見える。

「閣下、シンルウ相撲にて決着です。やり方は頭突きをしながら押し合い、仕切り線の外まで出すか転ばせるかして決着です」

「正気か?」

 その仕切り線、使い込んだ感がある縄が牛頭官僚の手により周囲に置かれて円になる。

「シンルウの牛頭は決闘や力自慢で物事を解決することが多いです。あと友達とか仲が良いと不合理でも受け入れますので、ここは一勝負お願いします。勝たなくても善戦して気に入られれば問題ありません」

「馬鹿な!」

 対面する属王が、鼻息荒く身を沈めて頭と角をこちらに突き出し、にらみ付けて来た。

 ルオ・シラン、お前、もしかして相撲一つで属国にしたのか?


■■■


 バンエンホンを出港してから再度パラマに入港し、ルオ・シランのところへ赴く。

「シンルウで相撲をとらされた時は何事かと思いました」

「どうでしたか?」

「グジンに助言を貰ったところ、龍人の力で勝てました」

「助言とは?」

「全力で頭突きを入れて属王の額を割りました」

「ほうほうほう、その手もありますね。私は角を掴んで振り上げられたところで逆らわずに背面を取って、後ろから掬い投げで勝ちましたよ」

「シラン殿、黙っておられましたか?」

「いえ、まさか。軍事ならともかく通商の話題で相撲を仕掛けてくるとは思いませんでしたので」

 無害通行権の交渉の後にフウにあの相撲のことは知っていたのかと問い詰めたら、挨拶程度のものですからと笑っていやがった。悪戯で黙っていたのではなく、ちょっと変わったお辞儀程度のものでしょう? という顔をしていた。ということでフウと相撲をその時取ってやって海に落とした。

「それで、セジン殿。ヤンルーにて奇怪な絵を展示したと聞いたのですが」

「ご興味おありかな?」

 画帝の世紀の大傑作のことだ。ほうほう、この男でも興味が湧いてしまうか。仕方のないなぁ!

「見ろとうるさいのがいるもので。いえ、嫌だけどということはありません。噂が大げさとも言えるだけに興味は勿論あります。何にしても見た感想程度は言わねば。現物はヤンルーですが、もし旅中にでも手がけた物か何かあれば見せて頂きたいのですが」

「持って来させましょう。船旅は長いので更に描いております。ヤンルーの物とは別ですが、革新的な雰囲気は同じものです」

「ありがとうございます」

 ということで使いを出し、持ってこさせてルオ・シランに見せる。

 船で仕上げた新作”横臥半蛇美人図”を披露する。船員達からは普通の女じゃ満足出来なくなりそうと好評を受けている。こう、臀部と大腿部を人でなし蛇でなしで描くところが肝であった。惜しいところは画力が構想に追いついておらず、人の女の細指を片や口、片やそのどちらでもなしの秘所に這わせるようにして対比を強調、骨だけじゃなく中の肉や神経も繋がっていると見せねばこう、上半身と下半身が大きく違えど一体である自然さを出せなかったところだろうか。ただ皮を被せた、妙な下衣を履かせたようなものにしたくなかった。ここは研究が必要だろう。

「殿下……いや失礼。セジン殿、正気ですか?」

「何がだ? ……殿下ではありませんよ」

「これは破廉恥そのものです」

 ……用事が済んだので船へ戻る。

 ……空がまぶしい。港に照りつける南国の太陽は秋なのに酷く近くに感じる。

「閣下、あまり太陽を直視されては龍人と言えど目を……」

 グジンが気遣わしげに喋る。

「お前という者がありながら! 破廉恥そのものだと!? 破廉恥! 破廉恥! あー破廉恥だとも! 天下の恥さらしではないか!」

「あの時お考え直しをするよう言ったではありませんか!」

「本気で止めようとしなかった! 本気で止めようとしなかったぁ!」

「申し訳ありません、坊ちゃま」

「何故あんな絵を描いてしまったのだ!? 信じられん! アァー!」

 フウが持つ、丸めた破廉恥絵が入ってる筒を取る。

「こんなものが!」

「閣下お待ち下さい! これは宇宙無双の財宝にございます! 失ってはなりません!」

 ちびの貧弱フウが腕に縋り付く。振っても振っても食らいつく!

「ええい! 鬱陶しいわ! おわっ!?」

 フウを振っていて変なのを殴ったと思ったら、海から飛び出してきた蛇龍だった。吃驚した。

「フルルルゥ」

 蛇龍が吐息とも鳴き声ともつかない声を出す。

「何だお前、今更帰って来て、何だお前」

 蛇龍が背を向ける。何かくっついてる。何だこれ?

「お? おお!? おおお! 閣下、水竜の赤子ですよ!」

「何?」

 水竜? 南洋諸島の更なる奥地で船を沈める化け物の?

 何だいきなり、わけがわからんぞ。

 蛇龍が頭を回して、背中にしがみ付いている水竜の赤子を鼻先突くと「ウキュ」と鳴いて背から降りた。その姿は腕と翼で肩が四つで脚と尻尾。何だかごちゃごちゃして、腹が白くて背が黒くて目が丸くて見ていると「ウキュ」と鳴く。

 ん!? これは?

 手を出す。フウが「危ない!」と言うが突き飛ばす。鼻先を指で突くと頬を寄せてくるではないか。人に慣れている。

「閣下! 人に懐いている水竜なんで珍しいですよ!」

「ほう」

 抱き上げると大人しくしているではないか。

「水竜の赤子はたまに群れからはぐれて漁師が捕まえて売りに出すことがあるんですが、凶暴で全く人に懐かない上に賢いですから脱走したり、人を殺したりするんですよ。顎が強くて、指どころか手首も食いちぎります」

「ふんふん」

 腹を撫でてやると目を細めて「ウクッウクッ」などと鳴く。鱗のきめが面白い。

 これは使える。軍艦もそうだが従えた霊獣は威容の高揚に繋がるというもの。

「蛇龍よ、良くやった」

 撫でるとこっちも目を細めて喜ぶ顔をする。二匹とも愛いではないか。


■■■


 バッサムー国の都マランバンは海路直通ではない。ラーチョン川河口部の港湾都市バロンヌークに入り、そこから川を遡上してトゥクラップ湖に入るとマランバンの港がある。

 海路貿易だけを行うのならばマランバンまで遡上する必要はない。海上貿易設備等は全てバロンヌークに揃っている。

 商船はバロンヌーク入港に留まり、旗艦と近海にいた警備艦隊の一部を引き連れて行く。

 水路にて都は海と連絡こそしているものの、バッサムー国は海の国ではなく陸の国としての傾向が、住人の特性からも強い。ここの海路貿易、掌握出来るかもしれない。

 旗艦を牽引してラーチョン川の流れに逆らって遡上させてくれるのは熱水からくり仕掛けの蒸気船である。エデルトがもたらした新技術の一つだ。特別な整備技術を持った技師が必要な上に選んだ石炭が必要という不便さはあるものの、風に逆らって自由に行動出来て内陸水域にも素早く海軍力を持ち込むことが出来るので南覇軍が配備を進めているという。

 石炭補給基地の設置範囲が行動範囲に留まるのが難点だが、河川沿岸交通の補助に徹すれば便利で、遠洋には工夫がいるらしい。

 南覇巡撫が海軍との連絡役に寄越した将校がそのように説明してくれた。

 これは軍用だけでは勿体無い。民用も勧めるように南覇巡撫を通して働きかけねばなるまい。河川湖沼を通じた内陸貿易に革新が訪れる。運河の価値も上がり、今まで計画が見送られてきた土地もその公共投資に値するようになる。

 ハン・アンスウにこの案を言ってみたところ、慧眼と褒めてくれたがもう大体は頭の中にその計画が出来上がっていた顔をしていた。その計画は既に頭にあるのだろうと言ったらその通りと言った。

 彼は優れている。今後、自分に対して何か発言をすること、する内容に遠慮は無用と言っておいた。言っても遠慮すると思うが。

 そしてまた海軍将校に民間転用について尋ねたところ、蒸気船の建造は現在、エデルト軍事顧問が監督する海軍船渠だけ可能とのことで非常に惜しい。普及まで年数がかかることは確実だ。

 この戦争が終わった後で海軍需要を超える生産設備が余ると思うのでそれを民間に払い下げれば良いと思うのだが。

 これもまたハン・アンスウに言ってみたところ、父ハン・ジュカンが石炭鉱山とその運搬経路、運河掘削候補地の調査や買収に動いているとのこと。千日先も見通す目を親子揃って持ち合わせている。恐るべし。

 蒸気船、素晴らしい気配がする。海軍将校があんなのは玩具だとか、帆走のおまけだとか言っているが、それで済むとは思えない。あの排煙の酷さは貴人の風流に合わないが、それは下々が操る機械だ。気にする必要はない。


  空青昇煤煙

  江碧行鉄船

  缶赤走歯輪

  人黒超頭風


 よし、書いたこの詩を虹雀に持たせて蒸気船の船長に届けさせよう。帆船に劣らぬと胸を張って貰いたい。

 うむ、これは将来の民間蒸気船製造会社の社訓にしても良いのではないかな。

 さて入港の段取りになって、マランバン港に旗艦は巨大過ぎて入港出来ないと判明。小船を出して水深を測ったところ、座礁確実とのこと。

 入港が出来ないので沖で錨泊し、都の住民が集まってきて注目を浴びたところで礼砲として空砲発射。悲鳴があがって混乱、蛮族も慄く。

 発射後は、砲術士官がやれ発射が遅い、号令と合っていないだのと怒鳴っていた。たしかに、音楽として聞いてみれば不揃いで調子が合っていなかった。軽やかに単調に鳴るべきだったが、えっちっらおっちっらびっこ引きが苦労して躓きながら歩いているようだった。

 入港したらマランバンの宮殿に登殿する。グジンとその兵隊達、そして海軍陸戦隊を揃えて行進して門前で待機。自分とグジンとフウの三人、そして蛇龍と水竜も伴って中に入る。アンスウは勿論のこと商談に走っている。

 謁見の間にてグジンが白檀箱から勅命状を広げて声を張る。

「バッサムー国属王に告げる! この方は天政地より、天より降りし、宇宙を開闢し、夷敵を滅ぼし、法を整備し、太平をもたらし、中原を肥やし、文化を咲かし、四方を征服した偉大なる八大上帝の古より宇宙を司りし天子の名において特務巡撫に任ぜられたレン・セジンである! 特務巡撫の名の下に今後陸海上にて活動する大龍銀船艦隊の完全なる無害通行権を要求する!」

 勅命状を読み上げたら箱にしまう。

 後でフウがバッサムー側の官僚と、ルオ・シランからの紹介状を見せながら実務調整に入るのは前と同じ。シンルウはまだ天政の伝統を一部取り込んでいるので手続きや論理が共通していて話がすんなりと、あれでも通じるのだが、こちらは中々、そうもいかない。

 バッサムー属王、象頭の獣人が玉座から立ち上がる。あの牛頭より遥かに体が大きく、動くだけ空気が揺れ、一歩ごとにその体重を感じてしまうようだ。

 属王がバッサムーの言葉を言う。フウが「ちょっと待ってください」と長考の後に通訳する。

「まず、また相撲で決着をつけてください」

「またか!」

「バッサムー相撲はシンルウと違います。まず足の裏での蹴りを使います。つま先、足の甲や脛はいけません。相手を投げたり押したり蹴ったりして転ばせるか、戦意喪失をさせて決着です」

「本気か!?」

 バッサムーの象頭。四つ足の象よりは小さいが、四つ足の牛よりは大きい。体重は優に大人の人間の男十人以上はある。それと蹴り合えだと? 龍人とて骨が砕けるぞ。

「本気です。路中で確認した万物の教えを思い出してください」

 バッサムーの宗教は万物の教え。生命も無生命も何れは最小単位である原子という概念に分かれるという。集まった原子はいずれ死や破壊で分かれ、また自然に集まって何かになる思想を持つ。これだけで留まるのなら素朴な自然崇拝に毛の生えた程度だが、万物は流転するから基本的にあらゆる物事は無意味と考えている。

 色々と我々の常識と異なるが、ここで問題になるのが契約や約束事をしないという伝統。互いに主張をし合って、いつか、覚えていたら、その主張を受け入れるかもしれない。受け入れたとしても実行に移すかは別で、移しても途中で止めるかもしれないし、完遂した途端に取り消すようなことをしだすこともあるという。否定も肯定も基本的にせず、なんとなく中間あたりのどちらでもない結果で終わらせるという。普通はそんなことで社会が回るわけがないので、ここで相撲だ。万物の教えに従い、原子量が多い方に従うという体重論理がある。

 問題は体重でこちらが勝てるわけがないのだが、もう一つの論理がある。

「バッサムー王よ、これよりこの特務巡撫の原子が強いことを証明してみせよう」

 謁見の間にいた兵士や官僚が部屋の隅に移動し始める。そして属王は上着を脱いで、自分が立っている下まで段を降りて来てから床を部屋を天井を揺らす地団駄を踏み始める。分厚い皮と脂肪と筋肉が生物としての格の違いを見せ付けてくる。

「ウキュキュー!」

 水竜が言葉でないが通じる声援を送ってくる。

「ヴフ、ヴフ、ヴフ、ヴフ……」

 蛇龍が声帯の無い喉で、空気を震わせて太鼓のように応援する。

 対面する属王が、雄の牙を剥き出しに「バオウ!」と象声に咆え、拳を床につけて床を削るように片足で足踏みを始めた。

 ルオ・シラン、お前、どうやってこいつと相撲で勝ったんだ?


■■■


 バロンヌークを出港したらバッサムー湾の西の拠点、ペグスタイに入港して陸路で行けばカンダラーム国に海路より遥かに短時間で入れる。ただ大龍銀船艦隊は外交使節などではない。ちまちまと陸路で限られた商人と兵隊を連れて泥に塗れて疲れて行けばこの目的を達することは難しいだろう。大砲を積んだ船で脅迫し、兵隊と霊獣を連れて威圧し、我が方に絶対有利の通商条約を結ばせる。

 であるから短時間で済まないが、パラマ国が――替わって南覇軍が――影響下に置いているカンダラーム半島の東から延びているガタンタン半島を迂回する航路を取る。そして半島の西側と、その西のプルヒナク諸島部の間に形成されるカンダラーム海峡に入る。

 その海峡は重要海域であり、船舶交通量が戦争で減ったとはいえ多い。南覇海軍の警備艦隊が海賊――敵海軍――対処に動いていて忙しない。連絡を取って補給が要る軍艦だけ我が艦隊に同道させて一時的に圧力を嵩増しする。

 カンダラーム国の、同名の都に入港する。支配領域に対して都がやや小ぶりだが、所詮は都市国家連合体の代表であるためだ。沿岸都市部には影響力が強く、内陸部族に対しては各隣接沿岸都市を通して若干の影響力がある。中央集権とは程遠い。

 カンダラームの宮殿に登殿する。グジンとその兵隊達、そして前より数が増えた海軍陸戦隊を揃えて行進して門前で待機。自分とグジンとフウと牙持ちの四人、そして蛇龍と水竜も伴って中に入る。アンスウは勿論のこと商談に走っている。

 バッサムー属王には二日掛かりで勝利した。あの巨体が疲労で鈍るまで足捌きで翻弄したは良いが、押しても殴っても蹴っても全く転ぶ気配は無く通用しない。だから発想を変え、あの立派な牙にだけに狙いを定め、疲れで頭が下がり、牙先が床に接した瞬間に踏み蹴って圧し折った。あの多い原子の一部でも奪ったことにより力が認められ、条約が成った。二度とやるか!

 謁見の間にてグジンが白檀箱から勅命状を広げて声を張る。カンダラーム属王はグジンにではなく、勅命状に対して平伏する。これが正しい属王の態度。王千歳、巡撫二千歳の呼びは序列を明確に位置づけているのだ。

「カンダラーム国属王に告げる! この方は天政地より、天より降りし、宇宙を開闢し、夷敵を滅ぼし、法を整備し、太平をもたらし、中原を肥やし、文化を咲かし、四方を征服した偉大なる八大上帝の古より宇宙を司りし天子の名において特務巡撫に任ぜられたレン・セジンである! 特務巡撫の名の下に今後陸海上にて活動する大龍銀船艦隊の完全なる無害通行権を要求する!」

 勅命状を読み上げたら箱にしまう。

 後でフウがカンダラーム側の官僚と、ルオ・シランからの紹介状を見せながら実務調整に入る。カンダラームは人間が統治し、大半の人民が人間の国だ。獣人共のような面倒は無いと願いたい。

 フウと船上で勉強し直したが、カンダラームそしてタルメシャ諸国の権力構造は中央集権とは程遠い。

 筆頭の王が座する中心都市の下位に、王の縁類とは限らない首長が独自に統治する小都市群がある。また各都市の下位には農村部がそれぞれに存在する。上位政体が保護をする代わりに、下位政体が税、賦役、兵役義務を負う契約を結ぶ。契約は所詮契約、隷属ではないので利害が反すれば解約され、新たな利害が一致する相手と契約を結ぶ。これが勢力圏を容易に拡大縮小させる要因になる。英雄により一代で、地方名にすらなった旧タルメシャ帝国という稀な広域帝国が出現することもあれば、今のように国家乱立状態が何百年も続くことにもなる。

 もし契約関係ではなくもっと直轄的に統治をするならば征服後に官僚を送り込めばいいが、出来るのならもうやっている。まず官僚制度が各国未熟で他所に送り込めるだけの人材がいない上に、土地海域が広いから必要な人数が多く、その割に生産力が低いので金が無くて作っても組織が維持できない。その上諸都市は部族、宗族第一主義なので契約はともかく直接的な支配統制を嫌う。内輪の論理で動く伝統が長く、現地人を登用して官僚にしてもあっさりと悪びれもせず汚職を働く。

 虐殺でもして住民を入れ替えない限り乗っ取れる状況ではないが、移住させるような余剰人口がタルメシャにはない。熱帯は人が住める土地が限られており、熱病が流行りやすく、洪水によって飢饉が発生しやすい等、複合要因がある。それで人が貴重な財産という価値観がそれで生まれ、虐殺は特に忌むべき行動と認識されている。苛烈な政権は敵視されて常に短命。

 熱帯は道が悪く、雨季には道が洪水で寸断されて実際の距離間以上に各地が遠い。通信と交通が脆弱であるから直接連絡出来る期間が限られている。だから諸下位政体は自治させるしかなくなる。仮に中央で完全に統制したとしたら地方が緊急事態に対処できずに衰亡する。

 カンダラームの支配は我々の仕事ではないのでこの仕組みを改革などはしていられない。だがこれで分かるのはカンダラームの都と条約を結んでも別口にその他の都市と条約を結ぶ必要がある、かもしれないということ。

 この”かもしれない”が曲者だ。中央集権体制が築かれていないので最上位政体の法が下位政体に適応される保障は無い。全く適応されないというのであればまだ分かるが、それぞれの都市との契約関係だとか、これまで交流してきた間柄だとか、民族的な伝統だとかに左右される。はっきりしない。フウにそれぞれの都市との関係を調査させて、訪問の必要がある都市、無い都市を選別させなければならない。これは決して洗練されているわけではないカンダラームの官僚と確認を取り合う必要があるから時間が掛かる。

 まだ訪れていない国がある。カンダラームで最新情報を仕入れ、現状を把握している。

 ナコーラー国。その沿岸のナコーラー湾は現在魔神代理領海軍の出現が危惧される海域。大規模武装商船団だけで訪れるのは可能だが損害を見込む必要がある。南覇海軍が優勢で、各沿岸基地と連携してはいるものの、海は広く、魔神代理領海軍は壊滅しておらず、散発的な奇襲はまだ可能で絶対安全ではない。

 加えてナコーラー内陸側はプラブリー国の猿頭共から攻撃を受けていて陸海両面で情勢が安定しない。強力な南覇軍がいる今になって攻撃しているというのだからジャーヴァル帝国が武器支援をしているのは確実。あの現神気取りの白猿が魔神代理領に大人しく従うわけはないのだが。

 ナコーラー訪問が困難ならその西の先のラノ国は不可能である。国の中心になるカリン川があるが、その西岸部に現在ジャーヴァル帝国軍が広く展開して攻撃中である。

 ラノの沿岸部はナコーラー湾の外にあるので避難したり監視するような沿岸基地が無く、魔神代理領海軍に襲撃される可能性は格段に高い。

 全く、戦争で交通が封鎖されると商売の邪魔になって仕方がない。

 カンダラームより西へ進出出来ないなら、出来るようになるまで南洋諸島やニビシュドラの南へ行こうか?

 南洋諸島はガシリタ島政権のファイード朝が強勢。中央集権体制の築き辛いタルメシャにおいて海洋帝国を築いている。南洋作物の大規模栽培で、特に香辛料の値段を暴落させて市場を独占、諸島部の各国経済を弱体化させ、そして強力な海軍で派遣して沿岸都市を服属させ、その沿岸都市を使って内陸都市も服属させる。海上権力を握られているから輸出入が出来ず、従うしか無くなる。従えば今度は魔神代理領やレン朝やタルメシャ大陸部から亡命してきた官僚を登用して派遣し、大規模農場を管理する上で公共事業に投資をして開発を進め、恩恵をもたらして内側から浸透、中央集権体制を強化している。

 親魔神代理領勢力なのは明らかであるが、反天政の姿勢を見せることはなく、友好国ではないが敵対国でもない。しかし海賊船の拠点になっている。

 南覇海軍の武力を借りられない状況で、大龍銀船艦隊単独であの国に有利な通商条約を求めるのは不可能。ハン・ジュカンはこちらに手を今は伸ばせないとしていた。情勢の変化を待つしかない。

 ニビシュドラ南部は内陸、島嶼部の風鳥頭と火食鳥頭が全く統制に従わないと聞いている。それからアマナかファイード朝か天政下からの密貿易かは不明だが、武器が売られて山賊、海賊として騒乱を起こしているらしい。南天の星海教徒であるせいか星読みが巧みで海上から夜襲をしかけて一気に暗い内に逃げるとか。

 かの地域を武力で鎮圧しても凶暴な害獣を討伐した程度の成果しか得られまい。損が多いだけで、だからこそニビシュドラの属王も本格的に手を出していない。余力の少ない戦時中に相手にする連中ではないな。

 しかし本当に戦争は邪魔だな。戦争が無かったら西への接続などに悩みもしなかっただろうに。とっとと無用な人間を殺し終えたら適当なところで止めればいいのだ。戦争など下種や獣に虫が行うもの。全く非文明的で非生産的で汚らわしい。武を下に文を上とする伝統が正しいと分かる。乱世に台頭してきて文に肩を並べようとしてくる武など成り上がり者の卑劣さを感じる。全く醜い。

 うむ、銀を流通させる仕事の次は和平交渉など良いかもしれない。北と南の巡撫は戦いに掛かりきりで血腥いし家格も半端。そこでこの芸術と商売を司る貴人の中の貴人が文化的に取り成すのだ……理想的じゃないか! この船団、開いた海路もそのまま外交経路に使える。商取引の再開は互いに利益があって話をつける切っ掛けになる。後は南北と約五千歳が考える戦争の落としどころを聞いて、自分がまとめてやって魔都に行き、この虹雀で中央と連絡を取れば良い。

 完璧だ。芸術と商売だけではなく、外交の天才だったとは自分が恐ろしい。

 天はいくつもの物を授けてくれた。これはもう天才ではない天子であろう。

 和平交渉の次は太平の天政を導く時代になる。あの約五千歳は引退させよう。

 引退させたならば改元だな。龍元永平の次はそう、天豊開華が良いだろう。見ただけで気分が明るくなる字面だ。

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