第284話「王の意義」 ダディオレ
どれ程の噂でも所詮は噂、目にしなければその実体は感じ取れない。
帝国連邦、人口だけならば我がザカルジンの半分いや、四分の一にも満たぬが兵力はその五倍強の百万を超え、良く訓練された上にここ二十年の激戦を経験して歴戦揃い。装備は世界最高基準で揃っており、特に優れた火砲は運用方法と合わせて他国とは何世代も隔絶する。畜獣の数は計り知れず、その少ない人口を補って余りある。その軍の伝統は殺戮に一切容赦が無く己の死も厭わない。
イディル=アッジャール朝が各地から奪った財宝を我が国に一時保管していたことを利用してそれらを奪い現金化し、魔神代理領親衛軍式に訓練して整備した二十万の正規軍は帝国連邦軍から見たら子供の遊びだった。北征軍相手に戦線を膠着させるのが精一杯だった我々を軽く――いくつもの苦労はあるだろうが、傍から見れば――凌駕してみせた。
冬から夏に掛けて、ザカルジン軍は中立地帯を掠め取り、ヴァララリ山地東麓に陣取る程度の事しか出来なかった。一方の帝国連邦軍の快進撃は枯れた草原に火を放ったようだ。
彼らは冬に東イラングリとラグトを征服した。
春から夏にかけてアイザム峠で一時停滞したものの、秋になる前にヘラコム山脈を越えてクンカンドを奇襲で陥落させ、北の第二軍団の兵力と兵器の大半を喪失させた上で防御に不安があるウルンザライを放棄させ、南ヘラコムの要衝ダシュニルまで後退させた。その北にあるティルサライは、反乱してからはヘラコム山脈に潜伏していたラグト王ユディグの軍がいた影響でこれも戦線圧縮のために放棄を強いられた。
北ヘラコム山脈新経路もまだ未整備同然だが伝令が行き来するには問題ない程度に拓かれた。ダシュニルの後背地域も危険になった。
中央では第一軍団が北の戦況悪化の影響でムドのみならずエンザまで放棄し、主力は既に道都ダガンドゥ手前のチェブンまで後退した。これでヘラコムからベグラト、ヴァララリに至る東西世界を分ける大山脈地帯を帝国連邦は手に入れたことになる。ハイロウの盆地を西から攻める障害は無くなった。
南の第三軍団はこれにより孤立、絶体絶命の危機に陥った。南ハイロウ西側に取り残されてしまったのである。ムルファンはまだジャーヴァル北進軍が突破できておらず、そちらの南ハイロウ南部から東側へ脱出する道はあるものの遠回りに過ぎる。道無き過酷な南ハイロウ中央の砂漠横断は軍団の壊滅と同義であり、そもそも見劣りするとはいえザカルジン軍はムド救援に間に合わなかった第三軍団をダリンハチャイにて拘束、むざむざと逃がす予定は無い。
超広規格道と水道橋という大規模施設を破壊しながらの北征軍の後退は確かに両軍の機動力に差を付けるが、元々が尋常ではない行軍速度を誇り、略奪する資源が目の前に――効果的な焦土作戦を展開する時間は相対的に存在しない――ある帝国連邦軍が鈍足になると考えるのは早計。彼我の速度差は大きく隔たっていると考えなくて良い。むしろ、これでようやく互角か、やはり騎兵力の差で大きく負けている。
これからの状況の進展予測。
北の第二軍団はこのまま東へカチャまで押され続ける。兵力の量と質から挽回の手立ては一切無い。天政本国の援軍が届くというような希望は遠い。ハイロウ戦中に間に合わないことだけは確定している。
中央の第一軍団はダガンドゥへ後退するために、急いで引き上げて来ているので防御体制があまり整っていないチェブンを殿として犠牲にすることは明白。これによりユルケレク川沿いも完全に放棄される。ダガンドゥを守るために他の都市の防備は見捨てられる形になるのでその界隈から陥落が相次ぐことは必然。そうなれば南北ハイロウはほぼ分断される。東側山麓沿いの街道はまだ繋がっているが、ヤカグル山脈大回りの道では遠回り過ぎて用をなさない。またあそこは冬には使い辛い。冬は間もなく来る。
南の第三軍団は孤立が一層深まっていく。今は続いている補給線も第一軍団のダガンドゥへの後退で先細る。その上でアイザム峠から解き放たれた数十万の帝国連邦非正規騎兵軍がハイロウ各地を蹂躙することは間違いない。南にもガシュブ盆地を蹂躙した騎兵が残っていて自由に動ける。散発的なそれらの襲撃から後方連絡線を守り続けるような兵力の余裕が今の北征軍には無いか、多少あったとしても無くなってきている。
そして、いつまでもジャーヴァル北進軍が情けない状態のままかは分からない。南ハイロウ挟み撃ちの現状は変わらず、あちらが第三軍団の本隊がダリンハチャイで恒久的に拘束状態にあると確信したらムルファンはそこそこに包囲して残置し、迂回して東側へ攻め上がるだろう。
「……入って来た情報と私の知見が間違っていなければ、現状と明日の状況はこのようになっている」
「信じ難いとは、かの帝国連邦軍でなければ言っておりましたが」
ダリンハチャイ市庁舎、現北征軍第三軍団の司令部になっている場所でその司令官バフル・ラサドと直接交渉に臨んでいる。
ザカルジンと南ハイロウは隣り合う地域。互いに代表として旧知の仲であり、ある程度の信頼関係を持って話し合いが出来ている。
ザカルジン大王として護衛も最低限に、ほぼ単身で乗り込んだ。もっとも国の運営は全て息子レブフが――法と議会が優越した上で――掌握しているので自分のような半ば隠居したような、外交大使と化した大王など謀殺されても士気高揚策に利用出来るだけだ。
「降伏しなさい。降伏後のハイロウ人民を導く存在は必要だ。代表して口を開く者がいなければ得られるはずだった権利も何もかも彼らに全て委ねることになる。敗残兵だった者の言葉と、大軍を指揮していたが降伏した者の言葉、通り方は全く違う。第三軍団を治安維持部隊にしてハイロウの管理を任せるようにと交渉することが……これは正直かなり甘い見積もりだが可能だ。降伏し、その力が破壊されずに存在すればこそ甘い見通しぐらい立てられる。保証は出来ないが、ここで死ぬまで戦うよりはマシな未来がある」
「少し、お待ちを……」
机の上に広げたハイロウ周辺地図。その上にバフル・ラサドは両軍に見立てた駒を置き、動かす。何度も配置をやり直しては動かし、溜息をつく。
「……ダディオレ陛下、参りました。ムルファンを捨てて東に逃げて第一軍団と合流していれば……ハイロウの人民と都市を捨てて歩くことになっていましたね」
バフル・ラサドは政治家で将軍で宇宙太平団――名前は少々尖っているが――の宗教指導者。貧しい者を救い、平和を求めるという愛に篤い教えを広めている。冷徹に人も都市も捨てて動くということは信条と評価から難しかっただろう。それがムルファン防衛、ムドへの急行という形になった。想定外なのは全てあの帝国連邦軍なのだ。
「私の言葉がどれ程通じるかは分からないが、弁護させて貰う」
「ありがとうございます」
■■■
南方軍集団総司令ボレスに第三軍団の降伏を通知したところ、このような返事が返ってきた。
”帝国連邦軍務省の指導に基づき南方軍集団総司令ボレスはザカルジン軍に対して以下の要請をする。
一つ。その責任を持って北征軍第三軍団改め南ハイロウ軍を督戦しつつ、南ハイロウを平定すること。対象の武装捕虜集団に暇を与えてはならない。
二つ。エンザ経由の北回り経路は南方軍集団が使うので可能な限り南回り経路で行動して渋滞を回避すること。
三つ。南ハイロウにて反乱ないしそれに類似する事態が大小に拘わらず発生した場合は速やかに鎮圧しその原因を取り除くこと。
以上である”
「帝国連邦としては温情的な措置ではないかな。抵抗して悲惨な目に遭った、いやまだ遭っている最中か、そんなイラングリとはかなり違う」
「そのようです。しかし武装捕虜ですか」
「忠告がある。これから君達はかつて味方であった者達を攻めねばならず、降伏しない場合は容赦してはいけない。この”その責任”は我々に、君達への温情を許さない。一応属国ではないからこれでも柔らかい言い方だが、彼らはザカルジンに選択や拡大解釈の余地を認めていない。軍付きのあちらの軍事顧問が技術指導をしながら監視についている。こちらは明日の隣国との関係を考えなくてはならない。人道的な配慮にも限界がある」
「ごもっとも」
ダリンハチャイは降伏、その南のマルラーリからも降伏受託の報せが来ている。ムルファンなど、南ハイロウの南部国境線地域からの降伏如何の返事はまだ、距離的な問題もあるが来ていない。催促の行軍、しなくてはならない。
「”その責任”とのことで、バフル殿、彼方を南ハイロウ軍司令に任命する。南ハイロウ平定のために行動を開始するように」
「承りました」
捻くれた人物ではなく、素直で聞き分けが良い。ただ隙を見せれば必ず反乱し、離脱するだろう。バフル・ラサドが”宇宙大救世主”などと仰ぐ人物は北征巡撫サウ・ツェンリーなのだ。
後送されてくる補給物資は必ずこちらが大元で管理する。こちらは督戦に専念して戦闘は彼らに行わせる。各都市の市民は厳重な管理下に置き、人質としておく。無体はしない。
「嘘のように聞こえるかもしれないが、北は諦めるよりない。南の者達を救うのは彼方だ。第二のイラングリにしないために同胞を撃ちなさい。全て交渉でどうにかなれば良いが」
「最善を尽くします」
「これは言わなくても分かっているかもしれないが一応念押しに言っておく。もし裏切ったならザカルジン如きでは庇い立ても出来ない。第二のバルリーになってしまうだろう。あの一件は知っているかな?」
「……重々、承知しております」
分かっていて、大儀のためと裏切ってしまう可能性はあるので目を常に光らせておく必要がある。宇宙太平団の教義的には南ハイロウを出来るだけ血を流さずに平定して属国となってでも生存権を確保するのが道理である。それを反故にしかねない大義とは、天政の大義である。属縁に人民が滅びても構わないから中原そしてその国家組織の伝統の保存さえ叶えば後は良いという考えだ。広大な征服地域は時代に合わせて絶えず変動、増減するのだから無理にでも維持しようとしない。ただ大元だけは将来のためにどんな手を使ってでも守り切る、そんな大義だ。
バフル・ラサド、彼の頭の中ではその教義と大義どちらが勝っているだろうか? どちらかにきっぱり分かれているということは無いだろう。状況に応じて傾きが変わるはずだ。人間ならば変わってしまう。今は教義に傾く状況だ。これを維持しなければならない。
ザカルジン大王国、飛躍はこれからなのだ。同情はするが邪魔などさせない。卑しいが、ここで失点をすれば戦後のハイロウ分割に口も出せなくなる。
南ハイロウ軍に”血の洗礼”を良く受けさせられるか我々は試されている。
■■■
南ハイロウ軍を先導に南下させ、ザカルジン軍もそれを督戦に追おうとダリンハチャイで調整中のこと。
「陛下……」
軍を指揮するレブフが書類を手に近寄って来て、次にそれで口元を隠しながら「父上」と呼んだ。内密の話だ。
「どうした?」
「南方軍集団からの補給計画書なのですが、最低限、我が軍が食える量しか送られません」
ストルリリ峠経由の補給計画は現在帝国連邦が完全に掌握している。原因は単純明快で、我がザカルジンが管理していては大軍を動かす計画に齟齬が生じるからだ。我々に、大軍を外征に連れて行くような経験知識は無いためにそのような協定になっている。実際のところ、非常に効率的でこちらも助かっているので、正直嬉しくはないが覆す気にはなれない。
「南ハイロウ軍の分がつまり?」
「ありません」
「落とした都市から奪って食い繋げ、か? のんびりさせない手ではあるが」
妖精共の噂を聞くには共食いしながら行けと言いかねない。冗談や脅迫ではなく。
「少しでも敵方の篭城が長引けば厄介なことになります。今の内に手配をしましょう。ジャーヴァル北進軍が使っているキサール高原経路からこちら独自に、魔都で買い付けた補給物資を輸送させたいのです。銀行は問題ありません」
「それは分かるが、まだムルファンでのジャーヴァルの動向が定まっていない。第三軍団降伏で北進を止めてタルメシャ方面に注力するとなればいいが、一緒に南ハイロウをと……ああ、そうだな。私が走って調整してくれば良いんだな」
南ハイロウにジャーヴァル軍を介入させないように帝国連邦とジャーヴァル帝国と交渉するのだ。キサール高原経路の渋滞を防ぎつつハイロウ利権に口を挟める箇所が増える。多国籍連合軍が面倒臭いと言われる所以だ。
「お願いします」
「ああ、そう、南のアッジャール残党共の最新情報は入っていないか? 奴らがジャーヴァルに屈服したか抵抗しているかで物言いが変わる」
「魔神代理領に加盟する、彗星の導きに従って帝国連邦に加盟する、ジャーヴァルに屈する、独自路線で行く等にかこつけてバルハギン統原理での傀儡王位の継承やその否定、担ぎ上げる者達の中で兄弟親戚でその将軍職――大将軍だとか宰相とか大宰相とか、あと第一人者とか擁護者もありましたね、名称が不安定です――争いに飛び火して内戦になっています。それにジャーヴァル軍が介入する形になっているようですが、誰を後継者に据えれば良いかとジャーヴァル側でも暗闘している様子。殲滅してしまうと恨みを買うので戦い方も熱戦というより冷戦の様相。あちらの宮廷は規模が大きくて面倒が多いですからね。ともかく外からでは中身が窺えない状況です。うちの密偵じゃまだ追い切れてません。父上が高い視点から状況を把握して頂ければやり易くなります。有力候補をまず見つけてくれればこちらから支援をして盤面を統制出来ますが」
「七面倒臭い!」
王の意義は時代で変わってしまった。
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