第283話「蝿集りの王」 シレンサル
アイザム峠での戦いが続く。期間だけならば一季節も過ぎていないがかなり長く感じる。
死んだ人間の山は埋めるのも一苦労、馬は食っている。負傷者治療に投入される呪具も生産、輸送が間に合わず取り合いになっている。正規軍に比べて管理が雑であったこともあるが、前線ではない後方で騒動が起きることが度々ある。
群壕相手の一進一退の削り合いは終わった。敵の野戦陣地は既に長く深い塹壕線、要塞と化している。迂回突破など出来ない。打開の兆しが見えない。イラングリ人共は戦奴隷みたいなものでゴミ扱いで良いのだが、臣従して一応は仲間になったラグト諸族の者達が消耗に苦しんで、月が来た女か腹が減ったガキのように喚いている。
奴等の感覚では”血の洗礼”は受け終えたことになっているらしい。あれだけ凄惨な突撃を繰り返したのだからもう帝国連邦の仲間だろう、などと。そのような勘違いをして貰っては我が王の沽券に関わるので絶対に阻止しなければならない。
口で言っても分かるかどうかはともかく、ラグト諸族長のみならず非正規騎兵の各一万人隊長も司令部の天幕に呼びつけて一説。
「栄えある蒼天と玄天の覇者である帝国連邦の新参の者達に告げる。古参の者達も今一度心得て貰う。戦線は膠着している。状況は進展せず、死体の山が築き上がっている。兵士として文句があるだろうがそれを聞き入れる気は一切無い。我が王、ベルリク=カラバザル総統閣下ならば戦って死んで傷ついたからといって戦争を諦めることがあるだろうか?」
「あるわけがない!」
「敵を殺せ!」
「農民共になめられるくらいなら殺して一緒に死ぬ!」
新参は物を言いたげだが黙り、古参は血の気を出す。
ここでは少し工夫をしている。新参は自分に近いところに座らせ、その背後に古参を配置している。心理的にも挟み撃ちにしている。あと喋った奴等は仕込みだ。仕込みにしても無理に喋らせたのではなく、事前にそういう気持ちの連中に確認を取っておいただけ。後はそいつらが自然にその時に確認したことを繰り返して喋るだけだ。忖度もあるだろうが、口に出したら多少の嘘でも本当になる。
「その通りだ。軍門に下る血の洗礼を受けるならば服して血塗れに、同胞となれば望んで血塗れになるのだ。近頃前線でも後方でもやれ誰が死んだ、復帰不能の重態だ、息子が全員いなくなっただのと聞くが甘えるな。己の動く口がある時点で言い訳にすらならない。我々の戦いは家族だの民族だのそれが一つ二つ、百や千と血に沈んだところで止まるわけにはいかないのだ。この戦いとこれからの戦いは蒼天の下にいる大地の頚木から解き放たれた我等遊牧民と定住民との命運を分ける戦いになる。ここで負ければ我々の息子、孫、そのまた孫の世代は、数が増え続け、工業力を増進している定住民にあらゆる面で屈服を強いられ、奴隷に成り下がるのだ。産業に革命が起こっているこの時代、我々が定住民に勝つ方法はひたすら版図を広げて殺戮を続け、奴等を家畜と獲物にし続けることだ。言って分かるものは弱音を吐く余裕など無いと知れ。分からぬ者は馬鹿なのだから従え。これが今、我が王、ベルリク=カラバザル総統閣下のお考えである。牙の無い狼は犬ですらなく鼠に劣る。ここに牙の無い奴がいるなら手を上げろ、宰相である私がどれ、優しくしてやろう。ほら、いるなら名乗り出ろ。一族郎党、私の犬と一緒に飼ってやる。食うには困らんぞ、時々毛並みも整えてやろうじゃないか」
傍に侍る牧羊犬に手で立てと指示し、それから座れとやり、座ったら背中を撫でる。
新参は黙り続け、古参は笑う。
言いたいことは山程あるだろうが全くそれらに聞く価値は無い。今この時代、一部族の、一部族が寄り集まった意見など発せられるだけで害悪だ。大儀に流されなければ名誉の死すら与えられずに歴史から消え去るのみ。先祖のように風にすらなれないのだ。
峠での龍人兵の緊急展開さえなければ今頃はハイロウに騎兵を浸透させ、渋滞に停止させられることなく北方軍集団の先遣隊を進入させていた頃だと言うのに! 敵第一軍団の北方を脅かし、戦力を削り、陽動し、我が王ならば既に撃破、追撃、殲滅、虐殺、帰順した者達、捕虜を各都市へ突撃させるところまでいっていたはず! あの遅れ一つでハイロウの防備が固まってしまった。
……オルシバ老、あなたが居ればこいつらはここまで騒がなかったのに。思いもよらぬ首狩りは確かに効果があるのかも、あったかもしれないが。
■■■
厭戦気分にやる気が失せて来た連中に活を入れたのは気まぐれではない。
「行け行け重砲!」
『行け行け重砲!』
「押せ押せ重砲!」
『押せ押せ重砲!』
「引け引け重砲!」
『引け引け重砲!』
「出せ出せ重砲!」
『出せ出せ重砲!』
出迎えに行けば峠に至る上り坂にて、軍楽隊の応援演奏――マトラ労働歌だったか?――に煽られながら人間、小柄な妖精、大柄なフレク族が馬に驢馬に騾馬に駱駝と共同で重砲を載せる台車の下に板を引き、押して、巻きつけた綱を引いて登って来ている。見ているだけで骨が物理的に折れそうな重量感がある。
そんな重量感があるにも拘わらず先頭で引く変な尼さん? が恐ろしい怪力で「重砲わっしょい! 重砲わっしょい!」と坂を駆けて滑り上がるように巨大な鋼鉄塊を引き上げ、傾斜の厳しい曲がり角、一番の難所を越える。難所を越えたら戻って次の重砲の難所越えを手伝って渋滞を回避している。白い裸足が岩盤、礫を物ともせずに蹴飛ばして動き回っている。目の錯覚ではなさそうだ。
北方軍集団が、拠点攻撃用に編制する重砲兵群を先行して派遣したのだ。勿論突然の訪問ではない、事前連絡があった。当たり前だ。
「ユドルム方面軍司令ストレムです。北方軍集団総司令ゼクラグより全権委任されました。別段の指示あるまで私の指揮下に入って下さい」
金髪の妖精将官または臨時大統領ストレム。表情に言葉に感情に何ら無駄が見えない。比べて人間が野卑に見える。
「ウルンダル宰相シレンサルです。指揮下に入ります。戦況は以前にゼクラグ総司令に報告書を送った時と変わりがありません。膠着状態です」
「結構。ではこれから突撃を何度も繰り返して敵に砲兵陣地の展開を邪魔させないで下さい。砲撃後、状況を見て実際に敵陣地に食い込みますので十分な兵力は温存しておいて下さい。以上です」
「分かりました。その様に手配します」
何と簡潔なやり取りなんだ。これを諸族の連中に喋るのなら聞く耳持たせるだけで演説と宴会を何度かしなくてはならないぞ。
「その後の予定は?」
「峠突破まで攻撃の手は緩めません。重砲兵群の後に我がユドルム方面軍、次いでシャルキク方面軍が到着するので逐次攻撃、休ませてはなりません。戦力の補充は、大内海連合州陸軍は機動力が低いと評価したので何れにしろ最後尾です」
ふと軍楽隊の演奏が止む。休憩時刻? 空の太陽の高さを見ると、ああ、昼食時か。
「第二作業班作業止め、昼前の軍務終了! 第二作業班作業止め、昼前の軍務終了! 食事と休息を取り、昼後の軍務に備えよ! 食事と休息を取り、昼後の軍務に備えよ!」
「第一作業班作業交代、昼後の軍務開始! 第一作業班作業交代、昼後の軍務開始!」
軍楽隊が交代し、作業員も交代して重砲の運搬作業が続く。運搬する重砲の動きは各支援部隊より遅い。先行して炊き出し、食事休憩場所が展開されているのでその第二作業班は速やかに休みに入れるし、そこで食事や待機、昼寝をしていた第一作業班が速やかに運搬作業へ移る。無駄が無い。
「第三、第四作業班通る! 第三、第四作業班通る!」
今度は重砲を運ぶ脇の道を、荷物を余り持たない砲兵達が通過していく。多くは馬車の荷台に固まって布団を被って寝ているか、眠そうな顔でパンを齧ってる。
「あれは?」
「第三、第四作業班は夜間作業担当です。重砲、弾薬に睡眠は必要ありません」
「なるほど。お前」
「は」
「彼等に先導役をつけろ。私の名前で誰も彼等の通行を妨害させるな。どこぞの王でもな」
「は!」
近従に命令しておく。
「正規軍ではないので、事前に言って貰えれば今のようなことも出来ます。そうじゃないと難しいこともあります」
「非正規騎兵との本格的な連携は初めてになりますね。以後参考に……」
ストレム司令、その完璧な軍人風だったのがさっきの変な尼さんに抱き上げられて振り回されて台無しになる。
「ストっくんお兄ちゃんごっはんだー! おいしいおいしいミーちゃんおねーちゃんのごっはんだぞー! お腹が空いたぞ、空いたよね!」
尼さん、馬鹿に明るい声でストレム司令を振り回す。状況を理解せず、無邪気に笑っているあたり本物の気が違ってる怪力馬鹿に見える。いや、人間でなければおかしくはないか。体が大きい方なので見間違えた。
■■■
実は今まで試していなかったことがある。
前線に貼り付けた部隊を後退させてみた。同時に、要らぬ荷物に火を点けて引き払ったようにした。子供騙しだが、戦史にてこれで撤退したと誤認した事例は多い。記録に残っていない失敗事例はたぶん、成功より多い。
勿論のこと敵は怪しんで偵察部隊を良く動かす。狙撃の得意な者に待ち伏せさせて撃ち殺させる。偵察は素人には出来ない。炙り出しに定期的にやっても面白いかもしれない。
さて動くか……?
……敵は動かない。これで敵の前線が陽動に引き摺られて前進して来たのなら、その塹壕から出て来たところに突撃させようと思ったのだが全く動かない。慎重な敵だ。こんな程度じゃ引っかからないか。引っ掛ける準備が足りなかったか。そうか、足りなかったな。
では引っ掛からない次いでに疲れている前線の部隊を悠々と後ろに下げ、十分に休んだ部隊を前に出して交代させる。攻防入れ替わりの激しい戦いの最中にゆっくりやらせて貰えるとは助かる。それと同時にイラングリ人とラグト諸族の突撃待機をさせる。今精神的に動揺しているこいつらにそうさせるためには静けさが必要だ。
意気も萎えに萎え、家族を人質に取っていることにもあまり感情的に反応しなくなったイラングリ人を隣同士縄で縛り上げることで逃走を抑止、密集隊形を取らせる。彼等を盾にし、土嚢や板を持たせて先頭を行かせる。物が間に合わない時は内臓を抜いた死体でも良い。
前進、突撃開始。太鼓の連弾で彼等を前へ進ませる。攻撃範囲は敵塹壕線の全正面。
敵が大砲発射。榴散弾、隊列の上空近辺、多少前後位置はいい加減に炸裂。鉛の散弾が降ってその密集隊形を潰す。頭上に持っている物を掲げて盾にする者はいるが気休めだ。
イラングリ人は意気の次に脚が萎え出す。その背中を槍や棍棒で突いて叩いて無理やり歩かせるのが、やる気が多少はあるイラングリ人の督戦隊。榴散弾が大体狙いをつけるのは見えやすい密集隊形。その界隈に散弾が撒かれるので督戦隊が突っついたり叩いたりする度に急いで下がるを繰り返すので滑稽。こうしなければ次に縄で縛られるのは彼等だ。前へ出ろと責める声が必死だ。滑稽な状態で散弾を受けて苦しんで転がっている。
前進が続く。
敵が斉射砲発射。西の方では数種類あるらしいがこの戦場で見かけるのは一種のみ。三連装で二人もいれば十分に運用可能な軽めの重火器。大砲以下小銃以上の有効射程でもって大口径弾を撃ち出す。密集隊形の肉壁を貫通、胴体を弾いて千切って後ろの督戦隊に時々当たる。貫通した弾がかすっても致命傷、腕も脚も千切れる。強力だ。銃兵槍兵が密集隊形を取る時代が過ぎたのが分かる。
そして金茨。敵の方術で作られた鉄屑の妨害物。あの上を進むことはいくら根性がある奴でも不可能。ただ刺さるのではなく、不規則に曲がって枝分かれしているから返しのついた鏃のように引っかかり、痛みが無かったとしても肉に絡んで足を止める。どこまで長く金茨同士が絡み合って続いているので引きずることも出来ない。重さもある。切断するには太さもそこそこあって工具を使っても容易ではない。
ここで土嚢を投入。金茨の上に土嚢や板、死体を敷いて足場にする。大体ここで小銃の有効射程に入る。銃撃が始まってイラングリ人が倒れ始める。
到着地点、仕事の終わりが見えなければ流石にいくら脅してもイラングリ人はそこまで歩けない。土嚢と仲間の死体を積み重ねて金茨の上に足場を作れば仕事は終わりだ。
小銃だけではなく大砲から発射される缶式散弾の有効射程にも入る。曲射ではなく直射で狙ってくるので相当な数が倒れる。ちょっとした隊なら一撃で壊滅。
ここまで来ればどちらのイラングリ人も壊走を始める。これで三度生き残れば故郷に帰れるので頑張る奴はいる。それから督戦隊に志願して頑張れば報奨金が与えられる。その後の安全は暗に保障されていない。
そしてイラングリ人の後ろを広く散開したラグト兵が進んでいた。イラングリ人が運んだ土嚢とその死体、死に損ない、回収されずに腐って虫が湧く残骸が隠れ場所になる。敵も死体、死に損ないだらけでどれが撃つべき生きた標的なのか見分けがつかなくなってくる。全く動かない死体ばかりならともかく、死に損ないは動いたり這ったり呻いたり叫んだりするのだ。死体の迷彩相手に狙撃は難しい。飛び交う蝿も視認性を下げるのに役立つ。
ようやくここで銃を持ったラグト兵が射撃を始める。昔と違うところは小銃の射程が延びたこと。地面の凹凸に隠れたり、遮られたりすれば敵の大砲、斉射砲の最大有効射程を生かさせずに撃ち合うことが出来るようになった。銃と砲が遥か先の相手を狙い、撃ち合って、そこそこに当て合って互いに殺している。ただその大砲と斉射砲には防盾が付いているのでやはり分は悪い。
見て分かるがこれ以上の進展はかなり厳しい。
土砂を入れた荷車を押して盾にして行けば銃弾程度物ともしないが砲弾で砕ける。昔の大砲と違う。狙った場所に大体当たるのだ。
この状態が続くこともあれば突然変わることもある。今回は変わった。
敵は塹壕の中から、身を曝さずに小銃発射式の銃火箭を発射する。命中精度はデタラメも良いところだが発射数が桁違い、隠れるラグト兵に雨のように降って、矢のように刺さるのではなく爆発して破片を散らす。殺す確率は思ったより低いが負傷者だらけになる。その飛翔音も爆発も恐ろしげで、強気なラグト兵の中からも脱走者が出る。脱走者は更に後方で待機する、ラグト兵の中でも選ばれた督戦隊が撃ち殺す。
このように隷属民族を盾にして自軍の精鋭を温存するやり方は古代に遡る。これを組織的に大規模に行って成果を上げたのは北大陸の遊牧圏ではバルハギンの時代に遡る。それを差別意識を創り出すような複雑な階層構造的に調整したのが我が王の時代になる。
敵が発射する火箭が発射台に載せる大型の物になり、猛爆撃になる。こうなるといくら何でも統率の取れているラグト兵でも、後方まで届くので督戦隊すらも怖気づく。
そして銅鑼が打ち鳴り、高い音の笛が鳴る。この音は何度も聞いた、敵の逆襲合図だ。兵士達も条件反射になってしまった。壊走が始まる。あの縦笛、チャルメラを単体で聞くといっそ間抜けな音に聞こえるが兵器である。
敵は塹壕から大砲と斉射砲が出されて地上に並び、地面を耕すように、逆襲路を切り開く制圧射撃が開始される。狙いを定めず、とにかく素早く、近場から可能な限り遠くへ射程を延ばしていく弾幕射撃の亜種にも見える。
制圧射撃が終わって喚声が上がり、塹壕の中から穿り出した蟻の巣、突いた蜂の巣のように兵士が湧き出し、旗手を先頭に突撃を開始する。我が軍の弾幕射撃は射撃中にも歩兵が前進出来るから、敵はそこまでの技術は持っていないと分かる。
それでも制圧射撃は強烈で、敵歩兵の洪水のような突撃の前進は強圧。ラグト兵が逃げ、殿部隊がかろうじて残る。
敵兵が追い、殿部隊と交戦。突破する。
そしてこちらの非正規騎兵が待ち構えて小銃、旋回砲から榴散弾、距離が詰まれば缶式散弾を発射。敵兵を撃ち殺す。
突撃の勢いは簡単には止まらない。こちらの猛射に倒れ伏すが後続が無限のように続く。
非正規騎兵は地べた這いずる農民兵と違うので馬に乗り、後退しながら射撃続行。騎乗後退射撃、待ち伏せ射撃、囮防御陣地での陽動、地雷、わざと敵の前進を許して突出点を作ってからの包囲射撃、荷車要塞戦術の壁、集中交差射撃地域の設定、無限のような無限ではない歩兵の列後方の隙を狙った側面への突撃、機動的に各種戦法交えて撃ち減らして囲んで分断、殲滅していく。
敵の作戦目的は攻撃ではなく防御なので逆襲突撃もそこそこに終わり、戦闘が終了する。獲得した捕虜は目玉を抉って腕を潰して、無事な案内役だけをつけて送り返す。敵もラグト兵にそのようなことをして送り返してくる。イラングリ人は、向こうでイラングリ義勇兵だとかを組織しているので無事らしい。
重砲兵陣地構築までの牽制突撃、今までの突撃回数を除いて第一回目が終了した。損害は軽微、極めて状況は良好。
■■■
牽制の突撃は何度でも全正面に対して容赦無く繰り返される。イラングリ人もラグト兵も前線から後方へ送られ、後方から前線に送られてくる。
ある部族長が言う。
「もううちの部族から男は出せない!」
「泣き言は知らん。女と子供も銃があれば戦える。年寄りはどうした?」
ラグトの属国だったある子たる王が言う。
「話が違う! 血の洗礼を受けたなら同胞ではないのか!?」
「違わない。まだ足りない」
傭兵隊長だったある男が言う。
「総統はこの件ご存知なのか?」
「お前の中の総統閣下がどんな存在かは知らないが、この程度のことで心を痛める方ではない。バルハギンやイディルが部下の死を見て一々涙を流していたか?」
牽制の突撃は何度でも繰り返される。
遂に敵の補給が間に合わなくなってきたようで火箭の発射量が目に見えて少なくなって来た。こちらは男のイラングリ人が頭切れである。ラグト兵はまだいるが疲れ切って一部で反乱、脱走となったので見せしめを始める。死罪では足りぬ。
ということでストレム司令より”最も適任とされる者”が紹介された。ゼクラグ総司令肝煎りで実績があるそうだ。
「困った時はサニャーキにお任せだよ!」
愛想良く笑顔で”お任せ”と喋ったのはあの重砲引きの尼さんだ。何の冗談かと思った。
捕らえられた罪人は広場に集められる。関係各位にこの見せしめが行き渡るようにと人を強引にでも集めた。記録に取り、絵にも残すことになった。絵は掲示板に貼り付けたり新聞にしたり、印刷して配る。
「えーと、それじゃあねえ……」
あの尼さん、サニャーキ? 怪力だが、小さい子供相手に遊んでるのが似合ってる女にしか見えないのだが。
「悪い子は、にゃんにゃんねこさんに変身だ!」
『にゃんにゃんねこさんに変身だ!』
にゃんにゃん?
「今日は殺しちゃダメってストっくんお兄ちゃん将軍が言ってたから気をつけようね!」
『はーい!』
拷問を行う妖精たちが罰する罪人達を全裸にして、複数人で押さえつけて暴れないようにする。怪力のサニャーキが手を下す相手はそんな手間も無い。
拷問道具、普通の家庭にもあるような道具程度の物が思ったよりも少なめに揃っている。それから何に使うか罪人の死体も用意してある。最初は死体を見せしめか何かに使うのかと思ったが、それの置いてある配置が道具と同列。さて?
「最初は耳!」
『耳!』
「こんなところにお耳があるわけないじゃなーい」
サニャーキが号令をかけ、拷問官の妖精達が口を揃え、役目が分からないが拡声器を持った妖精士官が一言加える。
罪人の両耳が切り取られた。まあ、よくある程度だ。
頭の天辺辺り、丸ごとではなく部分的に二箇所の毛を剃る。罪人の頭髪をおかしく剃って見た目で区別をつけるやり方は良くある。不貞の女の髪の毛を剃るのは国を跨いで良くある。
「元の位置へー直れ!」
『直れ!』
「にゃんにゃんおみみのみみおみみ」
頭髪を剃った箇所に、切り取った耳が縫い付けられる。猫とはそれか……かなり見た目が気味悪くなっている。猫と言われれば、獣の耳の付き方だが。
サニャーキが一人で手を入れている罪人、暴れるが全く抵抗になっていない。ちょっと手足をバタバタさせる赤子でも「よしよし」とあやす程度に弄られている。
頭に耳がついたから今度は側頭部の本来の耳の穴を、切開して皮を引っ張って塞いで縫い合わされる。
「お髭直し!」
『お髭直し!』
「神経が通っているので引っ張ったらいけない、にゃん!」
見た目だけならこれで相当に恥辱物だが、次は剃り落とした頭髪を鼻の下に、元の髭を剃ってから一本ずつ丁寧に縫いつけ始めた。猫だから髭ということなのか。
「爪を取り戻せ!」
『戻ーせ!』
「つめつめにゃんにゃん、つめにゃんにゃん」
次は手足の指先。爪剥ぎ? かと思ったが違う。指の第一関節、上側の肉だけ剥ぎ落し、指骨を削って尖らせ、下向きに湾曲しているような獣の爪に見立て調整。耳削ぎは痛いが一瞬だったし、耳と髭縫いは皮と肉に針が刺される程度だった。これは骨にまで刃が入って、絶叫、悶絶、失禁に失神とまさに拷問となる。
これは強烈、抑止効果があるだろう……と思ったが、これで終わらなかった。
「おっぱいがいっぱい!」
『おっぱいおっぱい!』
「おっぱいぼよよーん」
死体の方を弄り始め、乳首を切り取っている。何故と思ったが、猫はえーと六つ? 八つある。罪人達に死体の乳首が移植されて八つに増やされる。
もう生きているより死んだ方が楽な有様になっているが、ここまでするなら終わるわけが無かった。
「にくきゅう!」
『にくきゅう!』
「出た! 肉球の達人だ!」
手の平と足の裏の皮が切開され、そこへ腹や尻から抜いた脂肪が詰められて縫われる。肉球と呼べるのか。
「はい皆さん注意! しっぽ伸ばしで殺しちゃいけません。皆で工夫しよー!」
『はーい!』
「羽ばたけ創造の翼!」
罪人の下半身が弄られ始める。ここからどうするか決まっていないらしい。
「これしっぽ!?」
「それちんちん!」
「ちんちんだ」
「ちんちーん!」
「でもしっぽには短いよ」
「これはね、お股から剥がすと伸びるんだよ!」
死体の男性器を切開して一人の妖精が解剖学の知識を披露する。男なら触れば分かるが、股の下にまで張り付いている埋もれた根の部分がある。
『本当だ!』
「天才か君は!?」
「でもでもしっぽにはまだ短いよ」
「短いねー」
「短いちんちん」
「ちんちん短い」
「そうだ! 合体連結ちんちん列車だ!」
『合体連結ちんちん列車!?』
「切って、剥がして、他の繋げる……と伸びた!」
『本当だ!』
「天才か君は!?」
結果、罪人から一番の根元まで男性器が切り剥がされ、死体から剥がされた男性器が先端に連結して縫われて延長された。遠目には尻尾のように見える、かもしれない。
もうこれは死体弄りのようなものかと思ったが、負傷治療の呪い具がここで――悪用と言って差し支えないだろう――使われ、罪人達は加工された状態で重傷が重傷ではなくなった。乳首と尻尾はいずれ腐敗するだろうが、そこまで生きているかは分からない。一応、塩の擦り込みで防腐処理はしている。
尊厳を貶める拷問は世に数あるが、これはどうだ。何か言葉が浮かんでこない。
その変身した者の姿、哀れとか惨いとかそんな程度の言葉で表せない。あれが死体ならまだしも、泣いて呻いている。生きている。
一つ確かな言葉があった……あれにはなりたくない、だ。この言葉は自分が広めるべきか。
「あれには……」
言葉が最後まで出ない。何故だ?
「でーきた!」
『でーきた!』
サニャーキと拷問官の妖精が、泣くやら何やらおかしくなっている、生きている罪人を担いで掲げて広場を歩いて回り、見せる。度胸が命の若い男でも目を背ける姿だ。
「にゃんにゃんねこさん!」
『にゃんにゃんねーこーさーん!』
広場中央の彼女達だけじゃなく、周囲からも?
寒気、いや怖気。
『にゃんにゃんねーこーさーん、ごろごろなーなー!』
『にゃんにゃんねーこーさーん、ごろごろなーなー! にゃん! にゃん! にゃん! にゃん!』
『にゃんにゃんねーこーさーん、ごろごろなーなー! にゃん! にゃん! にゃん! にゃん! みゃおみゃおみゃおみゃお』
『にゃんにゃんねーこーさーん、ごろごろなーなー! にゃん! にゃん! にゃん! にゃん! みゃおみゃおみゃおみゃお、んごるんぐあー!』
聞くだけなら子供の輪唱だが……とんでもない奴等を送ってきたな、ゼクラグ総司令。これを見ると人間同士の諍いなどどうでも良くなる。これは味方なのか?
広場から見るに耐えないと逃げようとする者もいるが、何時の間にか包囲網を敷いた妖精の兵士に追い返されている。
「見ないとダメー!」
『ダメダメなのですー!』
「お外はダメー!」
『ダメダメなのですー!』
それでもと、妖精を振り払って輪から出ようとした者がいた。
「あー!? ダメなんだー!」
銃声、その者が倒れる。死んだ?
そしてトドメ。銃床での打突が声に合わせて執拗に行われる。
「ダメ! ダメ! ダメ! ダメ! いけないよ!」
『ダメ! ダメ! ダメ! ダメ! いけないよ!』
新参古参の見分けなどした様子は無い。抵抗すれば誰だろうと即、死。
「逃げちゃダメー!」
『ダメダメなのですー!』
見ることを強制されていると理解した者達が逃げることを諦めた。
「ねえねえサニャーキ!」
「どしたの同志ちゃん?」
「皆、お腹空いてるから帰りたくなっちゃったのかもしれないね」
「そうなの!?」
「だから、道具が用意してあるからごちそうしてあげようよ!」
「分かった! ここにいる皆に温かくて美味しい肉団子鍋をごちそうするよ!」
『わーい温かくて美味しい肉団子鍋だ!』
「僕好きー!」
「わたしも好き好き!」
「食べたーい!」
「それじゃあサニャーキにお任せだよ!」
『やった!』
「お手伝いのひとー!」
『はーい!』
これで終わらなかった。罪人の哀れな姿を見て一つ笑ってやろう、俺が短刀で指を切り落としてやってもいい、といったような気分の者達でさえもう意気消沈して具合が悪くなっているというのにまだ続く。
料理の準備が始まる。鍋料理のようだ。人数分となるとかなりの量だが、彼女達の手際はかなり速い。物が違えば見事と言ってしまったかもしれない。
「いっぱい食べよう!」
『おいしく食べよう!』
用意された――先ほど死んだ者も含め――死体の首が切られ、血が桶に溜められる。
「いっぱい仲良し!」
『おいしく仲良し』
「あったかお鍋が?」
『楽しいな!』
切り開かれた腹から内臓が取り出される。そして心臓だが、刺身にされて皿に盛られる。そして、見ている者達に「どうぞ!」「おいしーよ!」と配られる。手を伸ばす者はまずいない。いないがそんなことが許されるわけがなかった。
妖精の士官が拡声器で喋る。
「この場に集合した人間達に告げる。お残しは許さない、全て食べろ。繰り返す、お残しは許さない、全て食べろ。英雄サニャーキ・ブットイマルスの手料理が食べられる幸運に喜び悶えるのだ」
包囲する妖精の兵士が銃床で地面を突いて声を合わせる。
『喜べ! 喜べ! 喜ばない奴はぶっ殺せ!』
「お肉がたくさん!」
『肉団子!』
死体の皮が剥がされ、靭帯等は別に取って置かれる。
皆が心臓の刺身を無理に食べ始める。えずいたり吐こうとすると妖精の兵士が背後から「食べ物粗末にしちゃいけないんだー!」と指差して怒鳴る。男でも涙を流しながら飲み込む。
「脂がたくさん!」
『栄養たくさん!』
「お腹がいっぱい!」
『友達いっぱい!』
内臓の中身が扱いて出され、血と脂肪が詰められる。そして靭帯で作った紐で縛られ、腸詰が作られる。鍋に入れられ、煮られる。
「一緒に食べればこれから仲良し!」
『みーんな仲良し!』
今度は頭から取り出された脳みそに塩を振ったものが配られる。食べるか食べないかを妖精の兵士達がじーっと見て監視している。もしかしたら食べたいだけなのかもしれないが。
「お鍋を食べたら幸せだ!」
死体は解体され、肉だけではなく軟骨に骨髄から内臓の一部まで磨り潰され、香辛料が混ぜられて肉団子の種が作られる。ここで腹の減る匂いがしてくる罪悪感が、普通の人間に訪れる。
「皆で食べていっぱい仲良し!」
『あったかお鍋が楽しいな!』
肉団子だけではなく野菜も刻まれ、麺も用意され、広場に集まった人数も勘定済みで全員分の食事が出来上がってしまった。非常に手早く、慣れていた。
イラングリ人のような末端の民族の後ろには新参の遊牧民ラグト諸族がいる。彼等の後ろには協力的な同一民族がいる。その背後に我々、帝国連邦の古参民族がいる。その背後にこの妖精達がいる。妖精の背後は何だろうか? 国家組織に組み込まれて自意識などあるのか疑わしく、機械仕掛けさながらに動いているようにしか見えない。
妖精の頂点であるラシージ軍務長官の意思の反映の一端がこれか? 我が王が絶大の信頼を置く妖精の意思の一端が?
あれにはなりたくない、言葉が出ない理由が分かった。
「おじさんはいどーぞ! 温かくて美味しいよ!」
自分も対象だ。そうかストレム司令いやゼクラグ総司令、脅しているのは全軍、人間の全てに対してか。非正規騎兵もまた突撃に消耗される盾の一部。
「ははは」
笑って、悪意の片鱗も見えぬサニャーキから肉団子汁が入った椀を受け取った。箸を入れて取り上げた麺が何かの臓物か寄生虫に見えてくる。
「腸詰はまだ煮えないのかな?」
声を張る。皆に聞こえるように喋る。
「もうちょっと待っててね! なまなまで食べちゃうとおケツがげりげりになっちゃうから待っててね!」
「そうか」
ああ、これは人間に真似出来ぬ。
食べる。食べたことの無い味に思える。
「はいおじさん! これ最初に煮たやつだから大丈夫、あっつあつだよ!」
「ありがとう」
サニャーキから腸詰を貰う。
「君、妖精なのに修道服着てるね」
「人間だよ。でもねあのね、ゼっくんがね……」
人間かよ!?
■■■
重砲兵群の砲兵陣地構築が成ったが、砲弾の到着は不十分である。順次到着する砲弾輸送量に合わせた砲撃計画にて射撃を行うとのこと。言い訳の答えはつまり、強力な前進手段である移動弾幕射撃が不可能。偵察隊が逐次、要破壊目標を通達してそこへ砲弾を叩き込みながら急激にではなく、少しずつ非正規騎兵軍を化学戦装備で前進させることになった。これは前後部隊を交代しながらも早朝から日没まで断続的に全正面に対して行った。
重砲支援があると無しとでは当たり前だが全く違った。膠着していた前線を押し上げることが出来た。一挙に躍進とはいかなかったが塹壕をいくつも踏み越えた。踏み入る度に火炎が噴き上がって多数の兵士が焼け死んだが前進は前進だ。
なお盾であるイラングリ人とラグト諸族はもう反乱を起こすどころではなくなる程疲弊しているので再編が終わるまでしばらく使えないと判断した。本格的な攻勢には足手まといでもある。これはこれで良い。
突撃が繰り返される中、日没が迫る。夜戦用に今まで休ませておいた非正規騎兵軍の内、錬度の高い選抜軍に出撃待機させる。
昼夜問わず部隊を交代しながら、前進した分、予備重砲兵が前進して射程距離を延長しつつ波状攻撃を仕掛ける予定だった。
予定が変わった。狂ったとまではいかない。
竜の伝令が夜中に到着、馬が動揺して暴れて一騒ぎになる。
その竜より口頭伝令で「総統より、明日の朝までにクンカンドまでとにかく来い。以上です」と告げられた。
そんなことは可能か? 全く分からない。ストレム司令と協議した結果、成功の可能性はあるが、失敗したら敵軍に飲み込まれて皆殺しになると結論になった。ならばやれる。
「クンカンド、やろう」
伝令の竜は怯える馬を指差して言う。
「俺よりデカい竜がいる。吠えるともっとおっかないぞ。機を見て、えーと、下馬しろって。アクファルが言ってたぞ。あれ、総統の妹様だ。途中で空から支援することになったら、そうなる」
「あい分かった」
夜間攻撃の計画には変更が加えられる。
まず非正規騎兵軍による早朝から行われていた攻撃を休ませずに続行させる。半ば事実ではあるが、全正面に対する攻撃が未だに継続中であると誤認させる。
そして重砲支援は打ち切る。誤射の危険性が高いから中断したと見せかける。これは自然だ。
日没になり、夜になる。重砲支援の無い突撃は反復され、膠着し始める。
膠着状態でも突撃を繰り返し、深夜の時間帯になる。敵も味方も疲れ切っている。時折、指示も無いのに銃声と砲声がぴたりと止み、荒い息遣いだけが静かになった夜に響くことすらある程だ。これは頃合。
「彗星が見えているぞ。我が王、総統閣下もあれをご覧になっている」
先頭に立って指揮に刀を星空に向ける。我が王の真似事だが、今日はやらねばならない。先導するのは今ここで総統の代理たる宰相シレンサル以外にいるものか。
選抜軍、化学戦用意をさせて、幅の広い突撃縦隊を組んで待機。
そして重砲兵群、射撃中止中に届いた砲弾、敵の逆襲に備えて防御用に温存していた予備砲弾も投入して横に広くではなく、縦に深く砲撃を開始。
重砲弾が道を拓く。金茨と石杭、塹壕と堡塁、そこにいる歩兵と砲兵を潰して平らにする。縦と言っても横幅は十分に大部隊を通す。
「前進!」
重砲が徹甲榴弾、毒瓦斯砲弾、榴散弾、煙幕弾で均した、しかし穴だらけの道を騎馬で進む。砲爆に慣らした馬なら徒歩で行くよりもちろん早い。
前線に出ていなかったわけではないが改めて、長い攻防の末に死体の回収もされずに残った腐った残骸の上を進むととてつもなく臭う。辛味すら伴う。
金茨が砲撃で吹き飛ばされても多少残存している。連れて来た老いたり病んだりした駄馬、騾馬、驢馬、駱駝から土嚢を降ろして足場にし、後は無用なので殺して更に死体で増設。良馬でも脚に傷がついて歩けないと止まればその場で殺し、足場にする。馬が無くなった者は馬を交換するか、徒歩で追従。通常の戦いなら勿体無くて躊躇するが、今はそうではない。
砲撃が均した後とはいえ敵兵は残存している。大抵が毒瓦斯や散弾にやられて半死半生ではある。馬上から撃ち、徒歩の者が出来るだけ仕留めに行く。これら敵の死体も足場に使う。
重砲射程限界点まで到達する。ここまで来ると塹壕こそ掘られているが最前線の防御のために兵士も兵器も少なく、金茨は設置されていない。
この突破に対応するための敵予備兵力の動き、鈍過ぎる。
今まで休まず行った牽制突撃、今日から今まで休まず行った大攻勢。敵の予備兵力を絞り出し、疲労で柔軟な対処が出来なくなったところへ奇襲となった重砲の縦列弾幕射撃からの騎兵突撃が決まった。
「前進! 駆け抜けろ!」
『ホゥファーウォー!』
砲撃支援も受けられなくなった今、犠牲を躊躇してはいけない。躊躇すれば時間と機会が失われる。
「とにかく走れ!」
重砲は射程限界に到達したら横に広く全正面に対して砲撃を行う。縦列弾幕射撃時に紛れて膠着している前線への観測射が、多少の誤射も許容して行われており、速やかに移行される。
これにより予備兵力も動員される夜間大攻勢へと移行する。誤射の危険を避けるため、敵の最前線より一歩奥から砲撃が始まる。敵は大混乱か、もしくはこちらに対して有効的に対処などしている暇が更に無くなる。
我々は決定打を打ち込むその時のために潤沢な予備兵力を残していた。代わりに散ったイラングリ人にラグト兵は礎となった。
あの少し進むだけでも大出血を強いられた塹壕線を馬で駆け抜ける。こちらの大攻勢に対応するために敵の後方に待機する予備兵力は前進を開始、してはいない。前線からの伝令がようやく後方へ到着し始めたかという様子。そういった伝令は我が軍の伝統で優先的に狩る。矢と銃弾がそいつが倒れるまで撃ち込まれる。
戦闘準備が整っていない敵兵が我が突撃縦隊を見送る。走り抜き様に弓矢を放ち、銃で撃って殺す。反撃の射撃はもちろんあるが、あの最前線で撃ちかけられるような集中射撃ではないし、大砲と斉射砲は無い。時々術の石杭が突き出て騎兵を貫くが、精々それで止められるのは数騎程度で、乗り越えられない高さなら迂回すれば良い。もう既に前線の塹壕線を越えたこの場所は広くて馬で走り抜けられる場所だ。
超広規格道沿いの防御塔からの銃撃が多少厄介である。末端の部隊長が自己判断を下して部隊を割き、塔攻略に向かう。
この騎兵縦隊、数は長く続いて一万人隊が十列。先頭が多少減ろうとも後続がいくらでもいて、開いた突破口を防ごうとする敵を次々と打ち破る。現場判断で多少は部隊ごと横に反れても良い。
この十万人軍、イラングリ人とラグト兵の損耗のおかげで今まで無傷で温存されてきたのだ。東イラングリ、ラグトの諸戦闘では先頭に立ったが大した被害は受けていない。
ロシエ戦役中にプラヌール式騎兵戦術の実証実験成功が伝えられた。正規騎兵より錬度、馬の質にバラつきがある非正規騎兵にうってつけであり、教導団がそれを第二次東方遠征開始前に行った演習時に再考した。
前衛槍騎兵。槍の名手が一線級中型馬に乗る。胸甲と兜、槍と刀、騎兵銃と拳銃を装備。
後衛銃騎兵。凡庸な騎手が二線級馬に乗る。刀、騎兵銃と拳銃を装備。
遊撃弓騎兵。射撃の名手が一線級小型馬に乗る。刀と弓、長騎兵銃と拳銃を装備。
支援砲騎兵。膂力のある騎手が一線級大型馬か駱駝に乗る。刀、騎兵銃と拳銃を装備し、旋回砲を運搬する。
三線級の馬、驢馬、騾馬、駱駝、牛は補給部隊で荷車引き。乗馬下手、出来ない者も編制に入る。
今回は鈍足の補給部隊、少し脚の遅い砲騎兵は置いてきた。彼らは夜間大攻勢に予備兵力として参加している。十万人軍ではあるが、実際の数は七万騎程。
坂道を登る。進めば進むほどに敵の抵抗は希薄、寝起きに天幕から顔を覗かせる者すらいる。
敵の伝令が後方に走るがこちらの騎兵が弓で持って背中に矢を突き立てる。主を失った馬をその辺に、この突撃縦隊の進路に置いておけば後から来る、馬を失った騎手が使う。
「アイザム峠の道標だ! 峠越えだぞ!」
『ホゥファーウォー!』
峠の頂点を示す、石を積んで木材を立て、飾り布をいくつもつけた石木道標だ。追加された旗竿には、篝火で照らし出された白天昇龍北征軍旗が翻る。竿を吊るす紐を、走り抜き様に切って旗を落とす。
「先へ行くぞ!
『ホゥファーウォー!』
道が更に開け、クンカンドまで続く下り坂に入る。イディルの時代に何度も通った覚えのある道だ。超広規格道が整備されたせいで風景はかなり変わったが間違いない。
敵はこちらの行動予定に合わせて動いているわけではないことが良く分かる例がある。我が突撃縦隊の進路に、前線への補充部隊と思われる歩兵の行軍隊列が現れたのだ。
「突撃!」
『ホゥファーウォー!』
弓騎兵が左右に広がる。
槍騎兵が騎兵小銃で射撃し、そして槍を構えて突っ込む。
広がった弓騎兵が、慌てて担いだ小銃を手に持ち出した敵兵の側面に移動しながら矢を連射しつつ、後方へ回る。
敵兵の迎撃射撃、発射数わずか。槍騎兵が槍で敵を刺し貫いて吹き飛ばし、馬で轢き潰し、刀に持ち替えて滅多打ちにしながら前へ前へと浸透。拳銃も時折撃つ。
後続の銃騎兵が、槍騎兵が粗方敵を心身共に衝撃力で粉砕して通り抜けた後を更に踏み潰しながら銃撃を加えて、撃ったら刀や拳銃に持ち替えて掃討していく。
槍騎兵が奥へととにかく突っ込むより先に弓騎兵が半包囲し、側面から射撃、背後への逃げ道をわざと残して壊走させる。その後はやや遠巻きにして弓騎兵や、まだ疲れていない後続の銃騎兵が追撃に移って殲滅。
奇妙なことがあった。先頭に立っていた自分だが、どうにも敵を斬れなかった。しかし何と爽快! 返り血すら涼やか!
「閣下お下がりを!」
近従が自分の腕に布をキツく巻いている。
ああ、何だ、腕が落ちてるじゃないか。そうか、敵の銃撃が当たったのか。
「何の、これで弁舌に箔が付くわ」
近従が負傷治療の呪具で傷口を治す。利き腕だが、なに、筆記ぐらい人を使えばいいのだ。何の苦労もない。
気分はむしろ晴れやか。前進を続ける。背後から響く後続の騎兵の足音は鳴り止まない。
坂を下り、星空を遮る黒い塊が見える。あれがクンカンドの東側にある山だ。朝まで時間は……空を見れば、端の方が黒から藍色になっている。
「この勢い止めるな! 敵の伝令より速く駆け抜けろ!」
『ホゥファーウォー!』
■■■
朝に間に合えと突き進んだ。馬の疲労より我が王の指定する時間を重視する。どうせ塹壕戦、馬が潰れても徒歩で戦えばいいのだ。
日の下にクンカンド見える。光が照らすのは、大掛かりな、都市と防御陣地をあわせた要塞線。以前に見た姿とは別物。城壁の外にべったりと、苔と雑草が茂ったみたいに防御陣地が生えている。
アイザム峠は第一、ここが第二線だ。道中はまだだが、要塞都市単体で防御する準備程度は終わっているのか! 浸透突破、もっと早くに行っていれば! ええい、機を逃すとは恥ずかしい。我が王に何と叱られるだろう?
十万騎、ここまでの道中で多少は減ったし、まだ戦闘行動中の部隊も多い。馬も戦闘だけではなく疲労で動けなくなり、大分乗り捨てられている。砲撃支援無しでこの要塞への突撃はかなり、血塗れになるだろう。
幸い敵の塹壕線は、歩兵は配置されているが厚さは最低限だ。大砲は敵から奪えばいいか? 半分は反転させてアイザムの防御陣地を挟み撃ちにする?
そのように考えていると角笛が鳴る。
日の光を背に、クンカンド後方に騎兵の横隊? 夢か幻か?
空に竜、そこから地上、クンカンドに飛び込む魔術”火の鳥”! 火の手、黒煙が上がる。一見派手だが焼いた範囲は小規模だ。いや、衝撃力は十分!
「今だ、死ぬのは今だぞ!」
『ホゥファーウォー!』
砲弾で均してもいない塹壕線に突撃する。先頭に立って駆ける。
大砲の榴散弾。前衛に立った騎兵がぼろぼろと転がり出す。
斉射砲の大口径弾。人も馬も貫通してばたばたと倒れだす。
しかしこちらは減ったが十万人軍編制はほぼ崩れていない、そんな程度は大したことが無いのだ。
馬上から銃撃、弓射を加えながら塹壕線へ突っ込む。徒歩の者が後から続く。
足元には金茨、準備が足りないか数は少ない。飛び越えれば良し、脚が引っかかれば転ぶ。
「死んだ奴が道になれい!」
転んだ者と馬を足場に前進!
塹壕を跳んで越え、飛び込んで敵兵、砲へ体当たりで潰し、馬が死んだら降りて刀を抜いて拳銃を持って白兵戦。とにかく死んででも殺しにかかるという教導団の訓練通りに戦う。
この陣地、確かに出来上がっていたが前線のように迎撃する準備が疎かだ。壕の広さ、深さ、複雑さ、配置されている兵の数が揃っていても臨戦態勢ではなかった。
「殺せ! 殺せー!」
『ホゥファーウォー!』
塹壕に篭っていた敵は壊走を始める。しかしクンカンドはまだだ。塹壕線は縦に深い。超広規格道を基準に長く続く。
道は長い脱落者が続出する。死ななくても動けなくなる。しかし後続が快適に先頭集団が拓いた道を突き進む。敵は後方の部隊までも連鎖反応をするように壊走し始める。
壊走により友軍誤射も厭わなくなったか、城壁、城門上部の防御施設からの銃撃、砲撃が激しく始まる。こちらも地上から銃撃を加えて牽制射撃をしているが分の悪さは決定的。
塹壕線の突破はクンカンド目前まで出来たが、閉ざされた城門、石と大砲で固められた要塞都市への突撃は、何の準備も無しに騎兵で出来るものではない。塹壕に残置されている爆薬を掻き集めて設置させるか? 鹵獲した大砲の砲弾は報告で聞けば榴散弾や缶式散弾などの対人砲弾のみで要塞攻撃には使えないとのことだ。
爆発音、咆哮が反対側から地を震わすように響いて来る。あちらでも何か仕掛けたか。
空の上、城門直上。羽ばたいて滞空する竜が真下、城門上部へ向けて携帯砲で砲撃、否、狙撃を開始! 見事な精度と連射技術。単なる鉛弾ではなく小型の榴弾のようで小爆発を繰り返し、遂には火薬に引火した誘爆が始まる。火力が集まる城門上部からの迎撃射撃が減って楽になる。
だが城門は閉じている。門前には防御陣地が土嚢積みで築かれている。狙撃する竜がそこへ榴弾を発射、乱す。乱れたところへ別の大きな竜が一人、降り立ってその陣地を踏み潰し、足払いに蹴って散らして尻尾で根こそぎなぎ払う。
「全員下馬! 馬が暴れるぞ」
馬から降りる。竜の伝令の言葉、思い出した。
グラストの魔術使いが大きい竜の背から降り。術で地面が盛り上がって波打ち、門の基盤が歪む。次に盛り上がった地面が下がる、歪んだ門が下がって更に歪む。
集団魔術ではないから効果は薄いようだ。だが大きな竜が大きく息を吸い込み、胸が思いの他膨れ上がる。そうしながら腹鞄から取り出した火薬樽を門前に転がす。竜の擲弾兵とは。
術使いが放つ”火の鳥”が火薬樽に直撃、爆発、門がふっ飛び、砲撃で脆くなっていた上部構造物が砕けて崩れる。同時に膨らんだ胸が萎む竜の咆哮、門の向こう側へ生まれたばかりの爆炎、落ちたばかりの破片が吸い込まれるように飛ぶ。こちらに向いた音ではないのに体に衝撃、耳が痺れる。馬が暴れて逃げ出す。
馬から降りるのが遅れた連中は馬が暴れて苦労する。落馬して、転んだ馬に潰される者もいる。
「突入!」
声が届いているか? 手を振る。
大きな竜の脇を通り過ぎる。傍に寄るだけで味方なのに身が竦む思いだ。咳払いを始めた時は神経が恐れて膝が勝手に曲がった。
竜は一緒に突入はしない様子。貴重な飛竜は人間のような安物とは違うか。
破れた門扉の向こう、大砲と斉射砲が備えられた迎撃陣地が見えるが、敵兵は破片を浴びて死ぬか、音で気絶するか耳をやられて倒れ、諸々合わせてのたうち回っている。爆炎に煽られて弾薬諸共誘爆してふっ飛ぶとまでは都合良くいっていない。
「突っ込め!」
振り返りもせずにクンカンド市内に突入した。ちょっと不安になって背後を見れば、問題無く兵達が下馬して突入していた。
利き腕も無く、そうではない左手に刀を持って攻めろと振る。
市内は市街戦用に工事されている最中であった。生活感がまだ残っているところに土嚢が半端に積んであり、砲台はあるが大砲は設置されていない。
果敢な我が兵は前へ進んで敵を殺して回る。民間人はおらず、頭巾を巻いた民兵が多いかと思う程度。
空から――かなり高い、地上から撃つ小銃の射程外だろう――竜の背からとんでもない名射手が敵を撃ち抜いていて、突入前から相当数が殺されていると転がっている死体を見て確認出来る。落ちてくる矢と鳴る銃声の間隔から一人じゃない、三人か? 魔術使いが”火の鳥”も落としている。
市内の反対側から親衛一千人隊の姿が見える。こちらの兵も非正規ではあるが錬度が高いと思っていた。しかしどう見てもあちらが圧倒的に勝る正確で素早い射撃を行い、敵に反撃の暇も与えない斬撃で虐殺の勢いだ。そして先頭に立つ者は拳銃と刀で敵を殺しまくっている。返り血に塗れ、周囲を蝿が飛ぶ。
古では王こそ最強の戦士たるべしとの教えがあった。それは分かりやすく、理屈抜きに惹かれるからだ。魅力が無ければ王の資格無し。
我が血塗れ蝿集りの王ベルリク=カラバザル。その姿こそ美しい。
「我が王よ」
気づいたら走って跪いていた。
「我が王? ああ、そうか。まともに顔を合わせるのは初めてだな。お前がシレンサルだったか。久し振りだな」
手紙のやり取りはあった。生前の父の隣にて、顔合わせをした程度だ。父が紹介してくれた時には”そうか”程度の言葉しか頂いてはいなかった。それが今では名前を呼んで頂ける!
「は」
「重傷だな。まだ死ぬな、役に立つ」
「は!」
腕が無くてフラつくが立ち上がる。安定しない片腕で馬に乗っていたせいか、脚が疲れて震えている。
「良くやった」
我が王が血で汚れた顔で笑った。
超嬉しい!
涙どころではない、小便が出た。
このお方を我が王と呼んでいいのは私だけなのだ。
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