第280話「竜の大陸」 シゲヒロ

 この巨大な島、もしくは大陸北端はどうやら乾季に入っている。雨がほとんど降らない。

 南洋諸島界隈で乾季の孤島に漂着というのはかなり厳しい話で、真水の確保が非常に難しく渇水で死ねる。だがここは陸地が広く、南部の高原地帯が十分に乾季でも水を蓄えており、流れる川があって不便しない。

 この地の気候は雨季乾季がはっきりしているようだが、山谷があって土地が入り組み、狭い範囲でも多様な植生がある。乾いた荒涼な地域もあれば、流れたまって水が豊富で、腐った沼地のようになっている地域もあり、そこに海水が混じった汽水湿地などがある。

 人間の手が入っていないので意図的な群生こそしていなかったが、拠点より少し遠いが渓谷部の湿地帯にサゴヤシ林を見つけた。だが参ったことに石斧の良い作り方が分からなかった。試行錯誤した結果なんとか苦労して切り倒し、幹を穿って水と混ぜて揉んで澱粉を取り出して……とやっている内に気づいた。作業は時間が掛かり無防備で、音はうるさく外敵を呼び寄せるので危険だった。狩猟採集に力を注ぐことに決めた。

 この島か大陸か、ここには珍しいというか見たことも聞いたこともない動物が数多く生息している。飛ぶ鳥の姿は知っている種かその近縁程度だが、虫はとにかく全てがデカい。焼いて食うと食い応えもあってかなり良い。

 役に立ってくれているのが草食い熊。こいつは人間に対して警戒心が無い。後をつけると食べられる植物が分かるので重宝している。こいつの目の前に食べられるか分からないきのこや野草を放り投げると食うか食わないかで食用かどうか教えてくれる。ただ体が大きくて爪も凶悪で、子供連れだとどうも近寄るだけで襲ってくる気配がする。他の肉食獣からこちらを守ると言うより、囮になってくれるので積極的に狩らないことにしている。老いたり怪我で動けなくなったり、死んでいて腐ってなかったらその肉を回収した。

 狩り方が分かれば良い獲物なのが棍棒蜥蜴亀。蜥蜴と亀の中間の巨大な姿で、尻尾の先が棍棒になっている。棍棒は強力で、捕食者を殴り殺す姿も見た。頭と背中は甲冑みたいな骨になっていて硬く、投石でどうにかなる相手じゃない。こいつに対しては樹上から背中に飛び移り、首の付け根に石を挟んで引っ込めなくさせてからもう一つの石で殴り続けると良い。暴れ過ぎる場合は一旦距離を取るが、イスカと協力すれば目の前で陽動、その隙に背に上り直すこともそこまで難しくない。

 目下の強敵が走り大鳥。単独か番、雛連れで行動している。小規模だが群れを組んでいるというのは厄介だ。蹴り足が強烈で、獲物の腹をそれ一発で裂いて内臓を啄ばんでいるのを見た。落とし穴に嵌めて上から石を投げて叩き殺すと良い。片足だけ突っ込む程度の浅い落とし穴で足首を折るやり方もかなり有効。石鏃の矢で射ってみたが即死は難しい。負傷させて弱らせ、何度も矢を突き立てて生きる意志が挫けるまで追撃して狩る。

 格闘大兎。兎っぽいのが二本足で立って、巨大な尻尾で姿勢を支えている。内陸乾燥地帯にいて、同種同士の喧嘩で殴る蹴る、組んで締めるといった徒手格闘を用いていて面白い。素手で戦えば手強いだろうが槍や弓を使えば難は多く無い。基本的に臆病なので攻撃性を見せると逃げ散るので真っ向勝負の機会はほぼ無い。走ると馬のように早くて追いきれない。

 最大の脅威は走竜。生活圏は余り被らないので二人でも何とか生き残れている。翼が無いので竜というよりは蜥蜴なのかもしれないが、這い蹲るような姿勢ではなく、かなり立体的に機動出来る二本脚で立ち、尻尾を後ろに伸ばした姿勢でいる。雄に角があり、複数の雌と子供を従えている。沿岸部にはたまに狩猟に来るが、基本的に内陸の高原地帯にいる。密林があまり好きではなく奥深くまで入って来ない。しかし川沿いに移動するし海沿いにも狩りに来るので油断出来ない。また緊密に連携する群れは鳴き声を使い分け、明らかに会話しているのでとても敵わない。この界隈の陸の支配者だろう。落とし穴に嵌めたが、仲間が長時間その脱出を見守っていたため獲物としては効率が悪い。衰弱死を待っていたら日が暮れるので放置。その後に見に行ったら仲間が食べ物を分けていた。かなり仲間意識が強い。手強すぎる。もう見に行ってはいないが、もしかしたらまだ生きている可能性もあるし、壁面を懸命に引っ掻いていた記憶もあるのでその内に逃げ出したかもしれない。

 他にも色々な珍しいと思われる哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類、貝類と問わず捕り、焼いて食った。土器が出来てからは煮て脂や血を逃がさないようにして食った。

 それらの骨や殻は磯に漬け、潮虫にカスを食べさせて綺麗にして飾っている。きっと博物学の先生に見せたら喜ぶし、たぶん持って帰ったら結構な評判になる。あとは記念、遊びだ。

 遊びは重要だと思い知っている。楽しみが無いとやってられない。

「私が死んじゃったらシゲ、ここに並べる?」

「全身標本にしてやる。肉が残ってたら食ってやる」

「私もそうするね」

 救助は期待出来るかどうか分からない。一応、竿と毛皮で作った旗を岬に立ててあるが……。

 冗談抜きでイスカと子供どころか、子供と孫を作って近親で数を増やす日が来るかもしれない。頭数がいないと老いた時に生き残れないはずだ。


■■■


 沿岸の崖がある入り江には水竜の巨大な住処がある。鯨のように海面に頭を出して息継ぎしている様子があったので、長期間休む寝床は陸上の必要があるようだ。

 角の無い巨大な雌がいて、角のある巨大な雄が海から現れて鯨の死骸等、まとまった肉を岸に運ぶ。動き回る子供がその死骸を食い千切って分けて、雌や更に小さい赤子に与えている。草や木に骨を集めて作った巣には卵があり、留守番の子供が腹で暖めている。体格が異なる雄も雌もたくさんいて、それぞれが役割を果たしている。

 こんなところに赤子や卵を盗みに入る程自分とイスカはアホではない。

 今日は走竜の群れが水竜の住処に襲撃を仕掛ける場面に遭遇した。見つかったらまずい。隠れて、その辺にあった土や鳥の糞を二人で体に塗りたくって臭いを消し、岸壁にへばりつくようにして隠れた。

 水竜の住処の近くは鯨の死骸を目当てに鳥が集まってくるのでそれを石飛礫で――イスカは投石器の名人――捕りに来たのだが運が悪い。水竜なら崖の上、高所にいれば威嚇はするが基本的に追って来ないのだ。

 水竜側だが、巣の規模に対して頭数があまりにも少ない。狩りに出かけた隙を狙われたらしい。走竜のことだから偵察した後なのだろう。

 崖の入り江は陸側からの進入路が限定されているので防御がし易い地形だ。頭の良い水竜が住処を築くのはこういう場所に限られている様子。

 こういった動物同士の争いの現場では様子見を行って、互いに疲弊したり勝利側が獲物を持って立ち去った後に死肉を漁りに行くと効率が良いが、今回は相手が悪過ぎる。どちらかが全滅して片方が粗方食い散らかしてから退いてくれると嬉しいが。

 巨大な雌が、住処に侵入出来る通路へ真っ先に行って主要進路を封鎖する。その脇を子供が固めて吠えて威嚇。

 走竜は大人でも水竜の子供に比べて一回り小さく、真っ向勝負を挑まない。吠えるだけで前進が出来ない。

 膠着状態で満足するような連中ではない。主要進路側ではない、崖の上から走竜が吠える。まずいことにほとんど自分達の頭上の岩場で吠えている。そうすると水竜の子供が散って崖の上の方を警戒に行く。そして巨大な雌の両脇に隙が出来る。

 水竜の雌の左側に走竜の一匹が走りこみ、雌の巨大な顎が迫ったら急旋回して跳んで避ける。その隙に右側から走竜が飛び込んで側面に回り、雌の背中に手足の爪を引っ掻けて上り、噛んでズタズタに引き裂き始める。

 雌が嫌がって暴れる。そして隙を見計らっていた他の走竜が住処に飛び込んで赤子を噛んで、卵を両手で抱えて持ち去る。水竜の子供がそれを防ぎに行くが走竜の方が遥かに脚が早く、巧みに跳んで避け、追い始めた時にはもう逃げている。

 押し込み強盗をやるとはとんでもない連中だ。

 陽動に吠えた、頭上の走竜がこっちを覗き込んだ。目が合っている。鼻息も嗅げる距離。

 イスカが石飛礫で捕って首を折って殺しておいた鳥を一羽差し出すと、その走竜はそれを咥えて走り去った。

「助かったね」

「違う生き物は考え方も違う。あてにするなよ」

「うん。シゲのチンポみたいだね」

「うるせえ」

 朝勃ちする度にこのクソガキは”こっちのシゲの方が早起き!”と言いやがる。自分の意思と無関係だって言ったのが始まりだ。


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 水竜と走竜の対決を見た夕方、体も洗って最近やっと出来た樹上の小屋へ行くと走竜が一頭、待ち構えていた。奴等のあまり好きではない密林の中である。

 唯一、手にある頼れる短刀の柄に手をやる。抜くか? 抜いたら殺し合いか?

「シゲ、違う違う」

 イスカが指差す先、小屋の木の根元には水竜の卵が一つ。

「鳥と交換?」

 言葉が通じたかは不明だが、その走竜は木の幹に首を擦ってから走り去った。

「シゲ、これって交易?」

「かもしれんがいつ気まぐれを起こすか分からん。群れで襲うために目印していっただけの斥候かもしれん」

「えー? じゃあどうすんの?」

「引越しだ」

「またー? いつ?」

「今だ。夜襲されたら死ぬ。今日は寝れないぞ」

「うん……」

 荷物をまとめて直ぐに小屋を放棄。一旦見渡しの良い沿岸部まで出て朝まで寝ないで待機し、新しい、いくつか見当をつけてある場所へ移動しなくてはならない。

 小屋を放棄してからの道中、イスカが大きくなった腹? を両手で抱えて見下ろす。

「シゲ、出来ちゃったみたい」

「保存食だな」

「ひどい!」

 イスカが背を向けて隠す。勿論水竜の卵だ。

「孵っても食うときは食うぞ」

「名前も決めたの!」

「懐くと限らんぞ」

「いいの! アッサンくんはウチの子なの」

「人間のアッサンくん死んだみたいじゃねぇかよ」

「生きてるの?」

「さあ」

 うーん、子供には玩具がいるが……。

「雌ならどうするんだよ」

「おリンちゃん?」

「怒られるぞ」


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「シゲシゲ! チンポチンポ!」

「おー」

 骨で作った銛でイスカがウツボを獲ってきた。大きくて食うところが多い。

 イスカはまだ女の子供だが機敏で対応も早くて、小うるさいことも多いが足手まといには全くならない。かなり助けになっている。

 新しい寝床は、まずは見晴らしが良く海にも近い丘の、巨大な石の下に穴を掘って作った。

 場所選びは重要。まずは湿気が少なく、虫や蛇が好んでやって来そうにない場所。そして今は走竜から逃げる方法の一つとして海を脱出路として使えるように。たぶんあの体だから泳ぎは得意ではないだろう。


■■■


「シゲシゲ! マンコマンコ!」

「おー」

 イスカが集めてきたのは貝だ。貝の毒の有る無しの見分けだが、余りする必要が無かった。南洋諸島各地で見かける貝と同じものばかりだったので既存の知識で十分だ。

 走竜にどれだけ通用するかは分からないが矢を作っている。鏃は鎧通し型。今まで用意していたのは獲物の出血を狙う切り裂き目的の鏃だった。

 走竜の立った肩の高さが大体、大人の男程度。鱗の硬さ、肉の厚さは想像するしかないが、切り裂き型ならおそらく直角か柔らかい? 腹にでも当てなければ効かなさそうだ。この鎧通し型なら、この単純な作りの弱い弓でも、びっくりさせて一時撤退させる程度の傷は負わせられる、はず。目に当たり、真っ直ぐ入れば脳に刺すことも出来る……はず。


■■■


「シゲシゲ! チンポチンポ!」

「おー」

 この新しい巨石の丘は今のところ安全だ。イスカが獲ってきたのはナマコ。魚や貝といった海産物を開いて干して保存食を作っている。野草や食べられる花、きのこも干して保存している。乾季のこの乾燥した空気が干物作りに適している。保存用の壺も焼いて作った。自分が作ると形が悪い。イスカが作ると上手いがチンポとか生やす。

 保存食を作り、動物を狩って焼いたり煮たりして食っているが、拠点一つに留まっているとおそらく、何れ周囲から食べる物が無くなってくる。

 もう一つ拠点を構えるか、新しい食べられる物を発見するか、だ。

 今情報が欲しいのは特にきのこ。草食い熊に判定して貰う方法は何時でも出来るわけではないので判別し難い種類がいくつもある。どれが毒で無毒かこの界隈全てが把握出来れば食用にも、鏃に塗って毒矢も作れる。走竜に何の毒が有効か試している余裕はおそらく無いと思われる。だから鏃にはありったけ、何種類も塗れるようにしたい。


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「シゲシゲ! マンコマンコ!」

「お!?」

 弓で子犬のようにデカい鼠を獲って帰ってきたら、イスカが水竜の赤子を抱きかかえていた。額がつるっとして角が無く、雌のようだ。寝る時に卵を暖めていたのは知っていたが孵化したらしい。こっちのマンコか。

「毒見役にしばらく使えるな」

「ひどい! こんな可愛いのに!」

 イスカが守るようにこちらに背を向けて隠す。確かにチラッとみた限りではまるっとしていて肉付きが良くて蜥蜴のような無感情そうな感じが無かった。丸い目でイスカを見上げる目は母に抱かれた子のようでもあった。

「飼うにしてもそいつの食い扶持どうすんだよ」

「私ががんばるもん。そいつじゃないし、リンちゃんだし。ねーリンちゃん」

「キュワ?」

「そんな単純な話じゃない」

「私の分食べればいいの!」

「それは絶対にダメだ。そんなことするならそいつ食うぞ」

「シゲ嫌い! バカウンコハゲ!」

「ワキュッ」

 と言って、イスカは水竜を抱えたまま巨石の反対側へ行ってしまった。

 水竜が人の言葉を理解することは実証されている。また人間の言葉を喋れないが、鳴声や歌声を信号にして会話が出来る。

 言葉を理解させるには話し合いをして共通理解の段階にまで引き上げる必要がある。南大陸沿岸部で水竜との交流を可能にした賢者アスリルリシェリは力で優越して尚且つ水中で会話をするという手法をとったが、それは水中活動を非常に得意とする魔族だったから何とかなった奇跡のような偉業だ。

 南大陸側、西側の水竜と南洋諸島側、東側の水竜では方言、竜独自の言語が違って会話不能という研究がある。縄張り意識の強い水竜であるから会話以前に殺し合いになって挨拶すらままならないとか。

 自分は平の船員ではない。昔のようにただ突撃するだけではいけない。考えるようになった。水竜の知識も必要と思って勉強してある。今ある知識で考えるに、このままあの水竜を育てれば、もしかしたら番犬猟犬、騎馬どころの話ではなくなるかもしれない。西側では人権的に実行に移されていない、水竜の家畜化も可能かもしれないのだ。

 西側ではアスリルリシェリが橋渡し役として水竜との友好関係が築かれていて条約が締結されている。水竜を狩らない、誘拐をしない。代わりに船を撃沈しない、魚網等を損壊しない、溺者救助を行うなどだ。水竜の戦力化は魔神代理領でも話題になったことがあるが、条約により実現したことはない。陸での出来事は水竜にとって知ったことではないので戦力を貸すなどという考えに至らない。

 誰もやったことがないことをやれる。試せる。水竜を手懐けたとあれば武勇伝に……イスカの武勇伝にしてやれる。あの年でそんなデカいことをやった、などと噂になれば歴史に残る。可愛い相棒だ、大きい手柄を立てさせてやりたい。

 それに水竜、リンちゃんか。大きくなって騎乗、騎乗ならずとも筏の牽引だとか出来るようになればここからの脱出も可能かもしれない……いや、水竜の群れに食われるか。とにかく、可能性は広がる。うん、よし。

「イスカ!」

「無視ー!」

「こっちきて三人で食うぞ」

 巨石の裏側からイスカがリンを抱えながら戻ってきた。

「シゲ、さっき嫌いって言ったの嘘だからね」

「知ってる」

「うん!」

「ウキュ」

 そう言えばいきなり肉食わせて大丈夫か? 潰して食いやすいように……生でいいよな?

「あ、シゲ、おっぱいどうしよ?」

「竜は乳ついてないだろ」

「じゃあチンポ?」

「うるせぇ、火熾せ」

「はーい」

 鼠、解体するか。


■■■


「シゲぇ! 赤ちゃん出来ちゃう!」

「出来るか!」

「外に出すの?」

「当たり前だろ」

「いやー! 壊れちゃうって! 血ぃ出る、出るってマジで!」

「うるせぇ」

 構造はこれ、やっぱり同じだよな? 肛門より一つ腹よりの方。

 手を入れる。温かいというか熱い、動く。

「そんなの入らないって!」

「入る入る、入ってる」

「うわ」

 掴んだ、抜く。あれ?

「こら、締めんな」

「だって!」

「うるせぇって」

 抜けた。

「出ちゃった?」

「おう」

「痛くないの?」

「大丈夫だろ」

 口だと物が食えないし戦えない。肛門だと糞が出る。だから膣に通信筒を入れるんだが、ちょっとこんなことしていいのかという気分にはなる。

「きゅっきゅー」

 波打ち際の砂浜、仰向けから腹ばいに戻ったヘリューファちゃんが体捩じらせ、頭をやや下向き? 砂に顎擦って振る姿は何だか恥らってる様子でどうも、気分が変だ。彼女の”女の子の隠し袋”を使うのは初めてではないのだが。

 ファルマンの魔王号の姿は見えない。だが我等の”最高の女”、鯱のヘリューファちゃんが我々を見つけてくれたのだ。毛皮の旗竿の近くで”きゅいーいんいんいん!”と鳴きながら泳いで回っていたのだ。

 つまり、助かる。救助が来る。九割方諦めてたが、一割くらいは信じてた。頭領ファスラが定める掟の一つは”死を恐れず、仲間は見捨てない”だ。おそらくアマナ銀の預け先が見つかり、補給を終えて、たぶんちょっと休んでこっちに向かっている。ヘリューファちゃんが先行しているのが証拠だ。

 毛皮の旗竿、ずっと諦めないで立てておいて良かった。この後ヘリューファちゃんが船に戻ってから先導して船を連れて来てくれる。

「ほらヘリューファちゃん、私のリンちゃんだよ。仲良くしようね」

「ウッキュ」

「きゅいー」

 女三人が仲良しにくっついて体を擦り付け合っている。

 通信筒を開ける。手紙は三通。

 まず一枚目は頭領ファスラからの手紙だ。

 手紙だろうか? まるで寄せ書きのように墨をつけたチンポの先を押し当てた跡が一、二……たくさんだ。たくさん過ぎて真っ黒に近い。

 笑える、目が重たい、立ってられない。

 お前ら揃ってチンポの先真っ黒かよ。

 次の二つ目は小さい紙。

 少し休む。

 開く。

”これは義弟ちゃんからの手紙だ。暇潰しに読んどけ。こいつは面白いから後で回収する”だと。それだけ。回収、回収だ。

 三枚目を開く。

「イスカ、こっち来い。手紙読んでやる」

「うん!」

 イスカが鼻水垂らした面で腕に絡んできた。

 音読する。

「拝啓、俺のチンポにかさぶたを作るのが得意なおリンリンのお兄ちゃんへ。ジルマリアは構えはするが動かない。表情も動かさないし、遊びに触ると怒るし拒絶する。終われば直ぐに着替える。寝技で上に動かせば睨んでくるし、やはり動かない。これはこれで良し。だがそこで一工夫、短剣を持って握らせるとザクザクと刺してくる! 表情も笑ってるというか殺してやるの顔になって素敵。流石に馬乗り状態だとかなり避ける捌くが難しい。そこでこっちも短剣でザクザクと挿して疲れさせることによって何とか凌ぐ。普段は滑り悪いくせにこの時は鳴り物だ。初めて仰け反った! こっちを殺したい程嫌いな相手の時にやると凄く良いぞ! だ」

 うん、ベルリクの大将らしい頭のおかしい手紙だ。これ以上も以下も書いてない。

「シゲ、それどういうこと?」

「セリンの姉御の旦那から、頭領への手紙だ」

「そっか! で、どういうこと言ってるの?」

「面白いことだ!」

「あっはは?」


■■■


「シゲ、ウンコ見てて!」

「おー」

 排便警戒。糞小便中は隙が大きいものだ。新鮮な糞の臭いを嗅ぎつけて外敵がやってくることもある。走竜だが、今までの行動を観察した限りでは、出したての糞と出してから時間が経った糞の臭いを嗅ぎ分けて獲物を発見、追跡している。

 野外だからどこでもいいというわけにはいかない。寝床から離れた位置で衛生面に気を使い、外敵に狙われないような位置でわざわざしている。今のところは海に、それも多少高い崖の上からすることで安全を確保している。余り海面に近いところだと海の外敵に襲われる危険がある。また糞をする場所は臭いを誤魔化すため、鳥の糞が大量に溜まっている場所を選んでいる。

 リンが、用事中のイスカに相手されないということで、てこてこ歩いて来て擦り寄って来た。つま先で喉を撫でると目を閉じて「グオグオ」と鳴く。鱗だと思うが肌理が細かくて鮫肌っぽい。それから竜なので変温ではなく、暖かい。

「ねーシゲ見てよー!」

「うるせぇ。糞は海に落とすなよ」

「はーい!」

 そう、海に落としてはいけない。

 前に海面へ糞をした。一発で全部出切る快心の快便で、どれその見事な一本の姿を見てやろうと振り返ったら水竜とは別の化け物の口が糞を飲み込んでいた。あれがケツに噛り付いていてもおかしくはなかった。

 しかしイスカ、女の子が、自分が糞垂れてる姿を見てとは何事か。地元だったら有り得ないし、それも身分ある女だったら死ぬか殺すかの話になる。

 頭領ファスラの孫娘の可能性が大、ということで船に乗った子だ。顔は似てる、行動も似てる? 真似してる? 他の兄、姉妹はあんな下品じゃないし遺伝ってことはないだろうが。

 リンが仰向けに寝転がるのでつま先で腹を撫でると身を捩って背中を地面に擦りつけ始める。可愛いには可愛い。

「シゲ見て見て!」

「糞なんか見るか」

「ちがうのー!」

 ケツを見ないように、頭あたりに視線を固定して見ると糞は終わって、違うのが見えた。

 沖に船!? 迎え? いや、ボロボロ。ファルマンの魔王号ではない! 難破船?

 人がいる。帆も綱も不足しているが何とか操帆してこちら、陸地に向かっている。ただ傾斜が酷いし、風で悪臭が飛んでくる。

 水竜に襲われて逃げ、嵐かそれ以下の強風にでも遭遇。そこで無理に動かして帆に索具を壊して予備も失った、か? 経緯はともかく、瀕死だ。

 その船から小船が降ろされ、船員が乗って上陸準備を始めている。遠いのではっきり見えないが、船の大きさの割りに人数は少ない。しかし船を維持するには人が降り過ぎている。

「シゲ、助ける?」

「難しいな」

「友達になれるか分かんないもんね」

 用が済んだイスカの下へリンがてこてこ歩いていって抱き上げられる。

「ウキュ」

 まず奴等が仲間になるとは限らない。食料を盗られたり、女に飢えて、幼いがイスカを強姦したがるかもしれない。人質にとられて自分一人で危険な狩りに出される可能性もある。奴隷扱いは御免だ。助けるなら圧倒的優位の下、悪人でも恩に着るような……。

 小船が不自然に傾き、一人海へ落ちる。遠くからでも聞こえる大声が上がる。

 また一人落ちる。銃声、悲鳴が聞こえる。

 あの化け物、腕付き魚に襲われている。ナサルカヒラの魚頭でも、リュウトウの人魚でもない、胸鰭が物を掴むような形になっている大型の魚だ。海上では海鳥、塩性湿地では何でも捕まえて食う奴で、大きさの割りに気配が感じ取り辛いから恐ろしい。目が前方向についていて水上の様子が良く見えるらしく、浜に死骸が揚がっていれば海から出て来て漁りに来る。糞ですら食いに来る悪食で、水際で糞をするのは命懸けだ。

 刀や銃で小船の船員達が応戦するが、武装した人間という脅威が頭に無いせいか死を恐れずに腕付き魚が小船に掴まり、揺らし、人を引き摺り下ろす。だんだんと人が減って腕付き魚が船に乗り込み始めさえする。

 銃と火薬を回収出来れば……無理そうだな。

「全滅しちゃう?」

「助けるのは無理だ」

「どうする?」

「浜にまで逃げてきた連中はとりあえず助けるか……」

 ファルマンの魔王号が近々来るから、それに乗せると言えば悪人でも問題ない? 難しいな。

「……いや、お荷物になるかもしれんし、良い奴等とは限らん。それに助けになるとは思えない。殺して荷物奪った方が良いかもしれん」

「そうだね」

 小船が転覆する。人がもがいて水飛沫を上げて、腕付き魚の背鰭が海面からうねり現れては消える。

「ギュー!」

 リンが鳴く!? 動物がそう無意味に警戒の声は上げない。

 周囲を見渡す、何かいる? いた! 走竜が沿岸に出てきた。船から漂っている悪臭に引きつけられて出て来たのだ。

「逃げるぞ」

「やばっ」

 二段構え、生き残りはいないだろうな。

 ヘリューファちゃんはともかく、良く自分とイスカは助かったものだ。浜への突っ込みの潮流が奇跡的に早かったのだろう。

 海が静かになってきた。走竜は群れではなく単体の斥候で、船を見たりこっちを見たりしている。

 良く今まで子供連れで生き残れたものだ。不思議で、考えるとゾっとする。


■■■


 最後まで油断しない。保存食料は作って増やす。リンが大喰らいなので少し困ったが、その辺にいる、ちょっと我々の口に合わないような虫を食わせ始めたら結構手間が省けた。

 リンは脅威が近づくと鳴く。警戒要員として使えるので今までより夜が楽になった。

 目印の毛皮の旗竿も変わらず、定期的に整備する。予備に、不自然に段重ねにした石や皮を剥いだ木も置く。人がいなければ見逃すかもしれないが、いると分かれば見逃し辛いだろう。

「シゲシゲ! チンポチンポ!」

「お!?」

 今日は何の長物かと思ったら、半分腐ったような服を着た、茶色の髪と髭面で目の青い西洋人の男。そっちのチンポか!

 こいつを殺すのは、無理だな。ろくに荷物も持ってないし痩せて疲れ、人を見る目が泣きそうになっている。

 あの小船の生き残りか、それとも別の船がいて別経路に上陸しようとして一人残って全滅したか、という雰囲気。誰か仲間がいるような、集団にいて拠り所があるような自信というか強さが欠片も見えない面だ。

 手を握って抱き寄せるとその男は泣き崩れた。


■■■


 言葉は完全に分からないが、何とか砂浜に絵を描きながら解釈するに生き残りの男はエスナル人で、名前はホドリゴ・エルバテス・メレーリア・アイバー。

 経緯。エスナル王国が冒険艦隊を組み、ここ数百年迂回不可能と言われた新大陸南端の、酷寒の暗礁暴風地帯を突破に成功する。大昔から何度も繰り返し挑戦し、何十隻も沈めながらやっと発見した航路らしい。一番順調に進んだ船でも帆と索具を丸々一回交換する程に消耗し、正解の航路を行ったにも拘わらず失った船は四隻、出発時は八隻だった。

 この時点で全滅の危険性があり、船員の疲労が酷くて新大陸西岸に避難しようとするが風向きが悪く沖に流される。風向きが変わることを祈って待つが、今度は北側からランマルカの蒸気帆船がやって来て発見される。艦隊総がかりなら勝てる可能性はあったが全滅と引き換えと判断したらしい。陸地側はペセトト帝国の領域の可能性もあったそうだ。そして西に逃げるなら順風の風に乗って西進する。疲労が酷くて戦闘機動をする自信が誰にも無かったとも。

 こうなればと西進して東大洋、天政を目指すが陸地が見えない。引き返すには消耗し過ぎているので未知の陸地を探し求めて進む。

 途中で複数の島を発見、全て無人島か、リュウトウの人魚と同種と思われる群れに会う。水と食料を確保、木を切って船を修理。そして天測で位置を確認し、エスナル領として地図に――全て失われたが――書き加えていった。因みに人魚との交流には失敗。アマナ語が出来る交渉役は海に引きずり込まれたそうだ。

 天測から北西に進んで天政やニビシュドラを目指すよりは真っ直ぐ西に進んでタルメシャ南洋諸島を目指した方が良いと判断。諸島東部からバチャルル島経路に入ろうとしたらしい。ファルマンの魔王号が南覇艦隊から逃げて入ろうとして失敗した経路だ。

 そしてその途中で南側に巨大な島を発見。補給に上陸しようとしたら水竜の襲撃に遭って一隻が撃沈される。

 島を離れて再び西進。次に西に陸地が見えるまで時間がかかり、物資が欠乏し始める。病気や怪我をしている者を殺して海には沈めず、食べ物にし、減った船員を移乗して船を二隻体制にして一隻を放棄して航海を続行。

 水竜の襲撃は予測されたが、このまま洋上にいては全滅すると判断してその西に見えた陸地、この我々のいる巨大な島か、未知の幻の大陸に上陸を試みる。そして予測通りに水竜が襲撃して来た。

 風向きと海流に合わせて逃げないと水竜の襲撃速度から逃げられず、沿岸沿いに移動を何昼夜も続ける。途中で上陸出来る陸地もあったが、背の高い木より背の大きい信じられないような巨大竜がいて断念。また水竜の襲撃から逃げる。

 その信じられないようなその巨大竜、見間違いも考慮してここで見かけた色々な動物の姿と比べて聞いてみたがどれ一つとして合致しない。奥地にはまだ何かいるということだろう。例外的な存在という可能性もあるが、信じる。あのサウ・ツェンリーを守った、やり合った巨大な犬のことを考えれば可能性を否定することは出来ない。犬があの大きさになるんだから、竜がその木――強度、湾曲はともかく長さだけなら帆柱に使えそうなくらいらしい――より大きい何かになっても不思議じゃない。

 そして水竜の襲撃でまた一隻が撃沈される。これがホドリゴが乗っていた船で、泳ぎが得意だった彼は何とか岸に辿り着く。他の仲間は全て水竜に食われたらしい。

 次に、この陸地がタルメシャ南洋諸島のどこかであって欲しいと思ってとにかく沿岸伝いに北西を目指したらしい。どうしようもない感じだ。

 そして何とか食べられそうな虫や貝を食べながら歩いていたら私の……聖女様に出会ったらしい。イスカのことだ。

 ホドリゴのイスカを見る目が眩しくて、そしてその表情に掛ける声がえらく、救われたという感じを見せる。絶望的な状況にあって、そこにこの底抜けに明るい可愛らしい娘がきゃっきゃと騒いで現れれば、それはそうなる。分からないでもない。

 腕付き魚に皆殺しにされた船、既に沈没して帆柱だけ海面から浮いているその姿を見せればその、仲間のもう一隻で間違いないそうだ。

 今まで大分辛かったらしく、この自分語りに集中して気分を誤魔化そうとしていた。

 この漂着生活は暇との戦いでもあったので話を繰り返し聞き、言葉を理解する時間はいくらでもあった。その冒険話を理解することが出来た。

 あの沈没船を探れば南大陸南端迂回からここまでの航路を記した航海日誌があるので回収出来れば非常に価値があるという話になったが、水竜に腕付き魚に、まだ未知の生物がうようよしているようなところに潜るのは厳しい。頭領ファスラとヘリューファちゃんの組なら何とか出来そうだが、日誌がまだ無事かどうかは別の話。腕付き魚に食われた者達の中に日誌を持っている者がいたなら、それはとっくに海流に流されてボロボロになって消えていることだろう。

 それとこのホドリゴ、狩りは下手糞で遠出に出したら死にそうなので連れて行かないようにしている。野草摘みとか虫集め、貝集めに夜番をさせた。

 この幻の大陸? に初上陸したのは、話を聞いて状況を照らし合わせるに、ホドリゴの方が先のようだ。

「ここに何て名前をつける?」

「アラーグ……ルティネティ。あー、竜の、陸、大陸」

「竜の大陸? そのまんまだな」

「イーン」

 エスナル語で肯定の意。

 イスカが「それっ」と芋虫を放り投げ、リンが口を上に開いてパクっと食べた。

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