第278話「北防南攻」 エルゥ
龍元永平七年夏半、アイザム峠を越える街道の頂上を示す石木道標に白天昇龍北征軍旗が翻る。
即応部隊として派遣した白龍甲隊三千が峠を守ったが死傷甚大。戦死は隊長を含めて七百、復帰不能負傷四百、復帰可能負傷千五百、軽傷残り全て。全て傷つくに至り装備の損耗も激しく、後退して再編制をする必要があった。
彼等が血塗れになって守った峠に北征軍第二軍団が到着する。まずは高地慣れしている山岳民で構成する師団を先に配置し、残る師団は高地順応をさせてから徐々に配置へとつける。
完全にこちらが対応出来ない奇襲攻撃であった。最悪の失敗は防げたが大敗北である。
事の始まりは時を遡り、龍元永平六年、最も日照時間の短い下天の節より始まる白陰から春始までの大寒波、畜害風が吹き始めた頃へ。
当時のヘラコム山脈以西の情勢、人畜凍え死に酸鼻極まるとの情報は伝え聞いていた。ハイロウでもその影響があり、容易に外へ出歩けない状況であった。特にヘラコム山脈の悪天候は伝令の行き来を悉く防ぐ。天候が一時回復している隙を窺って進んでも瞬く間に強風に晒され、人も馬も凍え死んだという。
そして大寒波が収まり、雪が解けて山越えが可能になった霙土の節に異常が判明した。東イラングリ、ザカルジン北の中立地帯、そしてラグト王国が全てウルンダル王国宰相シレンサル率いる帝国連邦軍非正規軍によって占領されていたのだ。
逸早くその情報を報せたのはなんと、我々がラグト王位につけたユディグ王だった。王とは言ってもアッジャールの大王イディルの数多くいる息子の一人というだけで実権は地方の各将軍達に握られているだけの属国王であり傀儡王。
側近の騎兵隊以外は領土も臣下も失ったそのユディグ王が伝えるに、宰相シレンサルの術中に嵌り、全軍がほぼ離反してしまい、離反しなかった者達は恐ろしい苦痛の死と共に族滅の憂き目に遭って多少の気概があった者達も無血で屈服したという。
東イラングリからラグトに駐留する北征軍西越軍団は抵抗しながら後退するも、全方位から裏切り者達に襲撃され続けること春半の節中。最後にはヘラコム山脈西側登山口のタバルムンまで後退し、全将兵絶えるまでの春半から黄川の節まで拠点を死守し玉砕した。
報せは霙土の節半ばには届いていたから日時だけなら猶予があった。しかし我々は対応が出来なかったのだ。それもこれも畜害風の影響でハイロウでも多くの馬、駱駝、牛が死に、兵すらも死んでいてとてもではないが早急に軍を送ることが出来なかったのだ。人が歩けても物資を運ぶ獣が用意出来なかった。
それでもとりあえず派兵しなければならないと急ぎ一部の動ける部隊と現地警備兵を掻き集めて向かわせたものの、報せは騎兵襲撃に遭って壊滅とのこと。装備と人数が整わなければ敵わない敵なのだ。これは軽率であった。
そして強力だが数に限りがある重装の龍人部隊、北征軍隷下の白龍甲隊が遅れて夏始の節にアイザム峠に到着して防衛に当たった。
既にアイザム峠を多くの敵騎兵が浸透突破していたが少数で、第二陣の即応部隊と白龍甲隊の連携で撃退に成功している。ラグトまで全て占領されたという話であったが、全部族の統制が行われるには時間が掛かっていたようで本格侵攻はまだだった。ここが分かればもっと対応が出来たのだが、情報をもたらしたのが臣下の実情も良く知らなさそうな傀儡王だったのでどうしようもない。せめて現場を知る西越軍団からの伝令が到着していればと思ったが、彼等の放った伝令は全て敵騎兵に狩られたのだろう。遊牧民出の優秀な騎兵が多数配置されている軍のはずだが、軍内部からも離反が出ていたと思われる。
敵は夏始の節の次の次、夏半の節になるまでアイザム峠には大規模な攻撃を仕掛けなかった。原因の一つは空に現れた彗星だと思われる。見事に輝く等級で、星に神秘性を感じない者までも不安の衝動に駆られる程であった。
そして流言に”蒼象鷹座の北天に煌いて尾を引き、他の星々を圧倒する超等の彗星。蒼天戦国の北地に煌いて尾を引き、他の者々を圧倒する覇者のベルリク=カラバザル。両星相見えることこそ予兆そのもの。蒼と玄の空の下を今こそ手中にせよとの天にまします神の御言葉である。ベルリク=カラバザルが蒼天を縦にしようとしたその時に彗星は現れた。彗星が玄天を縦にしようとしたその時にベルリク=カラバザルは現れた。重なりし偶然、人の手には余りに過ぎる。神意以外に解釈出来ぬ。その者、紛れもなく天地星合の運命に導かれし者”という言葉が広まった。同時一斉に、各地にいるケリュン族の占星術師が言ったそうだ。
幕僚にケリュン族の――帝国連邦にも多くいるが、昔から敵同士でも交渉事が進めやすいので重宝――占星術師がいるので訊ねてみたところ”そのような結果を出すしかない状況に今なっています”と言う。流言を潰すために偽の占い結果を流布出来ないかと相談したが”今回はそのような猶予がありませんし、流しても違和感しか無い言葉しか無理です”とも言う。意外に融通が利かない。だからこそケリュン族の占星術は都合の良い言葉遊びと馬鹿にされないできたわけではあるが。
この彗星の流言による影響でおそらく一時麻痺状態に陥った後に団結叶ったらしく、シレンサルの帝国連邦軍はアイザム峠に、思ったよりは遅れて攻撃を仕掛けてきた。
北征軍は百万――西越軍団が消滅したので九十万に減る――を誇り、峠一つに全ては投入出来ない。また帝国連邦の攻撃ということは、魔神代理領の攻撃でもある。三方から攻撃されることが予想されたので軍を分けた。
魔神代理領に加盟することはほぼ確実のザカルジン王国経路防衛に北征巡撫直率第一軍団三十万。
ヘラコム経路防衛に自分大参将サウ・エルゥが指揮する第二軍団三十万。
南ハイロウ経路防衛に将軍バフル・ラサドが指揮する第三軍団二十万。
そしてハイロウ各都市の市民兵がそれぞれ、成人男性全て。女性も戦える者は戦える。
三十万の大軍を移動させるのは容易ではなかった。まず峠に布陣するまで物資を運ぶ獣に事欠いて行軍が遅くなった。如何にこの戦争に備えて地下水道付きの超広規格道を作り、飲料水と同時に荷物を積んだ小船を流せる屋根つき水道橋を整備しても、その本道にまで物を運ぶ手段が人力頼りでは訓練より遅い。遅れてしまった。
白龍甲隊の奮戦が無ければ今の状況は作り出せなかった。早期の補充と負傷兵の復帰が望まれるが、しばらくは厳しい。
龍甲兵は強い。椎の実型銃弾を発射する施条銃に対抗出来る甲冑を身に付け、超人的な膂力で矛を振るえば白兵戦では敵無し。常人では極限に鍛えても引けない強弓を使えば遊牧弓兵も恐るるに足らず、のはずだった。
帝国連邦軍の戦い方は生き残った龍人士官より聞き、恐るべきものだった。
まずは兵か人民かも良く分からないイラングリ人が泣き叫びながら、銃はおろか槍を持っていれば良い方、棍棒や石を持って突撃して来たという。龍人の一般兵は感情に乏しく容赦無く切り捨てたのだが、あれが普通の情の通った兵士ならば混乱する程に哀れだったそうだ。
そしてそのイラングリ人を盾に帝国連邦の騎兵が狙撃。彼等の長銃身銃の命中率は驚異的で、顔を守る総面の隙間を縫って眼球を撃ち抜くので龍人でも即死。厚い装甲の施せない脇や関節も狙ってくるという。脇なら側面からの射撃で、射入角によっては心臓に到達して即死。甲冑、兜は草摺、錣を垂らして首や股を守っているが構造上守れない箇所はどうしても弱点になる。
龍人は強いが欠点がある。馬に乗れない。馬が怯えて乗せないか、乗せてもまともに走れない。強弓でもって長距離で撃ち合えても追撃へ移れず、一方的に攻撃を受け続けたという。
イラングリ人が尽きると今度はラグト兵が突撃してきたという。今度は刀槍に弓に銃ときちんとした装備で、徒歩だったそうだ。
龍人は強く、そんなラグト兵もイラングリ人並みに容易に殺してしまうが、またその後ろから帝国連邦騎兵が狙撃。次は軽量小型の旋回砲を持ち出してきた。いくら重たい甲冑を着た龍人でも、小型と言っても砲弾の直撃には耐えられずに即死、四肢損壊者が続出。
旋回砲を運ぶ敵騎馬砲兵は足が遅いと見込んで追撃に出てみれば、狙撃だけではなく連携した投げ縄で捕まえられて引き摺られて手榴弾で爆撃されることもあるという。龍人の膂力は凄まじいが、体重が何倍もある馬に勢いを乗せて引かれれば何かに掴まらない限り踏ん張ることは不可能。一度転倒すれば容易に体勢を持ち直せない。
そして激戦の末に帝国連邦軍の攻撃を撃退、第二軍団の本隊と守備を交代した。
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アイザム峠の守備を固めている間に、間諜や先行して偵察に向かっていた者達が帰ってきて情報を持ち寄り、また分析されたものが後方の情報部から送られてくる。
ハイロウにて我々が直面する敵兵力は信じ難い程に膨大である。
シレンサル宰相代行――正式に就任していないらしい――指揮の非正規騎兵軍五十万。
教導団のゾルブ将軍が指揮しているらしい非正規軍二十万。
双方非正規と名が付くので民兵程度と誤認しそうになるが、装備と錬度は十分に精兵基準と見做して良いらしい。
西遠の地から続々と集結中の正規軍が四十万。
これに加えてラグト筆頭に帝国連邦に下った遊牧民や、イラングリ人のように脅迫されて徴兵された者達がおそらく数十万。
一度に全兵力を最前線に投入出来るわけではないものの、帝国連邦軍だけで百五十万は下らない兵力を注ぎ込んで来ている。そこへ大内海連合州軍が二十万、ザカルジン王国軍が十数万と加わって、南部からジャーヴァル帝国の北方派遣軍が接近し、それぞれに魔神代理領各地から応援部隊が続々と到着する予定だという。北方戦線か南方戦線かは分からないがそれに親衛軍二十万が将来的に加わる。
時代の変遷だろう。過去の戦史を読んでもこれ程の大兵力の集中は知らない。兵数の誇張著しいとも言われる古代史でさえもこの人数は馬鹿馬鹿し過ぎて書くこともない。
北征軍残り九十万と、移民や出産に戸籍登録で統一前より三倍に増えたハイロウ人民六百万、これをことごとく骨にし、煌びやかさを取り戻した都市の数々を更地にしてでも我々は敵に損害を与えなければならない。
ハイロウは外防壁である。容易に捨てて文明の宇宙を守る。百万将兵と六百万人民程度の損失で帝国連邦軍の十分の一でも削ることが出来れば余裕を持って勝ちと見ている。勝てずとも将兵死に絶えた時には疲れきった敵がおり、人口に勝る我々がいずれ勝つ。勝った後にまた復興すれば良い。
北防南攻。我々が北で持ちこたえている間に南覇軍、天政無双のルオ・シランが南から勝利してくれる。彼が勝てねば誰も勝てまい。
湯気の立つ雑炊が配膳される。将兵と同じ程度の物だ。器は遥かに清潔だが。
これは方術にて浄水した水で、重量軽減のために干し物にした米やその他肉、野菜を煮て戻したものである。燃料輸送、採取負担は極力減らされ、石炭や方術、炉を使った熱を逃がさない大量加熱調理が実現している。重くて入手も地域で限られる木材は出来るだけ使わなくても良い体制に切り替わっている。僻地でも三十万軍を維持する努力、研究は為されて来た。
西域から来て年月が経つ老人が、熱そうに顔をしかめながら匙で雑炊を掬っては息を吹きかけてから食べる。自分は箸で食べる。
「帝国連邦、こちら、東側に兵力集中しておりますが、お国には絶好の機会なのでは?」
「全同盟諸国の全力が発揮出来れば、多くを望まない勝利条件を掲げれば勝てる」
「挟撃は出来ませんか?」
「政治家ではないから言える範囲は限られる。ただそう、国が一つにならない最大の理由は隣の奴が嫌いだからだよ。その嫌いな者同士が結託するにはそれなりの共通の悪いことが必要だ。良いことだけじゃ難しい」
「西遠の地は複雑なのですね」
「まとまりの無い西方蛮族だからな」
「そのようなことは言っておりません」
「わしが言ってるんだよ」
天政官語に堪能な老人、ルーレバングル男爵エルマルト=アランドレク・ザリュッゲンバーク陸軍中将は元エデルト王立陸軍士官学校長であり、現在は北征軍付きの軍事顧問をしている。帝国連邦総統ベルリク=カラバザルの教師でも一時期あったという。この地に配置されているのもそれが理由になっている。少しでも敵首脳の思考を知っている者が望ましい。
西域のエデルト軍からこちらに派遣されている軍事顧問団は大きく三種類ある。
北征軍にて共同戦術研究を行う軍事顧問団、代表はこのザリュッゲンバーク陸軍中将。北征軍第一軍団は巡撫直率の予備兵力で、最も激戦が予測される前線へは我が第二軍団が出向くので中将はこちらの幕僚のような配置になっている。
もう一つは中原にて兵器製造と新式エデルト操典で訓練される新式実験軍を担当している陸軍軍事顧問団。訓練と装備調達は順調らしいが、つい最近まで行われていたロシエの戦争でまた改善点の発見があったそうなので操典の改めが大変らしい。
最後に南覇軍へ鋼鉄船建造から艦隊運用まで相談、指導する海軍軍事顧問団。タルメシャ侵攻で十分にその実力を示している。
敵が共通している。共に帝国連邦への痛手を願い、帝国連邦軍相手の戦訓の蓄積をして何れ勝利を手にしたいのだ。
兵器は新しくなり、戦術は時代遅れになっている
戦列歩兵戦術が時代遅れになってきているのは明白。エデルトが戦争で確認したが、施条の銃やその類型重火器、大砲を用いれば高い命中率でもって瞬時に大量殺戮が可能になってきている。ましてやロシエの死の舞踏などと呼ばれている反転行進射撃は酷い時代遅れ。なまじ重騎兵が優秀なせいで勝利をそこそこに収めてきたばかりに改定されてこなかったと見られている。少なくとも既に野原で撃ち合う時に使う戦術ではない。塹壕内などで使うのならばまた別ではあるが、大量に列を並べてするものではない。分隊に分かれて火力を継続発揮したい時ぐらいか。
天政の戦術とはその西域の戦術から大きくかけ離れたものではない。もっと積極的に陣形を正しく組むものなどとされてきたが改定した。
時代は逃げ隠れしながら射撃戦を行い、必要があれば集結して銃剣突撃を慣行するような散兵戦術。
散兵は士気が高く、己の使命を理解して行動出来る兵士ではないといけない。その辺からかき集めた民兵、罪人では逃亡してしまうので向いていない。そういう者達を使うにはやはりまだ戦列歩兵という檻に閉じ込めなければならない。
騎兵突撃に対抗するために一時集結する必要もあるので散開ばかりではいけない。密集しすぎると砲撃でまとめて吹き飛ばされる。状況に応じて散ったり集まったりする。
それぞれが円匙や土嚢でもって塹壕、防塁を、工兵程本格的ではないにしろ作れる必要がある。
エデルトは戦列歩兵戦術の衰退を見てきた。密集して戦列を組む敵を同じ方法で殺戮したものの、それは将来の自分達の姿でもあったのだ。
その新しい時代の戦術を研究し実践するためにエデルトが協力する。エデルトはこのような血を大いに流す戦場を今は持っておらず、天政はその新しい時代の戦場を経験していない。
中将は可能な限りその新しい時代に順応した戦術を導入したこの北征軍の戦いぶりを観察し、正しい部分と不足部分を見極めて研究し、中原にて研究中のエデルト式陸軍新戦術で訓練されている新式実験軍へ最新の研究を報告し、反映させていく。戦いながら進化するのだ。
例え北征軍や南覇軍が壊滅的打撃を受けて崩壊しても、それが敵に損害を与え、戦訓が蓄積されて操典が改良される。過去の、最新の戦訓で作られた新式実験軍がまた敵に損害を与え、戦訓が蓄積して操典が改良される。その両親が死ぬ時、未来の操典が誕生している。その未来軍を送り出せるようになるまで死と敗北を厭うてはならない。
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アイザム峠に敵軍再び迫る。
我が第二軍団は完璧な布陣になっていないが、それで十分。一から十まで全て耳揃え頭並べなければ全力を発揮出来ないような古い幾何学的、無用に芸術的な陣形からは脱却している。またそれが敵に対して真に有効であるかはこれから実戦にて実験となる。
名付けて群壕戦術。帝国連邦軍の攻撃力は飽和的に強力であるという研究から、それに対抗するのならば飽和的に強力な防御力で対抗するという発想である。
中小規模陣地を円形に集め、線で抵抗せず、敵を中に引きずり込んで小規模包囲にて細かく損害を与える。中に敵が浸透せず、外側から削るように戦うのであれば小さな陣地の部隊は戦闘していない部隊と連絡壕等を通じて交代を続けて持久する。損耗が酷ければ他の損耗した部隊と共食い編制で復活させる。また攻撃を受けていない陣地は防御工事を続けて増強し、また攻撃されていない方向に拡張を続ける。
地上に立った人の壁、横に並べた陣などで耐久しない。そのような陣形、洪水暴風を立て板で受け止めるような愚行である。
側面、背面を存在させない。機動力で優越し、火力で優越し、実戦経験で優越するような敵相手にいくら警戒しても、強引に掴まれてひっくり返されて側面、背面を曝け出してしまうものである。大人が赤子を転がすが如くにである。
我が第二軍団は地面より下に布陣する。耕土の方術で地面を軟らかくしてから素早く地面を掘って壕を深くし、木網の方術で木材を変化させて壕壁面を素早く固め、蟻の巣のように巡らす。陣地構築の時間が短くても大規模なものが仕上がる。
防御が基本であるが、このいつまでも長く続けるための防御に対する攻撃に隙が生まれれば逆襲に移る。そして無理に追撃などせず、ただひたすら敵の損耗を続け、疲れさせ、その国力、財力が尽きるまで持久する。新しい装備訓練万端の軍が後方で誕生し、送られて来るまで持久する。
敵は帝国連邦非正規騎兵軍と変わらず、その先鋒を務めるのは脅迫されたイラングリ人。敵の馬上鼓笛隊が笛で高い音を鳴らして、馬の鞍の左右に付けた太鼓を連弾して突撃を急かし、後退する臆病を許さない。
こちらの鼓笛隊も銅鑼を鳴らし、大きな変な音を立てる縦笛、チャルメラを鳴らす。独自の音、聞き分けられる音、戦場を支配する音。自分達のこの音が鳴り響いている間は自分達が主役で勝者なのだ。
哀れなイラングリ人の群れはまず接近することに失敗する。
金茨の方術で茨に変化させた金属塊を壕の前に設置。まともな靴も履いていない彼等の足が潰れる。一人二人、足が潰されたとこで勢い止まらず、押し合い圧し合い金茨の地面に突っ込んで足を壊して転んで全身を浅く刺され、背を踏まれて磨り潰されていく。
イラングリ人の群れの足が止まる。止まったならばエデルトの技術を輸入した施条銃にて壕の中から軍服軍帽を揃えた各兵士が銃撃で撃ち倒す。雑兵にすら満たない敵を食い止める。
イラングリ人の後背より、帝国連邦騎兵の狙撃が始まる。その銃弾の射程、正確さはエデルトの銃砲技術を凌駕する。壕に隠れながら撃っている兵士達にも少しずつだが被害が出る。
各兵士には対抗する射程に優れた武器、銃火箭が配備されている。銃口に銃火箭を装填して発射台とし、斜め上方へ向けて一斉に発射する。
銃火箭の命中率はとてもではないが何かを狙えるものではないが、一斉発射により面制圧的な爆撃が可能となる。火薬の爆発と飛び散る破片効果が敵を死傷させる。それと同時に軽量小型の臼砲で榴散弾を発射して敵上空で炸裂させ、散弾の雨を降らせる。
使用に注意を要する石油に硫黄等を添加した悪臭剤を、敵が接近し密集してきた状態を見計らって使用する。藁束に付けて燃やし、風向を見て適宜送風の方術でもって敵軍へ送る。送風で補助するが天候風速の問題もあり、効果を及ぼせる有効範囲が限られているのでいつでもどこでもとはいかない。常に硫黄の悪臭塗れにさせられれば何の苦労も無い。
帝国連邦軍も悪臭剤等は積極的に運用しているので防毒覆面など、馬にすらつけさせる程に装備を充実させている。無防備なイラングリ人の群れはそれで潰えるが、非正規騎兵軍はそれ程までに損傷は受けない。防毒覆面を装着し、第二次攻撃の準備を始めた。
敵の旋回砲による砲撃が始まる。小型軽量のその大砲は見た目以上に驚くほどの射程距離を有し、榴散弾が壕の直上で炸裂して我が兵士を散弾の雨で殺す。
『ラーイ! ラーイ!』
そしてイラングリ人とは違って装備整った下馬ラグト兵による勇ましい喚声を上げる突撃が始まる。ラグト兵は剽悍で精強であるが、それを使い捨てにするかのような戦い方。失っても良い、戦力外の存在と見做しているのだ。恐るべし。
ラグト兵は矢を放ち、銃を撃ち、刀槍で果敢に突撃する。女兵士すら混じった一族総出の攻撃だ。帝国連邦からいかような懐柔と脅迫でそこまでするに至ったかは不明だが、決死の形相である。
ラグト兵は前進する。金茨の地面には死体や死に損ないのイラングリ人を殺してから並べて足場にする。壕からの迎撃射撃には怯まず正確に撃ち返す。その後ろから非正規騎兵は小銃と旋回砲で狙撃してくる。
臼砲で壕内から比較的安全に砲撃を加え続けるが突撃の勢いは止まらない。
エデルトの技術で作られた軽量の大砲が砲弾と散弾を、三連斉射砲で大口径弾を発射して撃ち倒しても止まらない士気の高さ。
大量育成、配備された方術士達が符を持って術を使う。これも新兵器、符術。並べて工兵のような働きをさせられたのもこれのお陰だ。
昔は一部の者しか使えなかった火噴の方術。火達磨になって敵、特に女兵士の悲鳴が良く響く。
ラグト兵が壕に突入する瞬間を狙い、石杭の方術で出現させて串刺しにする。または壕外に隙間無く並べて石杭を柵にしても良い。
符術は非常に単純で効果的だ。軍として望む、一定の方術を発動させる思考方法を記述した紙である。こういう術を発動させなさいと書いた覚書の紙切れ一枚なのだ。一々筆を走らせるのも生産効率が悪いので全て判押しで作ってあり安価。判押しならばと、気分を盛り上げるために呪い装飾が、誤読を避ける程度に簡単に施してある。
この符を読みながら思考して方術を発動させれば、ほぼ誰でも一様に同じ術となる。方術の定型化にこれで成功し、これにて組織的な方術が軍規模で可能となった。以前までは発想が無かった技術。
『ラーイ! ラーイ!』
ラグト兵は簡単には挫けない。前進を続けて時には壕内へ飛び込み、壕の脇を突破する。突破する敵は周囲の壕からの包囲集中射撃によって全滅していく。制動をかけるような横の線が無いために意図し、意図せずに殺傷範囲へ飛び込んでくる。中にはその射撃も通り抜け、磨り減るも勢いが止まらない一団もいるので、それは後方の壕から迎撃部隊を出して粉砕する。
勿論壕が占領されることがある。予備に控えている火炎放射兵か方術士の火噴の術でもって一掃する。早期に奪還しなければ敵がそこを橋頭堡にする。そうなると手強い。であるから敵が積極的に取りに来る。取りに来るからまとまった数が壕にやって来る。一挙に殺せる。損耗を強いる。
アイザム峠は山中。街道沿いの比較的平坦な場所以外も戦場となっており、高台、崖の上、その下、大小の谷とも言えない溝を挟み、尾根伝いにも戦線が広がって戦闘が立体的に行われている。敵は騎兵の機動力で左右側面に回り、高所に陣取って狙撃、砲撃を行って来ており、壕内に直接銃弾、砲弾が撃ち込まれて部隊が壊滅することもある。
馬鹿正直に正面横一線の塹壕を掘らないで正解であった。あっという間に迂回包囲されてきている。壕を円に群れに配置しなければ側面背面という弱点が出来上がってそこを突かれていた。大軍を横一線の塹壕で何重にも囲む時間は無かった。
馬を失って実感する、当たり前だが馬は速い。敵騎兵は歩兵突撃を陽動に一挙に浸透してくる。取り囲んで長射程の火器で高所を取って優位に撃ってくる。
壕はどこにでも掘れない。時間を掛ければ方術も使って岩盤も穿つが、そんな時間は無かった。
高所を取られる不利を犯さないように要所に兵は配置していたが、敵騎兵の射撃を前にあっさりと蹴散らされている。壕に隠れなければそのように殺されてしまう。全く兵の質が違う。十分に訓練した心算だったが敵はそれ以上だったということだ。
対応策はある。仕掛けた地雷に発火の符を貼り付けた物を使い、予測された射撃に良好な高所に仕掛けて遠隔爆破。直接吹き飛ばすこともあれば頭上の岩塊を崩して岩雪崩れで潰す。
遠隔方術を容易にさせるのも符術。方術士手ずからに地雷に符を貼らせ、仕掛けさせることによりその物に対して強く残心する。それにより、本来は上級者でなければ難しいとされる遠隔方術を可能とした。
敵の攻撃第一陣が崩壊を始め、同時に第二陣が攻撃態勢に入っている。敵は少数精鋭などではない、恐ろしいまでの大軍である。次々と戦力を投入する様子。
新兵器はまだある。第一陣の後退と第二陣の前進が交わる瞬間を狙って使用した。
合図の太鼓で同時に、各壕から四人で車を、二十五人で火箭を抱えて出して訓練通りに装填して瞬時に発射体制を整えた。大砲と違って軽く展開が速い。
名を連機火箭車。車輪付き発射台に乗せた火箭を雨霰と短時間で一台当たり二十五本連続発射。士気低下した第一陣はその火力と暴れ狂う何百という竿に薙ぎ倒されて混乱、壊走して士気が高かったはずの第二陣に突っ込んでその攻撃態勢を粉砕してしまう。
合図を出す。群壕の中央、包囲している敵騎兵からの加害範囲外にある壕から軽砲、斉射砲が出される。少し時間が掛かる。
正面側の各兵士が壕から出て突撃を開始する。方術士が方術で金茨を均し、ルオ家の秘儀だった方術を使う。
『前進! 前進!』
予備待機していた鼓笛隊が勇気を振り絞らせるためにチャルメラを大きく鳴らし、銅鑼を叩く。命を捨てる勇気はあらゆる手段で獲得される。敵軍の持っていない楽器は聞き分けられるので後押しになる。
戦列を組まず、各部隊の判断で前進、停止をしながら銃撃を繰り返す。出来るだけ部隊内にて射撃する分隊と前進する分隊と分けて隙を無くす。
正直言って我が方の兵士は剽悍ではない、弱兵である。一方、敵の遊牧兵は剽悍で強兵である。刀や槍で打ち合ったなら三人でようやく一人倒せるか、先に一人を倒されて怖気づくかである。であるから突撃用の散弾銃が配備されている。
混乱する敵第一陣、第二陣に小銃射撃からの散弾銃射撃を始めとした銃剣突撃が、この段階になって密集隊形を組んで行われる。肩触れ合えば臆病も消える。
ルオ家の秘儀が臆病な兵士達をそこまで行かせた。天政無敗の西勇軍に使われた感覚をわずかに麻痺させる薬草術に加え、これもまたわずかに意識共有させる方術をかけてあるのだ。激しく射竦められながらも隊列を整然と交代させることが出来たという西勇軍の力がここで発揮される。
勢いがつけば剽悍なラグト兵といえど、体勢が崩れた状態では持ち応えられずに壊走する。そしてここで追撃かと判断を出したくなるが堪えて突撃させた各隊の前進を停止させ、残敵掃討に移行させる。
壕から出した軽砲、斉射砲が敵第三陣の攻撃開始を警戒して配置に付く。今、壕の外に出ている部隊を援護するためであり、引き上げとなれば各砲も壕に戻る。
ルオ家の秘儀が無ければ勝手に追撃をしていたかもしれない。追撃などしたら遊牧軍得意の伏撃が待っているのだ。出してはならない。
残敵掃討が進む。担当する部隊は分けるが友軍負傷者の回収が絶対最優先となっており、その次に抵抗する敵の撃破。それからが捕虜収容と止め刺し。次に死体突きで、遺棄装備の回収は最後の最後になっている。
以前までとは方針がかなり変わっており、野戦病院が充実して軍医に助手を多数配置している。兵士を大量消費して敵を磨り潰す方針に変わりは無いが、かと言って折角訓練して実戦を経験した兵士を助かるのに使い捨てにしては勿体無いのだ。
群壕外周の部隊は包囲を変わらず続ける敵騎兵を警戒し、応戦を続ける。正面からの歩兵突撃が失敗したことが分かってか、徐々に敵は撤退を始めた。
残敵掃討から戦場掃除に移り、敵も味方も収容。本日の戦いはこれで終わりとなった。
「ザリュッゲンバーク中将、いかがでしたか?」
「うむ、先ずは勝利おめでとう」
「ありがとうございます」
「ただあれは帝国連邦の本領には遠い。今出来た統制を、陣の半分、残り三分の一になるまで侵食され、何度も共食い再編を繰り返した時に出来なければならない。であるから、つまらん答えだが陣地防御中も、塹壕強化をしながらひたすら訓練の繰り返しをしなければならない。それこそ考えなくても動けるぐらいだ」
「基本に忠実にいきましょう」
「その通り」
■■■
戦場掃除も切り上げられた夜。空を見上げれば尾を引く眩い彗星。どうにかして天政の吉兆にしたいところだが、既にケリュン族の流言によって完全に不吉の前兆と化して揺るがない。帝国連邦総統ベルリク=カラバザルが天地星合に蒼と玄の天の下を征服するというもの。
多少しつこく幕僚の占星術師に聞いてしまったが”流言回避は困難です。正直、大参将閣下に仕えられて身に余る光栄と存じる私でもあのベルリク=カラバザルに興奮を禁じえない程ですから、他の者達は推して知るべしというところです。悔しいですが”と言っていた。
この”天地星合”という言葉も厄介である。概念として定着を始めてしまっている。この一言で何を言っているか通じてしまう程だ。影響力は計り知れない。
負傷者の治療は最優先で行われている。西域で開発されたという負傷治療の呪具というものが手に入れば、軽傷者ならばその場で復帰可能と聞いている。輸入は難しいので技術導入からの天政なりの再現が出来れば良いが。
収容した捕虜の選別も結果が出ている。
イラングリ人は我々に協力的で復讐を誓っている。ただし、家族を人質に取られているから全く戦う気が起きないという者もいる。神経症で意気地が萎えた者も少なくない。
ラグト人は反抗的である。彗星の流言のせいかどうしてもベルリク=カラバザルに魅力を感じてしまっているらしい。まだその顔も見ていないというのにだ。また、一度傘下に加えた経験からラグト人の様子を知っているが、以前より酷く定住民、我々文明人を軟弱な農民、家畜にする以外に生かす価値は無い、皆殺しにして街を灰にしてやる、という苛烈な思想に染まってきている。
当然、苛烈に染まっていない、そして協力的なラグト人もいる。帝国連邦は新規参入の者達に対して”血の洗礼”というおぞましい名の、犠牲を強いる突撃を行わせるのが慣例で、反発を持っている者は多い。その者達が言うにはウルンダル王国宰相代行シレンサルがいかに我々遊牧民が優れていて、他の民族を狩猟し家畜するのが正しいかを説いて回ったらしい。弁が立つとは強敵である。
帝国連邦構成諸族の捕虜は非常に少ない。捕縛時に死ぬまで抵抗するか、死んだふりをして奇襲をするので殺さざるを得なかった。生き残りは逆に不気味なほどに静かである。
ハイロウにおいてもあの彗星、動揺を呼んでいると連絡が来ている。ハイロウ人は人種民族様々に交じり合っているが、蒼と玄天の神にかなり親しみを持っている。草原砂漠の交易民となればしょうがないことであるのだが、それが危険だ。
ハイロウの後背地で反乱が起きれば前後挟み撃ちになる。服属している――半、旧、旧となって間も無い――遊牧政権は多い。後背に置けば不安要素になる。
だが属軍を矢面に立たせたからといって安心出来ない。噂に聞くベルリク=カラバザルの豪胆さを考えれば、戦場のど真ん中で説得して組み込みかねないのだ。一種の神懸かった魅力で理屈を通り越して裏切らせるということは十分に有り得るのだ。
彗星が見える今の時期、この北天の地で戦うには不利が多い。であるから常に整然と組織立っていなければいけない。総崩れの様子を見せたら背中から襲撃される。属軍の背後に中原を守る塞防軍が控えていても、帝国連邦側に我々を踏み潰して逃走されたらどうしようもない。
出来ることは基本に忠実であることのみ。
我々がアイザム峠で一戦交えている間に他方でも勿論動きがある。ヘラコム山脈中に配置している斥候からの情報によると、帝国連邦軍は進入困難なヘラコム山脈北部の針葉樹林帯を焼き払って道路を、川に湖に沼まで繋げて水路を作っているとのこと。予見したがそこまでやると聞けば驚異的である。
アイザム峠には第二軍団三十万を全て配置するだけの幅は無い。勿論予備兵力を後方に留め置いている。だから別働隊を編制して派遣したい。したいが西側から行こうと東側から行こうとヘラコム北部は辺境中の辺境、軍を送るにはこちらも道を作らねばならない程度。北の辺境に慣れた狩猟遊牧民の派遣が適当だが、今は彗星が祟って督戦部隊を配置しないと信用出来ない。白龍甲隊を先遣に出して藪を払って道を簡単にでも拓かせる。そのためには一度後送した彼等に出撃命令を出さねばならない。
黒龍公主が開発したという虹雀という非常に賢い伝書鳥がいるので即座に伝達は出来るのだが、極めて従順とはいえ死傷著しい彼等を投入して良いものかとも悩ましい。もっと万全の状態に回復するまで待って別の機会に投入した方が良いのでは?
否、状況は常に進行している。発見した問題が手遅れになっては遅い。
派遣を決定、命令書を書き、籠に閉じ込める必要も無い、名の通りに虹色に派手な色合いの雀科の中型の鳥の足に丸めて結びつける。
「白龍甲隊へ」
虹雀は言葉を聞くと夜の闇にも臆せず飛び去っていく。
尋常ならざる幽地の際かその向こうの底に近い生物を開発し、凡その要人達に配布するとは黒龍公主が霊山で編み出す術は摩訶不思議である。霊山には仙人が住まうと伝説にあるから仙術などと特別に呼んで良いのかもしれない。
それから諸事を済ませ、収容した捕虜の中で一番位の高い者、レスリャジン部族のオルシバ長老と会う。
オルシバは死傷者の中に埋もれていたわけでもなく、怪我も無く降伏。先の攻撃時にイラングリ、ラグト兵等を督戦すると同時に撤退時には殿部隊として残っていたのだ。
情報が欲しい。部下が取り調べをしても一番偉い奴としか話さない、とのこと。
司令部の天幕にオルシバを呼んだ。そして開口一番、
「お前がサウ・エルゥか? オカマどころか美女じゃねぇか。家の婆さんより素敵だ」
白髪に傷と皺が混ざった老兵の形相、不敵で肝が据わっており、口が悪く剽悍野蛮な戦士らしさがある。将軍格であるので軍装を許し、縄で縛らないでおいた。衛兵は外に出さず通常通りに配置している。
「私が北征軍大参将サウ・エルゥです。レスリャジンの長老オルシバ、我々は野蛮ではありません。捕虜らしくすれば相応に遇します。協力すれば待遇を改善します。今後増える捕虜達を指揮し、その待遇の改善を訴えることも出来ます。仲間のことを思うのならばそれが賢明です。戦争はきっと長い。様々な局面が予想される。あなたの存在は敵味方にとって今後必要になるでしょう」
「女の癖に言うことは真っ当だな」
憎まれ口に意味は無い。降伏した悔しさをそれで発散してからその役目を果たせば良い。出来ないのなら代わりを見つけるまで。今のところ適当な者がいないだけだ。
「けっ……おいおい糞エデルト糞野郎もいやがるのかよ。しかも見た面だぜ。継承戦争の時のあれだ、ザリュッゲンバーク乗馬歩兵大佐。乗馬が糞のように下手糞で農民丸出しだった」
「セレード人にも古い知り合いは多いがお前さんは記憶に無いな。それに騎兵だ」
「エデルトに騎兵科なんかあったのか?」
「大分古い男のようだ」
「今日は敵わなかったがいつか殺す。お前はケツも掘ってやる」
殺すと人差し指で中将を指し、お前と人差し指を折りながら中指を自分に指した。
「それが捕虜の言葉かね? 仮にも長老と呼ばれているのだろう」
「そうだよエデルト野郎。長老はたまたまだ。別に選挙もしてない」
「良いことを教えてやろうレスリャジン人。エデルトとセレードがお前等を滅ぼす。はぐれ者め」
「どうやってだ? あー、何でここにいる? そうか! レン人共をか! はっはー! 良いぞ、そっちとやる前にこっちでも殺せるのかよ!」
オルシバはエデルトの軍事顧問団の存在にここに来るまで気付いていなかった。政府がその存在を年単位で隠匿し続けている証拠だ。既に海軍はエデルト式を取り入れ南大洋で活躍し、陸軍も実験的な一軍が仕上がりつつあるというのに知らなかったようだ。オルシバの口に中将が乗っかったのもその情報を引き出すためか。
「伝令! 伝令通る!」
と外から大声。オルシバがいるが、緊急か。
「伝令です!」
伝令がオルシバを見て、喋っても良いか判断して下さいと目配せする。
まずオルシバを後回しにするだけの案件かだけ確認したい。
「詳細は別に、まず何が起きましたか?」
「ユディグ王離反! 軍を率いて……」
そこまで、と手を挙げる。ユディグ王と会った時はその気配まるで無かったように思えたが、やはりここでも彗星か。夜空を見上げれば見えて、隠すものは雲だけだが夏季は天気が良かった。
ユディグ王の兵力は決して多くない、敗残の騎兵だけ。出来ることは限られているが兵站線を荒らす程度は出来る。ただアイザム峠の突破がいずれされるとしても時間がかかり、彼等の生存は絶望的。ならば目的はハイロウ後背の遊牧政権に離反を説いて回るか……ヘラコム北部に回って帝国連邦軍に合流する? 東側から西に向かって道を両側から貫通か! ラグト人は様々で遊牧民だけではなく都市住民もいるし、数は多くないが北極圏狩猟民もいる。毛皮猟に辺境を歩いて回る連中だっている。案内役に不足は無い。
ユディグ王追討軍、少数ではいけない。機動力もいる。適切に督戦された遊牧騎兵軍を出す手続きが必要か。彗星の今、その編制は簡単ではない。
「はっはー! 大変だなお前等。そこの爺さんもだ! あの時お前の足に当てた矢に毒塗っとけばな!」
足? 中将は足が悪かったか? いや、健常のはずだが。
中将も首を捻って膝を触ってそんなこともあったか? と思い出す顔をした。
ひっくり返った? 頭が変だ。
見える、首に蹴りが来た。痛いと思うが、分からない。
オルシバが我が伝令に掴みかかり、目に指を突き入れ、口に手を入れて頬を掴んで机の角に押さえつけて殴り始める。血が散る。
幕内にいた幕僚、中将がオルシバを掴んで止めにかかるが老人を思わせない膂力で暴れる。オルシバが中将の鼻に頭突き、倒す。机が転がる、書類が散らばる。
衛兵が槍を使うが狭い幕内、物や天幕の布に引っかかる。
なんと野蛮で剽悍な戦士よ。己を省みずにこの首を取りに来たのか。そして伝令の言葉を聴いて状況を把握し、こちらに対応させまいと次に伝令を殺しに掛かった。
中将が箸でオルシバの耳の穴を刺す。幕僚が椅子を持って滅多打ちに殴り始めた。
言葉は出るか?
「……う……」
駄目か。指揮の引継ぎは序列通りに行われるが、ヘラコム北部への対策を伝えなければ……。
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