第277話「天地星合」 ベルリク


 魔神代理領の旗印が簾になって垂れ、風に揺らいでいる巨大な装飾彫刻門。城壁は無い。

「凱旋門、通ってみたいな」

 帝国連邦軍全将兵は非現実的だが、勝って帰ったなら我がまましてみるのもいいかもしれない。

 魔都にやってきた。お上りさん気分は今回の訪問で消え、気付かないところに気付くようになってきた。

 魔神代理領の植物は葡萄であること。公式に共同体の花、とかそういうものが設定されていないので気付こうとしないと気付かなかった。

 旗の螺旋っぽい意匠、何かなと思ったら葡萄の蔦なのだ。

 国章のような複雑なものになるとそれに葉や実がつく。表現するところは、

「蔦は千変万化、葉は弱者の擁護、実は子孫繁栄。それから葡萄といえばワインなどの加工品で、これは魔なる有用、良質な変化を表している。後は乾燥地帯だからな、緑、植物、実りのある物というのが特に有り難味を感じさせる。砂漠の交易民は緑を愛するものだ」

 と隣の知恵袋、ルサレヤ先生が教えてくれた。

「そうだったんだ!」

「今まで気付かなかったのか?」

「先生のこと考えてたら全然目に入らなくて」

「ふふんそうだろう。うん、今はどうでもいいってことか?」

 吹いてみるのは口笛。

「あ、蔦とワイン、被ってません?」

「臨機応変と進化は別物だ」

 作り話じゃないよな?

 久し振りの魔都で気付くことがある。雑踏の中でも目立つことだ。

 妙に長髪だとか巻き毛だとか染髪したような毛色のお洒落さんが多いと思ったらこれ、ナレザギーが昔、商売になると言っていたカツラだ。以前までは色んな種族や人種がいるんだなぁとしか考えてなかったが、今になってその不自然ながら都会派風にキメている連中を見て気付けた。特に体毛があまり長く伸びない獣人達が顕著に目立つ。猫頭のくせに縦十連巻きを八本も垂らした長髪の奴がいて、何故か片眼鏡もつけていて似合っている。凄いな都会派。


  魔神こそ全てである

  魔神代理は唯一である

  魔なる教えを信じる者達よ、辛き時に教えを思い出せ

  魔なる教えを信じる者達よ、迷う時に教えを思い出せ

  魔なる力こそ並べられること無き強さ

  魔なる力こそ用いられれば不正を正す

  形無く正義に象られし魔なる変幻の力を信じよ

  姿無く魔神が示したる次なる未来の道を信じよ

  悲しみは希望で、恐怖は団結で乗り越えよ

  理不尽は忍耐で、災厄は対策で乗り越えよ

  それらに魔なる力を用いてあらゆる痛みを報奨とせよ

  それらに今打ち砕かれようとも次なる者達が礎とせよ

  悪しき囁きに耳を貸さず

  邪な考えを頭に浮かべず

  力の懲罰が敵に降りかかるよう信じて行いをし

  皆の信仰が悪を滅ぼし去るよう信じて行いをし

  ただ只管に義務を果たし、義理を果たせ

  共同体の同胞に魔なる力がありますように


 大通り沿いにある、通りを魔術大学と挟んで向かい側にある寺院の広場で、宗教学者の黒い布を頭に巻いた老人がそう唱え、それから大勢の衣装を揃えた弟子風の連中が円陣を組んで体を揺さぶりながら、


 魔神こそ全てである

 魔神代理は唯一である


 をひたすら、声を合わせて繰り返し唱え始めた。人数が人数なだけに、寺院から溢れて通りにでて、その大学の広場でも集団を組むに至る規模で、しかしちゃんと道は人と馬に車を通すように空けてあるという様相で秩序的。不思議である。

 うーん、記憶を掘り返すがこれは知らない。

「何でしょう?」

「魔なる教えには派閥がいくつかある。細かいものまであげれば勿論キリが無いが、主要三派がある。特に名称の無い本流派は中央政府、魔導評議会、言わずものがな普通想像する魔なる教えの本元だ。ハザーサイール帝国とジャーヴァル北部で有力な法典派は知っているな? 魔なる教えを成文化させようと試みている者達だ。そしてこの、見慣れない奇妙な者達が開悟派だ。ああいった没我に至るような修行や儀式を重ねて精神を高次元に飛躍させようと試みている。心の魔なる変化を求めているわけだ」

「随分と神秘主義、精神主義? ですね」

「剣と法と飯だけで生きていくには人生は辛いのだよ」

「納得」

 しかし、老人が最初に唱えた言葉に悲壮感があるのは龍朝天政との戦争が始まっているからだろうか? 妙な逼迫感があった。

 以前魔都ではこの開悟派、ほとんど目に付かなかった。儀式はたぶんしていたのだろうが、きっと室内で行っていて外から見えるものではなかった。それが今は、寺院から溢れ出る程の人々が一心に唱えているのだ。これは普通ではない。

「先生、雰囲気、戦時にしてもちょっと変じゃありませんか?」

「今年はズィブラーン暦三千九百九十八年。来年は」

「今夏、冬で九十九、百で百一で四千年おめでとう。もしかしたら終戦記念日と重なりますね」

「うむ。四千年を期に魔神代理領、その繁栄に影……と考え出す者もいれば、間接攻撃手段として」

「龍朝の間諜が工作している」

 可能性は十分にある。

「魔なる教えでは整合性の無い運命は否定しているが、否定出来る程人間は力の論理を信じきっていない。何かこう、理屈を跳ね返す不思議な力が作用するとどこか思うし、そればかり思う者もいるし、大して思って無くても口が回転する者だっている」

「世情の不安が精神主義一派への求心力に直結、と」

「落ちるところまで落ちないように支える組織でもある。ここで一つ皆と唱和して落ち着き、日常に戻って行けるのなら何も問題は無い。むしろ良い」

「納得」

 帝国連邦に欠けるのはこういうところだろうか? 戦争がそれに該当するが、流石にこれから何十年もずっとするわけにもいかないことは明白。組織の維持には拘っていないけれども、努力くらいはするべきだろう。

「魔神こそ全てである、魔神代理は唯一である」

「信じていない場合は口にしなくてもよろしい」

「納得」

 この楽しい先生との雑談をしながらのお散歩、時間制限がある。これから待ち合わせの案件が一つと、それまでちょっと時間が空くので寄りたい場所が一つと、昼食だ。連れにはいつものアクファルがいて、護衛のルドゥ等親衛偵察隊の一部がいて、今日いるはずだったナレザギーは南洋航路問題の対策で不在。

 もう一人いるはずのあの、ケリュン族肝煎りでくっついてきているクトゥルナムは現在、魔神代理領軍務省の情報部でビジャン藩鎮軍にいた時に得た、古いが何かに繋がる情報を提供しに行っている。言葉の方だが、筆談は勿論問題無く、口語も訓練で途切れ途切れながら喋るようになった。それであちらの情報部が持っている情報と照らし合わせ、問答を重ねれば有用な何かが出てくるかもしれない。出ないかもしれないが、そういうものだ。

 昔はあの甘い面が気に食わなかったが最近はクトゥルナムが可哀想になってきた。一族の期待を一身に背負った状態でアクファルに求婚中ということになっているのだが、そのための条件が過酷。

 まず結婚するには主だった敵将首を挙げなくてはいけないのだが戦場の変化、大規模化がそれを容易としない。シゲヒロ基準で、あとクトゥルナムは一つ首を挙げればいいのだがそれが北征巡撫サウ・ツェンリー並でなければいけない感じになっていることが大問題。大帝国の国家序列の五本の指に入るような大物じゃないと駄目という雰囲気だ。致命傷は与えたが惜しくも復活しちゃったのでそれより下級の首でも良いよ、となる様子も無い。辛いだろう。

 そして首を挙げるまでにアクファルからの運命試しに生き残らなくてはならない。シゲヒロに毒塗り銃弾ブチ込んだ先例と自分ベルリクの戦場運に倣うようで、本気で殺しに掛かっている。狙って拳銃で撃ったり、予告も無く馬上から首を狙って蹴りを入れたり、抜き身の刀を回転付けて投擲したりと冷や冷やする場面が多々見られる。

 シゲヒロの頑張りがクトゥルナムを苦しめているようにも思える。あいつ頑張ったもんなぁ。今どこで何やってんだか? 見上げる空は一緒、と思ったが南と北じゃ星空に季節すら違う。

 ケリュン族の面々も諦めさせるとか、そこそこで止めて良いとか言う気配が全く無い。別にこのまま求婚しなくても側回にいて問題無いのだが、総統の血筋に食い込んで身内争いで優位に立とうという気配が消えない。考えが古い。

 そしてこれはアクファルの問題である。結婚したい奴がいれば自由にして良いとは言ってるが、竜のクセルヤータとべったりである以外は男にも女にも興味があるフシすらない。たまに聞けば「じゃあお兄様」とか、興味無しという返事が来る。言葉の感じはこちらに惚れているではなく、この世の人間の男の中で一番好感度が高いのは誰か、という問いに答えるように言うのだ。いっそ、とも考えるが、同じ腹から出てきたと考えると”物”が反応を示す感じはしない。

 ふと思いつく。散歩していたからかもしれないし、先生がいたからちょっと小難しい問答を真似したくなったからかもしれない。

「アクファル、お前、人間好きか?」

「あ」

 あ?

「流石お兄様! やっと分かりました!」

 珍しい、気が抜かれた。アクファルが細い目を更に細くして口の端を上げて笑ってる! お前そんな顔するのかってくらい眩しい。目が潰れたかと思った。

「死んだ途端に”良く”見えるようになるのはそういうことだったんですね! やっと分かった!」

 アクファルは生きている人間が嫌い、もしくは興味が無いということが判明した。イラングリでの戦いでサウ・ツェンリーに串刺しにされて瀕死になったシゲヒロを見て急に態度を変えたのもそれが原因か。

「疑問が解けて良かったな」

「はい! あ、お兄様とかお姉様、ザラちゃん達は生きてても大好きです」

「はいはい」

 その後、見たこともない上機嫌さのアクファルが「さすおに」と意味不明なことを言っていた。


■■■


 寄りたかった場所、キュイゲレの工房に到着した。地道に繁盛しているようで、以前の鍛冶屋さんといった様子から、数打ちから特注品まで何でもこなします、といった工房にまでなっている。

 セリンに紹介されて来た時の建物は住居兼作業場程度、鍛冶屋の妖精と手伝いが少しいるかいないかといった程度だったが。

 セリンは早くも、魔都に船で送って貰ってから南大洋へ向けて出港してしまった。大損害を受けた南大洋連合艦隊の再編、中大洋連合艦隊から派遣された分遣艦隊の統制、遊んでいる暇は無い。

 キュイゲレの工房と言えばこの妖刀”俺の悪い女”。セリンと思って名付けたのだが最近のセリンは”おリンちゃんリンリーン!”と呼ぶとめちゃんこ愛想良くニーって笑って”え、何それ糞みたい”と言う。

 セリンは変わったかもしれない。からかってもキレて武器を取り出すことが無くなった。子供の相手をするのは意外に好きなようで、マリオル出港前にはザラとダーリクと肩並べて遠くに飛んでいる鳥とか、波間に一瞬見える魚の名前を当てる遊びをしていたものだ。

 少し懸念をしていたが、ザラもダーリクも弱視ではなく、何でそんな遠くのものも見えるの? というぐらいに視力は良かった。俺のメガネハゲがメガネ弱視だから遺伝するんじゃないかと少々怖かったのだが杞憂。

 遠征から帰ったら二人はデカくなっているし、前より言葉を多く覚えて喋るんだろうなぁ。

 マリオルでおいかけっこしてたらザラははしゃぎすぎて小便を漏らし、その嬉ションを恥ずかしがって隠してしばらく下着グチョグチョで走って足形が出来てたし、ダーリクとは一緒に寝て起きたら寝小便でベチョベチョで”お前寝小便垂れたのか?”って言ったら”おきてた”って返しやがった。最高だった。

 船旅が出来る年齢なら連れて行きたかった。鉄道が東西貫通していたら別経路で連れて来られた。まあ、顔にも声にも全く出さないが俺のハゲメガネが寂しいだろうとも考えてのことではある。

「ごめんください」

「いらっしゃい……ませ!」

 弟子風の青年がこちらを認めて声と姿勢を改めた。

「帝国連邦総統のベルリク=カラバザル・グルツァラザツク・レスリャジンという者ですが、注文の品を」

「はい! はい! 親方ぁ! 親方ぁー!」

 青年が工房の奥へ行き、代わりに赤ら顔の意志の強い、上位妖精が出てきた。

「毎度。早速」

 鞘から”俺の悪い女”を抜いて工房の親方に渡す。因みにキュイゲレというのはこの妖精の親方、先代でもうこの世にいない。

「大分、お斬りになられましたね。処刑では出来ない歪み、綻びばかりです。訓練は?」

「訓練だと素振りだけかな。棒切れ藁束斬ってもしょうがないので」

「肉と骨、革と金に打ち込んだ数が見えます。若いが殺した数だけなら数世代分。指揮の刀とは思えません」

「ロシエでちょっと機会があって、まあ、かなり斬りました。装備ごとやれるもんだから調子乗ったかな? 達人は刃こぼれしないって聞きますが、下手ですかね?」

「達人の定義によるでしょう。所詮はただの工夫のついた殺人棒、こなした数が物を言います」

「なるほど」

 そう言われればその通り。

「整備は後で、まず……」

 親方妖精が刀を分解し、注文した新しい護拳と柄を付けて組み立て直す。

「重さの均衡を」

「うん」

 新兵器という程ではないが、昔から好事家が持っていたような武器だ。護拳と柄が回転式拳銃になっている。所詮は殺人棒、殺せれば良いという発想で近距離戦用に一つ工夫して貰ったのだ。

 刀身自体を銃身とする物、刀身の直ぐ脇に銃身を切っ先方向へ向ける拳銃刀は美術品として見たことはあるが狙いがつけ辛く、刀剣格闘に射撃動作を交え辛いように見えた記憶がある。実際に手にして敵を殺したことは無いので想像の範疇ではある。

 作って貰ったこれは護拳の正面に銃口が向いているので普通の拳銃と似た感覚で撃てる。銃把、柄が刀のように真っ直ぐなので全く同じではないが、変に手首を捻ったりする必要はない。

「まともな拳銃ではないのでほとんど、槍で刺すような距離じゃないと当たらないでしょう」

「十分」

「火薬は弱装で、重量は最小限に六連発にしたので、強度は出来るだけ上げましたが装薬量を無理に増やすと暴発の恐れがあります」

 刀を振る。流石に製造元だけあって元の重量均衡を失っていない。当然若干重くはなっているが、刀身のブレ、腕や腰への反動は元のままだ。感覚がほとんど変わらない。撃発機構等が護拳に集中して刀本体に影響しない配置になっているのだ。

「近距離射撃と割り切り、四分割弾頭の散弾と考えております。金型もお付けします」

「散弾は良いですね。流石にこの造りで狙撃はしませんので、そう、拳で殴りつける延長線として考えます。拳銃というよりもう一つの飛ぶ拳ですね」

「なるほど」

 それから、余り使っていないけど鎧通しの方も見て貰った。こっちには単発式の撃発機構が加わった鍔と柄に取り替えて貰った。

 拳銃刀になった”俺の悪い女”六連発。拳銃鎧通し一発。前装式拳銃三丁で三発。回転式拳銃四丁で二十四発。合計三十四発。突撃兵以上の重武装にこれでなってしまったな。早く前線に立ちたい。

 この武装姿を先生に自慢したらただ笑ってた。

 ちょっと悔しいので拳銃お手玉をしたら工房の職人達から拍手を貰った。うーん、ここが野外ならお手玉しながら鞘から出したり入れたりして三十四連発断続的にぶっ放してやったんだが。

 お手玉はシェレヴィンツァから魔都まで時間を余したので揺れる船上で練習した。昔からそういう奇術っぽいのは得意だった。


■■■


 待ち合わせまで時間がある。その時間というのは夕方を過ぎる頃を予定しているので幾分気長だ。

 予約した料理店でゆっくりと昼食である。

 椅子に座って手を延ばす。

「アクファル手ぇ握って」

「はいお兄様」

 手を鉤にしてアクファルもそうして合わせる。

「引っ張ってぇ」

「はいお兄様」

 ズリズリと引き摺る。ついやってしまった。床に傷がつかないかと思ったのはその直後だが、幸いに石畳だった。

 ここではほどほどに酒をたしなみ、順番に出てくる料理をゆっくり一つずつ食べる。料理の内容はどこの民族文化という風でもなく、料理長の創作によるもので、世界中から人と物が集まる魔都ならではの、他では食べられない組み合わせの料理というのが謳い文句。実際、食べたことのないような料理ばかりで目鼻と舌に新しかった。

 ここにナシュカを連れて来て料理の種類でも増やして貰おうかなと食べながら考えたが、ナシュカはナシュカで十分に工夫して色々出しているから余計なお世話だった。あとでさりげなくおっぱいを触ってやろう。

 この店は上流階級も中流階級も入れるような敷居の店だ。豪勢に専属の楽団が、とまではいかないが、そこそこ選ばれた者が演奏を流して客に聞かせるような仕組みになっている。

 もう少し下品な店だと裸のお姉ちゃんが踊るのだが、ここは至って上品である。と思ったが腹を出した派手な衣装を着たお姉ちゃんが曲に合わせて踊りだしたので少々衝撃的。

「先生、あれ何? 見せていいの?」

「南のロゼルファーン周辺の伝統芸能だな。あっちは女が肌を晒すなんてことは気候もあるが無いんだが、わざわざそれを見せるというところが特別、金を払うだけの価値があるということだ。それに、見せるだけあって上手いだろう」

「はい。でも腹だけ?」

「それは違う店で見ろ。話だけだが、追加料金を出せば、だけ、じゃ済まない店もあるらしいな。流石に縁が無いから案内は無理だが、してみるか?」

「先生連れて行ったら店が困りますよ」

「うむ」

 因みにアクファルは踊りに全く興味無し。ルドゥ達は外と中で警戒待機で、人間加工衣装が人々に静かな動揺と好奇心を与え、店の人が好意で出した真水にも口をつけない。毒の可能性は無いとは言い切れないが、ねぇ?

 踊りは演奏も演出も派手で店内の拍手が大きかった。

 次に壇上へ上がったのは、腹を出していない盛装に近い飾り付けの魔都圏辺りの民族衣装を着た女性。この店に来る途中で聞いた話では剣を飲み込むおっさんの芸を見れるとか聞いたが、それは食事中に見るもんじゃないだろうと思っていた。今日はそういう日じゃないらしい。

 同じく盛装に近い飾りの民族衣装の男性が弦楽器をもの悲しげに弾き始める。女性が歌いだした。


  我々の祈りよ平和に届いておくれ、小さな幸せをどうか奪わないで欲しい

  魔なる神よ、正しき教えを信じる君を守りたまえ

  笑って送れない私の顔を振り返らないでおくれ

  あの向こう側でも夜空を見れば同じ月が見えるから

  魔神こそ全てである、魔なる御力が君を守らんことを

  魔神代理は唯一である、正しき教えに導かれんことを


  我々の祈りよ行いに報いておくれ、悲しみや憂いを分けて欲しい

  魔なる神よ、正しき教えを信じる君を守りたまえ

  老いて行けない私の今を許しておくれ

  あの向こう側でも水面を見れば同じ目が見えるから

  魔神こそ全てである、魔なる御力が君を守らんことを

  魔神代理は唯一である、正しき教えに導かれんことを


  我々の祈りよ確かに叶えておくれ、誇りある行いを無為にしないで欲しい

  魔なる神よ、正しき教えを信じる君を守りたまえ

  傷つき戦えない私の身を乗り越えておくれ

  あの向こう側でも後ろを見れば同じ故郷が見えるから

  魔神こそ全てである、魔なる御力が君を守らんことを

  魔神代理は唯一である、正しき教えに導かれんことを


  我々の祈りよ平和に届いておくれ、小さな幸せをどうか奪わないで欲しい

  魔なる神よ、正しき教えを信じる君を守りたまえ

  魔神こそ全てである、魔なる御力が君を守らんことを

  魔神代理は唯一である、正しき教えに導かれんことを

  魔神こそ全てである、魔なる御力が君を守らんことを

  魔神代理は唯一である、正しき教えに導かれんことを

  魔神こそ全てである、魔なる御力が君を守らんことを

  魔神代理は唯一である、正しき教えに導かれんことを


 一転、雰囲気が落ち込む。歌声は見事なだけに効果が強い。魔なる教え風の割りに内容は戦時流行歌っぽいが、さて? 演目の性格的に順番間違えてないかなと思ったが、昼は営業本番じゃないからと割といい加減に番手を組んでるのかもしれない。

「反戦風ですね」

「うむ……君」

「はい」

 先生が給仕中の店員に声を掛ける。

「あれはいつ頃から歌われるようになったのかな」

「えー、彼女があの歌を出すようになったのはアッジャールの侵攻後だったと思いますが……いつもはあんな感じの歌ばかりじゃないんですよ」

 やはり反戦風なのが魔族様に悪かったんじゃないかと店員がちょっと言葉を足す。

「そうか、ありがとう」

「いえ」

 給仕が去ってから先生が口を開く。

「平和な世なら作られない歌ではあるな」

「先の第百二十四次対聖戦軍戦争、アッジャール、パシャンダ、アレオンと大内海周辺の戦争と始まって、少し経つ龍朝天政とこれが全部二十年も経たず、世代交代もようやく一回したかというところ。うん、厭気が差すのも無理ないですね」

 歌い終わった女性歌手、目の端で注目してみたが、あえて先生には視線をくれようとしなかった。この目立つ角つきで翼がうるさいトカゲババアを、である。間接的に恨みがあってもおかしくはない。親兄弟がヒルヴァフカ戦線で死んでいてもおかしくない。

「今更ながら戦争の時代だな」

「やったぜ」

 おっと、本音が出ちゃった。

「今の歌聞いていたか? 私が人間だった頃で連れが違ったなら泣いていたかもしれない」

「アクファル」

 ちょっと妹の意見を聞いてみよう。人間嫌いが判明したところで面白い言葉が出てくるかもしれない。

「農民が泥を被った弱い歌」

 おう、その言葉が出るか。

「ルドゥ」

「何だ大将」

 こいつ、話しかけないと呼吸しているかもあやしい。

「お歌の感想聞かせて」

「緊張が強かったから何か行動するかと警戒したが武器は装飾の中にも確認出来ていない。暗殺の意図は無いと判断した」

 おう、マジかよ。

 そういえば女性歌手が出てきた時にちょっとだけ偵察隊員が配置換えしてた気がするな。こいつら怖いよ。いっつも殺すことばっかり考えてんのかよ。


■■■


 腹と舌も満足、少量の酒で心も安定。

 道すがらの観光名所の説明を物知り婆さんから聞きながら歩いていると、凄いのがドンチャンチキチキとやかましくやって来た。


  赤帽党! 赤帽党! 頑張る党派よ赤帽党!

  赤帽党! 赤帽党! 飽くなき闘魂赤帽党!

  石を砕くよ赤帽党!

  鉄を穿つよ赤帽党!

  勝利前進赤帽党!

  勇気凛々赤帽党! はい!


  赤帽党! 赤帽党! 漲る力よ赤帽党!

  赤帽党! 赤帽党! 愛と正義の赤帽党!

  熱き血潮だ赤帽党!

  猛き心だ赤帽党!

  先端充填赤帽党!

  先端充填! 赤帽党! はい!


  赤帽党! 赤帽党! 火照る身体よ赤帽党!

  赤帽党! 赤帽党! 出来る爆発! 赤帽党!

  強いぞ強いぞ赤帽党!

  凄いぞ凄いぞ赤帽党!

  赤い帽子の赤帽党!

  帽子が赤い赤帽党! はい!


  赤帽党! 赤帽党! やれば出来る子赤帽党!

  赤帽党! 赤帽党! やっぱりこれだよ赤帽党!

  入ろう入ろう赤帽党!

  おいでよおいでよ赤帽党!

  初心者歓迎赤帽党!

  居心地最高赤帽党! はい!


  赤帽党! 赤帽党! わっしょいわっしょい赤帽党!

  赤帽党! 赤帽党! わっしょいわっしょい赤帽党!

  どんどんどんどん赤帽党! はい!

  それそれそれそれ赤帽党! はい!

  どんどんどんどん赤帽党! はい!

  それそれそれそれ赤帽党! はい、もう一回! はい!

  *以下繰り返し


「赤い帽子を買って下さーい!」

「売り上げは悪い奴等をやっつけるために使いまーす!」

「赤い帽子はどんな値段でも構いませーん!」

「売り上げは悪い奴等をやっつける武器に使いまーす!」

「赤い帽子は大人用、子供用がありまーす!」

「売り上げは悪い奴等をやっつける旅費に使いまーす!」

「赤い帽子は先端に漲る赤き熱い血潮でーす!」

「売り上げは悪い奴等をやっつける未来に使いまーす!」

 赤い帽子の妖精達が綱で引いて、押して歩くザガンラジャードの着色御本棒丸出し山車が楽団と、屋根に歌というか絶叫を繰り返しながら踊る者――チェカミザル王ではなかった――を乗せて進む。それに売り子達が手押し車に赤い帽子を山と積んで後に続く。

 戦費を寄付金で集めつつ、布教し、そして楽しさで戦時協力の雰囲気を作り出している。赤帽子は道行く人々に売れていく。入党するかどうかはともかく被る者もいる。

 この凄いのは宗教学者だとか心揺する歌手だとかを全部デカい棒で吹っ飛ばす。霊力が強い。

 耳に残る。これはしばらく頭の中があの血圧上がりそうな赤帽党歌に染まる。

「あれがアウルのやり方か。凄いな、あの勢いは知らん」

「先生でも?」

「イカれのジャーヴァルでも随一だろう」


■■■


 諡号同然に”魔帝”と呼ばれた男がいる。名をイレイン、魔都にその巨大で壮麗な墓があり、イレイン廟と呼ばれる。

 普段は彼を尊敬する者が墓参りに来て献花をしたり、その見事な庭園と建物、装飾された壁と窓に硝子、天井を観光に眺めに来るものだが今日は誰もいない。夕方なので一般客訪問お断りに灯火が、警備員が巡回する程度に落とされていることもあるが、管理組織協力の下に人払いをしてある。個人的な話し合いなので先生もアクファルも外している。

 少々待ち合わせの時間には早かったか?

 日没時の神聖教徒の礼拝呼びかけの朗々とした声が遠くから響いてくる。聖皇ではなく魔神の権威を認める魔神典礼派だったかな?

 中を眺める。凱旋門と違い、時代と様式が異なるのか浮き彫りにしたような彫刻が一切無い。無数の青色を使ったタイルで幾何学模様や魔なる神を奉る祝詞が装飾筆記体でびっしりと描かれており、その装飾で星を描かずに星と見せて全ての北天の星座が眺められるようになっている。美しさもあるが、手が込み過ぎていて眩暈がする。眩暈がする眩暈がするほどの美しさ、といったところ。日の入り方によっては青い装飾硝子窓が室内で乱反射してより一層現実離れをした光景が見られるというが、今の時間はその青が極まる時間ではない。後で見たい。

 イレインの遺骨はこの廟に納められていない。死後に、後から葬られた愛馬や愛用の身の回りの品、それからその妻達や、別に廟を建てられるような存在ではなかった子供達の遺骨である。

 そのご本人の亡骸はというと消失したわけではなく、魔族の種となって別に魔導評議会が絶対に一般人が立ち入れない、近寄れもしない、場所も分からない場所に安置されている、らしい。

 魔導評議会の定義だと魔族の種というのは死んだのではなく死なず永遠になった存在なので、一応は死んでいないということになる。その割に廟だなんて墓を建てているのは、彼の出身地の王族の葬り方であり、それを尊重した形を取っているからだ。一元的に考えなければおかしなところは何も無い。

 イレインは魔神代理領が大氾濫時代と呼ばれる苦しい時代を迎えていた頃、五百年程度昔の男である。出身は魔都圏の東、ジャーヴァルの北にある広大なキサール高原の何処かと言われる。決まった放牧地も持たない寄る辺の無い遊牧民というか、馬賊だったらしい。

 大氾濫時代は魔神代理領が大災害に遭い、失地を繰り返し、共同体からの離反が相次ぎ、そうではなくても交流が途切れて統制外になった地方が無数にあった時代。国難であり、大英雄が誕生する土台が整っていた。平和を謳歌している時代に大英雄は誕生出来ない。

 まずイレインはほぼ単身で名も無い武装集団、馬賊を組織。義賊的で民衆に人気があったらしく当時のキサール高原にいた部族王に登用されて活躍し、余りにも優秀ということで王の娘を嫁に貰って、王の死後に跡を継ぐ。その部族王はあのバルハギンの男系の曾孫と言われていたらしいが詳細不明。記録にもまともに残らない小部族だったのだ。

 キサール高原は当時群雄割拠の時代で、優秀なイレインは次々と周辺部族を服属させて遂に高原を統一し、まだ魔神代理領共同体傘下には無かったジャーヴァル地方に攻め入って北部を統一し、ジャーヴァル帝国を創り上げた。現在のジャーヴァル帝国もこのイレインの直系王朝なのでイレイン朝ジャーヴァル帝国とも呼べる。

 イレインがキサールの大王――バルハギン論理で皇帝を名乗るに至らないので――にしてジャーヴァル皇帝になると宣言した時、彼に帝冠を授けたのは当時の魔神代理領の宰相であった。この時、戴冠と同時に大王国と帝国が魔神代理領傘下に入ると宣言がされた。戴冠した時には今日、名前も無く”帝都”とだけ呼ばれる場所に遷都した。魔都や聖都のようにあえて固有名詞を付けないことで格別感を出す心算だったとも言われる。

 当時イレインの帝国は広過ぎて統治機構に大きな問題を抱えていたと言われる。公式見解では魔なる神の教えに導かれて、とか言われるが、現実的には過剰拡大を解消するために魔神代理領からお手軽に優秀な官僚を輸入するためだったというのが一つの非公式見解。

 落ち目の魔神代理領を救ってやれば比較して途轍もない程に感謝され、庶民の出自という威光の足りない自分に、バルハギンの男系の娘の婿という以外の肩書きを付け加えたいと思ったというのも一つの非公式見解。

 寿命に限りを感じて恐れ、不死の業を捜し求め始める権力者の病に罹って魔族化に惹かれたというのも一つの非公式見解。

 強くて功績を残せれば何だって良いというのは実は公式見解。

 戴冠して一年あまり――実際はどうだったか不明だが――人格申し分なく術の才能も知見も十分ということで魔導評議会の決定により、息子にジャーヴァル帝位を譲った後で魔族となる。

 魔族化直後にイレインは初代”大”宰相に就任する。そして初代親衛”軍”長官にも同時に就任した。その時の魔神代理領は萎んでしまっていたがこれが怪我の功名、手頃に小さかったらしく政府と軍の大改革が障害少なく進められた。

 大氾濫時代前までは地方の王や部族の権限が強過ぎて、現代のように直轄州など魔都圏周辺に小さいものがいくつかあっただけだった。また軍も各国、各部族と傭兵に大きく依存して信頼性が低かった。その当時の親衛軍は親衛隊という名前で規模も小さく、遠征も出来る、今より小さかった魔都の警備隊程度であった。

 まずは財源確保のため、強行的にメルナ=ビナウ川流域の全直轄州化がされた。抵抗勢力は百戦錬磨の大軍勢と化したキサール=ジャーヴァル軍に粉砕される。多くの訓練された歩兵、砲兵、工兵に当時最新の火器、遊牧騎兵に象騎兵、大規模魔術部隊を保有した強力な軍勢だった。戦いを通じてバルハギンの帝国が東の天政から持ってきた火薬兵器をより実戦的に改良していて、現在の銃砲の原型は全てこの時代、その軍に揃っていた。

 財源を確保した後に行ったのは主君――この場合は魔神代理だが、当時は勿論実質イレイン――にのみ忠実な奴隷軍人達を中央集権的に親衛軍として組織することだった。キサール=ジャーヴァル軍の精鋭達に良く訓練させ、精鋭の中の希望者は奴隷として買い上げ、今に繋がる親衛軍を作り出した。この時に鈴が鳴る軍装も考案されたらしい。またギーレイ族が南大陸出身なのに北大陸の北部遊牧騎兵的な戦法を身に付けているのはこれが原因。

 イレインは何れ世代を重ねればキサール=ジャーヴァル軍の忠義心が薄れていくことを見越していた。重用を続ければ軍閥化することも気付いていた。

 キサール=ジャーヴァル軍にとっても彼らの直接的な利益に関わらないような戦争に借り出されれば士気は上がらないし、略奪や征服、奪還した土地に入植したり権力者として赴任することを禁止されては反乱軍にすらなりかねない不満を持つことは必至だった。この主力軍の早期切り替えは巧妙だったとされる。見習いたい。

 年代が過ぎてイレインの主力軍の切り替えが終わる。キサール=ジャーヴァル軍は時間をかけてパシャンダ征服に成功すると同時に各地へ分散、土着化していって往年の姿を失っていく。この頃にはキサール高原で発生した反乱を理由に親衛軍が、落ちぶれたとはいえかつてのキサール軍の討伐を行い、部族支配的だった高原が直轄州化されている。

 こうして士気も実力も抜群になった親衛軍は失地、離反して年月が経った地域を次々と取り戻して行く。程なく日の出の勢いに感化された当時のサイール王国、ハザーサイール帝国の前身が魔神代理領共同体への参加を表明することによって、自分が十六年前に戦った先の聖戦当時に近い領域まで拡張した。

 奪還と拡張に伴って現地の王や部族の権限は大きく奪われ、廃止されていった。拡大した領域の地方統治が難しくなることが既に見越されており、現代と肩書きは違うが大宰相、大宰相補、中央宰相、北部宰相、南部宰相、東部宰相、南大陸宰相の七人にまで宰相が増えて中央が統制する体制が進んだ。大宰相就任当初は七人も宰相格は要らないと言われていたが実力で黙らせたと公式見解にある。

 魔族となって寿命が延びたこともあるが、一代でこれら大事業を遂げたイレインは内外から大英雄と謳われ、魔神代理領における、魔神代理号を除けば最高の共同体防衛者の称号が贈られることになる。そして魔なる王の中の王――魔なる皇帝では魔神代理に張り合う形になるらしいのでここでは王と呼称、そして死後には帝号と面倒くさい――と呼ばれるようになった。その後しばらく平和な時代――地方の小競り合いはあっても親衛軍がわざわざ中央から遠路行く程ではない――が続く。

 そしてそんな元気一杯な感じのイレインが魔導評議会の秘儀によって魔族の種となり、このイレイン廟がジャーヴァル皇帝の寄進で建てられた。

 種になる理由は一つ、後進の弱き者達が強き者である魔族となるための犠牲になるというものでそれ以上の説明は公式に無い。絶頂の中で暗殺同然に種にされたというのが疑わしいところだが、百年以上生きた上に平和で暇な時代が長かったそうなので案外、飽きたというかボケてしまったという説も有力。辞職して前線へ遊びに行くにしては役職が大宰相に親衛軍長官と責任重大だし、余りにも英雄に成り過ぎていた。

 ああ、時代が合えば総統みたいな前線配置が義務みたいな風にしてしまえば楽なのにと教えてやれるのに。

 偉大なるイレイン、男のほとんどが憧れる過去の英雄。幾多の名将と戦い全戦全勝。その戦いの記録は今でも戦訓として記録されて軍の教材となっている。戦場での指揮もさることながら、心理的に敵を不利な位置に誘導してしまう機動や情報戦の巧妙さは史上指折りで、持っている軍が精強過ぎてちょっとその巧妙さが微妙に思えてしまうところがまあ、大物過ぎるといったところ。

 イレインは魔族化に際し、身体に特徴として鮮やかな青が浮き出たという。青い肌になったそうだ。イレイン廟もその肌の色を想起させるものとなっている。途轍もない量の瑠璃を、一部にサファイヤを砕いたらしい。

 以上が物知りのルサレヤ先生のイレイン解説の一部抜粋というか、自分が覚えている範囲。

 さて、細かく待ち合わせの時間を設定したわけではないが相手が見えない。

 妙に遅い、というか待ち合わせ場所は建物のどこにしたか? してなかったか? と思って廟内を歩き回っていたら、いた。

 鮮やかではないと思うが、青い肌のシャクリッド州総督ベリュデインが、外の広場にあった巨大で堂々たる姿勢で騎乗する騎馬像と違い、文官的な衣を纏って本を手にするイレイン像の足元で髪を枝垂れて崩れていた。泣き崩れる乙女といった風体で、腰は横に寝て、手は床に突いて上体を起こしているので失神しているわけではないようだ。

 もしかしたら外で箒でも使って掃除しているのかなぁ? と期待していた音が実は捜索中に若干聞こえていたのだが、ベリュデイン総督の啜り泣き声であった。

「……だったのにです。後継のためになるべきなのに今の魔族は種になるのを控えている、しかし問題山積の時代に自殺ともとれる行動は責任放棄。そもそも問題の無い時代などないのに……」

 どういう独り言だったのかは分からないが、これは声を掛けないで去りたい。

「もし」

「志高く種になった……?」

「総督……?」

「うぁ!?」

 お、びっくりした。その深刻と悲劇を煮詰めた面で大声出されると呪われそうなんですけど。

「すみません、待ち合わせ場所を間違えたみたいで、遅れてしまいました」

 ということにする。何にしても年上で、格上ではなくなったが、為政者としては先輩だ。

 ベリュデイン総督が袖で涙を拭きながら立ち上がる。

「失礼しました」

 強烈、逃げたい。何言ってやがるんだこいつ。

「いえいえ。さて、お話を。聞きましょう」

「はい」

 勿論、話をしたいと持ちかけてきたのはベリュデイン総督である。何を好き好んでこの陰鬱な男に会いたいと思うであろうか。

「アリファマの部隊、活躍しているようで何よりです。爆薬化呪術の発見はこちらでも驚いております。環境が変わったことが良かったのでしょう」

「ええ」

 うん。

「教導団規模にしたいそうですね」

「定型魔術の教育もそうですが、その秘密の秘術使いも出来れば多く育成して欲しいので」

「グラスト魔術戦団、中核構成員は無理ですが、お貸ししましょう」

「こちらとしては願ったり叶ったりですが、よろしいので? 秘密にしている懐刀でしょう」

「私の下で無為に燻っていても持ち腐れです。むしろ是非。アリファマの報告を聞けばそれが正しい」

 え!? アリファマって報告出来るの?

「そうして頂けるのであれば、会議が終わったらザカルジンに上陸してそこから作戦に参加するので、えー、彼らは今どこに?」

「魔都におります。編制に装備は完了済み、直ぐにでも出せます」

 本気で貸す気だ。むしろ無理矢理にでも連れて行けと言わんばかりである。もう出発準備整ってますので、さあ連れて行きますか? どうですか? だ。

「でしたら一緒に連れて行きましょう。それからですが……」

「秘術式高熱短剣。お見せします」

 うん?

 ベリュデイン総督が一本の、呪術刻印と思しき彫刻がある鞘に収まった短剣を手渡してきた。

「刀身が触れた熱を触媒に更なる高熱を作り、その高熱から更に超高熱を生むという循環により一瞬で大型生物をも熱死させます。刀身が融解する温度まで上がらないようになっています。相手を殺す時以外は念のため専用の鞘に収めておいて下さい。刃が一瞬触れて切り傷になる程度の接触面積と時間ならばその箇所が煮えます。常人ならば戦闘不能となるのに十分。刺して抜いたという手応えがあるぐらいの接触ならば龍人とて絶命しましょう。駱駝への実験では腿でも一突きでした」

「ありがたく頂戴します」

 龍人も殺せる上に、呪術とも魔術とも違うらしい秘術の道具をくれるとは、性能実験はするけども有難いことである。あるが、はっきり言うか。

「総督、本題を。贈り物は嬉しいですが、話がこちらに対する提案であればそれで承諾しやすくなるというわけではないですよ」

 言っちゃった。

 ベリュデイン総督が、泣きそうになって顔をしかめる。ルサレヤ先生、助けて!

「私に、あと少しでも貴方のような剛毅さがあれば……!」

「いえ、ただ無礼なだけで」

「いえ、失礼しました」

 ベリュデイン総督がまた顔を袖で拭ってから深呼吸をする。これは凄い言葉が聞けそうだ。

「魔なる神の眷族、故に魔族。これはおこがましい名前です。魔導評議会の祖たる者達が驕ってつけた名です。まるで自分達が神の一部、神の係累だとでも言わんばかりで、その神性を己が物にして人を謀り、操るために吐いた嘘です。所詮は人間で、人間から少々変質しただけの、魔なる人、魔人と呼ぶ程度が相応しい。あまりにも魔族を神秘的な存在にし過ぎています。これは名前の付け方を間違った、いえ、付けた当時はその神秘性でもって強力に指導するのが正しかったでしょうが、これからはそれが間違いになると確信しています。もはや子供でも銃を使えば魔族を殺せる世界になって久しいのです。強いことこそが証明であるのに既にそこまで強い存在ではなくなりました。その弊害、老いた害とでも言いましょう。古き魔導評議会が魔族の種を出し惜しみし過ぎています。己の権益、益というのは違うかもしれませんが、その権威や権利を守る思考に固まり、世を導く使命を勘違いしています。忘れているのならば思い出させるか教えれば良いのですが、勘違いしているのが厄介なところ。これを正さなければなりません。説得ならねば力で通す他ありません。魔族ならぬ魔人の拡大と、多少は強き者である魔人の務めとしての従軍、戦力化が今の世に必要とされます。これは既に方針として定められていますが遅々として進んでいません。妨害されています。ですからこの件を今回の臨時会議で実行性のあるものにと考えます。私は大宰相アークブ=カザンの息子ダーハルへの解任を発議し、そして私が次回定期御前会議までの二年間、大宰相を務めてその不正を正します。魔導評議会議長アレメットのバース=マザタールの魔族化に対する消極性を押さえ付けるにはこれしかありません。しかし!」

 喋りながら顔が近づいてきて、もうちょっとで触れそう。

「今のままでは弱いのです。通す力、お借りしたい。今、共同体の最強は紛れもなくあなたです、ベルリク=カラバザル・グルツァラザツク・レスリャジン総統……共同体の防衛者よ」

 共同体防衛者の称号を持つイレインの力を継承する青い肌の魔族ベリュデインが大宰相を目指し、イレイン廟にて自分にお願いをしながら、肩を掴んで共同体防衛者と言う。

「即答しかねます」

「はい」

「根回しの段階で私の名前が使えないということでもあります」

「はい」

「会議が始まる前までには返事を出します」

「はい」

「考える時間が惜しいのでこれで」

「はい」

 イレイン廟を、ベリュデイン総督を残して去る。

 玄関のところで黒獅子頭のガジートが何も言わず、最敬礼で見送ってくれた。日は落ち、街灯が地面を照らす。

 頭を冷やさないと相談する言葉も出てこない。

 先生と針無しの知恵釣りでもするしかなさそうだ。根がかりしたまま上がるか怪しい。


■■■


 ルサレヤ邸の射撃場でお手玉射撃をする。命中率が上がるまで撃って整備してを繰り返す。

 そして精神集中が終わってから先生を釣りに誘った。

 スライフィール人街にある運河に面した堤防へ行く。

 船が行き交うが、メルナ川を下って南へ向かう貨物船の数が多い。それから東方物産と見てわかる品を積んだ船が見えない。東大洋様式の帆船は、皆無ではないが余り見かけない。

 先生と肩を並べて地面に座り、魚ではなく知恵を釣る竿から錘だけが付いた針の無い糸を垂らす。

 新大陸産の紙巻き煙草に火を点けて咥える。先生はいつもの、煙管に香木を詰めて硫黄香る魔術で着火して吸う。硫黄の臭いってうんこだよな。

 夏だから日差しが強い。口の硬いギーレイの獣人奴隷が日傘を持って我々を太陽の光から遮る。

 猫頭の獣人奴隷が冷たいお茶を淹れて横に出してくれる。普段ならありがとにゃんにゃんと言って悪戯するのだが、する気分ではない。

 何と言おうか迷う。

 集中したつもりだったが、良い知恵は釣れるか? 竿をしならせると錘の手応えだけ。

「まずは普遍的な助言だ。自分の得になることと得にならないことで迷ったならば得になる方を選ぶべきだ。発揮したい自己犠牲による損失もその得になる、に含まれる」

「魔族、数が多いのは問題ですか?」

「勿論だ。歴史が証明する」

「百人に一人がなるというなら拒否するのは分かる。一万人に百人も分かる。一億に一万人が魔族になるのがいけないんですか? 生殖能力が欠如するなら作ってから成ればいいし、少数がなるだけなら大勢に影響しません。子供の生まれる数が多少減るにしろ、その一万人分の力で死ぬ数は減らせるのではないですか」

「魔族が多い時代が問題なのだ。順を追って説明しよう。魔族とは優れた哲人で学者で軍人という印象だ。神がかった存在として地方で神のごとき王として振る舞うことが出来る。それ故に、力と権力と名声に溺れ、長い寿命が賢者をも腐った暴君に変えることもある。魔神代理領はそれで何度か衰退の時期を迎えた」

 あ、長話が始まった。

「三千年の昔、ズィブラーン暦一千年記念とほぼ同時に初代魔神代理がお隠れになり、混迷を迎える。最初の一千年、奇跡のように平和で繁栄を謳歌したと言われる……というか歴史資料の少ない半分神話の時代、黎明時代。その一千年の世紀末の言い知れない不安感が余計に煽り立てたとされる。この時代を乗り越えるためと過度に魔族を増やすことになり、当初はそれで良かったがその後に腐敗した。各地に魔族政権、軍閥が台頭した。ただの人間の政権ならばそこまで酷いものにはならなかったが、なまじ寿命が長く政権が安定し、知識と経験が豊富で老獪で、百戦錬磨故に争いに強く、そしてその異形の姿故に人心を掌握した。それぞれに強く、小さくまとまっており、まだ初代魔神代理の記憶が薄まる前の頃、そして次代の現在の魔神代理の求心力が低い頃のことだ。我こそが魔神代理を担ぎ上げて実権を握って次の千年帝国の覇者になろうと競い合った。これを魔神代理領の時代区分における戦国時代と呼ぶ。内戦は激しく、登録戸数は一時期内戦前の十分の一にまで減少したという記録がある」

 歴史の授業になってきたな。

 半ば神話の黎明時代が千年まで。それ以前は伝承と遺跡のみの神話、というところか。

「四百年も長く――何期にも分けられるのだが省略しよう――続いた戦国時代を制したのは”神の如き”とまで呼ばれたケファール。今のジャーヴァル皇帝ケテラレイト殿が力を継いだ方だな。神の如きとは畏怖故の別称、そして己を魔なる神の力の顕現と称したためだ。不遜な別称ではあるが功績に鑑みて否定されない。彼は魔神代理を単なる象徴とし、実権を握って各地へ大遠征を繰り返した。裁兵は分かるな、国内の不穏分子を兵隊にして外国に放って治安の維持を図る策だ。戦国時代を収めて共同体内各地にいた残存兵力を処分したのだ。ケファール殿は容赦が無く、遠征に出ないように反抗する者は族滅に粛清した。遠征先で敗北したならば勝つまで何度も送り返し、勝てばその成果を奪い取り、反乱を起こせば勿論粛清した。これで魔神代理領は多大なる出血を経験しながらも元より版図は強大となって復活した。魔族はほんの数えるほど、ケファール殿の側近に数える程に激減する。それからケファール殿の平和の時代が三百年間訪れる」

 戦国時代が千四百年まで。

 ケファール時代が千七百年まで。

「ここで神聖教会の前身になる、西側世界における帝国という概念を生み出した最初の帝国、エーランが――誕生自体はもう少し昔に遡る――領域国家として史上に現れる。ケファールの平和は長く、魔族は粛清でほぼ消え去って種として安置され、大層に戦争に弱くなっていた。外に力を及ぼす気概もなくなっていた。政治は穏やかに腐敗し、人間官僚がそこそこに好き放題をしており、絶対権力者のケファール殿は老化でボケて何も仕事をせず、させずの状態でいたのだが死にはしなかった。そこで彼の首を取った暗殺者が”魔剣”ネヴィザ。有志により国内の腐敗一掃が開始され、魔族も緩やかに増加していったのだが内戦に忙殺されていた。ここで何の邪魔もされずにエーランが蛮族や都市国家、とにかく弱小国を次々と征服していき、気付けば手の付けられない膨張を志向する大国になっていた。そしてエーランと魔神代理領が戦い、初戦は負けた。それからがこの新興大国エーランとの長い戦争の時代になり、神聖教会に取って変わるまで五百年間、互いに領土を取ったり取られたりした。この期間で魔族の戦力化が求められた。余談だが私が力を継いだ”竜王”ゴルゴド殿が、まだ勢力としてそこまで大きくなかった神聖教会の者達と戦ったりしたのもこの時代末期。アルベリーンとの対決神話が出来る頃だな。ゴルゴド殿の歴伝によれば神聖教会という新興宗教団体との戦闘記録はあるのだが、アルベリーンだとかそれを相手に苦戦したとか、ましてや退治されたなどという記録は無い」

 対エーラン時代が二千二百年まで。

「そして気候が激変して寒冷期が訪れた。海面が急低下し、今までの港が使えなくなったりしたぐらいに凄まじかったらしい。不正確な古地図ということを差し引いても今と当時の地図を見比べると海岸線が大分違う。各地で凶作が続き、混乱の時代になる。そして騎馬民族の南下だ。この頃になると鐙も開発され、あの遊牧弓騎兵が登場だ。魔神代理領もエーランも騎馬民族とそれに押し出されてきた無数の異民族達の移動への対処で疲弊する。エーランでは異民族の流入を防げなくなり、民族血筋を問わず普遍的に支配する能力に長けた神聖教会が台頭して政権を取ってしまい、帝国を解体して聖皇を頂点にする新しい体制が始まる。寒冷期はおよそ三百年続いた。初期段階ではまだ魔族も適正な比率でいたので共同体が分裂する様子は無かったが段々と増え、分権化が進む」

 寒冷期時代が二千五百年まで。地形が大激変か。ランマルカがまだ島ではなく半島だったとか言われる時代だな。

「魔神代理領は寒冷期を急増させた魔族戦力で対処して凌いだ。末期にはかなりの魔族数になっていて、今で言えば平民と貴族の差程度の割合でいた。それこそ百人の一人ぐらいな。神聖教会側はというと、ここで登場するのが聖王カラドスだ。カラドスは神聖教会の宗教的な懐柔の力と、己の武力と求心力でもって流入してきた異民族を改宗しながら従えて大版図を築きそして、彼も裁兵をしたのだろう、持て余す程の軍隊で魔神代理領と戦いを繰り広げ、カラドス存命時はこちらが負け続けた。その後は勝ったりもするがエーランの時代のように応酬が続いた程度。この頃になると気候も温暖に戻り始めたが、海面の低下はそれと同調しなかった。学者の話では寒冷化で大量の海水が凍って巨大な氷塊になるせいで海面が低下してしまうそうだが、それが極地の方で長らく解けずに残ってしまったと言う。魔術の粋を集めて作り、動かした模型実験だとそうなるらしい。さて、神聖教会との新しい戦いの時代、対聖戦軍、寒冷期明けのこの時代、辺境防衛のための軍人魔族の力が絶大になり、また魔族政権、軍閥乱立の時代へ緩やかに入り始める。外敵がいたから内戦は大人しかったがな。転機が訪れるまで二百年かかる」

 寒冷期明け時代が二千七百年まで。

「そうして各地方が魔神代理領の中央統制から外れ、一応は共同体の意識は持ちながらも各自が勝手に行動し始める。海面低下で今と違って南大陸とは地続きでな、南大陸方面で勢力圏を延ばし、ナサルカヒラを勢力圏に入れたり、東側ではハイロウにまで出張った軍閥がいて当時の天政と戦ったり、ジャーヴァル北部に政権を作ったり、タルメシャ南洋諸島まで出張った連中もいたそうだ。神聖教会と要らない摩擦を起こして何度も対聖戦軍を招いたり――自己防衛も多いが――して戦争ばかりだったが、一応は優勢に傾いていた。ただ軍閥単体が地方で好き勝手にやっているだけだから持久力が無くてな、一時的に支配地域を延ばしても長続きしなかった。寒冷期の影響も海面以外はほぼ消え、むしろ陸地面積が増えたせいで国力は増大していた。特に南大陸北岸部なんか今とは比べ物にならないくらい温暖な平野が広がっていた。対外戦争は多いが比較的致命的な侵攻を受けていなかったのがこの魔族軍閥時代、五百年も続いて有象無象の魔族だらけになっていた。魔族の農民、奴隷なんてのもいたそうだ。魔族のみに選挙権がある魔族共和制政権というのも流行した。最悪なのが魔族以外に生存を認めず、人間は全て家畜のような下級奴隷とした連中がいたことだ。選民意識が選挙権と共に生まれたわけだ。術の才能がある者以外は殺すということさえしたし、女には術使いを産ませるために死ぬまで出産管理までしていた酷いところもあった。この魔族共和制思想、特に魔導評議会は禁忌にしている。魔族の増加を望まないのもこの点にある。魔なる教えでは弱き者を守るのが強き者であって、強き者のみの世界、弱き者を強い者が食う世界ではないのだ」

 魔族軍閥時代が三千二百年まで。

「さて、この年代にまでなると魔族軍閥も好き勝手やりすぎて統制が取れず、ほぼ独立国家となり、内戦を始めるようになる。苛烈な政治を行った魔族共和制国家では反乱も酷かった。その隙を見逃さずに神聖教会は大規模な聖戦軍を組んで遠征させてくるようになり、そして致命的な侵攻となったのがバルハギンの統一遊牧帝国の誕生だ。中大洋沿岸部と北部での戦いは激化の限りで、有象無象の程にいたはずの魔族が死にまくった。一時は魔都を放棄するかという判断を下す程に攻め込まれたが、バルハギンの死と同時に遊牧帝国の大攻勢は終わった。神聖教会側も遊牧帝国の大攻勢を受けて聖戦軍どころではなくなっていた。そしてバルハギンの後継勢力による地方政権乱立、聖戦軍残留政権、中途半端に戦いが終わったせいで解体されなかった魔族軍閥、それらが入り乱れた魔神代理領の第二の戦国時代、外部勢力が多く混ざっていた上に、この時に海面が元に戻って沿岸部が崩壊し、古い海岸線に戻るという天災に見舞われ、異常気象が続いて各地で凶作になるという事態が起こる。この時代を大氾濫時代と呼ぶ。この海面上昇に大内海も連動してな、メルナ=ビナウ川が大氾濫を起こして魔都圏が壊滅状態に陥ったことと、異民族の侵略やら内戦やら、悪いことばかりだったから合わせて大氾濫と名づけられた。”魔帝”イレインによる大改革、統一拡大が完了する百年が訪れる二百年間をその時代としている」

 大氾濫時代が三千四百年まで。

 イレイン時代が三千五百年まで。

「私が若い頃、スライフィールがまだ東西に分かれる前だ。丁度南大陸と北大陸の地峡部に住んでいてな。年々、当時はもう大分上昇していたが、潮汐で流れが変わる潮の川というのがあったんだ。枯れることもあってその時に潮溜まりに魚を獲りに行ったりとか楽しかったもんだ。毎年のように幅も勢いも増して、今のあの大陸海峡が削れて出来上がるのを見ていたんだ。あれは凄かったぞ」

「そういう細密画があるってのは聞いたことがあります」

「うん、あの迫力は、ちょっと古い記憶だから正確とは言えないんだが、轟々と唸ってな、凄かった。街が海水の洪水で吹っ飛んだ時は感動どころじゃなかったがな。そうそう、”海の賢者”アスリルリシェリ殿と友達になったのも大陸海峡が出来る頃だ。氷土大陸側の海域にいる水竜と意思疎通に成功して、まだ浅かった大陸海峡を通って魔都に連れて行って紹介する途中だったか? そうだ、そうだった。うん、懐かしいな。魚頭だとか蛸頭だとか、今でこそ水棲種族は我々の友人だが、彼女が意思疎通に成功するまではただの化け物扱いだったからな」

「まさしく海の賢者なんですね」

「そうだ」

 何故か先生が自慢げ。因みにその力を継いだはずのおリンちゃんは全く賢者の風味が無い。

「前から思ってたんですが、魔族の種のそのあだ名、絶対につけるんですか?」

「魔族は寿命が長い。種になれば更に長い。人の名前の種類は人の数より遥かに少ない。区別しないとどこの誰だか分からなくなる。あとは伝統だ」

「なるほど」

「そしてイレイン殿が種になり、およそ現代に至るまでを近代とする。シャミール殿が大内海を統一し、サイール王国が神聖教会の名将エンブリオの侵攻を食い止めてトゥリーバルを取り、ムピア王国を支配下に置いて内陸黒人政権の多くを従えてハザーサイール帝国を名乗り、対エンブリオ戦争で高名となったダーハル殿が大宰相となった時代だ。魔族も大分減らした。そして先の聖戦、第百二十四次対聖戦軍戦争の終結からを現代とするのが学会公式見解だ」

 近代が終戦日の、因縁深いあの三千九百八十二年で、それ以降が現代と。

「緊急時の対策としては、魔族の増加は最高ではなくても最善だと思われますが?」

「古い時代ではそうだ。しかし現代、大規模化する戦争の前で魔族が増えたところで戦力比が変わるか?」

「うーん……難しいところですが、ルサレヤ先生ぐらいだったら十分、攻城兵器として有用ですが」

「今現代で本当に戦力になれる魔族というのは限られる。その上で政情不安を呼び込み、選別しないで魔族化させたアホを長生きさせ、いずれ老害となるような存在を増やすというのか?」

「官僚や政治家、権力を持つ側に登用しなければ良いのでは?」

「誰が止める? 初めの頃は大体、気持ちが新鮮で良く働くが、いずれ腐り、寿命が長くて上り詰める機会が多く、死なない」

「では粛清か、死ぬまで突撃させましょうか。終戦間際に背中でも撃ちましょう」

「……その手……」

 先生が言葉に詰まって困った顔をする。まさか魔族を使い捨てのゴミ兵みたいな扱いにするというのは考えることも、想像すらもしてこなかったのだろう。

「任せて貰えれば出来ます。いくら優れようとも魔族、頭に銃弾を撃ち込めば死にますし、そんなあけっぴろげに狙撃する必要も無ければ、激戦で消耗して大分数も減りますし、それでも生き残れば後見人つけるなり、後で暗殺するなり、別の戦争に投入したり、いくらでも方法があります。それこそ、彼の言葉を借りますが、魔なる神の眷族などとおこがましい、所詮は魔なる人と割り切ればよろしいでしょう。ケファール、イレイン、同じ考えだったのでは?」

「うむ……」

 悪戯に、というぐらいに先生が煙管を吹かし始めた。とりあえずこれはこれで良し。自分の答えが、この部分だけは出た。

「魔族を増やすという議決がされたと聞きましたが、彼の口ぶりでは全く実現していませんが」

 一応、ベリュデインの名前は外では出さない、彼とする。先生は勿論分かっている。

「増やすというのは選抜作業を増やしたということだ」

「それは反故にしたも同然です」

「基準の緩和は……現状有り得ない」

「現状が変われば?」

「勿論、変わった通りになる」

「ありがとうございました」

「……そうか、老害が老いた害を語っていたのか……」

 そうじゃないとか何とか、言いたいようで出来なかった。


■■■


 釣りの後にベリュデイン総督へ返事を送った。

 後は影響力の問題なのだが、寝るに寝られず夜まで寝台で寝返りを打っていると転機が訪れた。魔都中、そして世界が騒ぎになったことだろう。これは最大限利用せざるを得ない。

 しかしこの時期というか、今日この日に見えるというのが運命的過ぎる。蒼天ならぬ玄天の神に祝福されているのかと勘違いするに、確信するに障りが無いぐらいだ。

 本当にどうなっている? 専門家ではないのではっきりとは知らないが、一応は長期であるものの周期的だったような気がするが。

「クトゥルナム!」

 夜のルサレヤ邸。騒ぎで皆が起きているので遠慮無く大声で呼びつける。間もなくやって来た。

「はい、只今」

「玄天の占星術の腕前、見せどころだ。魔都に使える者達はいるか?」

 クトゥルナムが自信有り、と頷く。

「ケリュンの、仲間、ところ、へ、行って、来ます」

「よし」

「これは、本当に、凄い、と思う、です」

「だな」


■■■


 前回の定期御前会議は三年前。今回開かれるのは臨時御前会議である。

 定期ではないので臨時案件しかなく、即決するかしないか程度の話し合いしかしないそうだ。

 不思議な見た目の岩窟宮殿へ出向く。お供は秘書局長のルサレヤ先生。頼もしい。

 やはりまた気付くことがあるが、自分が勝手に岩窟宮殿と頭の中で呼んでいるこの物体、一枚岩っぽい感じだが、宮殿と言うと変な感じに思えてきた。巨大な柱が支える屋根の下のこの物体、人が居住したり作業したりする建造物ではなく、むしろ生物とかそのような……これ、魔神代理の体? デカ過ぎないか? 違うか。

 ランプが掛けてある横穴を潜って進み、下り坂を進みきれば会議場。通路一本、部屋一つ。内装工事をしたような形跡は無く、ランプが掛かっている内壁も鉤を釘で打ちつけているようなものではなく、突起状の何か、骨? に引っ掛けているだけなのだ。

 会議時の円卓――これも見れば分解、組み立て式――の席に着く。着席場所は名札が置いてあるから迷わない。席の後ろには先生が立った状態で控える。まだ気後れ感がある。

 続々と面子が揃ってくる。臨時とのことで集まった顔は代表代行が多い。身近な知り合いではウラグマ総督はイスタメル州から動いていない。東方有事であるからこそ西方防衛の任が重要だからだ。

 円卓上席に七人の宰相が、いまいち位置の掴めない二代目魔神代理の御前にて着席する。定期御前会議の場合はここで大宰相が着席せずに任期継続審議に入るが今回は違う。

 大宰相はあのアークブ=カザンの息子ダーハル。赤茶色の人型甲虫といた様相。

 宰相序列二位に魔導評議会議長アレメットのバース=マザタール。簡素な衣を纏った動くミイラの様相。眼球が無い。

 宰相序列三位の財務長官。宰相序列四位の内務長官。宰相序列五位の外務長官。宰相序列六位の軍務長官等は普通の人間に見える。

 宰相序列七位の親衛軍長官アスタムス。それぞれ赤、青、緑、黄の、目が四つある。

 それに魔都財務長官が加わり、魔神代理領中央政府代表の面子八名となる。

 次に大内海連合州総督を筆頭にし、イスタメル州総督、メノアグロ州総督、ヒルヴァフカ州総督、セパルタス州総督、イプサス州総督、ハルワーカ州総督、シャクリッド州総督、スラーイーア州総督、ガザリー州総督、ラジャフラ州総督、ディマジュ州総督、ルハリ州総督、ロゼルファーン州総督、サラファム州総督、レスリーン州総督、シレーラール州総督、アレメット州総督、東スライフィール州総督、西スライフィール州総督、ミルヤーフ州総督、ナサルカヒラ州総督、グラスト州総督、イュルミエ州総督、キャスヴィン州総督と多くの魔族が並ぶが、辺境配置にある総督はほとんど欠席の状態で代表代行が座っている。顔見知りとしては勿論あのベリュデイン総督が目に入る。

 中大洋大提督は欠席で代行が座る。ロシエ帝国と神聖教会が、魔神代理領が東側に戦力を傾注している時に悪さをする可能性があるので現場を離れる余裕が無いのだろう。

 筋骨隆々な四肢に翼の、蝙蝠と竜の中間のような姿の南大洋大提督ラスマルは出席。艦隊が大損害を被ったのでその復旧努力の一環だろう。

 妖精軍管区総代表は勿論チェカミザル王だが、赤帽軍遠征作業が忙しくて不在。御前会議初の妖精着席者はその代行となっている。

 ジャーヴァル帝国の代表代行は皇太子ザハールーン。今上の臨時皇帝ケテラレイトの威容と比べてしまうところがあって、ちょっと物足りない感じがするのが可哀想と言えば可哀想。

 ハザーサイール帝国の代表代行は皇太子ではないそうだがかの有名な”トゥリーバルの土人形使い”ことイバイヤース皇子。椅子にはちょっと姿勢を崩して座っている。

 ザカルジン”大”王国の代表はダディオレ王。個人的な所感としては国内で帝国を名乗り、国外へは一応控えめに大王国と名乗ってしまって、この会議場に来て後悔している顔をしている。玉座で臣下に囲まれて言うのと、代行こそ多いが揃いも揃った面子の前に言うのでは話が違う。これも可哀想なおっさんだ。

 後は先生に詳しく聞かなきゃ分からないような組織代表が並んで着席する。法典派、開悟派の宗教代表もいるのかな?

 各自の秘書等がその背後に立ち、代行が穴埋めすることによって欠席者無し、ということになる。

「魔神こそ全てである。これより臨時御前会議を、魔神代理より俗なる法の執行を託されし大宰相である我、アークブ=カザンの息子ダーハルが御前にて開催を宣言させて頂く。それらは魔なる教えに基づいて進行せねばならぬことを列席の各々方は努々忘れぬように。それは良き明日を子々孫々に贈るためである。以上を臨時会議の開催宣言とし……まずザカルジン国の共同体加盟審議から執り行います」

 ダーハル大宰相の口調が変わり、始まった。御前会議はかなり進行速度が速い。ゆっくりしていられない程だ。

「加盟に対して反対の方がいれば挙手、それから理由を述べて下さい」

 手が挙がらない。

「では加盟を決定しますが、反対の方はいませんか?」

 ダディオレ王が冷や汗を流す。そう、まだこれはザカルジンの加盟だけで、国号の審議とは別なのだ。

「いないようなので議決します。次、ザカルジン国の国号認定です。国内では帝国、国外では大王国と号し、多くの諸外国からは王国とされています。まず、帝国号は魔神代理領基準に満たず、共同体加盟が議決された今では否定されます。であるから大王国か王国か審議に入ります。ではダディオレ殿、国号について発言を」

 ダディオレ王が立つ。一応、これから帝国連邦の後ろ支えをする一角になる。擁護してやる用意はあるし、事前に助言もしてある。頑張れ。

「それでは。昨今の王号の権威は下降しております。西の神聖教会圏では王号が濫発されています。東の天政の方では冊封の王国が自主権も無く存続しています。単なる王とは部族長や地方長官と同義になっている世情と考えます。古くからそういった意味合いではありましたが、しかし以前までならばその権威はその周辺を遍く照らす小さな帝国のようでした。王の上には神しかいない意味での王です。新しくはその権威は名が冠される人と土地に厳正に限られており、領分を越えることにおこがましさが感じられます。王ごときが領域を跨いで影響力を行使するとは何事かという有様です。外交上でも属臣扱いを避けられません。そこまで我がザカルジン、矮小ではありません。であるからザカルジンの国号、王では不足、大宰相の指摘通りに帝には届かず、大王とします」

「それでは大王号に対して反対の方がいれば挙手、それから理由を述べて下さい」

 手が挙がらない。

「ではザカルジン大王国を正式な国号と認定しますが、反対の方はいませんか?」

 ダディオレ、目を瞑る。ちょっと笑いそうになるがそれは流石に失礼。

「いないようなので議決します」

 ホっと、ダディオレ大王が席につく。大王ですら小物扱いがこの会議だ。

「次、臨時予算案について。我等が共同体は相次ぐ戦争で厳しい財政状況に立たされています。国債の返済額は膨大であり、龍朝天政との間に行われる、おそらく長くなる戦いに掛かる戦費は更に膨大となるでしょう。現行の予算では耐えられません。各自には戦時国債を超低利で可能な限り買って頂きます。尚、ジャーヴァル帝国、帝国連邦、ザカルジン大王国、大内海連合州、各妖精軍管区等の直接戦闘参加国に対してはその資金で支援するので買う必要はありません。反対の方がいれば挙手、それから理由を述べて下さい」

 イバイヤース皇子が手を挙げる。お?

「反対とまでは言わないのですが、別の案件に資金を回して余剰分が無いから買えませんって言っても大丈夫でしょうか?」

「それが今必要とされる案件に対してならば理解を示しましょう」

「そうではないのなら?」

「共同体に仇なす存在が共同体に存在することは許されません」

 イバイヤース皇子は、私は手を下げましたよ、と見せるように演技して手を下ろした。

「いないようなので議決します」

 これが軍閥乱立時代だとか、中央政府に素直に従うような直轄州が少ない時代とかだったらあれやこれやと紛糾、内戦にすら発展するんだろうと想像が出来る。うん、魔族少なくていいんじゃないか?

「尚、臨時会議で決議し強制する事項ではありませんが各自、財政状況などと勘案して増税、債権発行、資産売却等で資金を作って買って頂きたい。次」

 議決した、やった。この中の誰か、気付いたか? 魔神代理領、お前こそが我々の”黄金の羊”となる。

 その資金が、資金で買われた物資が帝国連邦に入ってくることになった。それらを全て戦争でぶっ放す。良い良い。

 イディルは少しだけ正しく、近視的で認識が草原砂漠に留まって狭い蛮族の古い田舎親父だった。奴はオルフやザカルジン程度のものを良き家畜と思い込んでいたがこちらは違う。この尽きぬ巨体からいくらでも黄金の毛が生え変わる黄金の羊が我々帝国連邦の家畜である。この議決を持って要求を出しに出してケツの毛がハゲるまで刈り取ってくれる。その代わりに狼から守ってやろう。

 帝国連邦は新しい形の国家と成る。国を狩猟し、国を畜産するのだ。その体制が整ってきた。この魔神代理領はそんなことが出来る前例を出したのだ。永久にこの前例を使い回しにしてやる。

 蒼天統一、領域拡張、極東打通、新交易路、民族練成、楽しい戦争のためにどうか、みんなの資金と資源を分けてくれ。血を吐いてでも頼むぜ。

「南大洋連合艦隊再編について。艦隊再編費用は先程の国債で賄いますが、船舶と熟練水夫が不足しております。以前より巨大な艦隊を作る必要性があると判断しています。各自より可能な限りの提供を求めます。反対の方がいれば挙手、それから理由を述べて下さい」

 威圧感のある南大洋大提督ラスマルの圧迫感が増す。お前等これを否定しやがったら脇に挟んで潰すと言わんばかりに太い腕がムキっムキっと動いた。

 この会議、挙手する場合は別に反対ではなくても良い。自分が手を挙げるとラスマル大提督の顔の筋肉がムキっとなった。

「タルメシャの戦いの経緯、聞いています」

 魔神代理領と龍朝天政が開戦、初戦敗北した経緯はある程度解析され、関係者に伝わっている。

 敵の総指揮は南覇巡撫ルオ・シラン。天政内戦にて外の敵を撃退し、内の敵を粛清するという難事を同時遂行して成功させたという傑物だ。天政無双とあだ名されるぐらいに戦争と謀略に長けていて、個人的な戦闘能力も一騎当千を地で行くらしい。微妙に戦争に弱い北征巡撫サウ・ツェンリーと比べて別格という評価である。

 初めにタルメシャ中で流言飛語が飛び交い、同時に政府、宗教要人暗殺事件も混じって混乱に陥る。元からタルメシャは群雄割拠の状態で混乱はしていたが、その状況が続く程度に勢力均衡が成されていた。そこに均衡を崩す仕掛けがされて抗争が激化する。

 新編された龍朝天政の南覇艦隊が、定期的な海賊討伐に見せかけて先遣艦隊を派遣。タルメシャ全域の混乱に乗じて海賊も活動を活発化すると思われたので不審ではなかった。そして十分に海域全体に艦隊の浸透がされたところで時間帯を合わせた一斉攻撃を魔神代理領籍船へ開始。ほぼ時間を置かずにタルメシャ各港へその先遣艦隊が突入し、逃げた船を追撃、停泊船を攻撃して撃破。一時的に魔神代理領のタルメシャ海域における海上能力が喪失。

 港湾突入時には龍人を含む少数精鋭の上陸部隊と、内陸側から南覇軍もしくはそれに従うタルメシャ系武装勢力が急襲を仕掛けて各港を陥落させた。タルメシャに作り出された混乱は全て龍朝天政へ有利に運ぶように仕組まれていたようで、親魔神代理領勢力は他所での抗争に忙殺され、親龍朝天政勢力は助成を受けるなりなんなりしていたようだ。

 港街の管理防衛体制であるが、攻撃前から買収工作があった様子で南覇軍の襲撃をすんなり受け入れて降伏した後に地位を現地領主が維持していたり、襲撃直前に領主や守備隊長が暗殺されて責任者不在であったりと準備が入念にされていた。初動の第一回戦は完敗、言い訳も出来ないくらいにやられた。

 次の段階。この事態に対処するためにジャーヴァル帝国軍が出撃。皇帝ケテラレイトの親征だというのだから初動対応も最初から本腰か、と思われたがザハールーン皇太子に留守預かりをさせる次いでに実質の皇位と実務の継承をやりたかっただけらしい。

 昔、ジャーヴァルに軍事顧問に出かけた時にジャーヴァルの理屈で聞かされたが、ケテラレイト帝は臨時皇帝なので早いところ化け物じゃない人間に皇位を継がせたいとかなんとか言っていたことを覚えている。皇太子の第一夫人が旧ザシンダル皇帝の皇女だから内戦からの統合の象徴に相応しいとか、何か色々あった。ナレザギーが今ここにいればあれこれ交友関係まで掘り掘りと教えてくれるのだが、その戦いの被害でやっこさんの商会の船が大層やられて大被害を出しているので被害管理のためにジャーヴァルの地元へ帰ってしまった。

 そのような経緯だからケテラレイト帝のご親征は余り大仰な規模ではなく、本隊到着までの時間稼ぎ程度の先遣軍にとどまった。そしてジャーヴァルからタルメシャまでの陸路は結構遠く、時間が掛かる。行くのは沿岸経路で海からの支援を受けられるはずだった。

 後から出撃し、先にタルメシャへ到着したのは魔神代理領南大洋連合艦隊。艦隊にて艦砲射撃と海軍歩兵を使って各港を確保して海上補給線を繋げ、後からやってくるジャーヴァル親征軍の進軍速度が鈍らないようにという計画だった。ジャーヴァル親征軍が橋頭堡を確保したら順次魔神代理領から親衛軍なり赤帽軍なりを投入ということだった。

 タルメシャの陸路、沿岸部は特に道路が未整備な箇所が多くて辛い。大軍を行かせるには平行する海路を確保しなければいけない。だから先に到着した南大洋連合艦隊が各港を占拠している南覇艦隊を撃破しようとしたのだがこれが罠、敵先遣艦隊は囮だった。所詮は先遣艦隊で本隊ではなかったと気づいたのはそれからである。

 南大洋連合艦隊は南覇艦隊の行動を警戒して艦隊を集中させて各個撃破されないように努めていたものの、港への上陸部隊支援と沖での洋上警戒隊に分かれていたところを南覇艦隊本隊に襲撃されて。目と鼻の先で分断、各個撃破されてしまったのだ。艦隊集中の原則を守っていたつもりだったのに港と港を制圧している船を囮にされて敗北。第二回戦も完敗、手並みも鮮やかである。

 尚、南覇艦隊の編制は――全てではないと言われるが怪しい――最新式の鋼鉄帆船であり搭載しているのは施条艦砲で非常に強力であるとのこと。さて、どこから技術指導が入ったかは世界地図を見ると分かりやすく、エデルトであり窓口を作ったのは聖女様だろう。遠い国と交流し、近い国を攻撃するというのは常道である。

 第三回戦はどうなるか見物である。

「艦隊は次の、そのまた次の海戦に備える必要があると考えます。新造船は木造ではならず、鋼鉄船体でなければ太刀打ち不可能です。それまで木造船で耐久する必要がありますが、膨大な損失を覚悟しなくてはいけません。さて、鋼鉄船体の開発、建材の確保、艦載施条砲の生産と艤装に訓練、大重量船の運用訓練、時間が掛かりますが今やらなければ未来で決勝も出来ません。であるから先達に頼りましょう。つまり、ランマルカ革命政府に協力打診してみましょう。鋼鉄船やそれの船員の技術と知識はあちらに先見がある」

 ムキっとした顔のラスマル大提督がなんとフワっとした。被害を受けた本人だから良く分かっている。

「そして大宰相、皆さん、その交渉権限はこちらに委任して下さい。ご存知かと思いますがあちらの交渉窓口は特殊なのでそうして頂くしかありません。また交渉の際には、帝国連邦の案件ではなく魔神代理領の案件と見做されますのでおそらく対価が求められます。対価は色々と予想できますが、一番に妖精種族の権利関係については全て諦める程度と考えてください。諦めるといっても非現実的な分離独立などしたら当事者自身が困るのでそういう面はもちろん話し合います。共和革命思想の伝播等の懸念はあるでしょうが、それについては、あちらが追求するのは妖精の生存圏確保なので、現状では極端な要求は無いと考えて下さい。では、えーと、こちらに交渉を委任するかどうか、議決しますか?」

 大宰相に尋ねる。

「では、ランマルカ式鋼鉄船艦隊建造を将来に見据えた上での南大洋連合艦隊再編のために、現状を凌ぐための船舶の寄贈、水夫の派遣を各自が行うことに反対の方がいれば挙手、それから理由を述べて下さい。それから鋼鉄船技術獲得の機会ですので各自が技師等を派遣することは推奨されます」

 勿論のこと反対の手は挙がらなかった。

 さてこれまではお膳立てではある。自分の発言権、影響力を高めるのに利用してやった。少なくともザカルジンと南大洋連合艦隊には触手が伸び、届いた。それが結果に出るかは別だが。

「案件は以上です」

「私から」

「どうぞ」

 ベリュデイン総督が席を立つ。

 ……ヤバい。こっちが緊張してきた。

 ヤバい、酒飲んでくりゃ良かったかな。心臓がバクバク言っている。蒼天ではなく今日は玄天に祈る。まあ、昼か夜ってだけでどっちも一緒なんだけど。

「魔族増加の議決、通っているのにほぼ実行されておりません。そして増やした魔族による、もしくはそれを主体とするような新規に軍編制がされていません。これは大宰相並びに魔導評議会議長の怠慢、妨害行為の結果です。現状ではそれが叶わない体制であることは明白、であるからして大宰相の解任を提案します」

 言っちゃった。言っちゃったよこの人。

 ベリュデイン総督の期待の眼差しが腹に来る。

 そして、吐いた。え?

 ベリュデイン総督が、精神的圧迫が過ぎて嘔吐した。後ろに控えるガジートが素早く対応し、水差しの中を床に撒いて、嘔吐物の回収に間に合ったのだ。

 さて、ここでとりあえず助ける。

「言葉と意味は変わりません。準備が出来てからどうぞ」

 自分の言葉で少し気を楽にしたか、ベリュデイン総督が頷いて、他の水差しの水でうがいをしてから続ける。ここで野次が飛んだりしないのが流石御前会議といったところか。高潔過ぎて感動する。

「強き者へと変化する権利には戦いへ参加する義務を与える、それで十分。魔族の軍の設立が遅れましたから今からでも、予備兵力としてでも編制すれば戦いの後半か、疲弊した戦後に間に合います。東方に限らず西方にも備える必要がある、喫緊の課題です。今の体制、考え方では間に合わないと見えます。今間に合っていないのだから今後間に合うとも思えません。次代の大宰相には決議を発案するこの私、ベリュデインが立候補します」

「それでは私、アークブ=カザンの息子ダーハルの解任に反対の方がいれば挙手、それから理由を述べて下さい」

 手が挙がる。続々と上がり、ほとんど挙がる状態。

 解任に反対する理由は手の数の程は多くない。

「有事に解任すれば悪戯に混乱する」

「次回定期御前会議で任期が満了するからそこで審議すれば良い」

「解任しなくても魔族軍案件の審議だけで良い」

「ダーハル殿と比較してベリュデイン殿の行政能力が優れているようには思えず、また優れているとしても現状を、目を見張る程に改善出来るとは思えないので解任に賛成する判断は下せない」

 である。口喧嘩はしないんだろうとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。

「魔族増加は魔族共和主義の先鞭であり、愚かだ。絶対に反対する」

 と言うのは魔導評議会議長アレメットのバース=マザタール。目玉は無いがベリュデイン総督を睨んでいるのが分かる。口喧嘩はここの担当か。

「魔族共和主義が悪辣に猛威を振るった時代と今の時代は情勢が大きく異なります。多少魔族が増えただけで揺らぐような世間と政権ではありません」

「先鞭だと言っている」

「では先鞭が付いてから抑止するように魔なる導きをすれば良いのです。難しいですか?」

 バース=マザタール、何とベリュデインに口を閉ざされた。悩んで唸った程。

 先生も言っていたが、思いのほか老いの害があるようだ。そこまで酷い言い様はしなくてもいいかもしれないが、頑固になって思考が固まっていて、良き変化を望むという魔ではない考えになっている魔族が増えているかもしれない。昔から守ってきたことを今でも守れば善政になると。

 沈黙が少々長そうなので自分が席を立って発言する。要点を押さえれば良いのだ。

「検討の難しい議論は結構。結局は魔神代理領が強くなるか弱くなるかということ。弱くなるという選択肢は有り得ません。であるから魔族軍、編制するべきです。血を流すのが恐ろしいというのならば強き者の名を返上して変な者と名乗るべきです」

「フフッ」

 誰か笑ったか? 全員の面は真面目くさってるし、背後の先生の声ではない。まさか魔神代理か?

「戦えない弱い魔族に価値はありません。ありましたら教えて下さい」

 これで止めを刺せるかな?

「魔なる神の眷族という名前に囚われて特別であると勘違いしている。強いか弱いかではなく、強い傾向にあるか弱い傾向にあるか程度の違いしかない。人間だろうが魔族だろうが徴兵し、金と資源を根こそぎ絞って出して軍を編制して戦い、敵が血に沈むまで攻撃して勝つ。ぶちのめして後悔させる。後悔する脳みそすら残さず他の奴等を脅す。血だらけの首を晒して世界に見せつける。そんな単純なことすら出来ないのなら滅ぶだけ。滅ぶくらいなら我が帝国連邦、南下して征服する。バルハギン、イディルどころで済ます気はない」

 主導権は取った。

「弱い者は手を挙げて下さい」

 会議場、別に武器の持ち込みは厳しく制限されていない。

 拳銃を、装弾を確かめてから円卓の上に置く。

「いたら殺す」


■■■


 メルナビナウ川を遡って大内海入りをする。連れや護衛の親衛千人隊、グラスト魔術戦団の多くも複数の船に分乗して行く。

 臨時御前会議は終わった。後事――かなり面倒くさいと思う――は総統代理でもあるルサレヤ先生に一挙お任せ。早くこの戦争の仲間入りをしたい。

 ランマルカに対する鋼鉄船技術教授の交渉も早期に必要。正直、交渉成立の可能性こそあるが下準備はしていない。帝国連邦海軍を将来設立した際の、その準備に向けた技術協力の約束はしているが、別件なので時間はかかりそうだ。

 既に全正面で軍は動いている。続報も入っている、

 ジャーヴァル親征軍は制海権が危うい、頼りない海路補給線に支えられてタルメシャ沿岸経路を東進中。その帝国軍本隊は準備完了次第三方に分かれる。

 一つ目は親征軍の後詰。

 二つ目は主力軍で、ジャーヴァル北東部、ハイロウより南の旧アッジャール残党が細々と王国を築いている地域へ侵攻してからタルメシャ内陸経路を攻める。タルメシャの内陸部も相当に広い。

 三つ目はタルメシャ内陸経路を行かず、そのまま北上してハイロウへ侵入する経路。これは我が帝国連邦軍に対する助攻。

 新しく編制されて張り切っているチェカミザル王の赤帽軍は、南大洋連合艦隊の再編と中大洋連合艦隊からの増援の合流に合わせてタルメシャへ沿岸経路、ジャーヴァル親征軍と同じ経路を行く。

 準備から出動まで毎度のごとく時間が掛かっている親衛軍の投入先は状況を見て、ということになるだろう。北で我が帝国連邦軍が苦戦していればこっちに重点を置き、南でジャーヴァル軍が苦戦していればあっちに重点を置く。簡単なこと。

 南の戦線がどう考えても不安要素が多い。南に魔神代理領共同体の予備兵力が投入されやすいように頑張らないといけない。

 ハイロウから龍朝天政の中枢を目指す帝国連邦軍に助力するのは大内海連合州軍の陸軍とザカルジン大王国軍。

 各州軍は現地の防衛力を考慮して適宜遠征部隊を編制して義勇軍方式的に送ってくる。攻撃より防御的な軍が多いと思われるので予備、後詰、占領地域の治安維持、撤退支援などなど二線級になるだろう。

 仮称魔族軍の編制は今回の戦争では、あれだけ煽って議決させたが余り期待しない方が良いだろう。戦後混乱期の治安維持だとか、便乗して戦争を仕掛けて来る敵に差し向けるとか予備の中の予備くらいの扱いが妥当。いくら強き者共と言えど集団戦闘訓練を受けなければ戦力と見做すのは難しい。

 あとは運を天に任せる、と言いたいが、天は利用するものなのだ。運は見つけて捕まえて引き寄せて物にする。

 魔都在住のケリュン族、玄天の占星術師達が広場にて、臨時御前会議前に発表を行った文言はこうだ。

”蒼象鷹座の北天に煌いて尾を引き、他の星々を圧倒する超等の彗星。蒼天戦国の北地に煌いて尾を引き、他の者々を圧倒する覇者のベルリク=カラバザル。両星相見えることこそ予兆そのもの。蒼と玄の空の下を今こそ手中にせよとの天にまします神の御言葉である。ベルリク=カラバザルが蒼天を縦にしようとしたその時に彗星は現れた。彗星が玄天を縦にしようとしたその時にベルリク=カラバザルは現れた。重なりし偶然、人の手には余りに過ぎる。神意以外に解釈出来ぬ。その者、紛れもなく天地星合の運命に導かれし者なり!”

 大袈裟過ぎるようで、そう言われてみると偶然にしてはちょっと出来過ぎのように思える。時期が時期だ。会議で有利に働いたと思っている。そのように風聞を撒かせた。

 後にクトゥルナムが連れて来た占星術師から話を聞くに、こういった文言は現象、年代、季節、時期、情勢、事件に合わせて論理的に組み合わせて作り上げられるものらしい。違う場所でも同時に同じ文言を発表出来るような仕組みになっているので遠隔地でも我が体制側の玄天の占星術師ならば同一の声明を出しているそうだ。伝統と教育と連帯無しには出来ない芸当であろう。

 そして今回の彗星、周期的に観測される彗星ではなかったそうだ。作為無しに占星術師達も驚いたと言っていた。

 自分が乗る船の見送りには大勢の民衆が詰め掛け、魔都警察が臨時に封鎖線を張らなければならない程であった。

 何か大事が起こりそうなズィブラーン暦の三千年期末という時期に龍朝天政との大戦。

 龍朝天政に対して出した宣戦布告の始め”帝国連邦は蒼天の支配者たる領分を復し……”の部分。

 そしていざ御前会議で影響力が欲しいと思った頃合に彗星。

「偶然にしてはなぁ……」

 この状況は占星術によって予見されたわけでもなければそれで引き寄せたわけでもない。完全に偶然。その偶然を繋ぎ合わせて壮大な出来物を仕上げることこそが占星術の本領である。その出来物を一瞬にして世に広め、多くの占星術師がそう言っているのだからそうだろうと納得、信じ込ませるのが長年積み重ねてきた伝統と知識。何があっても対応出来るようにしてきた小賢しくて立ち回りに定評がある優れたケリュン族、玄天教徒達の本領。

 正直惚れ惚れする手並みだ。これが逆に龍朝天政に掛かっていたら恐ろしいことになっていただろう。彗星の尾は龍だからなんとかとか、言いようはいくらでもある。その言いようによって戦略状況はどうにでも転がってしまうのだ。

 舷梯に足を掛ける前、振り返って民衆を見やり、刀を抜いて振り上げる。

「ズィブラーンハルシャー!」

 さて?

 ……!

 耳が潰れるかと思った。民衆が、封鎖線を張っている警察に見送りの要人達ですら”ズィブラーンハルシャー!”魔神こそ全て、と返したのだが傍で聞く砲声もかくや、懐かしのタルマーヒラの咆哮並みに耳が利かなかった。

 正直、全く愛着の無い連中だが乗せてくれたのだからどうにかしてやる義務が出来た。

 共同体団結の楔に霊力が入ったことを確認した。これでこの、自分のための”黄金の羊”共からケツの毛まで毟れるようになったと確信する。頑張って戦時国債を買うと良い。

 そして見送りのベリュデイン”総督”が笑いながら泣いている。


*

黎明時代    0000~1000年

戦国時代    1000~1400年

ケファール時代 1400~1700年

対エーラン時代 1700~2200年

寒冷期時代   2200~2500年

寒冷期明け時代 2500~2700年

魔族軍閥時代  2700~3200年

大氾濫時代   3200~3400年

イレイン時代  3400~3500年

近代      3500~3982年

現代      3982~

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