第276話「水竜の巣」 シゲヒロ


 揺れ、海面から突き出る角。

「総員戦闘配置!」

 当直責任者の号令、警鐘鳴る。

 鼓手が連弾で急かして各員配置へ走り出す。

 隔壁が外され、滑り止めの砂が甲板に撒かれる。

「針路外せ、取り舵! 最大速、潮と風に合わせろ!」

 船長。

「取ーり舵!」

 航海長に告げられ舵輪を回す舵長。

 号笛を鳴らす掌帆長。

「総帆開け!」

「右前方、子水竜の群れ!」

 鐘楼の見張りが指差し叫ぶ。

「右舷砲門開け! 弾種ぶどう弾、ビビって撃つなよ早漏共!」

 掌砲長が怒鳴る。

 また揺れ、海面から突き出る角。巨大な黒い頭と咽喉元が白く長い首、明確に敵意を剥き出す目。

 大人の水竜、大きい。”飛竜”と比較にならない。

「舵中央!」

「舵中央!」

 船長指示で取り舵が終わるが、船体左舷に傾斜、もう一頭。針路が読まれている。

 船なんか撃沈しても食えないだろうと思うが、水竜は確実に乗っている人間、肉を認識している目をしている。沈めてから食うのだろう。

 本来あの角は鯨の腹を海底から狙って突き出す物、それか雌に見せる物を兼ねると思うけど雄雌分からんからなぁ、と博物学の先生は言っていたが。

「後柱最下段、開いてないぞ!」

 今回の航海から雑用火薬運びを卒業して帆柱に登ることになった少年が、今の傾斜で後部の帆柱、一番下の帆桁から何をどう足を滑らせたか首に綱を巻いてぶら下がった。綱が完全に解けておらず、そこの帆だけが中途半端に開いている。そこで帆が風を孕まず、最大速に至らない。魔術使いがその帆以外に送風するがやや不均衡。

 少年の隣配置の船員がその首吊り綱を刀で、帆桁上で叩き切って帆を開くと少年が甲板に落下、鈍い音と同時に右舷砲門「撃て!」で一斉射。海面から頭と翼を出し始めた子水竜の群れをぶどう弾で叩き、急雨のように海面へ飛沫を縦長に上げさせる。

「弾種散弾! 近いぞ、引き付けろ!」

 掌砲長が砲弾の種類をもう切り替えた。接近が早い。

 狭間銃を持って後甲板につく。助手が船縁に付けた万力締めの銃座に備えて構える。

 助手が興奮した口調で喋る。

「ねえシゲシゲ! アッサンくん、首吊ったのにチンポ勃ってたよ!」

「首吊りの奴はそうなるだろ」

 と記憶しているが、今はそれどころではない。

 子水竜の群れが海面から頭を出し、飛び魚のように跳ね出し、遂には翼を広げて風を捉え、水掻きの足で海面蹴って走り出す。笛のように鳴き。船体横正面を見事な雁行隊形に組んで攻めてきた。

 右舷砲列再度一斉射。ぶどう弾より水飛沫が細かい。海面を走る子水竜が複数没し、また海面から頭と翼を出し始める。散弾では容易に死なず食欲も失せない鱗に皮、脂肪に筋肉に骨だ。仕留め切っていない。

 船の航跡、船体が掻き分けた海水の流れが不自然な盛り上がりを繰り返す。親水竜が全力で追いかけ、尾を振るって翼と腕と脚の鰭で泳ぎ海水を掻き回している。全体像はまだ拝んでないが、鯨並みに大きいくせに早い。

 南洋諸島海域を南へ行き、熱帯の雨林気候から草原気候に変わるところにある難所中の難所”水竜の巣”。ここを今、我々の船”ファルマンの魔王号”が通過中。死にそう。

「やっぱスゲぇな水竜! 来て良かったぜ!」

 頭領が嬉しそうに叫ぶ。こいつは頭がおかしい。龍朝天政の南覇艦隊に追われて逃亡した結果がコレだ。

 ニビシュドラのギバオで水と食い物を積んだあたりまでは良かった。それからが悪く、要衝パラマ要塞にいたと思われた南覇艦隊に勝手知ったるプアンパタラ諸島からのカラエシ島経由の西航路を塞がれ、逃げて航路を南に変えてから迂回してバチャルル島経由の西航路に変えても先回りされ、更に南へ逃げた。たった一隻相手にとんでもない隻数、包囲網を広げやがった。心当たりは無数にある。

 南覇艦隊の船は以前の天政内戦期の代物ではない。船体は――どこから技術を入手したのか――鋼鉄で艦載砲も施条砲に変わっている。木造船では奇襲攻撃からの接舷切り込みでもないと歯が立たない。また船員の錬度も実戦経験はやや薄いものの猛訓練を重ねて精強である。何より斥候、切り込み隊を兼ねる龍人がいて、こうなっては接舷切り込みでもまともに戦えない。

 南洋諸島海域の延々続く遠浅の沖合いには大体漏れなく珊瑚暗礁があるから、喫水の深い状態で沿岸伝いの既知の航路から離れられずズルズルと南下、嵐に遭い、被害から復旧した時にはもう巣に掴まった後。

 水竜はしつこい。何日も追撃してくる。一発顔にブチ込んだ跡をつけた水竜が何度も顔を見せたから分かっている。

 水竜はいくつもの群れに分かれていることを同乗している博物学の先生が見分けた。追撃から逃げた後、別の群れの縄張りに突っ込んでまた元気な別の奴等に追われる。これの繰り返しで西航路に復帰する機会を逃し続けている。修正しながら逃げられればいいが、快速を誇るファルマンの魔王号ですら奴等から逃げるには潮の流れと風向きに合わせた全速力を出さなければならない。速度を出すには荷を捨てるべきである。普通は。

 喫水を深くし鈍足にしている積荷は大量のアマナ銀の地金である。

 今、貨幣不足と積極的な銀決済方式への転換中らしく猛烈に銀を買い込んで外に出さない政策を取る龍朝天政のせいで馬鹿みたいに値が上がっている。革命間もなく、レン朝エン朝、レン朝残党に軍閥が大暴れという流れから良く分からん龍朝の誕生、と政権の引っ繰り返りが激しくて確かな貴金属貨幣でないと人が信用しないという事情もある。現在、天政お得意の不換紙幣は現在紙くずで古紙回収業者が重量単位で買い取ってると言われる程。そしてこのアマナ銀、頭領の兄王のところで猛烈に需要があり、肝煎りで仕入れてくれと頼まれているのだ。

「今日も最高だなお前ら!」

『おう!』

 頭領の声に、同じく頭のおかしい船員仲間達が声を合わせる。

「シゲ面白いね!」

 撃つ。突き出る角、睨み付けるその目玉、ではなくやや口先よりも額方向に開いている鼻を大口径弾で潰して耳に来る絶叫を上げさせた。

「そうだな!」

 助手から弾丸、火薬を受け取って大口径長銃身の施条式狭間銃に装填する。

 自分もおかしくなってる。命を惜しまず財宝をたっぷり抱えて鈍足に、撃沈を狙ってくる水竜を前に面白がっている。

 頭領が定める掟の一つは海賊らしからぬ”金より面白さ”である。普通は金目的で危険を冒すのが海賊であるが、ファスラ艦隊は別だ。今は僚船を集めていないので一隻だけだが。

 採算度外視の癖に銀を手放さないのは頭領の兄、ファイード王が欲しいって言っているからだ。欲しいけども死んででも持って来いとまでは絶対に言っていない。理由はそれだけ、命より義に懸けている。

 義に懸けるとどうなる? 帰港した時に最高に格好良い。それ以上何か必要だろうか? そういう人物だけこの船に残っているのだ。そうではない者は早々に船を降りている。国の海軍のように騙して乗せることはない。

「船首左舷、子水竜来たぞー!」

「白兵戦用意!」

 用意された武器箱からそれぞれ仲間達が得物を手にする。

 散弾で一時潰した右舷側からの子水竜の囮隊列の次に、船首左舷側の海面から垂直に飛び上がった子水竜共が、動く船に合わせて甲板に乗り込んできた。腕に脚に翼に尾があり、翼に尾が索具を引っ掛けて荒らす。船の操作が乱れる。

 奴等は動きを読んで動き、戦術を使う知性がある。はっきりしていないが、大砲のぶどう弾、散弾も奴等は海面に潜って避けたり水を盾にしている気配がある。

 いくつもの、船体にドタドタとぶつかる音が鳴っているから飛び上がった全頭が乗り込んでいるわけではないが、いずれも牛か馬かという体格で、距離があるとは言え大砲で逃げ腰にもならない耐久力のある化け物と白兵戦をやるのは通常、自殺行為。

 航跡後方では鼻をやられて血を噴いている親水竜が暴れている。親は止めた、次は子だ。もう一頭いたが、さて? 海面下は分からない。

 船一番の名手、頭領、剣豪ファスラが脱力しきったフラつくような姿勢からの始まりと終わりの姿勢しか確認出来ない剣閃で子水竜の首を落とす。

 船員仲間達が鉤槍を持って槍衾を作って子水竜の目鼻口を狙って牽制し、腕や翼の打ち払いには槍を柳に合わせて破損を防ぐ。尾撃は強烈で背後には熟練者が当たる。そうして動きを制限してから小銃、拳銃の集中射撃で弱らせる。狙うのは比較的柔らかい腹か咽喉で、そこ以外は筋骨が施条銃の弾丸ですら止めてしまう。目鼻は当たるものではない。

 誤射を防ぐために狭間銃を抱えて船首側へ行き、槍衾で牽制されている子水竜へ向けて立って撃って反動を後宙の勢いに変えて殺して余剰の勢いを股関節、膝、足首を使って完全に制御。大口径弾を受けた子水竜は一鳴きして倒れる。

 倒れても即死しなかった。甲板を這い、その気迫と下に向いていない穂先のせいでビビった船員仲間達が反射で退き、今無防備な自分に向かって、明確に敵意を向けて口を開けてやって来た。奴等は憎悪を抱く知性がある。

 その開いた口に助手が取っ手短槍を、小さい体ながら速度を乗せて体当たりに突き刺し、取っ手を蹴りつつ子水竜の突進の勢いを借りて身を離してしなやかに後方転回。大きい目を開いて笑って「やたっ!」と喜ぶ。肝が据わっている。

 最後の反撃を試みた子水竜は鉤槍に首と脇腹を滅多刺しにされて死ぬ。

 子水竜相手の戦闘方法は対龍人戦闘法を流用している。

 ファスラは名人である。瞬く間に子水竜の首に手足を切り落とす。そして船員仲間達がその落とした首に手足を海へ放り込む。

 海水が赤黒く染まり、そしてそこへ現れるのは別の水竜の群れ。

 水竜は群れ毎に結束力はあるが、別の群れ同士ならば共食いすることすらあるようだ。血の臭いに引き寄せられた水竜と血まみれの水竜同士の戦いが始まって海面が波立ち、水面下で竜影が暴れ回り、血に染まる。

 また揺れ、海面から突き出る角、巨大な黒い頭と咽喉元が白く長い首、明確に敵意を剥き出す目。鼻は潰れていない。

 共食いは共食いとして、予め船の動きに合わせて撃沈を狙っていた親水竜。右舷、かなり近いところから出てきて中柱最下段の帆を角で裂いて帆桁が傾き、固縛綱が切れて回る。復旧作業に船員仲間たちが直ぐ入るが船の動きが乱れる。

 あまり大きく派手な音ではないが押されたように船が左舷へ傾く。上昇するその親水竜の肩か翼か何かに当たったらしい。

「あ!」

 声を上げなければ気づけなかった。

 身が軽い助手の両足の裏が甲板から離れた。狭間銃を捨てて手を掴む。

 体が滑る? 先程殺した子水竜の死体が転がってぶつかってきやがった!

 踏ん張れない? 血で滑る!? ここ砂撒いてないじゃないか!

 傾きに滑る。船縁と子水竜の間に挟まれる動きだ、潰れ死ぬ。ならいっそ跳ぶか!

「あ」

 水竜が群れる海中に飛び込んでどうすんだよ! やっちまった。

「きゃっ!」

 道ずれになると思って手を離そうとしたが、助手は嬉しそうに手を握り返していた。離れない。

 船へ投げれるか? 無理だ。

 死の予感しかないのに潜る海水は気持ちが良かった。


■■■


 寒い、暖かい? ヌルっとしたような何か?

 青い、眩しい、空か!? 何処? 揺れない、海じゃない?

「シゲチンポダメ!」

 声を上げなければ気づけなかった。

 開脚後転、砂浜に叩きつけられた石。角が削られて丸くなった浜の石を持つのは必死の形相の、砂と海水と海草の切れ端に汚れた助手。

 後転も危なかった。もう少し反応が遅れたらチンポじゃなくてケツを潰される可能性もあったのだ。

 ところで何かすっごい淫猥な夢を見た気がした。ついでに股間はギンギンにおっ勃って天幕を張ってる。

「何をしようとした?」

 普段は元気一杯の助手の顔が崩れて、うえーん! と泣き出してへたり込んだ。

「だって、シゲチンポダメにってたかぁ!」

 チンポダメ? むしろチンポ大丈夫だがどういうことだ? あれか、アッサンくんが首吊りになって絞首刑よろしく勃起してたのを思い出してのことか。幼いは恐ろしい。本当にチンポダメになるとこだった。

「いいか、チンポ石で叩いたら死ぬこともあるんだぞ」

「だって、胸叩いぇ、口息入れ、そしたらチンポおっきくなっ、シゲ死んじゃうから!」

 話を聞く頭になっていない。ただ呼吸が止まっていたか、止まっていなくても早合点したか、気を失っている状態の自分に人工呼吸に心臓按摩までしてくれたらしい。心臓が動いている状態でやるのは良くないのだが、まあ生きているから結果は良しとしよう。頭領が定める掟の一つは武装組織らしからぬ”失敗は絶対に許す”である。

 そもそも水竜と出くわした最初の切っ掛けが、巣の海域では禁止されていた海への糞尿投棄が原因で、それをやったアッサンくんは青い顔して死にそうになっていたが、頭領が片手に肩を抱いて「反省すりゃいい。失敗は危機、危機は楽しい。楽しく皆で乗り越えよう!」ともう片手でチンポを弄りながら言ったものだ。

 アッサンくん、生きてるだろうか? あまり長いこと吊られていたような気はしないが、落下の衝撃で首折れるからな。

 とにかくチンポダメは回避した。被害は無かった。ならば良いのだ。後で冷静になったら説明する必要はある。反省はしないといけない。

 とりあえず天幕の支柱を下方向に向けてから状況を把握。

 ここは海岸線、砂浜。砂は珊瑚ではなく普通の石が砕けたような砂だ。

 太陽の方角からざっと考えて北に海、南に陸の地形。

 陸側にはヤシが生えていて、森になって奥深くまで続いている。それから盛り上がり、山があるので真水が期待出来る。この気候ならサゴヤシかその係累はあるだろう。

 海側、沖合いには海鳥が集っていて風に血生臭さが混じっている。あれは先程の水竜の共食い争いなのか、別の群れが鯨の生贄漁をやっているのかまでは見えない。

 水竜は賢く、鯨などを殺して血の臭いをバラ撒き、寄って集ってくる鳥や魚を食うらしい。博物学の先生が言っていたし、巣の海域航行中に見かけた。

 しかしどうやって流れ着いたのか? 沖合いにはファルマンの魔王号の影も形も無い。助手の、軽快だが子供の体力で大人一人を抱えて遥々遠泳は無理だから、偶然に浜へ突っ込む潮流に乗ってしまったと思われる。月齢を思い出せば大潮の時期だ。かなり早かったかもしれない。緩かったらとっくの昔に餌になっていただろう。

「救助はともかく、ここでまず暮らす準備をしないとならないか……」

 島の規模を把握する必要があるが、さて?

「二人きりになっちゃったね! お嫁さんになって暮らすしかないかも」

 先程までの”うえーん!”は何だったのか、ケロっと笑い出すファスラに似た顔――肌は推定の祖父より色黒いが――の助手イスカ。その濡れた服を全く胸が盛り上げていないし、わざわざ摘む大きさも無い。十歳にまだなってなかったと思う。

 聞いたことも無い獣の咆哮、ヤシの森から鳥の群れが一斉に飛び立った。いい加減聞き慣れた水竜ではなく、別の巨大な陸棲動物を連想させる。博物学によればそういう動物が繁殖するには広大な土地が必要である。もしかして水竜の巣を越えた先にあると言われる幻の大陸の可能性はあるだろうか? まさか、だが。

「あ、えーとね、シゲヒロさん。今日のお夕飯は今の咆えたやつのお刺身かしら?」

 急に丁寧な大人の女っぽい声色を真似しようとしたイスカ。

 元の大きさに戻ってきた。

 腰周りを触り、周囲を見る。武器は短刀一本しか無い。

「今日の”やつ”のお夕飯にならないようにするのが先だ」

「はーい!」

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