第2部:第8章『天魔大戦』

第275話「新境天国」 第8章開始

 獣の丘と呼ばれる新大陸の霊場。その中央部分の縦穴より奇怪面妖な大物が台車に載せられ、人夫が綱を引き、後ろから押して運び出している。

 古今東西、実在空想を問わないような獣達が四肢を組んで相食み交合し生まれ出て混ざっている塊。名を”獣の神”と呼ぶ。大きさは庶民の家程度、重さはそれに骨肉を詰めた程度とかなりの重量物。台車に載せる作業を担当したのは怪力無双の龍人であり、その者達に重量物を扱う建設器具を使わせれば動かせないことはない。

 獣の神は生きている。生物として生きているとは言い難く、幽地の際より底に近い存在であるが、ある程度自律して動作するのならば生きていると言える。

 龍人が台車に乗せるまでの間に八人食われた。獣の塊から何の生物ともつかぬ腕というか触腕というか不気味な物が伸びて捕らえ、身に取り込み、咀嚼するように蠢いた後に吐き出す。龍人は全身を揉み潰された状態となり――自分はあれに近寄らない――死ぬ。常人ならば触腕が動くことも無いか、身に取り込まれた後に何らかの獣の特徴を獲得して吐き出されて死なない。ただし、生まれ立ての幼獣のようにしばらく使い物にならない。

 怪力必須の作業は命を賭して龍人に行わせ、そうではない作業は獣の神に食われない者達が行う。

 縦穴の坂道と壁に現れる、不安定に霊山上空に直結する霊的な落とし穴からの落下を防ぐために事前工事で脚の無い橋のごとき分厚い構造の歩道を建設済みである。また坂道は拡張済みで、壁を削った箇所の宙にも落とし穴は出現するのだが、そこは素通りして問題ない。要は足場を失わなければ良いのだ。

 この建設事業には紆余曲折があった。何せ獣の神はこの丘を霊場と祭る蛮族連合体の御神体であり、それを持ち出すなどと言って工事をすれば反発必至である。

 彼らは単純素朴であった。これから安全に御神体に手を合わせに行けるようにと善意から歩道を建設してあげると言ったのだ。名目は親善である。

 疑い深い者もいたが、それは硬軟合わせてそれぞれ派閥に分断し、排除してその疑いを反らした。

 天政は万博。絵画、音楽、舞踊、劇、詩歌、陶器、織物、宝飾、彫刻、美食、美酒、美男、美女、珍獣、妙薬の誘惑に単純素朴の彼等は抗えなかった。

 留学、旅行、褒め殺しの接待に有力子女達は”文化被れ”を起こした。暗黙の人質ともなり、その親族達は発言態度に気をつけるようになった。

 獣の丘の蛮族連合体は昨今の気候寒冷化に伴って食糧供給源を南方に求め、そしてそれが新大陸中央部の騎馬蛮族との紛争に繋がっている。そこに武器、武力の援助を行った。我々無しでは生活が難しくなった。

 天政文明の文武に抱かれ、彼等は昔のようではなくなって来ている。単純素朴であった。

 文化上帝の云われる”布華融蛮”。策として使うのならばこれ程に強く、されると考えれば恐ろしいものはない。

 獣の神が運び出される。丘の上にいるのは既に”被れ蛮族”だけとなっている。それ以外の者達は排除、丘を降りている。我々は彼等が身内同士で争っているのを眺め、我々の友人の方へ手を貸して良い状況を作り上げた。

 全ての敵と戦う必要は無い。蛮と異なる蛮を争わせ、蛮内部でも争わせるのが文明人の戦作法である。

 ”被れ”達が動揺してにわかに騒いでいる。流石に御神体が移送される姿を見て不安になっている。

 言い訳はしてある。”本土でもその神秘に触れたい者達がいる。本土にいる彼方達の子供も久し振りに見たいと言っている。少しの間旅をするだけで必ず戻す”と約束した。

 悠久の歴史の中ではあらゆる物事が”少し”で数えることが出来よう。

 獣の神は丘の下へ降ろされ、陸路を進み、新大陸西岸橋頭堡たる新境道の中核都市ランジュウへ運ばれ、そして海路にて本土まで運ばれる。

 落とし穴からは霊山に直結するのだが、そこから地上まで非常に高いので下ろす手段が無い。移送には多数の危険が伴うので霊山から塔を建てる計画もあったが、資材搬入以前に建築技術がおいつかない高さなので断念した。地上から低層の雲へ繋げる程度の高さらしいので流石に、人と金と物がどうこうという次元ではない。空を舞う方術も手段だが、持ち上げられる高度と重量は術士の才に左右され、尋常ではない移送作業には使えない。

「ピーピーや、こっちおーいで」

 不安げに辺りを見回していた、たまらん愛くるしさに溢れる白金髪の小人が訛り声の元へ駆け出し、その先には形容し難い不気味さを醸している黒髪黒鱗の龍人女。その腰に抱きつけばの角にも掛かる頭飾りの玉が打って鳴る。

「あらぁ本に可愛えのう」

「あぅー」

「ういこ、ういこ」

 年季の入った方術に洗脳されたランマルカの大陸宣教師ピエターが知恵遅れかただの動物のように黒龍公主に懐く。

 以前のピエターの知性の程は並の人間どころか官僚の選挙にて首席争いをしてきたような明晰さで、西洋世界に偏るものの博学であった。それが今では唸るような声か、多少知性を取り戻したと思っても「はわわー」ぐらいしか言わなくなっている。

 ピエターはランマルカの利益代表で、獣の神の持ち出しや蛮族共への文化侵略など本来は容認出来ない立場にあった。それを方術洗脳により捻じ曲げられ、上層部には偽情報を流し続けて我々の活動を阻害させないようにしたのだがその結果、思考矛盾を起こして発狂、幼児化に至ったと思われる。黒龍公主も「あら、妾失敗しちゃった?」とほざいていた。散々人間を操ってきた彼女の発言と照らし合わせるに、小人と人間の精神構造に差異があるせいであろう。

 この失敗、後に尾を引く。正常な連絡を寄越さなくなった異常を察知したランマルカが行動に出ないはずはないのだ。

「じゃあ東服巡撫さんや、お先やから任せるわぁ」

「ええ」

 黒龍公主がピエターを連れ立ち、龍人が担ぐ小屋のごとき大きさの輿に乗り、獣の神の台車と共に丘を去った。去る前にあの白金の艶毛を触りたかったが、そのような流れは作れなかった。

 過去に西域の蛮王が時の天子に献上したという金小人。珍獣だったか愛人だったか定かではないが寵愛を受けたと云われ、名画”金黄侏儒蹴鞠図”として残る。おそらくそれにピエターは勝る……というかもうファンコウの萬梅園に連れて行って描かせたい。題名はそう”金黄白侏儒梅下蹴鞠図”か? いやそのまま過ぎるな。白梅と黄梅の区画……いやいや、ここは紅梅の下で”三梅蹴鞠図”とするのが良さそうだ。川縁が良いか池縁が良いか、否、飾りは最低限に土の地面と花だけで……うむ? いっそ蹴鞠に戯れる姿は贅肉。華が花を見やる構図が良いのではないか? 色々と琴線に触れるものがないか試すのが良い。

 我が美人、いつかあの汚い手から奪ってみせよう。


■■■


 獣の丘には用がほぼ無くなった。属国として冊封体制に組み込もうにも蛮族が過ぎて粗放に無学で難しいのだ。留学中の者達が知識層としてこちらに戻ってきてからが天政下に組み込むことを考える時だ。

 何だかんだで昔から交流のある天政外の蛮族達も、本土側の大陸に限って言えば比較して文化的であった。初歩的な官僚すらおらず、為政者と言えば祈祷師の段階で有史以来進化が止まっている新大陸蛮族は教化するにも果てしない。

 高い獣の丘から新大陸の無限に広がるような荒野を眺める。赤茶けた土と岩が続き、地平線が切れたら青い空に変わる。そして煌めく白い太陽。

 目の前の痩せた光景と違い、西岸側は土地こそ無限の如きではないが豊かだ。水も豊富で気候も安定し、害獣害虫も大人しく、現地蛮族も極小で温和。農耕に適しており将来の食糧生産高は有望。山火事が多いことが懸念だが定期的な伐採や野焼きで対処可能である。現地蛮族がそのようにしている。

 西岸より山脈を越えたこちらの荒野、砂漠は実りが少ない。遊牧蛮族の領域である。こちらを制するにはまず新境道である西岸側の開発と安定が必須だ。

 青い空に極彩色の、南方湿潤地方にしかいないような鳥が現れ、緩やかに下降しながら向かって来て伸ばした自分の腕に片足で止まる。もう片足には丸めた手紙を掴んでいる。

 手紙を出したのは東の荒野に展開した偵察部隊だ。内容は”被れ”なかった現地蛮族を含むランマルカ軍が獣の丘に接近しているというものだ。兵力推定、蛮族兵三千、ランマルカ兵六千、大砲三十門。

 荒野続きのこの地においては決して少ない戦力ではないが、比較するのならばやはり少ない。ユバールとエスナルに戦線を抱えるランマルカに兵力の余裕は無い。

 丘の上に我が東服軍を展開済みである。歩兵二万、騎兵四千、大砲百門と龍人兵三百。

 ”被れ”共には自衛手段とそれに伴う少々数の多い荷運び人がいると説明し、普通は軍の駐留など有り得ない霊場へ正式に許可を得て入れてある。嘘は吐いていない。

 ランマルカの新大陸軍の本拠は新大陸東岸。こちらまで補給線は非常に長く、兵を維持するだけでも苦労が多いだろう。予備兵力は現在確認されていないし、一旦引き返して体制を立て直すにもかなり時間が掛かる。相手に遠路を行かせて疲れさせ、こちらはゆっくり休んで待ち構える。戦術の基本である。

 この丘は包囲するには広く、包囲して封じたとしても丘自体の自活能力は高く、そして物資は豊富に持ってきているので持久戦も可能である。包囲する側が飢える状況である。戦術的に優位。

 別働隊が丘の下に一万いる。獣の神を護送している部隊だ。有事があれば応援に駆けつけ、丘の上の東服軍と協同して挟み撃ちにすることが可能である。

 これに勝ち、そしてあのわずらわしい黒龍公主から解放されたらこの大陸の王となってくれよう。あの玩具を家に持ち帰ったらしばらく大人しくしているだろう。その隙があれば十分だ。

「グゾン」

「は、閣下」

「鳥に、別働隊へ挟撃準備をさせるように伝えよ。ランマルカ軍が攻撃を目論んでいる。その後は全軍に迎撃準備をさせろ。床に鎚だ」

「そのように」

 オン・グゾン、南王王子の頃より自分に仕えている老将。文武に優れ、家庭教師でもあった。東服巡撫の補佐である大参将としているが、本来ならばそう、禁衛将軍であるべき者なのだ。人材が不足しているのならば丞相も掛け持ちさせても良い。供に呪われし有角有鱗の龍人、存分に代償分の力を発揮してくれよう。

 グゾンに命令文を書いて渡す。勝利への道筋を固める。

 勝利したならばそう、棄民の如きに新大陸へ移されたレン家の遺胞達と共に盛り立てようではないか。門出は勝利で飾られるのが相応しい。


■■■


 ランマルカ軍の来襲を待った。グゾンに東服軍を整えさせ、別働隊との協同作戦も計画が成った。

 龍人になって良かったことがある。体力が向上し、とても良く動けること。そして思った以上に座り仕事にも長時間集中出来て短い睡眠でも疲労が回復すること。また目が疲れず、文を長らく見続けても苦ではないこと。それに性器の消失にともない性欲が溜まらず、雑念に囚われないこと。股間が心持ち寂しい気もしなくはないが、しかし女にかまけている身分ではなくなったことを考えればこれで良い。宦官同然だが、宦官だの玉無しだのと謗られることは無いためやはり悪くはない。

 子孫を残して家族を作れなくなったことは辛いがそれは生き残った親族に任せるしかない。京にも縁は遠いが皇統より連なる王統の者達が、政治的配慮によってだが生かされており、文に優れて前途有望と聞く。そして手紙のやり取りでも美文で寄越して来るので単なる噂ではないと知っている。であるならば自分が積極的に、望みとは違うが新境の支配者として掴める権力、武力、財力で保護するようにすれば一族繁栄の道筋が立つと考えられる。

 何より龍人は長命である。歴史を振り返るに、為政者の失敗の事例として良く挙げられるのが短命である。もう少し長生きしていればそのような悲惨な結末は迎えなかったのに、という話は数え切れない程ある。

「決めたぞグゾン」

「は、閣下」

 傍に控えるグゾン、忠臣の鑑。先の天下大乱の時からの忠義、精勤には厚く感じ入るものがある。

 ランマルカ軍が丘の下に迫る。劣る兵力で高所を取る上に別の部隊も持ち、鳥で素早い連絡が取れる我々にどのような戦術を取るのか興味すらある。相手をしてやろうではないか。

「新境道など改めよう」

「は?」

 天が改まる時、行政区分も改められる。ルオ・シランが進めた貴人軍閥殺し後の新体制に囚われてはならない。何故ならば正当たる天子はレン家より出でるのだから、エン家と龍帝とやらの見たこともない何かの僭称を否定する必要がある。

 化外中の化外の地であるから新しい行政区分が必要。レン家再興の拠点と考え、暫定とはいえ直隷的な意味合いも含めるならばこれだろう。

「この地を新境天国と名付ける!」

「閣下、殿下、何をおっしゃっておられますか!」

「殿下と呼ぶな、閣下でもない。朕は天子であるぞ」

「しかし!」

「安心せい」

「閣下?」

「元号は回天とする。太祖のようには流石に振舞わん」

「ぼっちゃま!」

「ぼっちゃまはいい加減止せ! 良いか聞け」

 天も歌って祝福……? これは、天に大鳥!? 吉兆か!

「見よ、吉兆ぞ」

 天を指す。赤茶けた土と岩が続き、地平線が切れたら青い空に変わる。そして煌めく白い太陽と、それを背にする大鳥。

「飛天も良いと思わんか。一度地に着いたが再び飛翔するよう、吉兆の大鳥にかかる」

「吉兆と言いますか、妙な鳴き声で。あんな鳥は見たことが無……」

 ……黒点?

「ぼっちゃまぁ!? そんな……」

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