第257話「出張前」 ゼクラグ

 夫が外で働き、妻が家を守るというのは人間の風習として珍しいものではない。

 ベルリク=カラバザルが外征を行い、ジルマリアが内部統制を行うというのもその延長線上であろうか。強い指導者がいなければ瓦解する遊牧集団を内部から統制する強い指導者の妻は必要な存在なのだろう。

 盟友レスリャジン部族の頭領の夫人を警護する部隊を組織した。女性同胞達のみで構成され、警護対象から不快に思われない服装をする。偵察隊員の人間加工装飾を嫌っているそうなのでその点に重点配慮。

 まず同胞によって警護する理由は単純に、身内に怨恨を振り撒くような内部統制の仕事をするからである。処刑や拷問刑、財産の没収に名誉の剥奪と暗殺されても仕方が無い仕事が多い。そこでどこから血縁地縁等で繋がっているか知れない人間を警護要員として傍に置くことは致命的となる。内部統制の範囲もベルリク=カラバザルの親縁にまで及ぶようであるから、一番人間の中では信頼出来そうな親縁界隈から集めても危険。そこで命令外の行動は取らないマトラの兵士の出番となる。

 女性同胞の任務は警護及び監視となる。ジルマリアはルドゥが指摘した通りに神聖教会の聖女ヴァルキリカが差し向けてきた明確な諜報員。情報を流しているということはベルリク=カラバザルも了解済みでもあってこれだけでは現状非排除対象。外交大使のような情報連絡役と見做した。

 高度な役職を持つジルマリアの行動監視は、高度な知識と知能を持つ優秀な隊員でないと任せられない。自然と情報部の生え抜きが必要となる。優秀な人材はどこの部署でも欲しいというのに、この女一人のためにその要求に不足が出る。

 非効率かは分からない。西方遠征時の治安維持能力は確かだった。諸刃の剣を安全に使う対価と考えればそうでもないか? レスリャジン部族の盟友達の結束の維持は我がマトラの利益に現状繋がっている。

 ベルリク=カラバザルのワゾレ入植、東方遠征作戦の発動により、成功すれば生存圏は飛躍的に拡大するのでそういった反乱分子鎮圧能力に長けた人材は必須である。であるならその費用は払うべきものだ。

 しかし対価無く運用できればいいのだが、何にしても人間は管理が面倒だな。

 拡大する予定の生存圏を保安する部隊の数も確保しなければならない、その保安隊を指揮するのが当のジルマリア。現在の四千名規模では、予定される東スラーギィからヘラコム山脈西部までを保安することは不可能。現地人を雇った補助警察などが運用されるから完全に人員をこちらから捻出する必要はないが、まずは倍か、一万規模にまで拡大する編制案をまとめる必要があるが、他の編制との兼ね合いもある。

 マトラ人民義勇軍は、労働業務との兼ね合いから一旦規模を西方遠征前の規模に戻して現状に合わせた部隊分けをする必要がある。保安隊もその多くの一つ。

 ゾルブ司令を筆頭に自分と砲兵指揮官ゲサイルで、魔神代理領の妖精自治区警備隊訓練の総仕上げをしにいかねばならない。

 以前より軍事顧問を派遣してランマルカ式に訓練をしてはいたが、全軍を集めて総合、統合的に訓練、演習を行ったことはない。西方遠征時に得られた最新の戦闘記録と現地軍の練度を照会し、時代に遅れていないか確かめる必要がある。だから統合軍として行動出来るよう、実戦配備されても善戦出来るように仕上げにいくのだ。相応の軍事顧問団を編制して行かなければならない。

 これは魔神代理領軍務省に親衛軍、各国軍、州軍に続く妖精軍管区制による第四の常備軍化が決まる重大な任務。世界的な妖精種の権利獲得、権威向上に繋がる。しゅるふぇ号計画にも合致する。思想面のみならずジャーヴァル、レン朝遠征のような事態が今後あれば、第四の妖精軍と共同戦線を張る可能性もあり得る。

 また彼等には安定した兵器の調達能力を獲得させたい。具体的にはランマルカより受けて物にしたマトラの工業力の伝授である。工業機械、製品見本、設計図、基礎教本等を持ち込み、工業化への道を開かせる。マトラからの武器輸出だけでは彼等に真の継続的戦闘能力を付与することにならない。鉄鋼生産、いや鉱山採掘技術の伝授から始める。

 未来の友軍獲得の行動のために費やす労力は惜しいものではない。であるから、部隊分けの多くの一つにこの軍事顧問団があり、産業振興も兼ねる。技術者、熟練労働者も連れていって指導させないといけない。

 マトラとスラーギィ方面における総指揮はラシージ親分が執る。

 その上でワゾレ入植にあたり、現地勢力排除指揮をジュレンカが執る。辺境地域なので重武装部隊は不要だが、やはり一地方を完全に制圧するにはそれなりの規模の兵力は与えなければならない。バルリー主張のワゾレ州領域において、その施政権は当該地域では現状確認出来ていない。名目上の可能性がある。当該地域は複数勢力と接するところなので実質支配すると国境紛争が多発する危険がある。それだけに要地。

 現地橋頭堡ワゾレ市の建設指揮をエルバゾが執る。彼はワゾレ市長となる。ワゾレ市、要塞の建設。その要塞までのスラーギィ街道との接続。そしてセレード王国南部のククラナ地方にまで繋がるククラナ回廊の設置。要塞建築は危急ではないが、しかしバルリーの山岳兵を相手取れる規模の物は迅速に造って貰わなければならない。

 各道路の基準は砲兵が十分に走破出来る程度。スラーギィ側はダルプロ川沿線から反れて道路を作らなければならないので困難が予想される。草原とはいえ荒地。川から離れるから給水に物資運搬が手間。また風も強く、冬になれば”死の風”と呼ばれる致命的な暴風が吹く可能性もある。こちらは冬前に工事を終えたいものだ。

 ククラナ側は密林や崖が続く森林山岳地帯。こちらの工事も困難である。軍事作戦と平行して行われる後方連絡線工事程度の物は即座に必要。

 多数の労働者が必要。またジュレンカが敵を排除するとはいえ、エルバゾ直下の自衛兵力は必要。

 マトラ山地から直接バルリーに圧力をかける任務をボレスが負う。対バルリー山岳要塞、坑道網の建設を重点的に行う。

 国境線上で小競り合いが発生すると思われる。前哨部隊同士の撃ち合い程度とは思われるが、段階的に規模が拡大することは当然あり得る。地形的にいくら敵が大部隊を投入しても即座に突破されることはないだろうが、後方の部隊が駆けつけるまで持ち応えるに十分な規模の兵力は置いておかなければならない。勿論、建設労働者も多数必要。

 イスタメル州軍第五師団は以前と変わらずオルフ方面の抑えとして待機。この第五師団を解散させられれば兵力に余裕が出るのだが、オルフへの抑えと同時にイスタメルへの抑えとしての役割もあるので、理解力に秀でるウラグマ総督でもそれに頷きはしないだろう。

 オルシバのスラーギィ騎兵はほぼ師団隷下外ではあるが、バシィール城に駐留する”三角頭”のマトラ旅団を総督は現状手放したがらない。州軍の軍事演習時でもマトラ旅団がいるだけで他のイスタメル人部隊の態度が違うという。マトラ旅団、第五師団長代理はナルクスというミザレジ推薦の者が務めている……そういえば顔を見たこともないが。

 東方遠征へは行かない留守番組のレスリャジン部族の若者衆はカイウルク頭領代理が管理。彼等は全正面への予備である。東西南北、どこにでも駆けつけられるように。後は将来の人的資源確保のために結婚子作り子育て等に注力しろという意味合いもあるそうだ。

 各氏族長は全て東方遠征に出て、その第一後継者は残る。今回の東方遠征へ若者はあまり同行せず、後は老いて死ぬだけの者達が出向く方針。

 その中でも女性兵士の指揮、訓練責任者はケリュン族のトゥルシャズ。彼女達はこれから重点的に軍事訓練を重ねる。その訓練を重ねた中から、年老いた女が中心らしいが、一万人ほど選んで東方遠征に参加させるそうだ。

 東方遠征軍は勿論ベルリク=カラバザルが指揮。マトラ人民義勇軍からはストレムを出し、東方遠征旅団七千を編制して任せた。老いた遊牧民の男女一万ずつと東方遠征旅団は東征に向けた軍事訓練に入っている。

 忘れてはならないのは先の西方遠征帰りに新たな同胞同志となった元傭兵、放浪集団十万余りの教育訓練、職務割り当て、入植である。そして遠征後にもこちらへ西方からは流入が続いて増加の一途。

 我が軍の作戦行為が西方では大変な悪評を招いたそうで、現地の同胞達への悪評へ転化された様子。それを機に手元に置いておくのは恐ろしいからと大量に売られてやって来ている。戦後復興用の外貨稼ぎとしても利用しているらしい。

 またあの遠征を機に東西交流の口が大きく開いて活発になっている。悪評による追放行為と合わせ、増加の一途を辿る戦後流入量は、百万とはいかないが数十万規模に昇る見込み。最上位同胞たるラシージ親分の影響が各地に波及した分もあるのか、自由身分の者達まで旅をしてやって来ているとのこと。

 嬉しい話だが、言語教育要員がおそらく足りない。集団教育体制の整備はおそらく間に合わない。

 流入だけではなく新生児による自然増も多い。マトラ情勢が安定してから生存率も飛躍的に上がっている。こちらもある程度問題で、育ってきた幼年者は多いのだがまだまだ労農兵士としては体格が未熟。

 言葉が不自由な同胞、成熟が足りない同胞が多い割りには、教育指導が出来る熟練世代は多くが戦死し、そして各方面に出張っていて人手不足。

 あれもこれもベルリク=カラバザルが後方の事情など知らずに拡張を続けるからこうなる。

 将来を見据えればもっと人的資源が必要。出張中も魔神代理領各地から集める必要がある程。

 人的資源の増加は望ましいし断続的に実行するが負の側面が付き纏う。特に食糧問題だ。流入同胞は畑を担いでやってくるわけではない。特に今年は冷夏となっていて作物の生育が悪い。流入が無ければ輸入に頼る必要はないが、あるのだから必要。

 西方での軍事作戦の報酬を用いて食糧を輸入するのだがそれは資本主義経済に依存する弱体な行為である。外部に生命線を依存することは国体を弱くする。相互依存の段階にまで引き上げられれば別だろうがそれには至らない。

 生存圏の質と量的範囲と人口が釣り合っていないからこそ発生した問題だ。マトラ県南部のセルチェス川領域、スラーギィを縦断するダルプロ川領域において農地拡大の余地はまだまだある。足りないのは人手と開墾された土地に灌漑設備。

 軍事作戦の度に多大な人手を取られ、長期に渡って維持しなければならない畑を保てない。一時的には充足して拡張の余地があっても、動員が掛かって不足すれば維持が出来ない。橋や家屋のようにある程度放置しても腐り果てない設備ならともかく、畑は土と作物という生物を取り扱うので手を抜けば荒れ果てる。獣と虫、雑草の害がある。灌漑設備も雨風に曝されれば土砂が流入して埋まる。

 流入同胞は言語教育と耕作地の拡大を両輪とする晴耕雨読の体制で運用するのがまずは妥当か。マトラ同胞のように集団幼年教育を受けているわけではないのでその点も加味し、成人でも子供のように一から教育する手間があり、惜しんではならない。

 教育訓練は必須。ジュレンカが具体的にまとめた優れた、小隊単位で思考して連携して散兵網を機能させる操典とそれを諸兵科連合へ応用させる操典をこれから全軍で実現するならば、言語能力不十分では訓練にすらならない。基礎が出来ている必要がある。以前のような軍であればそこまでこだわる必要は無いが、我々マトラの労農兵士は常に発展前進を続けて科学的に精強でなくてはならない。

 西部戦線の時もそうであるが機動作戦に邪魔な因子を排除することによって成功を収めた。機動作戦には完全な意思疎通が必要。

 能力に不足する人材を、まずもって不足しない業務に割り当てつつより高度な人材に育成すること。これがこれからのマトラに必要なことだ。日常会話としてのマトラ語。幹部教養として魔神代理領共通語。専門技官教養としてランマルカ語と言語教育は一つ言葉を覚えさせれば良いというものではない。

 先は長いが着手しなければ先へ進むことは出来ない。そのような問題も加味しつつ、対ワゾレ、バルリー、オルフ、イスタメル各方面、東方遠征、出張訓練、保安隊それぞれへの将兵と労働者の割り振りを、出張前に決める。労農生産活動に流入同胞教育訓練も欠かさないようにである。

 自分が各部指揮官からの要請を元に草案を作って、ゾルブ司令から各部への割り当て内容に対しての質問を細かに受けて粗を見つけ、各部指揮官から訂正した草案の内容に不満は無いか確認し、不満があればその旨を考慮した第二草案を作り、ゾルブ司令と協議し、ラシージ親分に確認を受けてその名前で命令文書を具体的に作成し、各部に配布して人員、物資を移動させて編制表通りに割り当て、各部指揮官に委託する。

 委託した後もあれが足りない、これが足りないと声が上がってくる。足りない部分を補うために、各部に余っている人員物資が無いか問い合わせをする。初期の不具合を調整し、再編制の繁忙期を過ぎたら、ラシージ親分とその直属幕僚はこれらの業務内容を引き継ぐ。引き継ぐといっても今まで一緒に仕事をこなしてきたから大きな手間はない。

 それからレスリャジン部族に対する軍政を補佐する仕事も出張前にこれから片付けなければいけない。こういうことはその手間を作りやがったベルリク=カラバザルがやればいいのだが、ラシージ親分に全委任して自分は仕事なのか遊びなのか分からないことをやっている。成果は出しているので文句は心中に止められる。

 これとまた別に行わなければならない出張準備の詰めの作業はゾルブ司令が行う。そちらまで正直手が回らない。


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 東方遠征が発表された会議におけるベルリク=カラバザルの言行から新制度を作らなければならない。正確に表現すると作る手伝い。解任こそされたが未だにレスリャジン部族の軍政顧問としての役割は失っていない。今回で失うかもしれないが。

 まずは議事録に目を通して具体的な文章に変えたいところだが、何も全てこちらで請け負う必要は無い。要点を拾って整理して責任者達に解説してやればいいのだ。その解説を元に当事者達が現実に即した制度に練り上げていけば良い。官僚は育ってきて増えているがどうも、組織規模の拡張と不揃いだ。

 食事の時間も惜しいので食べながら書見台に置いた議事録に目を通しつつ覚書、制度草案を作る。

 席の向かいには、何時ものように食事を持ってきて一緒に食べているサニツァが、珍しく申し訳無さそうな顔でいる。

「ゼっくんあのね、お休みが一回欲しいの」

「休暇申請とは人間的発想だな。君にはワゾレにおける原住民根絶作戦に参加して貰う。原住民のみならずバルリー共和国からの武力干渉もあり得るからまたダヌアの悪魔の出番になると思え」

「やっぱダメ?」

 さて、同胞相手なら――そもそも休暇など負傷病気療養や妊娠でもなければ口にしないが――有無を言わさず命令でこの話題も打ち切りであるが、幸か不幸かこの特命作業員は人間である。対処が明瞭ではない問題の解決もしくは先送りなどが必要になる。

「理由を聞こう」

「あのね、一回村に帰りたいの。皆どうしてるかなって?」

 度々口にしていた故郷の村か。ヘルニッサ修道院から歩いて行ける距離にあって、川沿い、名前は無く、最後に確認したのは先の聖戦末期で混乱中で他所から賊とも何とも知れない敗残兵が移って来たというあの村か。そこから出て十年程経つのではないか? ヘルニッサ修道院で出会ったのも十年程前だ。そこそこ賊も敗残兵もやってくる辺境の名も無き村が戦乱の最中に原型を止めている可能性は低い。

「場所は分かっているのか?」

「行けば思い出すと思う」

「表記所在も定かではない故郷に帰るということは長期間の捜索活動が必要だ。それも発見して分かる形で残っているかも怪しい状態だ。そもそも目印となるヘルニッサ修道院の場所も分かっているのか? 私は記録を取る余裕も無かったから覚えていないぞ」

「大体、分かる、かも」

「あてにならんということだ。戦乱戦後の影響で土地の人間など民族毎入れ替わっていてもおかしくない。それに以前にダラガンとやらから皆は移住したなどという話を聞いたと言わなかったか」

「言ったけど、ダラガンくんもずっと連絡無いし、お手紙出す先も分かんないから村いけばいいかなって」

「ダラガンの所在はこちらから分からなくても、あちらからなら本来は分かる。多忙で訪問出来なくても手紙は出せる。軍務及び労働英雄サニツァと宛名が分かれば我がマトラの郵便業務は対応出来るし、所属が分かっているのだから宛先探しの努力は可能だ。商人のようなある程度の教養があるなら可能な努力だ。それなのに何年も連絡が無いのなら事実上の絶縁宣言だ。もしくは死亡している。治安は安定してきているとはいえ元々イスタメルは賊だらけの地域だ。その経験知識のある住民がたくさんいることは分かっているはずだ。財産持ちの商人が隙を突かれて山賊に襲撃されて消滅していても不思議ではない。大規模な隊商ならともかく、東スラーギィに来た時は独立したばかりの零細商人規模ではなかったか? あまり生存率が高いとは言えないな。それから同伴していた若い女だがあれは君の代わりの新しい妻と考える方が自然だ。イスタメルでは一夫一妻制が普通である以上はやはり絶縁と考えるのが妥当だ」

「……うん」

 サニツァは俯き、いつもなら美味そうに笑って食べる食事にもあまり手がついておらず、精神と消化器官の調子が悪そうだ。

「お前には私がいる。ミリアンナとジールトもいる。何か不服か?」

「ううん」

 情報部の指導ではこういう感じで良かったはず。ちょっと違うか?

「ワゾレに行け。指示はジュレンカ将軍から直接受けるように」

「うん」

「個人的に余裕があれば調査しておいてやろう。まずは義務を果たせ」

「うん!」

 人間は管理が面倒だな。


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 レスリャジン部族頭領代理カイウルク、スラーギィ県知事オルシバ、女性兵士責任者トゥルシャズにベルリク=カラバザルが会議で指示した内容を具体的に制度化する手伝い。指示を具体化すると先軍的社会主義になるので得意分野である。

「ベルリク=カラバザルの言行を具体化するとこうなる」

 資料――という程の物ではないが――文書を渡す。

「確認するが読めるか?」

 魔神代理領共通語で書いた。レスリャジン部族と意思疎通をする際にはこの言語が共通語となる。

「このよ、魔神のミミズだか陰毛だか知れねぇウニャウニャ文字は何だか見分けが付かなくてよ」

 オルシバは県知事就任時はほぼ文盲だった。セレード語の読みだけはそこそこ出来た記憶がある。

「読めるよ! この前”ザイーデと百人の少年”って本読んで、大体分かったもん。絶対あれ全員のケツにブチ込んでるよ。ケツのこと桃って書くのおかしいもん絶対。痔になっちゃうよ」

「それは童話だ」

 カイウルクは勉強中だったか。西方遠征で一軍を任せられていただけあってある程度工夫はしていたと思うが、読める者に音読して貰っていたかもしれない。

 発言はしないがトゥルシャズは読めている顔で目を通している。

「え、めっちゃ難しかったって! ケツのこと桃だよ?」

「読むぞ」

 内容を読み上げる。

「部族における臨戦体制恒常化を目指す。これを実現するために部族に対して予告無く行う軍査閲で実現する。予告すればその時だけ準備するような怠慢を招く。常に戦える状態、緊張感を持たせるためには予告無く行うことが望ましい。軍査閲では装備、練度、人員、馬数を確認する。また査閲は一斉同時にした方が良い。個別に時間差を置いてやれば、各部隊同士で人や馬をやり取り、貸与し合って誤魔化す可能性がある。これらを予防する策を何重にも講じて貰いたい」

「厳しいじゃねぇか」

「人間は怠惰だ。手を抜けるのなら抜いてしまう。精神構造が本質的に社会集団的ではないためだ。そこは制度で縛って昇華しなくてはならない」

「痛いとこ突くじゃねぇか」

「先軍的贅沢禁止令。贅沢品の抑制と自弁装備の充実は規定を設け辛い。先程の部族における臨戦体制恒常化制度の実現で大枠は問題無い。ベルリク=カラバザルの指示重複の感もあるが、真意を汲み取る。未来の兵士である子供や軍馬の増産育成努力を促すようにする。贅沢品を手に入れるような手間をするぐらいならそちらへ手間を掛けろということになる。具体的な規定はやはり設け辛い。嗜好品を規制するのは口で言うのは簡単だが精神的に良くない、士気に関わるのは問題だ。身につける宝飾品の類も緊急時の資金となるからある種必需品だ。実用的ではない飾りの服も冠婚葬祭等の儀礼式典に使う。ここでいう贅沢の禁止は、定住化して本来の騎馬民族的精強さを失った者達のようにならないようにする指針だ。遊牧生活をしなくても済むような財産の蓄え方をして馬の乗り方も忘れ、騎射も出来なくなるような者を生み出さないようにしろという意味になる。農耕民の否定ではない。要するに男女別無く戦士でなければレスリャジン部族に居場所はないということだ」

「今まで通りを維持出来ればいいんだね」

「今まで通りではなく、今以上だ。軍事科学は常に進化している」

「あ、そっか」

「女性の兵役義務化。全女性に対して定期訓練義務制度を設ける。装備や軍馬に不足があれば貸与する。これまでは氏族毎に女性兵士の伝統があるところ、無いところ、一部採用のところと一定ではない。であるから装備と軍備を女達の分まで揃えていない集団があり得るから当面の対処だ。これは一律に兵士として扱うことを改めて宣言するということになる。少年達は幼少より乗馬騎射を学ぶ。少女達も――やはり氏族差があるが――同様であるがより実戦的に訓練させるようにする。獣狩りではなく人狩りが出来るように訓練する。これは性別問わずに騎兵訓練を集団で若年時より行うように制度を作れば良い。これで発生する問題はそれぞれの家の仕事で人手が不足すること。何らかの社会保障制度と抱き合わせにする必要がある。兵役義務化によって人数当たりの管理出来る家畜や畑の数は間違いなく減少する。レスリャジン部族予算から訓練参加者に対して賃金、参加報償を渡してその代替とするのが望ましいと思われるがそれはそちらで調整して欲しい。現金よりも現物支給が良い場合もあるな。先例があるだろう。軍査閲と矛盾しかねないが訓練も総員集結は可能な限り行わず、動員名簿を数分割した方が良い。例えば五分にして、第一名簿から動員し、ある百人隊から二十名だけ召集して訓練。訓練が終了したら第一名簿の二十人を帰して、次の第二名簿からまた別の、重複しない二十名を召集して訓練と分けるか、それはそちらで工夫してくれ。百人隊勢揃いの訓練も必要なので、他の百人隊に残した家族や家畜の面倒を見させる制度も必要。同じように千人隊勢揃いの時もそれを応用したいが、こうなると氏族間対立が発生しやすくなるので流石に難しいか? 兵士の誤魔化しをさせないようにしつつ、家の仕事を放棄させないような微調整が必要だ。その微調整は同じ立場にある君等三人が代表になって考えなければならない。従来より人に対して家畜や畑の量を減らし、軍へ人を出しても残る家族で世話が出来る程度にしなくてはならない。世話をする分が減っても生活出来るようにすれば、訓練や作戦の忙しさも合わさって自然に適正数に落ち着くだろう。ベルリク=カラバザルは狩猟の延長線上に傭兵業務を行って敵を人を狩って暮らすという宣言をしている。その宣言に沿うのなら放牧耕作の割合を減らし、軍事活動に注力する必要がある。従来の放牧耕作の生産分を削いで食っていくためには、傭兵で稼いだ金で外から、商人から物を買わなくてはならない。現物ならばマトラである程度用立てられるが、現在の生存圏では需要に追いつかない可能性がある。現状だが、マトラの食糧生産量が冷夏と同胞流入と重なって全人口を賄えていない。であるから食糧輸入を行っている。これは悪辣なる資本主義の猛威に曝されることになる。マトラも同様、これから生産量が減じてくるレスリャジンも同様。軍事優先で自給能力が削られれば必然商人如きに命綱を握られる。これは生存戦略として避けたい。だが極論だけでもどうにもならない。半公共団体であるナレザギー王子の商会を利用するのが現在の折中案だろう。魔神代理領商人もそこまで悪辣ではないが所詮は商人で拝金主義、命運を託すほどの信頼性は無い。商人との交渉に際しては集団、軍主導で買う方が効率が良いと思われる。報酬を個人単位で渡すのか十、百、千人隊単位で渡すのかはそちらで決めるように。個人が商人相手に個別交渉すると足元を見られかねないし、交渉費用が嵩む。品目毎にどの単位で管理するのが適切か隔たりがあるはず。食べ物は家族単位だろうし、農工具なら集落単位、火薬は部隊単位か。やはりその辺は自分達で工夫して最適解を見つけてくれ」

「ゼクラグ将軍、やはり制度が固まるまで残っては貰えないのですか?」

「同胞ならともかく、レスリャジン部族の、人間の組織、特に末端部の都合を理解出来ていない。一方的に画一的に押し付けて良いのならばいいがそのような訳にはいかないだろう。部族的な均衡、性質、特徴に合わせて調整しなくてはいけない。その点は当事者であるあなた方が調整するしかない。妖精の軍人として教示出来るのは今言っている範囲が精一杯だ」

「分かりました」

「部族内刑罰の新しい慣習。決闘は一家揃って全滅するまでやらせる。中洲要塞の方で実際にやったとは聞いているが、見せしめである。これの真意は内紛禁止ということ。身内争いで悪戯に人的資源を失うことを防ぎたいからだ。費用と手間を掛けた兵士が喧嘩で死んでしまっては損失しかない。であるから決闘になる前に周囲が、強制力が足りなければ族長でも部隊長でもいいから阻止させるようにする。家庭問題のようなことに対しても軍部から武力干渉出来るようにする。家族の問題だから口を出すなと言われれば、おそらく人間は干渉に消極的になるだろう。であるから家族の問題ではなく軍全体の、部隊構成員に対する問題として対処する。折角全人民が女性の兵役義務化によって軍指揮系統下に入るのだからその指揮系統のまま、部下同士の争いを仲裁するように家族、隣人も仲裁する。例えばだが、暴力沙汰の絶えない家庭があれば兵士を出して暴力を使ってでも両者を強引に引き離す、ことだな。家庭消滅の際に離婚、再婚、養子縁組、財産管理など色々と問題はあるだろうが、それは人間家族が分かる君達が調整することだ。今まで説明した制度が導入されれば公私の別は無くなる。無いなりに対応出来るとは思う」

 それと最後に。

「それから女性兵士用のセレード族風の鉄仮面の改良品が量産体制に入った。東方遠征前に数は揃う予定だ。その第一作目を差し上げる」

 トゥルシャズに改良型鉄仮面を手渡す。

 まず薬包を噛み切れるように仮面の下半分を省略。端に穴を開けておいて頭巾に縫い付けても、紐を通すようにしても良いように。余りやらないとは思うが髪飾りのように髪に留めることも紐次第で出来る。目の開放部分は大きめにして視界の邪魔にならないようにした。肌が見える分威嚇効果は減じるが、射撃戦が中心になるので仕方ない。

「以上だ。大枠はこの通りだが、やはり細かい数値等はそちらで試行錯誤して調整するしかない。実体に則した制度を練り上げるまでには試しに行ってみて、不具合があれば修正して、を繰り返すしかない。失敗を恐れず、不変を恐れろ。初めから無欠の完全解を求めていては何も出来ん」

「……父さん、分かる?」

「カイウルクおめぇよ、俺が分かるかよ。親父代理のおめぇが分からんでどうすんだよ」

「だってさ。何やるかは分かる気がするけど実際に何するか見当つかないじゃん」

「いや、何するかってのは今ゼクラグが喋った……よな?」

 であるから文書にして残した。

「あー、はい、はい! 私、分かりますよ。大丈夫です」

 トゥルシャズが分かりやすく頷いて手を、声を上げる。演技が入っている。

「流石姐さん!」

「ケリュン族は頭が違うなぁ」

 しかしそれで安心するのがこのレスリャジン族の支配者層の親子。

「いえいえ、これぐらいしか取り得がありませんので」

 天文学や数学に精通し、占術を用い、遊牧帝国域で知識者層として重用されてきたケリュンの一族は確かに頭も役も違うようだ。大雑把な教義の蒼天教と、教義理解に教育が必要な玄天教ではこうも差が出るものなのか。


■■■


 軍事顧問団と産業振興団の人員物資を揃えて三七番に集結。そしてマトラからマリオル港に出発する。ゾルブ司令が最終調整をし、一応自分が再確認をして問題無しと判断。いかに万全にしようとしても手抜かり、想定外はあり得るから人と物が足りなくなったら直ぐに現地に取り寄せられる手続きを確認しておいてある。

 揃って街道を南下するために隊列を整理中。隣には何故か、騎乗するジールトが一人でいる。レスリャジン部族でも無ければ同胞労農兵士でもなければ成人男性でもない彼は中々気ままにスラーギィやマトラを行き来している。非正規に私的な伝令や郵便をしたり、道中に倒れている怪我人病人を救助したりと細やかに仕事を請け負っているとは聞いている。訓練義務も労働義務も無い存在もあながち不要ではないという実例であるので一先ずは処置していない。

「出張先には連れては行けないぞ」

「ゼクャーキあのね、お母さんの代わりに僕が村を探すんだ」

「それは殊勝なことだ」

 ワゾレで軍務があるサニツァに代わり、代役のジールトがイスタメルへ捜索に行く。不毛であるが、人間的には合理的な折中案であろうか。サニツァの了解を得ての行動かは知らないが、自己判断で動ける者が優秀とする遊牧民思考に則ればその範疇かもしれない。

「ジリャーカ! あんた何してんの!?」

 巻き舌が強烈、耳に厳しい高い声”小ナシュカ”ミリアンナが走ってやってきた。昔は大人しかったが成長するものだ。彼女はサニツァと活動を基本的に共にするが、戦地には同行しない。ワゾレは、ワゾレ市建設予定地も戦地扱いである。

 ジールトは自分の陰に隠れる。

「内緒内緒」

「既に露見している。潜伏が目的なら迅速に捕捉を免れられる次の場所へ移るんだな」

 軍事教練を受けていないせいか行動が軍事科学的ではない。

「あんたまた黙ってどこ行くつもり」

「村を探してくるの。お母さん、ワゾレに行っちゃったし」

「あんなしけたゴミ村残ってるわけないでしょ! ラシュティボル派か……」

 ミリアンナがこちらに一度視線を向ける。流石に無名の川沿いの村というだけで特定は困難。

「……もうとっくに滅びてるわよ。それか全然違う人間が住み着いて全く変わってる。もうあんなところは無いの、無駄!」

「じゃあダラガンくん探す?」

「あの糞野郎の名前は出さないで。頭に来る!」

「ヘルニッサ?」

「焼けてもう無い」

 あれは再建されていない。畑の跡地を利用してマリオル人が入植している。

「お姉ちゃんの家族?」

「私の親はサニャーキでゼクャーキで弟はあんただけ! もういいから来なさい」

 ジールトの馬の轡をミリアンナが引いて行った。

 不毛な行為を回避させるとは科学的に育ったな。


■■■


 準備が整い軍事顧問団と産業振興団は出発。

 進む途中、集団言語教育に、例文を読み上げる教師に続いて復唱する流入同胞達の声がマトラの森に響いて大変結構。

「これはコオロギですか? いいえ、それは今朝見つかった食べかけの干物です」

『これはコオロギですか? いいえ、それは今朝見つかった食べかけの干物です!』

「橋を渡っている同志は明日には橋を渡っています」

『橋を渡っている同志は明日には橋を渡っています!』

「坂を転がって落ちたら懐に入れていた資本主義者が潰れて粉砕されていました』

『坂を転がって落ちたら懐に入れていた資本主義者が潰れて粉砕されていました!』

「それは馬であったがしかし、鉄鉱石に見えます」

『それは馬であったがしかし、鉄鉱石に見えます!』

「それは私に必要ありませんが、あなたにも必要ありませんでした」

『それは私に必要ありませんが、あなたにも必要ありませんでした!』

「あだ名がにゃんぷーだった者に渡すマトラまんは一個までです」

『あだ名がにゃんぷーだった者に渡すマトラまんは一個までです!』

「休日でもないのにオチャンケピロピをするなんて信じられません」

『休日でもないのにオチャンケピロピをするなんて信じられません!』

 うむ。

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