第256話「ヤバい、でも」 ジュレンカ

 オルメンにて我が軍高級幹部級と聖戦軍諸侯に要人が一堂に会した。顔合わせ並びに、ヴァルキリカ猊下の口から新しく濫発された称号の認識共有のためだ。有象無象の称号はさておいて、西部方面で重要なのはクネグ公シレム・パンタブルム=ユロングがナスランデン王に、ヴァッカルデン伯マロード・フッセンがガートルゲン王に戴冠して両地方の権威者となったこと。とりあえず今後の彼等を呼称する際に肩書きを間違えないように注意する。

 西側貴族の会合となると社交舞踏があると推測されて、頭領閣下の練習のお相手をした。

「夜会服の用意が無くて、戦装束にてお相手致します」

 相手に気を合わせ、楽曲に合わせて動き続ける。一度合えば気は一つ、しかし交わることはない。交わってしまったら足を踏むことになる。それは減点。

「じゃあその靴に俺はどう合わせるかな?」

 きゃわーん!

 会合は聖職者主導のもので社交舞踏の機会は無かったそうだ。別に無くてもいいのよ。


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 マトラ人民義勇軍は今後師団を分散配置するためそう何度も顔を合わせる機会はないので、全員で話し合う機会を設けた。

 話し合いの進行をするのは勿論ラシージ親分。今更ながら、親分とは役職なのかあだ名なのか今一つ分からない。以前に理路整然と喋るゼクラグに聞いたが、何を言っているんだお前は? という髭面をされた。親を何で親と呼ぶのかと言われたような髭面であった。引っ張るぞ髭め。

「ナスランデンよりガートルゲンに至る南北の対ロシエ防衛線、以後西部戦線と呼称する。その西部戦線をマトラ人民義勇軍並びにレスリャジン部族軍で受け持つことになった。この会合の後にベルリク=カラバザル頭領と調整に入る。まず該当地域をこれまで担当してくれたゼクラグ第二師団長から意見を聞きたい」

「西部戦線は縦横に広く、防御作戦を実行する際には機動力を活かす必要性があります。ロシエとしては国境線のオーボル川渡河作戦は一斉同時に行わなければ各個撃破の恐れがあるので、時刻を合わせてからの同時攻撃となる可能性が高いと思われます。大軍を有し、相手の全戦線に同時打撃を加えて過負荷状態に陥らせて予備兵力の投入を間に合わなくさせる戦術をロシエは大陸戦において得意としています。数に勝るロシエ軍の全戦線同時打撃に対しては弾性を持たせて局所有利を獲得出来る防御でなければ予備兵力を活かせずに打ち破られる危険性が高くなります。地域は広いですから、必ず敵の足並みは一直線に揃いませんし、こちらの機動次第で揃わせないことは可能です。これには統一された指揮系統が必要。在郷ナスランデン軍は統一指揮下に入る可能性は低いです。戦況悪化の際に裏切る可能性もあります。またクネグ公領近辺から交渉で排除することも困難なので現地で防御作戦を取らせるしかないでしょう。言うことをある程度聞きやすい在郷ガートルゲン軍とは交渉、聖戦軍指揮官経由で排除して頂きたい。別戦線に移動させて欲しい。あれら人間の軍は機動戦を行う時に邪魔にしかなりません。練度が高く連携も取れているレスリャジン部族軍とは比較にならない。水系複雑で大型船舶も侵入出来ず水上火力は限定的で、地形的にも戦線が硬直しやすいクネグ地方はともかく、ガートルゲンだけは在郷軍の撤兵を確実にして頂きたい。居住地を防御陣地とし、後退時に家を焼き、井戸に毒を入れる時に一々抗議されては作戦に支障をきたします」

「ベルリク=カラバザル頭領経由で聖女に進言するようにしよう」

 次はゾルブ第一師団長。何というか彼は隙無く鉄壁だ。ゼっくんはあれでもまだ愛嬌がある方だ。

「ナスランデン北部はクネグ公領だけをナスランデン軍が集中して担当するように仕向けて欲しい。その南部側の湿地帯は我が第一師団に任せて頂きましょう。ランマルカでは海兵隊教育を受けました。水陸戦術を役に立てます」

「同じくベルリク=カラバザル頭領経由で聖女に進言するようにしよう。またそのように第一師団を現地で訓練するように。諸事は他の者に任せて専念するように」

 次はボレス第三師団長。突然変異のぷにぷにぽよん。喋る口は憎たらしい。

「分遣旅団の応用。各師団から山岳兵を抽出してウルロン方面に配置される師団の通常歩兵と早い内に交代して指揮系統を整理しておくのが良いですな。敵の攻勢次第ですが、山岳兵の優勢不動が確立した後は分遣旅団を編制して、劣勢になりやすい中央方面に向かわせる用意をしておくのが妥当でしょう。それから各地形に合わせて砲兵連隊の配属も調整した方が良いでしょう。平野が多い地域には騎馬砲兵隊中心のような。地域別に四師団の再編制表を作成するべきかと。良くも悪くも各師団、万能で万遍なく、得意が少ない」

「ナスランデン軍とガートルゲン軍の最終配置が決まり次第そうしよう」

 それから自分、ジュレンカ第四師団長。靴に気付いたのは頭領閣下だけだし、香水の匂いを香ったのも頭領閣下だけだし、さりげなく机に鞄を置いても誰も目線すら配らなかった。マトラって本当にお洒落が無い。偵察隊がやってるあれは違うだろう、きっと。

「機動力のお話から、南部から連れて来ている傭兵、同胞も含めて西部戦線から外しましょう。オルメン方面へ移動出来ないなら南部へ送り返してしまいましょう」

「予備兵力は必要と考えるが、考えは何か?」

「高度な機動戦に追いつけないので邪魔です。南部で確認しましたがやはり練度や士気からも一時的な盾にしかならないので組む時にやはり邪魔です。同胞でも意思疎通に不備がありますし、責任者にしている傭兵隊長ヒルド、あれは腹で別のことを考えています。危機に役に立ちません。我々の戦場からは不純物を排除するべきでしょう。同時に現地全域で武器狩りを実施し、友好的であると目される民兵も排除する必要があります。可能なら住民退去を。引き込んだロシエ兵に温かい寝床、清らかな水、現地調達出来る食糧から何から与えないためには住民も排除するべきです。彼等の持ち物は未来のロシエ兵の鹵獲品になります」

「確かに。焦土作戦展開については聖女から可能な限り譲歩させよう」

 その後も話し合いを続けたが概ね内容は、弾性を持たせた機動防御志向で、四師団は再編制を前提とし、我々以外の軍隊は現地より排除し、焦土作戦を前提とすることになった。


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 縦深防御計画が策定された。ラシージ親分が我々の要望を可能な限り叶えてくれた。

 ロシエ国境のオーボル川沿いの橋は全て破壊。ただし再建計画、設計図は用意しておく。

 ロシエに対する逆侵攻はしないことになった。我々はロシエの侵攻を防ぐ事に専念し、聖戦軍が中部諸侯を降伏させるのを待つという消極的な悪条件が付く。聖女の意向である。聖戦軍の諸侯達に征服した地域を与えるという餌を見せて好戦的な性格にさせたいようだ。

 ロシエがオーボル川沿いの橋を再建した時に備えて破砕船を用意。敵の侵攻を遅らせる目的にも、敵の撤退を防ぐ目的にも使える。

 ナスランデンからガートルゲンにかけて都市と要塞、塹壕と防塁の防衛線には弾性を持たせて多重に設定。地雷原も――流石に有限なので要地に限る――設置。偽装退却からの誘引、後方遮断からの包囲殲滅も志向する。

 戦線内を縦横に走る道路の整備拡張、新造は軍配置が決定してから無用な工事は中断された。

 ジルマリアという神聖教会の者の指揮で保安隊、補助警察、神聖公安軍が動き、住民から武器を取り上げ、反乱勢力予備軍と見做された者達が予防鎮圧されていった。そして生き残った住民は皆従順になり、軍の機動を邪魔しない場所へ退去した。

 ナスランデンを鉄の胸とし、ガートルゲンを曲がる腕にする。

 ナスランデンは地理に明るい在郷のナスランデン軍が不動に守る。聖女の資金援助によりザーンの河賊を雇ったそうなので守りは固いらしいが今一つ信用に欠ける。ゼクラグの前でロシエ兵の首を斬るなんて見世物をしたらしいが、そんなものは約束にもならない。依然としてナスランデン軍の寝返りは警戒するべきだ。散々に逆らえばどうなるかの見せしめはしてあるから素直にいくかは分からないが。

 ガートルゲンにおける防衛線を曲げる際にはどうしても現地を焦土化し、犠牲にする必要がある。その時に在郷勢力であるガートルゲン軍がいると厄介事が起きる。こちらの作戦計画を妨害する可能性だ。いかにガートルゲン王が従順であろうともその配下が独走しないことを保証するわけではない。故郷第一の彼等は局地的にしか信頼出来ない。戦略的には潜在敵である。そんなガートルゲン軍の別戦線配置が決定されたことは喜ばしい。

 計画を進めるたびに物資を移動させる必要が出てくる。特に四師団内部隊交換による防衛適正最適化編制は大掛かりだった。その際にギーレイ族のガロダモ、ニクール率いる獣人騎兵隊が物資再配置任務に当たって活躍。人と馬は疲れるが荷物は疲れないという、昼夜を通した止まらない物資輸送を実験的に行った。理屈は分かるが、さてどうかという感じではある。


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 西部戦線の防衛力強化を進めて秋になる。

 オーボル川経由で、外交使節としてロシエ東部軍ガンドラコ元帥がガートルゲン地方を通過した。

 冬になる前の秋にロシエ軍が攻勢に出て来る気配を薄めた。今、外交使節として東に行くということは冬開けの春季攻勢を狙っているのか? それともそういう陽動か判別し難かった。

 それから中部の敵勢力が団結して中央同盟を結成した。

 盟主マリシア=ヤーナ・カラドス=ケスカリイェン。

 盟主補佐グランデン大公アルドレド・コッフブリンデ。

 同盟軍総指揮ブリェヘム王ヴェージル・アプスロルヴェ。

 グランデン軍筆頭指揮官メンフルク伯ハイベルト・ホルストベック。

 という顔ぶれである。その結成式典には当のガンドラコ元帥も出席。

 そしてガンドラコ元帥の帰還と交代するようにロシエ外務大臣夫妻一行がガートルゲン地方を通過した。ロシエと中央同盟の協力関係が強固になっている証拠だ。

 外交使節の通過を妨げるのは習慣的にも国際的にもやってはいけないことの内に入る。防衛線の偵察などは出来ないように監視護送役は付ける。

 こちらの防衛力が強化されているのと平行し、ロシエ東部軍も増強され続けた。偵察によれば二十万の大台にまで膨れ上がったという報告である。


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 春季攻勢が予測されていたがロシエ東部軍は秋の内に西部戦線全正面に対して攻勢を開始した。

 オーボル川の渡河は非常に素早く、橋頭堡を確保するための河川艦隊による上陸は速やかで無駄が無く、船を繋げた浮き橋の建設速度は熟練のもの。それに加えて大奇跡による川の凍結、川底の隆起を行って魔術的にも足場を確保して一挙に渡って来た。これらの要素に加え、各地の、秋季水量と照らし合わせた浅瀬も熟知していた様子だ。地の利は防衛側と言えどこちらに大きく寄与しているわけではないと分かる。

 ロシエ東部軍は良く引き込む作戦だ。渡河に対して決定的な妨害はしない。

 オーボル川を渡りながら『グータロッサ!』とバルマン訛りにロシエ万歳と気勢をあげるロシエ東部軍のバルマン兵に対して散兵が威嚇ではなく数を減らすように慎重に狙い撃って殺し始める。それを最前線で眺める。

 船に浮き橋に氷上を渡り、浅瀬を掻き分けてくるバルマン兵を部下達が施条銃で一方的に狙撃して殺す。敵河川艦隊からの多少の艦砲射撃はあるが、我が方の散兵は目立つような場所にはいない。

 この川沿いの放棄前提の防衛線は数にも数えない。柵と監視塔と、集中配置もされていない弾薬わずかな砲台からの砲撃は賑やかし程度。

 ここガートルゲン地方北部にはおよそ三万余りと云われるバルマン人部隊が攻撃を行っている。勇猛愚直な”ロシエの拳骨”と謳われるロシエ最強の兵士達だ。

 これに対して我が第四師団は多少増強された程度で兵力一万五千。地形的に森林は多いが見晴らしが良好で街道も多くて大部隊でも動きやすい。攻撃されやすくて防御には余り適していない。

 増強部隊と言ってもギーレイのガロダモ、ニクールの獣人騎兵隊とナレザギー殿下の武装商社員が後方支援業務で助けてくれるだけで直接戦力ではない。

 頭領閣下は我々に激しく攻撃されて滅茶苦茶に傷つけられて血を大量に流せと命令したも同然。

 散兵線を敷いて、銃撃を加えながら敵の進行に強固には抗わずに後退を続ける。暫時後退をし、移動し続けるこの散兵線を維持するために最前線で状況を確認しながら、少しずつ後退指示を出すのだ。

 散兵が施条銃でバルマン兵を撃つ、赤い点が軍服に浮いて倒れる。愚直なバルマン兵は噂通りに味方の死に構わず前進してきて太い声で「グータロッサ!」と張り上げる。

 猟兵が狙って隊列の先頭に立って先導する敵士官を撃ち倒す。次席士官が慌てずに指揮を引き継いで先頭に立って先導し、それが倒れてもまたその次席士官が先頭に立つ。何度も繰り返して遂には下士官が先頭に立ってもバルマン兵の隊列は動揺の素振りも見せずに前進を続ける。方向転換は難しい様子。

 我が散兵達は柵に草むら、林の木々に窪み、水を抜いた灌漑水路、事前にその辺から掻き集めたガラクタの防壁にと後退し、滑腔銃の有効射程圏外に居続けることを意識しながら狙撃し続ける。

 混乱を助長するために部隊位置の把握に役立つ旗手も撃ち倒す。歩調を合わせる軍楽隊も撃ち倒す。しかしバルマン兵は簡単に挫けない。広い足場まで撃ち殺されながら前進したら『グータロッサ! グータバルマン!』と喚声を上げて銃剣突撃を敢行。これにはまともに取り合わないで走って後退し、散兵の予備第二線に狙撃させ、反撃準備を整えたら後退した第一線も狙撃を開始する。

 散兵線は隊列を組んでいるわけではないのでこのような突出した突撃をしてくる部隊がいれば、周囲から手を余している部隊が集って集中射撃を加えるように訓練してある。集中射撃でも粉砕出来ないなら更なる予備の突撃隊を呼び寄せ、拳銃、手榴弾突撃で突出部隊を撃ちまくって撃破する。撃破後は突撃隊を後退させつつ、第一線は敵の滑腔銃の有効射程圏外ギリギリのところまで前進して新たな敵への狙撃を始める。

 散兵を霧のように敵戦列にべったりと張り付かせ、しかし掴もうと手を伸ばせば直ぐに後退させる。

 敵も軽歩兵を繰り出してくる。西側では有名な施条銃の扱いに長けるロシエ猟兵も含まれる。

 必ずこちらは体を隠せるような位置について軽歩兵、猟兵を狙撃する。ロシエの施条銃よりも射程の長い重小銃でそれらの敵士官を狙撃することも重要。

 恐ろしくそして慎重に対処しなければならないのがロシエの騎兵。特にバルマンの重騎兵は世界最強と名高い。騎手も訓練され、馬も大きく素早くて持久力もある。衝撃力は途轍も無い。重騎兵だけではなく軽騎兵も、今までの南部にいたような乗馬の出来る貴族子弟が集合してみた程度のものとは違う。

 敵戦列歩兵が威嚇射撃をしながら前進してきてこちらの散兵がそれへ射撃を集中。その隙を突いて足の本当に素早い軽快な敵軽騎兵が、その戦列を一時的な盾にしてから一気に剣を持って襲歩で駈けて来る。

 我が方の散兵であるが、密集隊形が出来ないわけではない。敵騎兵の襲撃があれば指揮官の号笛合図で密集し、銃剣先を並べて騎兵突撃に対して一斉射撃を加える。再度射撃の機会があれば弾薬を再装填してもう一度一斉射撃。そして護身用拳銃を手に取り、生き残りの騎兵に対して銃剣先を――馬の目が良い――向けながら、個別に剣を向けてくる騎兵へ拳銃射撃。

 騎兵突撃に対しては複数部隊が連携すれば確実に銃撃で数を減らし、接近しても拳銃と銃剣でまともに剣を振らせない。乗馬射撃を多少受けてしまうが部隊壊滅には至らない。

 毎回そのように上手くはいかない。敵歩兵と騎兵の連携に対処出来ずに剣と馬蹄に密集隊形を粉砕されることもある。我が同胞兵士は騎兵突撃ぐらいで士気喪失はしないので、衝撃力で隊形を砕かれても戦闘は放棄しない。至近距離からの銃撃で確実に騎兵を仕留めることに集中し、撃った後は銃剣を振るって隣の部隊が救出しに来るまで耐える。

 突撃隊には小銃と銃剣はないが四丁の拳銃がある。良く引き付けて拳銃を替えて連射すれば最大四騎を仕留めることが出来る。手榴弾も持っているので、前方へ点火して投擲しておけば足止めにも使える。

 敵騎兵に対しては勿論、障害物を利用して突撃を防ぐし、各所に杭を用意してあるので馬防柵を立てることも出来る。士気崩壊さえしなければ騎兵は最悪の敵ではない。我が同胞がそのような精神状態に陥ることもない。

 休まず、つかず離れずにバルマン兵部隊の最前列に散兵を張り付かせて撃ち続けた。

 自分のところへは広い第四師団担当の各地から伝令が引っ切り無しにやってくる。各部隊は己のするべき仕事を把握しているので、連絡は取り合うものの特別な指示を下すことはほとんど無い。部隊の末端単位まで自分がやるべき行動を把握出来ていれば攻撃と防御、前進と後退、隣接部隊への支援要請が部隊単位で自己判断が出来る。

 バルマン兵を良く殺しつつ後退を続け、要塞線と呼べる第一次防衛線近くまで後退する。伝令を出して各隊には防衛線に入って休憩しつつ迎撃体制を取るように指示を出す。この程度の指示で十分。

 後退をさせながら、状況を確認するために最前線に立ち続け、靴も泥塗れ、服にも血と泥の染みがついて、髪型も乱れて毛が跳ねて、香水の香りも薄くなってきた自分のところにも、割りと運悪く敵騎兵が迫ってくる。目立つ士官用の軍服ではなく迷彩野戦服姿をしていたので指揮官狙い討ちというわけではないと思われるが、その騎兵は有名な重装槍騎兵だった。他の馬と比べても足音の重さと響きが違う。

 直近の護衛兵が施条銃で狙撃をする。重騎兵とはいえ命が二つあるわけではないので銃弾を受ければ倒れるが、馬体が大きい分多少の怪我を物ともせず、騎手は胸甲と兜を装備していて時に銃弾を弾き、直撃しても軽傷程度で済むこともあるようで軽騎兵を撃った時のように倒れてくれない。その上で、最終突撃動作に入る前のロシエの槍騎兵は隊列を散開させているので的がまとまっておらず撃ち辛い。

 騎兵指揮官を護衛兵が狙撃で落馬させるが、今まで相手にしてきた部隊と同じく次席の士官があっさりと指揮を引き継ぐ。落馬した指揮官は後続の騎兵に踏み潰されたように見えたが、そんな程度で動揺はしないようだ。

 護衛兵指揮官が号笛を吹いて密集陣形を取る。敵重装槍騎兵隊も最終突撃動作に入って隊列を密集させ、臆病な馬が銃撃の恐怖で直進を止めないように止まらない群れと化すよう仕向ける。

 密集陣形の中央にいて、護衛兵達が素早く敵重装槍騎兵を撃ち続ける。続々と撃ち倒すが、騎手も馬も停まる気配は無い。隣接部隊の射撃支援が始まって数は減り続けるが、散兵を踏み潰す数は十分。

『ギーダロッシェ!』

 ロシエ騎兵伝統のアラック風のロシエ万歳。

 もう一つ、密集陣形以外の騎兵突撃対策というものがある。護衛兵指揮官が衝突直前まで射撃をさせ、そして「散開!」と号令。自分も含めて、密集隊列で真っ直ぐやってくる敵重装槍騎兵の突撃進路外へ全速力で走る。走りながら、護身用拳銃を撃って被害を抑制。

 衝突直前の拳銃射撃に倒れる者、逃げ切れずに槍に串刺しにされて掲げられる者、馬に潰されて人型を失う者もいるが、死ぬ間際まで拳銃の狙いを敵に定めて撃ったので返り討ちにはしていた。

 自分も、密集隊列の端にいた騎兵が突き出す槍先を目前にするまでになったが、ニコっと笑ってやってから拳銃で馬の肩を撃ち抜いたら、穂先の風切る音が聞こえた程度で無傷に済んだ。

 その密集隊列の突撃は暴走するまでに猛進しており、散開した護衛兵達を追いきれない。隣接部隊の射撃を受け、馬を旋回させて制動している内に散兵の霧の中で潰れる。

 敵重装槍騎兵隊の突撃には、その突撃の効果を高めるための戦列歩兵の一団と軽騎兵隊が第二波として用意されていた。我が護衛兵は散り散りになっている。ここで敵軽騎兵隊は好機を逃さずに前進してくる。

 予備の第二線からの増援がやって来ているのでそれへの合流を図る。突撃隊もやってくる。

 敵軽騎兵隊も足を早めて突撃に入る。騎兵は頭が狂っているくらいに勇敢な者がなる。先に重装槍騎兵が壊滅したからといって、そんな程度で臆する神経を持っていない。そういう伝統でそういう教育を受けている。

 もう間も無く第一次防衛線に到着するというのに訪れた第四師団長戦死の危機。

「んふふふ」

 ヤバい、でも楽しい! これこそ戦の味。楽勝に蟻みたいな雑兵軍を踏み潰してばかりじゃ、ちょっとしか楽しくない。こういう危機が無いと駄目。

 サヴァルヤステンカ公国の時は弱小勢力だったから大体、毎回危機の連続だった。リャジニ公国に滅ぼされてそこの奴隷になって家庭教師と連隊指揮官を兼任していたときも、負けず劣らず弱小勢力だったから大体、毎回危機の連続だった。

 拳銃の弾薬を装填し、拾った部下の施条銃に拳銃にも弾薬装填。ベルトに拳銃を突っ込んで施条銃を構える。護衛兵達が再集結しながら敵騎兵を狙撃。自分も狙って軽騎兵を撃つ。当たる、倒れた。まだまだいる。

 大砲の音が敵側から聞こえ始める。騎馬砲兵の展開が始まり、我が散兵達を撃ち始めているらしい。戦列を組んでいるわけではないから多少の砲撃で壊滅的に打撃は受けないが、騎兵突撃に対応する時の密集陣形に撃ち込まれると厄介。

 そう厄介。集結中の護衛兵が二人、敵騎兵砲の小さめの実体弾を受けて足が千切れた。その一人から施条銃を受け取って、迫ってきている軽騎兵を撃つ。当たる、落馬、お上手。

 第一次防衛線は直ぐ近く。敵騎馬砲兵隊が続々と支援射撃の体制を築き、そして榴散弾の雨を食らう。我が砲兵隊の射撃が始まった。このくらい引き付ければ今すぐに敵が逃げ出してもしばらく効力射を浴びせ続けられる。

 事前に距離を測って諸元を手に入れている砲兵隊は、敵位置の確認が出来たら観測射も不要にすぐに効力射に移れる。

 折角前線に出張ってきた敵騎馬砲兵隊が榴散弾の雲から振る鉛の雨で潰れる。その砲撃支援を当てに前進する敵戦列歩兵隊も潰れる。的の大きい敵騎兵隊はもっと良く潰れる。

 もう一人の施条銃を拾って、多少の榴散弾を浴びながらも襲歩に移って『ギーダロッシェ!』を叫んだ敵軽騎兵を狙って撃つ。馬が倒れて何騎かまとめて転ぶ。

 護衛兵達も撃ち続ける。隣接部隊も集まってきて撃つ。突撃隊は、位置が悪かったか衝突まで間に合わないか?

 拳銃で狙う。撃つ、当たったと思うが、さて。

 軽騎兵が近くなる。もう一度「散開!」と護衛兵指揮官が指示。

 軽騎兵といっても馬は重量種に対して軽量というだけでかなり馬体は大きい。

 走る勢いに乗せた剣先が迫る。大体、首の高さ。横に伸ばせる距離は……横に直前まで引き付けてから、合わせて足を運んで避ける。次に後続の騎兵の突き出す剣も直前まで引き付けてから、相手の殺意に合わせて足を運んで避ける。通り過ぎた軽騎兵の背中に拳銃を撃つ。当たった、落馬。

 密集して突撃してくる騎兵隊の中央にいたら流石に助からないが、端辺りにいればそこまで怖くない。踊りと同じで相手に合わせてさっと足を引いて重心移動すれば交わらず足を踏むこともない。下手な相手と踊るより簡単。リャジニ公の坊ちゃん方の方が手強かった。

 刀を抜いて、切りかかってくる落馬した軽騎兵の剣に刀身を当てて滑らせて、相手に合わせて動いて背後に回って延髄を切り裂く。とっても簡単。

 そして後退支援にやってきたギーレイ獣人騎兵隊が第一次防衛線から出てきて、騎乗弓射で軽騎兵を撃退し始める。刀や拳銃だけ持っている騎兵など破るに容易そうだ。

 明らかに風の切り方が違う矢が百中に、残った騎兵をまとめに掛かっている敵騎兵士官を射抜き、それからまとまり始めた軽騎兵を一矢で二騎貫通するような芸当も交えて敗走させた。そんな弓使いは、少々の歳の過ぎたギーレイの真っ黒犬頭、ガロダモのニクール。馬に乗ってわざわざ前線の自分のところにまで顔を出しに来た。

「指揮官がそう長く雑兵を相手するものではない」

 おまけに説教つき。その為に来た可能性は高い。状況と合わせて説得力の高いこと。

「指揮官先頭はオルフの伝統です」

「だから安定しない」

 それを言われると反論のしようもない。指揮官先頭で戦って死んで相続争いからの内部分裂はオルフ諸侯の常。

「タンタンに怒られちゃった」

「誰がタンタンだ」

 流石に二波に渡る騎兵突撃を粉砕されては攻撃計画が狂ったらしく、残る後続の敵戦列歩兵隊は前進を躊躇った。躊躇っている内に榴散弾を浴びて、どうせ死ぬならばと『グータロッサ!』と声を上げて前進を開始した。流石はバルマン兵、指揮が麻痺したら足ではなく頭を麻痺させて攻撃を続行する。素晴らしい、人間にしては。

 砲兵の邪魔になるので第一次防衛線まで後退する。


■■■


「砲弾配送!」

「砲弾受領!」

「砲弾再配送要請!」

「砲弾再配送了解!」

「撃て撃てどんどん!」

「もっと撃てどんどん!」

『人間共をぶっ殺せ!』

 第四師団は多重の塹壕を連ね、防塁、砲台や監視塔を設置し、要塞化した村や都市を線上に交えた第一次防衛線までの完全後退を完了。用意されていた食事に水に武器弾薬を受け取った。撃ち過ぎた銃砲は暴発の危険があるのでケチケチしないで新品と交換。

 川岸からここまでの後退で敵味方双方に大きな被害が出ている。バルマンの騎兵歩兵は共に士官下士官を殺されても攻撃を止めず、兵卒を大量に殺しても壊走しない。皆殺し間近になれば流石に無力を悟って敗走する。だが戦意は目に見えて衰えていない。

「弾着観測情報!」

「東に修正三度!」

「砲角調整完了!」

「観測射撃続行!」

「撃て撃てどんどん!」

「もっと撃てどんどん!」

『人間共をぶっ殺せ!』

 バルマン兵は愚直。であるから塹壕と砲台から一方的に射程距離に勝るこちらの銃砲撃を受けて玩具のようにバタバタと倒れる。倒れても倒れても怯まず死にに来る。

 戦列歩兵の壁が迫る。狙撃で士官を皆殺しにするまで撃っても前進を止めず、むしろ指揮を失ったら全速力で『グータロッサ!』を叫んで突撃を敢行。砲兵が榴散弾を浴びせて隊列の真ん中を薙ぎ倒して弱弱しい二列縦隊にしてしまっても足を止めず、缶式散弾を浴びてほぼ全員が倒れても即死しなければ這って進んで来て、限界を悟ってそのまま一発撃って事切れる。

 愚直に突撃する部隊が一つ二つならまだ良いが、三つ四つ五つと重なると一部が塹壕に雪崩れ込んで白兵戦になる。白兵戦中の箇所は外に対する射撃が一時麻痺するのでその地点の阻止能力が低下して危機に陥る。第二線の塹壕から予備待機の突撃兵を投入して拳銃と棍棒と手榴弾で排除させる。排除が長引くこともあり、敵の突撃がその地点のみならず周囲でも成功しやすくなって死傷者が続出。

 そんな白兵戦の長期化を防ぐために、味方諸共梱包爆薬で吹っ飛ばして射撃位置を復活させ、阻止能力を早期に復活させる戦法を実行させた。

「弾薬装填完了!」

「効力射を開始!」

「次弾装填完了!」

「効力射を続行!」

「撃て撃てどんどん!」

「もっと撃てどんどん!」

『人間共をぶっ殺せ!』

 各種砲が迫る敵を撃ち殺す。最優先目標は敵砲兵。射程距離に劣る旧式砲を敵は面白く使う。戦列歩兵を盾に防衛線まで肉薄してくるのだ。それも大砲を押すのは砲兵ではなく歩兵で、操る砲兵はその隊列の最後尾。こちらに接近するまでに歩兵は撃たれまくって死ぬが大砲は死なない。砲兵は射程距離にまで近づいたら発砲を始める。これに対しては榴弾射撃によって大砲その物――主に車輪――を直接破壊することによって阻止する。人ばかり殺していると何時の間にか大砲だけが列を成し、とりつく敵が狙撃されながら発砲してくるのだ。塹壕、防塁、砲台に守られているが被害が出る。上手く砲台を破壊されればまたバルマン兵の突撃が塹壕に飛び込んで白兵戦となる。予備の大砲を補充して砲台を復活させるにも、敵が近辺にうろついていたり砲台に取り付いていれば中々順調にはいかない。予備兵力の突撃隊を投入して、時にはまた味方毎敵を梱包爆薬で吹っ飛ばして射撃位置を復活させた。

 こんな攻撃が夜まで続き、日が落ちて止んだ。

 伝令が命令文書を携えてやってきた。命令文書の発行時間と現在の時間を照らし合わせると非常に短時間で伝令が来ている。皆が道路を良く整備したおかげであろう。

 頭領閣下より、程よく戦ってから第一次防衛線を捨てて第二次防衛線へ下がるようにと通達が来る。持ち応えられそうでも下がれということだ。

 そしてもう一つ、第四師団から十分な打撃力を持つ分遣旅団を編制して北、ナスランデン南部側へ移動させるようにと指示。一番強烈な攻撃を受けている箇所から兵を抜く采配。あの人間の頭の中には何が描かれているのか?

 予備兵力に温存してある無傷の三個騎兵連隊を分遣旅団として派遣する。物資運搬と戦力補強にニクールの獣人騎兵もつける。どういった機会にその打撃力を活かしてくれるのか楽しみだ。

 損耗している第四師団から三千以上の無傷の、騎馬砲兵とはいえ砲火力を持つ兵力を引き抜いてしまった。あらやだ、もうちょっと自分に甘くてもいいんじゃないかしら。

 髪を解かして水洗いして結い直して髪留めをつける。今の気分はエメラルド。

 濡らして絞った手拭いで体を拭く。

 歯磨き。それから口紅を塗る。

 埃っぽい、とくに硝煙や土煙が上がっている場所だと伸びやすい鼻毛の処理。

 爪が割れていないか確認。爪化粧を厚めに塗り直す。

 迷彩野戦服が汚れてしまったので、迷彩柄ではない軍服に着替える。加熱した火熨斗で皺を伸ばして整える。

 お洒落に腰までの長さの外套を着る。左胸にはサヴァルヤステンカの青い牡鹿の国章が刺繍されている。

 耳飾り、首飾りに指輪の隙間に入った埃を取る。

 靴に油を塗って磨く。

 刀を磨く。血糊を落として、切った箇所を研ぎ直し。

 鞘の造りに溜まった埃を取って、金属装飾は光るまで磨く。

 よし、戦闘準備完了。タンタンに言われたのが悔しいのでもっと目立ってやる。

 第一次防衛線の放棄は、この夜の戦闘停止中に行うと平穏無事に終えられる可能性が高い。士気は高いが暗闇の中を延々と追撃して来られるような訓練を受けている部隊は限られているだろう。

 数的にも戦いは厳しい。後退時期を間違えると壊走はしないが壊滅する。

 絶好の機会を逃せば、防衛線後退の勢いのままに押し込まれてしまう。

 第二次防衛線に下がらなければならない。釣り餌役は望むところである。

 後退を決意する。だから砲兵に全力で榴散弾による弾幕射撃を実行させる。

 闇夜に光る砲炎。第一次防衛線沿いの線の形に砲撃が一歩ずつ西へ、ロシエ側へ迫って行く。

 そして目の前に降る榴散弾の雨を追いかけて歩兵隊前進。先頭に立つのは自分だ。

「全たーい……前進!」

 無灯火で前進。砲声とそれに続く榴散弾が上空で炸裂する音が鳴り続け、軍靴の音が掻き消える。

 最初は榴散弾が敵を捉えている様子は無かったが、段々と砲声に驚き、降ってくる鉛玉を浴びて騒ぎ始める敵の声が聞こえてくる。前線に張り付いて休憩と警戒をしていた敵前哨部隊か、本隊。暗闇なので規模は判別不能。

 奇襲効果を高めるために発砲はしない。互いが連携、仲間を見失わない程度に間隔を横に拡げて進む。

 榴散弾で死んだ敵は放置。横に広がって死んでいない敵を漏れなく歩兵が銃剣で突き刺し、突撃兵が棍棒で殴って殺す。弾幕射撃が敵の全面を覆うように榴散弾の雨を降らした後に、横に広がった歩兵が雨の後を底攫いにしていく。

 研いだばかりの刀で敵の喉を刺す。

 一人残らず殺せるように進む。敵が松明や篝火で照明を取っていれば絶好の的。敵の規模を把握して、兵力を集めて密集隊形からの突撃で粉砕。

 やがて弾幕射撃が止む。射程限界に達したのだ。

 射程限界まで前進する気は無い。弾幕射撃の終了を合図に第一次防衛線より後退前の夜襲を終え、後退を開始。


■■■


 朝になる前に後退準備を行う。

 助かる見込みの無い負傷兵に武器を持たせて第一次防衛線の守備につける。

 砲兵は最優先で第二次防衛線へ後退。第二次防衛線では既に後方支援部隊が次の戦いに向けて準備をしており、またその防衛線間にある敵が利用出来そうな施設の破壊、焦土化を、後退する軍の邪魔にならない程度に実行中。

 日が昇り、夜襲など無かったかのようにバルマン兵が前進してくる。大砲と騎兵の数は目減りしている感じだが、依然として歩兵は闊達に前進してきており、士気の高さを窺わせる。

 歩兵部隊は第一次防衛線を放棄し、背中を一挙に追撃されないように歩兵砲隊を機軸に、交互に段階的に後退して隙を見せないようにする。

 敵は士気の高いままに、負傷兵が守る第一次防衛線の中へと突撃していく。勿論我がマトラ兵は負傷してようが何をしていようが死ぬまで抵抗。廃棄予定の損耗していた銃砲には弾薬を装填して渡してあるので、面倒な装填作業を省いて一人で何丁も撃てるようにしてある。


  我等が父マトラの山よ

  我等が母マトラの森よ

  我等はこの地の子、この地より湧く乳を飲む

  二つを永久に結ぶ緒は切れない

  幾万と耐えてより、銃剣持ちて塹壕から出よ

  死すともこの地に還り、我等が子孫に還る

  永遠の命、何を惜しまん突撃せよ!

  永遠の仇、何を怯まん突撃せよ!


 負傷兵達が国歌を歌いながら戦い、最期に至る。そして防衛線各地に掲げた我々の旗が占領の証拠に降ろされて、ロシエ国旗が揚がり、バルマン兵達が無邪気に喜んで歓声を上げる。どうだ見たか我等の勇気を、といった様相。

「全たーい……止まれ! 整列!」

 話を聞くに、ゼっくんがおヒゲになったのは地雷で吹っ飛ばされたかららしい。意味が良く分からない。

 第一次防衛線へ、喜々としてバルマン兵達が乗り込んでいく。武器を鹵獲し、死体振り回し、聖戦軍の旗を破ったり焼いたりお祭り騒ぎだ。何やら国歌らしき歌まで歌い始めた。

 後退を停止した歩兵部隊が横列に隊形を揃える。

「第一次防衛線爆破」

「了解。第一次防衛線爆破」

 工兵指揮官が、坑道に待機する地雷工兵達へ「第一次防衛線爆破!」と命令。坑道内から末端まで声が届くように「第一次防衛線爆破!」が連呼されていく。

「全たーい……前進!」

 前進。刀を抜く。攻撃隊形を取った歩兵部隊が前進。歩兵砲は後退する時に使うので今は前進させない。

 第一次防衛線沿いに土砂が噴き上がって巨大な壁が出来上がり、地面が揺れて遠くへ響いていく。

 土砂に混じって敵と死んだ同胞が吹き飛んで、バラバラと地面に落ちていく。土煙で防衛線上は覆われた。

 前進。土ぼこりでまた髪から服から汚れる。

 塹壕は若干の掘り下げた痕跡は残るものの、爆発で吹き上げられた土と補強材と肉が混ざって柔らかい地面に変わった。砲台も消え、村や都市も半壊程度だが使用不能になっている。

 足場の悪い塹壕跡は越えず、塹壕に迫っていたが爆破効果範囲外で度肝を抜かれて停止しているバルマン兵に対して狙撃開始。

 撃ち続ける。士官を最優先に狙撃して殺し、敵の麻痺時間を延長させる。地雷の衝撃で足を止めている内に出来るだけ敵士官を減らし、次の作戦に支障が出るようにしてやるのだ。

 愚直なバルマン兵。麻痺から回復して、士官を失った部隊は遅いが前進を始める。騎兵隊は、馬が驚き過ぎて回復はまだ先のようだ。

 今度はまた川岸からの後退の時のように撃ちながら後退。所々に設置している防御陣地を目印に後退し、歩兵砲を交互に支援射撃が出来るように後退させていく。

 第二次防衛線への後退途中に焦土化を完全にする。橋を落とし、宿泊所や森も焼き、井戸に土砂糞尿、食べ残しの食糧にも糞尿や火を点ける。これ以外は後方支援部隊が何も残していない。


■■■


 第二次防衛線の防御を行っている。こちらも塹壕、防塁、砲台、塹壕線上の村や都市で頑強にしてある。

 大砲の損耗が酷い。砲身破裂事故も起きている。現地調達の旧式砲も合わせて使っているが、性能が悪いと作戦に不具合が出てきて被害が広がる。

 前線工廠があるヘレンデン市から今まで優先的に補充分の大砲を受け取っていたが、今は敵軍に包囲されているそうだ。包囲されているだけで危機ではないらしいが、大砲の補充断絶は痛い。

 バルマン兵の損耗も勿論酷い。死傷者ではなく死者数は確実に一万を越えている。でも突撃を繰り返してくる。射撃能力の全体的な低下は幾度の塹壕突入を許す。バルマン兵の愚直な前進はねじ込んでくる鉄の棒のように堅い。

 あら嫌だわ。

 消耗が激しく、北に向けた分遣旅団を戻すことも考えた程だ。ただナスランデン南部ではラシージ親分の指揮で敵軍と大規模会戦を行っており、予備兵力として重用される可能性もある。加えて頭領閣下から出せば素早くやってくる伝令が、被害報告を出しても、予定変更だ。可愛い君が傷つくのは見過ごせない、よし戻せ、と来ないので戻さない。

 その辛い時に良い報せが来る。我が軍の戦線に敵予備兵力が万単位――三から四万?――で投入されたそうだ。これは本当に良い報せだ。我々第四師団の役割は敵の攻撃を引き付けて奥の陣地へ誘い込むことにある。釣り餌としての役割を十分果たした証拠だ。釣針ごと食い千切られそうな気もするけれど。

 この事態に対して、南のゼクラグ第二師団から無傷の分遣旅団と、予備兵力でもあった独立工兵、補給旅団が各地の後方地域から集結し増援に来てくれることになった。

 独立工兵旅団が増強され、敵重点攻撃地点の追加補強も迅速にされて戦線突破の危険性が減じた。焼夷弾頭火箭によるバルマン兵の突撃破砕が順調に成功するようになった。流石の愚直者も、銃弾幕は恐れなくても燃え滾る地面は進めない。それでも衣服に野営の天幕、毛布を水に小便で濡らして覆って、円匙で土と燃える燃料を火傷も省みずに掻き出して道を開きに来る。そこを散兵が狙撃にするが撃たれながら作業する。

 独立補給旅団が増強され、他戦線で余っている物資が素早く補充されることにより無理をして損傷した銃砲を使わなくても良くなった。また施条旋回砲付きの荷車を機動的に配置して敵の突撃に対する予備兵力としても活躍。


■■■


 第二次防衛線の危機は去らない。ゼクラグ第二師団から送られてくるはずの無傷の分遣旅団だが、どうもこちらの正面にいるバルマン兵と敵予備兵力の側面辺りに位置しているようで、直接支援をしてくれているわけではない。敵に多正面を強いているおかげ楽にはなるかもしれないが。

 敵には絶えず痛手を負わせている。昼は敵が突撃してきて、夜はこちらが散兵を繰り出して夜襲。

 敵は屋根も無いところで冷えた携帯食を食べながら、井戸が使えず水汲みに回りつつ夜も警戒して疲れている。水場は把握しているので嫌がらせの狙撃班を出している。

 こちらは屋根のある場所で湯気の立つ食事を食べる。夜襲部隊は昼間には余程の危機が無ければ休ませたまま。

 それでもバルマン兵と予備兵力は挫けない。

 ヘレンデン市の方では、包囲していたアレオン軍と南大陸植民地軍が逆に包囲されて壊走し、その挫けないバルマン兵と予備兵力の列に雪崩れ込み始めたという情報が入る。その情報をもたらした伝令が告げた頭領閣下の命令は、第三次防衛線へ撤退せよ、であった。

 これが頭領閣下の作戦か。第一次防衛線の時と同じ手順で後退する。

 今度ばかりは敵は地雷を警戒して、歩兵と騎兵を全速力で、しかし一網打尽にされないように分割して送って塹壕を越えてきた。この状況では今回は前より急速に後退する必要を認めたので、敵の前進を躊躇させるように段階的に地雷を爆破させたが、一斉爆破の方が良かったかは分からない。足止めには確実になった。


■■■


 第三次防衛線に増強第四師団は配置につく。道中に負傷兵を個人塹壕に入れて敵の侵攻の妨害に利用したがどれほど効果があったか分からない。焦土作戦だが前回ほど余裕が無く、機動力を重視する状況だと判断したので破壊や焼き討ちはほとんど行っていない。

 カイウルク頭領代理からの伝令がやってきて、カイウルク軍、グラスト分遣隊、独立山岳歩兵大隊、無傷の分遣旅団、ニクールの獣人騎兵隊が北側から、第四師団が受け持っている敵軍を攻撃すると告げた。ナスランデン南部での大規模会戦での決着がつき、反攻して押し返して敵の更なる予備兵力を抑え込んでいるから後顧の憂いは無いらしい。

 そして頭領閣下からの伝令がほぼ同時期。親衛隊と旧セレード四旗、第二師団の二個――こっちに派遣されると聞かされた一個含む――分遣旅団、聖戦士団、アソリウス軍がその突出部を南から攻撃するという。また同時にオーボル川上流から破砕船艦隊が投入され、ナスランデンに至る流域の浮き橋を破砕して退路を断った。

 反撃の時が来た。

 敵の第三次防衛線到着を待つ。第一、二次防衛線ほど造りは頑強ではないのでこの反撃作戦が失敗して、以前通りに突撃されたら突破される可能性がある。

 敵の到着を確認。

「第二から三次防衛線間道爆破」

「了解。第二から三次防衛線間道爆破」

 工兵指揮官が、坑道に待機する地雷工兵達へ「第二から三次防衛線間道爆破!」と命令。坑道内から末端まで声が届くように「第二から三次防衛線間道爆破!」が連呼されていく。

 敵軍は第三次防衛線に張り付くために街道を行進中だったが、その伸びた隊列は連続設置された地雷で吹っ飛ばされ続けた。道順に次々と地面と敵兵が吹っ飛んで、足と胴体が分かれて落下する様は滑稽。

 流石に街道は長く、完全に埋め尽くすほどに設置はされていないが、隊列がぶつ切りになって組織崩壊を起こすには十分な火力が発揮される。

 街道上には常に敵がいるとは限らないので、要所に限られるが長期間潜伏可能な地下地雷管理施設にいる地雷工兵が、主に弾薬運搬車を狙って地雷を起爆させて敵火力を奪う。まとまった火薬樽の爆発は遠くからでも視覚、聴覚で確認出来るので彼等の働きぶりが窺える。

 これで敵軍の足が麻痺した。壊走中の友軍と合流しながらの行軍らしいから混乱は酷いものだっただろう。

 麻痺したのは全体の足。既に第三次防衛線への攻撃準備が済んだ部隊は相変わらずの愚直な猛攻を開始する。

 開始されるのだが、撃退した後の敵部隊の補充、交替が乏しい。

 伝令がやってくる。我々が目前にしている敵軍を後方より、頭領閣下と頭領代理が南北挟みの誘引包囲攻撃で粉砕中とのこと。敵が同士討ちを始めている様子を伝令が道中で目撃しており、早口で喋って教えてくれた。

 両翼に南北からの増援が合流し始めた。勝利感が生まれてくる。

 またもや伝令。独立山岳歩兵からだ。

「グラスト分遣隊より伝令代行。先に出るな、以上です」

「先に出るな、以上? 解釈に困ります」

 伝令代行というのも、直接送ってくれば良いものを。

「グラストの魔術使いは言語能力に乏しいので、今戦役で共同作戦を行ってきた経験から推測するに、強力な……」

 火柱、というのには高くて太く、荒れ狂って回っていた。火の粉が吹雪のように舞って美しいが、地上ではあのバルマン兵達が焼かれながら巻き上げられている。熱に爆ぜる火薬が炸裂し音が鳴って黒煙が花のように咲き続ける。第三次防衛線をかすめる様子はなく、制動されて敵軍の左翼部隊を薙ぎ倒していく。

 ”炎の竜巻”。東方遠征、レン朝で見た美しいが破壊の限りを尽くすあの集団魔術だ。

「……準備攻撃をするから、その後に攻撃しろ、という意味になります」

「なるほど。総攻撃! 全隊、前進!」

 塹壕から出て刀を抜く。軍楽隊が演奏を開始して勢いをつけて、各隊長が号笛を鳴らして塹壕から歩兵を出す。

 前進。呆気に取られる敵を散兵が銃撃しながら進む。

 バルマン兵の銃剣刺突に合わせて横に抜けて首を刀で切る。

 包囲が迫っている。壊走した敵が組織を失って固まって逃げたり衝突したりしているのが遠くに見える。

 先頭に立って進む。進みながら後ろの兵達が撃つ。予備待機の兵達も前に出る。

 後は前に出て、撃って、殺し続けるだけ。

 後に、壊走した敵軍が一箇所に固まったところで頭領閣下が降伏勧告を出して降伏させた。


■■■


 この戦いを持ってロシエ軍は全面的に後退を開始。各地で追撃戦が行われ、浮き橋を破壊されたオーボル川に逃げ込んだ大量のロシエ兵が死体となって流れた。

 捕虜交換交渉の申し入れがあったらしいが頭領閣下は無視したのでこちらも倣った。

 負傷者含んだ四万名の捕虜に対して、百人につき九十九人の目を抉り、案内人一人をつけてオーボル川に橋を一時的に架けて送り返した。

 こちら側の死傷者数は一万五千と計上されている。肉弾突撃でほぼ全滅した聖戦士六千名が含まれているので実質は一万程度。

 第四師団の死傷者は四千、第三師団が次いで二千の損害。残る三千は全体的に受けた損害である。我が第四師団が補充兵を優先して受ける。

 西部戦線では勝利を飾った。東側では戦闘行為が何度か行われたようだが決定打も無かった様子。その代わり盟主マリシア=ヤーナがロシエの王子アシェル=レレラと婿入り結婚を果たし、敵側は団結の象徴を得てしまった。

 防御には成功したが攻撃には成功していないのが現状。敵戦力を大きく削ったとはいえ、削っただけに留まる。この戦果を何に繋げるかは頭領閣下とラシージ親分の采配次第だろう。


■■■


 冬が到来する。西部戦線は膠着状態で、オーボル川で簡単な氷割りが行われ、川岸に近づくロシエ兵や民間人に銃撃を散発的に食らわせて追い払った程度で終わる。

 この地の外で情勢は動く。オルフ人民共和国がアッジャール朝を追い詰め始めた。首都ベランゲリが陥落してザストポルクを臨時首都にしたという。スラーギィへの難民も増え、特にアッジャール人が多いらしい。人民共和国は侵略者のアッジャール人に厳しいらしい。

 エデルト王家はウラリカ王女と、幼君ゼオルギ=イスハシルを婚姻させて見捨てない方向で動く。こうなると北部でのエデルト軍の勢いが鈍りそうなものだが、頭領閣下がやってくれた。

 西部戦線の防備に確信を持ったラシージ親分が全軍より、分遣旅団ならぬ分遣師団を編制して中央同盟軍に対して陽動攻撃を敢行。そして頭領閣下のレスリャジン部族軍が北部の強敵シアドレク獅子公を夜襲の一撃で降伏させた。降伏させただけではなく、恭順までしたそうだ。

 冬までに西部の膠着、北部の優勢が作り上げられた。東部への確かな攻勢の下準備はなされた。


■■■


 冬も終わりに近づいた。西部戦線は変わらず静かな状態。

 シアドレク獅子公の降伏と恭順は大きな変化だった。だが冬季ということもあり顕著な戦況の変化はそれだけに留まった。

 戦略的な偵察結果により、秋に求心力を増大させた中央同盟軍は、装備と訓練に不安を抱えながらも総兵力四十万規模に昇ると見られている。中央同盟圏だけでも人口は三千万程になるとも言われており、その数は増大の一途。

 戦争による貿易断絶や人手不足で食糧危機になるのではないかというふわっとした期待が過ぎるが、穀物輸出国である中央同盟圏諸国は外に売れなくなっているのでむしろ食糧余りとなっているそうだ。穀物が売れないから不況になるが、戦争中だから余った人手は軍隊が吸い上げる。食糧は実物として余っているから供給に不足はないし、同盟諸国が全力を挙げて軍事に資金を投入しているから物流もあまり止まらない。

 ロシエは再度の攻勢に弱気なようだが、中央同盟軍は着実に増強中。聖戦軍諸侯は奮闘しているようだが南部諸侯が主力になっており、ウルロン山脈を跨げば気候も違うし、進展の見られない遠征であるから士気の低下も見られる。戦況は泥沼化してもおかしくない。


■■■


 春になって雪が解ける。各地が泥濘と化す。

 ナスランデン、ガートルゲンでは道路整備が休まず行われており、泥に強い構造になっているので交通面での不安は少ない。また機動戦を行うのに不足はない。

 ロシエの中央では政治不安が起きており、その影響か東部軍のガンドラコ元帥が中央同盟軍との約定も反故にして休戦協定を求めてきた。

 ここで頭領閣下は休戦を拒否し、むしろこちら側から攻撃すると脅して東部軍を拘束する策を取った。とりあえず西部ではロシエ軍の”根腐れ”が確認される。秋の戦果を戦略面に活かす方策がこれだった。

 北部では恭順したシアドレク獅子公の勢いもあってエデルト軍が絶対的な優勢を確保。堤防決壊という対抗策でしぶとく粘る北部諸侯連合軍だが降伏は間近に迫るという論評。

 そしてまた頭領閣下がやってくれた。ベイナーフォンバット近郊で聖戦軍と中央同盟軍が大規模な会戦を行ったのだが、そこでレスリャジン部族軍が奇襲攻撃を敢行して決定的な打撃を与えて敗走させた。中央同盟軍は十万近い戦力に痛手を受けた上に、同盟軍総指揮を執る大元帥、ブリェヘム王ヴェージル・アプスロルヴェが行方不明となって軍部に動揺が走った。


■■■


 それから情勢は動き続ける。ロシエにて政変の兆し。ガンドラコ元帥への脅迫が功を奏したかは定かではないが、絶対君主セレル七世を退位させ、第一王子が立憲君主セレル八世として戴冠するらしいという、真実味がある噂が流れ出す。東部軍が中央に圧力を直接掛けたらどうなっていたか?

 そして同時期に中央同盟で一事変が起きる。マインベルト辺境伯軍が裏切って中央同盟の中心、首都カラドス=ファイルヴァインを包囲攻撃したのだ。盟主と盟主の婿は同首都に居り、戦死虜囚の危機にあった。包囲中にマインベルト辺境伯が戦死したせいか、裏切りが赦免されて軍は中央同盟軍に早期に復帰するという間の抜けた展開にはなったが、中央同盟内部に亀裂が走り始めたことは確認された。

 聖皇を太陽とするならロシエ王は月とする神聖教会圏におけるその月の霊力に陰りが見えたのだ。


■■■


 夏が近づく。まだイスルツを降伏させてから一年は経っていない。

 ロシエでの政変の噂が現実になり、国王セレル七世が退位して王太子セレルが即位して八世となる。そしてそれは絶対君主的な権力は除かれた上での即位。政変のきっかけは財政破綻と云われるが、恥ずかしい話の部類なので公式見解は無い。

 そしてロシエ三姉妹王国の一角のユバール王国は新国王を非承認とする決議を出しており、国内分裂の兆し。秋のロシエの攻勢時でもユバール軍はやる気が無かったので前兆はあった。これでロシエ軍が再びオーボル川を越えてくる可能性は除かれた。

 西部を抑えたら次は東へ戦力を集中して中央同盟軍撃滅に向けて始動、とはならなかった。講和会議が開かれたのだ。どうにも南部に中部の諸侯達は総力戦を行う気概も組織も持っていないのでこれ以上の戦争継続は耐え難いらしい。

 あのヴァルキリカ猊下がこのような手緩い状態で講和とは怪しい雰囲気だが、評価を下すのは講和条約の内容を確認してからにしよう。

 講和とのことで一応、ロシエ軍に対する備えはしつつも帰還計画を用意する。


■■■


 講和条約が大きく揉めることもなく締結された。講和は五か条でまとまった。

 一つ。中央同盟解散の代わりに、同盟主を聖王へ戴冠する。ただし聖戦軍指揮権は聖皇が任ずるところにあり、聖職叙任権も同様に専権事項である。

 二つ。旧中央同盟参加諸侯の自治とそれら臣下の権利は聖王の名の下に保障される。

 三つ。北部諸侯連合地域のエデルト王領への併合を承認する。併合の際には当該諸侯の権益をいちじるしく損なわないよう努力しなければならない。

 四つ。フュルストラヴ公爵バステリアシュ=ヴェツェル・ルコラヴェの権利は、当該公領への残留を望まない諸侯の離脱と独立をもって保障される。

 五つ。マインベルト辺境伯領は王領として神聖教会が認可する。

 カラドス死後千五百年ぶりに聖王が復活したが、この聖王もまたロシエ王のように実権を奪われている。中央同盟は解散と同時に聖皇、つまりは実務担当の聖女の傘下に入ることになった。開戦理由である聖領と俗領の重複は条約には無いがほぼ解消され、エデルトは以前から欲していた領土を獲得し、各地には聖女が戴冠させてやった国王が乱立した。国王とその王号傘下に組み込まれた諸侯は必ずしも仲は良好ではなく、一つにまとまれない状況下にある。王ではあるが弱い王が多数作られているらしい。弱い王が縋れるのは聖女のみになる。上手いことをやる。

 戦争は終わったが仕事はこれで終わりではない。

 頭領閣下は、どういう経緯があったか知らないがヴァルキリカ猊下の部下である女と故郷で結婚式を挙げるというのだ。何が何やら意味不明である。どう考えても潜入工作員みたいな者と結婚するという思考に至るのは不明。連絡将校兼愛人ならまだ分かるが、どうにも、やはり人間の考えは理解出来ない。人間にも理解が出来るかは分からないが、難しい部類ではないか?

 頭領閣下不在の中で帰還事業を進める。前もって計画は用意しているが道中で問題は発生するだろう。増派、後送の繰り返しでこちら側に終戦まで残った七万を越えるマトラ人民義勇軍をマトラの地まで遠路帰すのは大事業だ。マトラでこれから預かる神聖教会圏で集めた同胞集団も十万規模となる。

 食糧、水、天幕、雑用木材の道中調達は現地人との事前交渉を済ませておかないと絶対に不足。

 日程ごとに野営地を七万人分用意するのも大変だ。物があっても設営面積の確保が容易ではない。

 道路通行許可も必要。戦時なら南部は踏み潰すように進んだが、関門や橋上要塞を全て粉砕したわけではない。通行税は払わないが、大軍を通してしばらくの間道路を占有するという通告は出さなければならない。

 拒否されることは無いだろうが、戦中と戦後での傭兵の扱いは違ってくる。無用な争いは避けつつも、事が起これば全力で攻撃して侮った代償を支払わせる用意が必要だ。つまり、臨戦態勢での帰還。安全圏をだらだらと進むように、というわけにはいかない。いつでも戦闘陣形を取れるように行軍するのだ。しゅるふぇ号計画なる、ランマルカ革命政府の指針に則った行動規範によれば嘗められるわけにはいかない。個人的にも同意。

 そして頭領代理カイウルクが指揮するレスリャジン部族軍一万騎もいる。略奪した家畜の群れを連れて歩く彼等は馬上で寝るくらいは平気で、ある程度は自活しつつマトラ人民義勇軍より先行して帰還する。彼等には道中で略奪暴行をする危険性があるので別の注意が必要だ。神聖公安軍が両軍と現地人との間に入って問題を回避する手はずにはなっている。

 我々はまだ戦える。わざと問題を起こしてもう一戦やってしまえばと思うが、どうにもまた何か、頭領閣下は次の戦争のことを考えている。

「んふふふ」

 ベルリク=カラバザルのマトラとスラーギィに居れば平和をしない。

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