第248話「予備隊」 ボレス

 県庁事務所の硝子窓の外、向こう側は雪が積もっている。事務所の同志雑用係が焼け細ってきた暖炉の薪を一本ずつ焼きを見ながら丁寧に補充している。

「まだかまだか」

「除雪作業に遅延が発生したという報告は聞いていませんなぁ」

 ミザレジ県知事が硝子窓に顔を貼り付けて、吐息で曇ったところを指で丸を描きながら「まだか」を繰り返す。

 硝子窓というのは耐久性において脆弱、爆発で割れれば危険な破片と化す物だが、非戦闘地域においては有用だ。外気と接触することなく太陽光が入ってくるので昼間に照明器具を使う必要が無く経済的である。夏には害虫の侵入防止、冬には暖房効果を阻害せず、雨天強風時でも外の影響を受けること無く太陽光が入る。

 我々は待っている。東マトラ全域より、初めての業務連絡が県庁事務所に届くのを待っている。

 東西マトラの運営組織の統合は最終段階を迎えている。東マトラから漏れなく業務連絡が届き、内容に不首尾が無ければ合格だ。

 同志雑用係が暖炉で保温していた薬缶より薬草茶を持ってきてくれる。

「ありがとう同志」

 マトラは広く、地域で生えている植生に違いがある。東で作っている薬草茶に比べて生薬というよりは山菜の風味だ。安楽椅子と木馬を合わせた椅子のような玩具に座り、前後にゆらゆらしながら啜る。

「県知事、そのように張り付かなくとも伝令は扉を開けてやってきますぞ」

「しかし! 急ぐあまり同志伝令が玄関先で転んで膝を擦り剥いてしまったらどうするのだ!? 痛いじゃないか!」

「そこからだと転んだ時に間に合いませんなぁ」

「そうか! 外で待てばいいのだな?」

 ミザレジ県知事がやっと窓硝子から顔を離す。同志雑用係が涎や脂で汚れた窓硝子の清掃を始める。

「寒さに体調を崩して困るのは同胞達ですなぁ」

「そうなのだ!」

 清掃が終わった窓硝子に再びミザレジ県知事が顔を貼り付けて「ぬぬー」と言う。

 湯呑みを置いて、木馬側頭部の取っ手を掴んで前後に大きめに揺らす。暖炉の薪がパチっと鳴る。

「来たぁー!」

 ミザレジ県知事が飛び跳ねて走って玄関扉を開けて行く。同志雑用係が暖気を逃がすまいと扉を閉める。

 安楽木馬椅子玩具の揺れが止るのを待つ。止ってから降りて、玄関扉を開けると防寒服装に雪を乗せ、敬礼した姿勢のままの同志伝令が「報告しま」と喋る途中で「うぉー!」とミザレジ県知事が抱きついて締めて続きを言わせずに「むぎゅ」とだけ鳴かせる。

 そして一旦離れてから「報告し」と喋る途中で「ぬぉー!」とミザレジ県知事が抱きついて締めて続きを言わせずに「ぎゅむ」とだけ鳴かせる。

 勿論埒が開かないことは明白なのでミザレジ県知事を羽交い絞めにして行動を阻止する。

「報告します! 東マトラ地域全事務所からの臨時業務連絡書類を配達に参りました。受領書類への署名をお願いします!」

「おおぉ! 来たぞ来たぞ!」

 ミザレジ県知事を離す。胸や腰周りを弄り出し、自分にもそのようにやり始める。同志雑用係が中から鉛筆を持ってきてようやく受領書類への署名が終わる。

 今回の配達は定期の文書交換の手続きを踏まず、臨時に発行して貰っている。定形外の記述事項が多岐に渡って書類の量も多く、作成にも手間が掛かって定期便だと断片的に送らざるを得ない状況が考慮された。

 県庁事務所にミザレジ県知事を引っ張って戻り、受け取った大入りの書類鞄の中から大量の書類束を取り出し、机の上に並べていく。

 産業別民兵体制編制表。物品数量目録。国家国民需給品目審議数量査定委員会東マトラ地域支部報告書。各部番地、交通、労務、軍務日誌。

「それでは確認作業に移る。ボレス補佐官、最後の仕事だ」

「そうしましょう」

 ミザレジ県知事と肩をくっつけて、書類の一つ一つを一緒に見て誤りや抜けが無いか読みながら確かめていく。

 休憩、食事、睡眠を挟んで健やかな状態を維持しつつ、途中から国家国民需給品目審議数量査定委員会委員長の助力を得て書類に不備が無いことが明らかになった。

「おめでとう、ボレス補佐官。君の県知事補佐官の任を解く」

「ありがとう」

 次の仕事に移るため東マトラへ移動する。

 西方国境線のエルバゾ旅団長から西方武装開拓団の受け入れ完了の報告も受けており、東マトラの代表としての仕事は後一つだ。


■■■


 一番に馬賊の襲撃が激しい収穫の秋を善戦して過ごした東方防衛隊だが、冬季になっても困窮状態から脱しきれずにいる馬賊を相手に継続的に戦闘を続けている。ランマルカの新式装備を獲得し、教導隊に再訓練され、効率的に勝利を重ねた。だが馬賊は女子供老人まで前線配備にしており、諦めの悪さが感じ取れる。

 そして今日はゾルブ司令が観閲する中での軍事演習が行われた。

 演習内容は、東方防衛隊の日誌と所属将兵からの軍務に関する聞き取り内容をまとめた書類に基づいて行われた。

 東方防衛隊が管轄する地域は峻厳な山谷が繰り返す、山岳地帯の中でも険しい地形。平地で戦う者達とは違う能力が要求される。

 山岳は防御側が有利だが平地と違い、建築資材に大砲や砲弾を高所に上げる作業が難しい。杭と綱の捌きが物を言う。絶対的な優位性を確保するためには山岳兵としての技術が試される。

 山岳では防御側が有利であるが、しかし攻撃が不可能なわけではなく、迂回も不可能ではない。移動も早くはないが勿論不可能ではない。高所の長短、低所の長短を把握して攻撃、防御、偵察を行わなければならない。

 砲兵陣地の作成には時間が掛かり、作成された砲兵陣地を攻略することは非常に困難である。防御時に利用すれば小数でも大多数の敵を撃退出来る。攻撃時に巧みに作成出来れば頑強な攻撃拠点となって活躍する。

 高所は見晴らしが良いが逆に敵からも発見されやすい。また高所に陣取るには通常より時間を要する。また山頂付近となると水源に事欠き、給水事情の悪化が懸念される。

 低所は視界が利かないが隠れやすい。しかし上から見下ろされることがあるので必ずしも隠れ切れるわけではない。渓谷部は水が豊富で、場所によっては植生豊かで動物に恵まれ、食糧の現地調達も容易。策源地としては優秀。

 山岳では敵も味方も部隊間の連絡が取り辛い。早急な救援要請は困難である。防衛線の構築も、離れた地点とは連携し辛い。隘路で一点に少数部隊で大多数の部隊からの攻撃を防ぐことは出来るが、迂回突破の阻止を保証しない。山岳は立体的な迷路であり、いかに要衝を漏らさずに抑えられるかが防衛線の構築の鍵になる。

 山岳の立体迷路は前後への移動はともかく左右への移動は困難である場合が多く、面ではなく無数の分岐路がある網目状の地形である。退路を遮断されれば脱出は困難であり、敵が行う後方への迂回突破は常に警戒すべきである。逆を言えば敵を包囲殲滅することが平地より容易い。

 良く自分達が行動している地形を把握することが重要である。また冬季には積雪と氷結により地形に差違が出る。冬季における地形の事前把握も重要。地形が勝敗を分けるのは平地も変わらないが、特に山岳部では兵数以上に行く末を左右する。

 戦力が集中出来る上に敵の進行方向と退路が限られている広大な高原は良い陣地である。そのような地形は要塞同然で敵も警戒する。山岳技術を優良にし、良くない陣地でも良いように利用する努力を行えば似た状況を作り出せる。

 山岳の森林部は非常に防御しやすいように思えるが、姿を隠しそして通行不可能では無いためこれを過信して防御行動を取ってはならない。移動に時間は掛かっても身を隠して奇襲が出来る。

 中にはほぼ通行不可能な密林の場合もある。もし防御や攻撃に利用したいのならば必ず踏み入って調査すること。密林に断崖絶壁が組み合わさったような難地形であっても優れた技術と機材を持っていれば少人数で踏破することは不可能ではない。

 注意すべき点は概ねこのあたり。

 陣地構築を素早く行い、重量物を安全に上げ下ろしする。後退しながら構築して防御行動に移し、前進しながら構築して攻撃行動に移る。

 隙無く偵察し、素早く連絡を行って絶やさず情報を共有し続ける。総指揮に各隊が従い、末端部隊は臨機応変に対応する。上下は常に認識を共通とする。

 撤退、迂回機動を素早く行う。部隊間連携を確実にして仮想敵を、撤退を許さず機動して包囲下に置く。そして後方迂回は許さず、危機に陥った部隊のために敵迂回部隊を横撃して阻止し、撤退時間を稼ぐ。

 高い所へ素早く登り、低い所へ素早く下る。移動困難な地形でも移動して敵の意表を突けるようにする。

 東方防衛隊の山岳兵としての能力をゾルブ司令に見て貰った。雪の積もる冬季、雪解け水が流れる春季と、実際の馬賊の襲撃の迎撃も合わせて観閲された。

 遊牧民をスラーギィが受け入れているという話を聞いて降伏しに来た者達もいたので襲撃ばかりではなかったが、敵意があるか無いか分からない者達を素早く包囲して武装解除させる手並みも見せられた。

「冬季、春季とその技量を見させて貰った。東方防衛隊の山岳兵としての錬度、知識共に抜群である。その全容、技術も把握した。よって東方防衛隊指揮権を君から剥奪する」

「ええ、はい」

「そして東方防衛隊より任意の士官、下士官等を今後の防衛任務に影響が出ない程度に引き抜いてマトラ人民義勇軍予備隊の設立と指揮を命じる。東方遠征より帰還した彼等は損耗している見込みだ。その補充要員を育成し、尚且つ遠征より帰還するまでの戦力として運用する。ゼクラグ軍政顧問の指揮下へ入り、彼と相談して人員装備の充実に努めよ。質問は?」

「ありませんが、しかしですな」

「何だ」

「人民義勇軍の山岳兵戦力充実の手始めとしての予備隊設立が良いと思われますので、施条山砲が欲しいですな。開発、優先して頂けませんか。ランマルカ式の新式施条砲は威力射程共に抜群だが重過ぎます。綱で吊る場合はかなり難しいし人数も馬や驢馬も必要。分解しても砲身重量は馬一頭分よりやや重たい程度では、演習でご覧になったと思いますがかなり危険です。風が強い時は諦めたりしましたね。魔神代理領やマトラで今まで作っていた大砲も同じように重いか、新式砲に比べて遥かに重い。騎兵砲として使われていたという軽砲もあるが重さと射程、威力が中途半端過ぎます。スラーギィで今遊牧兵が駱駝や荷車で使っている旋回砲は使い勝手は良いのですが、敵陣地の破壊となると弱過ぎます。丁度良い山砲がありません。改めて魔神代理領から旧式の中途半端な山砲を買うのは好ましくないでしょう。ならいっそ新式の施条山砲が好ましい。馬より遥かに軽く、分解すればそう、砲身重量が大人二人分くらいの重さまでが運用に不便無いでしょう。その重量なら大砲一門を扱う班一つで断崖でも上げ下げ出来ます」

「ランマルカ軍事顧問団と相談しよう」


■■■


 マトラ人民義勇軍予備隊の設立、これが思ったより上手くいかなかった。ゼクラグ顧問と考えた、必要とされる錬度と人数を実現するためには既存の部隊から引き抜いて作るしかなかったのだ。

 現在、マトラとスラーギィ周辺事情に鑑み、また今後の軍事活動を考えると既存部隊を弱体化させる行為は避けたかった。職業軍人ではない労農兵士から転換させることになるのだが、体力十分の者達を引き抜くと今度は生産活動に影響が出てくる。国内生産を頼りとせず、輸出品で需要を賄って浮いた労働力を転化する策もあったがそれでは生存圏の質的縮小に繋がるため戦略的に容認出来ない。

 しゅるふぇ号計画推進により買い集められ始めた元奴隷同胞を兵士として組み込んだ。労働者として働かせるよりはまずは軍組織に組み込んで一箇所にまとめ、マトラ語教育を行う。職業軍人として適当な体力がある者を選別し、まずは五百名で編制。山岳兵どころではなく、一般民兵程度にまで仕上げるだけで夏まで掛かった。東方防衛隊より引き抜いた教導に優れた者がいなければもっと手古摺っただろう。

 言語習得が一番の難関であった。マトラ語は神聖教会圏諸語と語族が同じでその方面から来た同胞の習得は早いが、広い魔神代理領の各地からやって来る同胞は勿論その限りではない。また奴隷としての扱いの程度でも、一般労働者待遇から高級奴隷待遇の者は問題は無いが、馬や犬と同列に扱われてきた者達は幼児程度の語彙しか持たない上に外国語話者という扱い辛さであった。

 それでも訓練は続けている。しかしこの予備隊の事情に合わせて世界は動いてくれないものだ。敵が仕掛けてくることもあれば、味方が戦略上の都合でこちらの都合を無視することがある。

「ボレスマトラ人民義勇軍予備隊指揮官には北関門警備に当たって貰う。質問は?」

「言語習得の格差で隊内連携が悪いのが実情です。直属指揮官を失った瞬間に意思疎通困難な者が現れるような状況です。またやっとマトラ語を覚え始めた段階で、周囲が遊牧諸語に溢れているスラーギィ地域で活動を始めると習得に遅れが出るものと思われます」

「危機となればその意思疎通困難者は切り捨てて良い。今は北関門の戦力を充実させることが先決だ」

「南オルフ作戦ですかな?」

「そうだ。族長代理カイウルクが食客として迎え入れたケリュン族のトゥルシャズという占星術師があのイディルの妻の一人で、独自の連絡網を使ってオルフ内に残留しているセレード系氏族に連絡をつけた。アベタル、スタルヴィイ、シトプカ、フダウェイの四氏族。最新情報では女子供を合わせて約三万名。スラーギィに受け入れる」

「生半可な作戦規模ではないようで」

「草案。ペトリュク領で両オルフの戦闘が激化した隙を狙って南下、突破させる。まず激化させるにあたり、しゅるふぇ号計画に則って新式装備と奴隷同胞の取引を双方に持ちかける。これで交易路争いに発展する素地が出来る。そしてこの北関門付近での戦闘に発展したならば越境の恐れありと軍事介入、敵を一つにして団結させる作戦途上の非正規騎兵軍を中心に投入してセレード四氏族をこちらから迎えに行く。君の意見も聞きたい」

「まずはオルフの動きに期待し過ぎですな。まあ、最良がそれで状況に合わせればいいのですが。もっと餌があった方が争いを確実に激化させられるでしょう。幸い、東マトラには老年者がまだ多く生存しております。西程にアッジャール戦で戦う機会はありませんでしたから。彼等をペトリュクに送り込みます。双方にはその集団の情報を流します。送り込む際の口実はなんでしょうな? 反乱を起こして逃亡? いやこれはおかしい。誤った命令を受領して進んでしまった、でしょう。新式装備欲しさに誘拐しに来る可能性が高くなりますし、奪い合いに発展する可能性があります。保護者はこちらだ、と誘拐しなくてもこちらへ親善目的に取り合いすることもありえます。最終的には強引に南北開通して戦ってでも受け入れるんですから、そういう細かいことはやれるだけやればいいのでは? それから最初から彼等の受け入れを邪魔するなと言うのも存外有効だとは思いますが」

「老年者の北進は採用する。直接的な外交交渉は慎重にならざるを得ない。セレード騎兵は優秀な傭兵、戦力だから手放す判断をさせるのは容易ではない」

「でしょうな」

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