第238話「一番槍だ」 シクル

 バシィール城で行われたズィブラーン暦三千九百八十四年の新年祝賀会に参加した。

 目的であるベルリク=カラバザルの頭に下着を被せ、強烈に印象付けて出発。散々交尾を迫り、妖精の中にはそのような並々ならぬ感情を持つ者がいると錯覚させる。作り出した人気と自ずと獲得した人気は相当なものでこれから本物が現れてもおかしくはないが。

 同胞達がイスタメル系の商人と隊商を組んでマトラの山道を進む。セルチェス川沿いを北上。

 道は良く整備されて足取りは軽快。足場を固める砂利を掬わないようにして除雪が定期的に行われており、川に投げ込まれている。同胞達が良く警備していて人間共に余計な真似をさせていない。

 擬装用の商人リーデルの体調が悪い。任地で死なれると目立つので余りにも回復しないようなら途中で殺して捨てる。

 そんなことも知らずに「もう少しお金が溜まったら結婚しよう」などと言ってくる。マトラ県の南、人間が居住出来る地域に家と倉庫を兼ねる商店を建てるなどと夢を語っている。人間はおかしな精神構造をしている。種族の違いは理解しているはずだが?

 この冬で最後の浸透部隊の潜伏を開始する。

 オルフ内の軍の動向は商取引等を通じて情報網を張って既にかなり把握している。

 作戦物資は大量に生産されている。中洲要塞周辺も密かに測量済みで、その情報を元に既にラシージ親分を中心に作戦準備が進んでいる。

 ランマルカとオルフの情報交換の場、その裏口からも情報入手が出来ている。ランマルカに対しては小うるさいエルバゾが西の国境線防衛に派遣されていて邪魔が入らずに済んだ。

 シビリの存在は似顔絵を描いて一致させるまでに把握しているが、容易に部外者を接近させる隙を見せていないらしい。

 街道で擦れ違う息子二人、顔は分かるので目は合う。様子から作戦準備用の資材運搬に従事しており、一般的な労農兵士である。サニツァの家族がどうのという言葉は気になるが、その二人はそこまで気にならない。

 そのサニツァ、作戦準備用の木材を凄まじい勢いで伐採して作り出しており、少し前まで鬱蒼としていた山の斜面の一部を切り株だらけにしてしまっている。丁度その作業現場の近くの広場で食事休憩を取る。

 行程に従った行動なので配食係から食事を受け取って隊商の皆で食べる。農民と労働者の努力の結晶を、人間に食わせる物など本来は無いのだが特殊作戦時ゆえ仕方が無い。

 サニツァがこちらを見つけて当然のようにくっついてくる。この子は人間だが、まあ半分はもう同胞かもしれない。精神構造も特異。

「こんにちは!」

「サニャーキ久しぶり」

「久しぶり! あなた何のお仕事してるの? いっつもあっちこっち忙しいよね!」

「祖国の先駆けになってくるのよ」

「分かった、一番槍だ!」

「難しい言葉知ってるね」

 その頭を撫でておく。配給が進んでいるマトラ人民防衛軍の軍服にノミトス派の修道頭巾を被り、尼僧らしからぬ髪の長さになってきている。部下達に彼女のことを申し送りしておいてあるが。

「えへー」

「そうだ。私ね、ベルリク=カラバザルの妹様からシクルって名前を貰ったのよ」

「シックルちゃん!」

「そうそう」

「シックルちゃん!」

「うんうん」

「やったね! シックルちゃん!」

「そうねぇ」

 その後行程に沿って適宜休憩と宿泊を繰り返してマトラの山を縦断。

 峠を越えてダルプロ川沿いを北上。下りの坂道は同胞達の多大な努力により緩やかになっており、人間共を進ませて且つ利益を与えるなど通常ありえない造りになっている。

 それから先のサニツァとの会話を聞いていたリーデルが自分をシクルと呼ぶようになり、殺してしまおうかと考えてしまう。雑魚一匹相手に計画を破綻させるのは愚かであるが。

 山道の坂を下り切り、森が段々と薄くまばらになって草原に移って行く。

 異郷の草原、スラーギィから北へ振り返る。マトラの山の森が白い。若い頃、ランマルカに行く時もそうだった。あの時通った道の険しさは覚えている。酷かったが、今では馬車に乗ってのんびり行けるまでになった。マトラは確実に未来へ進んでいる。

「我等が父マトラの山よ、我等が母マトラの森よ。我等はこの地の子、この地より湧く乳を飲む。二つを永久に結ぶ緒は切れない。幾万と耐えてより、銃剣持ちて塹壕から出よ。死すともこの地に還り、我等が子孫に還る。永遠の命、何を惜しまん突撃せよ。永遠の仇、何を怯まん突撃せよ。ふふふ」


■■■


 春までオルフに滞在した。隊商の商取引は一旦全てオルフ南部のペトリュクで済ませたのだがそれは表の目的である。

 黄金の羊シビリ主導で進められているランマルカとオルフでの商取引推進事業に乗っかり、マトラとランマルカ間の商取引を中心都市ベランゲリで行えるように手配されている。ランマルカとの交渉窓口を開くために仲介を要請してきたのはそのシビリであり、その商取引は特許を得た形で行われる。アッジャールの騎馬兵に誰何されてもイスハシル王殿下の名の入った特許状を見せれば、伝令相手で無ければ道を譲る必要も無い程だ。

 そのシビリの思惑とは別の、レーナカンド側からの意向を受けてオルフで大動員が行われた。後方勢力合わせて五十万の大台。各地に潜伏している部下の情報を統合すると三十万兵力がマトラに向けて攻撃に出る予定だがまだ準備中であり、先発隊のいくらかが動き始めるかどうかという段階だ。

 鈍い。

 わざわざこれから戦争を仕掛けると準備段階で宣伝はせず、一応政府間でのやり取りではこの動員は演習ということになっている。イスタメル系商人も潜入工作員ではない同胞も既に帰郷し、ランマルカとの商取引名目でベランゲリに残留している我々に対して退去勧告は出されておらず、拘束される事件も無い。奇襲効果を考えればそれが正しいだろう。ただ監視の目は厳しくはなっている。

 ペトリュク南のテストリャチ湿地の雪解け水の増水が例年に比べて異常に多いという噂が流れている。セルチェス=ダルプロ水門が解放されたのだろう。作戦は順調。

 各地に浸透した耳を削った部下達はそれぞれ自分の使命と役割を自覚している。

 実行日は指定していないが、しかし騒ぎが起こった日に実行される。その起こる日とは敵の出兵式典当日だ。一応、こちらの行動があったら初めて動けと言ってある。

 式典当日にランマルカ大使館から迎えを寄越して貰ってから赴く。アッジャールに恭順したオルフ人警察が堂々と張り付く宿から、ランマルカ、オルフ、マトラ、イスタメルと南北に縦断する大事業を妄想するリーデルを置いて。

 敵味方より儲かる儲からないで動く人間の商人を使っての偽装がどこまで功を奏したのかは分からないが、今の今までは大過が無かった。成功ということなのだろう。

 ランマルカ大使に面会する。

「大使殿、ご協力願う。黄金の羊シビリに面会したい」

「出兵式典は今日の予定でしたね」

 大使が、ベランゲリの宮殿に訪問予定を告げる使者を出す。

 大使館職員より、用意して貰った防水袋を被った棒状の新型爆薬を飲み、肛門と膣にも入れる。これは衝撃で爆発するのだが、その衝撃は付属の雷管の爆発で行う。起爆用の懐中時計も首に掛け外に出して下げる。

 ランマルカ大使館職員の服を借りる。下はスカート。効果増幅用の装飾品も付けて毒薬を中に注入する。触れても毒にならず、破片になって初めて効果を出す。

「威力は?」

「全力が発揮出来れば部屋ごと吹き飛びますが何分施設が応急で爆破実験もしていません。完全な爆発の保証はしません。ですが警備状況から見て、銃や短剣で望むよりは可能性は高いでしょう」

「確かに。では参りましょう」

「一緒に死にます」

 大使が事も無げに言った。黄金の羊シビリへの近接を支援してくれると言うのだ。

「ありがとう同志」

「大陸の同志の勝利は今、我々の勝利でもありますから」

 宮殿よりシビリが大使に会うと告げる使者がやって来てから共に外へ出る。お土産用の懐中時計を手に持つ。

 宮殿行きの馬車とは別に、赤い帽子の御者の馬車が外で用意されていた。大使館職員がいつでも逃げられるようにという配慮だろう。

 赤い帽子の御者、ランマルカでは共に学んだスカップがランマルカ語で声を掛けてくる。

「マトラの優秀な君、落ち着いてやるんだ。まあ、君は昔から冷静だったがね」

「シクルという名前を貰ったのよスカップ。いいでしょ」

「それはいい、シクル。しかし君は惜しい。代わりはいないのか?」

「そうじゃない。間に合ったのよ」

 短期間で黄金の羊シビリに接近出来るような工作員を仕立てる。適任者を適当に選出した結果、自分がやると決めた。

「理想論が過ぎた、それが現実だな。ではさようなら」

「さようなら」

 大使と馬車に乗り、宮殿へ向かう。オルフやアッジャールの兵士がそこら中を行進している。各所から交通の要衝であるベランゲリに集り、そして南へ行く。人間共め。

 宮殿に到着。ランマルカ大使館の馬車であり、訪問の許可も取っているので正門をそのまま通過する。

 これから戦争である。周辺国がその有事に対し、強権を持つ責任者の元へ大使を送り込んで諸々と調整するのは自然なことだ。

 ランマルカはシビリが重要視する周辺国。待合室では「お荷物をお預かりします」「部屋は暖かいので上着をお預かりします」などなどの当たり障りの無い対応で武器の持ち込みを探られてから、ほぼ待たされることもなく面会が叶った。察知出来なかったようだ。

 応接間にて各自席に着く。大使と自分が並び、正面に金髪巻き毛の疲れたような顔をした中年女と、傍に立っている秘書官。こちらの背後に使用人のような風体の刺客。

 以前に会った時はシビリとは名乗らなかったが見当の通りだ。黄金の羊は見た目と伝説の合致から生まれたあだ名のようだ。それと離れた場所で、書記官の隣で話だけ聞いているという風の女はイスハシルの妻の一人ポグリアだ。それから戦時故のさりげない護衛が多数。

 シビリと大使がそつなく挨拶を交わす。それからシビリの目がこちらに。

「あなたはマトラの妖精では?」

 覚えていたようだ。記憶力は抜群だ。

「所属は色々とあります。今日は大使のお手伝いを」

「なるほど」

 しかし察するのが美徳と思っているのが間違いだ。

 懐中時計を手にしてシビリに見せる。

「これは?」

 大使が説明する。

「手持ちの大きさの時計です。本日の催しを見るにもう少し早い時期にご紹介出来れば良かったのですが」

「なるほど! しかし時計がこの大きさ?」

「これを皆が一つずつ持っていれば、時間を合わせて行動が出来ます。これからお忙しくなるようですが、これがあれば太陽を見なくても動きを細かく合わせることが出来ます」

「素晴らしいですね」

 これから戦争を起こす国相手に軍事利用可能な商品を見せる。

「これをどうぞ」

 お土産に箱に梱包された、装飾された懐中時計をシビリに贈呈する。

「開けてよろしいですか?」

「どうぞ」

 と言ったら、シビリの秘書官というには武人の面持ちの男がその箱を手に取って「お開けします」と持って行ってしまった。あれに仕掛けはしていないが、シビリが存外無用心というのは分かった。たぶん、時々間抜けなことをしているのだろう。

「懐中時計は、失礼ながらご存知ですかな?」

「ええ。ただこちらにあまり出回ってませんので。それと占星術師が天体観測で割りと精度の高い時刻を計算するもので……やっぱりちょっとずれるんですけど。曇り空だと更に……時計はいいですね!」

「ロベセダ製が名高いですがランマルカ製も負けておりません。今はお譲りするだけの数がありませんが、洋上でも誤作動しない時計も扱っております。暗礁の多い北海交通でお役に立てられますよ」

「それは凄いですね」

 ラシージ親分が大権を握っているがしかし、やはり指導者は現在あの人間である。

 祈りに近いかもしれない。だが我々の覚悟を知って貰わなければならない。同情させ、依存させ、その精神、技術、身体をマトラに捧げて貰おう。親分からの報告では存外上手く行っているという。今日の出来事は部下が彼に報せる。良く効いてくれるはずだ。賞賛も騎馬像も無用な交尾の催促も”懐き”の扇動も今日に芽吹く。人間であるならば人間性を失って貰う。徐々にか急にか、見届けることは出来ないが普通は転がらない道へ導こう。

 黄金の羊が微笑んで欲しそうな声を上げている最中。

 秘書官らしき護衛の男が別の机の上で開封した箱から懐中時計を手に取って異常が無いか――視線誘導の無意味な装飾に意識を取られ――目を通している最中。

 手にしている懐中時計を下腹部に当てる。

 マトラを愛し、殉じろ。そして、

「……末代まで呪われろ、ベルリク=カラバザル」

「え?」

 叩く。

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