第236話「総動員だ」 ゼクラグ

 三七番居住地にて総力戦体制を構築する。物資集積地点として三七番は丁度良いと判断された。セルチェス川沿いに位置し、東にボレスの本拠地、西に県庁所在地と百番要塞、南に八番要塞とバシィール城が直線上にあり、両岸に重量物の運搬が可能な橋が渡され、増水しても浸水しない高さがある。

 利便性より兼ねてから大型居住地として利用されていたが、より先軍的な構想によって補給基地へと改装をしている最中だ。寝台数は多段寝台の大量生産により解消される。

 バルリーの脅威は去らず、魔神代理領への依存は危険。このイスタメルは歴史的にも所有者が移り変わりやすい土地だ。十年、百年後の支配者が今日のように融和的とは限らない。軍事最優先路線は半永久的に終わりを見ないであろう。

 傷は塞がったがまだ体が本調子ではないので事務仕事を主に行う。役立たずになったと思ったがまだ同胞同志に貢献出来るとは嬉しい限りだ。

 昨今行われた人口統計によればマトラ同胞は五十万。それを元に産業別民兵体制の編制表を作る。今まではあまり専業意識の無かった意志の弱い下位同胞達であったが、ここでその意識を得る必要性が生まれた。許可無く指定の居住地、職場を離れることを禁止する。今までは組織だって行動する余裕も無かった。

 産業別民兵体制とは、各農場や工場等にて効率的に作業を行うために組織されている指揮系統をそのまま転用して民兵部隊とするものである。この体制は平時と有事の人事異動を極小に抑えることが出来て、平時の労働がそのまま有事における組織行動の訓練になるため非常に効率が良い。これを実現するためには専業意識の芽生えが、居住地と職場の固定化が必要だ。

 戦闘部隊の組織化は以前から逼迫した状況に置かれていた割には良く出来ていたと自負するが、銃後の組織化はおざなりになっていた。ラシージ親分を筆頭に、自分もだが大量に人間共に奴隷にされてしまっていた空白期間が余りにも惜しい。戦争は終わってイスタメル州内の妖精奴隷は解放されたが未帰還の意志の強い上位同胞も少なくない。

 産業別民兵体制の編制表を作ることは、労働体制の組織化でもあり民兵体制の組織化でもある。これの編制によりランマルカの同志より伝授された全人民防衛思想を精神だけではなく制度として実現出来る。最大効率の最大総力戦が可能になるのだ。

 組織編制は時間が掛かる。もう一つの課題は火器、軍服、軍靴不足だ。刀槍に弓矢、平服へ腕章、裸足に慣れている者は裸足や靴袋に替えて対処しているが現代軍としては不足。民兵十万に完全武装させる数は無い。

 工場で現在生産しているのはバルリー=シュレッフェン銃を参考に、銃身を短くして我々に丁度良くしたマトラ=シュレッフェン銃である。シュレッフェン=ザール銃の特長である量産のしやすさは今の我々に丁度良い。コルターン海兵銃の複製は検討されたが、我々に馴染みがあり、工場以前の工房段階から武器鍛冶が複製してきたシェレッフェン銃が採用された。

 魔神代理領共同体の一部になったことによりあらゆる物品の輸出入が可能になったのだが、問題としては民兵に対しては州政府より助成金が出ないことだ。バシィール城の方から手を回すという話だが何とも覚束ない。マトラ県に降りる補助金を全額投入して魔神代理領各所から必要物品の輸入に務めているが金額不足である。これに同胞同志達の滅私勤労が無ければ民兵十万計画は見直しを迫られていた。

 資金や物品調達に関しては国家国民需給品目審議数量査定委員会が請け負っているが、今は輸出して資金にする物が無い。生産物は全て県内で消費されていてまだ不足。先のバルリーとの戦いでの略奪品も個人としての財産と見れば高額かもしれないが、軍を組織する資金と見ればほんのわずか。

 マトラの山々は鉱物資源に恵まれているが金銀などの人間が価値を認める不要鉱物は採算が取れるほど産出していない。硝石は売れるだろうがこれは火力の維持のために売ることはありえない。石炭も鉄鋼業を支えるので同様にありえない。採掘権の売却のような売国的被虐資本主義政策は尚更在りえない。

 余剰生産物を外部と取引する必要があるとは思うが、やはり今は県内需要を満たすので精一杯。

 それから以前より細々とだが続いていた北海の同志からの支援が途絶えている。北のオルフで政変があって混乱していると思われるが情報はまだ届いてない。技術供与や武器供与の断絶は一時的でも手痛い。

 あらゆる問題を解決する下支え、それを実現するのが産業別民兵体制の編制表か。自分の仕事に同胞達の未来が掛かっている。戦と変わらぬ覚悟で仕事に取り組み、必要な情報を得るために各部への手紙を書いて整合性を確認。やるべきことは無数にあって時間が過ぎる。


■■■


 気がつけば昼休憩の鐘が鳴り響く。疲労困憊した状態で仕事をしても失敗する可能性が増えるだけなので休憩を取る。働くためには休む必要がある。革命思想家ダフィドもそう言っている。

 そして事務所の外からいつものやかましい声が聞こえてくる。歌かもしれない。

「休憩だ! お休みよ! 腹減った! ごっはんだ! 美味しいよ!」

 扉が勢いよく開けられる。

「ゼっくんだあ!」

「うるさいぞ」

 三七番居住地の改装作業員であるサニツァは昼の休憩時間になると三人分の食事を持ってやってくる。

 サニツァは特殊作戦から建築作業まで十二分に力を発揮する優れた労農兵士だ。労働英雄勲章と軍務英雄勲章が授与された。また肩書きも特命作業員とされた。上位命令があればいつでもどこの部署にでも引っ張れるという今までの役割が正式に決定された。その特命が無ければ自分の指揮下にあることになっている。

「うーん? ミーちゃんは静かだよね?」

「サニャーキ、声大きい」

「私!? うっそー!?」

 ミーことミリアンナも一緒に来る。こちらは特命作業員属一般派遣労働者とされた。サニツァを雇用するにあたりミリアンナの保護が条件となっているため扱いが特別になっている。これが同胞ならば年齢的に集団初等教育課程に編入されるのだが、人間なのでどうしようもない。

 三人で床に座って一緒に食べる。拒否する理由は無い。

「農民さん!」

「農民さん」

「労働者さん!」

「労働者さん」

「兵隊さん! ゼっくんも!」

「労農兵士に感謝を捧げる」

『いたーだきます!』

 他の上位同胞からの指摘であるが、どうもサニツァは自分を擬似的に人間の婚姻関係の片割れを成す夫と見做しているらしい。配偶者相当はミリアンナだ。妖精相手に理解に苦しむが、情報部の彼女からは「ごっこ遊びくらい付き合ってあげれば」とのこと。この戦力を他勢力に渡すくらいならば”ごっこ遊び”程度は問題無い。

 ミリアンナが不意に自分の顎に手を伸ばす。何の目的かと見当が付かなかったが、その指についているのは食事の欠片。

「ゼクャーカ、えらい人がお髭にご飯つけてたらカッコ悪いんだよ」

「そうか」

 ミリアンナは最近妙な名前で呼ぶ。”ごっこ遊び”の一つなのだろうが、発音もさることながら耳慣れぬ。

「ミーちゃんお母さんみたい!」

 子に毛繕いをする四足獣は見受けられる。幼体の衛生管理は母親の役目であろう。

「自己管理出来る」

「そーねー」

「ねー」

 不可解。

 人間の家族制度については、特に妖精へ適応すると欠陥が多過ぎると革命思想家ダフィドが指摘している。また封建世襲制度の根本でもあり革新的な社会制度と相容れない。それから個人に家族が紐付けられ、家族制度を尊重するとその分の人事費用が嵩む。自分が現在総力戦体制を構築するにあたり、あの編制表に家族への配慮が組み込まれるとなれば途轍もない作業量となって果てが無く非効率。十万の人事が三十万、四十万と圧し掛かる。旧体制の非効率性が垣間見える。


■■■


 三七番居住地改め、三七番補給基地の改装が終わった。

 居住施設が大規模移築された上で多段寝台に対応するよう改築された。天井を上げるのではなく地面を掘り半地下式となる。浸水対策の浸水防止装置、排水装置の敷設がやや高費用となったが。

 施設の大規模移築により大規模広場が出来上がった。勿論そこは十万兵力を十分に閲兵出来るだけの広さを確保している。

 動員試験を実施する。マトラ旅団とは別の民兵即応部隊一個師団一万名を動員して三七番補給基地へ完全武装で集める。これを第一次動員師団と呼称する。実戦経験がある、もしくは本格的な訓練経験がある者達だ。

 各部に伝達し、編制表通りに農場や工場、労働現場へ呼びかけを行って三七番補給基地へと召集し、欠員が発生した労働現場は平時生産体制から第一次戦時生産体制へと移行する。

 今までの物資輸送量も調整される。労働現場に回されていた一万名分の物資が三七番補給基地へと回される。また三七番に駐留する時に必要な分、三七番から帰る時に必要な分、そして三七番に来る時に持ち出した分の補充分の三種類に分けて管理される。

 まずはゾルブ司令がその一万名、第一次動員師団を閲兵する。彼等は鹵獲装備が多く、また全てが火器で武装していない。騎兵戦力は斥候伝令、後方連絡線警備程度の任務しかこなせない少数の銃騎兵に限定されており衝撃騎兵は存在しない。マトラにおける山岳防衛作戦で粘れる自信はあるが現代軍としては装備不足。マトラ旅団の重武装化は州政府から降りる軍事費で着々と進んでいるようだが。

 民兵師団とマトラ旅団は人事交流を重ね、士官や下士官として教育を重ねることになっている。

 この閲兵にはマトラ旅団から教官に相応しい錬度の士官、下士官が派遣されており、閲兵後ただちに訓練が開始される。

 マトラ旅団長ベルリク=カラバザルを近日招くとのことで、基本である部隊毎に行う行進、専門職による実技展示が行われるそうだ。

 行進には付きものの軍楽隊の演奏がその日から毎日行われるようになって賑やかである。聞き慣れない曲もある。


■■■


 事務仕事や、接待をするミザレジ知事からの要請に応える書類を作成するのに手一杯でベルリク=カラバザルに披露した本番を見る暇など無かった。行進曲、号令、歓声、爆発、騒がしい。

 最近では書類を記述する際の統一書式が各事務所で認知されたので一枚一枚の確認速度は向上しているのだが、今まで粗放であった部分の組織化や可視化により記載情報自体が増加している。管理職員の増員が必要である。

 休憩時間を利用し、やや恋しくなっていた日光を浴びに外へ出た。内勤は外勤の邪魔をしないように行進中は屋内に待機しているのが良い。

 広場が第一次動員師団とその物資によって狭く見えた。日差しが眩しい。外には便所以外の用事で出ていなかった気もする。

「ねえゼっくん」

「どうした」

 サニツァは公民館にいるベルリク=カラバザルへの現マトラの工業力を示す為の諸々の品を運ぶ仕事を終えて流石に汗を掻いている。大砲に使える重量五百ヌトルの鋼鉄塊もその中に含まれる。

「あの人がベリリクカララババさん?」

 サニツァが舌足らず? に指差すのは情報部の彼女が作戦に利用している人間の商人。情報部から一名単位で物資の都合の要請があったので覚えている。一名単位程度で事務処理するのは手間だから余剰物資を各部に持たせておく必要がありそうだ。場合によっては無駄になり腐らせても余剰分を保持しておく価値のある部署限定ではあるが。

 しかし外国人商人などを我々の領土内に招くのは歓迎出来ない。それも何やら毒にも薬にもなるか分からぬ零細商人。計画経済に誤差をもたらす存在なので排除が本来は望ましい。

「いや、あれは人間だが違う。情報部が特殊作戦に使っている人間だ。関わるな」

「そうなんだ。私ね、まだ一回もベリリクカララバさん見てないよ。見に行こうとしたらルドゥくんがあっち行け! って意地悪するの。なんでだろ?」

「要人警護というものはそのくらい神経質ならばこそ意味があるのだ。ルドゥは己の職分を忠実に果たしている。邪魔するものではない」

「そうなんだ! うん、ルドゥくんを邪魔しない」

「よろしい」

 要人は公民館に今夜は宿泊するらしい。顔を確認したい好奇心はあるがルドゥ等偵察隊の邪魔をする程ではない。


■■■


 第一次動員にて基礎的な手順の確認が終わった。次に行うのは総動員演習である。

 州政府の方でも州軍を召集して観閲と軍事演習を敢行するそうだ。マトラ旅団を別とし、他の封建的非国民国家軍より組織的に優越していることを証明しよう。

 一万人の一個師団規模動員を第一次から第十次まで十回繰り返し、三七番補給基地に総員を止めて解散せずに編制表にある全部隊の実体確認をする。

 第一次動員は既に行ってある。第十次まで受け入れるために野営地の準備を行わせる。

 第二次動員をかけて集結。多数の労働力の引き抜きにより生産予定量の減少が目に付く。

 第三次動員をかけて集結。更に多数の労働力の引き抜きにより生産予定量の減少が目立つ。また教育課程の若年者の労働補助を開始。

 第四次動員をかけて集結。食糧輸送量に手違いが発生し若干不足。早期に第五次動員をかけてその第五次動員師団に不足分を合わせた食料を輸送させる。また教育課程の若年者の労働補助数を引き上げる。

 第六次動員をかけて集結。野営地整理の必要が出てきた。天幕の間隔を最小限にまで縮め、火を扱う場所を一局集中で対応。廃棄物が大量となり処理能力を三七番だけでは越えたので廃棄作業班を組織して対応する。屎尿処理はセルチェス川で行っているが汚染の危惧により便所穴の掘削を開始することにより、同時に三七番補給基地の拡張工事になった。衛生面も不安視されるのでサニツァを工事作業から水汲み作業に充てる。飲料水以外にも体や食器、衣類を洗う水だから大量にいる。

「どっばーん!」

『どっばーん!』

「ざっぶーん!」

『ざっぶーん!』

 と樽に汲む声が大きく、面白がった取水作業班が真似をしている

 かねてより馬、牛、ロバへの給水作業が重労働化していた。なお水汲みは屎尿廃棄地点より上流とするよう指導し、看板も敷設。労働力の激減に対応するために民需工場の一部を停止してその分の労働者を各所に割り当てて対応。

 第七次動員をかけて集結。診断により体調不良者が出てきている。余りにも過密な状態で一箇所に留まっているせいで諸々の不良が出ているとのこと。動員に時間をかけ過ぎているか?

 一斉動員の方が返って負担が少ないかもしれない。馬、牛、ロバも精神的疲労が強いとのこと。郊外への散歩を許可する。労働力激減により軍需工場の一部を停止してその分の労働者を各所に割り当てて対応。

 体調不良の原因の一つに運動不足が指摘されたので軍事教官等と検討し、日に三度の健康体操を実施することに決定。具体的な動作が定まっておらず、動作の統一性を図るために軍楽隊の協力も仰いだ。

「先行試験型マトラ軍体操!」

『先行試験型マトラ軍体操!』

 軍楽隊が軽やかな演奏を行って将兵達の体操を助ける。先導、号令をかけるのはゾルブ司令その人である。指揮官先導は軍の基本である。尚、自分のような療養が終わっていない負傷兵はそれぞれの負傷に配慮し、独自に無理しない程度に動くものとする。

「左右反復腿上げ!」

『左右反復腿上げ!』

 その場から動かず、膝を股関節の高さまで上げることを左右交互に反復して行う。

 負傷もさることながら、長期間に及ぶ療養と事務仕事で体が鈍っていることに気付かされる。

「肩部旋回内回し!」

『肩部旋回内回し!』

 拳を握り腕を前に突き出して肘を伸ばし、肩を大きくしかし横には広げず前部へ回すようにする。密集隊形に近いからだ。

「肩部旋回外回し!」

『肩部旋回外回し!』

 回す向きを反転。もう汗が出てきた。

 節々が痛む。無理をしてはいけないので旋回を緩くする。

「半屈伸!」

『半屈伸!』

 膝に手を当て、過大な負荷をかけない程度に腰を落として膝を曲げ、そして伸ばす。尻が足につくまでしなくて良い。

「胸部開閉!」

『胸部開閉!』

 拳を握り腕を前に突き出して肘を伸ばし、内側に交差させて肘を重ね、そして脇を閉めつつ肘を脇につけて出来るだけ後ろへ反らす。

「前方傾斜首左回し!」

『前方傾斜首左回し!』

 首を右回しにするのだが、あまり背面へ回すと頚椎への負担が大きいため前方への傾斜を意識する。

 あの地雷の爆発で首を痛めたのが思い出される。若干左右に動かす程度に止める。

「前方傾斜首右回し!」

『前方傾斜首右回し!』

 首を左回し。前方傾斜の意識は同様。

「前屈後ろ反り!」

『前屈後ろ反り!』

 膝を伸ばしたまま、指先を爪先に付けるもしくはそのように努力する。柔軟ならば掌を地面に付けるように、更に柔軟ならば顔を膝に付けるように。そうしてから腰に手を当てて転倒しない程度に腰を後ろへ反る。

 前屈時の脛の痛みが予想外。後ろ反りに首も後ろに反ってしまって嫌な予感がしたので程々に止める。

「左右斜方前屈!」

『左右斜方前屈!』

 腰を左に捻ってから前屈動作を行い、身を起こしてから今度は腰を右に捻ってから再び前屈動作。

 廃兵にまだなっていないのは腰がまだ無事なお陰かと思えてきた。

「小跳躍!」

『小跳躍!』

 その場から動かない程度に、膝をあまり曲げないで小刻みに跳躍。

 足はまだ大丈夫だ。疲れてきたが。

「左側屈!」

『左側屈!』

 足を肩幅に開き、左手を腰に当て右腕を上に伸ばして腰を左に曲げる。

「右側屈!」

『右側屈!』

 足は開いたまま、右手を腰に当て左腕を上に伸ばして腰を右に曲げる。

「腕前振り屈伸!」

『腕前振り屈伸!』

 膝を曲げると同時に前に突き出した腕を下げ、膝を伸ばすと同時に腕を胸の高さまで振り上げる。

 ここまで来ると少し長いのではないかと思えてくる。体が衰えたせいか?

「深呼吸!」

『深呼吸!』

 深く呼吸をするのだが、吸う時には胸を広げて大きく吸うようにし、吐く時は全て吐き尽くすようにする。

 これで乱れた呼吸を整える。全力でこれらの動作を反復して行えば汗が吹き出て息も乱れる。

 ゾルブ司令との協議により、この長期間を跨ぐ段階的な一つ刻みの動員は非現実的であるとの結論に至った。手順さえ分かるのならば一挙に複数次動員するべきであると。しかしそれは有事のことであり、労働力の低下対策、物流の戦時体制の試験のためには小刻みな動員を行って各所手続きや作業の不備を洗い出すこととした。

 第八次動員をかけて集結。遂にここに至って完全に火器を持たず、腕章すらない労農兵士達が集った。武器も各々の労働現場から持ち出した農具や工具に棍棒である。兵が死んでも武器まで壊れるとは限らず、死んだ敵から鹵獲出来るとはいえこの姿は、改めて見るに衝撃である。以前まではこのような者達で戦っていた時期もあるがしかし、これは現代軍ではない。早急に武器や軍服の充実が望まれる。

 集結した人員が八万に達した。物流に関しては段階的に戦時体制へ進めるに当たって手続き、作業が改善されて行き、道路の要整備箇所も明らかになったのだ滞りは無い。尚労働力不足の深刻化により、現在労働者達には労働時間の延長で対応して貰っている。

 第九次動員をかけて集結。労働力の低下ではなく物資供給量の低下で農場や工場の稼働率が減少する事態に陥る。農場に至っては管理不足から損失が出る可能性が指摘された。更なる労働者時間の延長、夜間作業を行うように指示。労働者不足に合わせて若年及び非熟練労働者の割合が増大したことにより品質保持の保証も怪しくなっている。技術の未修得は労働の積み重ねで解消はされるので完全に悪化の一途を辿るわけではないが、現状組織的な負担が強い。労働現場の選択と集中の最適解も現状で明瞭ではない。過労療養の必要がある労働者が出たという報告も上がってきている。

 武器購入代金をその他の物資購入代金に当てられればこの負担も軽減されるのだが。また有事には東のボレスより強力な支援が約束されているのでその分を差し引いて考える必要はある。実際の有事より労働者に対する負担はもしかしたら高いかもしれない。

 第十次動員をかけて集結。動員成功。各管理単位である中隊、連隊毎に点呼を行って民兵十万名を確認した。

「総動員だ、全員集合!」

『全員集合!』

 この長く苦しい演習の終わりを喜んだサニツァが大声を出したら皆に伝わった。気持ちが分かる。

 この民兵をマトラ旅団の指揮系統に滑り込ませれば、マトラ人民防衛軍約十一万となる。だがまだ数が揃っただけ。指揮系統、組織、武装がなっていない。

 そして改めて意志の統一を図る。ゾルブ司令が号令をかける。

「国歌斉唱!」

 軍楽隊が演奏を開始する。


  我等が父マトラの山よ

  我等が母マトラの森よ

  我等はこの地の子、この地より湧く乳を飲む

  二つを永久に結ぶ緒は切れない

  幾万と耐えてより、銃剣持ちて塹壕から出よ

  死すともこの地に還り、我等が子孫に還る

  永遠の命、何を惜しまん突撃せよ!

  永遠の仇、何を怯まん突撃せよ!


 十万民兵の歌声は大きく響いた。

 そして早急に平時体制への復帰を命令する。次の戦争に備えて農場と工場は停止していられないのだから。


■■■


 十万民兵の頭数が揃うことは確認された。次は質の充実である

 バシィール城で正規兵旅団を教育をするのがラシージ親分。正規兵旅団は全員が士官、下士官となるように集中的に教育訓練を行っている。

 八番要塞にて民兵師団を教育するのがゾルブ司令。第一次動員師団の教育訓練を一段階修了したならば、次に第二次動員師団と交代させて教育訓練を再開する。

 個別教育、訓練する人員が民兵師団では不足すると予想されるので、教育訓練が十分と判断された人員が正規兵旅団から派遣される。

 またその民兵の教育訓練課程で優秀と判断された者は正規兵旅団に出向いて教育訓練を受ける。修了したと判断されたら原隊に復帰する。

 全民兵師団を同時に訓練することは出来ない。産業が停滞してしまう。第十次動員までかけて身に染みて分かったことだ。

 尚、これらとは独立して活動する軍がある。

 西のエルバゾは対バルリー警戒任務を続行中。予備民兵旅団としてそのまま独立し、労働と軍務を継続している。侵略的越境橋頭堡の破壊により侵略行動はそれ以降見られなくなってきたものの、境界線が更に曖昧な山中、森林部ではやはり小競り合いが時折発生している。狩人との撃ち合い程度でもあるが、許せばつけ上がる。

 東のボレスは変わらず人員も物資も出してくれるし、有事には総力をあげる約束があるけれども、具体的にどんな活動をしているのか不明だ。ゾルブ司令もラシージ親分もミザレジ知事でさえも好きにやらせておけという態度である。多様性が最終的な種族生存率を向上させるという論理だが、総力を傾注しなければ出来ない難題が持ち上がった時にどうするのだ? 予備は温存するものだが、いざという時に投入できなければ予備ではない。予備ではなく保存なのだろうか? 不安要素だ。


■■■


 時が経つにつれて事態は改善してくる。物が揃ってきた。

 生産された軍需物資を大量に八番要塞とバシィール城に運ぶ必要がある。バシィール城はマリオル方面から輸入しているので八番要塞ほど必要とはしていないが。

 この三七番補給基地は今、物資集積場所として非常に混雑している。食糧武器弾薬衣服が山積みだ。動員演習中とその後では当たり前だが生産量が違う。労働時間の延長などしなくても良い。

 有能な荷捌き要員が必要となる。サニツァなら安全守則を守って慎重に運ばなければならない重量物でも身軽に持ち上げて馬車、牛車、船に積むことが出来る。有用だ。

 重量物を運ぶが故の転倒脱落事故も起きる。この物資集積地点となる三七番近辺で発生すると常より深刻な交通渋滞の原因となる。付近で発生したならばサニツァに「手伝って来い」と行かせればすぐさま「たっだいまーん!」と何故か下腹部に手を当てながら解決して戻ってくる。足も速いのだ。全力で走らせると馬ぐらい速い。

 もう一体ぐらい欲しいが中々いない。

 しかしやはり良いことばかりではない。何を考えているのだと口に出そうになる書類だ。

 ベルリク=カラバザル騎馬像鋳造計画書。責任者はミザレジ。

 最上位同胞の頭が知れない。

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