第235話「どーん」 後のシクル

 掘削部隊がバルリーの侵略的越境橋頭堡の東側の森から坑道を堀り、本丸である改修した古代城の地下を目指す。

 しかし隠密性を重視するとはいえ、掘る坑道が長過ぎるのではないか? いくらラシージ親分が土を弄る魔術を使えるとはいえ限界があるのでは? だが親分がやるというのだから問題ないはず。いやない。

 自分の任務に専念しよう。今回は各特殊作戦部隊を一通り見回り、現場の意見を聞いて改善点をまとめる。現場で応急的な指導が出来れば行い、出来なければ一度前線本部に戻って各専門家、司令官等と検討する。良く移動して回る仕事なので人間に変装し、受け答えも満足に行える自分がやる。

 掘削部隊の周辺での監視任務の見回りをまず行う。特殊作戦部隊の中核は人間に偽装出来る耳を削った情報部の部下達である。一瞬でも人間であると欺瞞が出来ればその間隙を突いて逃げることも殺すことも出来る。恒常的に可能なら尚更選択肢は広い。

 掘削部隊周辺に関して、敵哨戒部隊がわざわざ道無き森の中にまで踏み込んで警戒するほど暇ではないと行動から読めた。我々が排除して回った南側の廃村方面に気を取られている。我々が古代城を攻略するだけの兵力を伴って攻撃するのなら大砲を牽引出来る南側の街道沿い以外には無い。

 ゾルブ司令が指揮する二千の本隊が部隊を繰り返して派遣して示威行動を行って陽動し、敵哨戒部隊に対しては繰り返して軽攻撃を加えており、緊張状態が維持され、再入植を予防している。あまり長い間このような行動はしていられない、という意見だがこれは当初からの想定内で指摘、改善するところではない。

 バルリーが増援を大規模に寄越した場合は対抗が困難になり、州政府からの介入によって望まぬ決着がされる可能性があると推測される。バルリーが主張するあの古代城近辺の領有追認だ。地図上では表記が難しい地域であり、口が上手ければ誤魔化せる可能性がある。そのような事態になったらあそこは越境橋頭堡であると州政府に進言することになっているが、全面の信頼は置かない。あちらも所詮は人間だ。それも他所の。

 ここにいる掘削部隊の護衛部隊も極めて静粛を保って待機しており苦言を呈すところは無い。火を焚けず温食が摂れないところは問題点か。風が暖かくなって昼が長くなり、夏になって夜でも寒さを感じなくはなっているが内臓には良くない。その分は栄養価の高い脂分が多い保存食が優先的に回されている。

 何より、ここは今ラシージ親分が直接指揮している。親分にこの現場の客観的意見を述べる以上は出来なかった。改善点が無いということは良くやっているということである。

 次へ行く。


■■■


 侵略的越境橋頭堡の北側。

 サニツァが”ダヌアの悪魔”になって狩人や山菜取りの人間を襲い、偵察隊がその死体を切り刻んで晒す。補給線上から隔絶された北部山地では現地調達が基本であり、人間を食糧とする。

 山に人が見当たらない場合は夜間に古代城付近に築かれた村を一撃離脱に襲って敵を殺す。

 それに脅威を覚えた人間が討伐隊を繰り出す。また各村に守備隊を恒常的に配置するようになり、敵の積極行動を抑制する。

 山道の分岐点ごとに監視班を貼り付け、その動きを偵察隊とサニツァに伝えて討伐隊に対する効果的な襲撃地点を調整する。

 このようにして南だけではなく北にも敵の注意をひきつけて陽動を行う。また敵の兵士のみならず民間人が外出する機運を下げて掘削部隊の隠蔽率を上げる。

 到着した時にむっつりルドゥからこれらの行為をしているとの報告を受けた。

 実際に見せて貰うことになった。ルドゥがサニツァを正しく運用しているかは気になるところだ。

 今回の獲物、敵の討伐隊三十名が細い山道を二列縦隊で歩いている。先頭は騎馬した指揮官。道沿いに待ち伏せしていた偵察隊の包囲網にゆっくりと飛び込み、気付かない。

 そして馬が落ち着かなくなって鼻息を荒くして首を振って嫌がり始める。

「ドードー! どうしたお前?」

 指揮官が馬を気遣い、敵部隊が足を止める。

 ドタバキザザザと山の斜面の草むらを騒がしく掻き分け、木の根を踏み割って駆け下り”ダヌアの悪魔”が「がおー!」と聞くだけなら間抜けな声を出して突っ込んで跳んで、ガランカンと金属音立てながら千歯扱きを振り下ろしつつ押し潰すように「どーん!」と体当たり。二人が千歯扱きに肩や腕を引き千切られ、体当たりを食らった一人は首膝を折って立ったまま尻が地面についた。

 馬が驚き嘶いて走り出す。指揮官はしがみ付くも落馬。

 残る二十六人の敵は肩に下げた小銃を構えることもなく絶叫。

「悪魔だぁ!」

 ”ダヌアの悪魔”が「よいしょ」っと普通に喋って起き上がる。うーん、そんなもんか。

「へい!」

 ”ダヌアの悪魔”はどのような思考の結果にそれを思いついたか知らないが、体を左右に揺らして片足立ちを右左、股を開き気味に繰り返しながら千歯扱きを振るって敵の骨肉刻んであっさりと内臓を引きずり出す。

「へい! へい! へい! へい!」

 見て楽しめる技巧があるかはともかく踊っているのは間違いない。

「踊ってる!?」

「見るな呪われるぞ!」

 千歯扱きが敵を潰し、肺の空気が強制的に漏れたせいか「うぶしっ!」と変な声が鳴る。

「きゃきゃきゃきゃ変なの!」

 また千歯扱きが敵を潰して「ぶほっ!」と変な声が鳴る。胸を刃の土台の方で打撃粉砕するとそうなりやすいことを見つけたようだ。

「きゃっきゃー! 何コレ!?」

「魔女が笑ってる!」

「アホか逃げるぞバカ!」

 敵は抵抗する気も無く山道を駈けて下り始める。集団が固まって狭い山道を駆け下りるなんてことは簡単にいかず、もみ合って転ぶ。

 転んだ敵は勿論”ダヌアの悪魔”が「えいやっどーん!」と跳んで足で胴を踏み潰し、手の届く範囲にもう一人いれば「どっばーん!」と千歯扱きで巨大な顎で食い千切られたみたいに体を抉り取る。

 凄まじい衝撃力。

 敵は”ダヌアの悪魔”が追走して順次潰して殺していくが全ては追いきれない。無理に追う必要はなく、目撃者は最低でも一人残るようにするのだ。

 山道から脇道に逃げた敵まで見逃す必要はなく、放っておけば道の外にいる我々を発見する可能性があるので待ち伏せした偵察隊が刀槍、弓、弩、投石などを使って銃声を鳴らさないように仕留める。

 ”ダヌアの悪魔”がどこまでも敵を追って皆殺しにするのではないかと懸念したら、敵を片手に首に齧りついて吸血しながら装備重量からサニツァとは思えぬのしのしとした足取りで戻ってくる。

「サニャーキお疲れさん!」

「あ! 来てくれたんだ!」

 サニツァが食ってた人間を掴んだまま腕を振り上げて喜ぶ。この”ダヌアの悪魔”の格好、首の根元にそのままサニツァの愛想が良い間抜け面があって間抜けなのだが、血塗れの恐ろしい目玉だらけの多頭の獣の姿と合わせると魔女などと呼ばれるのも納得が行く。

「血を飲んでたの?」

「あっついから喉渇くの!」

「そうなの」

「そうなの!」

 ルドゥの指導か? 理に叶っている。

 むっつりルドゥが馬を連れてやってくる。馬がサニツァを、死体の転がりようを見て動揺するが、遠くからゆっくり来たおかげか暴れ出しはしない。

「今日の仕事は終わりだ。後は我々に任せて別命あるまで休め」

「はーい!」

 襲撃作戦はサニツァの個人戦闘能力に依存はしているがそれによって被害を抑制しつつ成果を上げている。

「一緒に行こ! ルドゥくんのお茶美味しいんだよ」

「先に野営地に戻ってて。後で行くから」

「はーい!」

 サニツァは分厚い甲冑と毛皮を着て片手に改造千歯扱きと人間を持って山の斜面をドタドタと駆け上がって行った。あれはかなりの重装備であり運動量だ。術使いが陥る術の使いすぎによる虚脱状態が懸念される。

「仕事は短時間?」

「ああ。あれ以外のことは腹一杯食って寝ることしかやらせていない」

「休日は入れてる?」

「毎日捕捉出来るものではないが連日になりそうになったら控えている」

「命令は聞いてる?」

「適宜、拡大解釈することのないように指示すれば暴走するようなことはない。あれは血に狂ってるのではなく村祭りの延長線上と考えてやっている」

 ルドゥの手を取り、自分の胸に押し付ける。

「何の真似だ」

「頑張ってるむっつりくんにご褒美」

「止めろ」

 ルドゥが手を振り払った。

「もう」

 それから敵の死体を偵察隊が切り刻み、城や村の近くに飾って晒す作業を見る。

 ”ダヌアの悪魔”の噂は既に広がっている


■■■


 現地は清涼大規模な川や湖が無く、不衛生な沼沢地が自然水源のような土地である。水の確保は雨水を溜めるか井戸水か。

 特に北部山地部隊は真水に困窮気味である。勾配が単調にキツい山々でその不衛生な水すら溜まる場所が少ない。

 解決策が、古代遺跡の水道橋跡の上に昇って雨水を汲むというもの。水が漏れないように設計されており、無数に寸断されたとしても構造部の歪みや窪みに溜まっている。また土ではなく石の上に溜まっているので衛生状態は沼から汲むより遥かに良い。

 栄養状態は各隊員を見るに良好。人間を食糧とすれば現地で困ることは少ない。軍事作戦と狩猟を両立出来るところが我々の強みではある。それなりの体重があり、動作も鈍くて群れを作り、弱い個体と強い個体の外見差が明瞭な獲物だ。人間の味を覚えた熊が人間ばかり襲うようになるというのが良く分かる。

 ルドゥくんの美味しいお茶こと、消毒作用を念頭に入れた薬草茶を貰う。薬草の組み合わせにもよるが、青臭さが強い時は色々誤魔化しにまぜて緩和努力をしている。

 茶の臭いで居所が知れないかと思ったが、その辺りに生えている草の臭いと大差無い。

 水道橋の柱に寄りかかっていると血塗れになった体を洗ったサニツァが隣に座る。ルドゥは煙が立たないようにに火を熾して人間の肉と血の腸詰を鍋で煮ている。多少手が込んでいる。

「もしかして二人は旦那さんと奥さんなの?」

「人間で言えばそれに近いかな。子供は二人いるけど、見れば分かるけどどこにいるかは分からない」

「家族が一緒じゃなくて寂しくない?」

「それは人間の考えよ」

 人間を観察してその精神構造は客観的に分かっている。理解しても自分がそうだとは思わない。同胞が育て、育った同胞となって共同体に奉仕しており、産んだ甲斐があると思う。それ以上は無い。あるのではないかと試験的に疑ってみても無いものは無いのだ。

 古代の水道橋遺跡。あの古代城に繋がっているような向きで柱とその跡が連なっているように思える。

 柱を昇る。サニツァも続こうとしてルドゥに「お前が昇ったら壊す可能性がある、止めろ」と言われて「はーい」とつまらなそうに言った。統制が利いている。

 柱の上に昇る。北東の方角に水道橋遺跡が点々とあり、いくつかの水源を求めるように複数分岐している。得られる水に対して大規模な建築に思える。南西の方角も水道橋遺跡が点々とあり、あの古代城で終わる。

 そうか。あれには貯水槽があるはずだ。古代帝国遺跡には、付近に川が無ければ水道橋と貯水槽が組みになって存在する場合が多い。水に困った時に古代帝国遺跡を漁れば解決出来るというのは経験にも教えにもある。坑道掘削時の障害になる。急がねば。

 柱を降りる。

「急用が出来た。侵略的越境橋頭堡地下に大規模貯水槽の存在の可能性」

「え、もう行っちゃうの? ご飯一緒に食べよ!」

 サニツァを説得する必要もないし面倒なので頭を適当にグリグリ撫でる。

「護衛をつける」

 ルドゥから隊員を二人借りて戻る。


■■■


 北部地形に習熟した偵察隊員の先導、警戒のお陰で行きより素早く掘削部隊のところへ戻る。そして侵略的越境橋頭堡地下に大規模貯水槽の存在の可能性を指摘。

 ラシージ親分から古代城の間取りと貯水槽がある場合その規模と水量の確認を命じられた。

 この辺りではノミトス派の修道女の格好で出歩くと怪しまれにくく、また聖句など唱えてやれば大体通用する。アタナクト派だと所属や指揮系統に行動規範が厳格に決められているので割と不都合が多い。必要に応じて修道女が近づかないような場所では踊り子等に扮するが、大都市でもなければ出番は無い。

 侵略的越境橋頭堡の木製の外周防壁の門衛に対しては「南から逃げて来ました。神のご加護から遭遇することはありませんでしが、外にはダヌアの悪魔や人食い妖精がいると聞きます。入れてください」と言い、衛兵の手を両手で握って胸に、自然に不安がっているように当てるとあっさり通れた。

 男はおっぱいが好きだ。あのルドゥですら好きなんだから嫌いな奴がいるかも分からないくらいだ。門を通り過ぎたら後ろから「隊長、どうでした?」「プヨンポニョーンだった」などとのん気な声が聞こえる。

 古代城の周囲、外周防壁内には新たに町が建造中で城下町の様相を呈している。我々の妨害で入植が出来なかった者達を周辺に住まわせているようだ。

 耕作地の開墾は家庭菜園程度に留まって行われておらず、食糧供給は本国からの輸送に頼っているようだ。

 ここまで大規模に入植されて確固とした拠点となると州政府がその領有は譲らなくても存在を認め、バルリーに対して交通や通商の自由を多少許すような事態になりかねない。排除しなければならない。皆殺しだ。

 古代城は更に高く厚い石壁で囲まれている。周囲を歩いて外周を頭に入れる。

 城下町は人が多い。外には簡単に出られないのだ。南からの避難民がどこそこの修繕、建築に当たるように兵士から指示を貰っている様子が窺える。

 また中には同胞に襲われた衝撃で精神衰弱を起こし、抜け殻のようになって呆然と座っている様子も見られる。とりあえず聖職者らしく優しく手を取り「共に神へ祈りましょう」と声を掛けて黙祷のフリをすると泣き出す。全く、度し難い侵略者が被害者を装っているではないか。

 古代城を見るにあたり、今のように精神的慈善活動のために来たから中に入れて、などという雰囲気は無い。聞き耳を立てたがバルリーが本国から連れて来た司祭が常駐している。これだけ規模が大きいのなら当然か。

 礼拝の時間まで待ったら、教会の鐘が無いので代わりの手鐘が鳴らされ、古代城内の見張り塔から美声の青年が呼びかけを行う。


  聖なる神の祝福あれ

  聖なる神の祝福あれ

  聖なる教えを私は今日も信じる

  聖なる教えを私は今日も信じる

  聖オトマクからの信仰を貫く

  聖オトマクからの信仰を貫く

  諸人募りて礼拝へ来たれ

  諸人募りて礼拝へ来たれ

  篤き正しき信者こそ招かれん

  篤き正しき信者こそ招かれん

  教会の扉は開かれた

  教会の扉は開かれた

  聖なる教えを私は今日も信じる


 これ自体は祈りの言葉ではなく呼びかけなので多少しつこい。大都市だと聞き間違いの無いように三回、四回と同じ言葉を繰り返したり、声の高い者と低い者と人を替えて二巡、三巡することもあるという。

 石城壁周辺を見回った時に見つけた、城下町東側の新築のノミトス派の教会へ行く。西側にはアタナクト派の教会があり、城内にはバルリーで主流の公民教導会派の礼拝堂があるらしい。公民教導会派は修道士も女聖職者もおらず、貴族階級の男だけが聖職者を務めることが出来るので変装も演技も不可能に近いほど難しい。

 城へ入るには策がいる。夜陰にひっそりと行くのは短慮。堂々と大義名分を持って出入り出来るようになれば何の苦労も無いのだ。

 教会では礼拝を手順どおりに行う。人々は絨毯や敷布、無ければ上着や藁を敷いて座る。教会内部に全員が入り切った。入りきらない時は外にも座るが、天候が悪ければ適宜座らず立って詰める。

 教会のノミトス派の司祭が宙を指で聖なる種の形になぞる。

「聖なる神と聖なる神が創りし世界とその世界に蒔かれし種より息吹きし子等に祝福あれ」

『聖なる神と聖なる神が創りし世界とその世界に蒔かれし種より息吹きし子等に祝福あれ』

 集まった住民達が復唱する。

 それから聖典の序文、または六徳十戒と呼ばれるものが唱えられる。聖典を学ぶ上での心構えである。

「聖なる教えを学ぶ前に魂が高潔であるようにしなくてはならない。六つの徳を備えるべきである。

 知恵を持つ者は人を騙してはならず、正しく知恵を使って人を救うべきである。

 勇気を持つ者は人を虐めてはならず、正しく勇気を使って人を守るべきである。

 節制を保って質素倹約に努めなければならない。贅沢に対して神はあらゆる形で飢餓を与える。

 正義を保って品行方正に務めなければならない。悪行に対して神はあらゆる形で懲罰を与える。

 信仰を守るのならばまず礼拝をしなさい。学ぶ姿勢を作ることから始めなさい。

 秩序を守るのならばまず団結をしなさい。繋がる姿勢を作ることから始めなさい。

 世には数多の堕落へ導く誘惑があり、神が遣わす悪魔がそれらを試す。悪魔に屈してはならず騙されてはならない。悪魔は常に心の中に潜み、唆す。それから心を守り高潔とするために以下十の戒めを胸に刻め。

 人を導くのは聖なる神であり悪魔ではないこと。

 聖なる神の名を己の私利私欲に利用しないこと。

 父や母、祖父や祖母を敬うこと。

 不法に人を殺してはいけないこと。

 不道な姦淫をしてはいけないこと。

 人の陰口を言い、また侮辱しないこと。

 人の財産を盗んではいけないこと。

 裁きの場において偽証をしてはいけないこと。

 結んだ契約を破ってはいけないこと。

 属する共同体を裏切ってはいけないこと。以上である」

 当たり前のことばかりであるが、そうではない人間に対しての言葉でもある。

 それからは聖典の、以前に読んだ場所からの朗読が始まる。大きく分けて創生の章、苦難の章、預言者の章に分かれる。今回は創生の章の中盤。

 アタナクトもノミトスも公民教導会も聖職者の在り方には細々うるさいようだが民衆に教えるものはほぼ同じだ。

 朗読が終わり、教会の司祭がこちらを見て一礼する。そして返礼をし、何事も無かったように教会の奥へと消えた。

 裸足にならなければいけない以外は割りと自由に動けるノミトス派への変装は便利である。出自や身分は問わず、必要最小限の会話しかしないし、礼拝以外は任意の勉強、瞑想、自己完結を念頭に置いた身の回りの始末だけである。郊外だと自活のための農作業があったりするので中々難しいが、都市部になると住民からの喜捨で贅沢しなければ十分に生活出来る。

 アタナクト派の方では喜捨を取って告解だの慈善事業だの教会音楽の練習だのと忙しいので変装に不向きだ。出自や身分の照会から身分証の携帯の確認、女の場合は裸にして定期的に処女検査するなど一々面倒くさい。こちら東側で最低限の礼拝が終わって人々が解散した後も、西側のアタナクト派教会の方からは聖歌隊の斉唱が響いてきている。割と上手で練習の成果がうかがえる。あれに混ざったら任務どころではない。

 策を実行する時間になるまでノミトス派の司祭に「瞑想の許可を」「どうぞ姉妹」と許可を簡単に得て教会内で瞑想する。

 何度も頭の中で行動順序を整理。途中で司祭が「どうぞ」とパンと水をくれたので「どうも」と言って食べただけだ。


■■■


 瞑想だけで夜まで時間を潰した。司祭から何も文句は言われなかったし、訪れる信者が横で祈ったりすることもあったが声も掛けられない。ノミトス派とはそういうものだ。アタナクト派のように大きな声を上げて炊き出しをしたり、子供達を集めてお話したり、辻説法したりするようなことは何も無い。

 行動開始。衛兵の巡回経路は道沿いに限られている。重点警備がされているのは壁の上、そしてその視線は外側にある。

 井戸を回る。城下町には三箇所掘られている。水の沸きが悪いようで昼間は行列が出来ていた。夜でもそれなりに人が並んでいる。

 順番を守って井戸に到達し、普通に利用するように水桶に水を汲む。それと同時に井戸の中へ小瓶に入れた毒液を入れる。慣れた動作なので背後に人がいても特に指摘されない。井戸周りで水音がしたからと言って騒ぐ者がいるか。

 東側の井戸は簡単に終わる。南側の井戸は広場に面していて人目もあったがこちらも簡単に終わる。衛兵に「夜中まで姉妹も大変ですね」と言われたぐらいだ。

 少し難しいのが西側のアタナクト派が管理するという名目で独占状態にある井戸だ。あちらでは常に一人か二人が張り付いて沸くのを待って汲んで水瓶に溜めるという動作を繰り返している。また濾過装置に通して綺麗な水を作る作業もしていて近づくのは難しい。

 水というのは色々と使い道があるものだ。生活必需である。

 アタナクト派の教会から見える、建物の陰からそこの藁葺き屋根に点火する。今日は天気が良い。

 離れて様子を窺う。その屋根が燃え盛り、建物から人々が慌てて逃げ出す。そして人助けの精神で動くアタナクト派の修道士、修道女達が頑張って貯めた水を惜しげもなく使って消火活動に当たる。当直の聖職者が指揮をしてそれはもう軍隊のように見事だった。

 自分もその消火活動に加わる。自然に。

 そして屋根に穴が空いたが延焼もせずに終わって皆が安堵する。そして自分は水桶に入れた水を持って西側井戸へ行き、井戸に戻す。

「あ、ノミトスの姉妹。戻さなくていいんですよ。ここに汲んで溜めておいているんです」

「あ! すみません」

「いえ、一杯ぐらいなら、まあ」

 と許して貰う。毒入りの一杯で良かったら。

 ノミトス派の教会に戻り、耳を澄ませて頃合を待つ。


■■■


 朝になり唸り声が聞こえだす。おかしな声に皆が起き出す。

 人々が一斉に、そこかしこで倒れ始めたのだ。これは一体何事かと大騒ぎになる。

「井戸水が汚染された?」

「鉱毒か?」

「妖精の仕業?」

「悪魔の呪い?」

 遅効性の毒を選んだので、徐々に腹具合がおかしい、汗が出る、苦しくて倒れると続々と被害者が増え出す。即効性では多くの人間に飲んで貰えない。症状が激し過ぎて即死に近くても目的に適わない。

 ここで元気なのは古代城の水を飲んでいるであろう兵士と、アタナクト派が溜めている水から配給され消費している西側の人間。

 少数の中毒者なら各自の家、宿泊所で寝ていろということになるが、城下町全ての井戸が汚染されたので被害者は急増する。医者は城の軍医しかおらず、まとめて診療するために城へ人々が運び込まれる。

 試しに井戸水を鶏に試飲させることになり、経過観測するとその鶏が苦しんで倒れる。使える水は城の貯水槽だけと公表された。

 城門は開かれた。信者の心の支えになりたいと言えば門衛は快く通してくれた。

 倒れて気弱になっている信者の手を握ってやり「水が飲みたい」という言葉が出てくるまで待った。

 そして貯水槽警備の兵士にはその旨を伝えて汲みに行く。

 地下貯水槽に到達。中には浮いている虫を拾う網と水桶、水瓶がある。雨風が侵入する隙間は無く、かつて水道橋と繋がっていたと思しき水道は土嚢で塞がれてる。

 歩数から貯水槽の大きさを測る。そういう訓練をしてある。深さは石に糸を括って落とせば良い。古代帝国の人間は仕事が正確で綺麗な長方形をしていて測りやすい。

 横四十一イームに届かず、縦ほぼ四十九イームで届かず、深さ五イームに届かずといったところ。イーム法で測定して作ったわけではないからこうなるが。

 古代帝国からの神聖教会の測量法だと横百二十ペキュム、縦百ペキュム、深さ十二ペキュムになる。丁度、精確にそうなっているのだろう。

 この広大な空間を太い石造の柱が支えている。石の塊である上部構造物を支えるのに十分な構造。あの長大な水道橋を築いただけはある。

 貯水率はおよそ六割。泥が溜まる構造に見えない。水量は間違いなく膨大。手持ちの毒を混入したところで希釈され過ぎて害にならない。ここを掘って突き破ると工兵が死ぬ。

 古代城の間取りと貯水槽の位置関係を整理して脳内に描き、あとで形にして報告しよう。


■■■


 侵略的越境橋頭堡からの脱出は夜陰に紛れて外壁から飛び降りることで成功。

 毒物混入で内外の警備は厳重になり取調べが厳しくなっていたが、聖職者は後回しにされていた。

 門の出入りはかなり厳しいものになっていたが、外壁の警備は変わらず外からの攻撃に対して成されていた。木製とはいえそこそこ高い外壁なので飛び降りると考えていなかったのだろう。

 ゾルブ司令が前線を大幅に押し上げ、掘削地点も防護するように侵略的越境橋頭堡に対する攻撃準備のための野営地を建設しているのが窺えた。

 敵の哨戒部隊も動きが激しくなっている。逃げ出す時機がもう少し遅れたら危なかったかもしれない。

 掘削地点へ行くと部隊は隠蔽を止め、土嚢を積んで防御体制を整えている。

「親分は?」

「坑道内部で作業中です」

 ラシージ親分が戻るまでに、工兵から道具を借りて侵略的越境橋頭堡の図面を描く。

 描き終わってしばらく待つと、坑道の入り口からラシージ親分がぴょこんと顔を出す。目は鋭く顔は引き締まっているのに何故か、こう、巣穴から出た兎のようである。上位者でなければ撫で回すかどうか検討するところだ。

 しかしそうであるならば手拭いを水で濡らし、その土の付いた顔をモニョモニョグニグニと拭いてこねくり回すとどうだ。自然である。綺麗になった。

「描き上がりました」

「ご苦労」

 ラシージ親分が図面を見て「有用だ」と言った。苦労の甲斐があり、同胞同志に報いることが出来そうだ。


■■■


 前準備がほぼ終わり、侵略的越境橋頭堡の攻略に入る。各部に作戦説明がされた。

 陽動に、北部において偵察隊と迂回合流した部隊が派手に銃撃を行い、吊り出された即応部隊へサニツァを先頭に突っ込ませて壊滅的打撃を与え、本格的対応に敵軍を追いやる。大っぴらに銃兵が支援についた彼女を阻止するには百人以上の部隊は確実に必要だ。

 そして陽動の最中にゾルブ司令の本隊が夜間に南部から高速で前進。対応に遅れた敵軍は野戦での阻止攻撃を行うことが叶わず、集結させた哨戒部隊で統制の取れていない夜間遅滞戦闘を行ったのみ。

 本隊は攻城戦に移行し、二十門の大砲を使って砲撃を仕掛ける。目標は木製の外壁や城下町の建物、石城壁にも砲撃をする。

 人間に変装した我々は、砲撃の間に密かに掘った穴から砲撃の中断時機を見計らって城下町を偵察する。木製の壁に建物などは簡単に倒壊しており、兵士に住民は頑丈な古代城に避難している。毒物混入事件で一度大規模に避難のようなこともした後だから速やかに逃げただろう。

 古代城に敵が集結していることを坑道沿いに伝達。そして別の坑道から「地雷爆破!」の伝言が連続。

 地面が一度ドーンと大きく揺れる。そして古代城が形を崩して地面に沈む。埃が上がって、石が崩れてぶつかる音の中に男女の悲鳴が混じってから静かになってまた大声。

 本隊の砲兵が前進し、確実に石城壁を破壊。その間に白旗を上げた使者がやって来るがこれを無視。

 全軍が侵略的越境橋頭堡へと突入し、皆殺しにした。

 悪戯に人員を消耗する戦いではなく火力支援の弱い突撃戦術は取らない。短期間に一定規模を持つ拠点を攻略する火力を我々は大砲だけでは持ちえておらず、膠着状態に陥った時に州政府からの干渉が予測される。よって砲身に代わり地下坑道を掘削し、地雷攻撃を行うことによって隠密性と火力向上の両立を図る、というのがラシージ親分の拠点攻略作戦。

 親分の作戦は完璧だ。生きて帰ってきてくれて良かった。

 あの人間が前線に連れ回して危険な状態に置いたようだが……親分がそれを不合理と判断したら拒否するだろう。しかし、愛で結合しろと言った手前……うーん。準備はしても手を打つのはまだか。ミザレジ知事も英雄的国家名誉大元帥だとかわけの分からないことを言っているし。

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