第213話「それ以外の表現は不適」 ポーリ

 ロシエにおける秋の麦の収穫が悪かった。大事件続きで寒さを感じる暇も、体格として鈍いところもあるが、思い返せば今年は寒かった。日照時間も少ないと聞く。これは世界的な傾向らしい。

 年の悪さに加え、オジュローユ公領と直轄王領東部の収穫が帝国連邦軍に奪われ、バルマン諸侯領からの輸出分も無い。徴兵の影響で働き手が農場で足りず、収穫し切れずに秋の雨で腐ってしまった物も多いのが拍車をかける。

 元から飢えていた。新大陸軍が持ち込んだ食糧のおかげで一時期は飢えを凌いだが、この秋とそれからの冬は辛いものになるだろう。

 オーサンマリンとその周囲に拡張された兵営地には今、二十万の戦える将兵が集まっている。ユバールの第一回攻撃時のような食糧不足、疫病の蔓延、酷い医療体制という悪い要素は無い。

 ダンファレルがバルマンへ帰る前に築き上げた医療体制とそれを築くための完璧な教科書があるからだ。

 エスナルを中心に活動する信仰厚い宗教系看護団体でもあるカロリナ挺身修道会がその教科書を採用して熱心に医療活動を行っている。会派の違う者達も参加しており、男女共同で総力戦に当たっている。

 病床は糞尿や血に膿に塗れることはなく、蝿や蛆に蟻が湧いているところはない。

 敷布は汚れたら直ぐに洗濯がされて取り替えられる。石鹸の大量生産も行われていて、洗濯の仕上がりは以前と比べようも無い。

 お湯の配水が良く出来ている。ポーリ機関の応用で、野外でも簡単に給湯が可能となったのだ。お湯があれば暖かい食事がとれ、負傷や病で弱った者が生き残る、弱った者に冷たい物を食べさせて腹を壊してそのまま死んだ例はユバールでいくつあっただろうか。

 熱湯が簡単に用意出来るようになり、煮沸釜が備えられて包帯や汚れた衣類を簡単に消毒出来る。

 志願した修道女を中心とした数多くの看護婦がいるので管理の目が良く行き届いていて、過労で彼女達が倒れることもなく、余裕を持って仕事が出来ている。

 治療の呪具は勿論偉大で、以前なら死んでいたり戦えない廃兵になっていた者の多くが健康体で復帰している。

 完全に失った部分までは治療の呪具で治すことは出来ず、従来のように敗血症にならぬよう傷口、手足を切断する外科手術は行われる。ここに新大陸産のコカ製の麻酔が導入された。以前までは酒を飲ませる、布を噛ませる単純な方法のせいで多くの者が衝撃死していたものだ。

 また手足を失っても義手義足を無償で提供している。戦場に出られなくても働くことは出来るのだ。

 治療より予防が肝心である。衣服、寝床を清潔にして糞尿を適切に処理し、性病に罹らないよう売春を軍が管理する他に、一番大事なのが食事である。栄養に満ちてこそ病気を防ぐ。昆虫食、野草食の研究が進んで実践されている。

 この医療体制が無かったらまだ動ける二十万の兵士はこの半分以下となっていたと見積もられる。

 良いことばかりではない。ユバールと違う悪い要素がある。

 目を抉られ、腕を様々な方法で使用不能にされた者達だ。兵士もいれば民間人もいる。敵は治療の呪具の存在を知っているようで、それでは治療できないように欠損させて送ってくる。容易に死なぬよう、目や腕の傷は酒や焼き鏝で消毒されてくる。

 彼等は簡単に死なない。生きているから生きようとする。

 健気に冗談を口にするような者もいるが、大抵は人間性まで抉られている。情緒が不安定になり、喚いて叫ぶ。

 食べるのも便所も介添えなくして満足にいかず、何も出来ないのに苛立って八つ当たりばかりして看護婦の手を焼かせる。

 他の兵士達に悪い影響が出るので厳重に隔離されている。隔離区画の近くを通る度に「殺してくれ!」と誰かが叫んでいる。

 看護婦は交代制で、一度行って無理ならもう二度と行くことはない。彼女達の精神が持たない。元より盲目、腕が不自由な人間相手とは違う。

 体調の悪化と名目を見つけては、治療の名目で酒と致死量の麻酔が投与されて安楽死がされる。

 目と腕と心を取られた者達が北と東から定期的にやってくる。案内役の健常者が一人、はぐれぬよう綱を掴んだそんな者達を引き連れてやってくる。

 道中が楽ではなかったと姿が教える。衣服や靴は汚れてボロボロ。肌は垢塗れで傷だらけで、足の裏の肉が削げている者もいる。泥と汗と糞尿で、風向き次第では視界に入る前に臭ってきて位置が分かる。

 彼等を見る度に口が渇き、寒気と怖気がやってくる。神経が張って頭が変になりそうだ。趣味の悪い絵画にすら見える。

 これがレスリャジンの悪魔大王の悪行。聖典に書かれる試練を与えるという悪魔の存在が可愛らしく思える。祈って何とかなる場合が多い。

 先の聖戦時の魔神代理領の侵攻は苛烈なものであったがこのように陰惨ではなかった。

 同情すべき同胞の姿に悪寒を覚えさせる悪魔のやり口が許せない。奴等は魂を冒涜している。命以外のもの全てを奪い去った。


■■■


 ロシュロウ夫人のいない下宿で目が覚める。彼女は今何をしているのか? ロシエと聖王領を繋ぐような情報活動に従事しておられるのか?

 王太子殿下を東に送った時に同道した者達も含め、家の使用人達は相変わらずこの館を拠点にロシエ軍に物資を供給する仕事を行っている。夫人の居場所や仕事内容等は敢えて聞かない。

 目を手で擦ると濡れている。

 身支度を整え、朝食をとってオーサンマリン大学へ向かう。

 ここに住んでいる人々は疎開で減っていない。逆に工場がこちらに疎開されて労働者が増えている。敵を倒す為の兵器がここで日夜量産されているからだ。

 地面が揺れた。本能が訴える恐怖のようなものが背筋から脳天に走る。

 ロシエでは少ないがが地震は発生する。ウルロン山脈周辺だと珍しくはないが。

 だがその後に不自然な風を感じる。

 東を向く通行人の目が一斉に一つの方向を向いて、そして歩みを止めて固まる。

 その姿を見て、他の方向を向く、自分も含めた皆が東を向く。

 遠く彼方、地平の向こう側から大きな煙が上がっている。火山噴火を描いた何かの本の挿絵に似たものがあったような。

 冷静に。何か大事があれば情報が入る。その時に対策を講じる必要があればそうしよう。理術兵器局局長の肩書きも頂いた。その名に応じる。

 オーサンマリン大学へ向かうと、隣の宮殿前にフレッテ侯とジュットパリテ家、ビプロル候とネーネト家の旗を掲げた車列があった。兵士に召使い等が集まっている。

 父とフレッテ侯の軍が到着する前から、両侯は武器弾薬に工場で使う資源、職人達、工作道具を全土から送り込む流通路を確保し、それを維持する人員を配置して来た。今ある兵器群を消耗してもまた直ぐに作り直して立ち向かえる。

 先に大学へ行き、ユバールで使用した先行量産型ではない量産型装甲戦列機兵の生産状況を確認する。稼動実験を終えて部隊配備されたのが今日の朝で四百六機。軽量な予備部品数は訓練での消耗分があるので定数以下。一番大事な操縦手、銃手の数は充足。

 引き続き事故に注意して決戦のために量産するよう部下へ伝える。

 今直ぐに自分の魔術で作って欲しい部品を聞いたらそれを作る。

 量産をしていく内に改良案などが出てくる。量産体制を崩さないような改良案かどうか見て、発案者に聞き取りをする。

 共通しない部品を採用するような場合は保留とする。量産性を損ねるからだ。案は案として残しておき、戦後の生産に使えるかもしれないので凍結。

 製造工程の簡略化は、整備性が高水準で保たれるのならば許可する。

 装甲板の曲面加工によ防御能力強化は途中から、曲面加工の工場と部品輸送の経路と手続きが決まり生産に遅延が発生しないと確認してから採用した。四百六機の内、七十三機が曲面装甲装備である。

 曲面装甲は弾丸を弾く効果があり、斜めになった箇所は理論上その分装甲が厚くなる。これは大昔から甲冑を作る職人の間では常識であった。

 様々な案が研究者から出される。今日は装甲戦列機兵が持つ歩行補助で白兵戦用の杖の代わりに施条砲をまるで歩兵のように装備させようという、前からある上に非効率な案が出た。過去の提出案を勉強してからにしろと説教した。

 鉄の巨人による一斉射撃は絵になりそうだが、生産性や再装填の難しさを考慮に入れればそんなものは馬鹿げている。将来は分からないが、今はダメと分かる。専用の特別な携帯大砲を作る余裕がどこにある? 作ったとしても反動や腕が持てる重量を考え、騎馬砲兵が使う小口径砲以下のものにしなければならない。火力がかけた費用に見合わない。

 装甲戦列機兵にしか出来ない仕事をさせるためにこの兵器はある。他で代用出来る仕事は他にやらせるものだ。大砲は砲兵が扱うものである。

 最近の工場は朝も夜も稼動するが労働者は交代制である。大学も似たような状況。


■■■


 昼の休み時間になったら宮殿正門の車列に近寄る。家の者がいないか覗いてみると「坊ちゃまぁ!」と知った顔の者が大声で叫び、頭巾を深く被ったフレッテ兵達が思わず耳を塞ぐ。

「あまり騒ぐな、迷惑だぞ」

「坊ちゃまぁ……」

 しばらく「坊ちゃま」という言葉とおいおいと泣く声だけを聞き流す。あしらうも無視も出来ない。気を抜けばこちらも泣きそうだ。一年ぐらい会っていないだけなのに十年以上離れていたような。

 ビプロル兵が集まって、塊になって、何だか急にオーサンマリンが小さくなったような。

「父上は宮殿に?」

「はい坊ちゃま! フレッテ卿も登殿されております」

「分かった」

 宮殿へ向かう。背後から「ああ坊ちゃまご立派に……」とまたおいおいと泣く声が響く。そういえば中央の人間達と違って同胞達はあんな感じに感情表現が大袈裟だったか。

 衛兵に案内されて作戦司令部に使っている会議室へ入る。

 大卓の上に東はイスタメル、セレード、南は南大陸沿岸部が描かれた地図が広げられている。それと各軍を表す駒が置かれている。

 ロセア元帥、居並ぶ帯剣貴族、その筆頭の父上と、光の加減で金眼ギラつくフレッテ卿、革命軍系将官が大卓を囲んでいる。

 作戦会議中だが皆は沈黙。ロセア元帥が何を言うか待っている様子である。

 元帥は呪具の手鏡のような物を見ている。虫に擬態した遠くを見る呪具などを見せて貰ったことがあるので、それだろう。

 父上と目が合う。言葉は今交わさない。目を離す。

「戦線は後退しない。前進、攻撃する」

 ロセア元帥が攻撃すると言う。皆の顔は悲痛である。

「後退の手は封じられた。あの巨大なシトレを完全に破壊する手段を持つ帝国連邦軍相手に後退戦術……焦土戦術は悪手だ。奴等の目的は破壊と殺戮による世界に対する脅迫だ。ロシエの征服ではない」

 シトレが完全に破壊? 大袈裟な表現ではないのか?

「我々は攻撃を強要された。引けばロシエが更地になり、逃げ遅れれば良くて虐殺、悪くて目玉を抉られて送られてくる。そして手紙が届いている。あの悪魔大王からだ……」

 ロセア元帥が大卓の中央に、広げた手紙を滑らせる。

 流麗な筆記、フラル語で”ロシエの心臓であるシトレの崩壊より生還した若く生命力に溢れた女子供、十万六千四十一名を連行している”とある。今更怒りをあらわにするほど皆、この戦いに初心ではない。

 手紙の末尾に装飾書体の花押が書かれるが、これは魔神代理領共通語のようで、知識が足りず読めない。

「おいカラン、最後は何て書いてる?」

 フレッテ卿が父を肘で突っつく。

「聖なる神が遣わせし悪魔、不信心者の皮を剥ぐ鞭、ベルリク=カラバザル・グルツァラザツク・レスリャジン。御歳を召しても学はなりませんね」

 魔神代理領ではなくあくまでも神聖教会の軍として行動していると言うわけだ。

「うっさいわ、日の光のアレで霞んで見えたんだ。ちょっと聞いただけでわかっとるわ」

「左様ですか」

 フレッテ侯爵ウィベル・ジュットパリテ。長寿のフレッテ人で、四十の父とは四倍も離れているが仲が良い。

「両侯が七万、十万の援軍、戦うに必要な物資を届けてくれた。戦力が三十七万に回復出来た。ポーリ・ネーネト局長、今稼動出来る装甲戦列機兵は?」

「は。四百六機、乗員も充足しております」

 一機百人に値すると考えれば四万相当。

「結構。南部では新編革命軍が十万にまで死傷者と離散者で減少したが、レイロス王のアラック軍が合流すれば二十五万。これで六十二万」

 アラック王の戴冠という裏切りは既に解消されている。十五万もの援軍を送ってくれているのだ。

「ユバール遠征軍は壊滅してほぼ全てが捕らえられた。モズロー中将が率いる別働の新大陸軍五万はまだ健在、ユバールの革命軍五万。怠けている南部軍十二万はどうにもならん……な」

 モンメルラン枢機卿管領を含める中大洋沿岸と南部諸領兵の南部軍は聖皇派で、下手に突くと寝返りかねないので扱いに困っている。革命軍に対しては終始敵対的で、最近でも小競り合い程度の紛争を起こしている。帝国連邦軍が彼等と接触したら、聖戦軍の名の下に降伏するのではないかとも危惧されている。その時、聖領南ロシエが誕生してルジュー猊下が管理なさるとも言われる。

「これで七十二万程度か。敵は帝国連邦軍四十万、バルマン軍十万、ガートルゲン軍一万、エデルト軍十二万の六十三万程度……」

 ロセア元帥が人差し指で弾くように、地図上の駒を指していく。

 こちらには装甲戦列機兵がある。しかし兵士は未熟な者が多く、また装備でも劣っている場合が多いので単純に見ても兵力で優勢ではない。

「決まった」

 ロセア元帥が地図上に味方の駒を並べ、動かしていく。

 三十七万の軍は、前衛は三日月に陣形を組み、後衛に予備軍を置く。

 三日月の陣形とアラック軍が前進して敵軍に接触。敵の弱点を見つけて後衛の予備軍を集中投入して一点突破、敵各軍を正面と側面から攻撃して各個撃破という流れだ。

「前衛には機動作戦に使えないような練度の低い部隊、民兵、革命軍を優先配置して死んで貰う。後衛の予備軍は騎兵と装甲戦列機兵が中心だ。敵の弱点攻撃以外には基本的に運用しない。状況報告は絶えず行うように、しかし援軍要請には絶望して貰う。包囲されても最後の一兵まで抵抗せよ。各自、己の軍が生贄になっている時間は他の軍が敵を殺している時間だ。誇りを胸に死んでくれ」

 ……手温い。

 それから前衛と後衛、各自の軍がどこに配属されるかが調整される。自分は整備責任者として装甲戦列機兵隊に付き、後衛の予備軍に配属される。

 休憩を挟みつつ、軍を解体して今作戦用に再編制する案を採用しつつ会議が進む。

 帝国連邦軍、ランマルカ、エデルトと武器を供与されたユバールが使っていた先進的な椎の実弾丸を使う施条銃をどこの部隊へ配備するかという話も行われる。

 新採用のその施条銃は他国のと比べ部品が大きめで、多少型が合わなくても動作する。金属膨張率や鉱石の質や種類をあまり選ばず、素人の雑な温度管理でも十分作れるという、精密作業を諦めた代わりに動作と量産性を確保した物だ。素人でも手引書を見て工場設備があれば作れるようにした代わり、機械動作が雑で命中率は施条銃の割りに悪い。

 途中で大学から夕方の作業、研究経過報告を受けた。装甲戦列機兵の訓練事故が起きたが、機隊の修理と乗員の治療で問題無しとのこと。特筆する事項はこれくらいか。

 大卓の上でお茶と軽食を取った。茶葉が貴重になってきたのでお茶と言いつつ珈琲が出された。フレッテ卿が「お前ら鼻おかしいぞ」と香水をつけた手巾を鼻に当てていた。

 欠伸が出てくる者が現れて、ロセア元帥が「体操をする」と、窓を開けて外の空気を入れて屈伸だと肩延ばしだとかをやった。


■■■


 深夜になった頃、ロセア元帥が主導したので細かい調整も終わり、各軍への命令書も発行されて会議が終了となった。

 そして早速といったように、暗いので頭巾を首巻にして外へ出る用意をしたフレッテ卿が「どーん!」と両脚揃えた跳び蹴りをしてきた。体重の軽いご老体が弾き飛ばされ、床に倒れたと思ったら体の捻りだけで跳ね上がって二本足で立った。

「あっと言う間に子豚が大豚になりおったわ! ガハハハ!」

 フレッテ人は夜行性のため夜になると元気一杯だ。昼には立ったまま目を開けて寝るなどしていただけはある。

「ポーリくん、あの噂の鉄巨人をお爺ちゃんに見せとくれ」

 フレッテ卿が自分を出口の方へ押そうとする。動かない。

「父上、ご無沙汰しております。遅いですが、見に来られますか? 大学や工場の方は終日交代で動いておりますが」

「そうしようか」

「フレッテ卿、お久しぶりです」

「そうだ! 久しぶりだ。前にあった時はまだお前がこーんな……」

 フレッテ卿が手を、腰の高さからどんどん上に上げていく。

「……前から大豚だったな。さあ、早く玩具を見せるんだ!」

 宮殿の外にいたビプロルとフレッテの護衛、召使いは解散しないでまだいた。二人が宿へ行けだのと指示を出して解散となる。頭巾を頭から首へ移したフレッテ人の金眼が夜にギラギラ光っていた。

 二人に大学裏の広場にある、研究用の装甲戦列機兵の覆いを取って見せる。

「おお!? なんじゃこりゃ!」

「噂の、ですが、ユバールへの遠征で活躍した先行量産型と少々異なります。当初の物は五十機、ほぼユバールで失いました。これはロセア元帥がシトレの陥落を見越して工場をオーサンマリンへ避難させたのが不幸中の幸いで、先の会議の通りに四百六機が稼働状況にあり、逐次生産が続いております。内、七十三機が曲面装甲を採用していまして、これは採用していない型ですね」

「曲面? 甲冑の曲面と同じか」

「その通りです。着想も同じです」

「そんな職人いるのか?」

「機械の力で曲げるんです」

「ほぉ……年寄りの時代はもう終わるな。なあカラン、良い死に場所を用意して貰ったもんだ!」

「かもしれません」

「前の巨人よりこれはどこが良くなってるんだ?」

「足の裏に踏ん張るための太い棘をつけたことにより走破能力が向上。頭の乗り場を広くして銃手の予備にもなる銃兵を二人多く乗せられます。また日除けのように垂れ幕をつける骨組を頭に追加しました。これによって厚い幕を垂らせば遊牧騎兵の矢への対策となり、重量をほぼ増加させることなく大きく見せられ、相手を脅す能力の増大が見込めます。銃手銃兵への狙撃も難しくなります。ただの棍棒から洗練された杖に四つの支脚がついて、深く刺さり過ぎないように板が高めについています。ビプロルの重装歩兵に、少なくとも突破力は負けません。段違いです」

「言うなぁ」

 父上が装甲戦列機兵の脚を拳でガンガン叩き始めた。ビプロルの怪力なら、拳の粉砕と引き換えに……いや、正面装甲には凹み一つつかないな。背面の薄い金属板なら普通の人間でも脚なら出来る。

「一万以上の重火器装備の塹壕線を砲兵抜きで一度も立ち止まらないで突破できますか?」

「言うなぁ」

 ちょっと悔しそうに父上がガンと装甲版を殴り「痛ってぇ」と言う。

「私は攻撃に反対です。我々は弱さを捨てなければ勝てません」

 会議では言いたくても言えなかった。せめてお二方に聞いてもらいたい。

「防御を固め、この装甲戦列機兵以外にも兵器を作り、新型施条銃も全軍に配備されるまで待つべきです。例えロシエ人が更に百万死のうともです」

 フレッテ卿は微笑む。父上は顔をこちらに向けない。

「そうだなポーリくん。しかし我々には弱さを捨てる時間も与えられていない。戴冠はされていないがセレル八世陛下がおり、ルジュー猊下がおられ、アシェル=レレラ殿下がおられる。民族代表の侯爵としてはロシエの流す血に正直そこまで悲しみはない。だが親分と決めた王の臣民が家畜以下の扱いで殺されているというのに何もしないわけにはいかん。アラックの出兵も……レイロスの馬鹿が軍を出したのはただの熱血思慮足らずだろうが、我々が偉そうにしていても良いのは死んでも守ってやると約束しているからだ」

「帝国連邦軍は恐ろしい練度で大軍です。だがそれを支える資金と物資も無限ではないはず。冬明けまで待てないのですか? 冬季となれば如何に悪魔共といえ苦しくなります」

 父上がこちらを向き、肩を掴んでくる。

「それはお前の世代でやりなさい。我々はまだ自分の尻が拭けないほど老いていない」

 フレッテ卿が「ヒャヒャヒャ!」と高い声で笑って、父上に尻を蹴られて「オウフ!」と言う。


■■■


 三十七万の軍を出征式で送り出すのは難事だ。また代表的に装甲戦列機兵四百機を出すのは石炭の無駄であり、市内の道を掻き混ぜる行為だ。

 そこで音で送ることになった。兵士達が東へ向かう。

 教会の鐘が繰り返し鳴らされ、軍楽隊や歌劇団も集められるだけ集めて各所で演奏して歌う。

 歌うのは革命歌の下品じゃないほうの変え歌で、暫定的な共和国派党歌である


  さあ鉄の隊列を組もう

  守るは国民と国境

  国家を守る運命の下、

  旗は高く掲げられた!


  立ち上がれよ

  武装する国民よ

  進むぞ家族のため

  未来をかけた戦いで

  我等は一歩も退かぬ

  未来をかけた戦いで

  我等は一歩も退かぬ


  見よ侵略するその軍勢を

  倒すべき悪魔と巨悪

  血を求める獣を前に、

  我等の怒りは燃える!


  立ち上がれよ

  武装する国民よ

  進むぞ家族のため

  未来をかけた戦いで

  我等は一歩も退かぬ

  未来をかけた戦いで

  我等は一歩も退かぬ


  おお異国の侵略者よ

  愚かなる盗賊共

  我が祖国を蹂躙して、

  生きて帰れると思うな!


  立ち上がれよ

  武装する国民よ

  進むぞ家族のため

  未来をかけた戦いで

  我等は一歩も退かぬ

  未来をかけた戦いで

  我等は一歩も退かぬ


  復讐の時が訪れた

  ロシエ軍が裁く時

  例えこの命果てようと、

  祖国ある限り負け無し!


  立ち上がれよ

  武装する国民よ

  進むぞ家族のため

  未来をかけた戦いで

  我等は一歩も退かぬ

  未来をかけた戦いで

  我等は一歩も退かぬ


  分別あるロシエ軍よ

  暗黒から解放せよ

  哀れな弱者を助け、

  悪逆たる巨悪を討て!


  立ち上がれよ

  武装する国民よ

  進むぞ家族のため

  未来をかけた戦いで

  我等は一歩も退かぬ

  未来をかけた戦いで

  我等は一歩も退かぬ


 マリュエンス三世よ永遠なれ、の方が好きだがバルマンが裏切った今は歌い辛い。

 それと下着が三十七万着とはいかないが、二十万着程全国から集められた。

 えも言われぬかぐわしさ、無臭、小便臭い、カビが生えている、吐き気を催すほど臭い、陰毛が布地に食い込んでいる、などなど色々あるらしい。

 そういえば貰ったロシュロウ夫人の下着は一体どこへ行ったのか覚えが無い。

 今の自分には不要ではあるが。


■■■


 幾分、明るい雰囲気で出発。

 斥候からは我が軍の接近を知った帝国連邦軍が一気に東へ後退したという連絡も入り、この戦いは勝てる、悪魔共は弱っていて決戦が出来ない、などと噂も広まって更に明るくなった。

 そして到着したシトレでそんなものは吹っ飛ばされた。

 まずは異臭。

 蝿やネズミにカラスに犬、猫諸々が集る。とてつもなく巨大な何かの壁?

 壁のようなものは黒と白が多いようで、茶色や赤も混ざり、何とも色合いがハッキリしない。

 気付く者は早々に悲鳴を上げたり、失神をする。

 あまりにも想像を絶する光景で、見えているのに何が見えているか分からない者が多かった。

 自分はしばらく目が霞んでしまったが、目を凝らし、奴等がやりそうなことと覚悟して見たら見えてしまった。

 顔が揃って我々を見るように配置された、おぞましく長大な死体の土手に”ようこそシトレへ!”と看板が一部の死体の腕によって保持されていた。

 揃って土手から死の世界へ招くように右手が伸びている。虫や動物に荒らされた箇所を除けば異常なまでに几帳面に解体された死体は幾何学的と言って良い程整然と並んでいる。適当に積んだのではなく、芸術作品のように誰かがこの膨大なバラバラ死体を飾ったのだ。一体何万人が使われているのか分からない。長さは距離を取っても首を左右に振る程にあり、高さは普通の人間の成人男性程度、厚みは正面から分からないが、多少の風では微動だにしない程度。

 顔は老女を含め老人、そして大人の男ばかりだ。女子供の死体もあるが比較的少ない。それら全て――丁寧なのだろう――舌が抜かれ、代わりに男性器が縫い付けられている。女性の場合は三つ編みに結った髪の毛だ。

 目が開いているのだが、目蓋が細い糸で丁寧に自然に見開いているように縫われている。職人技が発揮されている。目に光があり、生きているようにすら見えることもある。執拗過ぎる。

 死体の土手の上には定間隔に脳みそ内臓を縄で縛って作った案山子が千を越えて並んでいる。カラスが群がっても倒れず、崩れない程に安定している。

 悪魔の国があるのならこのような風景なのではなかろうか?

 一番恐ろしいのはこの人々の凄惨極まる姿がおぞまし過ぎて同情や怒りが沸かず、見たくない触りたくない気持ち悪いこんな目に遭いたくない逃げたいという気持ちばかりが沸いてくることだ。復讐を誓うどころではない。

 この土手でも築いたかのような量の整然とした死体の山を、先に到着した兵士達が悲痛な、もしくは表情を失った顔で解体し、大きな穴を掘って埋葬しているのだがその作業に終わりが見えそうにない。作りがしっかりしているので嫌に頑丈なのだ。

 ポーエン川に投げ込むなんてことは出来ない。川は土砂、瓦礫で半ば埋まって水が道に溢れている。

 ロセア元帥が埋葬は後回しにして進軍するように命令を出した。油が撒かれ、酷い臭いと煙を出して焼かれた。後始末は軍が去った後に民間人が行う。

 死体の山の向う側には百万には届かぬものの世界屈指、七十万の人口を数えたはずのシトレが瓦礫の山となっている。

 不思議なことに都市周辺部の破壊が特に酷く、そして何も無いところまで爆破されている。

 中心部の方は破壊というよりは焼かれていて、頑丈で主要な建造物は軒並み破壊されている。三部会の議場、市庁舎、劇場、聖堂、宮殿、象徴的な建物は完全に破壊されており、瓦礫の中に高価な物はほぼ残されていない。

 オーサンマリンから見えた大爆発はシトレの形に沿った歪んだ円環状だったと思われる。

 疎開で帝国連邦軍が包囲した時には人口は七十万もおらず、少なかったのが救いか。

 わずかに生き残っている人々だが、目を抉られ目蓋を切られた状態で瓦礫になった市内を呻きながらうろついている。

 市の外縁部にある貧民街等は特に円環状爆破の影響から跡形も無い程に更地となっており、あれは市中心近くにいた、ある程度裕福な者達か? 服装は汚れているが、元は上等だったものに見える。

 ロセア元帥が攻撃しかないと言った理由はこれか。シトレの崩壊しか呪具では観察出来ていなかったのかもしれない。このような酷いものがあったならば、まず極めて人員を限った先行部隊を差し向け、処理して何もなかったことにするのが合理なはずだ。それが無かった。

 帝国連邦軍は我々が接近してから引き上げた。彼等はこれを直前まで、妨害されることなく見せるために残っていたというのか?

 目から涙、鼻から洟、口から吐しゃ物を出す者達が続出する。泣いて喚いて、発狂して倒れる者、気力を喪失して座り込んで動かない者、遂に自殺者まで現れ出す。脱走兵とそれを許さない兵士の争いも起こって、殺し合いすら一部で行われた。

 まだ戦ってすらいないのに犠牲者が出ている。

 人の心を知らぬベルリク主義者などという罵倒は生温い。

 敵は人間でも悪魔でもない。

 敵。それ以外の表現は不適だ。

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