第203話「バルマン」 ベルリク

 ワゾレからのモルル川北沿経路で帝国連邦中央軍は西進する。旧バルリーを抜けるよりも道が狭いかと想像していたが、むしろこちらが広規格。古い道よりも、手付かずの地に手をつけた新しい道の方が良く出来ている。

 山から麓へ下りる道の勾配が緩やか。上がったり下がったりするような起伏が全く無かった。元の地形も良かったようだが、それでもかなり山を切り崩したそうだ。

 山を降りてからも思ったより道は快適であった。第一陣、先行したワゾレ方面軍が地均しをした後なので道中の諸問題はある程度解決されている。悪路の整地、強度不足の橋の補強、標識の設置、野営地用の土地や伐採出来る林の借り上げ、井戸の増設、区域ごとの協力姿勢の度合い、疫病の流行調査、神聖公安軍の治安維持活動の効率化、色々だ。

 大砲のような重量物を優先してモルル川を使って船で運んでいるので道が多少悪くても行軍速度は落ちていない。上流から下流に流れて行くというのは楽なものだ。


■■■


 モルル川上流を抑えられるモルヒバル領の奪取はマインベルト王国が辺境伯であった古い時代からの宿願であった。

 ダカス山周辺の源流からオルメンに至るモルル川の利権はほぼブリェヘム王国が独占している。フュルストラヴ公国がモルヒバル領を確保していたこともあるが、所詮は川沿いの国ではない。商用港としてブリェヘム王国に領有を認めて下さいと頭を下げて確保させて貰っていたようなものだ。

 川の利権を巡っては、川を挟んで国境としていることもあってマインベルト、ブリェヘムは昔から争ってきている。流域の人口と経済規模に対して――川幅が広いということもあるが――橋の本数が異様に少ない。中央同盟結成後にマインベルト辺境伯が裏切った原因は川の利権を巡ってのことと言われている。敵より味方のほうが利権は分捕り難い状況だと判断したわけだ。

 現状では――昔から――マインベルトは全く川の上で劣勢。いつでもブリェヘムの河川艦隊が経済封鎖を行える程。

 聖王領下となったものの、中央同盟戦争時の背反以来、西のグランデン、南のブリェヘムとは宿敵同然。北にはエデルトと連合するセレードがいて一応、中央同盟戦争があったせいで友好勢力に数えられるが親切では決してない。

 そもそもマインベルト辺境伯が設置されたのは北部からの遊牧民の侵入を防ぐためであり、セレードとは頻繁に争いを繰り広げていた。

 仲は悪い。平時でも互いに罪人や解雇した傭兵を相手の国境に追放し合うという糞の投げ合いをしていたぐらいだ。

 最近はやっていないと思うが、自分が民兵としてイューフェ・シェルコツェークヴァル男爵領の自警団を率いていた時にぶっ殺していた盗賊のほとんどはマインベルトから流れて来た連中で、そうではないククラナ人の場合は大体そういう盗賊に襲われて財産を失った連中だった。暴力は連鎖するということをあの時に学んだ。

 さてそんな彼等に、今回の遠征に当たりモルヒバル領における共同経済活動権を与えた。移民も許可してある。会社の国籍を帝国連邦にすることも可能とした。つまり商船旗を選択出来る。

 マインベルトがブリェヘムから経済封鎖をされても、中立国の我が商船旗を掲げた船が経済活動を行える。無論、それに対して攻撃するしないの選択と実行を防げるわけではないが、大砲に点火する手は非常に重くなる。それだけで十分に価値がある。

 加えてワゾレ経由の貿易路も制限付きだが開いた。川を封鎖されれば完全に内陸国となる彼等にその道はどれだけ明るく見えているだろうか。

 マインベルト貴族も平民も道中、それは歓迎してくれたものだ。友好の証とばかりに商船旗を振ってくれている。意匠は赤地に白い装飾文字で”共同体の帝国連邦、世界を繋ぐ”とした。中々応用が利いて面白い。

 敵が多いと味方が増える、こともある。


■■■


 マインベルト王国を通過し、グランデン大公国へ入る。ここまでは侵略はしていなかったが、中央同盟戦争時の敵である。

 マインベルトのような歓迎はあるわけがなく、出来るだけ接触をしない、拒むように距離を取る接し方が基本だった。

 神聖公安軍による監視に加え、双頭の犬の旗の聖王の親衛隊が警備についていた。我々が行うかもしれない横暴もそうだが、馬鹿なことを民衆がしないように監視している。ご苦労な連中だ。

 そんな中、グランデン大公国に入ると物資を運ぶナレザギー傘下の輸送業者に遅延が発生し始めた。通過地域の住民、諸侯の動きとぶつかって摩擦が起きている。道をどっちが先に譲るか程度のありそうな揉め事から、関門や港での通行規制、入港許可証の真偽検査、検疫から禁制品の取り締まり検査等々だ。大荷物の検品で梱包を解いて全て見るなんてことをされたら一日潰れる可能性もあるし、食糧の検品をやられると泥が入ったり、穀物食らいの虫が入ったりとかなりマズい。

 聖女猊下から帝国連邦軍の通過に便宜を図るようにと通達が諸侯に行き渡っているはずだが、そこから末端に通達が行き渡っているかは別で、通達されても望んだ通りに対応するかは別だ。

 少なくとも軍本隊が通った時は何もなかった。輸送業者の連中が民間ということでナメられている。マトラ、ワゾレ方面軍と中央軍の間ではそういう問題は無かったが、中央軍とシャルキク、ユドルム方面軍の間に発生したのは喉元過ぎて恐怖を忘れたせいか? それとも慣れたか。どうやれば嫌がらせが出来るかをまずは様子見していたのは間違いない。

「で、大人しく雑魚共に馬鹿にされたままなのか?」

 副司令ゲサイルに、適当なことを言ってみる。小面倒なことを部下に押し付けられるのは楽でいい。

「指導方針に従い、憲兵を同行させた騎兵主力の分遣旅団を編制して派遣、足止めを行う親ロシエ派民兵を粉砕するように命令を出しました。また後続となるヤゴール方面軍、ユドルム方面軍宛てに事態を解説し、武力行使を含めた柔軟な対応をするように手紙を出しました。成果の程はお待ち下さい。総統閣下には宣伝、威嚇効果を狙った親ロシエ派民兵出没に対する注意勧告を各方面に出して頂ければと」

「よし、そうしよう」

 正道にまず聖女猊下に言って神聖公安軍を使って何とかして貰う。その上でこちらからも色々やろう。

 以前のセデロ修道枢機卿と同じ、降伏勧告を告げる役目を持つルサンシェル枢機卿がゆっくり静かに、しかし息を多少弾ませて宮幕ではないが、移動司令部である大型の幕舎にやってきた。

「総統閣下、失礼します。問題があったと聞きました」

「ルサンシェル枢機卿、親ロシエ派民兵が浸透していることをどうやら神聖公安軍が把握し切れていないようですね。由々しき事態です」

「……親……んぐ、いえ。諸侯並びに神聖公安軍へ改善の勧告を出します。破門は私個人の判断では出来ませんが、異端審問会議に掛ける名簿には載せられますし、そのことを警告出来ます。警告を行います。聖戦軍の聖なる軍務を妨げるものは勿論その対象です。諸侯だけではなく民間人にも出しましょう。状況を理解していない彼等にはそのことを告げる先触れを手配します」

「そうそう、グランデン大公に対する抗議と損害の補填、我が帝国連邦の一員である民間業者に対する名誉毀損の解決などをしなくてはいけませんが、こちらの相場というかしきたりというか、枢機卿にご相談したいですね」

 考えるの面倒だし、お任せして貰えるならロシエそっちのけでグランデン大公国で不埒者を成敗して回るが?

「分かりました。それでは後程に、お時間を頂きます」

「どうぞ、信頼していますよ」

 ルサンシェル枢機卿は板ばさみで辛い立場だな、可哀想だ。だが緋色の僧衣に恥じぬ働きをしてくれないと困る。あなたは我々に捧げられたのだ。


■■■


 中央軍の西進の流れからちょっと外れてキトリン男爵領経由で聖王陛下がいる、地名は無いらしいが、俗称ヤーナちゃん農場に寄り道をする。家族旅行の最中にちょっと寄ってみる、という感じにはいかず、これから訪問するという手紙を聖王に出し、警備責任者である聖王親衛隊に許可を取っている。

 聖王親衛隊を先導に、手勢として親衛千人隊と親衛偵察隊を同道させる。喋る前に仕事を済ませてしまっている点ではラシージに匹敵するゲサイルに行軍は任せて来た。

 ルサンシェル枢機卿は流石に対応が早く、連絡網をしっかりと築いていたお陰だろうか瞬く間に輸送業者の遅延問題を解決した。嫌がらせを恣意的に行った者達は解雇され、破門され、火刑に処されたものすらいるらしい。グランデン大公より遅延をさせた補償として資金、物資の提供を強力に行うという約束まで取り付けられたし、謝罪文まで速達で届けられた。

 早技である。ゲサイルが派遣した派遣旅団が血を見る前に終わった。

 これで良しとするのは彼等である。問題が解決したからさっぱり終了と言わんばかりである。これでは彼等のやり方次第でまた嫌がらせをしたり止めたり出来る。上からの命令でやったのであり、我々が強制させたわけでも恐怖で自粛させたわけでもない。確かに我々が”上”に掛けた圧力で行われたが、そこは一つ間接的である。直接教えてやらねばならない。

 特別攻撃隊”人間もどき”の出番。行動命令を出した。成果を楽しみにしよう。

 到着した聖王の屋敷の門の入り口のところで聖王とフィルエリカ、そして黒い犬が待っていた。

 途中からだが、騎乗したザラと並んで門の前まで移動する。

 ザラが馬から降りる時は、馬が察して脚を折って体勢を低くした。大人しくて賢い馬を選んだわけだが、随分と賢い。賢いが訓練用には向かないな。もう少し悪い馬に乗せるべきか……まだ三歳だが、そんなわけにもいかないか。

「神聖教会の守護者たる聖王にしてメイレンベル大公マリシア=ヤーナ・カラドス=ケスカリイェン陛下。私は共同体の帝国連邦総統ベルリク=カラバザル・グルツァラザツク・レスリャジンの娘ザラ=ソルトミシュです。お初にお目に掛かります。幾度と文を交わし、貴女と直接会いたいという想いが日に日に大きくなり、今日その願いが叶いました。貴女と貴女の民に幸あらんことを」

 決まった文言を繰り返すという練習をしただけあって普段の口調とも違って発音も良く出来ている。

 聖王がザラの前でしゃがんで、抱えた膝に顎をつける。

「フラル語の挨拶、すごーく、上手だね!」

 聖王ヤーナちゃんが笑ってザラの頬を優しくつねる。

「その赤い服も帽子も綺麗だね! あそこの女の人とお揃いだね!」

 ザラのセレード民族衣装はアクファルが作り、色から装飾までほぼ同じ。

「はい! あの、えっと、おばさまにつくってもらいました」

「良かったね!」

 聖王が犬に手招き。しっぽを振って犬がザラの前へ来て、座る。

「この子がヘッセくんだよ」

「ヘッセ、くん?」

 犬がザラに鼻を寄せる。

 ザラが姿勢を低くしたままの馬の鞍に鉤をつけて吊るしていた屋根付き籠を外す。中には兎のダフィド。

「あの、ヤーナちゃん。ダフィドです」

「お! お! ダフィドくんね。よろしく!」

 聖王が籠の中に指を入れてダフィドの頭を撫でる。

「ザラちゃん、おうちおいで!」

 聖王が握手を求めるように手を出し、ザラがこっちを見る。

「行って来なさい」

「はい!」

 ザラと聖王が手を繋ぎ、二人と二匹が屋敷の方へ行く。

「お久しぶりです。スコートルペン以来ですね」

 フィルエリカが先に声を掛けてきた。前より歳がいったがまだまだ美人盛りだ。

「お久しぶりです。相変わらずお美しい。今度の火打石は上質な物ですか?」

「……はい。誤作動は無いものと思われます」

「それは良かった。聖王陛下はウチの娘とお友達なので、お守りしていただかないと」

「はい、そのように」

 歳を食って気弱になったわけではないだろうが、何かこう、固いな。恐怖、緊張感が実際の臭いになって鼻につく感じがするぐらい。守るものでも増えたか?

「お子様、無事にお生まれに? あの時は妊娠していらっしゃるとか、仰ってましたね」

「男が生まれました。四歳になります。家で大暴れしています」

「娘より一つ上になりますね。ああ、大体結婚した時期もあれだからそんな感じですね」

「女ばかりだったのであんなに手間が掛かるとは思いませんでした。悪い言葉ばかり覚えて、あのようにフラル語で挨拶するなんて出来ませんよ」

「妻に似て頭が良いのです。状況も思っている以上に見えている」

「クロストナ様はお元気でいらっしゃいますか?」

「この前はロシエから亡命してきた共和革命派の学者先生方を鉱山に送って笑ってましたよ。数学が得意だって言うから石を数えさせにやったって」

「そうですか」

「ある意味、彼女の嗜好は私とあなたと聖女猊下で作り上げた感じがしますね」

 フィルエリカが黙ってしまった。嫌なことを言ってしまったな。

 屋敷の方から子供の奇声が聞こえて、ドタドタと足音、笑い声が響く。楽しそうだ。

「立ち話になってしまいますね。こちらへ」

 フィルエリカのお誘いに乗り、屋敷の玄関前の卓の席につく。向かいに彼女、アクファルとルドゥが背後に立つ。クトゥルナムが「交代で休め!」と親衛千人隊に号令をかける。親衛偵察隊は無言で聖王親衛隊を即座に排除出来るような位置に広がる。

 平服姿の、しかし使用人には見えないフィルエリカそっくりの美女が椅子を持ってくる。

「どうぞお連れの方もお座りになって下さい」

 アクファルは座る。もう一つ持ってきてもルドゥは無反応。

 そっくりの美女は次に四人分の茶器を持ってきて四杯分を淹れる。

「娘のアルヴィカです」

 フィルエリカが紹介、アルヴィカがスカートを摘まんで礼をし、そして座る。二対ニの形。

 まずは一杯飲もうとし「大将」とルドゥが言う。毒杯を疑うのは当然。名高い聖王親衛隊なら隊長が相討ち覚悟で毒杯を飲んでも不思議ではない。

 飲む。うん、普通。

「どうですか?」

 飲む手を下ろすとアルヴィカが手を伸ばして添えて来た。くすぐるような絶妙な触ってるような触ってないようなやっぱり触ってるような加減である。あと十五、いや十六歳若かったら好きになっていただろう。それ以降だとシルヴが士官学校で同期のエデルト人の口に指突っ込んで風の魔術を叩き込んで内臓破裂させた上でケツから中身全部ブチ撒けさせたあの光景を見なかったことになる。そいつの取り巻きを殺すのを手伝おうと思ったら拳銃取り出す前に皆殺しにしてしまった。結局手伝えたのは腹裂いて腐っても浮いてこないようにして、顔を潰して髪を剃って裸にして石と縄つけて川に沈めて、取った財布の中身で飲んで食っただけだ。あの頃も楽しかったなぁ。

 そんな様子を見てルドゥが、構えないが何時でも射撃出来るように小銃を持ち替える。周囲の聖王親衛隊が武器を構えようとし、反応して親衛偵察隊が肩に担いだ小銃を手に取る。

 フィルエリカが手で、止めろ、とやって両部隊が武器の構えを解く。

「世辞は言いません。普通ですね」

「まあ、不味い下手と言われなくて良かったですわ。自分でお茶は普段淹れませんの」

 アルヴィカの視線、というか実際に瞳孔が大きめに開いていて、熱烈な視線というやつだ。こいつ正気か? フィルエリカが何を言おうか迷っている顔をしている。アクファルは無表情無反応のようで、何時でも腕輪型銃の暗器がアルヴィカの顔面に直撃させられるような膝への手の置き方である。

「総統閣下は茶にお詳しいのですか?」

 作った声のような作ってない興奮した声のような、やはりそんな微妙な感じの嫌味にならぬ妖艶な声である。手じゃなくて耳の穴までくすぐってくる。向かい側ではなく隣に座られたらどこの穴までくすぐってくるのか末恐ろしい。ああ恐ろしい。

「あまり拘る程には詳しくありませんね。最近気に入っている混合茶がありますが」

「混合茶? ですか」

「色々な茶葉や香辛料を秘伝の配合で混ぜた物です。財務長官の奥方が作るのですが、煙草を吸う気が失せるぐらいに香りが凄いんですよ」

「是非一度飲んでみたいです」

 アルヴィカが人指し指の先で、手の薄皮というか産毛というか、そのあたりを掻いてくる。高度な技術を感じる。仮に人じゃらしと名付けようか。丁度その具合が続きを期待させにゃんにゃん。

「お兄様」

「持って来い」

「はい」

 アクファルが席を立ってお茶を取りに行った。

「申し訳ありません、催促してしまいましたか?」

「折角ですので」

 ここでアルヴィカはギュっと手を握って、顎を引いて上目遣い。前段階で期待していいのかな? しないほうがいいかな? と引き付けておいてから強気の攻撃。相手によってはここで逃がしてしまうのかもしれない。賭けに出たのだろうか?

「ありがとうございます!」

 そこからどういうことか、私には下心なんてありませんよ、と、いやこの子に下心なんてあるわけないじゃないか、と思わせる笑顔が出てきた。しかし裏表無しのおリンちゃんには敵わない。馬鹿な子ほど可愛いとは言ったものだ。

「アルヴィカ、歳を考えろ」

「いえ、お母様。いくつになろうとも素敵な方の前では乙女になってしまうのです」

「私が素敵? 面白いことを仰る」

 しかしアルヴィカという女、何の心算だ?

「お母様にも誰も言っておりませんけど、私、ベルリク総統閣下の個人的な支持者ですの。あくまでも個人的なですよ、お母様。でも職責が無ければお傍にいたいくらいなのです」

 フィルエリカが流石に顔をしかめる。お母さんに自分も同意。強い将軍に憧れる少年だとかならまだしも、年増になりつつある女が?

「アルヴィカ、そんな冗談を言い合う方じゃないぞ。総統閣下、娘がご無礼を」

「いえ、まあ、理由ぐらいは聞きましょうか」

「聖典には”悪は美しい”とあります。堕落への誘惑は甘美で抗い難い、との意で書かれます。でも分別した上でされてしまったら良いのではないでしょうか」

「なるほど。聖なる教えを基準とすれば堕落な面は否めませんね」

「正直私は、実は母も、ふふふ、善なる存在と言えるような趣味ではありません。あらお母様ごめんなさい、でもそうでしょう?」

「総統閣下にまるで同類だとでも言うな。世界が違う」

 趣味か……聖王親衛隊の拷問は凄いとは聞いたことがあるが、それなら趣味は合わないな。

 ガユニ夫人の混合茶の香りが広がって来た。アクファルが、休憩中にお湯を沸かしていた親衛千人隊の連中から鍋を借りて来たようだ。蓋こそされているものの、漏れ出る香りは強烈。馬もちょっと騒いでいる。

「どうぞ」

 アクファルが蓋を開けた鍋の中には焦げ茶色の茶が入っている。湯気に色がついているのではないかと錯覚するぐらいの香りが立つ。

「うわ、凄いですね。ちょっと失礼して」

 アルヴィカが鍋から直接匂いを嗅いで「えぇっふん!」と咽る。やや首を傾げつつフィルエリカが嗅いで「むぅ!」と鼻を手の甲で押さえる。

「これを飲む時は口に含んでから香りを鼻から抜きつつ飲むのです」

 空にした茶碗で鍋から混合茶を掬い、鼻から息を抜きながら飲む。

 フィルエリカ、アルヴィカ親子も茶を捨てて空にしてから混合茶を飲み、咽て涙目になる。

「凄っ、おえっ、失礼。あーしかし、これがクセになるのは分かりますよ。ただこれ、鼻が潰れそうです。むっふぅー、ううっ。えっふ」

 フィルエリカはしばし咳き込む。

 アルヴィカの方は作法通りに飲んで咽ずに飲み干し、やや過呼吸な感じで息をする。

「何とも言えない味と香りですね。苦いわけでも、生薬の味ですか。ううん、慣れると欲しくなりそう」

 目の前で似た顔の、それも強気そうな精悍さすらある美女二人が咽たりしながら涙目になっている。稲妻フィルとまで言われた人の垂れた鼻水まで見えた。これは面白い。

 しかし趣味って何だろう? 聞く感じじゃなくなった。

 しばらくして遊び疲れた感じでザラが屋敷から出てきた。マリュエンスくんとお友達になったと嬉しそうに喋っていた。

 それから帰りにお土産のワインを大量に貰った。


■■■


 中央同盟戦争時に虐殺して焼討にしてやったマウズ川沿いを通る。モルル川からマウズ川に掛けて新たに運河が掘られ、船が直行出来るので快速。

 メイレンベル大公領の住民からは憎悪の視線を良く感じた。そして親ロシエ派民兵による襲撃が行われた。装備も戦術も稚拙な連中は返り討ちにして被害は軽微。逃げれば追撃し、捕らえれば拠点や仲間の居所を拷問で吐かせて破壊し、その地域の親ロシエ派民兵を皆殺しにするよう努力した。とりあえず取った首は千以上。行き掛かりの戦果にしては上々だろう。

 警備、住民の統制が出来ていないのはメイレンベル大公や神聖公安軍の責任である。

 ルサンシェル枢機卿が具合悪そうな顔をしつつ、具体的な状況の改善方法と軽微とはいえ受けた被害の補償方法を提示してくれた。

「中々、万全にと行きませんね」

「はい。早急に償わせますのでお待ちを」

「お願いします」

 ”人間もどき”が扇動して、武器を与えて撃たせたわけだが。


■■■


 親ロシエ派民兵とこちらがつけたあだ名を嫌がり、逆らうと酷い目に遭うという話が広まって嫌がらせが減少した。おそらくグランデンもメイレンベルもそれら末端の住民達も、我々相手に下手なことをすれば大変なことになるとは頭で理解していても真剣ではなかった。中央軍より後続の輸送業者や各軍への妨害行為はほぼ消滅。

 マウズ川からイーデン川に合流し、渡ってナスランデン南部に入る。ナスランデンの河川艦隊が良く助けてくれて素早く渡れた。

 懐かしのナスランデン王の爺様から挨拶の手紙が送られて来た。内容は歓迎する旨で、大したことは書いていない。

 ナスランデン王は中央同盟戦争の時と変わらず、今回も真面目に戦わないでお茶を濁し続けている。何もしないでいることの天才だろう。恨みを買わず、恩を売らず、兵士は適当に動かすが死なせない。ガートルゲン王が走狗王ならこちらは不動王だな。

 マウズ川がイーデン川に合流する地点、流れが複雑で事故が起こりやすい難所の一つなのだが、我が軍の大砲を積んだ船にオルメン王国船籍の船が衝突、撃沈された。

 単なる事故か本物の親ロシエ派民兵の仕業かは判別し難い。中央同盟戦争時はこの界隈にロシエの軽歩兵が義勇軍として動いていたこともある。越境作戦の範囲内。

 アタナクト聖法教会は既に対応規範が整えてしまったらしく、衝突してきた相手を即刻処罰し、責任者の首を持ってきて、こちらへの補償を会社とオルメン王国から搾り取って送ってきた。事故発生の報せを受けた二日後にである。流石は僧衣を纏った官僚組織であろうか。

 川からの大砲引き上げは流れが複雑で困難ではあったが成功した。沈没船からは溺死者が多少出てしまった。


■■■


 ナスランデンを横断し、オーボル川沿いに到着する。先行したマトラ方面軍とワゾレ方面軍が、バルマン諸侯連合軍が落とした橋を復旧させた後。

 橋のところでバルマン王ヴィスタルム・ガンドラコその人が迎えてくれた。少し前にオルメンで略式戴冠をしたのだ。領民思いではないか。

「個人的にも評価しますよヴィスタルム王。選択次第ではバルマン千年の将来を暗黒にする心算でしたが、そうならずに済みましたね」

 バルマン人を殺して嬲ってロシエを挑発して復讐心に駆られた軍を誘引、こちらが整えた戦場で有利に戦う戦術を当初予定していたがその選択肢は今のところ無くなってしまった。

「領民の為です」

「ご高潔でいらっしゃる。それと我が軍の将兵はロシエ人とバルマン人の区別などまるでつかないので良く良く注意するよう呼びかけて下さい。少し前にもメイレンベルで親ロシエ派民兵に襲撃されまして、大変だったんですよ」

「お話は聞いております。そのように注意して回りましょう」

 憎悪もあるだろうが口数少なく口調が固く、体も固くて視線も浮ついている。

 あのフィルエリカもそうだったが、前に会った時より随分と彼等の恐怖心が大きくなっている。ちょっと寂しいじゃないか。個人的には好意すらあるというのに。

「これをどうぞ」

 ヴィスタルム王より、帝国連邦軍に対する無制限の通行許可証が発行された。

「どうも」

 橋の入り口正面、真ん中、橋に馬の蹄が触れる手前で停止。ルサンシェル枢機卿も馬に乗って自分の隣。あくまでも我々は聖戦軍の一部。金で雇われた傭兵だ。

 空を指差してちょっと振る。副司令ゲサイルが号令をかける。

「信号弾発射!」

「了解、信号弾発射!」

 司令部付きの通信隊が信号弾を発射する。上空で色のついた炎を出して炸裂する。

 それに反応して川の上流と下流側から一発ずつ発射され、遠くへ、見えなく、聞こえなくなるまで連鎖。そして端まで通達が行った証の、返事の信号弾が返って来た。

 手を橋の向こう側、ロシエ領へ向けて振りながら、馬を前に進める。蹄が橋をカッポカッポと鳴らす。

「中央軍全隊前進!」

 背後から無数の靴、蹄、車輪が地面を叩いて震わす響きが聞こえる。無数の鼻と口から漏れる音が聞こえる。

 これなら秋の収穫時期を前にロシエに侵入出来る。

 ロシエ人に銃を突きつけ、我々のために収穫をして貰おうか? どうしても働かないならバルマン人から移民や労働者を募るのも良い。協力したお礼に敵の土地を差し上げよう。バルマン人、ロシエ人の混住地域を整理してみようか。末永く憎み合うように。

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