第191話「抽象的な悪魔のような方」 ベルリク
マトラ低地で紛争を起こしている。
真っ向から粉砕する戦争と違って小細工ばかりを弄するのだが、これはこれで楽しい。
シラージュ伯領はマトラ低地最大の人間勢力。山に三方を囲まれて土地で川も多く水量が豊富。そして農業が活発でそれなりに豊か。
中央同盟戦争でのフュルストラヴ公国の分裂以降発生している面倒事を嫌ってブリェヘム王へ半分臣従するような体制と契約にゆっくりと変えている最中らしい。
かの地にはバルリー難民が大量に押し寄せており、こちらが工作する以前から軋轢が生じていた。これに聖王領側の商人を通じて武器を流すことにより、武装して自衛するバルリー難民居留地が出来上がってしまっている。
地元住民との小競り合いは何度も行われ、犯罪の温床と見做されて焼き払われた居留地は一つ、二つではない。そしてバルリー難民を売りに来るのはシラージュの者が一番多い。
マトラ共和国情報局の連中がここからどう侵攻の口実を作ってくれるのかはまだ先だ。予定ではバルリー難民が武装して義勇軍を編制して西マトラに侵攻、反撃に移った我々が根拠地の制圧を名目に雪崩れ込んで進駐する。
カチビア伯領は中央同盟戦争では聖戦軍側に属して何の活躍もせず、今ではウステアイデン枢機卿管領に収入の多くを寄進している敬虔な勢力。単純に弱いから属領になることでしか存在出来ない勢力ということ。
鉄鉱石と少しの銀鉱石の採掘が盛んで、ウステアイデンに割安で輸出している。自力で金属製品を作るような技術は無いようだ。
かの地ではバルリー難民を鉱山で働かせているので積極的には売りに来ない。怪我をして使えなくなった場合は売りに来る。
そんな扱いをしているのでバルリー難民も反乱を起こしたくなり、またここでも武器を与えると実行に移した。中には鉱山を爆破して潰したなんて事件もあるそうだ。
ここを取るにはウステアイデン枢機卿ではなく、アタナクト聖法教会、そして聖女に聖皇と話をつける必要が出てくる。貧しい辺境の土地でも所有者が強いとお値段以上に手が届き難くなる。
ドゥルード司教領は古くからのノミトス跣足修道会系の司教領。俗世に関わらずひっそりと山の修道院で祈っているような彼等だからバルリー難民問題に対しても知らぬふり。
かの地にあるのは自給自足の修道院と、成年したら一度は修道院で修行してくるのが習慣の寒村だらけ。平野部には交易用の都市、司教がいる大寺院こそあるが他国と比べても質素そのもの。
それから犯罪者や逃亡奴隷が逃げ込んで修道僧になる場所としても有名らしく、難民も潜んでいると見られる。しかし信仰の生活に沈んでいるので工作段階ではどうにも手が出し辛く、扇動出来るような勢力は無い。不気味に静かに一枚岩だ。
頭の司教さえどうにか出来ればということでもある。聖皇側のアタナクト聖法教会とは性格を反対にすることを利用して宗教派閥の対立を煽って衝突させれば可能性が開けそうではある。これで弱ったノミトス跣足修道会に対し、救世主のように守護者を名乗って我々が保護して、そして帝国連邦に編入するという段取りが理想か?
俗世に関わらぬというのであればいっそ、以前と変わらずに信仰生活を送れると保障すれば説得出来るだろうか。
アイレアラセ城はフュルストラヴ公爵が直接代官を派遣して管理している要塞である。
この要塞は旧バルリー共和国との境界線を明確にするためのものであり、今ではその相手が我々に入れ替わっている。
管理区域内では古めかしく騎士爵単位で小隊を作り、組み合わせて連隊を構成。それを保養するための荘園のみで土地が割り振られていて固い一枚岩となっている。象徴的な要塞には代官城主がいて、その周りが代官を通じた公爵との主従の絆で結ばれていて隙が無い。
こうなると周囲に手出しが出来ない状況を作り出し、正面から粉砕するしか無さそうだ。フュルストラヴ公から離反した諸侯との交渉を考えた方が良いかもしれない。公位簒奪の支援と引き換えにアイレアラセ城を要求、あたりか?
モルヒバル城はダカス山の西麓、モルル川の源流に近い難攻不落の山城。難攻不落と言われれば陥落させたくなるが、誰もこんな辺境には攻め込まないという意味での難攻不落である。その昔は蛮族対策に効果を発揮していた程度である。
中央同盟戦争前はフュルストラヴ公国の領地だったが、分裂以降は管理するのが面倒になってかブリェヘム王国へ売却されている。
林業が盛んで、ダカス山方面で伐採した木をモルル川に流して売っている。それ以外に目立った産業は無いが、最近ではバルリー難民を流して遠くの国に逃がす商売を副業にしている。だから難民がここに留まるわけではないので、他と違って武装して自衛させてからの内戦、ということが出来ない。
さてダカス山には木こり小屋程度の設備しか無いので侵略するのは簡単だ。武器と兵の質と量に差もあり、既に平野部の町村に人を追い払った後。明確な国境が無い地域ならではの闇に屠る形での攻撃でこれは成功。
そして山にあるモルヒバル城自体は工兵が発破で起こした土砂崩れに合わせた地下からの地雷攻撃で沈めた。城の者は土砂崩れに巻き込まれて死んだように偽装済み。
真に難攻不落の森林山岳部を手に入れ、敵の主要拠点は消失。あちらとこちらの境界線を示す物が消滅して地盤固めは終了。
モルヒバル城という領域の管理施設を失った今、狭く人口もわずかな平野部がどうなるかは観察する必要がある。そこは流石に人目につき、明確にブリェヘム王国の物と分かるので隠密裏に攻撃するのは難しい。恐怖で住民がいなくなり、無人となった平野部が転がり込むのを待つ。
そこにブリェヘム王軍がやってきたとしても欲しいところは既に得た後。もし攻撃してきたのならばそれはもう、用意した三十五万の軍勢で焼け野原にする。そうなるように挑発行動は繰り返させる。
ピャズルダ市はこの界隈には珍しい独立的な自由都市。沿岸部や河川交通網の要衝にある商業都市ならともかく、内陸部にあるのだから特別な生存方法が取られる。
ここはブリェヘム王国とフュルストラヴ公国と旧バルリー共和国の三国間の緩衝地帯で、三国間で揉め事があればこのピャズルダ市を会議の場所に選んだという。この伝統は得難く流用出来る。
マトラ低地問題の最終解決を行う会議の場所としてここは使える。何か今のように問題が起きて仲が悪くなっても、ピャズルダという玄関口があれば貿易も途絶えない。
敢えてここは帝国連邦へ編入せず、話し合いの場として完全中立を誓約させるのもありだ。そしてその誓約を破ったという口実で攻めるのもありだ。
こちらでもバルリー難民の売り渡しは行われ、武器を得た難民が武装した自衛を行っている。バルリー人の居なくなった曇りなきピャズルダならばその地位を保っていても良いだろう。
そんな至るところに煙や小火を熾させているマトラ低地へ、養護院出のジルマリアの私兵である第一期特別任務隊が教練を終えて出撃する。
養護院の者は身寄りの無い孤児、病人、怪我人、孤独老人、障害者等だが、ジルマリアが導入したアタナクト聖法教会仕込みの洗脳で家族になるよう工夫がされている。新たな、閉じた世界に生きる少数民族のごとき彼等の団結は狂信的に強いらしい。活躍すればするほど、後方の養護院にいる家族に誇れるようになっており、捨て身で働くように調整されているそうだ。
隊員は年長の子供、復帰した戦病者、手が無くても指揮が出来るような者、独り身の歴戦の猛者、任せられる仕事がある障害者。
気になることがある。
特別攻撃隊。マトラ共和国情報局に所属する、人間に見えるような妖精達で構成される特殊作戦部隊。
特別行動隊。内務省保安局に所属する。超法規的な任務を実行する処刑部隊。
特別任務隊。内務省軍統合作戦司令部直轄。厚生局養護院出身の、内務長官の私兵部隊。
「名前ややこしいんだけど」
これの他にも内務省重要施設警備局に特別襲撃隊という、建物を占拠した犯罪者等を攻撃して人質を奪還するための部隊を編制するので予算を寄越せという書類をジルマリアが提出している。
「あだ名でもつけたら?」
「人間もどき、ゴミ屋、切れ端」
「分かりました」
「え?」
マトラ低地に彼等”切れ端”部隊は出撃し、内戦の激化を煽る。
バルリー難民だけではなく、かの地には人種と宗教派閥が入り混じる。そこも煽るのだ。
■■■
魔神代理領における新年を迎えた。帝国連邦でも新年当日、前日、前々日、翌日、翌々日までを祝日して魔神代理領基準にしてある。
神聖教徒でも当日のみが、由縁不確かな白龍の日ということで祝日である。バシィール都内のノミトス跣足修道会の、まだ屋根と骨組だけの礼拝所では信徒の為に雪が降る中で礼拝が行われている。
新年の前日にセリンが息子のダーリクを連れてやってきた。大量の酒と氷詰めにした新鮮な海の魚を手土産に。
息子の成長振りだが、とりあえず歩いたり走ったりしながら何言っているかわからないが何か喋る程度。
「ダフィドかわいいねー」
ザラが自慢の籠乗せ黒兎を弟に紹介する。
「だいど?」
ある程度は真似をすると喋れる程度になったと上方修正。
そしてダーリクがダフィドを叩き、籠から走って逃げる。
「だめ!」
ダーリクが大声で叱られて泣き出し、座ってぼやーとしていたリュハンナが連鎖して泣く。それから「うーうー」とうろたえた後にザラが泣く。
セリンがケラケラ笑う。人形劇か何かを見ている趣がある。
新年に間に合うようにしたかは分からないがファスラから手紙が届いている。
内容は短く”どっちが俺とシゲのチン毛でしょうか?”とある。それと署名のようにチンポに墨をつけて押し当てた跡がある。奴の大きさで間違いない。
封筒の中を除くと確かに陰毛が二本入っている。丸めて暖炉に投げ入れる。
何ヶ月もかけて船便で送られてきた内容がこれだ。二人とも仲良く元気ということだ。次いでにケツ掘り合う仲かもしれない。
六人で揃い祝日のように食卓を囲む。料理は土産の魚を中心にしたもので、相変わらずナシュカの飯なので量が多い。
祝日だろうと仕事に勤しもうとするジルマリアを担いで引っ張り出した。不味そうに静かに食べる。
セリンは酒をガバガバ飲みながら美味そうに食って騒いでいる。椅子に座ったり自分の膝に座ったり肩に跳び乗ったりと忙しない。
「おリンちゃん可愛いねー」
と言うと「でしょー」と言う。
リュハンナの相手はジルマリアがする。食事の途中で授乳を行い、セリンが遠い目をしていた。
ダーリクに食べ物を細かくしてから食べさせるのだが、子供ってこんなに食ったかと思うぐらい食べる。それと匙をガジガジと齧る。腹壊すんじゃないかとセリンに聞けば「いつももっと食うわよ」と言った。
ザラはお姉ちゃんだから一人で大丈夫、と補助無しで食べようとして食べ物をこぼしてまた泣いた。アクファルが補助につく。
夜になればジルマリアは仕事に戻る。自分はセリンに付き合って飲んで真っ直ぐ歩けない。
夜も遅く、アクファルが見守る中、ザラがダーリクと手を繋いで城を案内して回っていたのを見て、何ともたまらん。
酔って朦朧。セリンに玩具みたいに遊ばれていた記憶はある。
■■■
以前に聖女ヴァルキリカにマトラ低地について交渉の下準備を提案する手紙を出したのだが、その返事は紙ではなく人で送ってきた。
ウステアイデンのセデロ修道枢機卿である。改めて見ると中年か老人が良く分からん顔の剃り頭のハゲだ。全く懐かしい。
「どうもお久しぶりです総統閣下。新年明けましておめでとうございます」
「これは猊下、ご丁寧に。お久しぶりですね」
「あの日々を思い出し、そしてあの鞭が自分に振り下ろされる日が来ると思うと運命とは数奇であると考えます」
「それはまだ分かりません。しかし後悔なさっておいでで?」
「得難い体験でした。それにこうして話が出来る以上、後悔などありません。闇ではなく人ということが分かっております」
「中身も分からない箱に手を突っ込まされる事態には確かになっていませんね」
「はい。閣下は真に抽象的な悪魔のような方だ。裁きの御使いは悪魔の姿とも聖典にあります」
抽象的な悪魔のよう、とは随分な評価だ。笑えてくる。
「かつてバルリー人がマトラ妖精にとっての悪魔でした。応報というものでしょう」
「それが原因のようですね。罪を重ねた彼と彼等の魂が浄化されますように」
セデロがひし形に指で切る。
「罪を浄化しないと平穏を得られない信徒は大変ですね」
「蒼天教徒のように区別しない方が良いこともあるでしょう、我々は分ける方を選びました」
罪をどの範囲にまで定義するかで大分心の持ちようは違う。それから罪を認めるかどうか、認めたとして反省するかどうか、色々ある。
「私はマトラ低地に対しては完全に悔いも何もありませんし、新しい楽しみを発見したぐらいです。こちらが提案した妥協案、返答を頂きたい」
アタナクト聖法教会の権益の尊重と、彼等の敵である庶民派への処置である。
「我々の権益を出来るだけ侵さないというだけで土地を要求なさりましたね。もしそれを受け入れたならば我々には屈したという罪が被さります」
「ただしそれは俗なる面でのみです。そちらが手に入れるのは名ばかりではない不可侵条約を締結する道を発見することと、それから……アクファル、資料を」
「はい」
アクファルがセデロへ傭兵公社に関する資料を渡す。
「今、拝見させて頂いても?」
「どうぞ」
セデロが斜め読みの早さで資料を捲り、短時間で最後まで読む。
「バルリー共和国の代わり以上ですね」
「当然です。国民を一致団結させる楽しい遠足先に裁量が利きます」
「遠征が団結の証とは、軍事指導者としてだけではなく文化の創造者としても名を残されるでしょう」
「少なくとも西側の人間が勝手に私の名前で”主義者”と札を付ける程度には」
「おや、あの悪意ある悪評はお嫌いではないのですか? 暴力的な側面しか見ていませんし無知蒙昧です」
我が帝国連邦について研究してくれているようだ。にわかの評判に一言言いたい様子。
「衝撃力が欲しいですし、否定したところで理解も困難で見苦しいでしょう」
「衝撃? はー、なるほど」
セデロが考え込む。聖女から与えられた裁量権を越えてしまったかもしれない。
「庶民派ですが、どのようにお困りなのですか?」
「教会税を納めないのと、収める程に収入を拡大しないこと。それに伴って責任能力を持たず、放埓であること」
「興味深いですね」
「神聖教会組織は発足当初から資金無しでは動けませんでした。信仰と儀式や教えを純粋なままに守るためには財力、それに保障される武力が必要です。俗世の為政者による干渉を防ぐためにはまず資金が必要なのです。これを悪とするのならば必要悪」
「庶民派はあまりそちらに比べて資金が無いようですが?」
「規模が違うので相対的なだけです。庶民派はその土地に合わせるという形で既に変質しておりまして、正しい聖なる教えからは逸脱するか、する危険を常に孕みます。強い組織と基準を持たないので状況に応じて簡単に変質します。我々に似たような活動をしていると思ったら公のためではなく私的に欲を満たす為に利権を拡大していた拝金的な者達を異端として罰した記録もあります。聖なる教え、聖なる法を厳に守る使命を帯びる我々アタナクト聖法教会としては変質の恐れがある時点で、仮に善意によって運営されていても受け入れることは出来ません。基準を失ってはならないのです。失わない程の組織と力を持つのは一番に我々です。カラドス聖王教会、カロリナ挺身修道会など為政者に歪められた巨大な異端。エデルト正教会など聖なる神を奉じるフリをして便宜を聖皇聖下から不遜にも引き出そうとしている凡俗集団です。公民教導会など無邪気な庶民派と違って組織的に聖なる教えを捻じ曲げる悪魔に他なりません。ノミトス跣足修道会など組織的義務を放棄して瞑想に耽って酔っ払っている嗜虐的快楽主義者の集まりです! あぁ、嘆かわしい」
このまま喋らせておくと血圧が上がって倒れそうなので水を差す。
「庶民派の信徒は幸せそうですよ」
「それはごもっとも。一部の好例を見れば個人としては見守りたい気持ちもありますが、組織としてはそのように参りません。組織がそこで妥協してしまえば純粋な聖なる神の教えはいずれ消失してしまうでしょう。純粋さにわずかでも妥協が混じった時、純粋ではなくなります」
「庶民派は許さないと口だけで言っておいて、手は出さないということは?」
「場合によります。悪意に満ちた、また善意ながら罪深い教えへ改悪をする者達は異端として裁かなければなりません。庶民派というのは自由に変革して良い気風があり、それは害虫、疫病の温床になる湿地の役目を果たします。浄化の対象です」
こういった話題の時の坊主は大層おっかない面をするな。
「我々がマトラ低地における庶民派撲滅に協力するという案件は交渉材料になりますか?」
「聖なる使命です」
意地の問題でそんなことは無理だと言う。では、これではどうだ?
「では我々に都合の良い宗教派閥を作ると言ったら? アタナクト聖法教会は正道が故に遠方では好かれないでしょう」
セデロが、それを言ってしまうか、という感じに目を瞬かせる。
「閣下は真に抽象的な悪魔のような方です」
「褒められると照れますね」
「いえ、その皮肉的な褒めるではありません。此度、聖なる神が遣わせた裁きの御使いとは閣下のことです。我々の純粋を守るという使命をただの標語にしてしまうところでした。庶民派撲滅に協力して頂けるという点、皆に伝えねばなりません」
セデロが目を大きく開き、心の目も開かれたような顔になる。真面目な聖職者ってのは恐ろしい奴に違いない。
「そうそう、ロシエが八つ裂きに、王冠が落ちそうですね」
信仰に酔っ払っているセデロを正気にしてから会談を終えたい。お話を忘れて帰ったら皆が困る。
「王冠は被られたままの方が秩序が保たれます。王冠とは神の代理人たる聖皇聖下並びに各地の代表者たる枢機卿が認めた聖なる属性を持った俗なる権利の証明であります。神聖教徒の全てが公的に権力を認め、権力者として信徒達の守護を約束させる象徴なのです。共和革命派がその王冠を否定する発言をしているそうですが、それは同時に聖皇聖下、枢機卿、神聖教徒の全て、つまり聖なる神、我々の世界に対する宣戦布告なのです。正しい教えを分かっていればそれがどれ程に恐ろしいことなのか分かりますが、神を否定する者達、異端に異教ですらない者達には分からないのでしょう。そしておそらくカラドス聖王教会の不勉強者達も良く理解していないのでしょう」
また始まりそうなので丁度良く口を挟んで阻止する。
「裁量が利きます」
セデロが頷く。
「このお話、持ち帰らせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ご検討下さい」
「聖なる話題の妥協は出来ません。しかし俗なる話題は別です。本日はお時間を割いて頂きありがとうございました」
自分に対して祝福か何かの心算か、セデロがひし形に指で切る。
「お気をつけてお帰りを」
■■■
ルサレヤ先生に秘書局長を任せ、実際に人事の発表と合わせた仕事初めが、セデロがやってきた当日。新年の休暇明け。
「グラスト分遣隊の書類作りの手伝いをやって面白いことが分かった。グラスト人は共通語を現代標準で話せない」
「へえ」
「共通語の中でも耳に懐かしい古い喋り方で、それに船乗りやナサルカヒラの言葉も混じった訛りだ。外から人もほとんど来ないから新しい喋り方も定着しなかったようだな。そして現地の氷土大陸では無駄口をしない習慣があって、そもそも喋ることが苦手らしい。アリファマの喋りはあれで大分、頑張っている」
「分かりました」
「ベルリク、お前あれだな」
「あれ?」
「下の人間の話を聞いてやる親父って評判になっている」
「そうでしたっけ?」
「レスリャジン部族長として家族問題とかの解決に口出していただろ」
「まあ、当然やらんといけないことでしたし。拡大前だと俺が間に入らないと内戦になってたので」
「今の帝国連邦全体でやる気か?」
「いや、無理でしょう」
「陳情を見る度に皆はやってくれると勘違いしている」
ルサレヤ先生が陳情を統計情報にしてまとめた資料を見せてくれる。
家族間、部族間の揉め事解決依頼が主体で数百件。その家族も平民から王族まであった。民族、言語の割合まで出していて、アッジャール人が何故か圧倒的。
それから商人からのあれやこれ、民兵からのあんなことこんなこと。真面目にやったら一日中手紙を書いていないとならないぐらい陳情が積み重なっている。
「こんなの知らないんですけど」
「アクファル」
「いいえ」
いつもは大体「はい」と返事するアクファルがいきなりこれだ。
「いいえとは何だ。説明しろ」
ルサレヤ先生の語調が強い。アクファルめ、叱られたいのはこっちなのに。
「このような判があります」
「判?」
アクファルが道具鞄から出したのは”目上の人に相談しなさい””親しい人に相談しなさい””祈祷師に相談しなさい”などの文字が刻まれた判子である。
「お兄様の手を煩わせるまでもないアホ案件の手紙にはこの判を押し、差出人に送り返すよう郵便に出しておりました。手の空いた妖精達とぺったんぺったんとやっています。お仕事を手伝ってくれる良い子はいますか? と聞くと皆手を上げます。ザラもこの前お手伝いしてくれました」
「偉いなぁ」
皆楽しそうに「ぺったん」と言いながらやっている姿が目に浮かぶ。一緒にぺったんしたい。
「はいお兄様」
「はいお兄様、じゃないぞ。ちゃんと読んだのか?」
「いいえ。そもそも法に関わるのならば裁判所が担当します。そうではないのなら個人間。そして重要案件ならば連邦議会が開催された時に代表者が発言するべきです。総統として手紙を受け付けて問題を解決すると表明したことはありません」
連邦議会、そろそろ開催しないとダメな雰囲気がするが、誰も開催しようと言ってこないので何ともやり辛いんだよな。何でだろ?
「何故総統と騙って返事をした。責任が及んだらどうする?」
「解決方法は明示していません。相談しろ以上の返事はしておりませんし、感謝状なら届いております。抗議文は一件もありませんよ」
「重要案件があったらどうする」
「公式な文書以外で来たならば内務省情報部に転送しています」
「賢いなぁ」
ルサレヤ先生が頭に手をやって溜息を吐く。
「で、先生。このあっと言う間に何百も溜まる陳情を処理する気ですか?」
「内務省情報局広報課に依頼して広報をさせる。裁判所の存在が周知されていないのが原因だ。紛争解決は族長などに任せるという習慣のままの行動だ。特にシャルキクからユドルム西側までのアッジャール系が法そのものである王に相当する存在を失い、カラバザルの総統閣下しか王に値する者がいなくなったことが原因だ。それまでに来る手紙は地域ごとに抜き出して”カラバザルの親父”が定めた、その口の代わりとなる裁判所を利用するように誘導してやるしかない。これを繰り返せばそうするのが正当だと噂が万遍なく広まる」
「流石だなぁ」
「はいお兄様」
ルサレヤ先生が世話が焼けるという感じで睨んでくる。
連邦議会、何時にしよう? 長官級会議はやったから今度は議員を集めたって良いわけだし。
そういえば議員名簿ってあったっけ? 見た記憶が無いんだよな。
「アクファル、議員名簿ってあったっけ?」
「お兄様キェン法を参考に内務省が選出済みです」
議員名簿を受け取る。王国基準、共和国基準、自治管区基準、軍管区基準で出身部族や組織に加えて名前が書かれた文字列が並ぶ。国王代理、族長代理級の貴人が目立つ。共和国からは連邦議会対策委員会なる組織から面子が出されているが、全部妖精なので似たような意見しか出ない気もする。
「ん、発音おかしくなかったか?」
「いいえお兄様」
「議会は開けるんだな」
「開きますか? 議事堂は控え室などは未完成ですが、議場は使えます」
どうしよう? 助けてルサレヤ先生と目線を送る。
「バシィールの議員宿舎が完成して全員の転居手続きが終わってからだと思っていたが、何も考えていなかったのか?」
あ、叱られそうだ。
それはともかく、宿舎が出来ないと集まった議員を泊める場所も無いのは確か。遊牧民だから幕舎くらい持ってるし広いところでもあれば別に良いだろうというのは流石に乱暴だ。
建物が完成していないから誰も議会を開かないのかとか言わなかったんだ。今気付いた。
「それいいですね。俺もそう考えてました」
翼のデコピンを食らってのた打ち回る。
■■■
新年明け早々、区切りが良いということか仕事が多い。
スラーギィ=ペトリュク関門、皆は北関門、ペトリュク関門と呼ぶ場所で調印式を行う。名前の順番はオルフ側でも同じでペトリュク=スラーギィとはならない。南を上、北を下とする方向感覚に由来する。
スラーギィとペトリュクの国境線は森林湿原地帯という大まかな目印があり、イスタメル州時代に確定された後なので調整の必要はほぼ無い。
メデルロマと南メデルロマの境界線は小競り合いをしている間に森林と草原の境目で確定。南メデルロマと東スラーギィの国境線はこちらの前哨基地などで明確にしてある。
お互いに面倒だったのはヤゴールでの国境線の画定。北部はヤザカ川を含むオド川水系によって国境線が明確なので苦労は少なかったが、中部南部の草原地帯が手ごわかった。
丘や岩を目印にしても良かったが、そうなるとその辺りを縄張りにしている遊牧民の放牧地が分断されてしまう。
放牧地をまるごとこちらの領域にするとオルフ側としても防衛上の問題として妥協し辛いくらいに西に国境線が張り出すことが判明。前まではその辺は曖昧に、関知していなかったので噴出してしまった問題だ。
土地使用料を払うにしてもその放牧地で得られる収入は大したことが無くて、それに見合った分を税のような形で払うにしても事務手続きに掛かる金のほうが掛かる見込み。
協議の結果、放牧地は無視してオド川本流からヤザカ川が分岐するところから真っ直ぐ南に国境線を延ばすことになった。
放牧は越境しても変わらずに行えるという妥協をオルフ側がした代わりに、北部の川に面した都市から主張出来る国境線でこちらが妥協。ヤゴール系の村や街を譲ったわけではない。
法的な紛争が起こった場合は自国民は自国の法で裁き、その内容は公示するという取り決め。
余り良い決め方ではなかったかもしれない。だから五年毎、もしくは片方から要請があったらこの条約内容の改定を行えるようにと文言を入れておく。
双方納得するような文章に整えたのはあちらは大宰相オダルで、こちらはルサレヤ先生である。自分の仕事が一つ減って楽でよろしい。
そのように条約の内容が定まって、そしてペトリュク関門で調印式が行われる。
そしてその調印相手は大宰相オダル、と思っていたが違った。ゼオルギ=イスハシル王本人である。
調印文書に花押を書くだけだが、国家代表同士で行うような公務に参加するのは初めてと聞く。
「昔のことなので多少曖昧ではありますが、あなたのお父上の息子、というのが分かりますよ」
「面識がありましたか?」
「望遠鏡越しに、あなたそっくりの男と目が合いました。スラーギィの中州要塞への第二次攻撃を受ける直前だったと記憶しています」
「そうですか」
調印文書は既に互いが挟む机の上に置かれている。こちらが筆に手を付けないのであちらも付けないような雰囲気。
既に合意したも同然。しかしここで書かずに席を立てばご破算となる。ここで失敗したらゼオルギくんはお母さんから「あなた何をしたの!?」と怒られそうである。
大宰相オダルが「しっかりしている方」とか前に言っていたはず。初公務で緊張しているせいか口数も少ないが、姿勢は確かに堂々としている。
そして若い。まだマトラで旅団長やってた頃くらいに生まれた子だ。大体の地方で成年前くらいに扱われる歳。若いなぁ。まだ髭も生えていない美人のせいか余計に若く見える。
向うが知っているかどうか、自分の隣に立っているのがイスハシルが熱烈に求婚したというアクファルだというのも分かっているだろうか。
そういえばこのゼオルギくん、イスハシルの妻の一人シトゲネを妊娠させたと聞いた。もう産まれていると思うが、面白いことをするな。未亡人になった家族を嫁として引き取るのは草原の方ではそこまで珍しくもないが、オルフ文化に染まろうという時期にこれはちょっと目立つな。
ゼオルギくんの目を一点に見ながら色々と考えていたら、相手が座り辛そうに、わずかに尻を動かした。嫌がってる。
「定住民ごときに屈服するのか?」
「何ですと?」
「父王イスハシルはイディルの意志は継がずにオルフに留まるとしたが、どうだ? 狭苦しくはないか」
「質問の意図が不明です」
喋りたくないことを喋らせたい。
「イディルが死ななければ勝ったのはイスハシルだった。運命は数奇で、もしそうなっていたら今頃、バルハギン以来の遊牧帝国のイディル皇帝の第一後継者イスハシルの息子という大層な肩書きを持っていたはずだ」
「仮定の話は意味がありません」
「本当に仮定に留まるのかゼオルギくん? 我が帝国連邦は選出制だ。血統による世襲ではない。最も相応しい者が選ばれる」
何を言っているか分かるか?
「俺は人間だ。魔術も使えん、魔族になる予定も無く、前線に立つから何時死ぬかも分からん。それから君より二十歳は歳を取っている」
ここに王母ポグリア、大宰相オダルがいたら何と言うだろう。
「この文書、別に無くても無事に解決する方法がある。君は聡明な顔をしている。詳しく説明しなくても分かるのではないか?」
考える素振りは一応見せずに、教育が良いと分かる優雅な手つきで調印文書にゼオルギ=イスハシル王は花押を書いた。
こちらは懐から出した筆箱より、大事なルサレヤ先生の羽毛筆を取り出し、頭の中の先生にこれは書くべき物かを問うてから花押を書いて席を立つ。
「ゼオルギ=イスハシル王、もしよろしければ中州要塞の方までいらっしゃりませんか? ランマルカから最新式の蒸気機関車が到着しまして、東スラーギィのマンギリクまで試験運転をするんですよ」
「お誘い頂きありがとうございます。ですが予定が埋まっておりまして、遠出は叶いません」
道草食わないで真っ直ぐお家に帰れと言われているのだろう。初公務で買収されたら敵わんだろうな。
「世界が縮まるぞ。オルフの田舎に引き篭もっていたいか? 馬に乗ったことがあるならそんなことは言えないはずだ。やったことが無いなら一度、地平線の向うの太陽に向かってバーっと駆けてみろ!」
アクファルに寄越せと手を出し、ファイードのハゲ兄さんが作っているガシリタの酒を受け取り、調印文書の机に置く。
「タルメシャ南洋諸島にある国で義理の兄が作った酒だ。美味いぞ。飲めんのならオダルの爺様にくれてやれ」
誘われて笑顔になってしまうような表情を作ってみたが、ゼオルギくんはお澄まし顔のままだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます