第190話「我々には力が必要」 ポーリ

 ヴァイラードエローで三色の革命旗が掲げられ、共和革命派の国際歌が歌われた。

 軍人しか今は居ないはずのヴァイラードエローで、である。そして速やかに反逆者は吊るされたが、まだどこかにそういった者がいると憲兵は疑心暗鬼になり、疲れギラついた目で密に警邏をしている。

 常に我等がロシエ軍の状況は悪かったが、遂に決定的に悪化した。

 ダッセンの包囲軍が後退を余儀なくされる程に死者が出た。冬の厳しさが増して凍死者が増え、何より病人の体力が持たずに大量死が起きてしまった。

 自分が大暴れをしてしまったあの戦闘以来、戦闘らしい戦闘は起きておらず、ただ居ただけで大戦闘が起こったように死んでしまったのだ。

 座して惨めに死ぬより戦って死のうと言えるのはまだ士気が高い者。破門による国内分断、聖戦軍召集による包囲網によって戦意を喪失している今、その大量死が発生してからは脱走者が激増してしまった。

 ユバール側に逃げた者は保護されたとも、復讐に嬲り殺されたとも言う。広報の者達は嬲り殺されたということを強く宣伝していた。

 ロシエ側に逃げた者は逮捕、そして敵前逃亡の罰として処刑される。

 火薬も無くなってきたのか王弟元帥の命により銃殺刑は停止されて断頭台が多用された。受刑者が多いこともあってかその処刑の様子が屠殺場のようだと噂され、より一層の熱烈なベルリク主義者という悪評が立ってしまった。

 ダッセンから軍が後退してからは道々に、ジュオンルーも含めて村に都市は全て焼き払い打ち壊し、井戸は糞尿で汚染し、堤防を壊し、国境線まで焦土化して中央戦線司令部はヴァイラードエローに移動した。この行為も悪評を強めた。

 西戦線は中央戦線と同様。川が多かったので比較的安全に橋を落としつつ後退出来たそうだ。

 東戦線は焦土化しないで撤退してしまった。バルマン軍は王弟殿下との決別を公表したのだ。一応、こちら側との戦闘は発生していない。

 国内の分断は破門と聖戦軍だけではなく、国外資産の凍結という形でも助長される。今まで軍に協力していた商人の多くが姿を消した。未だに協力してくれているのはロシエ国内にしか権益を持っていない中小規模商人ぐらい。

 部隊ごと堂々と故郷に帰る連隊は以前に見た一つだけではなく、全国的な流れとなっている。沿岸部では特に水夫による軍務放棄が顕著で、海軍連合という水夫や海兵隊による組合が出来て、事実上機能を停止したとも言われる。

 良いところと言えば戦線が後退したおかげで兵站線への負担が楽になった程度で、後は全てが悪い。

 今までは噂にもなっていなかったが、王弟殿下が癇癪を爆発させていることが公になって名声が落ち、そして心の平衡も失ってしまったか反逆者ではないと皆が思っている将校を断頭台送りにし始めたことが決定的だ。処理不可能な難題が山積してしまい、混乱されているのだろうと察する。崩壊は目前かもしれない。

 個人的に良いと思ったところでは、ジュオンルー撤退前に市内で蒸気機関を動力にした紡績機が見れたことか。

 職人達がいないので正しい動きは分からないが、手回しで無理に動かしてみた。

 機械の動きというのは面白く興味深い。思考の霧の向こう側に鉄の巨人の姿が見えてくる。


■■■


 今のヴァイラードエローでは、ダンファレルの教訓が生かされているはずなのだが見るも無残。

 井戸から沸く水の量が現在の人口を支えきれてない。清潔な水を飲める人数が限られる。

 嘔吐や下痢を繰り返して老人のような顔付きになっている病人が死人のように歩き、街中を流れる川の氷で水を飲んで、体力の低下中に内臓を冷やして死んでいる。

 まだ健康な者でも井戸水が飲めず、死体が沈み、浮かんでいる川の水を飲んで病人になる。

 燃料が足りず、代わりにそこで病人が寄り集まって寝ているが下痢や血便は服を汚したまま。布団も無く、掻き集められた馬糞塗れの藁の上である。

 街中には隔離区画があり、そこには全身に膿が出る発疹がある者がいる。天然痘だ。ここの患者は見捨てられたも同然で、静かに凍死しろとでも言わんばかりに手がつけられていない。脱走しないように監視しているだけだ。

 病気にも罹らずある程度な元気な者でも、負傷の処置が悪かったり、そもそもされていなかったり、油断して凍傷を負い、そこから体が腐って敗血症で死ぬ者がいる。

 このヴァイラードエローもユバールのような湿地帯で、ザーン連邦のエヤルデン湿地ほどではないが水の汚い地域だ。食糧不足と冬の寒さで体力が低下した者にとっては処刑場のようなところ。特に南の暖かい地域から来た兵士の死亡率は高く、それ以上に脱走兵の数も南の出身者程高い。比較的士気の高い青年アラック=オーサンマリン連隊からすら脱走者が出ている程だ。

 病院は常に待ち行列が出来ており、朝から晩まで列は途切れず、待機中に死ぬ者がいる。

 看護兵と言えばヨボヨボの年寄りばかりで、痩せこけた病人を運ぶ力も無く、平時なら発揮していた慈愛も過労と寒さに損なわれていて仕事は雑である。また彼等も新しい病人になり、若者よりあっさりと死ぬ。

 病院の便所は凍った下痢塗れで、便所桶も凍った下痢が溜まったまま。たまに雪や氷を溶かす陽気がやってきて、凍った下痢も溶け出し、誰が蹴っ飛ばしたかその辺に散らばり、雪解け水と雨が重なって便所が溢れる。そうした日の次の日、そのまた次の日あたりには病人が激増する。

 病室は血と下痢塗れで、交換する敷布も足りていない。何とか川の水で洗った染みだらけの物に取り替えられることがあれば良い方。そんな所に肩が擦れ合うぐらいに患者が並べられている。

 人間のくたびれた姿とは別に、蚤や虱にカラスやネズミはその辺で元気にたくさんいる。

 食糧不足は以前から嘆かれているが、今はそれに士気の低下が重なって横領、窃盗が多発し、最悪なのは管理不徹底で腐らせることすら発生。

 死体を食ったネズミ、カラスを食用とするのは黙認されていたが、遂に死体を食い始める者も現れた。その内に生きている者も食べるのではないかとの懸念がされる。

 ヴァイラードエロー周辺は木が余り生えていない。普段なら薪を遠くから輸入する物であったし、石炭暖房が普及していたせいでもある。家を解体して木材を確保すれば一次凌ぎにはなるが、今度は寒空の下で眠ることになるので許可されていない。勿論、石炭の供給は高級将校用ので精一杯。

 軍では元気な者を集めて伐採部隊を一番近い森の方へ派遣したそうだが、脱走したか遭難したかその後の話は聞かない。

 医師、看護兵、看護婦、教会から協力員として派遣された修道女達は人数が不足している。彼等、彼女等も過労と寒さで病に倒れて死んでいる。

 そんな中でも以前から、若干頬はこけたものの精悍さを失っていないダンファレルから指示を受ける。

「根本的な問題を解決する。ヴァイラードエローから物を食べる人間を減らし、代わりに食糧、調理と暖房用の石炭が欲しい。武器弾薬も元気な人間も不要」

 ダッセンからここまでの後退時に多くの兵士が”重たい武器”を捨てている。小銃は不足し、槍と斧に棍棒、故障して撃てない銃に銃剣をつけて武装する部隊があるくらいだ。それと火薬だが、多くの兵士が薄いパンへの味付けに使っているという話だ。良い味は決してしないと思うのだが、飢えのせいか。

「それが最善の治療ならそうしよう」

「いや、最善ではない」

「では?」

「口に出す言葉ではない」

 国家の治療は医者の領分ではないな。


■■■


 青年アラックや以前も協力してきれた兵士の内、動ける者をウォルに集めさせた。馬は全て食べていなくなっている。

 自分は大佐のまま、ウォルは副官の中佐にしてオーサンマリン連隊と名を改めている。

 集まった人数は少なく百名余り。ヴァイラードエロー、ジュオンルー、ダッセン包囲軍の間で何度も兵站任務を行い、民兵との戦闘を行ったがその際の死傷者は大した数ではない。病死者数の方が遥かに多い。

 ダンファレルが欲する補給物資を後方の、補給基地が設置されているソエランへ取りに行く。

 馬車や手押し車等は全て人力で引くが、全てに自分の車の理術による改造を施してあるのでそこまで移送に苦労しない。そこに後送するべき負傷者や病人を乗せる。

 前線のみならず国内でありとあらゆる物が不足していることは分かっているが、それ以上に前線に届かないとも聞く。

 ユバール民兵が出没しない国内の街道を、やや気楽に進む。

 そしてソエランの近郊に到着したら黒煙が街の方から上がっていた。

 火事に遠方から駆けつけて消火協力をする気力は無かったのでそのまま進んだ。

 道中はおかしかった。駅には人も馬もいない。通りがかる宿場町の人間は変な目で我々を、無言で見ていた。

 そして夜中にソエランに到着してやっと休めると思ったら門が開けっ放しになっており、兵士ではなく民兵が四人で門番をしていたのだ。

「オーサンマリン連隊副官のリュッサディール中佐だ。ヴァイラードエローへの補給物資の供給と、負傷者と病人の後送に来た」

 赤い縁無し帽を被り、腕章を付けている民兵達の代表が上を指差す。何のことと思ったが見てみると、左上に鎚と剣と鎌が交差した意匠が入った、左から黒、赤、黄の三色旗が無風に垂れ下がっていた。

「あ? 何だこりゃ?」

「このソエランは我等が革命議会によって解放された! ここにお前らのようなベルリク主義者であるリュゲール一党に与える物は麦一粒として無い!」

 撃鉄が一斉に上がる機械音が無数に鳴る。それに気付かず刀に手を掛けようとしたウォルの手を掴んで止める。止めてから、ウォルが城壁の上から一斉に小銃を構える民兵に気付いた。

 ソエランはオジュローユ公領内の都市である。そこが既に――親王領で実質統治はしていないが――象徴たるオジュローユ公リュゲール殿下を敵と見做しているのだ。

 ここより南のロシエは今どれ程分裂しているのか想像も出来ない。

 民兵は皆、夜の闇を照らす篝火の範囲で見える限りで目が開いて興奮しており、しかし持つ小銃の手は幾分震えている。

 連隊の仲間達は疲労や敵との戦いに慣れたせいか、撃てるものなら撃ってみろという、半ばやさぐれた態度だ。

 ウォルの代わりに自分が前に出る。

「連隊長のポーリ・ネーネトだ。我々が引いてきた車には負傷者や病人が乗っている。彼等だけは保護してくれないか? 我々は立ち去ろう」

「革命軍同志ならば保護する。王党派や軍閥派の吸血鬼共は勝手に死ね」

 車から不安げに顔を覗かせる負傷者、病人の彼等を見る。

「一人で行く」

「ああ」

 ウォルが応えて連隊の皆を城門から下げて射程距離外へ引かせる。

「何だビプロル人。人食い豚が人の口で交渉でもしようって言うのか?」

 甲冑の魔術で身を固めながら門番の代表を殴り潰す。

 残る民兵も殴り潰す。城壁の上から銃撃を浴びせられるが、ユバールの小銃に比べたら大したことはない。まず当たらない。

 城門を突破。逃げる民兵は追わずに城壁へ駆け上がる。

 次弾の装填もままならぬ民兵を、殴っては頭から胸まで骨ごと砕き、頭突きで弾き倒してから踏み潰して通過、足を掴んで握って骨を折っては鈍器にして残りを殴り倒し、もげる。

 民兵は逃げ出す。そうして城門周辺を一掃してから掲げてある革命旗を城壁の外へ捨てる。

 手を振ってオーサンマリン連隊の皆を呼ぶ。小銃、拳銃、刀を持って皆が市内に突入する。

「反乱軍に略奪された補給物資を奪還せよ!」

『ギーダロッシェ!』

「敵は赤い帽子を被って腕章をつけた民兵だ!」

 まず行ったのは、赤い縁無し帽を被って腕章を付けている民兵が目に付いたら襲い掛かること。あれは軍服が用意出来ていない革命軍とやらの軍装だ。

 意図せずに夜襲になってしまい、統制を欠きまばらに現れる民兵を虱潰しに殺す。

 隊列を組まないでバラバラに動きつつ、咄嗟に屋根に上ったりする青年アラックの兵達が器用に障害物を利用して民兵を追い込み、囲んで降伏させたりする。

 そうして住民の中から自主的に掲げられている革命旗を降ろす者が混じり出し、赤い帽子と腕章を外す民兵も現れる。

 夜通し残存兵力を掃討しようと思ったが、住民に袋叩きにあった民兵が連れられて来た。

 連れられて来た民兵の隊長は中年のヤクザ者で、ソエランを占領したのを良いことに住民から食べ物に金品から女性まで徴発していたのだという。ここの民兵も大体は昔から仕事もしないで遊び歩いていた不良連中だったそうだ。煙が上がっていたのは調子に乗って焼討ちをした結果。

 しかし街の不良ごときが帽子と腕章だけとはいえ軍装を揃え、城門に掲げても恥ずかしくないだけの立派な作りの旗を持っているのはおかしな話だ。裏で操っている奴がいるのは間違いない。

 とにかくソエランの反乱を鎮圧した。ここはあまり大きくないし、それに市内は革命一色ではなかった。

 今は市長の代理を務めるという、反乱軍に首を吊るされた市長の息子と会談し、負傷者と病人の保護を頼んだ。

 それからヴァイラードエローへ運ぶ補給物資について市長代理と話し合ったが、そのような物はソエランに存在しなかった。そもそも首都の方角からやってくる軍の補給部隊も、売り物を抱えた商人すらもソエランには来ていないというのだ。

 ソエラン自体も物が無く、飢えている。我々が作戦に必要とする武器弾薬と食糧と馬の寄付はしてくれたが、それだけだ。

 元民兵達が被害者やその家族から棍棒で叩き殺されている姿を確認し、革命軍とやらの根が断たれたかを見送る。

 それからソエランの反乱鎮圧の経緯と、すぐに補給物資を持って行けないことをダンファレルに伝えるための伝令を出す。

 次に目指すのは王都シトレ。王都はロシエの交通の要衝である。人と物と金が集まるからこそ都となったのだ。


■■■


 ソエランから更に南、王都シトレに到着すると煙は上がっていないが、少し前まで上がっていたような空気の淀みが都の上空にある。

 そして人も船も車も集まって大層賑やかな都であるが、以前に訪れた時とは明らかに騒がしさの質が違う。

 旗も違う。ロシエ王国の正統なる国旗と、あの反乱分子の革命旗、そして国旗のようにシトレ都旗が掲げられている。入り混じるというよりは、それぞれの派閥が縄張りを主張するようにである。

 シトレの北門には都旗が掲げられており、正規兵の門衛が立っていた。そこからの入門は拒否された。曰く「前線部隊の王弟派に開く門はありません。無用の騒ぎになりますのでお引取りを」とのこと。

 北東門には革命旗とシトレ都旗が掲げられており、そこに近づいたら赤帽と腕章の民兵の門衛達から小銃を向けられ「人の心を知らぬ軍閥派のベルリク主義者は立ち去れ!」とのこと。

 西側は高級な旧市街地なのでそこまで回ってみると、今度は王室の国章が入った国旗が掲げられた西門が見えた。そして真鍮兜の王都警備隊が出迎えてくれた。

「前線の方から来られましたな。今こちらの西門しか使えませんよ。さあどうぞ」

 王都警備隊の士官に案内されて都内に入る。壁に遮られていた騒音が直接耳に入り始める。

「北のソエランが一時期共和革命派の反乱分子に占拠されて、解放して来ましたが、こちらは?」

「おお! それは素晴らしい働き。我々正統な王党派が……本来こんな言葉は無いのですが、シトレは今王党派と、革命議会派に大きく二分されております。またその議会の中でも三部会から貴族と聖職者を排除し、そして王と王族の権限を平民だけの議会が制限する民衆派と、王政廃止の共和革命派がいまして、またそれから派生したような派閥が色々、細々いるようです」

「何と不敬な」

「全くです」

 都内は内戦状態にある様子だ。

 人が道に溢れ、小銃や槍に加え、鎌に鋤に斧に包丁のような物まで武器として持ち、そして区画や都内の端や狭い街路ごとに車や樽や木材、土嚢にガラクタを集めて障害壁を作って区切り、国旗、革命旗、都旗をそれぞれ掲げて縄張りを主張している。また首を吊られた死体がそこかしこで見受けられる。

 何度か訪れたがいつも騒がしい都だった。貧乏人や酔っ払いが行き倒れていることもあった。だが市民同士で殺し合って死体を飾るところではなかった。

 武器を持っている以外は普通の市民、王弟元帥に与しない正規兵や予備役兵。それに赤い革命帽――というそうだ――被り、腕章をつける者が混じる。正規兵は少ないが、軍服が簡素な予備役兵の中には革命帽を被っている者が少なくない。

「国王陛下万歳! 反乱軍に裁きの鉄槌を!」

「共和国は国王の負債を継承せず!」

「人の心を知らぬベルリク主義者!」

「息子達の背中を刺す卑怯者!」

「貴族と坊主はくたばれ!」

「外国人は出て行け!」

「破門された愚か者共は神に裁かれる!」

「愚かな王党派と軍政派を処刑しろ!」

「吸血鬼、人食い豚を打倒しろ!」

 罵声だけを聞いていては何が何だか分からない。思わずしかめ面が出来るし、出来れば耳を塞ぎたい。士官の人はもう慣れたようなすまし顔であるが。

「我々はヴァイラードエローに食糧や医療用物資を運ばねばならないのですが、ここで調達出来るでしょうか?」

「かなり難しい話ですね」

 案内されたのはオジュローユ宮殿。名の通り、オジュローユ公が王都に滞在される時に使われる宮殿である。

 革命議会に真っ先に狙われそうなものだが、王都警備隊が守備を固めている上に、丘の上にあって城壁も張り巡らされている。目立ち過ぎているから逆に襲撃し辛いのかもしれない。

「ここですか?」

「我々は今、危機に瀕しております。ソエランを解放したという実績、ダッセンでの奮闘、そしてビプロル侯のお力。ポーリ・ネーネト大佐、我々には力が必要なのです」

 自己紹介はしていなかったが、しかし見れば分かる外見か。前線から来た術士帽を被るビプロル人なんて自分くらいしかいないだろう。

「ノナン夫人にお会い下さい。ご案内します」

 本来の任務から大きく外れてしまう。しかしこの惨状を前にしてそれを理由に断れるほど忠義は浅く無い。

 後ろを振り返ると、傷で酷くなった顔でニヤっとウォルが笑う。

「俺達の大将はあんただ」

 ここまで来て部下に配慮する必要は無いか。

「後でヴァイラードエローのダンファレル・ガンドラコへ手紙を出して貰いたい。物を送れないにしてもその理由は説明する義務があります」

「分かりました。どうぞ」

 士官に案内され、綺麗な格好の王都警備隊に見られて、埃に汚れた我々がオジュローユ宮殿に入る。

 部下達は入浴、洗濯、馬の世話にと分かれる。

 自分は服の埃を払い、下女から渡された熱い濡れた手ぬぐいで顔と首を拭いてから応接間へ入る。

 そこには、こちらが待つことなくお先にノナン夫人がいらっしゃった。前に劇場で見た時と変わらず、四つ年下のか細い方である。

 敬礼する。

「初めまして。ビプロル侯爵カラン三世の息子、オーサンマリン連隊連隊長のポーリ・ネーネトと申します」

「初めまして。オジュローユ公リュゲールの妻ノナンです。お座りになって」

「は。失礼します」

 用意された椅子はビプロル人用の大型。ロシエ国内のある程度以上の屋敷ともなれば一つ二つは最低でも用意されている。

 さて、ノナン夫人には何か我々の事情を説明する暇も無かったと思うのだが、どう話を切り出したものか。

「ネーネト大佐はシトレの現状をご存知でしょうか?」

 ノナン夫人から切り出してくれたので助かった。

「北と北東と西の門、それから西門からこちらまで歩いて、見て聞いたことと、二つもしくは三つの勢力で争っていることぐらいでしょうか」

 劇場で国債の購入を訴えていた時とは違って落ち着いておられる。

「今我々は、王党派、軍閥派だとか他にも王弟、軍部、軍政派などと色々言われておりますが、分断されてはおりません。ただし、王党派の中でも次の王を四人兄弟の中で誰にしようかという動きがあることも確かですので厳密には一つではありません」

 長男今上陛下セレル八世、次男王弟元帥オジュローユ公リュゲール、三男モンメルラン枢機卿ルジュー、四男聖王陛下の婿アシェル=レレラの四方のこと。これは深入りさせるために仰っているのか?

「シトレは現在、三部会議長を代表に北と東と南側が革命議会によって占拠されております。ヴァイラードエロー向けの補給物資は彼等が全て抑えております」

 もし我々が補給任務を達成するとしたら革命議会の排除ぐらいの大仕事をしなくてはいけないということになる。

「ただし革命議会側も、立憲君主制を継続させる派閥、王政廃止を訴える派閥に二分されています。しかし何れも我が夫の首を寄越せと訴えています」

 責任は取らねばならないだろうが、しかし首を寄越せとは受け入れがたい話だ。

「我々はシトレの西部、旧市街地方面に押し込められています。幸い、壁の外の士官学校や砲兵、騎兵の基地は正しく忠義と士気を保ち、士官侯補生連隊も組織されており、武力では負けておりません。だからこの西部まで暴徒が雪崩れ込まないでいます。ただ、以前に三部会を停止させる為に夫が都内へ軍を突入させたことは市民の皆さんにも記憶が新しく、この軍を市内に入れてしまうと火に油を注ぐ行為になってしまいますので待機して貰っています。そして問題があります。彼等に供給出来る食糧も限られ、いずれ飢えて降伏する可能性があることです。それはこちらの旧市街も同様です」

「ポーエン川の下流側はこちらの支配下のはずですが、そちらはどうのような問題が?」

 シトレを流れるポーエン川は海にまで通じ、港湾都市のランブルールに辿り着く。まとまった軍勢がシトレの西側にいるということは兵站線が確保されているように思えるが、流域途上の都市で封鎖が行われていることもあり得るか。

「川の出口のランブルールでは海軍の水夫達による出港拒否の騒動を発端に反乱が起こりました。そして市民も加わった重武装の反乱軍により海兵隊も憲兵隊も撃破されたとの情報が二日前に届きました。ヴァイラードエローにはまだ届いていない報せでしょう」

 任地は知らないがリンヴィル海尉は無事だろうか。反乱される側の人間だ。

「重武装とは?」

「ランマルカから武器や食糧を供給されている者達とのことです。ロシエには無い、丁度ユバールでの戦いで使われたような火器だそうですが」

 あの一瞬で連隊を薙ぎ払った火器のことか。あれではたまらない。

「ビプロルの話になりますが、当然、あなた方は王党派であると信じております。ただカラン様は敵がどこにいるか、誰かがハッキリするまで内戦は断るという話なのです」

 一度火が点いたら住民毎敵軍を叩きのめしかねないのが我々である。そこの判断は難しいのかもしれない。しかし日和見の理由にしているのかもしれない。ビプロル族存続のためか。

「バルマンのヴィスタルム様はもう夫との決別を宣言されました。ただし陛下に対する忠義は変わりないとはおっしゃっています。ただアシェル=レレラ様を通じて聖王陛下との連絡を密に、公式に取られているので聖戦軍との戦いは放棄されるでしょう」

 王弟元帥とガンドラコ元帥の言い合いを思い出す。当然の帰結に思える。

「そしてアラックですが、亡命アレオン人や、南大陸へ帰るに帰れない黒人兵を兵士として集め、そしてアラック王をレイロス様が名乗り、そして聖皇聖下より王冠を頂き、祝福されるとの情報が入っております」

 王弟元帥が破門され、カラドス王家の信仰に傷がついた状況下での、アラック侯爵に対する聖皇による戴冠となれば途轍も無い規模の分断工作となる。ロシエ王国を砕くお心算か。

「そして国内全体ですが、ロシエの経済を大きく支えてきたユバール商人達は一連の不幸な事により、その、迫害をされております。ほぼ全てが略奪を受けて姿を消しております。その彼らが復讐にと、国内の反乱勢力を焚き付けているとも言われております」

 国内のユバール商人がある程度復権するとなれば、もう革命しか無いのかもしれない。

「ルジュー猊下のモンメルランはどのような状況でしょうか? 破門の宣言があって以降、難しいお立場と存じますが」

「あの方は俗世に興味がおありになりませんし、モンメルラン自体も人も兵士も少ないので何事も無いとお聞きしておりますが」

 初代聖王カラドス生誕の地とも云われるカラドス聖王教会の聖地があるモンメルラン地方は何事も無し、か。

「私は包み隠さず状況、情報をお話したつもりです」

 ノナン夫人がそう仰る。大勢の観衆を相手にするのが苦手なだけでしっかりした方なのだろう。もしくは強くなる必要があったか。王弟元帥の三部会襲撃より今まで短いがご苦労の連続だったはずだ。

「はい。お陰様で状況は把握出来た心算です」

「私はシトレで民衆と戦っていても埒が明かないと考えます」

「はい」

 ここまで話したから絶対に協力して貰うという迫力を感じる。異議は一切無い。

「革命議会もそのように考えており、近々軍をオーサンマリンへ出撃させて陛下を捕らえるつもりです。これは彼等が民主的に議決した結果だそうで、確実に動きます」

「それはいけない!」

 思わず立ち上がる。小さいノナン夫人が一瞬体を縮こませた。

「失礼」

 座り直す。

「軍の方はどのような作戦を? 我々は何をすれば?」

 ノナン夫人が卓上の鐘を鳴らす。

 扉が叩かれ、真鍮兜を外した、案内をしてくれた士官が入室する。

「紹介します。国防卿のノーシャルム公プリストル・カラドス=レディワイス様です」

 席を立つ。

「これは国防卿とは気付かず、とんだ失礼を」

「畏まらずとも結構ですよ。若作りが得意でして、交代したばかりですし」

 青年とは言わないが、若々しくて位の高い方とは気付かなかった。手続きも易々と、シトレの王党派筆頭のようなノナン夫人に合わせる力があった時点で気付くべきだったか。

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