第189話「金に呪われた人間」 大尉
爆発音で目が覚める。曇天に閃光が反射している。
飛び起きて海の方を見に行けば、三日月湾より沖合、停泊中のロシエ艦隊が爆発炎上。艦砲が連続して腹に響くように砲声をあげ、陸の水溜りに波紋を広げる。
我等がランマルカ海軍の蒸気帆船が襲撃しているのだ。ただし一隻のみ。
ロシエ艦隊の射程距離外から蒸気帆船は艦砲射撃、敵艦に命中させては爆発炎上をさせる。帆が焼け、帆柱が倒れて梁や綱がバラバラに崩れ落ちる。
しかし一方的に攻撃を続けられるわけもなく、ロシエ艦隊は一旦分散してから一斉に蒸気帆船へ襲撃を仕掛ける。艦隊が動き出すと蒸気帆船が発射する砲弾の命中率が一気に悪くなる。
ロシエ艦隊も木造船ながら果敢に進んで命中弾を浴びせ始める。いくら頑丈な船体でも砲弾という強烈な飛翔体を受ければ損傷するし、蒸気機関で回す外輪はそこまで頑丈ではないので壊れる。
一撃離脱以上のことは危険と判断したか蒸気帆船は逃走を開始した。性能差があっても艦隊全体の撃退は困難である。
彼等が先遣隊で、後に後続の本隊が来ると信じたいところだが、たまたま通りがかりに戦っただけという可能性も否定出来ない。
戦況は悪い。ここより北のオテルマンフレールにエスナル=クストラ軍が一万程度集結しており、これを無視して金塊、銀塊を持って鈍足に突破は不可能だ。
足場の悪い森林地帯で重荷を背負って突破は出来ない。この辺の森は高低差も激しく、川や沼も多いし毒虫、毒蛇も多いので馬は入れられない。それに深いので徒歩で突破するだけでもかなり苦労する。
南側の道は川や湿地帯、砂漠地帯を突破することが前提なのでやはり金塊、銀塊を持って鈍足に突破は不可能。
オテルマンフレールの鼻先を通り過ぎて草原地帯に入るのも重荷を背負った状態では厳しいところ。
攻城戦に移行するのは更に不可能。土を盛って丸太柵で固めた程度とはいえ砲台も銃眼も塔もある要塞だ。重火器も無しに騎兵二千と狙撃兵が二十人あまりでは心許ない。
そして悪いことに三日月湾に留まって援軍を待つことも危うくなってきている。
食糧、特に馬のための食べ物が不足している。食べられる草を集めたり、肉や虫を食べさせているが二千頭分も集めるのはかなり大変だ。
騎兵隊とダイワトイ、クロシーの部族騎兵は間も無くこの地を離脱しなければならない。馬を離脱する者達に預けて何人か歩兵として残すが戦力不足は明白。
艦砲射撃範囲外へ金塊、銀塊を移し終わったのだが、これでは次の移送が出来ない。いっそ海中投棄でもしようかと考えたが、それはそれで更に大仕事。そしてそれはロシエ艦隊の撤退が無ければ不可能である。先ほどの海戦で状況が変われば良かったのだが、数を減らして損耗したとはいえロシエ艦隊は健在である。
北部の方で暴れているユアック軍がオテルマンフレール駐留軍に影響を及ぼすのを待つしか無いのだろうか?
「提案だ。どのくらい連絡がつくかは分からないが、周辺の部族や海賊をこの金塊、銀塊で買収してはどうだ? どうせ捨てても良いならここで使ってしまおう」
”狼”が言う。自分は賛成、偵察隊長も騎兵隊長も賛成である。ダイワトイ族とクロシー族の戦士長は何やら不満げだったが、彼等も現状を変えないとどうにもならないとは理解した。
守備部隊と、周辺部族へ話をつけに行く者達と、海賊へ話をつけに行く者で分ける。
近郊の部族のリセー族、パランサ族、キキナチ族なら馬で行けばすぐに連絡をつけられるという。
海賊だが、南の川や湿地帯を越える必要があって大分時間が掛かってしまう。そこは一番足が速くて道も知っている”狼”が単独で行くしかない。
単独で南へ出発する”狼”を”猫”と見送る。
「走り通しだね。頼むよ」
「足の早さと長さが自慢でね。”狼”くんは頑張ってたってちゃんと報告してくれよ」
「勿論だ」
”猫”が「ヤヤンヤン」と早口に言う。これは……当たり前だ、か? いや、そのくらいやるのは当然だ、だ。
見送った後に食糧問題が限界に達した騎兵が撤退。この場には馬を降りた騎兵が五百名残る。弾薬は撤退する側から多めに都合して貰った。
三日月湾の地形を使った防御陣地は頑丈なものだが、マトモに一万の攻撃を受けたら耐えられない。
足場の良い道がある正面中央は槍の穂先や釘を上に向けて設置した空堀、掘った土を入れた籠の胸壁、伐採した木の柵、先端を削って尖らせた枝の逆茂木、足首の深さの落とし穴を設置。
東側、海に張り出す岩場には船の残骸を利用した胸壁にした。
西側の森林地帯はそのまま防壁になるが狩猟罠を多数設置。ついでに食糧も獲る。
騎兵の離脱は敵も目撃する。攻撃は近いと考えた方が良い。
これでは陸路にしろ海路にしろ援軍が駆けつけるまで耐えるには工夫がいる。
我々に出来ることの一つとして、オテルマンフレールに駐留する軍の司令官を狙撃して動きを麻痺させることだ。
問題は司令官が誰か分からないこと。少数だが下馬して残った鷲羽飾りが特徴のダイワトイ族、白黒縞模様の戦化粧が特徴のクロシー族の者に聞いたが不明。騎兵隊の皆も分からないという。
であるから、とにかく偉そうな連中を片っ端から、速度を重視して最低でも怪我を負わせるようにすることを最低限の目標とする。
北のオテルマンフレールへ偵察隊と出発する。
”猫”が「ヤーヤーン!」行ってらっしゃーい、と手を振る。
■■■
道中に出会った敵の偵察騎兵はやり過ごして殺さない。警戒される度合いを少しでも抑える。
畑や猟師の小屋を敵が前哨基地としているところも全て迂回して通過する。
そして半日強程歩き通してオテルマンフレールに到着する。
入り江に港町があり、少し距離を置いて内陸側に要塞がある。
周囲にある川沿いの麦畑と、丘側のトウモロコシの畑には害獣除けの柵があり、定間隔で物見櫓が立っている。
一万の軍は要塞には収容し切れず、多くの天幕が周辺に張られ、馬防柵が置かれ、兵士が多数いて、物資入りの木箱が積まれる。
まとまった数の軍で今一挙に攻撃出来れば混乱しそうな状況ではあるが。
初日は周辺を巡って地図の作成を行いつつ、警備状況を把握し、目ぼしい人物にあたりをつける。そしてこの状況に合わせて定時連絡を取る方法、被発見時の対処方法を決める。
要塞の中に司令官級の高級将校がいると思われるが、しかし全く外に出てこないということは無いだろう。
■■■
二日目。要塞の正門の交替を定時で繰り返す当直士官を見張っていた者が、その当直士官が緊張した素振りで書類等を忙しく確認する様子を見つけた。
麦畑に隠れて狙撃準備を整えて正門で待つ。
待ったが何も起こらなかった。
どうも、その当直士官はただ新任だっただけで、挙動不審なのは司令官を迎えるためとかではなかったらしい。
要塞への潜入方法を考えたが、かなり厳しそうだ。要塞の規模が小さいせいで隙が無い。
それから悪い報せ。港町を監視している者から、エスナル艦隊が南下している姿を発見したという。かなり状況は良くない。
■■■
五日目。今日まで変化が少なく、むしろのんびりしている印象すら受けた。オテルマンフレールの軍も何かを待っている気配である。
自分と偵察隊も交替で眠る余裕すらあった。数日分の覚醒剤も持っているがまだ必要は無さそうだ。
そろそろ、各自が目を付けた士官達を一斉に狙撃するべきと考える。放置しても何かあるまで動かないようだが、何かあった時にも動きが鈍るようにしておかないと手遅れになる可能性がある。これで事情を良く把握している高級将校が倒れ、敵の作戦に何か齟齬が出れば良いが。
そんな五日目の早朝に、大勢の人間が上げる奇声と喚声が響き渡った。当然、駐留している軍は反応して戦闘準備を素早く整えた。
奇声を上げるのは鷲羽飾りのダイワトイ族の騎兵、そして後頭部だけ長髪を残して剃った辮髪の者達は記憶が正しければリセー族の騎兵だ。
一先ずは戦わずに挑発行為で支援してくれる程度に金塊、銀塊による買収が成功したと見える。金と銀というのはまるで兵隊を生み出す呪具ではないか。
しかし彼等が意図した以上の効果をその挑発はもたらしてくれる。
要塞の正門から、士官達を引き連れて颯爽と歩くいかにも将軍という風格、服装と略章の男が現れた。その集める視線の数、姿勢を正す将兵達の姿、間違いない。
「風、東から毎時十二イーム」
偵察隊員が風速計で測っている値を告げる。少し強い。
狙撃眼鏡の前後位置、弾道補正の縦ネジは既に正門に合わせてある。朝や昼の号砲に合わせた試射も終えている。
施条を切っているが故の右へのズレと、風でのズレを考慮した偏流補正の横ネジを風速に合わせて調整。少し大きめ。
銃身は畑の柵に置き、右手は銃把と引き金、銃床は右胸に押し当て、左手は銃床の上に添える。
息を吸って、止め、息を抜きながら、気取って帽子を被り、俺の出番だな、という仕草を見せる将軍風の男を狙う。堂々と姿勢を乱さず歩いている。風が強いから胸を狙う。
息を止める。引き金をゆっくり、徐々に力を入れていく。風に揺れる草に意識を取られないように。
片手を腰に当て、当直士官から将軍は事情を聞いている様子。間違いない、こいつだ。
銃が振動しないよう、気付いたら引き金が絞られる程度に。
将軍が、ある種劇的に、股に両腕を広げて大の字に倒れた。
この銃声を合図に各所に潜伏していた偵察隊隊員達が一斉にそれぞれが目をつけていた士官達を狙撃する。
撤収。射撃をするのは一度の機会までと決めてある。
■■■
帰りの道中、前哨基地の敵兵達は隙あらば、偵察騎兵はもれなく射殺して三日月湾に戻る。
合流に時間差はあったものの、自分一人に偵察隊二十二名、一名も欠けることも無く合流出来た。狙撃の機会を一度に絞り、その第一射以外は自衛時のみと決めたのが良かったか。
成果は出したが状況は好転していない。
ロシエ艦隊にエスナル艦隊が合流しているのだ。
彼等の船上で動きを望遠鏡で観察している兵の報告では、陸戦隊を編制して上陸するような気配は無いらしいのだが、それは今ではないというだけだろう。
一時的にオテルマンフレールの軍は麻痺状態になっただろうが、次席の将校が後を引き継ぐのも時間の問題である。何もしないよりは遥かに効果的だったと思うが、危険を冒した割りには疑問が残る結果だったかもしれない。
一先ずは疲れているので自分と偵察隊員は日が昇っている内から寝る。
■■■
爆発音で目が覚める。夜の曇天に閃光が白かったり橙色だったりと眩く熱い色に反射している。
それから体が重くて温かい。覚えがある。
暗い影になった顔と目が合う。閃光でその影が一瞬消える。
「大尉さんおはよう!」
”鳥”である。
「うんおはよう。おしっこしたいから退いて」
「うん!」
ペセセトの軍が四千ほど支援についていたのは知っていたが”鳥”もいたのか。それとも気ままにこっちまで空のお散歩か。
”鳥”が退き、立ち上がって手早く立小便を済ませに草むらの方へ行く。隣に並んだ”狼”も一緒に小便をする。
「かなり早く帰ってきたね」
「途中であんたの彼女に拾われたから直ぐだったよ」
「海賊は?」
「今、沖でドンパチやってる」
小便を済ませ、突き出した岩の高台から沖を見る。”鳥”が来て身を寄せる。
夜の暗闇だが火薬の閃光で海戦の様子が見える。
撤退したと思われた蒸気帆船が戻り、僚艦として木造帆船を従えてロシエ、エスナルの連合艦隊を夜襲している最中だ。
蒸気帆船が長い射程距離の艦砲を生かして砲撃で敵艦を破壊し、海賊船は蒸気帆船の周囲にいて護衛をしている。
そしてロシエ、エスナルの連合艦隊は砲撃にたまらず散り散りに撤退を開始し、それらの船を海賊が追撃する。こんなお手軽に軍艦を拿捕する機会も無いだろう。
爆散し、船とその破片が燃えて海上に広がり、波に揺られて蠢く。その隙間に人間が見えて、叫び声や命乞いをする。火薬への誘爆が時々そんな声も掻き消す。
”鳥”が機嫌良く、夜に響く高い声で歌う。
ツィツィナストリは空の上
輝きわらっていらっしゃる
私も我等も手の平で、くるりくるりと回される
私は回ってわらわせる
我等も回されわらわせる
”鳥”が歌い出すとダイワトイ族とクロシー族の者が怯え始め、震える声で何か騒ぎ出す。”狼”が「何でもない」となだめすかし、”猫”も「ヤーンヤーン」と平気平気と言っている。
”猫”はこっちの部族の人間は平気らしい。
ツィツィナストリは果ての淵
血を流していらっしゃる
神も大地もその体で、くるりくるりと回られる
神は回って枯れられる
大地も回って枯れられる
「そんな感じだね」
そう言ったら”鳥”が長い首を、自分の首に後ろから半分巻いて肩に顎を乗せる。
海に落ち、それから何とか岸に辿り着こうと泳いでくる敵兵を偵察隊が岩の高台から撃つ。
蒸気帆船は戦闘海域をぐるりと回って波を起こして敵兵を沈め、トドメを刺して回る。
悲鳴が響く。
直接くっついた”鳥”の頭骨越しに鼻歌が響く。くすぐったい。
■■■
夜明けになってから蒸気帆船こと、バイラス提督級気帆装甲巡洋艦二番艦”ファリル提督”から短艇が降ろされて上陸し、連絡士官が加わる。
その後に新大陸艦隊の本隊が到着。海軍の管理下で買収されて集まった各部族や、追撃戦での拿捕作業で大儲けをした海賊に金塊、銀塊を全て配る。
貰った協力者達は皆一応に奇声を上げて大喜びをしていた。知らぬ者同士でも手を取り合い、踊り出す程だ。
貨幣的価値があるとはいえ、人間はなぜあんな実用性の低い金属に必要以上に興奮してしまうのか理解できない。やはり金の呪術か?
その呪術で士気が上がった状態のまま、勢いを借りてオテルマンフレールへの攻撃作戦が決行される。
自分に”狼””猫””鳥”と、偵察隊、騎兵隊が一千名と少し。要塞東南側に陣取る。
海軍陸戦部隊三百名と海賊を合わせて八百名。南、正門側に陣取る。
ダイワトイ族、クロシー族、リセー族、パランサ族、キキナチ族の部族騎兵集団が三千騎。内陸の開けた地形、畑の多い西側に陣取る。
この位置取りを確定させるまでに、艦隊にはオテルマンフレールの港町と、要塞東側の城壁には届かないが天幕を張った宿営地の一部を艦砲射撃で制圧して貰う。
配置についた後に、まずは海軍陸戦部隊が組み立て式の自走爆雷を使う。
自走爆雷は綱を巻いておく巻胴みたいな形状で、転がすだけの車載能力も無い車に見える。
これに点火がされるとなんと、車輪部位についた噴射装置に火が付き、猛烈な噴煙を撒き散らしながら勢い良く回転、前進を始めた。射撃武器のように素早くはないが、ある種の怪物のように恐ろしげ。
要塞に収まりきらない一万の敵軍の内、外で防御体制を取る敵兵は見たこともない恐ろしげな姿の自走爆雷に対して半狂乱になりながら射撃を始める。
自走爆雷は装甲化がされているようで銃弾ごときは弾き返して前進、馬防柵を踏み潰し、土嚢を乗り越え迫力で敵兵を追い散らし、そして正門にぶつかって止まる。噴射が停止して、何事も無く終わったかのように煙だけを上げる。
何だあれは? 敵兵も何事かとおっかなびっくりその自走爆雷を見たり、近くの者が銃剣で突いたりする。不発?
と思わせて目が眩んで耳をつんざく大爆発。炎と煙と埃が広がり、正門とその周辺の城壁も木っ端微塵に吹っ飛ばした。車輪がその丸い形のままに黒い点になって空を飛ぶのが目を引く。
吹き飛んだ瓦礫が周囲の敵兵を弾き殺し、時間差で降ってきて更に多くの敵兵を頭から打ち殺す。
そして”鳥”が爆発に合わせ、空から呪術人形を要塞の中へ投下を始める。
オテルマンフレールは大混乱に陥った。様々な叫び声、怒声、悲鳴が混じって聞こえる。
部族騎兵集団が奇声を上げて突撃を開始する。海賊も負けじと走り出す。ここでの略奪品の大半は我々が欲する補給物資以外は彼等への追加報酬となる。奴隷も取り放題だ。
我々は彼等の突撃を小銃射撃で支援はするが先頭に立って突撃はしない。要塞に突入して血に塗れるのは土人とならず者共。
金に呪われた人間同士で殺し合えば良いのだ。
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