第187話「無限の闇と」 ポーリ

 暗闇で体は動かず音も聞こえない。

 死んで無に還ったわけではなく、全身が腫れぼったく麻痺しているようで疼痛が走っている。

 苦痛より解き放たれたのではないのか?

 聖なる神の決して破られぬ誓約の下に永遠に守られる魂となったわけではない?

 悲しむことは何もないはずなのに、苦しく、そしてこの暗闇が恐ろしい。悲しみはしないが苦痛が続くというのか?

 課せられた負担が取り除かれ、あらゆる穢れが濯がれ、聖なる魂となったわけではないのか。

 成すべきことも成せなかった不実な者を神は嫌われたのだろう。

 罰は闇の孤独とこの苦痛の永遠か。

 ガンガン叩かれる。

 耳がおかしくなるような金切る音。酷い音も苦痛の一つ。色々な罰が待っているといのか。

 目が痛く、潰れるよう。目潰しの罰か?

「生きてるか!?」

「うぐ?」

 人の声?

「凄いぞおい、この化け物め!」

 恐ろしい怪物が自分を見下ろしている。醜い傷だらけで、まるで戦場から蘇った呪われた死者。

「騒ぐな馬鹿者。ポーリ・ネーネト、聞こえるなら返事を明確にしろ」

「う?」

 声が唸るようにしか出ない。死者が見えなくなった。天井は何だ?

「私はダンファレル・ガンドラコだ。認識出来るか?」

「う」

 ダンファレルだと? 彼も死んだというのか。後方部隊まであの戦いの後に撃破されたのか。

「先程見た奇妙な面はウォル=バリテス・リュッサディールだ。怪我で元より顔がおかしくなっている」

「うー」

 ウォル=バリテスもか? ならば前線は崩れ、後方連絡線を突破され、ユバール軍がロシエ王国にまで足を踏み入れたということか。

「負けた……」

「勝ったぞ」

「何だと!?」

 起き上がる。ガラガラと金属が散らかる音が鳴る。

「お、鉄の棺桶が外れたぜ」

 元の顔も判別し難い程になったウォルが見える。大怪我をしたのが分かり、跡が残ったが治ったのも分かる。

「どうしたその顔?」

 そして手も、服を肌蹴て胸や腹も見せて来た。何れも大怪我の跡に見える。

「ダンファレルの医療気違いがやってくれた。普通なら三回死んでる怪我でもこれだ」

「死んでないのか」

 ダンファレルの研究結果が結実したらしい。凄く感動するはずなのに、何かあっさりした感じがする。現実味が無い。

「喜べよ」

「うん……ダンファレルは?」

「そこ」

 ウォルが床の方を指差す。そこを見れば頭を抑えてうずくまるダンファレルがいる。

「君、どうした?」

 声を掛けるとスっとダンファレルが立ち上がる。

「何でもない。ここは私が管理する病院だ」

 死んでいないらしい。ウォルが笑ってる。

「先程まで君の魔術の甲冑を引き剥がせないか試していたが今解けた。意識が明確に戻るまで身を守っていたようだ」

「そうか」

 気が高ぶり過ぎて途中から覚えていないが、ユバール兵を何度も叩き殺しては何度も銃弾と思われる激しい衝撃を受け続けたのは分かる。

「勝ったとは?」

「そのままの意味だぜ。十人いたらダッセンが落とせるビプロルの鉄豚ポーリ・ネーネト大佐。たった一人で銃弾もものともせずにユバール兵を何百と素手で叩き殺し、その何倍も追い散らし、隊列を粉砕して騎兵隊の突撃を成功させ、ダッセンの戦いを勝利に導いた。その騎兵隊ってのは青年アラック=オーサンマリン騎兵連隊とその他大勢なんだから、まあ俺達の方が凄いんだぜ」

 ウォルが不気味な顔を歪ませる……あぁ、冗談で言って笑ってるのか?

「ポーリ、まず服を脱げ。負傷を確かめる。甲冑のせいで今まで診れなかった」

「ああ」

 ウォルとダンファレルがバラバラになった甲冑を部屋の脇へ追いやっている間に軍服を脱ぎ、下着を脱ぐ段階で違和感が強い。泥を吸って変色して張り付いている?

「何だこれ?」

「これは無理に脱ぐな。にかわみたいに張り付いているから皮膚が剥げるぞ。汗と皮脂、凍傷から血が固まってるのか? 胸の傷が……無いな」

 胸元を見下ろすと酷い汚れで、ここの下着の張り付きようは特に酷い。ダンファレルが触診している。

「口開けろ」

「あー」

 口を大きく開く。ダンファレルが指を突っ込んで歯に挟まっていた何かを抜く。

「目撃情報通りだな」

 抜いた何かは皮である。従軍中はあまり肉を食べた記憶は無いのだが。

「あー……言うべきか?」

 ウォルが顔を歪ませる……分からない表情。

「何だ? 私に隠すことがあるのか?」

「ビプロル人伝説そのまま、お前さんあれだ、敵を殴り潰してよ、あと首にな、兜の面帽がガバっと開いて噛み付いて、あー、何て言えばいいんだ?」

 ダンファレルが顎を掴んできた。

「吸血だ。ユバール兵の首に噛り付いて飲んでいたそうだ。水分と栄養を同時に補給出来る完璧な食品は血だから合理的だな。このビプロルの頑丈な下顎、それと牙が容易に相手の皮膚を食い破る。素晴らしい特長だ」

「吸血って言うなよてめえ」

 人食い豚が人を食ったわけだ。現実味が無い。

「君、お湯を大量に用意しなさい」

「はい!」

 ダンファレルが控えている看護婦に指示を出す。

「大事かい?」

「血と汗に濡れ、そして冬季に君は全身を良く冷える金属で被って倒れていた。凍死してもおかしくなかったが体温が高いせいか軽い凍傷で済んでいる。顔も肌が荒れた程度で耳も鼻も腐っていない。民族的な肥満体に救われている」

「そうか」

 何を言って良いのか分からず、ダンファレルの処置に任せる。ウォルは「治療の邪魔だ」だとダンファレルに手で払われ、鼻で笑って退散する。

 看護婦が用意を済ませ、お湯で下着を張り付ける固まった体液の塊を溶かして揉んで慎重に剥ぐ。体が冷えていた以上に傷に染みる。

「痛いか?」

「チクチクする」

「その程度で済んだと聞いたらダッセンも陥落するな」

「していないのか?」

「シアドレク獅子公の予知能力は本物だ。予備兵力を引き連れて来て君の作った勝利も取り消しになって元通りだ。ウォル=バリテスは怪我人に毒と思って喋らないようだが」

「そうか、無駄死にか。でも、ありがとう。真実が知りたい」

「あー、敵の攻撃を跳ね返したんだから、無駄じゃないと思うぞ。たぶんな」

 ダンファレルが何と慰めの言葉を掛けた。どういうことだ?

 下着の――糞小便混じりと途中で気付く――剥ぎ取りが終わり、体が綺麗に拭かれ、術の才能がある者がダンファレルが開発した怪我治療の呪具で凍傷を治してくれる。

 呪具の形状は曲がった板に取っ手が付いた程度。これで体を撫でられるとお湯程度に熱く、痛みや違和感が引いていって、何か埋め込まれていたような物が引き抜かれてスッキリする感覚を得る。

 怪我治療の呪具が二個崩壊したところで全身の治療が完了。寝台から降りて立ち上がり、体を動かしてみると関節の疲労は酷いものだが五体無事だと確信できた。

「ダンファレル、君を抱きしめたい」

「まずは服を着ることだな」


■■■


 ダッセンの前線より後方、他の戦線とも連絡が取れる位置の都市ジュオンルー。ヘリュールー直撃の北への主進路と、東西からの側面攻撃を抑える二つの副進路の交差点。中央戦線の中心点。

 この王弟元帥指揮下の中央戦線はまだ西戦線よりは死傷者が少なく、東戦線よりは飢えと疫病に悩まされていないそうだ。自分だけが最悪の不幸に陥っている等と考えてはいけない。

 自分は既に回復した。軍服の汚れが酷いので洗濯女に任せている。

 ウォルも見た目の変わりようは凄いが回復している。

 二人とも、すぐさま前線に行けと言われれば行ける。行かないのは言われていないから。

 壊滅した連隊の長と、壊滅した連隊の死人のような姿の兵隊。これは配属を指示される前に自分で仕事を見つける方が早いと思われる。

 何をするべきかと、ウォルと一緒にその辺を散歩して、適当なところに座り、何というか流れを見る。

 ダンファレルの怪我を治療する理術は画期的で、本来ならば廃兵になるような者でも復活する。

 手足が千切れた場合、千切れた側が腐る前だと接続する手術の後に治療の理術で元に戻る。大手術になるので傷口が比較的綺麗な者か、高級将校にのみ行われる。

 内臓の傷の場合は現場で即死、もしくは同然と判定されるが、生き残って運ばれてくる者もたまにいる。内臓から綺麗に治す手術に耐えられる体力があれば生き残れる。

 骨折は骨接ぎの手間があるものの、切り傷、刺傷程度の気軽さで治療が終わっていく。そのような傷を気軽と言ってしまえるのも凄まじい。

 破傷風や赤痢、風邪の患者数も以前の戦争と比べると、病院内に限っては劇的に減っているそうだ。治療の理術だけではなく、治療所や病室は常に清潔に保ち、血や膿塗れになった服はこまめに替え、包帯や敷布はお湯で煮てから使うというような、ダンファレルに付き合ったあの不潔な病室、清潔な病室の比較実験が生かされた結果だ。

 改善はされた。しかしまだ酷い。絶対に健全ではない。

 食事は酷いものばかりで、小麦粉だけで焼いた薄いパン、油が少し浮いた屑みたいな具しか入っていない汁程度しか配給されない。

 治療の順番待ちの兵士の中には、普通なら死なないような傷に耐えられず倒れていく者がいる。凍死者も多い。

 食糧だけではなく燃料も足りず、しかし唯一雪と風を防げる家は解体するわけにはいかない。

 病院内に限っては清潔なものの、都市全体としてはやはり不潔。

 街に流れる川は、表面に張った氷を割れば液状なので飲める。しかしそれを飲めば赤痢に罹る可能性が高い。皆が排便するのは主にこの川である。流れも速くないし、丁度人の足で下りられる場所は水が滞留しているような半分沼になっている場所だ。

 水は煮沸してお茶や珈琲、無ければ代用に香草で飲むことを推奨されるが、そんなことが出来るのは貴族ぐらいなものである。

 ズボンの尻の部分が汚れ、寒さで凍ってしまっている兵士を見かける。皆は当然罹患を恐れて近寄らず、その内に壁に寄りかかって凍死する。

 咳をする者が多い。そういった者は大抵高熱を出し、発狂しそうでする元気も無く倒れる。暴れる元気がある奴はたまに助かる。

 病気と寒さと飢えで治療の甲斐も無く兵士達が死んでいる。

 我々の連隊のように銃弾砲弾であっさりと戦って死ねた者は幸運なのかもしれない。

 どれほど効果があるか、革の防護服を着て香草を詰めた嘴覆面を被った者が雪を被って街頭で死んでいる兵士を、直接手で触れないように鉤棒で引っ掛け、外した扉に載せて回収し、縄を付けて引き摺って回る。

 死者だけではなく、体が治った兵士達にも問題がある。

 もうあんな戦場には戻りたくはないと脱走を試みたり、子供のように泣き崩れてその場から動かなくなるのだ。反応するだけマシで、独り言をブツブツ言って全く他人の言葉に反応しなくなったり、治療した後に自殺する者もいる。心の傷は治らない。

 それを許す余裕は軍にはなく、銃殺刑の銃声はしょっちゅう鳴り響き、見せしめに吊るされた死体は凍り付いている。

 我々は元気だ。部屋が余っていないので雪の降る外で木箱の上に、持ってきた防寒具に身を包んで肩を寄せて座っている。

 自分が暖かいと思ったのか、亡霊のような顔をした知らぬ兵士が寄りかかっているがここでは気にするものではない。襟巻き代わりに腕を回してやるとすやすやと眠り出した。

「俺がダッセンの戦場に到着した時にはお前が暴れてるって直ぐに分かった。四足の獣みたいに走ってるんだが、ユバール兵が全く銃の狙いをつけられないんだ。殴っても体当たりしても一発で敵は倒れる。魔術の甲冑は銃弾命中させても倒れる気配も無いし、砲弾で倒れてもたしか直ぐに起き上がったか。それと一緒じゃないが、しかし同程度の者は昔からビプロルにいたはずだ。どうやって昔のロシエ王国はビプロル族と戦ったのかが不明だ。槍兵の密集隊形を作って火矢を浴びせたというが、一人のビプロル戦士に何人がかりだったかが伝えられていない」

 思い出したようにウォルが喋ってくれる。返事が分からない。適当に頷くだけでもいいのに。

「皆、勇敢だった。他の連隊の奴等は怯えて地に這い蹲っていたのに、君の連隊は皆死ぬまで立って進んでいたそうだ」

 記憶に残る最後の連隊の姿は、皆地に伏せた姿だ。

「それでも誰か……」

「これを返す」

 自分が持っていた連隊名簿だ。だが新たに自分の筆ではない筆で、自分の名前だけに跳ね点が書き加えられている。

「俺もあの戦いでこの面だ。時間も余り使って無いんだが、生き残りは探しても見つからなかった。お前が大暴れして、俺たちの騎兵突撃は成功して一回勝ったんだが、シアドレクの援軍が到着して、俺もその時意識無かったんだが、死体を回収してる暇が無かったんだと。お前一人だけは動きが止まっても生きてるかもしれないって馬で引き摺って回収できた……他は何故かって聞くなよ」

 残りの五百十三人は?

「仇は間違いなく取ったぞ。ポーリと俺たちの連隊、オーサンマリンの仲間でな」

「敵の火器が凄かったのは分かってる。でも、五百十三人が一瞬で死ぬ訳無いだろ!」

 知らぬ兵士が悲鳴を上げて逃げ出す。

 ウォルが後ずさる。顔は変形しているが明らかに怯えている。

「すまん」

「お、おう。何でもねぇ」

 全員が撃ち殺されたわけではない。残りはきっと、撤退した後に殺された。捕虜の可能性は? 分からない。将校だけは生きているか?

「あの塹壕の線は維持してるのか」

「それは大丈夫だ。シアドレクの軍もギリギリの強行軍だったらしくてな、予備部隊を投入したら撤退して奪還したらしい」

 少なくとも敵の攻撃は撃退した。勝ったはずだ。


■■■


 何か指示が出されることもなく、配給の少ない食事を食べて、寒さと飢えと怪我病気で死ぬ兵士を外でひたすら眺めていたら声を掛けられた。

「ポーリ、来い貴様。腐って土になる名誉はロシエでは死人にのみ与えられる」

 ダンファレルは斧のついた槍を持ち、冬用の黒い重騎兵装束の上に胸甲と、房飾り付き兜を装備している。馬上ではなくとも非常に力強くて美しく、理想のバルマン騎兵に見える。

「それは?」

「叔父ファルケフェンの形見の業物だ」

「装備は?」

「故郷では医者ではなく辺境伯の長子で騎兵隊の代表格だ」

「何をしに?」

「物資が足りなくなったから補充に行く」

「その格好でかい? 君、医者だろ」

「治療を阻む障害を排除するのも治療だ」

「なるほど……手伝おう」

「では行こう」

 何をするのか分からないが、何かしでかすのは分かる。

 街の中心部に二人で向かう。こちら側は貴族の士官達が利用している区画で、道路は封鎖されて一般兵士は入れないようになっている。

 途中で馬車を操るウォルや、青年アラック=オーサンマリン連隊の生き残りが手押し車やロバを連れて来て合流したのだが、警備の兵士達に止められる。

「ガンドラコ殿! またあなたですか!」

 ダンファレルは槍の石突きで道を叩く。石畳が割れて刺さる。警備の兵士達は前に嫌な思い出でもあったのか脇に退いて道を空ける。

 道も分からず、ダンファレルの後に続く。市庁舎の脇道を通る時に、窓越しに立ち聞きをしてしまった。

「補給状態の劣悪さに見合わない攻撃命令は承服致しかねますな。この冬は待つしかありません。今、バルマン独立の話すら出ている。私の力で抑えるにも限界があります」

 落ち着いた低い男のその声に対して、聞き覚えがあれば誰かと分かる悲鳴のような叫び声が響く。

 余りに激昂し、少年的な高音で聞き取り辛いが「中央同盟戦争の負け犬」「命令を実行出来ない元帥」「解任だ、解任」という言葉を発しているのは王弟元帥だ。

 そして別の第三者の声で「殿下! バルマンまで離脱したらユバールどころではなくなりますぞ!」と咎める。

 初めの低い声の持ち主は東戦線の司令官ヴィスタルム元帥と思われる。

「お二人がいらっしゃるが……」

「下の我々がどうかする問題ではない。それより殿下も父もいるということは豊作が約束されているということだ」

「豊作?」

 まず向かったのは高級宿である。何度か手伝いをしているのか青年アラックの皆は手馴れた様子で宿へ押しかける。

 警備の兵士はいるが、多数の我々に後ずさって何もしない。

 そうして諦め顔の店の者が差し出す鍵をそれぞれが受け取り、鍵の部屋を当たっては扉を開け、中にある綺麗な布だとか蒸留酒を奪っていく。

 自分が手にした鍵で、その番号と同じ部屋の扉を開けると、裸の太った男と、娼婦風の女が抱き合っていて「わー!?」「きゃー!?」と叫ぶ。

「いちいち抗議を聞いてもしょうがないぞ」

 と後ろを通り過ぎたダンファレルが抵抗する老人を殴り倒していた。

 ああ、これはそういうことなのか。

「お二人とも、危害は加えませんのでどうか医療用物資の寄付にご協力して頂けないでしょうか?」


■■■


 腐って何もしないよりも今は何か仕事をしていることで救われた。

 ダンファレルから次の仕事を預かった。

 ジュオンルーから戦線復帰不能な怪我をした者達を後送して、ヴァイラードエローからの帰りに物資を運んで来ることだ。何でも先の強い態度で臨む寄付のお願いでの調達率が前よりかなり悪いらしく、効率が悪いそうだ。

 持って帰るのは医療物資を優先とするが、食事こそが一番の医療でもあるのでその点を踏まえて荷物の隙間に何を積めるか考えて欲しいのこと。

 人集めは青年アラックの皆が素早くやってくれた。部隊が壊滅したせいで帳簿か何かから欠落して前線にも後方にも送られずにフラついていた兵士達を集めてきたのだ。

 南の血が成せる陽気さなのだろうか、彼等が元気に声を掛けると意外と乗ってくる。

「ウォル、君の騎兵連隊の仕事は何も無いのかい? ジュラニ大佐は」

「騎兵ってのはあれだ、命知らずの真の男だけが出来る仕事なんだよ。分かるか、そういうことだ。分かれよ」

「すまん」

「謝るんじゃねぇ。皆好きで突っ込んだんだ。そうだろ」

 青年アラックの皆が笑って『ギーダロッシェ!』と叫んだ。


■■■


 負傷兵を乗せ、道中の水と食糧や寝具を載せる馬車を揃えた。普通の幌馬車、手押し車を大きく改造した物、貴族が使うような屋根と扉がついた馬車には弱った負傷兵を優先に詰めて互いの体温で保温し合うようにさせた。橇もある。

 馬については隙を見せると飢えた兵士達に食われるのだが、青年アラックの皆が守り抜いてきた。

 そしてここに自作の理術の車を加える。馬無しで人力で曳くのだが、上り坂や不整地では車軸自身の回転で補佐する呪具にしてある。この車の材料として、ジュオンルーの街から奪った硝子窓の硝子を利用している。燃料のようにその硝子を、一度呪術刻印を刻む必要があるが、それを車軸の指定箇所に挟み込むと本体の損耗無しに稼動するようになっている。勿論硝子は何れボロボロになって朽ちる。

 冬の道は凍りついて、寒さと深い降雪を除けば意外と快適な場合がある。轍が凍り付いていると進む力も減る。

 だが暖かい空気が時折入り、日中は溶けて泥道と化す。木の板を進行方向に並べては通過し、また並べ直す方法で進む。

 橋が壊れていることがある。明らかに爆破した跡で、ユバール民兵の仕業と分かる。木の板と自分の金属の魔術を組み合わせて修理して渡る。橋の規模によるが、その一日何も出来ないくらいに疲れることがある。

 寒い中、思い出したようにだが元気の無い負傷者達から死人が出て、そして死なずとも凍傷で指や耳を腐らせる者達が出てくる。

 不幸中の幸いか、道半ばで負傷や病気で倒れている仲間を救助することもあり、略奪されているが本体だけ残った馬車も回収できる。

 ジュオンルーに対する補給が乏しい理由の一つがこのユバール民兵の攻撃だ。

 青年アラックの皆を引き連れているので因果応報だとは思う

 ユバール民兵の奇襲攻撃を受ける回数は多い。以前受けなかったのは運と、見た目と車の数の違いだろうか。

 青年アラックの皆は馬上でも徒歩でも決して密集隊形を取らずに散開して戦い、身軽に崖や木を昇って器用に隠れる。

 この民兵との散発的な戦いで学んだことがある。民兵からの射撃、突撃に怯まず風の魔術で地吹雪を起こして目くらましを行うウォルが行っていたつば広の術士帽の使い方だ。売官制度で地位を買ったせいかそのあたりの知識が自分にはすっぽりと無かった。

 使い方は、術士帽を被ったら垂れ布を広げて外からの音を軽減し、俯いて帽子のつばで前方の視界を断ってから術を発動するという工夫。

 自分の全身を守る甲冑の作成は幼少時より慣れ切っていた術なので咄嗟に出来るが、それ以外は集中しないと出来なかった。また最初の襲撃の時には吃驚してそれ以外が出来なかった。

 負傷兵達を乗せる馬車を隠すことは出来ないので、襲撃を受けた時は術士帽を使い術だけに集中し、彼等を守る金属の壁を出現させた。このような魔術を見せると民兵は警戒して直ぐに逃げることもあった。

 野宿する時は金属の魔術で案山子を作り、見張りを多く見せて夜襲をやり過ごす。

 またそのような案山子を囮にして民兵の襲撃を空振りさせることにも成功した。

 またこの輸送で新たに負傷者が出てくる。民兵との戦い以外でも転んで怪我をしたり、馬でも足を痛めることがある。その場合はダンファレルの怪我治療の呪具を真似して作って直す。誰にでも作れるわけではないが、ある程度そういった敷居を低くすることもまた理術の概念である。


■■■


 民兵からの襲撃を何度か受けながら南下し、ヴァイラードエローへ人を減らしながらも到着する。

 負傷兵を帰郷させるよう手続きし、補給物資を調達する前に休息を取る。

 ヴァイラードエローでの食事は前線よりマシな食事ではない。こっちが酷い。初めて訪れた時より一層酷い。

 前線への補給を最優先にしていてもジュオンルーではあの有様だった。

 お若い王弟元帥が高い声を出してしまわれるのも分かるかもしれない。やらねば成らぬと立ち上がり、議会を停止させて解決策を講じて、この冬の惨状。ご同情申し上げられる立場にもないが。

 このように皆頑張っているということは、これ以上の改善は不可能なのではと思えてくる。

 必要な補給物資を帰りの馬車に積み込み、そして道案内もかね、前線へ行く兵士達を引率することになった。

 出発は明後日で、とりあえず挨拶だけ、とここまで引率した曹長から乱れた整列をした者達を紹介された。

 何とも見るからに場末の不良、犯罪者のような輩から老人と子供まで幅広い。

 自分と連隊の皆も子供と呼ばれるような若者だったが、ここにいるのは大人になりかけの本当の子供だ。何故募兵官は止めなかったのだ。

 その後、ヴァイラードエローの教会の、聖なる種が刻まれた壁の前で跪いた。

 神よ、ロシエに与える試練は如何程に痛烈なものとなるのでしょうか?

 今日だけは初めて、愚かにもしかし神の声による答えが欲しかった。その試練が如何に痛烈だったとしても、どこまで耐えれば良いか分かるだけでも違う。

 無限の闇と苦痛より恐ろしいものはあるだろうか。


■■■


 明くる朝、ヴァイラードエロー中に、ある二種類の紙が一斉に貼られた。

 一つ目は、

”聖なる神の代理人が宣言する。カラドス王家に授けし聖なる王冠の権威をないがしろにするカラドスのリュゲール及びその者の権威を笠に着る冒涜的な者達に告げる。極めて私利私欲で自己中心的で傲慢で汚濁した精神によるユバール連合王国に対する非道な侵略行為は、敬虔なる神聖教徒の範を逸脱するものであり、信仰有りしも不遇により愚行するを赦す範を逸脱するものであり、救い難く己の手でその誓約を破り捨てたことによりその魂は聖なるものではなくなった。ここにその者達を破門とする。破門された者達、決して神の加護を得ず、永劫呪われ、穢れるだろう”

 二つ目は、

”十六番目の神聖教徒の擁護者にして聖戦軍指揮官が告げる。悪魔の軍勢と成り果てたカラドスのリュゲール一党を成敗せんがために聖戦軍の結集を宣言する。心あり敬虔なる正しき力を持つ者達は参集し、聖なる武器にて悪魔討つべし。囚われの信徒を救い、心毒され人を失いし者達に最後の慈悲を下さん”

 双方共に異端撲滅の如き文言である。印刷機で擦られたようで白い紙に黒い墨の字だけだが、本物の写しと分かる威厳を伴っていた。このような宣言をされても全くおかしくないと我々は分かっている。

 これは王弟元帥、オジュローユ公リュゲール殿下とその支持者、また議会を停止させてユバール出兵を決めた過激派の軍部と、その他穏健派を分断するには十分である。

 朝からヴァイラードエローは騒がしい。脱走兵どころか、堂々と連隊旗を掲げて行進して脱走する連隊すら見られる。

 そういった堂々とした脱走者を止めようとする士官に対し、その連隊長は「我々は聖なる神に仕えるロシエ軍人だ! 貴様等のような人の心を知らぬベルリク主義者共の命令を聞く気は無い!」と言う。ベルリク主義者とはあんまりな罵倒ではないか。

 神に祈ることすら否定されたらどうしたらいいんだ?

 ロシエが無限の闇と苦痛に堕ちる気配がする。

 見たことの無い旗が、街のどこかからとても長い竿で掲げられた。遠くてハッキリ見えないが、三色分割で左上に紋章? らしき意匠。あれは知らない。

 それから時間外れの礼拝呼びかけかと思ったが、何か聞こえてきた。


  敵は何処か、知るのだ同胞よ

  奴らはいる、隣にいる、我らを吸血する奴ら

  その汚らわしい手に噛み付き、食い千切れ

  剣を持て! 吸われた血を大地に還せ

  その大地を耕し、豊穣とせよ


  敵は何処か、見つけた同胞よ

  奴らはいる、そこにいる、我らを滅ぼす奴ら

  あの汚らわしい首を落とし、穴に放れ

  銃を持て! 戦列を組んで勝利せよ

  革命の火を広げ、世界を創れ


 何だ?

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