第184話「ロシエの勇者」 ポーリ

 オーサンマリン大学では冬季になると休校期間が設けられる。

 今年の、そして初めてのその休校は本来の予定より早く訪れ、そして無期限に定められた。

 有事のせいで国が出費する分の大学予算が打ち切られたこともあるが、何より学生や先生の出兵で人がおらず、何より今年の冬は厳しい。更に物価が高騰している。

 冬場は何かと障害が多く死を最も身近に感じる時期でもある。学ぶより生きることに集中しなければいけない。

 今日はリンヴィル海尉を見送るため、王都シトレに流れるポーエン川の船着場を訪れた。そこには海軍の連絡船が待機している。

 神聖教会圏一の都と呼ばれたシトレは城壁や塔、高い建物が連なった外観でいかにもな大都市である。数多くの教会が鳴らす鐘が複雑に反響し合っている。

 少し前に都内で大砲が放たれ、騎兵が群集に突撃したとは思わせない。

「寂しくなりますね」

「ユバール海軍は強い。それよりランマルカ海軍は遥かに強い。海路を開かないとな」

 ウルロン山脈よりシトレを通って西大洋にまで注ぐポーエン川は普段より水位が低く、岸壁から船の甲板まで人一人分ほどの高さがある。山の水の凍結がいつもより厳しいらしい。

 隣の船では荷降ろしに苦労していて、船員達が笑いながら文句を言っている。

 金属の魔術で作った時計をリンヴィル海尉に渡す。ちゃんと動く。地上の時計と合わせてある。

「洋上で精確に動くかは分からないけど、あなたに持っていて貰いたい」

「この短期間で動く物を作ったのか……ポーリくん、君ならきっと何でも出来るさ」

 何か変な吐く音? が聞こえる。白い煙を吐いている燃えた船が……違う?

「船、火事?」

「あれは蒸気船だ。あんな亀みたいなのを船と認める気はないね。美しくない。あれを船と呼ぶなら犬だって馬だよ」

 亀みたいな船とは確かにその通り。帆も何も無く、船体の両脇についた水車を回し、煙を吐いてゆっくり川を下っている。

「どうやって動いているんですか?」

「あー、どうだったかな。蒸気機関ってヤツで種類が色々あるらしいんだが、まず水を石炭で熱して蒸気を缶に吹き込むんだ。その圧力で機械を押す方向に動かして連結した車を回してー、同時に連結したもう一つの機械は互い違いに引く方向に動くんだが、その動きの時も機械の繋げ方を工夫して車を同じ方向に回すんだったか? そんな感じだ。詳しいことは専門家に聞いてくれ。元はランマルカ人の技術で鉱山の排水に使っていたらしいが、良く分からん。色々間違ってるから真に受けるなよ。あとユバールじゃ紡績するのに使っているらしいな」

「紡績?」

「紡績ってのは糸を作ることだ」

 リンヴィル海尉が手を擦り合わせてよじる動きをする。

「あ、はい。なるほど、これかもしれません」

「ん? 時計が作れたんだ。まあ、似たような物ならもう作れるだろうし、じっくり取り組めば理想の何かも出来るだろう」

 見えたぞ、今までのものが頭の中で組み上がってきているのが分かる。

 呪具に蒸気機関を搭載する。余分な熱は術の触媒にする。排気もウォルが見つけた空気に呪術刻印を刻めることを応用して無駄なく使えるかもしれない。

 実用化は遠い。しかし”橋”の建材は揃った。あとは組み立てて技術の向こう岸に渡るまでだ。

「リンヴィル海尉、私は呪術人形に蒸気機関を載せますよ。ペセトトを越えなければならないんです。呪術より理術が勝ることを証明したい」

「それは……きっと君みたいな巨人になるんだろうな」

 岸壁の下にいる連絡船の船長が時計を見て、リンヴィル海尉に手招きをする。出港時刻のようだ。

 リンヴィル海尉は連絡船の船縁に静かに跳び乗る。出港時刻ギリギリにやってきた他の海軍軍人が係留柱から綱を外しつつ、船に跳び乗って竿で岸壁を押して船を離した。

 口を空に向けて白い息を吐く。実現するには道具も含め、時間を確保しなければならない。


■■■


 シトレからオーサンマリンに戻り、下宿に帰る。自分の足で急ぎめに歩けば数日内で往復出来る。

「ポーリくんお帰り。これ見て」

「はい」

 帰って早々、いつもと違って神妙な面持ちのロシュロウ夫人から受け取ったの物は召集令状である。

 令状には”オーサンマリン大学学生、徽章を持つ術士である諸君に……”と文言が始まっており、学生全員に配られたことが分かる。

 父に頼めばこの令状を取り下げさせることは可能だろう。しかしこの国難の時期、友が次々と戦地へ赴いているこの時にこれを断ることができるわけがない。

 呪術人形を超える理術人形の作成は難しくなってきた。

 集合日時は明後日の日付になっている。シトレに行っていたせいで時間の余裕が無いな。

「ロシュロウ夫人、帰ったばかりで早速なのですが教会に出かけてきます。直ぐに戻ります」

「はい、いってらっしゃい」

 召集令状を見たからか、何となくオーサンマリンの通りを眺めると若い男の姿が減っている。今まで家に引っ込んでいたような老人が外に出て働いている。

 カラドス聖王教会に行き、喜捨を箱に収めてから聖なる種が刻まれた壁に向かって跪いて手を合わせる。

 覚悟を決めなくてはならない。

 自分は戦争を出来るか? 出来る。ビプロルの豚は王の敵を食い殺すものだ。迷ったことは無い。

 理術の研究を捨てて戦争を出来るか? 戦地でも通用する技術を試せるし、見識を広められる。研究が出来ないと言うのは怠慢である。特に自分は金属を、呪具を何も無いところから作る。

 出兵しない理由は無い。

 するべき準備をしなくてはいけない。

 まず売官制度を使って地位を買おう。家格に見合う立場を買わねば秩序が乱れてしまう。

 術士徽章は貰ってある。術士の士官の地位を選ぶべきだ。

 士官ならば軍服も揃えなければ。こちらは時間が掛かりそうだ。

 神よ、私は成すべきことをします。

 教会の次は国防省の庁舎に赴いて人事課を訪れて召集令状と術士徽章を見せ、身分証明書と階級章を買った。これで今日から陸軍術士中尉である。

 資金不足で売官が積極的に行われているとは聞いたが、こうもあっさりだと恐くなる。注意されることも、覚悟はあるかと尋ねられることも一切無かった。ビプロル侯爵の威光のお陰だろう。

 下宿に戻ると、自分の体に合わせたとしか思えない術士士官の軍服が広い食卓の上に広げられていた。

「これは?」

「ポーリくんのお父様からご注文頂いていた品です」

「お父様が?」

「何時かこうなるかもしれないと仰ってました」

 軍服に袖を通し、中尉の階級章をつけ、術士徽章をつけ、つば広の術士帽を被る。剣を佩く。

「うん、ポーリくん強そう。カッコいいなぁ」

 前ならば自惚れそうになっただろうが、今ではロシュロウ夫人の言葉でさえも体に火を点けるには温度が足りない。


■■■


 中尉になった翌日、旅に必要な物を買い揃えた。馬に積む分の荷物もあるので量は多い。

 そして準備を終えた翌朝、召集されたオーサンマリン大学の学生や一般の若者が揃った広場に馬を連れて赴く。

 ロシュロウ夫人が見送りに来てくれた。学生や若者達にも恋人や家族が見送りのために集まっている。

 自分のように軍服を自前で揃えている者は少ない。大学出身の貴族でも準備が良い者しか着ておらず、また売官で階級を買って来た者は尚更少ない。

 今回の出兵する集団を引率する役目を負っていると思われる下士官のところへ行く。

「ポーリ・ネーネト術士中尉だ。あなたが私達を戦地まで引率する方か?」

「は、ギャトラン曹長です。引率するのは戦地の後方、オジュローユ公領までです。そこで基礎的な軍事教練を行い、前線に配備される運びとなっております」

 ギャトラン曹長は老人手前の髭の濃い男で、頼りになりそうな感じがした。退役軍人だろう。

「失礼ですが、ネーネト中尉は戦場に行ったことはおありですか?」

「無い。この場を見たら私より階級が高いものがいないようなのでね」

「なるほど、あまりに堂々としてらっしゃるので元軍人かと」

「この場合は私の指揮で、ギャトラン曹長の助言を貰いながら行動するのが道理かと思ったが、どうか?」

「それがよろしいでしょう」

 貴族の学生で階級有り、と無し。学生と一般の若者達。それぞれが仲間内で固まってはいるが、組織であるわけが無くバラバラになっていて引率も面倒そうだ。

「臨時で分隊を作って動きを統制したいと思うがどうだ?」

「正しい判断と思います」

 実家で見た民兵の訓練等を思い返してのことだが、上手くいくだろうか。

 まずは階級のある学生を集めてそれぞれに番号をつけて分隊長とした。元オルフ軍人という経歴を持つ四十歳を過ぎた学生、セバイル・キリリィ・ベフーギンがいたので彼を先任とした。

 それから人数を分隊長の数で割り、ギャトラン曹長の助言を貰いなが分隊を編制させた。

 それから近くの商店で紙を買って分隊表を作成して人員を把握。分隊長と分隊の隊員同士で自己紹介を簡単にさせて、覚え切れなくても顔と名前をある程度まで一致させる。

 分隊ごとに、美しくは無いが整列してギャトラン曹長の指導で簡単に行進の教練を行う。とりあえず縦に長い列を組んで歩ける程度まで。

 そして広場で見送りの観衆に見られながら、皆で縦隊を組んで出発に望む。

「ネーネト中尉! 本物の大貴族さんは違いますな」

「ギャトラン曹長の指導があってこそだ」

「私じゃ貴族さん達に命令してもあしらわれるだけです」

 見送りの軍楽隊に合図を送り、演奏を開始させる。

 ロシュロウ夫人が近寄ってくる。もう直ぐ出発、お別れになる。

 そして目の前の光景が信じられなかった。何を見ているのか神に問うことすらままならない。

 ロシュロウ夫人があろうことか何百何千という観衆の下、足首の方から衣装に手を入れて、捲れて――畏れ多い!――あらわな脚が見え、そして白い下着を脱いだのだ!

 意味が分からない。気がついたら顔に暖かく湿っぽく、そして匂い立つそれが!?

「これを私だと思ってね!」

 匂う、匂うぞ! 昨日今日穿いた程度の匂いではない!

 手に取る。本物か? 幻ではないのか?

 周囲の見送りに来ていたご婦人方も負けじと脱いで出兵する者達に渡し始める。ただ見物していたご婦人の中にも「欲しい子はいるかい!?」と下着を脱いで声を掛ける。

 皆に下着が行き渡った後、改めて軍楽隊が演奏する行進曲に合わせて我々はオジュローユ公領へ向けて前進を開始した。

 骨肉内臓全てが燃えている。


■■■


 皆、ご婦人方の餞別に胸等を熱くしつつ現地のオジュローユ公領ヴァイラードエローに到着。

 ここではユバール戦争へ投入する新兵、新米士官を教育している。

 同時に重要な補給基地でもある。王弟元帥がこのヴァイラードエロー一つを丸ごと住民から借り上げ、全てを兵舎や倉庫に変えてしまっている。この都市近郊の農村も全てであり、畑の上にまで天幕の群れが広がっている。

 兵士と将校、商人と娼婦。普通の市民がいない。子供かと思ったら娼婦か商人の見習い。

 これは後が恐い。オジュローユ公爵とはいえ、むしろだからこそこんなことをしてしまうとは。忠誠心の強いロシエ人ですら恨む。

 教育隊司令に到着の挨拶を行うと、何ということかここまでの指揮能力を評価して大佐に昇進、連れて来た部隊はそのまま指揮をしろと言う。

 部隊名はオーサンマリン大学術士連隊と、そのままの名称を貰った。急造連隊が多過ぎて番号をつけても混乱するからそうしているそうだ。

 このおかしな事態は自己紹介にネーネトの名を出したせいだろうか? それとも数多の将兵が恐ろしい勢いで死んでしまっているせいだろうか。

 その疑念は訓練期間は五日と言われて解消した。ロシエの巨大陸軍はどこかへ消えた。

 血のにじんだ包帯を短くなった右腕に巻いて、傷を見ながらしかめ面を作って喋る司令に抗議をする気力は沸かなかった。

 連隊副長として中佐に任じたベフーギンと先任特務曹長に任じたギャトランと手分けをして部隊を教育する。

 まず自分がしたことは読み書きが満足に出来るかの確認だ。士官とするなら書類、手紙のやり取りが最低でも出来なければいけない。

 学生出身は貴族でも平民でも全員問題が無い。そこから家格と年齢を加味した順に各部隊長、副長などを決める。人事は連隊長が責任を持つ。実力主義で人事を決めている余裕は無いのだ。

 ベフーギン中佐は若い頃にアッジャール朝の騎馬蛮族軍と戦ったことのある旧ペトリュク公家の男である。ハゲの小男だが戦を知っている貴族の中では年長者というのは心強い。

 ロセア元帥が発明した銃架式理術杖を使っての小銃射撃訓練をベフーギン中佐主導で、学生達、つば広の術士帽を被った貴族士官と平民下士官が、装填動作のみを行う。

 兵站部が言うには訓練用の火薬を出す余裕が無いそうだ。酷い話で、抗議をしようにも他の部隊の長に尋ねてみたところどこも同じらしい。

 これに加えてそれぞれが実戦に使えそうな呪具を作り出すが、量産出来るような物はなく、個人装備に留まって集中運用という技法は論外。ただし、どんな呪具を持っているかは正確に部隊長へ把握させるようにした。

 術士ではない兵士達の訓練はギャトラン特務曹長が行う。こちらも勿論火薬が無いので小銃射撃訓練は装填動作のみである。

 重点的に行われるのは縦隊隊形、密集隊形での行進と突撃の繰り返しだ。

「戦場で頼れるのは銃弾じゃない、銃剣だ!」

 術士士官も下士官もその訓練に参加する。勿論、自分も連隊長、大佐として先頭に立つ。

「密集隊形を崩すな! 突撃はビビった方が負けだ!」

 教養として貴族は剣を扱う。最近では、帯剣貴族は、扱うという風になっている。法服貴族出身の士官は剣が扱えないので、ベフーギン中佐の助言で棍棒を持たせた。

 剣を使うというのは特殊技能。それが無いのならば原始的に棍棒を扱うのが最適らしい。実戦を知る男が言うのならば間違いない。

「ロシエ兵の白兵戦は世界一だ! 年寄りの俺が保障するぞ! 気合だ! 気合さえあればユバールの逆賊共など恐るるに足らず!」

 迫力はあるがこれは自殺行為ではないのかと思う。戦場を見るまで分からないが。

 藁を詰めたズタ袋に対して銃剣を刺す訓練で重大な問題が発生した。とても簡単に銃身が曲がったのだ。

 熟練のギャトラン特務曹長が吃驚した様子で小銃の検品を急遽行った。

 古い小銃は多少歪んだり錆びたりはしているが、とりあえず撃って、銃剣で刺すだけならば問題無いらしい。

 だが新しい小銃の銃身の鉄、肉が薄くて脆いことが判明した。怪力ではなくても素手で折り曲げられ、何度も捻ると折れる。わざわざ鉄の量を誤魔化すような馬鹿な作り方をしているのだ。

 まさかそんな酷い物ばかりではないだろうと新しい小銃を全て検品したら特定の工房の型番の物だけがその酷い銃身だった。

 兵站部にその酷い小銃を突っ返しに行ったら他の部隊長も返品していて、驚かれなかった。

 いっそ槍と石弓でも配給して貰えないか?

 そのように言ったら既に他の部隊で配給済みらしい。今は急造中の槍か、それよりアテになる農具なら出せるという。

 こうとなれば自分の出番である。欠陥小銃を引き取り、金属の魔術で全ての銃身を補強した。

 術の疲労で貴重な訓練には参加出来なかったが何とかやり遂げた。


■■■


 余りにも短い訓練を終わり、オーサンマリン大学術士連隊はルクション領北部のダッセン攻略に加わる。

 ヴァイラードエロー、ダッセン、そしてユバールの王都ヘリュールーまではほぼ北に一直線だ。この線を確保出来れば反乱勢力を東西に両断出来る、らしい。

 新聞でルクション領は解放したと読んだ記憶はあるが、広報に関しては素直に捉えても仕方が無いのだろう。

 ルクション南部に入ると道行く民間人がロシエ国旗を振って歓迎してくれる。部下達も手を振り返す。

 しかしそんな歓迎より目立つのは、木に果実のように吊るされた首吊り死体と目玉をついばむカラス。そして頭を乱暴に剃られて不出来に、傷だらけに禿頭にされた女性。

 顔で見分けはつかないがロシエ系住民とユバール系住民の対立の結果か?

 道中では後方警戒の任務に当たっているアラック系の軽騎兵隊が役目の通りに、しかし残虐に住民の群れを追い回して刀で切り倒し、馬で撥ねて踏み潰して回っている。

 軽騎兵の隊長がこちらに、刀から血糊を払いながら近寄る。敬礼に敬礼で返す。

「ここいらの民間人は全員武装しています。絶対に油断しないで下さい! 女子供も民兵だ、殺しに来ますよ」

「ありがとう」

 警告してくれたわけだが、そんなに酷いのか。


■■■


 運が良いのか、民兵には遭遇せずにルクション中部に到着した。この民兵以下の練度に留まる我々が地の利に勝る敵に勝てる保障はどこにもない。

 戦地に赴くと同時に行進訓練も行い、連隊は縦隊を組んで行動することだけは間違いなく出来るようになった。また休憩中には実戦用として配られた火薬を使って射撃訓練も行った。

 行く道は地図を見ながら、そして目印のロシエの旗を見ながら行く。

 昼の休憩に丁度良さそうな位置に、ロシエの旗が掲げられている修道院が見えた。

 見えて、とりあえずの目的地はあそこだ、と少し足早になりながら進むと騒ぐ声が聞こえてくる。

 そして小さく騒ぐ姿の兵士が見えてきて、我々には無い連隊旗が掲げられている。

 見たことのある旗、あれは青年アラック=オーサンマリン連隊だ。

 近寄る度に臭いもしないはずの酒の臭いがしてくる。

 互いに顔を認識し、同じ――連隊として――オーサンマリン出身ということで再会となる。互いに手、手に取った帽子を振り合う。

 一体どこから掘り出したのか分からない程にその修道院の外、覗くと中にも酒瓶、酒樽が転がっている。

 自分と違い、実戦を良く知っていそうな大佐に敬礼、酒瓶を片手に返礼を受ける。

「オーサンマリン大学術士連隊、連隊長ポーリ・ネーネトです」

「青年アラック=オーサンマリン騎兵連隊の、ああ、騎兵連隊って俺は呼ぶぞ。ファンソル・ジュラニだ。この連絡線の警備をしている。学生ばかりか?」

「士官は私も含めて全員学生です。現役軍人は一人、特務曹長。元軍人は一人、連隊副長です。総員五百十四名です」

「おぉ、その割には動きはまとまってる。飲め」

 ジュラニ大佐が酒瓶を手渡して来た。飲むと林檎酒だ。

「ワインじゃないんだが、酔える。不味いが、たくさんある。この辺は悪魔の畑だな」

 我々のやり取りを見たからか、兵士同士でも酒のやり取りを始める。

 ウォルも林檎酒のことを悪魔の酒とか言っていた。単純に美味い不味いの話か。

「どこでこんなに?」

「反乱の鎮圧さ。そしてこれが戦利品。ワインがあればなぁ、持って来てないよな」

「突撃前に飲む用の物はありますが」

「それは要らん」

 酒を呷るジュラニ大佐。

 何かがおかしいのか、これが普通なのか。

 酒以外にも掘り返された湿った土の臭いが強い気がした。

「何か掘ってます?」

「おお、流石ビプロルの豚だ。臭いで敵を追った伝説は本物か」

「ええ、らしいですが、これは鼻が良くなくても」

「ああ、酒で鈍ってるかもしれんな。墓だ。ここの修道院の副葬品は結構良い」

「まさか」

「俺等だって給料貰ってればそこまでしない。だがな、田舎に送金しなきゃ家族を食わせられん奴だっているんだ」

 有り余る林檎酒を飲んでいるこちらとあちらの連隊の兵士達。これは今日の行進はここまでか。

「今日はここで宿営させます」

「それがいい。酔っ払ってここから北に行ったら民兵に殺される」

「ここから北ですか」

「この辺は大体、全部殺した。畏れ多くも王弟元帥閣下はレスリャジンの悪魔大王の戦い方を参考にされたのさ。実際開戦初期よりいいぜ、抵抗する住民がいなくて静かなもんだ。食糧も別の部隊に配れるくらい余る。いくら大軍をつぎ込んだって地元住民の数よりは少ないからな。今日は腹一杯食っていきな」

 暗く嗤うジュラニ大佐を見ていられず、ベフーギン中佐とギャトラン特務曹長を探して今日はここで宿営させると通達する。

 そして会いたかったような、ここで会いたくなかったウォルを見つける。

 一応立場もあるので、ウォルが首を振る方向、修道院の林檎畑の木陰に入る。葉も落ちて身を隠すようなところではないが、公的ではないと示す。

 正直表情の読み辛い黒人混じりの顔だと思ってきたが、はっきりと酔ってなければやってられないと疲れた顔をしているのが分かる。

「生きていて何よりだ」

「ああ、そうだがポーリ。ここはお前みたいな将来がある奴がいる場所じゃねぇ。俺達みたいなカスや貧乏人、あとは家が良いだけの馬鹿が死ぬ場所だ」

「そんなに酷いのか」

「もう寒いからなぁ、もうアレだ、大したことないが。前までそこら中に腐った死体が転がっててよ、見えなくてもやっぱり臭ぇんだ。蝿がそこら中飛んでて、太ったカラスやら犬やらネズミがうようよしてやがった。病気が流行るからって、俺達で道沿いの死体は大体片付けたんだぜ。これだけで連隊のそうだな、三分の一は病気で死んじまった」

「三分の一?」

「その時は何でこんなに死ぬのかなぁって思ってよ。ジュラニ連隊長、会ったか?」

「ああ」

「あの人、キレちまってよ。略奪して腹一杯食って飲んで病気にならないようにしようって方針変えたら、それから大体病気になっても安静にしてりゃ治ったもんだ。小麦粉焼いただけのパンもどきしか支給出来ない糞兵站部の糞がひり出す糞をアテにしてたら餓死しちまうぜ。王弟元帥もそうしてる、公表はしてないけどな」

「それで皆殺し」

「それで皆殺しだ。冬の蓄えってのは結構ギリギリなもんだが、何十万人って住民が何ヶ月も耐え忍ぶ量ってのはそりゃあそりゃあ膨大な量なんだ」

 正しいも間違いもここには既に無いのかもしれない。

「ところで、何で林檎酒は悪魔の酒なんだ?」

「だってお前、不味いだろ。飲んだか? 不味いだろ。ありゃ不味いだろ」


■■■


 二日酔いに苦しむ部下を連れ、民兵らしき人の影を見ながらも襲撃も無く前線に到着。

 長く黒く掘られた塹壕の向こう側にダッセンの都市、そして要塞が地平の上に盛り上がっている。

 一度陥落して奪還された様子は無い、気がする。ルクション解放は、南部解放という意味か。

 ダッセンの包囲司令官に着任の挨拶をした後に配置を知らされ、その位置に連隊を導く。

 配置された塹壕は掘削途中で放棄されたらしく浅い。部下達に隣に配置されている部隊と同じくらいの深さになるよう掘らせる。

 何をするべきか? まずはここで防御だろう。後は攻撃しろと言われたら前進か。

 まずはギャトラン特務曹長を中心に士官、下士官を集めて塹壕堀り、弾薬食糧を確保する部隊に分けた。

 自分は隣の連隊長へ挨拶をしに行く。

 しに行ったのだが、そこの連隊長は天幕の中で股に枕を挟んで虚ろな目で横になっていた。そして左の頬が大きく腫れていた。

「どうされました?」

 虚ろな目と目が合う。少ししてから彼は起き上がった。

「新任だね」

「はい」

「ユバール軍の兵器が凄いんだ。エデルトの軍事顧問がいるとは聞いたけど、本当に凄いんだ。人間は簡単に死ぬ」

「死ぬのが怖いと?」

「私もね、初めて戦うまでは死ぬのが怖いって分からなかったんだよ。凄く怖い」

 この連隊長、枕を抱きしめて幼子のようになってしまっている。見た目の年のころは五十に近く、見苦しい。

「君は兵士委員会というのは聞いたことが?」

「何でしょう? 分かりませんが」

「兵士が多数決を取って民主的に上官の命令に逆らうんだよ」

「まさか、それでは軍ではないでしょう」

「私もそう思う」

「民主という名の反抗、共和革命派の一部では? 憲兵は?」

「私もそう思う。憲兵はなぁ……」

 この連隊長、名前を聞くのも忘れたが、飲みかけの酒瓶を一気に呷って飲み干し、窒息しかけるぐらいに咳き込む。

「大丈夫ですか?」

「あぁ、すまん。憲兵はあれだよ、憲兵の隊長がね、攻撃命令を拒否した兵士達に。”いいかお前らこの腰抜けのお粥野郎共。擲弾兵だった俺が手本を見せてやる!”って言って突撃して死んだよ。君も周囲に合わせて行動しなさい。一つの連隊だけで攻撃したって死ぬだけだ」

「本気ですか」

「私もそう思う」

 この連隊長は布団に頭を突っ込んだ。

 連隊長の天幕を出て、改めてこの隣の連隊を見ると服装はバラバラ、好き勝手に食べて飲んで寝て、賭け札をやるか娼婦を連れ込んで騒いでいる。

 そこを憲兵の腕章をつけた兵士の一団が通過し、見てみぬふり。

 そして着任したばかりの我が連隊の兵に、手帳片手に筆記しながらあれこれと喋っている、おそらく報道記者がいたが、こちらは迅速に憲兵に捕縛された。

 夜になると、かがり火が焚かれて隣の連隊が歌って踊り始める。彼等の歌声を聞き取るにクレトゥ連隊というらしい。


  ロシエの勇者、クレトゥ連隊

  勇敢にも逃げ出し、雄雄しく隠れる

  死を恐れず戦わず、洗濯女に突撃する

  おークレトゥ! クレトゥ! 麗しの故郷

  畑は荒れ、女房は不倫

  家畜は全滅、息子は泥棒

  家は無くなり、未婚の娘は腹がデカい

  おークレトゥ! クレトゥ! 麗しの故郷


 クレトゥ連隊に割り当てられた塹壕には誰も防御配置になどついておらず、何時から溜まっているのか水溜りになっていた。

 ベフーギン中佐はその水溜りに境界線を作って漏水しないように土嚢を積んでいた。

「夜間まで作業、ご苦労。しかしかなり酷いな」

「こんなものでしょう。血の繋がった兄弟に殺されないだけマシです」

「そうだが」

「私は命を狙われてロシエまで古い血縁を頼って逃げてきました。アッジャールの侵攻の時ですね。父のペトリュク公が徹底抗戦を決断したその夜です。兄が父の頭を刀で叩き割りました」

「内戦の酷さは話に聞きますがこれは……」

「内戦だ。内戦ですよ連隊長。前王が退位されてから今まで内戦です」


■■■


 地平の向うに、薄い降雪の幕の向こうにダッセンの要塞が見える。

 塹壕からそこまでの平原には砲弾や銃弾が抉った後が見える。

 隣の塹壕の水溜りは夜中には凍るが、昼には融ける。どうも地下水が漏れているらしく、日に日に嵩が増している。

 この規律の消失したような空気に当てられ、悪い隣の先輩にも誘われて軍記に背くような兵士が我が連隊の中にも現れてきている。

 このまま雪が深くなって戦場が沈黙するのではないかと思った。

 太鼓と笛の音。初めは幻聴に聞こえた。

『ギュイダユバール! ギュイダユバール!』

 ユバールの旗を掲げた横隊が雪の向うから”ユバール万歳”を唱えてやって来た。

「敵襲! 敵襲!」

 見張りが叫び、連鎖するように部下達が叫び、攻撃されたとなったら流石にクレトゥ連隊も防御配置につき、飛び込んだ塹壕に溜まった水の冷たさに驚いて出る。

 包囲司令官の出した伝令が走って命令を伝えてきた。

 塹壕から出て、前進して迎え撃て、である。

 クレトゥ連隊は極端な例だったかもしれない。他の連隊が塹壕を乗り越えてダッセン側に出て横隊を組んでいる。

「オーサンマリン大学術士連隊前へ! 出ろ、ポーリ・ネーネトが先頭だ!」

 そう言って、ロシエの旗を持って塹壕を越えてダッセン側に出る。

 我々はまだ統率を失っておらず、部下達が続々と出て、整列して戦列を組む。そして勇気を搾り出すためにワインを配って飲ませる。

 中央に小銃と銃架式理術杖を持った術士の横隊。その両側に小銃射撃もままならない銃兵の縦隊。練度の足りない部隊向けの混成隊形である。

 ロシエ式横隊戦術、と呼ばれたものは我々には出来ない。

 反転行進射撃を行うことも、号令とは別に射撃する選抜射手も、戦列外に施条銃を持つ猟兵を配置することも出来ない。

 故郷で民兵、実質父の私兵だった者達はとても長く訓練して会得していた。

 他の連隊を眺めてみると、そのロシエ式横隊戦術、誰が呼んだか死の舞踏と呼ばれた戦術を実行する戦列をどこも組んでいない。

 敵の影が段々と濃くなって『ギュイダユバール! ギュイダユバール!』の声も強くなってくる。

 包囲司令官がいつ先頭に出るのか、一斉攻撃の命令はいつなのか、足並み揃えずに自分の連隊を前進攻撃させて良いのだろうか、全く分からない。

 風を切る音が鳴って、塹壕から出て並んだ連隊の兵士達が次々と砲弾に吹き飛ばされる。

 大砲の撃つ音が聞こえなかった。

 次には砲声が聞こえ、砲弾に兵士達が吹っ飛ばされた。悲鳴が段々と聞こえる。

 何の音を聞いているのか耳が正確に拾っていない。

 他所の連隊は命令があったか無かったか、『ギー・ドゥワ・ロシエ!』を叫んで突撃を敢行し始める。それに連携してか各連隊は足並みが揃っていないが次々と走り始める。

 そして我々も「ギー・ドゥワ・ロシエ!」を叫んで走る。”ロシエ万歳”!

 クレトゥ連隊も、我々の前進を見てから走り出した。

『ギー・ドゥワ・ロシエ! ギー・ドゥワ・ロシエ!』

 敵には小さな大砲の他に、巨大な銃程度の銃弾か砲弾のような弾を一斉に射撃する大砲もどきがある。それに撃たれると脚も胴体も引き千切られる。

 遥かに遠くから、たぶん大砲を撃つような距離からユバール兵は小銃を一斉に構えた。

 あっと思い、全身を金属の魔術の鎧で覆う。

 部下達が、訓練もロクにされていない兵士達が敵の砲弾銃弾に、刈られる草みたいに薙ぎ倒される。

 自分の体に何箇所も衝撃。このビプロルの体ではなかったら倒れる衝撃、足が止まる。

 止まってから一瞬の通り雨のようにボタボタと跳ね上がった血が降った。

 一瞬で何百人も肉を千切られて血に沈んだ。

 神よ、これは一体何なのですか?

「聖なる神に与えられしユバールの種が芽吹くこの土地」

 敵の大砲、大砲もどきが混じる歩兵の戦列に混じって、僧服の聖職者が混じる。手には真鍮の聖なる種を象った象徴があり、振りかざされている。

「己で耕し恵みの地にした信徒達よ! 友と家族と家と家々を邪悪な侵略者から守れ!」

 その聖職者の言葉、ユバールが正義にしか思えなくなってくる。

 ユバール兵の、大砲のように届く小銃は反転行進射撃で、幅と時間に隙間無く放たれる。

 敵の攻撃を前に立っていた者達のほとんどが倒れたか、伏せて生き延びた。

 そして『ギュイダユバール!』ともう一度喚声。

 軍服を着ていない、槍や手斧、棍棒を持った民兵が突っ込んできた。

 ユバールの兵も銃を使える者、使えない者が混じっているようだ。そのようなのだが部隊の使い方が我々とまるで違う。

 我々は馬鹿な原始人で、敵は文明人。そんな気もする。

 民兵を金属で固めた拳で叩く。ぺしゃんこに潰れた。

 槍先が金属で固めた体に当たる。軽く引っ掻く程度だ。

 オーサンマリン大学術士連隊総員五百十四名。死傷者数は分からないが、今立っているのは連隊長ポーリ・ネーネト大佐一名。まだ戦える。

 敵と味方を間違える心配は無い。潰して回る。 

「グヒィイ!」

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