第181話「意に沿わず」 ポーリ
全体的に不安な雰囲気。頭を使う午前の授業に集中するのが難しい空気。
家を出て季節も変わって早くも秋になる。葉が色付いて、落ちて物憂げに感傷的なことも手伝っているだろうか。
このオーサンマリン大学は国費とロセア元帥の私費、そして価値を認める後援者の寄付で成り立つ。
学長であるロセア元帥は新大陸にて軍務に就いており、批判してしまうが指導者不在で大学はこの有事に浮ついている。
現在の学長代行では頼りにならない。実際の働きを評価するほどに詳しくないが、精神的支柱ではないのは確かだ。
今の軍事政権から戦費を補うため、という理由で予算が削減されるどころか全額横取りされそうという、根拠がありそうで全く無い噂が流れていても先生方も拒否する雰囲気に無い。そのことについて雑談がてらに話した生徒に対して言葉を濁していたのを立ち聞きだが知っている。
ダンファレルがいない。いるはずの人間がいないと少し不安になる。彼は現在は休学中で退学予定である。
彼には大発見があって最近は大学におらず、国防省や陸軍関連の施設へ出入りしていると直接話を聞いている。また国防省の隣の、官僚相手に営業している料理店が裏口の方で野良猫に餌をやってネズミ避けにしているという話も聞いた。
その大発見というのがとんでもない物で、傷を治療する理術で呪具である。これは元々ダンファレルが使えた魔術であるがそれを呪具に落とし込んだのである。
ある魔術が使えるからといってその魔術と同等の呪具を作れるというわけではない。感覚としては掴み易いが、再現するというのは当たり前に難しい。それは大変な業績で術ではない”奇跡”のような話。
傷を治す奇跡を扱える者というのは神聖教会圏では非常に重宝されてきた。実際的に役に立つし、正に神の祝福の如き奇跡であって教会の権威付けにも使われてきた経緯もある。その権威付けを率先して行って来たのが、聖皇の影響が非常に強い神聖教会では一番の正道とされるアタナクト聖法教会。
傷の治療を呪具にしてしまったというのは非常に衝撃的である。聖皇から――先の聖戦軍との戦いより――距離を取ろうとするロシエの流れに”奇跡”のように乗っかってしまった。
ユバールのマルフレック”反乱”王が元アタナクト聖法教会の元僧侶という経緯も重なり、俺達ロシエ人はあの高慢な連中にやってやった、という盛り上がりになっている。
我がロシエはアタナクト聖法教会系ではなくカラドス聖王教会系にある。聖皇も重んじるが、それよりも聖王カラドスを実質的に重んじる。王家もその血筋であられるから思い入れは格段に違う。フラル人ばかりから選出される聖皇よりもである。
そして聖皇とは別に独自の聖人を認定することもあるぐらいに組織が違う。異端だとか多神教だとか批判されることもあるが、ロシエのために業績を上げた聖なる方々を貶めることは決してしない。
ダンファレルは英雄になりつつあり、死後は聖人にされるかもしれない。そして今、彼はその呪具を具体的な治療に使う実験を行っている。
単純な傷にならその呪具はそのまま使える。ただ複雑な骨折の場合は骨を繋ぎ直す必要があり、内臓の損傷に至る場合は体内の洗浄や千切れた部位の縫合などの事前作業が必要。
様々な負傷に対し、適切にその呪具を運用する方法をダンファレルは研究している。
呪具の形状や重量に費用を合わせた生産性と利便性の追究を行わなくてはいけないだろう。
治療術士――今考えた仮称――のような役職にある者への教育方法も定型化する必要があるだろう。
先はまだ長いがこれは間違いなくダンファレルの偉業だ。これならば今までの異常行動を取っても文句は言われまい。料理店の裏口で猫の集会に参加していても微笑まれるだけだろう。
午前の授業の終了間際、講堂に人が集まっているということで国防省の官僚がやってきた。
術士として、術士徽章を授与した上で従軍経験のある者を召集するという。一応、予備役規定に照らし合わせると合法の範疇である。
またこのオーサンマリン大学卒業者には陸軍大学術士学科修了資格を与えるらしい。タダでくれるから有難い話だよ、という口調でその官僚は言ったが、召集令状を送っても文句を言うなという意味でもある。
また理術研究において即座に戦争に有用なものについては賞金を出すと言う。貧しい学生達を奮起させたが、今学生達が続けている戦争に有用ではない研究を中断させてしまう懸念を自分は持った。
しかし国難とあらばこうするより他ないのだろう。
賞金がもし手に入ったらどうしようか。ダンファレルの支援はもう必要ないだろう。陸軍に援助するには額が少な過ぎる。
貧しい学生の生活を支援する基金を作るのが良いかもしれない。これで基金の土台を作ったら同窓生達を中心に寄付を訴える。資金の集まりが悪くても最低限の寝床、最低限の食事を出せる宿泊施設を作るだけでも環境が違うはずだ。副業をしないで学業に専念出来る者も増えるはず。
まずは自分の成果を出すことが先決だ。
■■■
昼の休み時間。食堂でいつもの自作の鉄の椅子に座る。
『聖なる種を世にお蒔きになった神よ。今日の昼餉に貴方のお恵みに預かることが出来ました。感謝の祈りを致します。この昼餉を祝福して下さい。この昼餉が体と心の糧となりますように。これからも家族、友人、知人、見知らぬ人々や戦地におられる方々にも糧がありますように』
食事を前にお祈りをする。ウォルは黙って目を閉じて手を合わせる。
お祈りを一信徒の自分が強制するものではない。ウォルは「そんなに喋ったら顎が疲れるからお前に任せる」と言う。心で唱えているということにしよう。ならば問題無い。
合唱し、自分ともう一人お祈りをするのはパラン=ライーヌ・リンヴィルという年上の海尉で、少年の時から南大洋航路の航海任務経験がある人だ。そして槍と秘跡探求修道会所属の修道騎士でもあり、異国での探検任務もこなしてきたという経験豊富な人である。因みに槍と秘跡探求修道会はエスナルのカロリナ挺身修道会系なので対立は無い。
ロシエ北部はカラドス聖王教会系が強く、南部のアラックや海を挟んだアレオンはカロリナ挺身修道会系が強い。そして双方は昔から仲が良い。聖王カラドスと第三聖女カロリナの物語は有名だ。
リンヴィル海尉と食卓を共にするようになったのは、自分が今座る椅子が発端。
この、自分が鉄の魔術だと思っていたものが鉄ではないとリンヴィル海尉が気付いたのだ。
まずこの正体不明の金属、錆びないのだ。比重は鉄とほぼ同じだが、触った感じは錆びた鉛の肌感に近く滑らかではないという。海軍出身としては腐食しない金属というのはとても興味深いらしい。
食事を始める。戦時でも料理の内容は変わらないが、やはり値段が上がっている。それから食材が足りなくて料理として出せないものも増え、代替食材を使ったような料理が出る。
真っ先に文句を口に出すのはウォルだ。
「米食いてぇな。この麦の煮炊きも美味いっちゃそうなんだけどよ、違うんだよなぁ。グっと来ないんだよグっと」
「こんな美味しい料理にケチをつけてはいけないよ。私が南大陸東岸で食べたのは……」
「おっと! リンヴィルさん、あんたの冒険飯の話は食事中にしないでくれ」
「む、それでは喋ることがない。しかしだね、我々学生から動員する気に国防省がなっているということだし、戦場では黒パンでもご馳走になるのだから先輩として食べる気になれば食べられる物を教えておきたいのだよ」
「俺は騎兵なの。海には出ないの」
「いやこれはパンの話だ」
「パン?」
「そうパン。保存食用の固い奴だ。それに湧いた虫で作った煮炊きがだね」
「おい海軍野郎てめぇ、人が何食ってると思ってんだ!」
麦の粒と、湧いた虫というのはコクゾウムシの幼虫か? ああ、それはいけない。
「まあ怒るなウォル=バリテスくん。それが美味かったんだよ! 食感を損ねないように半茹でにすると小さい海老のようなんだ。どうだ、美味そうだろう?」
「うるせえ野蛮人」
食後は、南大洋経由のパシャンダのお茶と、そして西大洋経由のポドワのカカオと砂糖を使った牛乳の氷菓。
穀物は値上がりが酷いが、こうした嗜好品は海路で安定しているのでそこまで上がっていない。
「どうだアラックの騎兵のウォルくんよ、こういう物は海軍様がいないと口に出来ないんだぞ」
「それは凄いですね、陸に上がった海軍様」
「それもそうは行かなくなってきたね。乗る船が決まったら私は休学して出ないとならない。若いのは銃後で勉強してなさい」
「俺も連隊に登録したんだ。そろそろだよ」
聞き捨てならない。ビックリしてお茶を全て飲んでしまった上に茶器の持ち手を折ってしまった。
「二人とも、出兵する気かい?」
「戦争となればその気じゃなくてもその気になるのがアラック人だ」
「乗りたくなくても軍艦に乗ってしまうのが海軍軍人だ」
筆を捨て、意に沿わずとしてもか。
「出兵する時は必ず教えてくれ。見送りに行く」
ウォルはニヤっと笑って腰に佩いた刀を軽く叩く。戦意十分ということ。
リンヴィル海尉は「これが私の武器だ」と大きめの懐中時計を取り出す。
「船の揺れでも誤作動を起こさない、極めて正確な洋上時計だ。時間を見て、太陽が南中高度に達した時の角度が分かれば船の経度が分かるんだ。緯度は天体観測、太陽や不動の極星で分かる。加えて私は光学の魔術が使えるから嵐でも観測出来る、自慢だ。さて陸の君達には分かり辛いかもしれないが、自分の船が今どこにいるか精確に把握するというのは航海の上で当たり前だが重要なんだ。何も目標物の無い洋上においては特に。私はこれの整備もやっているし、必要なら現地で作って見せる腕もある。若い時に槍と秘跡探求修道会で勉強したんだ。これは奥が深い。機械の可能性に奇跡を見ることが出来ると確信する」
そういって自慢の懐中時計の蓋を外して中身を見せてくれた。
「見るだけで頭が痛い」
とはウォル。
時計の中身は歯車や様々な部品が精確に連動しているのが分かる。
何だろう、これか?
リンヴィル海尉が分解を始める。
何か頭に、直感的に来ている。
分解が終わって部品を広げ、掃除をして油を塗って整備を行い、そして組み立てた。
その間に鉄の魔術で部品を再現してみる。難しいが、これが出来れば何でも出来る気がする。
再現した部品を、半笑いのリンヴィル海尉に手伝って貰って組み立てると、当たり前だが動きもしない。ぜんまいは多少回ったが、部品の摩擦が酷過ぎて駄目だ。
「一目でここまでやられると嫉妬するがポーリくん、そう簡単に真似されたら職人の立場が無いだろう。修行が必要だな」
■■■
午後の授業。呪具を扱い、開発する時は常に発想は柔軟に。
ウォルは騎兵、馬に乗る。リンヴィル海尉は海軍、船に乗る。
自分、ビプロル人は馬に乗れないと言われる。実際は違うが、馬の品種をかなり選ぶ。常人の三倍の体重を持つので大型の馬じゃないと直ぐに疲れてしまうのだ。
大昔は戦場へは戦車で駆けつけ、降りて戦った。甲冑姿だと大型の馬でも乗馬しての長距離移動は困難。甲冑を着る時代が過ぎた今ならば戦車ではなくても良いが、馬は移動手段であって騎乗して戦うものではない。
何か閃きそうだが、肝心な何かが足りない。リンヴィル海尉が見せてくれたあの時計の仕掛けの複雑さ。そして今までこの大学で見聞きしてきたもの。何か、影を捕まえたと思うのだが。
奇跡や魔術は、自分で自分が出来る術がなんなのか、形はどうあれ把握していなければ才能があっても使えない。
その中でも非常に把握しやい術がある。自らの体を癒したり、強化する術だ。
傷の治癒が尋常ではなくなる術は兵士の中から出現しやすい。
ダンファレルの叔父ファルケフェンの特星戦傷勲章は伝説的だ。普通なら死ぬような怪我でも翌日に復活して前線に立っていたという事実。父も彼のことは賞賛していた。
この傷の治癒の術は、怪我をしてそして死にたくない等という当然の意識が働き、術の発動に結びついたものである。そうとしか言いようがない。
強化する術もこの術の親戚のようなもので、ただ馬鹿力を生む術だけの人間は己の体を破壊して死に至る事例がある。
己の体を頑丈にし、尚且つ馬鹿力を生む術が使える者はとても優秀な戦士として歴史に名を残す。多くの英雄がそうした力を持っていたと怪力伝説から伺える。
呪具それ自体にこれら、治癒、強化、怪力の性質を付与出来ないだろうか?
呪術による損耗を熱に代替する手法以外には、呪具自体の治癒による質量復活かそれに類似する現象、そして素材自体の強化。呪具で動かす何かの素材を木材にしたとして、加工しやすく入手もしやすい木材自体を鉄骨のように強化できれば、作れる幅が広がりはしないだろうか。
とりあえず馬も無く動く車を作ってみる。
この鉄のような金属の魔術に呪術刻印を最初から刻む方法により、実験だけは誰よりも手軽だ。材料の準備と加工の手間が省けるというのは得難い能力。
車輪とは曳いて回るものだが、車軸自体が回っても同じことである。当たり前のようで、何となく発想に至り難いかもしれない。
曳く人も馬もいなくても車は動いた。しかし止める動くの切り替えが分からない。
悩む……時計? 歯車を噛ませる、噛ませないか!
動力を伝える装置、車軸の双方を繋ぐ歯車を嵌めたり外したり出来るようにする。あの時計の部品の数々を見ていなかったらこの着想は無かった。
乗ってみて車は自走した。車軸を左右に動かすようにすれば方向転換も出来るだろう。
ただし圧倒的に力が足りず、遅い。これなら人か馬で曳けば良い話だ。呪具ではあるが、理想の理術には程遠い。
やはりまだ何か足りない。
そのように実験をしていると、国防省のあの官僚がまたやってきて、賞金を出すに相応しい段階にある呪具を紹介するという。それらはロセア元帥が新大陸で発明した呪具。
銃架式理術杖といい、銃架の股の部分が呪具となっている。
滑腔式の従来の小銃の銃身内に、風の魔術で螺旋を施し一時的に施条銃と化し、更に火薬の爆圧が銃弾を押し出す効果を上げるそうだ。
射撃する様子を見せて貰ったが、確かに並の銃では有り得ない威力を見せて貰った。
魔術を直接は使えないが、こういう道具を使える術銃兵が既に前線で活躍しているという。銃兵の機敏さと、歩兵砲の火力を持ち合わせており、ユバール兵との戦いで役に立っているそうだ。
国防省でもそういう呪具を使える者を探しており、割合としては少ないが、ロシエという大きな人口を抱える国ならば十分な人数が揃えられるという。
扱う人数については苦悩しなくていいから開発を進めてくれ、と言っていた。
これを見た、特に貧しい学生達がやる気になっている。金を持ち合って「銃を買おう」「いや大砲だ」「まず火薬が」等と言っている者がいる。
義眼の呪具で、空を見ずにしかも昼に天体観測を行う実験で星座を紙に描くリンヴィル海尉が独り言のように「死人が出るな」と言った。
■■■
下宿には真っ直ぐ帰らずカラドス聖王教会を訪れる。
喜捨の箱にお金を入れ、聖なる種が刻まれた壁の前で跪いて手を組む。
あと少し、自分の考える理術に何かが足りない。影は踏んだが、実像が見えない。
そして様々な歪みはあれど、愛するロシエの国難に何も貢献出来ないとは苦しい限り。
神よ、我が魂、我が祖国をどうかお導き下さい。
■■■
教会から下宿へ帰るのだが、少し道を変えて広場に寄って行く。
「血税制度が施行されました! 税金未納者に対しては徴兵や労役の義務が生じます! また徴兵や労役に対する拒否者には極刑が適応されます! 皆さん、義務を果たしましょう!」
先触れが強烈なことを言っている。金が払えなかったら血で収めろとは、当然のことのようだが非常に摩擦を生むやり方だ。
血税とは昔は単なる徴兵制のことを言ったが、現行の徴兵制度に被せてくるとはどれだけ大動員をする気なのだろうか。
現行の徴兵制度では長男や家長は徴兵免除対象になっている。おそらくこの血税制度では税金の払えない貧しい家の長男や家長までもが対象になるということを指す。この物価高で貧しい者達は特に金に困っているこの時勢で、である。
逆にこの血税制度は金の無い者に対するある種の救済にもなっているのかもしれない。税金未納で処罰されるところを徴兵や労役で免除するという温情が出されているという解釈も一応出来る。
「新聞、一つ下さい」
「あ、おっきい貴族の兄さん! ありがとう!」
「いえ、どうも」
いつもの新聞売りの子から買い、広場で腰を落ち着ける場所を探して座る。
陸軍は快進撃を続けており、反乱軍が不当占拠するルクション領を解放。ニデベルン領のアースバンデ近郊の戦いでは大勝利を収める、等と書かれる。
後は諸将軍や現地の兵士から聞いた武勇伝等が羅列されている。悪意に満ちている敵を倒し、罪無きユバールの民を解放している話が続く。
ロシエが正しいことに違いはないが、どうも正義がクドい。父からは戦場は綺麗ごとで済まないと教育されている身としては真っ直ぐ見ることは出来ない。
新聞売りの子がこちらをチラチラと見ている。小銭を取り出すと寄って来たので渡す。
「実はね、この記事は軍からこういう内容で書けって指示が来ているんだ。戦地の話なんて聞けないし、ここの武勇伝なんて皆、用意された物を写し書きしただけなんだ」
「それは危険な発言だ。そこまで言わなくて良い」
「毎度どうも!」
そんなことは言われなくても分かっていると言わんばかりに、また新聞の売り込みに彼は戻った。
バルリーに関連する記事を読む。完全にバルリー共和国は征服され、周辺地域では難民が流れ込んで、そして何時レスリャジンの悪魔の軍勢が侵略して来るか分からずに混乱しているらしい。
国外に逃げ切れなかった住民は一人残らず生きたまま焼かれ、嬲り殺しにされ、妖精達に玩具のように虐殺された。
大公一家や主要な貴族、議員達のような要人達も死んでしまい、そして彼等は剥製にされて陥落して瓦礫と死体の山になった首都ファザラドの議場の席に座らされ、レスリャジンの悪魔大王とその妻子や将官も着席して記念絵画が描かれたと嘘のようなことが書かれている。嘘にしても誇張の仕方がおかしく、おそらく事実。
何故そんなことをするのか理解が出来ない。やれば出来ることなのだろうが、何故やるのかも分からない。何がしたいのだろうか? 外交的にもマズいのではないのだろうか?
記事を読み進めると悪魔大王はブリェヘム王国、フュルストラヴ公国、ウステアイデン枢機卿管領に対して領土要求すら行っている。
ブリェヘムは聖王の領域に属し、ウステアイデンは聖皇の領域に属し、分裂しているフュルストラヴ公領は双方に属す。双方に今牙を剥いているということになる。
分からない。先の聖戦軍の侵略の時に悪魔大王は聖皇側につく聖女に聖戦軍の傭兵として働いていた彼等が一体何時の間にどれほどになったのか。謙虚が麻痺するほどに高慢になれる武力を三年余りで手に入れてしまったということなのか? まるで神聖教会圏諸国全てを相手にしても平気だと言っているようだ。
無敗神話を更新中のベルリク=カラバザル・グルツァラザツク・レスリャジンという男、多くのロシエ将兵の目を抉り出した獣はどれ程凶暴なのだろうか? そして悪魔なりに話が通じる魔神代理領の一部であるという事実も重ね、まるで理解出来ない。このような者達を傘下に置いて魔神代理は平気なのか?
とにかく無残に散ったバルリーの人々に対して冥福を祈ろう。
推定虐殺人数は百万人を数えると書かれる。バルリー共和国での戸籍登録者の数が去年の統計では百十三万人だったという。途方も無くてどれ程の祈りをしていいのか分からなくなる。
目を閉じて手を組む。
神よ、苦痛無き後の彼等を永遠に守りたまえ。
■■■
下宿に戻り、新聞受けに公園で買った”長い耳”を入れ、商人向けの”帆と車輪”を取る。
こちらもユバールでの反乱討伐の記事が一面に載っていて、国内への影響は少なく、経済復活の兆しが有るとすら書いてある。以前の破産もユバール貴族の暴利が理由とも。
どこか裏読み出来るのではないかと隅まで読んでみたが、書き方が高度なのか、商業知識が無いといけないのか、軍に都合良く書かれているとしか読めない。
「うーん」
今度はフラル語で書かれた”フィロブラン通信”を読む。ちょっと日付は古い。
ロシエ情勢の混乱が中立的に書かれるが、余り突っ込んだ内容ではない。読み進めるとこれは、各国貴族の婚姻や出産の情報が中心的で、貴族社会の血縁関係を頭に入れておく必要がある上流階級のための新聞だった。親戚の結婚話も書いてあり、ロシエにも手広い。
読む物を間違えたか? 自分も社交界に妻を伴って出るようになればこれくらいは読まなければならないが。
何となく、前触れなく。
「まん丸おめめのポーリくうーん」
とロシュロウ夫人が頬を軽くつねって来た。
神よ、我が聖女のこの手が救いなのだろうか?
「ね、夜になったら宮殿の劇場に歌劇見に行こうよ。夫がいないから付き添いがいなくて困ってるの。困ったおばちゃんを助けてくれる良いポーリくんがどこかにいないかなぁ?」
ニッコリ笑ってロシュロウ夫人が誘ってくれる。
「勿論、喜んで」
否応も無い。
「やった! ここにいました!」
ロシュロウ夫人が胸、いや体格差的に腹に飛び込んできた。
「デッカいお腹ぁ」
心臓が爆裂しそうだ。
■■■
夜を待って、正装して宮殿に併設された歌劇場へ向かう。
歩いて行ける距離なのでロシュロウ夫人と腕を組みながら――肘だと高過ぎるので手首で――虫が鳴く道を進む。
自分達のように腕を組んで男女連れ立って歩く者もいれば、多少の遠方から馬車で来る者まで。
外はもう肌寒い程だが、自分は高炉のように熱い。汗を掻きすぎて夫人を不快にしていないだろうか?
「今日の演目はアルコ王。ノナン様が後援しているパントローズ座が出張してくれてるのよ」
「オジュローユ領からわざわざですか。大変でしょう」
アルコ王は神聖教会設立以前の古代王国を題材にした歌劇。ノナン様とは王弟夫人。オジュローユ公領はオーサンマリンより遠く、ユバールと面していてほぼ戦地である。
平民から貴族まで入り混じりながら宮殿の劇場に入り、払わなくても良い寄付金を払って高いところから劇を見下ろせる階上席に座る。
下の席には物乞いのような格好の者から軍人まで詰めかけ、自分達の居る上の席には商人から僧侶までいる。
入場が締め切られ、そして国王夫妻と王弟夫人が天井に近い一番の貴賓席から顔を出すと同時、雑談したりうろうろしていた観客が止まって、国王陛下に向かって姿勢を正して最敬礼。陛下が手を挙げ、もう良い、と合図をしたら皆舞台へ注目。
舞台の大幕が開かれ、古代風の衣装を着た演者が一列に並んでいる。
「偉大なるロシエ王、我等の父、守護者セレル八世万歳! 陛下とお妃様を我々が今宵、別世界へといざないます!」
列中央の座長らしき男が仰々しい喋り方と身振りで芝居を兼ねた挨拶を行い。陛下が拍手をしてから観客皆が拍手。
この宮殿劇場は陛下の財産であり、運営は陛下が行う。それなりに他の劇場とは作法が違う。
そして舞台下の合奏団指揮者が陛下に最敬礼を行い、序曲の演奏が開始され、一端舞台の大幕が閉じる。
そして再び大幕が開いた時に歌劇の本番が始まる。
最初は喜劇のように明るく、笑いを取りながらアルコ少年の宮廷での生活が演じられる。
次に父王の事故死と、王位継承争いの話に入る。
王国は分断され、母とアルコ王の南王国、妹の夫である外国王の領土を合わせた北王国に分かれる。
南北で暗殺者を送りあって、母が死に妹も死に、アルコ王と外国王の戦争が始まる。
そこからの長い戦争の末にアルコ王主導で王国は復活。アルコ王は妹の娘、妹と瓜二つの姪と結婚して話は終わる。
今回のユバールとの戦争を想起させロシエ主導で終わるべきという雰囲気が作られる。今日この日のために物語に調整が入っているわけではないが、意図はしている。
そして歌劇が終わった後、王弟夫人が舞台に立って国難と国債の購入を訴える。
細工のように儚げな方で、か細い声を目一杯張り上げて劇場に響かせる。まだ十六歳になったばかりで子供もいない。
前王が四十一歳。現王が二十歳、王弟が十八歳。何れも若い、若過ぎる。
ノナン様の手、そして衣装に隠れている足も震えているのが見て分かる。倒れそうで恐い。そのような役回りを得意にされる方ではないのだろう。
■■■
早朝。町の大通りで行われる青年アラック=オーサンマリン騎兵連隊の出兵式を見に行った。
見送りの人間は人の少ないオーサンマリンにしては集まっている。普段は表に出ない、先の聖戦軍の戦いで悪魔大王に目を抉られた廃兵達も外で声援を送っている。
彼等は奇抜な格好をあえてする。帽子には飾り羽が三つも四つもついている。軍装は派手で左半分が赤、右半分が黄色。そして各々出身地の紋章を背と左胸に縫い付けている。加えて左肩には軍装の赤より鮮烈に赤いマント。腰帯はそれぞれ好きな色と柄である。
あの暴動に参加していた連中など、このオーサンマリン周辺にいたアラック人が連隊を編制して戦地へ赴く。
ウォル=バリテス・リュッサディールもその一人。彼の下宿先の方も退役軍人だったが出兵するそうだ。
「その格好をしている君に言うのは変だが、大学はいいんだね?」
「世話になったなポーリ。”魂を燃やせ”だ。アラック騎兵は燃えてこそだ」
「燃えカスみてぇな面しとるがな!」
「うるせぇ死に損ない!」
「ヒィアッハハハ!」
下宿先の退役軍人の老人が高い声で笑う。
馬に乗り、伊達に決めた彼等との別れを惜しむ家族、友人、恋人が口付けや抱擁をし、餞別の品を送る。
ウォルには、鉄のような魔術で作った聖なる種を模した首飾りを贈る。
「男からかよ!」
ワザと嫌そうな顔をして、笑いながらウォルは首飾りを首に掛けた。
「神はいつでも我々の話を聞いて下さる」
「聞くだけだろ?」
「あとは君次第だ」
「そうかよ」
騎兵のラッパ手が出発の合図にけたたましく吹奏する。
「ギーダロッシェ!」
連隊長の喚声に合わせ、騎兵達が刀を抜いて閃かせ、天に向かって拳銃を発砲する。
『ギーダロッシェ!』
「おっとじゃあな、ポーリ。ギーダロッシェ!」
連隊が前進を始めた。ウォルも馬を進める。
「生きてまた会おう、ウォル=バリテス。ギー・ドゥワ・ロシエ!」
■■■
出兵式に出たので大学の午前の授業は中途半端なところから受けた。昼休みにリンヴィル海尉に聞けなかった授業の内容を教えて貰う。
そして午後の授業。最後の欠片が埋まりつつある。
ロセア元帥が大学にペセトトの呪術人形を複数送って寄越したのだ。
その起動と、解体も行われた。図面にも起こされて、その詳細が目に見える。呪術刻印の解析、説明はロセア元帥が論文をつけてくれているので先生方も勉強しながら教えてくれる。
我々の不完全さと、ペセトトの長い呪術の伝統の深さを思い知らされた。だが今から向かうその先、光が見えたのだ。暗闇を手探りで進む時は過ぎたのだ。
影ではなく実像が見えた。
これが人工の魂を持つ、呪術の最高傑作! 呪術人形の動く姿の優美なこと、生き物と遜色無い。
神よ、今日この素晴らしき日に巡り合わせて頂き感謝します! 祈りが届いた。
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