第180話「死を恐れず」 大尉

 援軍を得られないことが分かったアラナ軍は嵐が収まる前に速やかに、野戦築城した陣地に連れて帰れない程の負傷をした兵士達に武器を持たせて殿部隊とし、後退。

 折角の儀式の相手を簡単に逃がすわけもなく、新しい将軍の決まったペセトト軍は追撃する。決死の負傷者と、ほどほどに抵抗したら逃げる軽歩兵の組み合わせによる殿部隊が一時その足を止めた。

 アティトゥン川の向こうで、嵐によって荒れた川と疲労困憊した兵により行動不能なユアック軍は追撃に参加しない。ユアック将軍は援軍の出現という演出でアラナ軍の士気を挫くのが最大の目標だったため、それは既に達成されている。

 川沿いにアラナ軍は何度も決死の殿部隊を残して歌い踊るペセトト軍の足止めを行い、数を減らしながらチラテナ市内まで逃げ切った。

 それから嵐が晴れ、海上の波も何とか、大型船ならば出せるようになってアラナ軍の一部が海路脱出を始めた。まだ残存している敵の状況が知りたい。

 状況を探るにはチラテナに入るか、まだ荒れる海から迂回して覗くか、空でも飛んで上空から見るしかない。

 気球の装備は無く、チラテナの城壁は防備が固く偵察どころではない。必死の、そして錬度も高いアラナ軍の兵士達は警戒に抜かりは無い。

 ペセトト軍の新しい将軍、名前は良く分からないが、偵察等はする気が無いようで”狼”の翻訳で話したが「最後に食べ、寝たら笑いの神ラカタカルのお力を借りて死の踊りを終える」らしい。

 その後到着したユアック軍は、ペセトト軍の後方で攻撃配置の攻撃縦隊陣形を三つ組んで休む。大砲はアラナ軍が鹵獲した物が少数あり、あとは小銃と銃剣と梯子で何とかする心算らしい。

 ようやく顔を突き合わせたユアック将軍には三人の内二名の射殺を報告し「同志大尉の軍務遂行能力は抜群である」と賞賛を受ける。そしてブロルーリャ将軍がチラテナにまだいるのならば突撃前に射殺することを望まれる。

 最後の目標であるブロルーリャ将軍の所在が知りたいが、もう船で出ただろうか? それとも責任を持って最後までチラテナに残るか? ”狼”は良きエスナル将校なら間違いなく最後まで残ると言う。

 決死の覚悟で殺害に向かうにしても、本当にいるかどうか確認しなくては動けない。兵士としての義務、同士エイレムとの……何だ? 言語化し難い何か。捨て身の戦いを行う気は無い。

「うーん……! うむうーん! ぬうーん!」

 唸りながら望遠鏡でチラテナの城壁を隙無く見る。陸側は無傷。警戒する銃兵砲兵は定期的に交代を行って集中力を決して切らさない。海に出て沖合いから観察するには波が荒い。第一、船が無い。

「ヤーン。ヤウーン。ヤムーン」

 ”猫”が唸り声を背後から真似している。これは中々に馬鹿にされている。

「ヤン、ヤ、ヤン、ヤ」

 体格の割りに肉厚な掌で背中をヤンヤされる。明確に馬鹿にされている。

 望遠鏡を降ろす。解決、諦めるのは時間の問題か。

 ”猫”が望遠鏡を引ったくり、前後逆に見て「ヤー?」と首を傾げる。それでこっち――非常に小さく見えているはず――を見ながら、探るように腕を伸ばして上げ「ヤン」と頭を叩いてくる。今までにないくらい馬鹿にされている。

「ヤン」

 ”猫”の頭を叩く。

「ヤン」

 ”猫”が頭を叩き返してくる。

「ヤン」

 ”猫”の頭を叩き返す。

「ヤー!」

 ”猫”が顎を叩き返してくる。気付いたら倒れていた。視界がおかしい、見辛い。頭が変に痛い。脳震盪?

 仰向けになる。曇り空が変に見える。白と灰色、目が少しくらむ、黒、影? 風、風圧に、柔らかい何かの匂い? 鳥?

 静かに巨大な鳥? が着地。羽毛は花のように極彩色。羽毛の頭髪、尾羽が長くて流麗。

 鳥なのに鳥じゃない顔。視界一杯に白目の無い金の目。顔の造りはあの生贄に捧げられた花の巫女で間違いない。

「生きてたの?」

「大尉さん、うーんー?」

 生肉を食べた後の血腥い息を自分にかけて花の巫女が喋る。何を唸っているのか? か。

 傍に置いてある鞄からブロルーリャの絵を取り出して彼女に見せる。

「人間の男」

「チラテナに彼がいないか見てきてくれないか? 空からなら安全だ」

「ふんふん」

 鼻歌混じりに「フーララー」と花の巫女、”鳥”に近い亜神が羽ばたいて飛び上がるに合わせ、身を縮ませてから一気に伸ばして”猫”が”鳥”に跳びかかり、失速反転する”鳥”に”猫”は胴体を足で掴まれて運ばれ、昼寝をしている”狼”の上に投下され「おわ!?」と反応した”狼”が”猫”を抱きとめて転がって衝撃を逃がす。

 望遠鏡で”鳥”を追う。上空でクルクルと、羽ばたき、翼を広げ滑空、畳んで急降下、風に乗って頭を上げて輪を描いて踊っている。気分が乗ってきたか、歌声とも鳴声ともつかない不思議な声で歌い始める。敵も味方も自然に、雑談や手作業も止め、空の彼女を見る。

 ”鳥”は長い間チラテナの上空で歌い舞い踊り、そして自分のところへ降りてきた。

「その人間の男、見に来てたよ」

 握手しようにも”鳥”は手である翼を畳んでいる。代わりに彼女の肩に手を置く。歌と踊りは屋内にいるブロルーリャを誘い出すためか。

「感謝する。軍務遂行の一助となった」

「んー?」

 ”鳥”が顔で、肩に置いた自分の手を挟む。握手の代替手段。

「港に停泊している船はどのような様子か聞きたい」

「大工さんしてたよ」

 最後の脱出用の船は修理中で、そして撤退指揮にブロルーリャ将軍は残っているという状況か。ユアック将軍に報告したい。手が抜けない。

「君、僕はユアック将軍に先程のことについて報告しなくてはいけない。それと手を挟むのを止めてはくれないか」

「やっぱり似合うよね」

 ”鳥”が見ているのは花の形に研磨された翠玉の首飾り。手が抜けない。亜神の筋力はとても高く、抜ける気配がしない。

「君の贈り物は有難く受け取った。今後とも不都合無ければ身につけている予定だ。僕は報告に行かなければならない。これは重要なことなのだ」

「久しぶり!」

 ”鳥”が異形の体、そして元と余り変わらぬ顔で笑って再会の言葉を告げる。捻って、空いた手で挟まれた方の手首を掴んで引いても抜けない。

「久しぶり。僕はあの儀式で君が死んでしまったのだと思ったけど、ペセトトの神に類する何かしらの力でその体を得たようだね。敵の将軍がいることもそうだが脱出用の艦隊を修理中というのはとても大事な情報なんだ。伝えにいかないと行けない。分かってくれないか?」

「お腹空いた?」

 ”鳥”が自分に空腹か尋ねる。このような屋外で長期に渡って駆け回るような任務の場合は空腹や喉の渇きとの戦いにもなる。食糧は機敏な”猫”が移動中にも獲ってきてくれるし、”狼”は身体能力に優れて保存食糧や飲料水を多めに運んでくれる。ならばいっそと、”鳥”の胸に両足を当てて全身の力で引くが抜けない。これ以上は手を怪我しそうだ。

「僕は大丈夫だ。仲間の”狼”くんと”猫”くんが助けてくれているから栄養に不足はない。警告する、これ以上の軍務妨害に対しては武力を行使する!」

「その言葉は分かんない」

「”狼”くん! ”狼”くん早くこっちに来てくれ! 現状の打開を望む! 早く来てー! 早く来てー!」


■■■


 ”狼”の説得後、”鳥”から解放された。そして”鳥”に背中を頭で意味不明に突っつかれながらも何とかユアック将軍に偵察情報を伝えた。

 ユアック将軍は”鳥”にペセトトの言葉で感謝を表明した。ちゃんと言葉が伝わっているとそれに対する返事はしっかりしたものであった。こちらでの勤務が長引きそうだから少しずつ覚えている心算だが、この”鳥”のおかしな行動を止めるにはまだだ。

 ブロルーリャ将軍は一先ず置いて、次の目標があるとすればおそらく合同して作戦中のロシエ領のポドワ軍。チラテナで何も出来ないようだったらプトゥミルかクレイツァに先行して標的に足る敵高級将校等を発見して可能なら殺害して有利な戦場を用意して来て欲しい、等との命令を受けた。勿論、ユアック将軍が保有するポドワ軍に対する情報を開示して貰いつつ、また似顔絵を見せて貰いながら。

 絵師に似顔絵の写しを作って貰っている間に、”狼”と”猫”が狩って来た七面鳥が丸焼きにされている姿を眺めていると、ペセトト軍の方が異様に騒がしくなる。

 彼等戦士は汗で落ちてきた戦化粧を塗り直してから幻覚キノコを食べ、激しく興奮した動物のように奇声を上げながら踊り狂い始めた。演奏も早過ぎて滅茶苦茶。

 これが笑いの神ラカタカルの死の踊りか? 我々の”笑い”とは意味が別なのかもしれない。

 確かに皆、踊る者は笑っている。しかしこれは喜んだり楽しんだりしている笑いではない。凶暴性の塊だ。これから残虐に殺してやる、という笑いだ。

 皆、疲れを無視したように踊り狂う。”鳥”があのように狂乱して悪戯しにきたら命に関わりそうだ。亜神の身体能力と、容易に骨肉引き裂きそうな足と爪を見ると恐ろしい。

 踊りを見ていると足がもつれて転んだ者が現れた。それを見た戦士達が発狂するかのように大声を上げ、それが連鎖して踊りが止む。

 転んだ者を皆で寄って集って持ち上げ『ラカタカル!』と神の名を叫んで、チラテナの城壁の方角へ運び、最前列に立たせる。

 神官が転んだ者を全裸にして、その頭に天辺が燃え盛る兜を被せ、腹の一部を裂いて腸を引っ張り出して切って腹に巻いて結ぶ。最後に両手に花束を持たせる。もう意味が分からない。

 転んだ者、ラカタカルの神に選ばれた者は、頭の炎と両手の花束をなびかせて「キィア! キィア! キィア! キィア!」とペセトトの”死”という言葉を連呼して城壁へ向かって跳ねるように全力で走る。

 城壁上と銃眼に配置されたアラナ兵が、この異様なラカタカルに選ばれた者を小銃で繰り返し撃つが外れて土が弾け飛ぶだけ。そして遂には城壁に頭を躊躇いなく勢いのままに打ち付けて崩れ落ちる。

 ペセトトの神官、戦士達は声がかすれて出なくなるまで狂ったように叫ぶ。何万という者達がそのように叫ぶものだから耳も頭も痛い。嫌がる”猫”は鞄を空にして被った上で耳を塞いでいる。

「”狼”くん、これは何?」

「ツィツィナストリの神のもう一つの神格ラカタカルにこの戦いについて問うたんだ。結果は途中で力尽きずに城壁まで走って頭をぶつけて死ぬ勢いがあったから、望んだ通りになるって神託だな」

 望んだ通りとは何か? 腐るより、踊って死ぬことか?

 ペセトト軍が一斉に、隊列も何も、梯子のような簡素な攻城兵器も無く突撃を開始した。

『キィア! キィア! キィア! キィア!』

 ギャアというペセトトで勝利を意味する言葉は既に聞こえない。アラナ軍が迎撃に鳴らす銃声、砲声も賑やかしの一部に過ぎないと思わせる。

 門を狂ったように戦士達が棍棒のような鋸剣で殴り続ける。

 死体だけではなく生きている戦士も重なり、崩れぬよう固定する杭代わりの槍を肉に差し込まれて階段の一部になって、後続の戦士達が城壁を登る。

 死を恐れず、などという言葉は生温い。恐怖の余りに泣き叫んで城壁の守備から逃げ出すアラナ兵も見られる。

 城壁を登った戦士との激しい白兵戦後に逃げる姿もあれば、殺しても殺しても凶暴に笑った顔のまま死体を駆け上る姿に肝を潰されても逃げる姿も両方ある。

 これは勝った戦いだと思う。だがこれを黙って見ているのも同盟の兵士としてはいかがなものだろうか。

 ”鳥”は思いのほかこちらの言葉を理解していないので”狼”の通訳で作戦を検討する。

 両肩を掴んで飛んでもらい空からブロルーリャを狙撃する。この恐怖の突撃の中、司令官戦死とあれば総崩れだろう。捨て身のペセトトの戦士達とはいえ、被害をある程度抑制する手助けをするのは同盟の義務と考えて間違いない。

 ”鳥”は大型な上に今までの挙動を見ると大変機敏なので期待が出来る。

「風に乗れば長く飛べる。ずっと羽ばたいて滞空するのは難しい、らしい」

 とのことだ。波は荒いが風は大分収まっている。呪術弾を使用しての撃ち下ろしならば、飛翔の揺れも誤差範囲内か。即死は狙わなくても、腕に脚に当てて指揮不能にするだけでも良いか?

 まずこれは通常有り得ない狙撃。まずは撃とう。

 ”狼”が縄で”鳥”が自分を掴み易いように縛る。縄との緩衝に寝具を股間に当ててそこで主に体重を支えるようにする。

「こういう縛り方したことないからかなり痛いかもしれんぞ」

 ”狼”が片手で自分の肩のところの縄を掴んで持ち上げ、上下左右に振り回して縛り方が正しいか確かめる。時々縄に当たるところが痛いが、我慢出来る程度。腕と脚に首も自由に動かせる。

「ヤッヤッ」

 振り回される自分を”猫”が追って足先を殴ってくる。

 吊るされたまま狙撃眼鏡を外した小銃を構える。両足の親指の付け根辺りで銃身を挟み、右で銃把、左で銃床の底の方を掴む。

 本国で撃っていた時は狙撃眼鏡なんて装置は使っていなかった。

「行けそうだ」

 小銃への火薬、呪術弾、落下防止に唾で濡らして丸めた包み紙の装填を行い、雷管を付ける。そして跳び上がった”鳥”に足で肩の縄を掴んで貰い、忙しく羽ばたき空を飛ぶ。

 当たり前だが空を飛ぶのは生まれて初めてだ。気球に乗る機会は今まで無かった。

 ”鳥”を見ると反射的なのか、縮んでから跳び上がる”猫”を”狼”が掴む。

 地面が遠くなって、今まで見ていた物が等しく小さく見えるようになっていく。小さな点になった妖精と人間がワラワラと動き回る。

 害虫のように城壁に群れるペセトトの戦士が見える。

 壁内の市街地には少数の、簡単に迎撃される程度の人数だが戦士達が浸透しつつある。それから港の修理中の船が見え、中には修理を切り上げたのか出港準備に移る船も散見される。

 空中からの狙撃姿勢を取る。”鳥”がチラテナ上空を旋回しているため、ブロルーリャを見つけた瞬間に撃たないと見逃す。小銃を構える少しの動作で視線が大きく揺れて、目標を見逃す。

 敵の顔を見る……見れない。皆、体の造りの通りに顔を横に向けているので見えない。上空からだと服の違いもわずかで、見分けるのも難しい。そもそも今の悲惨な状態でブロルーリャが軍服姿でいるかも分からない。余裕の無い状況だと服装規定も甘くなろうというもの。

 歌声とも鳴声ともつかない不思議な声で”鳥”がまた歌い始める。

 敵に注目される!? 何を馬鹿な! 抗議の言葉も通じるか怪しい。言葉を出せば更に”鳥”だけではないと注目される……いやこれは、良くやった!

 見えた、空を見るブロルーリャの顔! その顔を当たるまでの弾道を頭に描いて呪術弾に送る。それを察知したからか”鳥”が羽ばたいて滞空を始める。左右前後に弱く、上下に強く揺れる。この揺れは難しい。

「一定方向に流して」

「ルー、その言葉は分かんないラー」

「右、少しずつ……グルグル」

 右に強めに流れ、上下揺れが収まって丁度ブロルーリャの頭上を旋回する形になる。一定方向にだけ照準がズレ続ける方が予測が出来るから前よりかなり良い。

 言葉が通じないだけで”鳥”は勘が良い。

 銃身に当たる靴を滑らせ微調整、息を吸って膨らませた腹から息をわずかずつ抜いて微調整、息を止める。引き金を、撃鉄が落ちる寸前まで絞る。

 恐ろしい戦士達の突撃に、アラナ兵達は一度は我々を見上げるものの直ぐに興味を失う。”鳥”も歌を直ぐに止めた。

 ブロルーリャ、その頭の一部が禿げる程の傷跡は目立つ。

 最後まで引き金を絞る。負傷者を優先して船に乗せろ、そのような手振りをしていたその頭を割った。

 ”鳥”が旋回を止め、風に乗って飛ぶ。歌を始める。

 ブロルーリャの死にアラナ兵達は気付くが、我々が空から撃ったとは発想にも無かったようだ。

 目標の三人を射殺することに成功した。死ぬ気で突撃しなくても、機会を待てば出来るものだ。

 ”鳥”は降下する様子を見せず、また歌い始める。

 閃光が走ったかと思えば、城壁の砲台が自爆し、石と木と戦士の砕けた欠片が弾け飛ぶ。そして死の踊りの前進が鈍るかと思われたが、違う。

 崩れて登る場所が増えた城壁へ戦士達は怯えの兆しも見せず、燃え盛る炎を無視ではなく、率先して突入して焼け死んでいく。己の血肉でその炎を消しに行っているのだ。信じがたい光景。

 肉と血によって炎が鎮火されていく。炎上を促す為に油でも撒いたような燃え方だったが命を知らぬ戦士達の血肉の消火でほぼ消えた。

 何万もの戦士、凄まじいほどの死体の山を築き上げても後続がいる。

 チラテナには無数の戦士達が侵入に成功している。いかような罠を巡らそうとも、命を知らぬ戦士の群れに抗うことは不可能だろう。

 市街地でアラナ兵は障害物を並べて道を塞ぎ、密集隊形で小銃を並べて一斉射撃を繰り返す。撃ち倒される勢いより強く早く戦士達が障害物に突っ込み、その死体、まだ死んでいない戦士を足場に乗り越えていく。

 薬品や歌に踊りで自我を失ったような彼等は痛みを知らず、恐怖は感じず、負けは無い。

 歌う”鳥”と、戦士の死体が折り重なってアラナ兵を殺戮して食べる姿を遊覧飛行するように眺めている。上空から狙撃支援でもしようかと思ったが、そんなお節介はせずとも勝利は確実だ。

 修理を終えていない船に乗ってアラナ兵達が荒れた海へ乗り出す。市街地に残る兵士達は最後の、決死の殿部隊か。

 しかしその犠牲の甲斐も無く、港を出ない内に湾内に沈み出す船がいる。兵士と船員達が、ブロルーリャの死から統制を失ってしまったか、競って乗り出し、定員を明らかに越える船があり、乗船しようとする者を撃ち殺して少人数で出航する船もある。酷く混乱している。

 出航間もなく岩礁や仲間の船にぶつかって粉砕される船がいる。混乱による操船の拙さや、船員不足や定員超過のせいもあるだろう。ただ何よりの原因は航路を譲らずに一斉に港を出ようとしていることだ。大型船等、小型船を踏み潰して進む始末だ。何ということか、味方の船に砲撃する船まで見られる。

 沖に出ても波風に煽られて転覆する船がいる。他の船を踏み潰してまで出港した船は船体を傷つけたか浸水して沈み出す。

 やっとチラテナから逃げ出したが、海に投げ出されてしまったアラナ兵が海面から我々を見上げる。

 この歌でお前らは沈んでいる。歴戦のブロルーリャ将軍ならば、もう少し何か賢い方策があったかもしれない。出港時の混乱は今見たような惨事になっていなかったかもしれない。決して存在しない”もしも”ではあるが。

 勢いが止まらない。戦士達は海に飛び込んで、逃げ出した殿部隊を追い、船から落ちたアラナ兵達にも襲い掛かる。戦士もアラナ兵も一部は泳げずに溺れて死んでいく。

 一通りアラナ兵が死んだ後も、命を知らぬ戦士は海に飛び込み続け、まだ生きている敵を探して彷徨って、何万もいたはずの戦士達のほとんどが死んでしまった。

 高い波が打ち寄せるチラテナ湾内には大量発生した何かの生物のように戦士達にアラナ兵が浮かび、浜があれば不気味なくらいに打ち上げられる。

 儀式を統制するための神官や一部の戦士が陸に残る死体を海へ投げ入れる。死体を高く積み上げたところは亜神の一人が猛烈な呪術の炎で骨まで灰にする。

 ユアック軍は突撃配置を取り消し、死体処理とチラテナの制圧に取り掛かった。

 チラテナ奪還。これは大戦果であるが、この短期間で十万以上いたペセトトの戦士達がほとんどいなくなってしまった。

 世界が変わってしまいそうだ。

「”鳥”くん、元のところへ降ろしてくれないか?」

「フーララー、うーん?」

「下に降ろしてくれ!」

 間違いなく”鳥”に向かって声を出す。

「ラーカーターカルー、うん?」

「任務完了、ユアック将軍に報告しないと!」

 ユアック軍の塊を指差す。

「ふんふふ?」

「下、ほら地面、下に降りるの!」

 地面、下方を指差す。

「小さく見えるよね!」

「あ、お腹空いた! お腹空いた!」

 これならどうだ。

「大尉さんお腹空いた?」

「うん! そう、そう!」

「ルーフーラー」

 ”鳥”が降下を始めた。


■■■


 ユアック将軍の状況を報告し、”鳥”が獲って来た大蜘蛛を、余り空腹ではないけど焼いて食べてから休憩を取る。蜘蛛や蠍に魚等、嬉しそうに持ってくるものを食べ、無理に膨らんだ胃が体内を圧迫して苦しいので寝た。

 緊張状態が続いたせいか寝るとなったら熟睡してしまったようで、日没前に寝たのに起きたのは日出後から少し経った頃。”狼”が自分の靴底を軽く蹴って起こしたのだ。

「どうしたの?」

「大尉さんの彼女が南の方から接近するポドワ軍を発見したそうだ」

「うん。彼女って?」

「あの……空飛ぶお友達だ」

「”鳥”くんだね」

「鳥って、鳥だけどよ」

 ”狼”の言葉の意味を汲み取れないことがあるのは今日に限ったことではない。

「ポドワ軍を指揮しているのはロセア元帥?」

「その”鳥”くんが似顔絵を見て確認してくれた。いるぞ」

「”鳥”くんは?」

「さあな。さっきまでその辺でトカゲ、踊り食いしてたが」

「規模は?」

「ユアック軍よりは多いらしい。大砲は少数だがある。将軍にはもう伝えてある」

 今、ユアック軍は単独で戦うような状況にある。

 ざっと周囲を見るにペセトト軍は死んだか発狂した後でぐったりしており、呪術投石戦士や音楽隊はまだ健在で元気だが、彼らはおそらく戦うためではなく監督するためにいる存在だ。

 既に指定された三目標の殺害には成功した。次に我々はポドワ軍の標的に足る敵高級将校等を発見して可能なら殺害して有利な戦場を用意するのが目的である。

「将軍から新しい目標の殺害は指定された?」

「いや。だが大尉さんはどうしたいのかと思ってな」

 以前にマリュエンスモートでロセアの殺害を任務としていた。

 今、逃したロセアがまたこの弾丸の届く範囲にいるというのはどうも、義務を越えた何かを感じる。

 チラテナの監視塔に登って望遠鏡を南に向けてみると、ポドワ軍の斥候騎兵が一度チラっと現れて去る。

 その一度だけで後は動きが無い。行軍の音も何も無い。城壁の上で”猫”が昼寝をする。感覚が鋭敏な”猫”が寝るということは、ポドワ軍はチラテナを目指していないということか。

「何かあったら起こしてくれ」

 ”狼”でさえも城壁の上で寝る。次の仕事のために自分も寝ようかと思い始めたら”鳥”が空から戻ってくる。そしてペセトトの言葉で喋るが分からない。

 目は閉じたがまだ寝てなかった”狼”が起きて再度話を聞くと「陥落したチラテナを確認したポドワ軍が撤退を始めた」そうだ。

 そのことをユアック将軍に伝えると即座に追撃戦が開始される。ペセトト軍の方からは予備に温存されていた呪術人形が加わる。

 そして土地勘のある”狼”と”猫”、我々が先導役を任された。


■■■


 ポドワ軍を追って追跡を行う。

 追いながら竜舌蘭を採って水分を確保。”猫”が小動物を素早く狩って持ってくる。生で食う。

 二日目、三日目と寝ないで追うが背中はまだ見えない。ポドワ軍も寝ないで逃げている。遺棄された道具等から麻薬を使って何とか動き続けていることが確認出来る。薬物に頼る状況ということは既に疲労は尋常ではないと推測出来る。

 ”鳥”が定期的にポドワ軍を上空から偵察してその情報を伝えてくれるのだが、遂に追いつくところまで来た。

 ポドワ軍が殿部隊と大砲を残し、海岸沿いに近い塩性湿地帯を渡る。内陸側の街道は使わずに、プトゥミルの鼻先をかすめて一直線にポドワまで逃げ切る心算だ。

 殿部隊を指揮するのはロセア。良きロシエ将校ということなのか。

 その殿部隊に見つからぬよう、迂回して茂みや密林に隠れつつ接近する。偵察情報の伝達は”鳥”に任せた。

 義務を果たすのが兵士だ。ここに至って、殿部隊の指揮官を射殺するというのは義務の範疇であろう。

 死を恐れず務める。

 塩性湿地の冷たい沼に入って進む。帽子や服、小銃に草を付けて擬装する。”狼”は観測手、護衛として追従。”猫”はこんなところに入りたがらないので、岸の方から静かに追従。

 進路に鰐がいる。しかも群れでやり過ごすのは困難に思える。

 ゆっくりと岸の方に上がる。水中から狙撃するのならば、かなり良い位置を掴めそうだったのだが残念だ。

 岸の方から匍匐前進で、草も揺らさぬようにと慎重に近づく。

 殿部隊は大砲と荷車、周囲の樹木を伐採して枝も落とさないで転がしたような防御陣地を造っている。現場監督にロセアが顔を出してもおかしくなはない。

 草の茂みから、狙撃眼鏡を覗いてつば広の術士帽を被った者、そしてその中からロセアの顔を探す。

「ヒャ!?」

 今まで聞いたことも無い”猫”の悲鳴と同時に草を分けて走る音。

「クソ!」

 と”狼”の悪態。

 狙撃姿勢、そして狙撃眼鏡で一点を見ると言う姿勢が悪かった。

 沼の底から裸の、筒と組み合わせた何かを咥えるロセアと敵兵三名が飛び出て来て、対応出来ない。

 まさか?

 体が浮かび上がる。こちらを睨むロセアの手には棒? まさか水中に潜んでいた?

 体が何故浮くかと思ったが、槍で突き上げられているのだ。何と前時代的な。

 ”狼”は裸のロセアに手斧を投げつけ、敵兵が庇って腕に受け、その動きでロセアの動きが阻害されている内に自分を槍から引き抜いて取って走る。体を貫いた物がヌルと抜けるのが分かった。

 傷は熱く、そして寒い。血が大量に抜けているのか。

 ”狼”は低姿勢で素早く走る。揺れと出血で頭が変になってくる。

 ”狼”が止まり、戻ってきた手斧を掴む。追ってくる敵兵を横合いから”猫”が殴って顔を剥ぎ取り、もう一人の喉を瞬く間に噛み千切ってクルっと回転しながら茂みに逃げる。

「ハーハッハ! またお前らか! 我が理術で大体お見通しだ!」

 流暢なランマルカ語でロセアがそう言い、腕を怪我した兵士を抱えて沼に飛び込んだ。

 ”狼”に高く掲げ上げられる。腹が変だ。視界は霞んでいる、遠くを見ようと思っても出来ない。寒い。

 影? 風、風圧に、柔らかい何かの匂い? ”鳥”?

 体が浮く。地面が遠くなって、草木が更に細かくなって、”狼”と「ヤー!」叫ぶ”猫”が小さくなる。

 風が当たって寒い。草木やあの二人はもう見えず、ユアック軍の軍服が何か変な塊に見える。砲声が鳴る。

 寒い、凍りつきそう。もはや自分の知っている光景は無く、ぼやける視界に広大に過ぎる地形が写る。何か点は無く、巨大な塗り絵?

 山脈を越えているようだ。空と大地、そして地表の丸さが分かる。新大陸が縦に海を割っている。


■■■


 暗い。思い出したように音が聞こえる気がする。

 再度腹が熱くなって、視界が少し戻る。物凄い叫び声が聞こえるが、これは自分のか?

 熱い。全身を誰かが撫でている、気持ち悪い。

 太陽が眩しい。目が潰れそうだ。

 階段? 物凄く騒がしい。耳が変になる、もうなっている。

 何か見たことのある、液体の塊。

 分からない言葉が続く。

 また胸が熱くなって、何か抜かれる。動く塊。

 どうなってるんだ? 抵抗しようにも体は動かない。指は少し動くが。

 急に首から下の熱さが一つになる。

 大勢の妖精が見える。その中に同志エイレムがいた気がする。

 開かれた目がまた勝手に閉じられる。そういえば妙に体が軽い、感覚が無いのか。

 一瞬、青い空と輝く太陽が見えて、落ちる。

 落下の感覚そして、血の海。

 落ちて潜った。沈んでいる。

 暗闇ではない。段々と視界赤くなってくる。それに熱く暖かい。全身に血が通り抜ける。

 夢なのか何か分からない何かが浮かんだり消えたり。

 誰だ?

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