第178話「青ざめた」 ポーリ

 呪具の素材選びもまた理術を追究する者にとっては重要である。

 より加工し易く、より丈夫、より軽く、そして何より安価に大量に入手出来ること。

 骨はペセトトでは良く使われる素材。加工難易度、丈夫さ、軽さ、入手難易度がかの地において適切である。

 木材は良質に感じる。しかし刻印を刻んだ際の繊維の解れによる歪みから適切ではない。適切に掘っても繊維の粗さが歪みに繋がる。

 鉄や鉛、青銅に真鍮等の金属は注目されているがやや現実的ではない。携行品としては重過ぎることと、何より錆による刻印劣化で能力が消失するのだ。錆止めの分、物が厚くなることを考えて刻印を彫るのは可能だが難しい。

 しかしこの障害を乗り越えることが自分に出来るかもしれないと考える。何か塊を産むだけだった鉄の奇跡で、大学で学んで魔術、呪術に昇華し、最効率を目指す度に理術として何かなし得る予感がする。これは驕りか?

 こういった素材よりも注目されているのが透明度の高い素材だ。不透明な素材より効果が増幅され、また刻印一つに対しても複雑な意味を込められるという。新大陸ではなんと、それで人造の魂すら吹き込むのだという。それが呪術人形なのだが信じがたい。

 石英、水晶がペセトトでは最良とされる。色つきの宝石はそれほどでも無いらしい。宝石を呪具として使うのは費用対効果の面で良くない。

 そこでとても効率的な素材がある。それは硝子。強度が欠点ではあるが、強度が不要な呪具に利用するのが理想。

 それと意外なようでしかし考えれば当たり前に氷も、融解するので環境は限定されるが扱えれば最良である。

 氷が可能ならば水や空気に瞬間的に刻んで発動は可能だろうか?

 ウォルがやってみることになった。

「じゃあ、やってみっかな」

 刀を抜き、刻印を意識して複雑に振ってその斬撃軌道にウォルが意識集中。

「ダメだな」

「魔術で一瞬で刻んだら?」

「効率は悪いが、何かに繋がりそうだな」

 ウォルは母を見習って覚えた、風や土を勢い良く飛ばすような魔術が得意だと言う。

 ウォルが刻印の形に風を飛ばしてそれに意識集中。小さい光が連続して発生し、途切れ、劣化した刻印がまた別の意味を成して突風になって、突風がまた形になってパンっと破裂音。

 連鎖呪術?

「俺って天才だよな、これ」

 言っている彼自身が動揺している。そしてウォルが興奮した先生方に拉致されるように連れて行かれる。実演と論文の執筆でしばらく帰らせて貰えないだろう。

 刻印は発動する時にあれば良いのであって、直前まで形を成していなくても良いということでもある。当たり前だがこれは重要だ。

 呪具の基本である杖。杖の形態を取る必要はないが、持ち運びと大きな効果に対する消耗する物質量とその回数の兼ね合いで見ると合理的。長年ペセトトで愛好されてきた形であり、彼らなりの認識においては究極形であると考えられる。

 こちらでは四角形からくり貫いて取っ手部分を作った携行運搬に良好な型が考案されたが、効果が発動する場所を手から離れた場所にしないと発動する効果によっては術者に害が及ぶので、やはり杖の形状が理想となる。

 呪術で消費する部分を交換可能にすれば何本も杖を持たなくてよいが、消失する部分が多くないとわざわざ呪具にする必要性が薄れてしまうことがある。また使用回数を二回以上にするのならば大きさ、重さがいる。やはり杖か。

 有力視されているのは呪具になった硝子を杖の先に取り付け、使い切ったら取り替える。または用途で取り替える。持ち手の杖は木製。これが現在の理想形とも、考案者が言う。

 透明度の高い素材は、何故か強力なので大きさの問題も解決。強度も取り付け箇所を籠のような入れ物にする案が良いとされる。細かい意匠が決まったら量産しても良いような完成度と考える。

 この形状を考案した先生と生徒がこの大学の広場で、危険性を考慮し、自己責任で実験をしている。硝子の部分に素手で触れて発動させる必要があるので不便そうだ。木の杖に溝を掘って、硝子の呪具に”しっぽ”をつけてそこに嵌めるか、という案が浮上している。物強度の低下、費用高騰が問題らしい。

 もう一つ、現在注目されているのが本の形状。厚い皮紙、太鼓の皮と同等の物に刻印をして呪具とする。彫る下書きは活版印刷機が使用出来て、平面状なので安易に彫りやすく複雑に作れるので量産に期待が持てる。効果は杖より遥かに限定されたものばかりだが、今使いたい呪術を頁をめくって選択して使えるので汎用性にも期待がされる。ただし効果は微弱。攻撃的ではない何かに使えないかと試案中である。

 形状は様々試行錯誤されるが、既存の使いやすい道具と同型に落ち着く傾向がある。

 理術は普及性も重要。現行の工房でも施設を改造することなく作れる物が費用的に望ましい。これらは消耗品だ。量産出来なければ意味が無い。

 自分は様々な鉄の魔術で形状を生み出せる。自分で使う分は良いが他人に使わせるものではない。雛形を作るには良いか?

 他に何か、持たないで使う物はどうだ。置いて使う、大型の理術だ。

 呪術人形を模してみる。人体の構造はダンファレルに聞きながら組み立てる。

 筋肉に当たる部分だけを呪具にして骨を動かすようにすると動くが、しかし筋肉に当たる部分が数回動かしただけで脆くなり、補充しないといけない。

 再利用型の筋肉を作る。熱を原初の素に変える刻印を追加して物質の消耗を抑え、他の者に呪具で冷却するところは熱して貰いながら動かすと、動くけども複雑な動きが出来ない。呪術人形のような、まだ実際に見ていないが、人工の魂を吹き込まれたような動きは出来ない。

 単調な動きで十分な物にするならばどうか? 

 前に進むだけの車はどうだ? 車体が鉄なので重過ぎて動きは悪いが、しかしこれはちゃんと動くぞ。

 しかしこれを実用品に? これなら馬、人で曳いたほうが良い。凄いは十分、必要なのは安くて使えることなのだ。理術はそこまで追究してこそである。

 そのように試行錯誤しているうちに術の限界、頭が疲れる。

 大袈裟に物を作ってしまったせいで少し授業の終わりまで時間が余った。

 色々と実験を試みている同級生達の魔術、呪術、理術を眺める。何か掴めるものはあるか?

 眺めていて、今日は新鮮なものが出切ったかと思い、疲労と合わせて眠気が来る。

 あくびを堪えていると、大仰な貴族の護衛や侍従を連れた人物……跪く。

 今上陛下セレル八世であられる。お姿を直接見るのは約十年振りである。

 陛下が視察とは誰も聞いていないことらしく、先生方も慌てて跪き、学長代行が応対に向かう。

「顔が見たい」

 と仰られ、我々は整列した。並んだ端から陛下は一人一人へお声掛けをして下さる。

 段々とお近づきになられる。覚えておいでだろうか? 留学した時は、所詮は数多い子弟の中の一人だった。

 最敬礼でお迎えする。

 肩をバチバチと叩かれる。ん?

「ポーリ、お前! ははは! 頭下げても私より頭が高いぞ! ははは!」

「陛下」

「ビプロルの旗のようにお前に乗って遊んだのを覚えてるぞ。扉ブチ破って衛兵薙ぎ倒して、あのまま世界でも征服出来るかと思った」

 何か言いたかったのに全て消えた。覚えておいでだった。胸が詰まる。

 我々の列から、全体が見渡せるように距離を取って陛下が正対。

「学生諸君だけではなく、皆に聞いて貰いたい。術士徽章という国家が認める、形ある証を制定する予定だ。ロシエの国家規模に比べて君達はまだ少ない。周知が足りず、曳きつける魅力が足りない。実績も、残念ながら発足したばかりで無い。だが年金を制定してもっと人を集める心算だ。その時には君達が指導的役割を担う。未来のために開発を止めたら一等国ではない。私は王としての権力は確かに失って、正直何を言っているのかと思っているかもしれない。しかし君たち、正当にその能力を認め、賞賛し、臣民全てに認めさせることを一番早く出来るのは私だ。私は君たちの傍にいるということは忘れないでくれ……む? どうした?」

 演説中に伝令が来て陛下に耳打ち。そしてその顔が青ざめた。何事か?

 陛下が大きく手を振って顔色を誤魔化す。

「すまない諸君! 妻が私との約束を忘れたのかとお怒りのようだ! 今日の予定にここの訪問は無くてな、いやすまない」

 笑いが起きる。ここは自分も笑っておこう。

 しかし陛下のお顔色、お妃様とのお約束というような理由に見えない。何かあれば、私に力があればいくらでもお助けするというのに。

 陛下と取り巻きが宮殿の方へ、気持ち足早に帰られる。

 国難の時勢に……これは邪推か?


■■■


 大学から下宿への帰り道の広場で、字の読めない者向けに先触れが声を上げる。

「戦時国債が平民でも買える額で発売されます! 戦勝の暁には今の何倍もの値に跳ね上がりますよ! 安い今の内に買って儲けましょう!」

 国が派遣している先触れがあのようなことを言うとは、我がロシエは大丈夫なのか?

 志願兵募集の看板と、文字の読めない者への呼び込み。そしてその傍では募兵官と医者が街頭で、列を成す志願者の身体と虫歯の検査をしている。職の無い浮浪者のような輩が集っている。

 新聞売りの子供が声を掛けてくる。

「そこのおっきい貴族の兄さん! 今日の新聞買ってくれよ! 今日のはかなり詳しく書いてるんだ。昨日の夜から父ちゃん方が寝ないで書いたんだよ! いつもより文章量も多いから買ってよ!」

 陛下のこともあり、確かに気になる。小銭を渡す。

「一つ貰いましょう」

「ありがとう!」

 広場で腰を落ち着ける場所を探して座る。

 ユバール議会がお妃様、ユバール女王ユキアに対して追放宣言。これはむしろ今更で遅いとも言える。やるやると言って年が過ぎている。

 そして新王マルフレックの誕生。母方はグランデン大公家の出身、父方はユバール系貴族の出身で元アタナクト聖法教会の僧侶。どこに支援を期待して選考したかが良く分かる。

 ユバール王国はユバール連合王国と改称した。

 ユバール女王は立憲君主のように象徴であり国に対する決定権を持たない。代わりに権力を持つユバール議会は十三の土侯である、各公爵が半永久的な議席を持って尚且つ議決拒否権を持つ。十三公の一人でも反対すると議会が止まる。

 ロシエ本国での公爵号というのは親王に与えられる称号であり、代官が経営して小作料を当該親王に収める程度の化粧領だが、ユバールでは土候達の称号に当たる。従って我が父のビプロル侯爵の格はユバール系公爵の称号と肩を並べる。

 この新たな独立国、否、反乱軍も新王を誕生させたが象徴のまま。

 首都圏は本来女王の所有物で、首都総督は代々ロシエ王家の者が担うのだが、首都の資産は当然没収されて反乱軍の公的財産となった。そして首都総督は人質に取られている。身代金の要求はまだ無いが、金で解決する時代でもない。

 ユバール国内のロシエ資産が全て差し押さえになって、報復にロシエもロシエ国内のユバール資産の差し押さえをした。戦時国債を発売と言うからには既に国境では戦いが始まっているのだろうが、そこまでの情報は無い。

 ユバール反乱軍の人事について判明している分だけで名前の羅列があるが、一つ気になるのはニェスレン公、北の獅子公とあだ名されるシアドレク四世が軍部に名を連ねていること。彼は今やエデルト=セレード連合王国の一員であるはずだが、これは軍事介入が既に始まっているということだ。エデルトはユバールを支援すると公言したも同然。

 エデルトは悪夢の餓狼の如き帝国連邦に対し、オルフとバルリーの問題で身動きが取れないなどとの論説もあるが、軍ではなく口や個人を出している程度だからそうでもないかもしれない。そしてエデルトが介入となれば、自動的に第十六聖女ヴァルキリカが絡んでくる。聖戦軍の召集となれば神聖教会圏全てが敵になる。エスナル王国とは新大陸での共闘関係があるが、こちらの旧大陸での共闘はお断りだろう。

 もう一つ、三部会の騒動。僧侶、貴族、平民の三身分から出た議員が主に課税について話し合う場であり、今上陛下が象徴となられた現状では王国の最高意思決定機関となっている。こと税金の話なので昔から暗殺、革命、紛争が付き纏う緊張感のある議会だ。

 そこで今回三部会が戦争税の徴収を可決しようとしたが平民議員が反発。これ以上の重税に耐えられないと訴えたが僧侶、貴族の議員が強行採決を行った。その結果が王都での暴動。僧侶、貴族の議員が三部会の議場に今現在も監禁されているらしい。

 閣僚会議が凍結されて以降、王都警備隊への命令権だけが生きていた国防卿は暴徒への武力行使は厳禁として無抵抗を決め込んだらしい。

 国王陛下が青ざめるようなことばかりだが、これは前から予兆なりなんなりがあった話だ。新聞記事より陛下の耳に入るのが遅いということはないだろう。これ以外にも何かあったということか?

 レスリャジンの悪魔大王によるバルリー侵攻、領内にいる人間全ての抹殺というのは恐ろしい大事件だが、陛下が青ざめる案件ではない。加えてどうも昨今内戦を終えたオルフ王国とも悪魔の大王は、余り聞いたことはないがメデルロマ地方で紛争を起こしているという。

 オルフの王とエデルトの王女が婚約しているというのは前からの話。エデルト王国も東方問題に意識が取られている。

 これらはユバール問題から国際世論の注目が外れるという点では我が国に益するやもしれぬ。不謹慎ではあるが。

 あらゆる出来事が有機的に組み合わさり、今の複雑な国際情勢を生み出している。ユバール問題をロシエ優位に解決するのならば今しかない、という感じである。

 密約……先の戦いで多くの犠牲者、何より目を抉られた被害者がいる中でそんなことは、無いとは思うが。

 先程の新聞売りの子供に追加で金を渡す。

「君のお父さんに良く書けていると言ってあげて下さい」

「うん!」

 広場を去って下宿へ向かうのだが、広場の喧騒で気付かなかった。

 ユバール系商店が襲撃を受けている。扉を破られ、ユバール商人が引きずり出され、金目の物が略奪されている。

 始まったばかりだろうか? 警察が動いている様子は無い。

 刀を振り上げる、南大陸系の服装から見て黒人ではない、アレオン人を殺さない程度に張り倒す。

「君達、早く逃げなさい」

「はい!」

 ユバール商人達を助けて回る。幸い、刀を振り回す程度の連中ならばこの体で倒せる。

 気性の荒いアラック、アレオン、南大陸人がユバール人以外の商店も襲っている。市場は売り物がそこら中に転がり、貧民が混乱に乗じて窃盗を働いている。

 あろうことか道の真ん中でご婦人の服を剥ごうとしている蛮人のごとき輩もいる。死んでも良い勢いで張り飛ばす。

 怯えて一塊になった商人達に指差して「警察に早く通報しなさい。賄賂も惜しまないで」と言って、目に付く連中を張り倒して回る。

 まるで火災のように暴動が広がっていくようだ。一つ一つ潰してもキリが無い。そもそも学生である自分がする仕事ではない。警察は何をしているのか?

 近くにあるカラドス聖王教会が心配になって見に行ったが、既にあちらは警察が警備を固めていた。対応する所は対応しているということか。財政難で公務員の給料が払えていないとは聞いていたが、暴動を鎮圧するだけの警察がいないということか。

 軍は? 近衛は? 陛下の下へ参じて近衛を動かして貰うか? そんなことが可能か?

 いや、まて下宿! ロシュロウ家ではユバールの織物製品も扱っていた。危ない。下宿一帯の街区は卸売り商人が多くて、露天商のような雰囲気ではないが、あそここそ市井で金品が最も多い。

 下宿に向かって走る。通りがかる暴徒を張り倒して進む。

 到着すればまだ静かな状態。

 下宿の窓、屋根には、ロシュロウ家で雇っている人達が小銃を構えて道を睨んでいる。かなりの威圧感で、盗みに入れる雰囲気ではない。まるで要塞だ。

 そしてロシエ国旗が玄関先に掲げられており、ここを襲う事は国に逆らうこと、とでも主張している。織物屋が商人仲間に国旗を配って回っているのが見られる。

 下宿に入ると、ロシュロウ夫人がいつもより非常に多くの客人を相手にお茶とお菓子を配っていた。客人達は自分の姿を見て、驚き、竦み上がる者もいる。

 ここが避難先の一つとは、広く信頼されているらしい。

「あっポーリくんお帰り!」

 笑顔振りまき、舞踏のようにクルクルと回って沈みがちな場の雰囲気を少しでも明るくしようとしているロシュロウ夫人が出迎えてくれる。

「ただいま、ロシュロウ夫人。皆様方御機嫌よう、下宿人のポーリ・ネーネトと申します」

 帽子を取って礼をすれば客人の方々も「ご機嫌よう」と、少し不安そうに返してくる。

「ネーネト、あのビプロル候の血族の方で?」

「はい、父がビプロル侯爵です」

「おー! なるほど」

 客人達が安堵する表情を見せた。

「こちらは何事もありませんでしたか?」

「だいじょーび! ポーリくんは大丈夫ね?」

「はい、大丈夫です」

「良かったぁ」

 暴徒を張り倒してついた返り血をロシュロウ夫人が手巾で拭いてくれる。

 他所行きの正装を自室で解いて、普段着に替えて客人達に混ざる。

 話に混ざって状況を聞いて回るに、給料未払いのアラック、アレオン、南大陸系の兵士達がユバール反乱の報を聞いて給料の回収だと暴れ始めたそうだ。そこに貧民が加わって略奪騒動に発展。警察は主要箇所の警備で手一杯の人数しからおらず、軍は宮殿の守備を固めるので精一杯。元々このオーサンマリンは人口が少ない場所で、このような事態は想定外だったとも。

 それから客人の中にはユバール人もいて、兵士に襲われて逃げてきたとも。

 話せば話す程に暗くなる。

 自分の膝にロシュロウ夫人が座る。

「あっ、おっきい椅子だと思ったらポーリくんだった!」

 その熱でこの膝、溶解してしまう!


■■■


 暴動があった後日、大学は休校。弔意を表す半旗が掲げられ、教会が鳴らす鐘も葬儀等の儀式に合わせていつもより回数が多い。週末の集団礼拝の呼びかけまでに、合同にする程ではないが個別にするならば忙しいくらいの犠牲者を弔わなければいけない。何分その犠牲者達は商人で、形式の整った葬式を挙げられる財産があるものだから時間が掛かる様子。人手が必要だろうと思い、その為の喜捨を行ったら聖職者ではなく、人の顔で教会の人達に喜ばれた。

 教会の手伝いもしようと思ったが、ダンファレルの方も人手不足だと手伝いを頼まれたので友人を優先した。迷いどころだが喜捨で手伝った分で良しとした。

 遂にあのウォルも金欠で手伝うことになった。オーサンマリンでの物価上昇も市場の混乱で酷いものになったので相対的に貧乏になってしまった。

 ダンファレルはオーサンマリンの郊外にある屋敷を、持ち主が死んで安く売りに出されたところを買ったらしい。

 そこで大学の地下では出来ない、汚い病床と清潔な病床での患者の生存率実験を行っている。実験には掃除や洗濯、包帯の取替え等の仕事が重要なのだが、看護婦を雇っても市井の連中はいい加減な仕事しかしないし、仕事にあぶれた没落貴族の元召使いは嫌がって逃げ、一番真面目そうな修道女は余り誘いに乗らなくて実験にならないらしい。何より、あの暴動後に仕事の増えた修道女は他所に手伝いをしている場合ではなくなった。そこで次の人間を雇うまで、協力する修道女等が戻ってくるまで手伝って欲しい、ということである。

 病人というのは常に一定数いるもので、怪我人は先の暴動でたくさん出た。屋敷の広場ではダンファレルが処刑人を雇って死罪確定の罪人を使って、生きたまま人間はどのくらいで死ぬのか等と人体実験を行っている。拷問と死刑に等しい行為を行っている。

 病室から血と膿だらけの敷布を回収している時に、ダンファレルと処刑人達は屋根だけの簡易天幕を広げ、廊下の窓から罪人の血管を切って桶で流血量を測ってどのくらいで失神するか、死ぬかを実験している姿を見る。

「あいつきっと人間じゃねぇぞ」

 こんな大袈裟なことをダンファレルが可能にしたのは解剖学書の出版が決まって金と後援者が得られたからだ。異様に仕事の速い奴である。明確に目的を持っている者はやることが違う。

 汚い病床の方、とてつもない異臭のする部屋から患者の恨み言やうめき声が漏れる。どうにかしてやりたいと、せめて綺麗な病床の基準のようにしてやりたいが、実験なので禁止されている。

 汚い病床の部屋から便所桶がこぼれた、などと大騒ぎが始まった。それでもその掃除は明日の朝の清掃の時間までは放置される。酷い。

「やっぱりバルマン人はおかしいぞ。真面目な奴ほど振り切って狂人になりやがる」

 それでも我々二人はダンファレルが指定した通りの仕事を行う。

 敷布の洗濯は慣れればそこまで不潔に思わない。便所桶の始末や、神経の磨り減った汚い病床の患者達の相手をすることに比べたら大したことはない。

 時間のかかる洗濯中は手をひたすら動かす。大量に水が必要なので自分が川から水を汲んで来る。

 単調な動作を体が覚えるとまるで操り人形になったかのように動ける。仕事ではないことを頭が別に考え出す。

 今日になって今上陛下の顔が青ざめた理由が分かった。王弟殿下、オジュローユ公爵、ロシエ王国元帥リュゲールが王都シトレでの暴動を武力で鎮圧。都内で大砲を使って建物を砲撃して破壊し、暴徒の群れには重騎兵による突撃すら行ったという。そして王都警備業務を怠ったとして国防卿を処刑、息の掛かった者を選出。

 そして三部会議場へ軍を突入させて議会を停止させ、更に軍が以後政治を取り仕切ると公表した。立憲君主制に移行してからは三部会が王国の意思決定機関であったが、それを軍が抑えてしまった。

 オジュローユ公は武断な方だが、ここまでやるとは思わなかった。やらざるを得なかったと言うのはかなり同情的だ。一応は国王陛下のためと、オジュローユ公は軍部独裁公表の文言に入れているが。

 これは以前の絶対的な君主体制への復帰と同義であると見られても言い訳が出来ない。前王が己の失策を認めて権力を三部会へ移したことを否定する行為であり、そして兄である現王を追い落として代わりに権力を王弟オジュローユ公が握ったという状況である。

 王から僧侶、貴族に平民まで全て敵にしてしまっている。この恨み、底が知れぬほどに深くなる。

 この議会の停止は対ユバール戦争が終わるまで、という名目らしいが、誰が信じるだろうか。オジュローユ公すらも信じておられるか不明だ。

 幼少時の留学経験のみだが、あの方は熱に浮かれたままに動かれる傾向がおありだ。何か熱中されると中々止めようとしない。疲れて倒れるまで。

「おいポーリ、水汲みはもういいから洗うの手伝ってくれよ。チンポもげちまう」

「あ、ごめん」

 洗濯板を振るウォルに怒られた。

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