第177話「優先目標」 大尉

 槍と秘跡探求修道会総長バセロ・マルセーイス。禿頭の老武者といった容貌。

 エスナル王国アラナ軍司令官ジェドリケ=アルソ・ブロルーリャ。顔が歪む古傷を除けば紅顔の美青年。

 ”冒険家”マリル・プリリス大佐。目の大きい丸顔で闘犬に似る。

 ペセトト帝国から我がランマルカが租借領としているアトルカカンにいる義勇軍司令官ユアック将軍からこの三名の似顔絵が送られてきた。この三名を優先して殺害し、可能なら各高級将校も殺害せよとの命令だ。一つの期間で三名もの要人を殺害するという大仕事、同志エイレムの助言に従わず忠実に実行するならばもう一つの命は欲しいところだ。

 ペセトト帝国の東岸側領土のシパテク地方に対し、エスナル王国のアラナ軍が上陸作戦を行い、成功。アティトゥン川河口の沿岸都市チラテナを陥落させた。丁度、我がランマルカ海軍が海上警備活動をチラテナ近海で終えてからの行動である。

 ユアック将軍はこれに対し、アトルカカンより北のエスナルとロシエの両クストラ軍に対して攻撃を加えて行動力を奪った後に反転してからシパテク地方へ援軍としてやってくるらしいが、間に合うのか? 海軍が実現させるのだろうか。

 キアチェカトル峠はアティトゥン川の浸食によって、標高の高いエンカナワ山脈の中腹を抉って横断して出来た地形学的にも謎だらけの場所だ。

 抉られ、そして山頂部である巨大な岩が橋のように姿を留めて崩落もせずに残っている。開口部が巨大過ぎて日の光が行き渡って植物も茂り、実感は薄いが間違いなく洞穴である。

 アティトゥン川の源流がエンカナワ山脈の非常に高い場所にあって、偶然にこのキアチェカトル峠に当たる薄い箇所を削ったのは川の流れを辿れば分かるのだが、あまりに削れ過ぎている。

 ペセトト帝国では、暗闇だったこの世界にツィツィナストリの太陽神がやってきた時に開けた穴だという伝説がある。

 新大陸東岸部の人間部族の間では、悪霊を封印する岩の蓋を破壊神が壊した跡という伝説がある。

 伝説は伝説として、事実関係としてはこのキアチェカトル峠を通ってペセトト帝国が東岸部に侵略し、人間部族を襲撃していたということにある。

 ここは新大陸中南部の西岸一帯を帝国とするペセトトの、東岸部への唯一有効な出入り口。南端は気候地形がすこぶる悪い極地で、北部は道も足場も不確かな巨大な荒野。迂回路は遥かに遠くて厳しい。

 この峠は非常に強力な要塞線となっており、ランマルカの技術によって隙間無く固められている。

 またこの峠の上にある岩橋には、雲が掛かると下界が見えないという欠点を持つ観測所がある。晴天時には敵の動きが鳥の視点で伺え、望遠鏡を使えばエスナル軍の動向が海岸から見えるらしい。空気の壁に色褪せてそこまで見えないと思うが。

 キアチェカトル峠の要塞には、東岸部の属国都市の者達が救援を要請しに来ており、身振り手振りを交え、言葉は曖昧にしか分からなくても歌うような抑揚をつけた詩的な口上でペセトト帝国軍の将軍である亜神に惨状を訴えている。

 将軍たる亜神、四足獣の首の代わりに胴体が生えて一人で騎兵となっているパンキアが泣きながらその話を聞く。彼の、戦装束に肌を染料で青、赤、黄等に染めた戦士達も泣きながら話を聞く。どう考えても話が聞こえていない後列の者も泣いている。泣きも出陣の儀式の一部であるようだ。

 パンキアが振り返り、戦士達に訴える。”狼”が通訳。

「兄弟達よ! この出来事は静かなるネカシツァポルの神さえも目を開けられ、耳で聞かれる! 穢れた魂を救おう! その数と同等の血をツィツィナストリの神に捧げなければ足りない! 飢えておられる! 敵も我等も捧げよう!」

 パンキアが槍を振り上げると、戦士達は手を上げて『ツィツィナストリ!』と喚声で返す。

 鋸剣、槍、弓、投石器、呪具に銃、大砲で装備するペセトト帝国のパンキア軍が前進を開始する。ランマルカの新しい武器と彼らの古くからの武器が混在する。

 その隊列を挟むようにした神官達が祝詞を上げながら太鼓を叩き、笛を吹いて一時見送り、それから演奏したまま隊列に続く。

「勝利か!」

『死か!』

「勝利か!」

『死か!』

 歩くだけで山が震える軍勢。その数は発表もされていないが十万は容易だろう。パンキア以外の亜神も武装して隊列にいる。

 動物を模す戦装束を着た、異様な色に肌を染めた戦士と、着飾るまでもなく異形の亜神が群れを成し、聞いているだけで頭に血が昇りそうな奇声を連呼しながら行進。

 勝利か死か。ペセトトの言葉ではこう発音する。

『ギャア! キィア! ギャア! キィア!』

 東岸部の人間部族はここを悪霊の門と呼ぶ。正に見て聞いたままの呼び名だろう。

「僕等も行こう」

「あいよ」

「ヤン」


■■■


 エスナル王国のアラナ軍に現在包囲されている属国都市はエカレス、テテルココの二つ。両方ともアティトゥン川沿いで、敵が峠を越える場合の進路上にある。沿岸、河口部のチラテナは陥落しており、自由にエスナルの河川艦隊が侵入出来るので川沿いでは手強い。

 まだ包囲されていない属国都市はレトテ、クツァルメム、ホブセムン、ケペチュ、チキルクと結構多い。これらは何れも妖精の都市国家であって、特に東岸部の属国というのはペセトト帝国が亜神達に分与した直轄的な都市である。西岸部の土着的な属国よりも忠誠心が高く、降伏は有り得ないだろう。

 そしてランマルカが管理責任を負うクレイツァ、プトゥミル要塞はロシエ王国のポドワ軍による包囲下にあると続報が来た。プトゥミル要塞は海上要塞なので海軍が駆けつければ救助は容易。クレイツァ要塞は過去に二度、占領した敵毎自爆したことがあるので何かありそう。あそこは係争地だ。

 パンキア軍より先行し、敵部隊を確認しにいく。

 先導は”狼”、殿は”猫”。途中までは街道沿いに楽な道を行き、テテルココ付近の敵警戒部隊の索敵範囲の近くになったら街道から外れて密林に入って潜伏する。

 密林では藪を”狼”が鉈で切り開きつつ、蛇や毒虫を追い払う。手馴れて素早い。

 ”猫”は追跡者がいないか警戒する。時々後方の様子を見に行ったり、木に登って止まったり離れたり合流したりを繰り返す。

 こうしてテテルココ包囲中のアラナ軍の後背、東側に迂回して観察する。西側はパンキア軍がやってくるキアチェカトル峠の方角なので警戒が強く、観察に専念し辛い。また司令官は基本的に後背側にいる。

 服に草葉を付けて生物の形に見えないよう偽装してから包囲する部隊を観察する。

 エスナル人が士官を務めるが、下士官以下は新大陸原住人間の部隊だ。その中でもエスナルの軍服に民族衣装の一部装飾品をつけたのがシパテク兵である。

 シパテク人の歴史はキアチェカトル峠をペセトト帝国が越えた黎明の時から家畜であったが、彼らにとっての救世主の如きエスナル人が上陸して解放するところから変わる。当時は外海からの侵略者であったエスナル人が同情して支援したという美談に欠かないくらいに悲惨だったらしい。

 それ以降はシパテク地方を巡ってエスナルの尖兵として争いを繰り広げて百年以上。ランマルカの革命後、植民地を継承した我々がペセトト帝国との同盟を結んで数十年、遂に大陸から追放された。

 追放されてもシパテク原住の人間はエスナル領のアラナ諸島各地に避難し、世代を越えて数を増やして今、ペセトトへの復讐を遂げようとしている。中には子人間の頃にテテルココに住んでいた老いた人間もいるかもしれない。

 テテルココ包囲部隊の指揮官を見つけたが絵の標的ではない。名無しの高級将校を狙撃して、警戒されて他の標的を撃ち損なったらまずい。テテルココ自体も包囲されているだけで大した被害も無い。見切りをつけて次へ行く。

 ここじゃない。勘が告げる。


■■■


 もう一つ下流の包囲されている都市エカレスに向かった。

 エカレスは河川艦隊と砲兵隊により砲撃を受けている。我がランマルカの指導が入っている都市なのでそう易々と旧式砲ごときで粉砕される城壁は持たない。しかし落ちない要塞は勿論なく、水陸から包囲されれば何れ陥落するだろう。

 エカレス包囲中の部隊を観察する。エスナル人に限らず旧大陸出身の士官が多く、兵士も新大陸原住人間はいない、いわゆる白人部隊だ。

 質の高い傭兵混じりの正規兵であろう。旧大陸の傭兵と違い、逃げる場所が無い土地で戦う傭兵だ。装備も良好で、施条銃持ちの猟師と傭兵を兼業しているような兵士もいる。服装も装備も使い慣れしている様子で、これは手強い。見て分かる。

 そしてアラナ軍司令官ジェドリケ=アルソ・ブロルーリャを発見。彼の行動を追う。

 常に多数の兵士に囲まれ、伝令が行き来して隙が無い。狙撃した後に安全に退路が確保出来る場所が見当たらない。

 上流側、テテルココから騎馬伝令が走ってきてブロルーリャに何やら通達。そして指揮を出し始めて慌しくなり、エカレス包囲中の部隊が再配置を始める。

 こんな時こそブロルーリャを狙撃すれば大混乱が望める。

 狙撃位置を探る。捨て身に接近し、狙撃後に包囲されて袋叩きに遭う覚悟を決めれば間違いなく殺せる。

 ……しかし同志エイレム、君は迷わせるなぁ。

 そして探っている内にテテルココを包囲中だった部隊が下って来た。両軍は合流し、会戦の陣形を整え始める。パンキア軍が迫っているのだろう。

 ブロルーリャの動向を探りながら機会を待つ。

 狙撃位置を探りつつ、戦端が開く直前で狙撃することを目標にしよう。


■■■


 夕方になる。”狼”と”猫”が退路を確認し終わったが、良好な狙撃位置はまだ掴めない。このあたりの木は多くが伐採されているので樹上から狙撃、というのも目立って仕方が無い。昇る時に見つかりそうだ。エカレスの防御工事の際に切られたのがこんなところで影響している。大砲で良く敵を撃てるようにという措置でもある。

 アラナ軍は完全に合流し、河川艦隊の支援を受けられるように陣形を整えた。右翼側を川と河川艦隊に任せ、開けた平野の左翼側には多めに杭を打ち込んでいる。交代で杭を作って打つ作業をしつつ、配置に付きながら食事を取っている。

 またブロルーリャのいる地点は小高い丘で見晴らしがよく、外から狙撃をすれば発見されるような位置取り以外に無いのだ。

 現在も警戒配置中で兵士が周囲を完全に固めている。

 殺しに行く自信はある。しかし生きて帰る自信は無い。”狼””猫”も無事となると何も出来ない。兵士としては失格だ。

 だが任務は終わっていないし、今は機会が訪れていないだけだ。

 別の機会を探る。ブロルーリャには注意を払いつつ、別の標的を探ろう。彼はアラナ軍の司令官、隠れる場所も無いのだ。

 長く時間が掛かるのは間違いない。まず我々に必要なのは休む場所だ。長く何かするなら休む必要がある。

 ”狼”と交代で観察しながら寝床を探る。

 ”猫”が、アラナ軍からは木が陰になり、周囲からは灌木が隠してくれる上に若干の窪地になっていて、湿気も無い良好な場所を発見したのでそちらに移った。

 ブロルーリャの動向を探るのには少々遠いが、状況が動いて敵の注意が周囲ではなくパンキア軍一点になるまで待つ。味方を囮にするのは常道だ。射撃戦の銃声に紛れて撃つと潜伏場所が暴かれ辛い。

 パンキア軍は夜も遅くになって到着した。出陣時の勢いのままに突撃することはせずに、距離を十分に離して陣形を整えている。

 アラナ軍の軽歩兵が前進し、月明かりや松明を目印に射撃を散発的に開始する。パンキア軍の戦士も銃に矢に石、呪具で応戦する。

 この夜間の手探りな戦闘は本格化することもなく夜が更ける。


■■■


 夜明け前、アティトゥン川の下流から船が到着した。現れたのは今時有り得ないような全身を甲冑で覆う重装騎兵達。

 槍と秘跡探求修道会、通称アルベリーン騎士団。標的も発見した、総長バセロ・マルセーイス。

 彼らは奇跡を使い、そして何らかの手法で銃弾も凌ぐ重装甲でも軽やかに動く手練だ。千に満たない人数だが強敵である。

 過去の事例だが、銃撃が余り効かないので大砲で仕留めたこともある。

 パンキアはアルベリーン騎士団がアラナ軍の戦列に加わって陣形を磐石にする前に打って出た。

 太鼓と笛が鳴らされ、原色に塗られた獣の戦装束の戦士達の、先駆けが突っ込む。待機中の部隊は歌い踊っている。

『ギャア! キィア! ギャア! キィア!』

 凡そ二万のアラナ軍の戦列の前に並べられた大砲約四十門を操る砲兵が、誤差もわずかに号令に従って一斉砲撃。砲煙が大量に吹いて、四十あまりの砲弾が全て地面に浅く当たって跳弾して突っ込む戦士達の足を二百、三百と引き千切った。落とし穴にでも落ちたように戦士達がガクっと沈む。

 先駆けは戦友の体と千切れた足を踏みつけ、構わず突進。

 エスナルの河川艦隊が横合いから砲撃を行って更に数を撃ち減らす。

 先駆けが盾になっている内に、銃を持った戦士達が前進する。アラナ軍の左翼方向、開けた平野部へ駆け出す。隊列は組まないが、裸足で全力疾走する勢いはある種騎兵のよう。

 そして先駆けの第二陣が突進を開始。波状攻撃だ。

 先駆けは投槍器に槍を嵌め、突進する勢いのままに投げる。そして槍の行方も見ぬままに鋸剣を手に取って走る。

 槍は弧を描き、アラナ軍の旧式銃の有効射程外から降り注いで前衛に配置されたシパテク兵に突き刺さる。槍は何れもかすったりすることもあるが全て当たる。槍が呪具なのだろう。

 大砲が次は先駆けに対してぶどう弾を発射する。無数の拳大の砲弾を食らって先駆けの半分以上が引き千切られ、そのぶどう弾の雨を掻い潜った戦士達を前装式施条銃で軽歩兵が狙い済まして撃ち倒す。それでも近寄れば前衛のシパテク兵が号令に従って旧式銃を構え、狙い、一斉射撃で薙ぎ倒し、反転行進、第一列が後列へ行き再装填。前に出た第二列が旧式銃を構え、狙い、残るわずかな先駆けを一斉射撃で皆殺し。

 そうしている間に第二陣が迫り、砲兵が弾薬を装填してまた同じように一斉砲撃で跳弾を行い、失敗することも多少あるが、戦士達の足をまた弾き飛ばす。

 この繰り返しではただパンキア軍は殺戮されるだけである。パンキアの考えはどこにあるか。

 アラナ軍左翼を狙う銃の戦士が、隊列は組まないが立ったり座ったり、自由に射撃を開始する。銃の戦士が持つのは全て施条銃だ。勿論我がランマルカ製で、前装式より装填の早い後装式である。

 これに対抗するように前進したのがアラナの正規兵部隊。素早く整列行進をして進む。

 砲兵の一部が第二陣に対して砲撃するのを止め、銃の戦士へ砲撃を開始する。こうなると第二陣の突進は先駆けより弱らずに到達する。そこは先程よりシパテク兵が反転行進射撃を粘り強く行うことで持ち応えるのだが、先駆けと違いあまり当たらない槍を投げた後に鋸剣で突っ込む戦士に斬られて倒れ始める。そうしている内に第三陣が突進を始めている。

 銃の戦士は隊列を組まず、固まらず射撃する。アラナ正規兵は整列しながら前装式施条銃で一斉射撃をする。銃の扱いはアラナ正規兵が上で、一斉射撃を素早く繰り返し、塗りつぶすように銃の戦士達を撃ち倒す。士気の低い軍なら壊走しそうなぐらいに撃たれ、倒れてもその隊列は崩れない。

 第二陣に苦戦したシパテク兵が前衛を勤めるアラナ軍本陣には第三陣が、銃弾から守る呪術を使う戦士に守られて肉迫されつつある。そして亜神が混じる第四陣が突進体勢にあり、ここに来て出る順番がわれわれの常識と違うが大砲の戦士が前進。

 ようやく戦闘体制が整ったアルベリーン騎士団が、馬に乗って川の方角より、河川艦隊の砲撃に合わせて騎兵突撃を敢行する。

『アルベリーン!』

 竜殺しの聖人の名を叫んで突撃。

『アレレイ!』

 アラナ正規兵部隊が合わせたか、撃ち減らした銃の戦士達へ銃剣突撃を敢行し、予備の軽騎兵が合わせて出て銃の戦士の掃討に馬を走らせた。

 両方の突撃によってパンキア軍の第三陣も銃の戦士も蹴散らされる。

 そして大砲の戦士がアルベリーン騎士団に対し、戦っている仲間毎砲撃を開始する。これも我がランマルカの施条砲で弾種榴弾。銃弾無敵のアルベリーン騎士が軍馬諸共薙ぎ倒される。

 そして砲撃が止み、第四陣が突進して、その側面アラナ正規兵が整列しての一斉射撃で撃ち殺し始める。

 軽騎兵は銃の戦士をほぼ追い散らしたが、控えていた呪術投石戦士から異様に当たる鉛玉を投げつけられてあっという間に皆殺しにされた。あの投石戦士はペセトトでも精鋭中の精鋭。熟練銃兵が後装式銃で狙いもつけずに七発撃つ間に十発は投げて当てる。玉が切れても石で当てるし、火薬要らず。恐ろしい連中である。

 アルベリーン騎士団の凄まじい白兵戦能力で第四陣は壊滅状態。横合いからアラナ正規兵が攻撃しているのも大きい。

 植民地を除けばそれほど大きくないエスナルが今日まで戦ってきた理由も分かる戦いだ。

 エスナルは植民地の獲得により国の大きさに見合わない富を手に入れ、行ったことは戦争に次ぐ戦争である。金が無ければ戦争は出来ないが、あれば出来るということである。

 新大陸で我がランマルカ、ペセトトと戦い、旧大陸では最近大人しいが魔神代理領や神聖教会圏諸国とも戦争続きだった。

 エスナルの弱点であった人口不足は移民の募集、植民地の原住民活用である程度解消されている。そうした結果、得られたのはこの多数の熟練兵。

 パンキア軍の死傷者は膨大。死体の海という状況である。

 まだまだ後続に終わりを見せない第五陣が突進を開始する。これでも勢いが衰えないのだからアラナ軍も辛い。アルベリーン騎士団を殿にし、アラナ正規兵を後方に下げた。そして軽歩兵を前に出し、騎士を援護するようにする。シパテク兵の多くを右翼側の、川の方へと移動させて攻撃正面を広げ始めた。砲兵も前に出し、騎士団を支援するようにしている。反転攻勢に移ろうとしている。

 この戦いが終わらない内に二人の標的を狙撃する機会を伺っているが、余り良くない。

 ブロルーリャは前線に出ないで後方から戦況を伺いつつ指示を出す司令官だ。相変わらず狙撃するには悪い位置にいる。丘の上にいて、周囲は兵士に囲まれている。

 前線に出て自ら槍を振るマルセーイスは良い位置にいるが、兜が邪魔だ。

 マルセーイス狙いの狙撃位置へ移動する。戦場の外、丘とも言えない微妙な地面の盛り上がり場所で腹這いになる。銃身を置く台は荷物袋。

 ”猫”が退路確認に、獣のように身を低くして動く。

 ”狼”は自分が狙撃準備をしている間は周辺警戒。見つかりそうだったら移動する。見つかってからではない。

 攻撃が上手くいっていないからか、盛り上げるようにパンキアが全面に躍り出る。良い的になって蜂の巣になると思いきや、何か呪術の効果か銃弾が当たらない。真後ろの戦士達は変わらず銃撃に倒れるので間違いは無さそうだ。

 そうして、相手をしてやる、と前に出るのは総長マルセーイス。両陣営から声援が送られる。

 槍を持った武者同士の一騎打ちという時代錯誤な状況。こんな機会、貰っていいのだろうか?

 照準を合わせの前後ネジで狙撃眼鏡の位置を調整しながら戦いを見る。

「風、南東から毎時十イーム」

 ”狼”が風速計で測っている値を告げる。結構強い。

 弾丸を呪術弾にする。

 両者、槍を打ち合わせる。殺しにいかずまずは力量試しだと言わんばかりの攻防をする。横ネジで偏流補正。

 木の柄に鋼鉄の穂先のパンキアの槍が折れる。マルセーイスのは全金属製に見える。

 上下補正の試射はしていられないから調整無しの状態にする。それほど長距離ではないし、勘で弾丸の落ち込みを修正する。出来る距離だ。

 肩に銃床を当てる。左手で銃床を握る。静かに息をしながら隙を伺う。

 鋸剣を手に取ろうとしたパンキアだが、マルセーイスに槍で斬り伏せられ、止めの刺突を四つ足獣の脇腹へ打ち込まれた。

 パンキアが討ち取られ、そして短剣で首を獲られて掲げられる。パンキア軍の勇猛な戦士達がたじろぎ、アラナ軍の兵士達は腕を上げて叫ぶ。

 どうだ、やったぞとマルセーイスが喝采を浴びる。良い顔だ。

 顔を、否、叫んで開けている柔らかい口内を狙う。呪術弾にもそう意識を送る。

 息を止めて照準を止め、引き金を絞り、撃鉄が落ちる瞬間まで耐えて止め、動くマルセーイスの口の方から照準に収まった時に最後の一絞り。

 マルセーイスは倒れない……だが動きが変。口から吹くのでも吐くのでもなく、湧き出すように血を流して発作を起こしたように奇妙に踊って倒れる。兜に隠れて見えないが、後頭部がどれほど炸裂しているか確認したい気持ちが出てくる。しかし狙撃手の仕事はそれではない。

 命中確認、逃げる。良く見なくてもアラナ軍の上がった士気は反発するように落ちた。

 ”猫”を先導に退路を行く。

 まだ追われていないが捜索部隊が間もなく放たれるだろう。合戦中なので余裕はないだろうが、あの傭兵、軽歩兵達を差し向ける余裕はあるはず。

 単純な足の早さで、距離を離して逃げ切る。いくら追跡しようとも追うより早く逃げる相手に追いつくことは不可能である。

 草むら、密林、小川、泥溜まりを越え、敵が追いつけないパンキア軍の後方へ移動する。

 戦闘中であるというのにパンキア軍の後方は、士気の高揚という範疇を通り越して歌い踊り疲れているようにすら見える。一部では普通に料理を作って、酒に茶を楽しんでいる。

 危険な状態であるはずパンキア軍だが、余裕たっぷりに一通り歌って踊ってから後退し、将軍の交代を協議しながら飲み食いを始めた。

 現代的な軍隊ではない。序列を定めて素早く指揮系統を再構築すればそのような手間は省けるのにもめている。いや、談笑している。何なのだろう?

 戦い方も酷かった。戦力の意図的な逐次投入で、戦術とかそういうものではない。何か組織的弊害があったようにしか見えない。

 座って休んでいると戦士が我々の分の食事とお茶を持ってきた。受け取って食べる。

「”狼”くん、何であんな戦い方なの? 非効率以前の問題だ」

「それは、ああ、新参の革命ランマルカは知らないか。キアチェカトル峠に要塞建造するぐらいだからな」

「あそこは要衝だよ。何かおかしいの?」

「ペセトトからすれば、何か凄い建物作ってくれて楽しいなぁ、ってなもんだ。さて、認識の違いがあるわけだがそこを踏まえて、この戦いは東岸での出来事だからこんなの戦争じゃないんだ。これはツィツィナストリの神を養うための儀式だ」

「え?」

「ペセトトの戦争は本当に凄い。人間の王政ランマルカが上陸したばかり、俺がまだ普通の人間だった時だ。旧大陸の疫病が流行って新大陸の人口が激減してた、侵略側の黄金期だな。エスナル軍がキアチェカトル峠を越えた。戦争と認識したら皇帝と亜神だけの精鋭部隊が出張って、一撃離脱を昼夜問わず、何日繰り返したか覚えてないが、それでほとんど皆殺し。その時傭兵やって随行してたが、酷かった。手も足も出ないとはあれだ。それがペセトトの本気、戦争だ。今回の生贄の儀式と全然違うだろ。人口調整も兼ねてると俺は思ってる。戦士の奴等を良く見れば分かるが全員年寄りだ。そろそろ始まる妖精の老化現象の前に晴れ舞台で死にたいんだ。武器を持った相手がいるだけの踊りなんだよ。腐って死ぬより踊って死ぬ方が良いだろ」

「そう言われると効率的に聞こえる」

「亜神も強い奴等じゃないな。増えすぎたから死なせたいんだろうな」

 そんな状況だとはおそらく知らないアラナ軍は優勢な状態。こちらは隙だらけで一応の好機を得たわけだが追撃をしてこない。

 死傷者の数ならばパンキア軍が圧倒的に多いし、精神的な支柱になる亜神もかなり死んでしまっている。物質精神両面でアラナ軍は勝っていた。マルセーイスの死は衝撃だったかもしれないが、頭脳たる司令官ブロルーリャが死んだわけではなかった。

 しかしアラナ軍も数的劣勢の中で戦ったので死傷者が多く、昨日から不眠不休なので疲れ切っていた。アルベリーン騎士達も総長の弔いをしていて直ぐに戦おうという雰囲気ではない。また攻撃をしようにも、前進をすれば側面を突くような位置にエカレスがある。民兵程度でもあそこから側面攻撃を受けたら、疲れ切った軍に厳しい攻撃になる。元気ならばともかく、疲れている状況では大きな障害だ。

 両軍共、短いかもしれないが休戦状態に移行する。


■■■


 朝の戦いが終わって昼になる。朝の激しい戦いが嘘のように静かで、両軍で死体の回収を仲良くやっている。お互いに寝たくても寝られない感じだ。

 ブロルーリャの狙撃位置が取れないか再度確認しに行き、無いと諦める。司令部の天幕からあまり外に出ない。

 ふと本国では割りと聞き慣れた、新大陸ではたまに聞く甲高い吹奏が聞こえてくる。最初は疲労による聞き間違いかと思ったが、アラナ軍の斥候が騒ぎ出して確信した。ランマルカ種族の兄弟、あのハッド妖精のやかましい袋管笛だ!

 袋管笛を吹奏する、革命後も民族衣装を脱がない頑固なハッド妖精を先頭に、強行軍でユアック軍が到着。アティトゥン川の向こう側で、エスナルの河川艦隊に道を遮断された形ではあるが、あの軍がいるということは海軍が再びチラテナ近海に到着している可能性も含まれる。

 ここにユアック軍が既にいるということは、新大陸北部のロシエ、エスナルのクストラ軍を攻撃して抑え付けてからやって来たということになる。とんでもない速度での不眠不休の強行軍でやってきたということになるわけだが、戦える体力は残っているのか?

 そもそもこんな戦争ではないと言われた戦いに必死になってしまっているのが今では滑稽。だがペセトトの事情とランマルカの国益は同一ではないので滑稽とするのは早計か。租借領アトルカカンの防衛には必要な、我々の戦争だ。少し迷ってしまったが、これは我々のためだ。

 アラナ軍だが、後退かと思ったら疲れた兵士達に塹壕を掘らせて防御を固め始めた。この行動は増援到着の望みがあるということだろう。


■■■


 優先目標を切り替えよう。

 彼等は海から上陸した部隊ばかりだが、更なる海上からの援軍をあてにするのは考えにくい。我がランマルカ海軍の接近の可能性もある。

 それから単純に天候で到着日時がおそろしくズレるからだ。この辺は嵐も多い。南東からの風も今は強くなってきているし、悪化の可能性はある。この近海では艦隊が全滅するような嵐も吹くし、今はその季節でもある。余り我が方の海軍も同一海域に留まっていられないのもそこが原因だ。

 アラナ軍が長期的に拠点に篭って待つのではなく、野戦配置で待つのならばもっと確実に陸路から素早く現れる予定があるということだろう。

 後方連絡線を探りにいく必要がある。ここより南、ロシエ領ポドワ方向。エスナルとロシエは対ランマルカ、ペセトト同盟に対して同盟を組んでいる。

 さて増援はどちらの方角から来る?

 頑強な海上要塞を持つプトゥミル方面からか、内陸の係争地クレイツァ方面か。

 プトゥミルを無視して進むことは、後方連絡線を無視すれば可能。

 クレイツァは頻繁に戦闘が起きる分、重点的に防御が固められている。無視されるほどに無能な要塞ではない。駐留している騎兵隊が動けば陥落させずに突っ切るのは困難だろう。

 街道を無視して突っ切ることは? 不可能じゃないが時間が掛かる。増援も同じくユアック軍に同じく強行軍であろうが、分からない。

「”狼”くん。呪術でアラナ軍の増援が、プトゥミル、クレイツァ、それ以外の原野から、どこから来るか分からない?」

「そんなもん分かるか。どっちにしろ通る道で、十分に準備して待ち伏せが確実だ。ケペチュ近くの街道だな。原野の方は考えるだけ無駄」

 その手があったか。

「流石”狼”くん」

「出来ることだけしてればいいんだ」


■■■


 どちらにしろ敵の増援が通るであろう道、道が収束するケペチュの街道脇の高所、丘の上の樹上で待機する。

 退路の確保、試射、照準調整も済ませる。

 ケペチュ近くの街道を通らないで大軍の通過は困難だ。密林、湿地帯、塩性湿地帯、山と軽装備の個人が挑むだけでも大変な場所ばかりだ。損耗を無視して通過も可能ではあるが、一刻も早く救援を欲しがっているアラナ軍を助けるためにそんなところは通っていられないだろう。

 風が強くなってきている。

 閃光、轟音、落雷。

「風、南東から毎時十五イーム。雨混じりだな」

 ”狼”が風速計で測っている値を告げる。これからもっと悪くなりそうだ。呪術弾に頼るか? 雨天での信頼性は確かめていない。呪術弾は骨に鉛を被せたもので軽い。軽いと風の影響が強い。通常の重い鉛弾でいこう。

 ひたすら待つ。木の葉が揺れて擦れて音が鳴る。木が枝が揺れる。銃身を支える枝の間に張った縄も動く。

 待つ。指が冷えないように口に咥える。

 ”狼”が正しかった。敵が確実に訪れるであろうこのケペチュで待って正解だ

 アラナ軍への増援が到着、行進縦隊形である。

 雨風、雨雲、日暮れの薄暗さで見辛いが、指揮官の顔を探るといた。”冒険家”マリル・プリリス大佐。馬に乗っている。

 傭兵? 服装は軍服ではない。冒険家に大佐というのは、軍のではない名誉称号が贈られた形か。

 自分の”大尉”も似たようなものだ。軍属だが部隊行動は取ったことがない。

 プリリスはかなりの数の原住人間の部隊を引き連れている。姿格好は多様で複数部族の混成だ。銃の数は少ないが呪具を持っていれば戦力である。

「あの格好はファロンの部族共だな」

 ”狼”の見立てなら間違いない。

 エスナル領ファロンは地理的にはロシエ領ポドワより南で、エンカナワ山脈があってペセトトとは無縁のように思えるが、彼等のほとんどはペセトトの圧迫で移住を余儀なくされた人々だ。伝説の上では妖精は悪霊としている。

 だが世代が隔たった今、どれほどの脅威を覚えているだろうか? どのような経緯でエスナル軍の兵士になることを良しとしているのだろうか? 忠誠心は見たことも無い王に捧げられているだろうか?

「風、南東から毎時十九……二十イーム。徐々に上がってきている、二十一、二十五? 二十一まだ上がる。ここは……何でもない」

 偏流補正の横ネジを元に戻す。横への流れは勘で補正する。機械というのは補助する物で従うものではない。最後はやはり目と手と経験。

 閃光、轟音、落雷。

 恐れるな! とプリリスが帽子を指揮杖のように振ってファロン兵に前進を促す。鈍り気味になった行進縦隊の足が活気を取り戻す。良い指揮官なのだろう。

 風に流れた雨が体にかかる。火打石式だったら狙撃は諦めたところだ。化学の結晶、雷管式撃発装置を信じよう。

 忠誠は外海の王か、目の前の指揮官か、試してみよう。

 木の幹に背、太い枝に足、突っ張って固定。肩に銃床を当て、左手で銃床を掴む。体も狙撃銃も銃身を預ける縄も揺れる。”狼”が木から降りようと言いかけたのは分かる。

 木の葉の傘から滴る雨が狙撃銃を濡らし、狙撃眼鏡の視界を塞ぐ水滴が増え始める。風で木も揺れる。狙撃眼鏡を外して裸眼でやろうか、やるまいか。

 閃光、轟音、落馬。

「ククク、あれじゃ神に殺されたみたいだな」

 珍しく”狼”が牙を見せて笑う。

 動揺し、発狂するファロン兵、散逸。もしくは地面に這い蹲って祈る。

 濡れた銃身が湯気を立てる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る