第176話「浸透」 ベルリク

 要塞線を突破し、全正面で攻勢開始。バルリー共和国の西側国境線を遮断するワゾレ方面軍と接続するまで前進だ。

 彼等が孤立しないようにこちらも前線を押し上げて、あちらへの圧力を抑えないといけない。ワゾレ方面軍の描く弧は長く細く、比較して脆い。

 こちらが東で、あちらが西で下書きを描いたらならば、後は塗り潰す。

 ジュレンカに「私のためにここまで来た下さったんですね! 嬉しい」とか言われたい。やはりどう考えてもボレスよりジュレンカの方が可愛い。

 だがボレスは顎の肉タプタプが……ジュレンカのおっぱいタプタプ? いやそれは何かいけない気がする。

 家に帰ればジルマリアがいるが前線にはいない。前線妻? セリンが手元にいれば……まあいいか。

 方面軍は師団ごとに攻撃割り当て地区を持つ。

 師団は割り当てられた全正面に対する軽歩兵大隊による散兵隊形での威力偵察から始まる。

 軽歩兵大隊は遭遇する敵戦力の評価を行いながら前進する。

 突破困難な拠点に遭遇したら停止するか迂回突破を行う。

 突破困難な拠点には歩兵旅団が急行して攻城戦を開始する。軽歩兵大隊が現地で停止している場合は歩兵旅団の到着を待って可能なら迂回突破を行う。

 歩兵旅団は独力での攻城が困難であると判断したならば砲兵旅団の派遣を要請する。

 著しく攻城困難な拠点に対しては砲兵師団の派遣を要請する。

 全縦深に対して騎兵隊の機動力を活用する。

 後方連絡線の維持を怠らない。

 敵軍との会戦の可能性があれば兵力を集中する。

 これが攻勢時における我が軍の基本方針である。昔アソリウス島でやったことの逆を参考にしている。

 敵の弱い箇所は突破し、強い箇所には強い部隊を派遣して破壊する。突破した部隊は敵の後方をかく乱し、破壊困難な敵の強い箇所があれば包囲して破壊する能力を高める。

 流石に総統とあろう者が軽歩兵大隊に混じって前進することは出来ず、マトラ方面軍司令部と共に前進する。マトラ方面軍司令部と所属する第一四砲兵師団は現在のところ同じく動いている。

 軽歩兵大隊が浸透し、拠点があれば歩兵旅団が連隊砲兵を引き連れて粉砕する。

 どうしても撃破困難な拠点があれば砲兵旅団が急行して粉砕する。

 それでも手に負えないのなら砲兵師団が向かって粉砕する。

 現在のところこの第一四砲兵師団の出番は先の、要塞線への砲撃以外で無い。

 第一一、一二、一三師団は中央左右両翼に別れ、手持ちの各歩兵旅団、砲兵旅団で快進撃中だ。

 第一四砲兵師団が暇か? というとそうではなく、独立工兵旅団と共同してマトラから続く街道を作り、補給基地を作り、警備活動を行い、各師団間を行き来する補給部隊の安全な移動を実現している。森林部での戦闘が苦手な親衛隊の騎兵諸君にはこの街道警備をやらせている。

 それから大量のバルリー人捕虜の管理を三個師団から引き受け、虐殺して疫病が流行らないように処分もする。電撃的に侵攻しなくてはいけない三個師団には捕虜と遊んでいる暇も惜しいのだ。捕虜管理に部隊を割くのは中々大変である。

 あの要塞線は新しい造り方――時代だけで見れば一昔前にロシエで考案されたものだが、要塞の進化は百年単位なので最新で良い――で頑丈だった。しかし古くからの都市や要塞の数々は、余程のことが無い限り改築されない。出来ない。

 資金潤沢な国家の重要拠点ならば細かく手が加えられるが、地方はそうもいかない。要衝として見捨てられたのならば維持費が掛かるので朽ちるままに放っておかれるもの。新しい要塞技術があっても、それで建設する資金、人手があるかは別問題だ。バルリーにそれがあるか? あったら傭兵なんかしていない。

 今日も妖精達は元気に、バルリー人の乾燥させた肉片、指や腕、顔の皮などと見て人と分かる部分を銃剣に刺して、小銃担いで行進。

「故郷奪還!」

『故郷奪還!』

「総統万歳!」

『総統万歳!』

「報復成就!」

『報復成就!』

「連邦万歳!」

『連邦万歳!』

「祖国解放!」

『祖国解放!』

「親分万歳!」

『親分万歳!』

「賊軍殲滅!」

『賊軍殲滅!』

「陸軍万歳!」

『陸軍万歳!』

 通りがかる街道上の村や町、防備の薄いところは分遣隊を出し、行軍を止めずに焼討ちして、貯蔵物資があれば集積しておいて後続の補給部隊に回収させる。余りにも少ない時はその場で食わせたりもする。

 基本的にはバルリー人は当然人並みに頭が回るので住民は基本的に避難しているが、頑固で逃げないとか、情報伝達が悪くて逃げそこなったり、火事場泥棒や折り悪く居ついた浮浪者が間抜けに居たりと、犠牲者に事欠かない。

 妖精達は建物から人を引きずり出しては、

「いいからこっち来て!」

 と小さい子供を井戸に放り込んで「ドッガーン!」「バッドーン!」と大きめの石を投げつけて蓋。

「復讐するだけだって!」

 と大人は棍棒で「ベチーン!」「ドーン!」と殴り殺す。

「皆こっちだよ!」

 と女老人は建物に詰め込んで火を点け、女の高い悲鳴には外から建物をバンバンと手の平で叩いて「がーんばれ! がーんばれ!」と、もっと喚けと言いながらまとめて焼く。

「ちゃんと火の始末はしろよ。山火事になったら大変だからな」

「はーい総統閣下! 燃焼瓦斯で処分したら崩しまーす!」

「よし偉い」


■■■


 第一四砲兵師団は比較的ゆっくりと進む。

 時に効率の面から他の三個師団の代わって拠点攻略に挑むことはある。

 東から落とすように西に侵略するこの作戦、このバルリー高地は単純な地形をしておらず、時に道から大きく外れたところに都市があったりするのだ。山中にある、大きい湖が隣接する街や鉱山街などは典型例か。山の中のオアシスと呼べば多少は美しい。

 長距離重砲は組み立て、頑丈な設置地点を作ってからじゃない運用出来ない上に運搬は困難で、この山岳地形だと特に困難である。正直、余程の標的が相手ではないと使いたくない。

 第一四砲兵師団所属の歩兵旅団を出撃させ、地方都市マーレオシュを攻撃する。

 まずは山でも持ち運び容易な軽砲を運んで都市へ撃ち込む。旧式な城壁ならこれでも相当に破壊出来るが、敵の迎撃能力を喪失させるのに不足である。

 次に大砲のように重量が嵩張らない重火箭による攻撃を行う。軽砲が砕いて燃え易くした市内へ、焼夷弾頭が突入して火災を起こす。消火作業で迎撃部隊の人手が取られることだろう。

 次に使うのはバルリー人。家族の国外避難を約束し、爆弾を抱えて自爆攻撃をさせる。怯えずに逃げなかったらちゃんと家族の避難をさせる。これは観戦武官達の前で約束し、命令文書を見せて誠実に行った。説得は意外に簡単で、拒否したら目の前で一人ずつ順に嬲り殺せば直ぐだ。

 次に銃兵による狙撃、牽制射撃。城壁上の敵兵を撃ち、また突入部隊の接近を邪魔させないように牽制射撃を行う。また軽歩兵はこのように射撃をしている間に都市を包囲し、脱走者を監視する。

 ここで聖王の領域でも活躍したグラスト分遣隊の出番。全師団にこんな凄い連中を配属させられたら良いが数が足りない。集団魔術が発動され、地面が抉られながら進むような土砂津波で城壁と攻撃方向にある市内の一部建物が根こそぎ破壊される。突破口開通。

 そして随伴工兵による迫撃砲による悪臭弾の制圧の後に、防毒覆面の突撃隊が突入を開始する。

 突撃隊には、要塞線の時は悪路なので使わなかったが更に新装備がある。その名も突撃砲。後装式で軽量小口径。砲弾は対歩兵用の散弾と、対建造物用の榴弾が用意される。銃弾対応の防盾が付き、車輪があるので一人でも、二人ならば安定して押して運べる。小さな移動要塞。この防盾に隠れながら銃を撃っても良い。

 都市の敵兵は、悪臭煙でマトモに反撃も出来ずに回転式拳銃と棍棒で瞬く間に始末される。

 恐慌状態の住民や敵兵の生き残りは逃げ惑うばかり。敵兵と言っても要塞線に配属もされなかった虚弱な者や老人子供だ。

 建物に隠れたら随伴工兵が「キャーハハハ!」と笑いながら火炎放射器で焼き殺す。中に隠れた連中も焼かれて即死出来ずに物凄い悲鳴を上げるものだから、バルリー憎しのマトラ妖精達は大喜、笑い転げる。

『キャーキャー! ギャーアハハー!』

 火炎放射器で焼いてばかりだと手が回らないし数も足りないので、突撃兵は手榴弾を屋内に投げ込んで「手榴弾ドーン!」と爆発させてから棍棒と拳銃で突入する。

 兵士の詰め所、古い見張り塔、教会、砦を兼ねるような市庁舎は頑丈な造りである。

 それを銃兵が射撃して牽制しつつ、そこへ突撃砲が接近して、砲撃の反動を殺す二脚を後ろに広げて接地を確認し、防盾の裏側から安全に装填、砲撃作業を繰り返す。隠れながらというのが後装式と防盾の相性の良さだ。

 親衛隊の連中も警備作業ばかりで暇そうなので、下馬させて連れて来ている。悪臭が薄まってから突入。

 親衛隊等の騎兵には前装式の新型弾を使う施条銃と弓矢を使えるように訓練している。草原砂漠で鍛えた目と腕で狙撃させる。窓から小銃を構える敵兵を撃ち殺させる。狙撃する敵も隠れてしまっているのならば火矢を射させる。上手いもので窓に入れてしまい、敵が消火しなければ火の手が上がる。

 そのように敵を牽制して射撃不能にしたならば随伴工兵の出番。接近して火炎放射器で屋内を炙り、悲鳴が長く続いて妖精達が爆笑する。

『ミキャキャキャ! ギャヒャヒャア!』

 窒息するんじゃないかと思うぐらいに妖精達が笑う。普段の遊んでいる時の「キャキャキャ」の笑い方と違ってとても悪い顔と声だ。

 都市の建物を制圧したら捕虜を集め、自爆戦法に使えそうな奴は確保し、それから虐殺するのだがやはり時間が掛かる。

 使える物資を奪いながらだと時間が掛かる。捕虜として集める以前に逃げ回るのでどうしても手間取る。親衛隊に騎馬で回らせたが、地方とはいえ都市一つなので掛かるのだ。

 都市住民の虐殺を中心に、農村住民はある程度放置して、後続の保安隊や補助警察に任せるという段階的な手段を取っていても時間が掛かる。

 どうにもならないか?


■■■


 マーレオシュでの虐殺が終わり、少し前進した司令部で昼飯。

 竜跨隊でアクファルは元気に敵陣地内で活動中で、敵の配置図などは頻繁に送って寄越すが顔の方を見せに来ない。

 現場を見てやる気が起きたのか、竜跨隊にはルサレヤ長官があの竜に見える戦装束を着て随伴している。年寄りが「引退する」と言ってしないのは古来からの常識だ。体がついていけなくなって、引退してから「引退する」と言ってからが本当である。

 ラシージは当然、後方勤務でいない。

 黒旅団は夜間活動に備えて昼夜逆転で寝ている最中で、三個師団の側の最前線にいる。

 一緒に飯を食う相手はボレス、何時の間にか親衛隊で偉くなっていたクトゥルナム。食欲無さそうな観戦武官と、戦闘に参加出来なくて残念そうなヤヌシュフに、案件が重なって考え事が多くなってきたカルタリゲン中佐。華が足りないと思ってアリファマを呼んでみたが、むっつり黙って大量に食うだけ。

 血塗れな戦場でも平気なはずのカルタリゲン中佐がお疲れ気味なのは南メデルロマ問題があるからだ。ほぼエデルトの持ち物となっているオルフの問題である。

 南メデルロマの我が連邦市民に対してアッジャール朝からは退去勧告が出た。こちらとしては市民が無人地帯を開拓しただけであるので正当な所有物だと主張。

 そもそも領域に関してはペトリュク関門以外に条約で定めていないのだ。ヤゴール、フレク王領との領域は慣習的なもので定まっているという認識である。よって東スラーギィの北限と、そちらの主張するメデルロマ領との境になんの取り決めもない、という論理である。

 南メデルロマでは既に道路と要塞が建設中である。主要な移民は亡命風のランマルカ兵、人民解放軍兵、民族主義の高揚を抑えるための強制移住者達である。

 この地は北スラーギィ軍管区と呼称する準備を整えている。地理的にはそう呼んでもおかしくない連続性を持つ。メデルロマ北部は森林地帯で――オルフ全土が森林地帯みたいなものだが――この南部は草原的な荒野だ。

 アッジャール朝にはニズロム公領との引き換えに譲渡する用意があると言ってある。勿論、ニズロムは独立した存在として帝国連邦に加盟するという方式でも結構だと。既存の為政者や市民の権利を侵害するものではないと付け加え、そしてニズロムの旧人民解放軍幹部から公爵になった者にも伝えた。あの大陸宣教師スカップに特使を頼んである。ランマルカのお墨付きということになり、ニズロム公の面白い反応があるだろう。

 情報局員ではあるが、この帝国連邦総統との気の通じた外交特使でもあるカルタリゲン中佐の立場としてはまあ、胃の痛い事態に違いない。立場が立場なので何か交渉するにも変節的にならざるを得ないかもしれない。上下板ばさみの立場は苦しい。古参の給仕に「カルタリゲン中佐に出す氷菓は大盛りにしてあげなさい」と指示しておく。

 もうちょっと胃を痛めても構わないエデルト王の臣下であるアソリウス島嶼伯ヤヌシュフはと言えば料理の肉を切りながら「総統閣下! 死体の試し切り! 試し切りなら外交問題にならないのではないでしょうか!?」と何やら閃いたようだ。

「中佐?」

「アソリウス卿、ダメです。メーですよ」

「えー」

 そりゃダメだろうよ。


■■■


 マトラ方面軍は順調に前進を続けた。主力を要塞線で跡形も無く粉砕され、軍の再建と集中を許さぬ速度で我々が進撃しているからだ。

 斥候伝令狩りは密に行わせている。竜跨隊、偵察隊、特別攻撃隊と先行する軽歩兵大隊が連携して動く敵を全て殺している。捕虜に取って情報を吐かせるということも同時に行っているが、敵よりも敵情を把握しているような状態なのでそこまで必要が無い。竜という敵陣地を跨ぐ伝令手段のおかげだ。こんな兵科を持っててまだ世界を征服していないなんて、魔神代理領は何をしている?

 良い報せがあった。右翼、北方を進んでいた第一一師団の先方がワゾレ方面軍と接触したそうだ。

 これより第一一師団はワゾレ方面軍と平行するように南下する。かなりバルリー共和国の地図が血に塗られて来た。

 悪い報せがある。バルリー共和国首都ファザラド以外に第一四砲兵師団が攻撃するような目標が無い。折角運んだ長距離重砲もあと出番は一度になりそうだ。

 良いかどうかはまだ自分では分からないが、たぶん良いことで、ジルマリアからイーム・ヌトル法が制定されたと連絡が来た。

 これはランマルカが提唱する国際的な度量衡のことである。

 イームとは地表から月までの距離を計測して実用的な長さに4億で割った値である。

 ヌトルとは海抜零地点で計測した一平方イームの大気の重さの万分の一らしい。

 マトラの工廠では既に使われていたというし、追認に近い。まあ良いだろう。

 法整備の進展もある。

 産業別土地割り当て法。放牧地、農業地から漁業、鉱業、林業と細かく分類して土地を割り当て、土地、利権争いを阻止、管理する法。

 遊牧民に良くある、長男から家を出て行って新しい家族を作って必要な放牧地を確保。確保出来ない程に放牧地が埋め尽くされたら部族総出で他所へ奪いに行くという行為を止めさせる。定住民でも農地の規模が農民の数に合わなくなると似たようなことに発展する。そこに抱き合わせで整備が進んでいるのが徴兵制度、官僚登用制度、第二、三次産業への余剰人口の受け流しの仕組みだ。

 産業別土地割り当て法を安定化させるために家長男子は予備役、民兵訓練にとどめて、家長以外の男子は徴兵対象に。

 徴兵免除対象者も規定する。国家資格の制定と合わせた特定産業技術者、官僚と官僚登用試験対象者等である。

 それと徴兵制度に付随して標語が作られた”長寿より名誉”である。徴兵対象年齢は伝統的に六十歳が上限であったが、それは撤廃した。動ける老人は戦って死んで貰うように制度、精神面から推進する。家族も国家も大助かり。老い先短いのなら玉砕するのが格好良い。

 言語法も施行準備が進んでいる。ある程度施行前に既成事実化しておかないと反発がある。特に言葉に関してはそうだろう。各言語、方言に誇りを持つのは愛郷心に連動する。

 行政言語は魔神代理領共通語。軍隊標準語は、高級士官は同じく魔神代理領共通語で、妖精はマトラ語、人間は遊牧諸語を簡易統一した標準語、少数民族で言語が独立しているような集団は連隊制度に合わせて言語集団で一つに固める。これもまた徴兵制度や軍の編制と抱き合わせになる。

 それから軍服の統一もしないと誤射事件も頻発するので定住系部隊は旧マトラ人民義勇軍の軍装、遊牧系はレスリャジン部族用だった軍装、内務省系部隊はまた別に制定、獣人系は体格に合わせた物を別に制定。種類を少なく、簡単に覚えられる範囲にとどめないといけない。民兵、補助警察は帽子と腕章程度にするか、別途制服を作るかは未定。正規軍が先。

 スゲェ面倒な作業だ。自分はとてもやってられない。お仕事大好きのジルマリアに任せよう。

 頭の痛くなりそうな報告の次は、頬が痛くなるような手紙。

 エレヴィカとサリシュフからの、フラル語で書いた手紙だ。評価点として、文法が正しいか、筆記体が流麗か等である。一応、上手い下手だとか評価するのが目的、という建前である。

 二人が最近あったことや、読書感想文を書いている。こんな物、ニヤけないで読めるわけがない。

 フラル語は北大陸西側貴族ならば最低でも読み書き出来なければいけない。貴族同士のやり取り、手紙は全てフラル語を使うのが常識である。いっそ喋れなくてもいい。

 フラル語で読み書き出来て、喋れない。母国語が喋れて、読み書き出来ない。これが貴族の教養としての最低限。地方言語によっては語彙が少なくて書き言葉としては不適である。セレード語は、エデルト語からの借用語が無いと哲学的な会話が出来ず、フラル語からの借用語が無いと神聖教会的な会話が出来ない。魔神代理領共通語からの借用語は官僚用語として生きているが、大分古めかしいものになっていてある種独自になっている。言葉を一つ一つ拾ってこの場合、あの場合と拾えばキリが無いが、とにかくフラル語は必須である。

 エレヴィカの、力を入れずに細やかに綺麗な字の手紙を読む。字は非常に上手く、自分が出す返書が汚くないかと心配になる。魔神代理領共通語に慣れた筆運びなのでちょっと、理想的な字体と違うのだ。手紙の内容だが、私が私が! と自己主張が強いのが目立つ。身内相手ならともかくとして、他人に出す場合は控えめにしないと淑女ではないと返事しよう。外面を取り繕うのも大切な技術であるとちゃんと説明して、だ。

 サリシュフの墨が点々と、やや飛び散る太い字の手紙を読む。男らしい筆記体、以前にこれは単純に汚い。文字列が右斜めに上がっている。何度も書いて練習するしかない。手紙の内容だが、本や政治家に、前セレード王を扱き下ろすような内容となっている。政治に興味があるか……しかしこの文面のままを口に出すと大量の敵を作る可能性があると指摘しておこう。力なき言論はただの射撃の的であると説明しておこう。

 ルンルン気分で返事の手紙を書いているともう一つ、珍しい報告と相談もあった。

「総統、えーと、あれです」

「何でしょうか」

 グラスト分遣隊の長、そしてグラストの秘儀を秘匿はするが広めてくれるアリファマが、相変わらず言い辛そうな顔で、頬を指で掻いている。喋るのが苦手だと知っているが、何年経ってもそのままだ。その必要は無いということだろう。

「子供が欲しい」

 何?

 妻帯者なんですけど、という野暮は言わない。

 要望には可能な限り応えるのも統率者の器ではないだろうか。

「孤児は既に内務省の方で囲っています。となると奴隷を買い集めるような形で子供を引き取るしかありません。予算を組む、と直ぐに言いたいところですが、これは予算編成をしないといけません。ですのでまずはバルリー人の子供の中から良さそうな者は全てそちらで引き取って構いません。全土を奪還する予定なので人数は確保出来ると思います。軍全体に周知するための報せを出しましょう。虐殺中ですからね」

「あー、どうも」

「慣れない環境で戸惑うこともあると思いますが、いつでもお手伝いしますよ」

「うん、はい」

 グラスト分遣隊は俊敏な大火力という以外にもその規模を拡大するという使命を帯びている。

 彼等には教育するに相応しい者を選抜させて預けている。普通の術使いとは選別方法が違うようで、術が使えない者達も教育している。

 目下の教育方法は体力練成で、それとは別に人目につかぬように秘儀を行っている。多重構造になっている天幕の内で、周囲にネズミ一匹入らぬような監視をつけて。見ても分からないだろうけど見せない、という方針。

 体力練成はそれなりに厳しいものが行われているが、それと比較しても脱落者が多い。脱落者はいずれも死んでいて、入念に骨になるまで焼いて、砕いてゴミと混ぜて川に流す徹底振り。

 秘儀の隠蔽のために脱落者を殺すことに同意している。素質が足りない、秘匿の意志が無い、など色々あるのだろう。

 しかしあの喋り方、どうにかならんか? ズボンに手をかけようか迷ったぞ。


■■■


 マトラ方面軍は順調に前進を続けたり、敵軍の妨害ではなく、地形的な理由で足が止まることがある。川だったり谷だったり。

 工兵が道を舗装しないと大砲が運搬出来ない時は足が止まってしまう。止まると暇で、色々なお遊びで暇が潰れる。

 適当の部隊を見て周り、思いつきで近くにいる妖精達に「そこのお前ら横隊整列」と号令をかけて並べる。大人数だと持て余すので少数を狙った。

「かしらぁ中!」

 その中の階級上位者が号令をかけ、自分に各妖精が顔を向け、「直れ!」の号令で正面へ向き直る。

 懐から銀合金の小箱を出し、蓋を開いてお菓子を見せる。ナシュカの作った飴細工。

「これなーんだ?」

「何だ?」

「何だ何だ?」

「あ、うさぎさんだ!」

「うさぎさん?」

「うさぎさん!」

 兎を知らぬ妖精に、隣の妖精が両手を頭に当てて長耳を表現して、これだよ、と教える。

「うさぎさーん!」

 もう一人が、バルリー人の手の燻製を二つ、頭に当てる。ピョコピョコ動かして、これだよ、と教える。

 ナシュカが器用なのは何となく分かるが、こんな工芸品に分類されそうな物を作れるとは凄い奴だ。

「これから最後まで口を閉じてた人にあげまーす」

「わーい!」

 諸手を上げて喜んだ妖精を指差す。

「はい失格」

「えー!」

 そんなの不意打ち、みたいに不満をあらわにした妖精を指差す。

「はいお前もダメー」

 全員、両手で口を開かないように抑える。

 皆の目前に見せて歩く。面白いくらいに全員の目線が動く。

「お前にだけ特別にあげよう」

「わーい!」

「はいダメ!」

「んむー!」

 引っかかった妖精が地団駄を踏む。悔しいようだ。

 次、号令をかけていた妖精の手を掴み、その手の平に飴細工のうさぎさんを乗せる。そうすると苦しんで、目を閉じて顔を真っ赤にして首をイヤイヤと振ってる。そんなに食いたいかこれ?

 飴を取りあげると、大きく口で息を吐いた。

「はいダメ!」

「きゅー」

 と言ってへたり込んだ。

「おいルドゥ」

「別にいらんぞ」

 護衛のむっつり野郎に言ったらダメだった。

 遂に最後の一人。目を広げて、食べれる!? 食べれる!? と紅潮。鼻を摘まむと目が寄る。

「はい優勝」

 飴細工をそいつの唇に当て、人差し指で押して入れる。

「んっ!? あっ!? んっきー!」

 感情が暴走したように走り回る。連鎖して他の妖精も走り出す。


■■■


 黒旅団と連携して昼夜問わずに敵方へ進撃を行っている。

 昼間の内に足の早い軽歩兵、歩兵が出来るだけ進み、その進んだ分の安全な道を重装備の砲兵や工兵が遅めに進む。夜が訪れたら寝起きの黒旅団が騎馬で前進し、安全な道を一気に進み、そしてその先の安全ではない道を警戒して比較的ゆっくり進む。そうして朝になったら黒旅団が開いた道を軽歩兵、歩兵が一気に進み、と繰り返す。索敵しながら敵を撃破して進むのと、安全を確保した道を悠々と進むのではやはり進撃速度が違う。昼夜交代の進撃は足取りが違う。後方連絡線でも昼夜での担当を分けて荷物を引き継ぎ渡し、一日中動かしていると到着速度が違う。その分必要な人馬の数が単純に倍になるが、速度も倍。

 素早い行軍と補給が全体で見れば終日無休で動いているように見えるが、当たり前だが実際は個別に休んで動いている。

 休みと言えば食事休み。次に動くためには胃袋に燃料を突っ込んで休まないといけない。

 炊事隊が野外炊事車で石炭火力での料理中に部隊は動けない。遊びの時間である。

 妖精達は付近で捕らえた男を跪かせ、棍棒で今、頭を砕こうとしている。

「占いをしまーす! 頭蓋骨の割れ方で占うよ! えーと、晩御飯は鰯の油漬けか脂身の塩漬け、とか見ます!」

「非科学的迷信行為の実行! ダーメなんだー!」

「レスリャジンの同胞がこの前羊の骨でやってたもん!」

「審議! 審議を要求します! 帝国連邦慣習法に則り、魔なる法での裁定を要求します!」

「異議あり! ルサレヤ魔法長官閣下をお呼びする権限を持つ者がおりません!」

「ではお兄様憲法草案での裁定を要求します!」

 何でその名前が妖精に知れてるんだよ。

「アクファル」

 今は定時連絡にやって来ており、近くにいる。

「アクファルです」

「言いふらしたな」

「おにー様きぇんぽーをですか? あ、行かなくちゃ」

 折りよく低空の滑空するクセルヤータが垂らした尻尾にアクファルは掴まり、掬い上げの勢いに跳んで手を繋ぎ合って振り上げ、首の根元の鞍へ曲芸のように尻を収める。

 連携が良過ぎるだろ、あいつら。

「お兄様憲法草案では呪い行為に対する規定はありません!」

「マトラ共和国法での裁定を要求します!」

「マトラ共和国内においては人心を惑わす行為は禁じられております!」

「処罰の前例はありますか?」

「ありません!」

 お前らに人心があったか? そもそもだ。

「お前ら、羊の肩甲骨の割れ方で占う時は、色々地方で差はあるんだが、大抵は焼いてカラカラにしてからパキっと割るんだぞ」

「そーなんですか!?」

「火の力?」

「火力信仰? 吸血鬼の搾取手法?」

「革命軍野外教令の解説書に、大砲は戦場の神である、という記述があります! 火力神は大砲です!」

「合法! 合法だ! 火を使えば合法だ!」

 妖精達は男を押し倒し、その頭の下で焚き火の準備を行って点火。その間、男は焼け死ぬまでエラい騒ぎようだった。

「合法なのに割れないね」

「何でー?」

 集まった妖精達は腕組みして頭を傾げる。

「大砲への供物である砲弾が足りない」

「それだ!」

 焼けた頭が、砲兵から借りてきた砲弾で殴り潰される。

「どーお?」

「んーと、半焼け、脳みそグチャグチャ、頭蓋骨粉砕、くっさー……子人間の骨付き焼肉!」

「ほんとー?」

 飯時を知らせる鐘が鳴らされる。

「ご飯!」

「お腹すいたー!」

「ダメ! ゴミのお片づけ! 終わったら手洗いとうがい!」

『はーい!』

 集まった妖精は手早く男の死体を、ちょっとした待機中にも拘らず広く掘られた死体置き場に放って、そして走って配膳場に並び始めた。

 妖精向けに出されたのは、グラスト分遣隊の選定から漏れた子供達のぶつ切り焼き。大きい骨はともかく、手や足に首、耳のような細かい骨は取らずに出されているので骨付きではある。

 あ、そうだ。人を殺したことのない若い連中集めて殺人体験をさせてやらないといけないな。連邦各所に配送する段取りをつけようか? その前に希望人数の調査をするか? ちょっと掛かるな。


●イーム・ヌトル法

 イーム:1.25m

  この世界における地球の地表から月までの距離を計測して実用的な長さに4億で割ったもの。

  月まで500,000,000m。

 ヌトル:1.5625kg

  海抜零地点で計測した一平方イームの大気の重さの万分の一。

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