第165話「終わらぬ内に」 ベルリク

 オルフ人民共和国の首都ザロネジは現在包囲中である。戦争終盤の盛り上がりも最高潮か。

 包囲が続いて膠着状態にあるのは、沿岸に配置されたランマルカ海軍が艦砲射撃でアッジャール軍を近寄らせないから。砲弾の城壁とは面白い戦術だ。

 港湾部の凍結がどんなものかは情報に無い。ランマルカ海軍が撤退するのは、船体の移動で氷が割れないくらいに厚くなったらか、そうなる前にかだが、余り長くはないだろう。

 オルフ人民共和国のニズロム方面軍司令部より、アッジャール朝に対してではなく、こちら暫定帝国連邦へ単独で降伏したいとの打診を受けている。面白い考え方をする奴なのでちょっと手駒に欲しいし、北海航路が獲得出来るし、良いこと尽くめだが外交的には大問題。これはアッジャール朝の戦争で、我々はアッジャール朝を後援するエデルトに雇われた傭兵だ。我々は、オルフの土地を本来の持ち主の手に戻すという仕事をしている。

 遠隔地はともかく、隣接地域で他人の戦争をすることがいかに間抜けかということをこれで学んだ。火事場泥棒が出来ないなんて間違っている。先祖に面目が立たない。こういうことは最後にしたい。

 他のオルフ人民共和国の軍勢は、ウォルフォ川東岸のスタグロ地方からアストル川西岸のチェリョール地方、そして北海沿岸に至るアストラノヴォ地方に閉じ込められている。

 アストル川東岸のツィエンナジ地方はこちらが掌握している。アッジャール朝はウォルフォ川西岸から東に向かって全面攻勢中だが、真冬につき動きは鈍い。

 ペトリュクの北、アストル川南岸のブリャグニロド領の敵勢は川を越えて北進して後退。その隙をアッジャール朝が確保した。

 アストラノヴォ地方だが、面積は広いがオルフ内でも寒さが特に厳しい地方で、鬱蒼とした針葉樹林が無限に思えるくらいに続いている超田舎の辺境。”アストル川より北”という大雑把な名前が示す程度にオルフ人にとっても未開発。夏季ならともかく、冬季だと死の酷寒迷宮のようなところらしい。つまり敵勢の北への逃走路は冬季には断たれた状態にあり、人が生きられるアストル川北縁からは逃げられない。地図で見ると敵の勢力範囲はかなり広く見え、北海にも接続しているような感じだが実態としては相当に狭く、追い詰められている。東北沿岸部のニズロムが地続きながら完全孤立している所以でもある。

 その優勢下、我が軍に対してアッジャール朝からはペトリュクより北進するようにと要請が来て、エデルトからもそれに準じた話が来ているのだが、今一乗り気になれない。冬季中は行動を控えると言って流している。実際に今年の冬は例年並みにとても寒いし、戦闘外での死者続出が見込まれる。国土を取る取らないで凍死も省みずに戦っている連中とはやっぱりやる気が違うのだ。

 やっぱり良くないなぁ。とっと終わらないかコレ。

 我が軍は冬の厳しさもあるが、やる気が無くて全体的に攻勢を中止している。唯一活発にやっているのがメデルロマ南部での残党狩りだ。そこから東スラーギィに抜けられるので追撃部隊を出し、東スラーギィ側にも兵力を集中させて挟み撃ちにしている。あの辺りは水源も怪しい酷い荒野なので野垂れ死にの残党が多数と報告は受けているが、何も目標物が無いだけに逃げればかなりどこまで逃げられて厄介。

 このような状況下で、戦争も終わらぬ内にシストフシェでは終戦について話し合いが行われることになっている。

 その話し合いに先立って、オダル宰相からは抗議をロシエ宮殿の会議室で受ける。一応、面子が揃う前にした。仲間割れをしているところを見せる必要はない。

「ペトリュクでの過剰な制圧行為と、何より、オルフ東部の過剰な虐殺や略奪について抗議します」

 十年以上前のバシィール城以来だ。年寄りらしく老けたが、気力の点では昔より漲っている風に思える。声は前より荒れたようでちょっと聞き取りづらい。

「過剰とまで言われる覚えはありません。それと東部については現場判断を重視します。必要なことだったのでしょう」

 いつも通りのことなので契約違反っぽいことになってることに気がつかなかった。報告で明確に略奪、破壊、虐殺に注力とか書いてあったが、いつも通りで気にならなかった。それから今後のオルフ侵略に備えて略奪に虐殺を行っているとも報告していたから、明らかに敵対行為だ。そういうことはするなと否定しなかったからこちらの責任。口にも顔にも出さないが。

「ツィエンナジ公領の都市住民のほとんどがいなくなったと聞いております。どう説明されますか?」

「敵だったのでは? 現場指揮官を召喚しておりますので……」

 あれ、間違っちゃった? 習慣って怖いな。

 アクファルにゾルブを連れて来させる。

「ゾルブ将軍、オダル宰相に東部方面作戦での略奪や虐殺行為についての説明を」

「は。迅速な勝利は迅速な決断と行動のみによって得られると確信しており、最大の戦果を求めるのが軍人の本分であります。行動に当たってはその努力を最大限致しております。その上で、敵から入手した物資を再び敵の手に渡すような行為はあり得ず、敵に再び利用されかねない施設の破壊は常套手段です。また私服の武装民兵と住民の区別がつかぬのならば被害が波及するのは当然のことであり、我等が将兵の安全を第一にして排除して何の落ち度も無いと考えます」

 失敗したか? 傭兵稼業も考えものだな。国家経営が軌道に乗ったらこういう商売も効率が悪くなりそうだ。今後やるとしたら少数の軍事顧問の派遣とか、その程度か。エデルトと聖女猊下はまだ良い客だから、そっちは継続してもいいが、様子見だ。

「そちらがその心算で、謝罪や補償が無ければ王国からの今回の戦闘行為に対する報酬はあり得ません。この惨状、むしろ弁償して頂きたいと考えます」

 またややこしい傭兵契約をしてしまったものだ。愛しのシルヴが条件を伝えに来たのではなかったら冷静に蹴っていたかもしれない。全くシルヴの有効活用もいいところだな。騙す心算ならあの男みたいな尻でも胸でも触らせてくれれば良いのに、気の利かん。

「戦場の倣い程度の被害で補償しろと言われても困ります。歩く度に街道修理費用でも出せと? それからペトリュクとツィエンナジにメデルロマ北部は現在帝国連邦軍が抑えています。ニズロムの単独降伏も考慮中で、その支払いが無ければ担保に何をするか考慮しなくてはなりません」

「契約を違えますか?」

「違う解釈が出来るような契約がですか?」

 言ってて苦しいな。このまま逆ギレにオルフ征服してやろうか。一応、現実的な計画案はあるんだが。

「お茶ですよー!」

 給仕の古参が盆に、青く絵付けされた白磁の茶瓶一つと茶器を四つ持ってきた。四つである。

 そしてアクファルがエデルトの代弁者カルタリゲン中佐と、オルフ人民共和国の代表代理として赤毛混じりの金髪ランマルカ妖精を連れて来た。

 完全に話し合いの妨害である。アクファルも良くやるようになったものだ。面倒な話し合いは話し合わないことによって解決が出来るのだ。

「はい宰相さん」

「ううん、む」

 抗議の勢いを圧し折られて言葉にならないオダル宰相の前に茶器が置かれ、お茶が注がれる。

「はい総統閣下」

「ありがとう」

 自分の前にお茶。それから意味も無くこっちを見つめてニコニコ、頭を撫でたら嬉しそうに次へ。

「はい中佐さん」

「これはどうも」

 席に着いたカルタリゲン中佐の前にお茶。

「はいスカップくん」

「ありがとう同志」

 席に着いたランマルカ妖精スカップの前にお茶。知り合いかな?

 アクファルが無言でゾルブの肩を触って、出番終了を告げる。ゾルブは静かに礼をしてから退室。

 スカップがお茶を、ズズっと音を立てて一回に飲み干す。顔と動作の一つ一つが、ラシージとは違うが何か、意志の強い妖精として一本突き抜けているように感じる。

「流石は帝国連邦、これは知らない香りの茶葉ですね」

「ジャーヴァルでも天政でもなく、アマナ産の物です。輸出している銘柄ではありません」

「国家国民需給品目審議数量査定委員会が許可してくれれば直接輸入したいものです。さてニズロムから、アストル川東岸のツィエンナジ、メデルロマ、ペトリュクをオルフ人民共和国として、帝国連邦への加盟を提案します。ジェルダナ大統領はこの案に積極的です。スタグロ、チェリョール、アストラノヴォの勢力は反対らしいので、武力制圧の必要があります」

 これがランマルカ妖精か! 唐突過ぎて何が何だか一瞬分からなかった。オダル宰相もカルタリゲン中佐も分かっている顔じゃない。

「スラーギィとヤゴールの回廊だけではなく、ランマルカとの直通路が拓けます。正直言ってエデルトとアッジャールからの報酬ごときと引き換えになりますか? ベルリク=カラバザル総統閣下」

 スカップくん、予想以上に臆面も無くブチ込んできやがる。あっさりと内部分裂を起こしていることも言い切った。誠実と言えばその通りで、評価しないわけにもいかない。

 これはラシージが傭兵仕事を請けた時の腹案の一つに近い。オルフ人民共和国全体、もしくは一部、個別での帝国連邦加入案。殴って弱らせ受け入れる。

「同志、お茶のお代わりを下さい」

「はーい!」

 給仕の古参がスカップの空の器にお茶を注ぐ。

 発言を理解しだしたオダル宰相も表情が隠せないぐらいに苦々しい。

 こちらとしてもマトラ共和国筆頭に、共和革命派でも受け入れに一向に構わない体制であり、受け入れたならばこちらの占領地域を引渡す先は自ずと知れる。百を裏切っておいて、それから千、万と裏切ったところで屁でもないわけである。

 しかしジェルダナおばさんは本当にしぶとい。寿命的に後先短そうだが、あのしぶとさは部下に欲しい気がする。ただ、旦那の寝首を掻く女はなぁ……ウチのハゲちゃんも……似てるか? 似てないか。

「スラーギィ、ヤゴール回廊の通行権と、ニズロムの港湾の無料、非課税使用権。権利ならば配慮出来ます。これだけではなくスラーギィ、セレードの回廊も可能です。報酬の方は何ら恙無くお支払いします。戦場の悲惨は存じております故」

 オダル宰相引かない。この流れまで分かってアクファルが動いたのなら天才かもしれない。それともスカップくんが分かっててやったのか?

 オダル案、実入りとしてはランマルカに及ばないが、誠実さについては悪影響が薄い。この場合、略奪と虐殺に関しては批判取り下げとなろう。ならなかった場合、今後何か遠慮する必要は無くなる。元々していないが、もっとしなくて良い。

 スカップが今度はゆっくり香りを楽しんでからお茶を一口飲む。

「百戦錬磨の労農オルフ兵が即時配備されます。我がランマルカの装備に習熟しており、軍事顧問団も残ります。紙上口上の権利存在は概念を共有する双方があって成り立ち、片方が否定したらそれまでの存在であります。一方、物理存在である人と土地に対する権利を否定するには実行力が必要とされます。それは比較して物理存在は確実なものであって、どちらを信用出来るかは自明。我がランマルカ革命政府としてはマトラ同胞、そしてその守護たる帝国連邦と強力かつ半永久的に互助関係となるに惜しむところは何もありません。権利を否定する実行力の粉砕に何ら躊躇もありません。無論、オルフ沿岸以外に艦隊が派遣されることも含みます」

 ランマルカの言い回しは分かり辛い。しかしやや眉間に皺を寄せて聞いていたカルタリゲン中佐でも最後の一言には皺を深くする。

「スカップさん、非常に魅力的な提案です」

「でしょうとも」

「しかし我々は精神性を軽んじるわけにいかないのです」

「でしょうとも」

 お茶を、やっとオダル宰相とカルタリゲン中佐が飲んだ。

 選ぶのはアッジャール朝である。領土は奪えても、評判は奪えない。


■■■


 今後の方針を決める話し合いも無事、スカップの援護射撃で終了した。地面に零した物を寸で拾った気分である。

 オダル宰相があれから下手な口出しをしなかったのも互いに良かった。こちらとして、アッジャール朝のごとき小国にナメられたとあってはどうしても意地を張らなければならなくなる。内部の統率には大人チンポ理論は有用だが、対外政策となると強硬にならざるを得ないのが欠点だ。

 気晴らしにお外で雪遊び。

 まずは雪だるまの作成。ロシエ宮殿の正面入り口の両側に一つずつ配置する。宮殿内の前の住人の帽子に首巻、壁掛けの装飾の槍を装備させる。警備中の妖精達が参加したそうにモジモジしていた。

 もいだつららを齧りながら壁外で調練に馬を走らせている親衛隊に混ざり、馬上から雪を掬って固めて丸め、隊員クトゥルナムの好かん顔に投げて逃げる。そこから馬上雪合戦に発展。黒旅団の真っ黒共も途中で呼んだ。

 熱が入ってか馬糞を雪で包んで投げた奴がいて、馬上雪合戦の後半は馬上糞合戦に発展。いつも馬を走らせている場所なので古いものから新しいものまで転がっているので玉数は十分。

 地面の雪と土が馬に穿り返されて白黒混じって汚くなっていた上に馬糞の茶色が混じる。新しいものを除けば凍り付いているのでそこまで汚くないが。

 小便混じりの色つき雪球が繰り出されるとなっては喧嘩になって、馬上で取っ組み合い、落馬して地面で雪、土、糞塗れになって相撲となる。

 自分は華麗に、過激になる前に逃げた。都内に逃げる途中でこっちを睨むニクールと擦れ違った。それから少しして威嚇の銃声と「馬鹿者共が!」と怒鳴る声が響いた。雪はともかく糞塗れになってたら、それは怒られる。

 馬を厩に戻してからは、綺麗な雪を見つけて体を擦って泥落とし。それからロシエ宮殿に戻る。

 アクファルに構って貰おうと思って部屋に行ったら、刺繍入りの産着を縫っていたので退散。

 宮殿内をうろついていたら、給仕の古参が会議室にお茶と菓子を運び入れているのが見えた。誰か使っている?

 厨房へ行く。直接会議室に顔を突っ込んで確認するのは下品なので間接的に突っ込む。

 ナシュカが何か作っているようだが、現在火の気は無い。

「何作ってんだ?」

 ナシュカが何か、中に物を投入するような箱型の機械についている取っ手をグルグルと回している。

「赤毛共から貰った氷菓製造機を試してる」

「雪と氷なら外にいくらでもあるぞ」

「あぁ? その原始人が食うぶっかけ氷じゃねぇよ」

「食わせろ」

「糞でもしてろ」

 待っていろ、ということ。

 厨房を見渡すに、牛乳や砂糖に卵、それから磨り潰した果物の干物。それからお茶用の茶葉と、粉末の茶葉? それから同じく焦げた色の粉末まである。冷たくて甘い菓子の系統なのは間違いない。使用後の鍋を見ると牛乳や卵を混ぜて加熱した跡が見えるが。

「てめぇの馬糞塗れの臭ぇ手で物触るなよ」

 鍋底に残ったカスを指でなぞり取って舐める。甘くて濃厚な乳の味。砂糖入りか。

「会議室、誰使ってんだ?」

「あぁ? そっちが用件か。親分と赤狐だ」

「狐?」

「その辺うろつき回って、臭ぇインチキ野郎」

「何の例えだ」

 ナシュカの肩に顎乗せて、突き出たアウルの長耳が潰れる。冷えてる。

「耳、冷てぇぞ」

「あ?」

 取っ手を回す手を見る。いつまで混ぜてんだ?

「ランマルカの大陸宣教師、赤い鹿スカップ。何考えてるか知れたもんじゃない」

 スカップはそんな肩書きか。共和革命思想の布教とは、まるで人類の敵だな。

「狐はどこ行った?」

「てめぇが糞野郎で奴が狐野郎だよ」

 腹に肘打ちを食らったので離れる。

 後はナシュカが氷菓子を作り終えるまでつまみ食い。

 厨房勝手口からナシュカが出て、そして蓋付きに磁器を持って来て手渡される。勿論外にあったので冷たい。

「それ持って出てけ。邪魔だ」

「お前の耳で外出たら腐るぞ」

 ナシュカにわずかな時間で積もった雪を手で払う。

「うるせえ早く行け。邪魔だ」

 計量用の匙を押し付けられたので厨房から退散。これで食うのか。

 磁器の中身は白い塊。匙で突くと固い。突き入れると脆く削れる。口に入れれば冷たく、直ぐに解けて甘くて乳の味が濃い。

 突いて崩して食べていくと白から今度は緑に変わる。味、風味に茶が香る。少し茶の苦味、渋みがあって甘さが変わる。

 こんどは緑から白と黄褐色の組み合わせ。蜂蜜だ。甘さが急に強くなった。

 その次は焦げ色。茶と違った風味と苦さが甘さを変える。この風味はニクールが南大陸から持ってきた珈琲豆だ。そのまま食うか、お湯で煮出して眠気覚ましに服用すると良いと言っていたが、こういう使い道もあるのか!

 そんな四色氷菓を食って、通りがかりの古参の給仕に磁器と匙を回収して貰って会議室の前まで行く。

 お呼びでもない話し合いに顔を出すのは結構緊張する。ラシージなら邪険にすることはないというのが分かっていると尚更だ。

「……生存圏の拡張や人口増加はランマルカの比ではない、その点は完敗だ。同志ラシージ、君は凄いね」

「赤い鹿スカップに褒められたなら本物と信じよう」

 赤毛で精力的、あとどこにでもいるということで赤い鹿かな?

「そうだとも。しかし人間を利用してマトラを拡大するとはやはり、君は優秀だ。大陸に帰った時は皆が抜けた穴をどうしようかと悩んだものだ」

「こちらにはこちらの合理がある」

「そうとも。愛郷心の無い奴だったら実力は認めても尊敬はしなかった。それでいい、それしかない……おや、立ち聞きかな?」

 スカップがこちらに気付いた。素直に入室。

「二人が何を話しているか気になって、盗み聞きです」

「どうも将軍、いや失礼間違えた、総統。あなたは良い。非常に良い。まるで誰かが遣わしたがごとく! 我等が同胞をお救い下さる神様なのかな!」

 スカップが不思議な感じのする微笑みで歓迎する。とっとと空いている席についた。

「思い出話か?」

「はい。それと相互評価を」

「そうか」

 ラシージの昔話は興味があるが、何とも聞き辛いな。

「総統閣下、あの場では話せなかった件があります」

「聞きます」

「亡命についてです。オルフ人民共和国の敗北は既に確実です。ランマルカも資源を無限に投入していられないのは自明のこと。敗北に先立って亡命者をランマルカで受け入れる予定ですが、しかし全ては無理です。船舶に何万と乗せるのは困難でありますし、北海の凍結もそろそろ時期になります。であるならば陸路があればとても良い」

「妖精ならともかく、統制の取りづらい人間は邪魔です。アッジャール朝も怒って先の良くなった話が引っ繰り返ってしまいます」

「ということは我がランマルカ将兵ならば問題ありませんな」

「私の知らないところで知らない内にそのようなことになっていたとしても知る術はないでしょう」

「なるほど、参考に致します。ただ覚えて貰いたいのは時代は進み、おそらく半永久に続くということです」

 妖しく微笑むスカップ。

 ラシージに目線で翻訳を頼む。

「選択肢は幾つもあって、時限も回数も無限に至ります。思考の硬直を否定します」

「おん?」

「相手が何であれ聞く耳、話す口は常に持っておきましょう、ということです」

「おう、そうだな」


■■■


 冬は腹が減る。

 胡椒が大量に入った脂身だらけの牛肉が入った赤カブ汁。

 薄切り燻製肉を散らした湯通し野菜の薄切り。

 胡瓜の塩漬け。口休めに良い。

 焼いて焦げを付けたダシ炊き飯。歯ごたえは固い、柔らかいが同時。

 パンの油揚げ。表面が揚がった程度。

 ウステアイデン産とメイレンベル産のワインが送られてきたので開ける。

 ウステアイデンのは甘酸っぱい。飲み飽きない感じで度数も弱い。

 メイレンベルのは砂糖でもブチ込んだように甘い。瓶の貼紙を見ると”私が土から作りました!”と筆記体で書いてある。無記名であるが、これは聖王ちゃんか。

 話し合いじゃないが、客であるオダル宰相にスカップ、半分客のカルタリゲン中佐の四人で夕食。

 話し合いじゃないので食って飲む。

 これはナシュカの飯だ。量が多いし、食い残すとケツにブチ込まれる。

 オダル宰相は歳でも元気で良く食って飲む。何かこちらから話か何かがあると思ってか、口数は少ない。とりあえず意味があるようなことは喋っていない。

 スカップはゆっくり食べて、酒は飲まない。

「大変旧体制的、否これは国際的に美味しいです! 我がランマルカの進歩的食味との相対評価をせざるを得ません。しかし我が祖国の栄養充足法に鑑みると実現不可能……」

 スカップが冗談みたいに口の端に米粒をつけているので取って食べる。

「おっとこれは失礼、気がつきませんでした」

 身内の心算で食ってしまった。まあいいか。


■■■


 スカップの喜び様を中心に、ちょっと雑談しただけ夕食会は終わって、深夜になり十数年ぶりにオダル宰相と一対一で晩酌。前のように、セリンが送ってきた珍しい酒を用意した。

 ハゲ兄さん、名前なんだっけ……ファイード! がガシリタ島で首都ユルタンを中心に色々と醸造、蒸留している酒だ。

 真水の確保しづらい船上では飲み水代わりに酒を飲むことがある。だからこそ味や香りが単調になって飽きないように、酔っ払う以外に楽しめるように、保存が利くように、体に良い薬として作用するように、香辛料や生薬の各種組み合わせて作られている。この生薬というのが中々、葉に根程度から蛇に虫程度までピンキリ。今は鎮まった天政内戦のドサクサに紛れて薬学医を招致して、嫁もくっつけて逃がさないようにしているとか何とか。

 最近のハゲ王国では生産量が上がって、それらの酒は種類豊富だが総称して”ガシリタ”と呼ばれている。

 陸上働きが多いカルタリゲン中佐でもやはり海軍出身、ガシリタを一本上げたら「提督でも飲めるか分からないのに!」と大喜びだった。

 まずは互いに杯に酒を注いで飲む。薬臭いと言って差し支えないがクセになりそう。

「カラバザル、まだアクファルが結婚していないとはどういうことだ。もう行き遅れだ。勿体無いことをする」

 政治の話をするなら切り上げる心算だったが、そうきたか。

「良い奴がいたんだが、どうも、人間の男にそういった興味が無いらしい。竜のクセルヤータって奴にはぞっこんだった。俺なら否応も無いらしいが、血が近過ぎる」

「マフダール、まだ四十だから丁度良いぞ。肩書きは大将軍で、贔屓目無しで職分は全うしている」

 前に見た顔がぼやっとしか思い出せないが、オダル宰相の息子か。今の顔を見なくても不足は全く無いな。うん、本当に無い。

「初婚なわけはないよな」

「重要か? ああ、そうか。最初のは死んだ。二人目と三人目はいる。子供も十人以上いるし、初孫も死産だったがいた」

「婿に来る?」

「それは無理だ」

「アクファルは優秀だから手放す気は無いし、直接聞いたことはないが、普通の女みたいに家の奥で所謂”女らしく”してられる奴じゃない。親衛隊千騎の代理指揮をやらせたが不足無しだ」

「マフダールは要職について責任がある。そっちにくれてやれん」

「他は?」

 オダル宰相が酒を注ぎ直して飲む。

「生きてるのは恥ずかしくて出せん。釣り合わん」

 息子の愚痴は聞きたくない。絶対つまらんし、場合によっては腹が立つだろう。ワシの若い頃は……とか。始まる前に話題を変えよう。

「イスハシルの息子は有望か?」

「聡明であられる」

「あの目の魔術は遺伝した?」

「普通は秘密にしておくところだが、一つ諦めて貰うために言おう。暗殺は無駄だ。最近では護衛もつけていない。今まで何度暗殺されそうになったか分からないが、全て事無きを得ている。そういうことだ。同じ手で来ても無駄だ」

 そう言えばシクルが自爆攻撃で黄金の羊シビリを爆殺したんだった。凄い奴だった。公人的には惜しい奴だったし、個人的には嫌にしつこくて苦手だったので死んでサッパリしている。ルドゥの女の趣味は最悪だな。

「おいルドゥ、お前の女の趣味は最悪だ」

「大将、シクルのことか? 別に趣味じゃないぞあいつ。付き合いは長かったが死んで清々した。腕も頭も面も良かったが、糞だ」

 扉の外から護衛のルドゥが答えた。割りと長々と答えているあたり、単純ではないと思うが。

「遂に俺にも娘が生まれた。名前はザラ=ソルトミシュ。二人目はまだ腹の中だ。男か女か」

「女帝候補か……」

 オダル宰相の頭の中で政略結婚の組み合わせがグルグルと回っているのが見える。

「帝国連邦は世襲にはしない。俺は総統、共和的な代表だ」

「何故しない? 自分で作ったんじゃないか。他人にくれる心算か?」

「意志の継承と血の継承は別だ。有能な後継者が意志を残せばいいし、子供達は孫でも何でも大量にこさえりゃいい。その中の誰かが俺を越えたいと思ったらどうにかしたらいいし、実力で総統を目指すならやってみればいい。運も実力も伴わなければ”にわか”だから皇帝にしたところでどうなる? 嫁さんに首でも切られるか? そんな安定した伝統は築けていない。何れ帝政に移行するのなら、それは頭と民衆が望んですればいい」

「継承させたい意志とは?」

「遊牧社会を黄昏から救い上げてやるという意志だ。農民に奴隷とされる姿は見る気が無い。これはランマルカの武器を見て気付ける。ああいった物は何れ世界に普及し、それを超える物が誕生する。誕生させるのは遊牧民では決してなく農民、否、定住民。単純に農民というのもいい加減な分類だな。誕生させるのは工場労働者と科学者。我々がこれからも先祖のように定住民を圧倒し、少なくとも対等でいるためにはバルハギンの帝国が如きの原始的な国家で満足していては確実に滅び、食い物になる。古い伝統に安易に頼れば古いと言われるように古く、過去の存在になる。そちらの黄金の羊シビリがもっと早くに気付いていた。明確にではなく、そうした方が効率的程度の認識だったようだが、俺には分かる。その結晶であるイリサヤルの工廠の仕組みは芸術の域に達していて、その認識が無ければあれは無い。加えて言うのなら、まだ生きていればいずれこの答えにシビリもイディルも辿り着いただろうが、古くて複雑な部族の集合体を古くて複雑なままに保持したままだった古いアッジャール朝に効率を突き詰められたとは思えない。こちらは二の轍を踏まぬようにアルルガン族を皆殺しにしたし、レーナカンドは基礎から破壊して地図から名前を消し、通商網を筆頭に利権は完全に塗り替えた。急所を蹴られただけで一撃粉砕される程度のイディルの帝国には達成出来ない効率、生産開発の効率を実現する。これからの帝国連邦は、定住の先進的な生産能力と、遊牧の優れた兵士を兼ねて備える。人間だけではなく獣人と妖精の特長を活かす。そして魔神代理領という強力な後援を受けながら隆盛する。バルハギンとイディルは既に越えた」

「馬鹿を言うな、越えただと?」

 流石のオダル宰相も、自分の長い人生の間に積み上げることに協力してきた過去の残骸を若造に越えたと言われたら口も出る。

「アッジャールの残骸はいつでもこちらの意志でどうにでもなる。既にお前達は俺の物も同然だ。何をどう逆らうことが出来るか考えてみろ」

「ぬ……」

「バルハギン以来の伝統らしいが、統一しただけで皇帝は名乗れず、周辺地域に圧倒的な武威を示すんだったな。イディルは失敗した」

「そうだ」

「既に西から東まで、俺の軍は多くを殺して焼いて来た。知らない者はいない」

「……確かに」

「では蒼天の下は俺の物だ」

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