第164話「冷めぬ内に」 ゲチク
操車場の破壊だけではなく、パルヤオラフの占領を果たした。
シルヴ元帥の砲撃の後、寡兵ながら市内に突入して制圧。捕虜の数は我々の何倍にもなって、管理に苦労した。そして援軍を要請する伝令を放ち、元帥と共に守った。
攻勢時も勿論だが、守勢に回ったシルヴ元帥の魔術を交えた大砲捌きは恐るべきものだった。奪還しに来た敵軍は近寄れるものではなかった。奪還不能と悟り、ここではない戦線で劣勢でも伝えられたか最近は偵察部隊ぐらいは寄越すものの、奪還作戦の気配も無かった。
季節は真冬。パルヤオラフでの仕事と言えば雪掻きと塹壕構築のための穴掘り。ここは重要拠点なので派遣される部隊と送られてくる物資の量が多く、食事に不足が無い。
元からここに集積されていた物資も豊富だ。敵はもっと、大量の兵士を死なせてでも守らなければならなかったぐらいに豊富。大量の衣類と最新武器、パルヤオラフを十は吹っ飛ばせそうな火薬、十万の人馬を一季節養える食糧。機関車と貨車――繋げて列車というらしいが――のような重大な機密に溢れているであろう兵器。
この勝利は本来なら決定的で、普通ならここでもう停戦交渉等に入るのだろうが、これは普通ではない戦争だ。どちらか一方が完全に屈服するまで続く。少なくとも、敵の頭を潰し、末端が戦意喪失して降伏するぐらいに致命打とハッキリわかる何かを打ち込むまで終わらない。
過大な名声を得た。今まで強引に名乗っていた将軍ゲチクに中身が伴った。
”宿敵の頚動脈を噛み切った王の猟犬”と、王から勲章を貰った時のお褒めの言葉にそのような文言があった。実際に授与し、手紙を読んだのは大将軍マフダールではある。ゼオルギ=イスハシルの四駿四狗の一狗になれそうな、そんな期待をさせてくる。
だが真の立役者はシルヴ元帥。今になってようやく知ったが、パルヤオラフへの砲撃を彼女達は予定しており、我々はその予定を知らされていなかった。
攻撃が上手くいけば南側からも別働隊が到着する予定だったが、こちらは途中で撃退されたとのこと。
南北いずれからも部隊が到着しなかった場合はパルヤオラフ砲撃は中止だったこと。
新参の将軍は、古参の外国将軍より信頼されなかったのだ。シルヴ元帥の少数精鋭の砲兵部隊が極めて隠密裏に運用されるように配慮されていた理由も分かるから文句も口からは出ないが、腹に溜まる。
真の立役者は名声も要らぬと澄ました顔をしていたことも腹立たしい。こんな戦果、屁でもないという面だった。援軍到着までは面が真っ白になってて不気味だったのも無用に腹立たしい。
八つ当たりしようにもそんな醜態を晒すわけにいかず、自分でも何故そんなことで腹を立てているか馬鹿らしいと思っている。
馬鹿な、わけの分からない短気を起こしている。歳か? まだこれからだというのに、ここで老いてなるか。
我々は増援を受けて再編し、ゲチク名称独立混成旅団改め、ゲチク名称独立混成軍が誕生した。
先の大量死が辛い。信用出来るウランザミルが死んだ。暴れ者をまとめられるキャレルも死んだ。聖職者達の説得役でもあったパトロが死んだ。ミンゲスは生きてるが、あれは自分のではなくシトゲネ太后のものだ。ノグルベイは指揮官なんて柄ではないし、タザイールもそういう柄ではない。
将兵の心を自分に集中させる人物が足りない。それを補ってくれているのはパルヤオラフ攻略の名声だけ。その名声も誇張された嘘を重ねた上で喧伝されている。尊敬が幻であっても存在している内に本物にするしかない。
歩兵十個連隊、一万。
懲罰歩兵二個連隊、二千八百。
タラン近衛騎兵連隊、五百。功績が認められ、ミンゲスは”タラン近衛”を名乗れるようになったそうだ。アッジャール朝の少数民族優遇の一環で、部族名近衛なんとか部隊が名誉呼称にある。もう一つ上に太后騎兵連隊という名誉称号があるらしく、そこまで行きたいとミンゲスが勲章を授与されていた時に顔に書いてあった。かなりしつこく「将軍一緒に頑張りましょう」と言っていた。
騎兵二個連隊、八百。
乗馬歩兵三個連隊、千五百。前と違ってちゃんと訓練がされている。
騎馬砲兵一個連隊、三百。
戦闘要員およそ一万六千。これに工兵、補給部隊の補助がついて二万以上の軍に再編された。
これが先の戦いで得た評価。台所事情の苦しいアッジャール朝が出せる兵力としてはかなり、大盤振る舞い。つい最近まで寝返りを繰り返してきた男に与える軍容ではない。
砲兵が限られたものになっているが、これは作戦の内容を考えれば妥当だ。騎兵が物寂しいが、これは別の戦線に多く回されていると聞く。
作戦の流れとして我々ゲチク軍がザロネジまで一挙に攻め上がる。この場合、直接的に進路を妨害する拠点等が無ければ無停止で進軍する。側面を脅かされる程度では止らない。
そして後方からマフダール大将軍の本軍が、側面を脅かすような拠点を攻略か牽制しつつ、我々ゲチク軍が一度通った場所を素早く進む。
先に我々ゲチク軍がザロネジに到着し、包囲して弱らせ、後から来た本軍が陥落させる。という予定。勿論、我々が先に入城しても構わない。
各隊には旅団当時の生き残り達を、能力が怪しくても階級を底上げて分散配置して下士官、先任士官のようにした。パルヤオラフ攻略の話を、おそらく無邪気に伝説的に誇張して広めてくれる。
大分死傷した聖職者達も教会に掛け合って補充して貰った。既に兵士達を鼓舞する方法は実戦を通して確立しているので、最悪聖職者じゃなくても物覚えの良い奴で済むぐらいに体系化している。タザイールが指南書を編纂した。間違いないだろう。
そして教会の方だが、人材不足かどうか知らないが、尼さんを送ってきた。
女という手段は、経験で知ってたがあまり使いたくない、女がいると男は張り切る。それはもう馬鹿に張り切る。そして女は女で、戦場の最前列に出てくるような奴は男より勇敢――蛮勇に近いが――恐れ知らずになる。極端だ。
馬鹿に勇敢な女は前に出て高い声で男を鼓舞する。男は突っ込んで死ぬ。女が敵に撃たれる。男は救おうと前に出て死に、復讐に燃えて前に出て死ぬ。
送られてきた尼さん方だが、行軍に耐えるようにと若い娘が多い。この戦争で男は死にまくっているが女はそこまで死んでいない。両軍で保護し合っている傾向があるぐらいだ。
若い女は元気で、何とも可愛らしい。多少不細工でも愛嬌があれば十分に可愛い。こうなると尚更男は簡単に死にに行く。エラいことになりそうだ。
パルヤオラフで最高潮に達したであろうこの熱を、冷めぬ内にザロネジへ打ち込む。
■■■
真冬の行軍。道は雪に半ば埋まる。
冬はちゃんと食わなければ体力が落ちて動けなくなる。その点運んでいる食糧は多め。ランマルカ製の缶詰なる保存の利く、金属容器詰めの食糧があるのだ。脂身の塩漬け、鰯の油漬け、小麦粉と挽いた豆を脂と塩で練ったもの。水を加えて練り直して焼くと簡単なパンになる。
それから皆、度の強い酒を欲しがる。多めに持ってきたが酔い潰れないように配るのは困難。酔って冬の屋外で寝たら当然死ぬ。
飲み水の確保に一手間掛かる。川は凍っている。雪、氷を水にするには一々加熱しないといけない。
吹雪けば個人単位で行方不明者が続出する。部隊単位で行方不明になるわけではないから許容範囲だが良くはない。
凍傷で指が動かない、鼻が耳がもげた話はというまだ聞かない。降雪はしているが寒波はまだその程度ということか。敵から奪った防寒具が豊富ということもある。海が近いと気温が安定するとも聞くが、とにかく複合して条件は良い。
とりあえずこの程度で済んでいる。
進むのは川沿いの、オルフでは一、二で発展しているザロネジへの道だ。石畳に整備されている箇所もあり、ド田舎オルフの感じはしない。
あの鉄道もあるが、しばらく列車が通過していないのか雪を被ったままだ。案外、ランマルカは見捨てたのかもしれない。
消滅覚悟の損害を自分は想定しているが、兵士達は尼さん方がいるせいか、見たこともないぐらいに明るくて笑っている。連帯感は強いのだろう。死ぬ時も一緒なぐらいに。
ノグルベイが尼さんの一人の尻を露骨に、馬から身を横に乗り出してジっと見ていたので頭を殴る。収穫時期のメロンを包んだみたいなのが揺れてたのは、目は引くが。
「痛ぇ」
「手を出したらお前でも処罰だ。ケツに棍棒突っ込ませるぞ」
「うぇ」
「馬でも掘ってろ」
「途中で糞したらどうすんだよ」
しなきゃするのかよ。
これだけ人がいれば不埒な輩もいて、懲罰に尼さん方全員に棒で殴らせたことはある。
また殺されかかったところで被害者の尼さんが「この人は十分に罰を受けました」などと庇って、あとどうしてそう考えたかアレだが、ボコボコに殴られた奴が改心したのか諦めが悪いのか知らないが結婚したいとか何とか言い出しているらしい。ますます一緒に死にそうだ。
「タザイール、聖職者の教育はどうだ?」
「声を揃えて祝詞を唱え、死を恐れず先頭に立つ。教会で合唱などをしていたおかげで割と、訓練無しでやれます。自衛用に杖代わりの棍棒を持たせていますが、簡単に死なないためのものなので訓練も最低限で十分です。後は火薬の音に慣れて欲しいですが、訓練する時間も、機会も無いですね」
敵中進軍中に居場所を告げるようにドンパチやれるものではない。陽動ならまだしも。
「……全体的にどうだ?」
「普通は邪魔にされる女達が、良い形で入り込んでいるので今のところは良好です。ただ実際に銃弾砲弾が飛び交うようになって怖気づかれたらちょっと、分かりませんね」
「そういう女が出たら直ぐに後ろに下げたり、逆に怯える彼女を救え、みたいに逆手に取るような事を言う奴を確保しておけ」
「あの事件を口実に、直接の護衛役をつけるということで、そのように」
「頼む。出発前にするべきだったのにな」
「再編作業でそれどころではありませんでしたよ」
タザイールが慰めに言ってくれる。シルヴ元帥との防衛の時間は長かったが、再編から出発までは短かった。春の雪解けか、雪解けの泥沼が過ぎた頃まで攻撃を待つ気が無いのだ。
■■■
先行した斥候が敵軍の存在を確認。
騎兵に無理をしないように指導してから、小競り合いをさせて接敵距離を調整する。
調整の結果、敵軍は開けた平野部を選んで待ち構えるように動きを止めて野営。行軍してやって来た我が軍が疲れているところを狙うか?
警戒は十分に、直ぐに接触出来るが、攻撃行動を起こされても寝て起きて陣形を整えるぐらいは出来る距離でこちらも野営。
こちらも十分に休む。出来るだけ有利な状況を待つ。
何が有利か? 天に酒を捧げて雪中に座って集中。
タザイールが肩を揺すってきたが無視。
ノグルベイが近くで屁をこいたから蹴りを入れる。
顔に風、雪、集中し辛い。
空には厚い雲が、北から南へ。
これだ。
風が吹き始めてから攻撃進命令を出す。
敵軍と正対。視界不良で斥候の情報もあまり良くなく、時間をかけたが、敵はおよそ二万五千以上、三万五千以下の兵力であるそうだ。加わったり離れたりした部隊がいたなら仕方がないが。
防御は今の選択に無い。多少の犠牲は払ってでも、パルヤオラフ失陥で弱ったオルフ人民共和国が、何らかの手段で復帰する前に首都ザロネジへ一撃を加えようと画策するのが指針。復帰不能状態にまで追い詰めなければ、また何年も内戦が繰り返される。内戦の継続阻止のためならば我が軍の消滅ぐらい許容するだろう。その意向を汲まねば無能な年寄りとされる。
今は防御の戦術が有効であった場合でも、戦略により攻撃だ。部隊を横に広げず、縦隊にして固めるようにする。地吹雪があって視界が悪い。
先頭に懲罰連隊が二個。それから歩兵連隊が前後に四個ずつで、最後尾に二個。厚みは縦四列横四列。四隅角が抜けている四角形だ。下手に散らばって指揮出来なくなる事態を避ける。
風に消されぬ手鐘と尼さんの甲高い音と声の中で前進。これは何か、戦争をしている気がしない。
「兄弟達よ。救世神の到来まで、麦のように踏まれても耐え抜け。耐えた先に楽園が待ち受け、挫ければこの地獄に囚われる。布のように団結せよ」
パトロの作ったお決まりが始まる。死んでも生きるとはこれだ。救世神の教えじゃどうか知らんが、あの爺さんは今、風になって吹いている。
『ウラー!』
とにかく敵前では声を上げて進むように兵士達には指導してある。
その中、様々な教えの祝詞が唱えられているが、派遣された尼さんの数が多いせいか救世神教の祝詞が良く響く。パトロが教会全体に従軍司祭、聖職者の重要性を説いて受け入れさせたお陰だ。
敵は軍を横に広げて待ち構えている。地吹雪が吹き上がって敵の黒く長い隊列が消え、おさまっては姿が見える。
向かい風気味なので目に雪が入る。
敵騎兵が側面を取りにきているからミンゲスが対応すると、事後報告の伝令を寄越しただけで動いた。
事後承認。対応も正しいと思う。しかし刀、拳銃下げただけの似非騎兵に脅かされる時が来るとは情けない限りだ。東にいた時なら想像の外だった。
「英知の言葉、つつしみて聞け。我等は安寧を神に祈らん」
『ウラー!』
敵軍砲兵射撃開始。防御体勢を整えていたということはそういうことだ。
あまり多く大砲を持っていないのか、持ってこられなかったのか、とにかく砲撃の数が少ない。しかも天候のせいか命中率も悪い。そして悪い雪道に合わせたか大砲の口径も小さい。
砲弾が飛んできて地面に着弾。炸裂する榴弾が黒い土と白い雪を跳ね上げる。人に当たれば赤い血に桃色の内臓が混じる。
そのまま前進。今更このぐらいで足が鈍る戦争はしてきていない。新兵も老兵の背中を見て分かるだろう。
「互いに各々を、並びに我等の命を神に託さん」
『ウラー!』
敵の軽歩兵が前に出てきて散発的に撃ち始めるが、どうも不発ばかりのようで、まばらにしか撃ってこない。火皿に雪が吹き込んで着火し辛いのだろう。
馬上から地面の、地表の浅い新しい雪を掬って弄る。湿ってる。海が近いせいか、あまり寒くないせいか。
これは白兵戦しかないな。この密集した縦隊隊形もその為だ。
「憐れめよ。救世の神よ、その恩寵を持って我等を助け、救え。憐れみ、守れ」
『ウラー!』
これは攻撃側が有利だ。天は味方したか?
距離が縮まり、整列した敵歩兵が射撃を開始するが見た目より発射数が少ない。音が弱く、一斉射撃号令に遅れる銃声がまばらに多い。遅発も酷いようだ。
とは言ってもあの優れた最新火器で武装する敵だ。近寄る度に放たれる銃弾は良く当たり、砲弾も良く当たり、良く死んで倒れ、雪に血を零してすぐに地吹雪で痕跡が消える。
更に前進させる。
「憐れめよ。聖なる人よ、その記憶を持って我等は倣い、行う。憐れみ、守れ」
『ウラー!』
ミンゲスの騎兵隊が右翼方向で敵騎兵と戦っているのが雪の幕越しに、影のように見えたり、消えたり。たぶん優勢だろう。雪でも動作にあまり関係の無い弓を使える遊牧騎兵がいるし、負けはしない。
「救世神来る時、鐘が鳴る」
『ウラー!』
前進続行中。地吹雪が舞っても敵が視界から消えない。まもなく白兵戦の距離。
射撃命令は出さない。この場合に白兵戦になったら至近距離で撃つことになっている。エデルト兵がそうらしく、導入しておいた。わざわざ指導しなくても撃つ兵は撃つが、馬鹿に従順で死ぬまで撃たない奴もいる。
敵両翼が前進し、中央が後退していく雰囲気。中央の後退は間違いない。包囲する気か。
ここで兵を下げるのは既に難しいし、射撃戦は不利だ。強引に中央突破しかない。
予備の乗馬歩兵と騎馬砲兵に、敵左翼への牽制攻撃を指示する伝令を出す。
ミンゲスが左の方の敵騎兵を撃退したなら、それから敵右翼への牽制攻撃に入るだろう。一応伝令は出す。
「鐘が鳴り、死が滅ぶ」
『ウラー!』
「神の敵を殺せぇ! 殺せぇ! 滅ぼせぇ!」
尼さんの誰かが狂気的に絶叫。甲高い声は良く響くものだ。
前、そして左右からも銃撃、とわずかな砲撃。
両翼の歩兵連隊を二個ずつ、敵両翼へ突撃させる。
次に正面の懲罰連隊を正面に突撃させる。
第二列中央の歩兵連隊も、懲罰連隊に続くように前進させる。
折角のランマルカの最新火器も悪天候には形無しか。この距離でも普通の火器ぐらいにしか殺されていない。
その程度で突撃は止まらず、至近距離で不発、遅発混じりに銃撃しながら歩兵が銃剣突撃を敢行。故障しない三日月斧の勢いは快調だ。近寄れば火器の良し悪しは無く、殴り合う。銃床が骨を砕いて、斧が肉に骨ごと潰す。
「死が滅び、墓にある者へ命を与えん」
『ウラー!』
「神の敵をぶち殺せぇ!」
正面四個連隊の縦隊が敵中央に食い込んで、埋没して包囲されるような形になる前に更に歩兵連隊を二つ、左右に分けて敵中央の両端に突撃させる。
敵中央を打ち倒すには十分な衝撃と、数を差し向けた。
敵の両翼による挟み潰すような圧力は、乗馬歩兵と騎馬砲兵の牽制攻撃で左翼の動きが鈍ったことでそれ程でもない。
ただ敵右翼を支える二個連隊は、ミンゲスの騎兵隊の牽制攻撃が弱くて壊走も危ぶまれる。予備の歩兵連隊二個を投入して右翼からの圧力を支えるようにする。
「命を与える者、救世神」
『ウラー!』
「くたばれ背教者!」
手鐘を捨て、死んだ仲間の武器を拾って戦う聖職者も出て来る。その勢いであるから、こちらの歩兵も銃剣が折れようが、片腕が潰されても前に出続ける。
雪でハッキリとは確認できないが、ミンゲスのタラン近衛騎兵が近くに見えない。牽制攻撃をしているのは近衛ではない騎兵だ。
「心臓が黒いか見てやる!」
尼さんが敵兵に馬乗りになって、短剣で腹を掻っ捌いている。
「アァー!」
組合いになって喉を噛んでいるのは敵か味方か。
「ヤー! ゥラッ!」
『ゥラッ!』
意図的な後退ではなく、六個連隊の突撃で後退し始めた敵中央の側面にタラン近衛騎兵の騎兵突撃が直撃。
直撃後、腰が抜けたように敵中央が一挙に後退し始めた。喚声らしき声に悲鳴が混じっている。敵中央総崩れ。
「ヤー! ゥラッ!」
『ゥラッ!』
そして衝突直後に向きを変えたタラン近衛騎兵による二回目の突撃が敵右翼に敢行され、今度は敵右翼の動きが一挙に鈍り、ズルズルと止まっていってやがて壊走に変化する。
残る敵左翼に、総崩れになった中央と右翼に対している部隊から余裕のある部隊を逐次引き抜いて向かわせる。
部隊ごとではこの勢いに間に合わないから「良いからお前らあっちに行って突っ込め!」と指示して回る。
統制射撃ではなく、刀や銃剣に三日月斧でぶっ殺すのだ。隊列は不要。どれくらい同士討ちになっているか分からないが、敵左翼もほど無く総崩れになった。
吹雪が強くなって追撃は中止になったが、大戦果を挙げた。敵をどれくらい殺したか、死んで味方はどのくらいかを正確には把握出来なかったが。
■■■
天候が回復してからの点呼によって欠員を調べ、こちらの死傷、行方不明者が三千近くに上ったことを確認してから戦場掃除もせずに前進する。使えそうな武器だけはある程度拾った。
作戦前から、速度重視のために死体の埋葬は後でするということになっている。
後で、とは雪が解けてからぐらいの認識だ。死体が雪に埋もれているので、掘り出して埋葬していたら相当時間が掛かってしまう。掘っている最中にまた吹雪いたらもうやっていられない。死体堀り作業員が凍死、行方不明になるなんて馬鹿なことだ。聖職者達が死者に対して祈る時間くらいは取った。
そうして隊形を整えて前進。
進路を妨害する拠点、ゼリリヤンカ城に到着。ウォルフォ川の支流になる川に渡す橋とこの城は一体になっており、また周囲の湖群とそれを繋げる水濠が組み合わさって道を遮るようにしている。水は凍りついているので今はかなり平野的。敵守備隊は反撃に出てくるほどもおらず、抵抗少なく包囲を行えた。本軍を待つ。
後送しない程度の怪我だった兵士の中から病気で後送しないといけない者、死人も出てくる。
熱病、血便の兆候がある奴は直ぐに隔離したが流行り始めた。包囲中の敵拠点から、腐った人や家畜の死体、糞尿詰めの樽が投石機で打ち出されたのだ。ゴミ処理用の機械にしては随分上等だ。
病人が出てきて、冬の寒さにやられて症状が悪化していく。
マフダール大将軍の本軍到着を持って包囲交代の予定だったが、先行しろ、戻ってくるなとのお達しだった。
包囲を解いて先を急ぐ。病人は後送する。
結局、千人減った。残るは一万六千人。思ったより残っている。
■■■
首都まで近づいた。ザロネジまであと幾つ進めば、という看板が見えるぐらい。
降雪は今、少し止んでいるが急激に冷え込んできた。朝に陽に輝く氷霧が見られらた。包囲している間に冬が進んでしまった。
敵の敗残兵と、軍服も着ていない民兵と思われる集団が応急に集めた木材や荷車で守備を固めた宿場町に到達した時には凍死、病死者が合わせてまた千人近く出た。残るは一万五千人。
宿場町に接近はするが、銃射程内までは接近しないで待機。
白旗を掲げさせた降伏交渉の使者を送る。
初期の頃はともかく、末期となった今の両オルフではお互いの暗黙の了解となっていることだが、降伏した者は丁重に扱うことと、兵士は降伏した相手の軍に加わるというものがある。単純に人が死にすぎた。
交渉中も油断せず、包囲するように宿場町の周囲に土嚢を積ませ、荷車を横向きに配置し、その場で歩兵と工兵に穴を掘らせて包囲線を作る。鹵獲した防盾付きの軽砲や斉射砲も配置。奇襲に対応するため、騎兵、乗馬、騎馬砲兵をミンゲスに預けて包囲網とは別に待機させる。
宿場町一つに対して一万五千は過剰兵力であるが、素早い降伏を促すためには威圧が必要。
交渉の使者が戻ってくる。返事をするから待って欲しい、とのこと。
敵指揮官の判断はどうか、分からない。ザロネジの失陥はオルフ人民共和国の終焉に直結する。失陥後は戦争といより、残党の掃討になるだろう。
人民解放軍の大儀を守るのなら徹底抗戦だろうし、己と部下と民間人が大切なら降伏するだろう。
救世神教の聖職者達が何か思いついたか、一斉に宿場町に対して祝詞を上げる。
極星の空より云われん
無限の影より云われん
神の子へと云われん
・手鐘を鳴らす
皆終は共に、総ては何れ灰へ帰す
死の影を恐れず、続きを畏れよ
畏れる者を助く音を聞け、救済の手は畏れる者に
死の大地より、光栄の彼方に誘う音は高く
音に聞け嬰児、死の続きに参れ
何れ導かん
・手鐘を二回鳴らす
預かりし者から使徒へ
学びし使徒から弟子へ
高き声にて広まらん
・手鐘を鳴らす
聖なる御前、ただ我等膝を突いて畏れる
畏れて祈り、聴く耳を立てる
高き音が聞えるまで、救いの揺籃を護る
命を与える父、世を救済なさる御手
死の続きを待ち、光栄の彼方へ
何れ導かれん
・手鐘を二回鳴らす
その効果があったか、祝詞が終わってから宿場町に白旗が揚がって、武器を掲げて武装解除を示しながら兵士達が出てきた。
「ウラー!」
『ウラー!』
誰かが自然に喚声を上げ、それから皆が叫んだ。
■■■
宿場町に兵士、健常な者も病人も雪中行軍で体力が磨り減ってきた者も残し、本軍の通行に支障が無いように守備を固めさせた。
そして投降した元は敵だった兵士達を、一致団結しないように各隊に分散して配置してからザロネジ目指して北へ進む。
現在、兵力は一万六千。宿場町に置いていかないといけないような者が多く出たが、一応人数は補充出来た。
西に見えるウォルフォ川沿いには複数の、ザロネジの恩恵を受けたような規模の大きい町が見えてくるがそれらを無視して進む。
川沿いの街道を行けばどうしてもぶつかるが、内陸側の街道を行けば無視出来る。ここに来て街道が二本並列するぐらいに都会的になってきている。
投降した者達に聞けば、他の敗残兵たちはあれら川沿いの町に逃げて、そこからザロネジに向かったと言う。他の逃げ道は今の季節には無い。逃げる先はザロネジだけ。ある程度の戦力は集中しているだろう。
■■■
雪中行軍を続け、そしてついに陸が切れて広い、灰色の海が見えた。世界が一変したように急に地平線の向こうから現れた。
生まれて初めて海を見た者や、ようやく遠くに黒い点のように見えるそのザロネジに到着した達成感で軍全体から声が上がる。
これから敵首都に攻撃を仕掛けるような雰囲気が飛んで、まるで楽しい遠足のようだ。ザロネジ出身の者が街のあそこはどうだ、などとお国自慢も始める。
近づくほどに海が広がってくる。敵の斥候とは出くわすが、戦闘らしい戦闘は無い。銃声が鳴って、斥候を出したら地元の猟師が鹿を撃ってただけだった、ぐらいだ。
先ほどの宿場町での降伏もあったように、ザロネジもそんな風になる気がしてきた。
そんな気になってはいけないのに、自分もなっていた。雪中行軍が続いて疲れて、悲観的な考えをしたくなかったのかもしれない。
ぼーっと海を見ながら街道を北進。段々と海の様子も分かるようになってきた。海はまだ凍り付いておらず、川から流れ出した氷が浮かんでいる程度。そして複数の船が浮いているのが見えてくる。
その内の一隻の船から煙が上がっていた。火災か? 敵も間抜けだな、と皆喜んだぐらいだ。
遠くから見れば黒い点だったオルフ一の港湾都市、北海への玄関口であるザロネジが具体的に見えてきた。城壁があって、尖塔が並んで、旗がなびく。
海岸線も見えてくる。燃えた船も形になって見えてきて、それが複数に増え、何だか火災にしては大人しい感じで違和感がある。変な丸い凧? も空を飛んで、ほぼ動かない。
あの石斧野郎が望遠鏡片手に叫んだ。望遠鏡の持ち主であろう士官が返せと手を伸ばすが、蹴飛ばされて雪に沈んだ。
「火事じゃない! あれは妖精共の蒸気帆船だ! ご自慢の大装甲艦”革命自身”までいやがる。あんな化物の相手なんざすることはねぇぞ! 死ぬだけだ!」
石斧野郎が言葉を喋れたのも驚いたが、随分と詳しく喋るのも驚きだ。
このまま馬鹿みたいに騒がれては士気に関わる。手招き、しようと思ったが自分から近寄る。
「急に何だ?」
「アホか陸もんが! あの一隻で補給無しに都市一つ火の海に出来る代物だぞ! 引け! もう、射程内に入るぞ! 観測気球だって、それに奴らの艦載砲は別格だ!」
「引くだと?」
雪中行軍は続いている。立ち話に我々は足を止めているが、軍全体としては流れに沿って歩いている。
「蒸気機関で風を無視してあの船は動いてるんだ! 今、射撃位置につこうとしているんだ! 分かれこの騎馬蛮族が!」
何を言わんとしているか、直ぐに頭に入ってこない。誰かが「あっ!」と叫んだ、何だ?
石斧野郎は頭を掻き毟ってから、深呼吸して姿勢を正して喋る。
「私は……」
浮いた。
雪に顔を突っ込んで一瞬溺れた。
立ち上がろうとして、フラつく。耳が利かない、視界がよどむ。揺れる、地震?
頭に一杯、何かが降りかかる。凍った土と雪に、服の欠片がついた肉片。
壁があった。
倒れて地面に突っ込むかと思って手を前に出した空気を切るだけ。
土と雪が壁のように立っていた。壁は勝手に崩れるが、また新しいのが立つ。前だけでなく、左右にも後ろにもある。どこか変な洞窟にもでも放り込まれた気分だ。
兵士や聖職者達も噴き上がって、体が引き千切られ、皆立てずにしゃがんだり、寝転がったりしている。
これは何だ?
ノグルベイが走ってきて押し倒された。臭いなこいつ。
雪を降らす白と灰の雲に黒い点が幾つも……。
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