第166話「敵首都ザロネジ」 ゲチク

 我々はザロネジ湾の凍結を待った。

 艦砲射撃が怖いのなら夜襲という手段は誰でも考え付く。だが夜間でも観測気球という、人が乗れる空飛ぶ籠が交代で浮かんでいる。砲兵の話を聞けば、あれがあれば弾着の観測は容易で、一度命中させた場所へ砲弾を撃ち込むのならば更に容易らしい。

 船は常に波風に潮汐で揺れ動いているから大丈夫じゃないかと海を知らない――自分も知らん――ミンゲスが言ったが、あの元石斧野郎が「自殺してぇのか馬鹿野郎!」と言った。ランマルカ海軍の観測機器と技術ならその程度の誤差、陸に適当な目印一つあればどうにでもなると力説。互いに動く船同士ならまだしも、片方が不動の陸地なら盲撃ち、間接射撃で当てられるらしい。

 元石斧野郎こと自称、元ランマルカ王国海軍海尉ランティス・カントバレー。汚い髪も髭も服装も整えたら随分と男前に仕上がった。一兵卒にしておくには、面も度胸も喋る内容も上等なので野戦昇進で大尉にしてやった。使えそうな奴を飼い殺しにしておくのは純粋に勿体無い。

 夜襲に合わせ、観測気球も出せない悪天候はどうかと話し合った。だがどう上手くことが運んでも城壁に取り付く直前には絶対に気付かれるし、連絡手段はいくらでもあり、友軍への被害覚悟で砲撃されたら吹っ飛んで壊滅するのは確実とのことで取り止め。

 悪天候なら海が荒れて大砲は撃てないんじゃないかと疑問に思って口に出したが、ザロネジ湾は良港で時化でも比較的緩く、熟練した海軍に加えて帆を畳んでも縦横に動ける蒸気帆船ならば的確に対処してくるらしい。

 海を知らず、蒸気帆船なる物を説明されてもさっぱり分からない自分では反論出来ない。

 そうして敵首都ザロネジを遠巻きに包囲して待った。

 待っている間に補充の部隊も到着し、マフダール大将軍から直接に包囲を続行しろと命令、激励を受けた。敵首都の包囲を引き続き任せてくれるとは随分信頼してくれる。他の戦線の状況が芳しくないだけかもしれないし、シトゲネ太后に相応しいよう肩書き整えてくれているのかもしれない。

 ウォルフォ川から大量に流れ出た流氷の一つ一つが湾内に広がって、擦れ合ってやかましく鳴き始めた。その前兆が見られた時点でランマルカ海軍は港で大量に輸送船を出入りさせた後に全面撤退。不死身に思えたあのノグルベイを殺しやがった忌まわしい艦砲射撃の脅威は去った。

 海軍の撤退後、軍を接近させてのザロネジ砲撃を画策したが、城壁が頑丈で砲弾を撃ち込んでも目立った効果を得られず、逆に敵の優れた砲台からの反撃で後退せざるを得なくなった。

 そして冬の嵐が過ぎて、凍死者と凍傷者が対策したにもかかわらず続出して大慌てに対処し、海水すら凍りついて流氷が一塊になったのが本日早朝。

 そして転戦して来たシルヴ元帥が昼に到着した。スタグロ地方の制圧が終わってやってきたのだ。この厳寒の中であちこち動いて回るとは全く大した連中だ。

 昨晩の嵐を乗り越えても元帥殿は澄ました面をしてやがる。直卒の兵達は流石に疲れているようだ。大砲十門に牽引の馬は割と元気そうで健在。何となくだが、途中で元帥が馬に代わって大砲十門を連ねて曳いてきたのではないかと思わせる。寄り合わせた太い綱が荷車に積んで見えている。

 出迎えの一言に何を言おうかと思って、大砲の砲身にはそれぞれ金の真鍮銘版が一枚張られて”元帥砲”とある。

「遠路ご苦労様です。元帥砲ですか」

「アッジャール兵の可愛い悪戯ですよ」

 洒落た贈り物をされるぐらいに大活躍だったようだ。

「私達の仕事は何でしょう、将軍」

 小声に変える。どこに誰の諜報員がいるかは全く不明である。

「今夜、兵にも予告無く夜襲を仕掛けます。嵐は一旦過ぎましたが」

 まだまだ風が強く、空は雲が厚い。

「時間も蒼天任せです。延期もあります」

「なるほど。悪天候を利用して倍の敵を撃破した将軍の言葉は信頼しましょう」

 ゼリリヤンカ城南部での敵軍との野戦であるが、捕虜にした者達の証言を拾い集めると敵軍の兵力は四万数千以上だったと分かっている。正確に分からないのは、多少応急的に部隊を寄せ集めたせいらしい。

「悪天候を利用して百倍以上の敵を撃破したあなたに言われたなら自信を持てます」

 スラーギィにおけるイスハシル王最後の戦いでは、畜害風の吹く中、わずか五百騎ばかりでレスリャジンの大王とシルヴ元帥が出撃し、撤退中の二十万以上のアッジャール軍に突撃して王に重傷を負わせ、王妃二名と親衛隊長を討ち取り、統制を失ったアッジャール軍は悪天候と同士討ちで算定不能な程の被害を受けて壊滅したと云われる。

 余りにも神懸かった戦果で、伝説とするには証言も資料も豊富な上に、実際に現場にいた者が相当数生き残っているのだから皆が知っている話だ。

 レスリャジンの大王がイスハシル王の首を狙い、陽動攻撃を行ったシルヴ元帥が単独で、実際に多くの兵士を殺し回った姿が、証言者が何人もいて語られている。何でも馬を鈍器に戦ったとか……これは噂だ。

「あれは楽しかった」

 澄まし顔だったシルヴ元帥が遠い目で懐かしそうに笑った。

 自分は良くて名将、あちらは既に歴史の怪物か。

 他所の将軍相手、それも堅苦しい儀式も無いのに異様に体を固くしている出迎えの将兵がいる。中には実際の現場で目撃した連中がいるかもしれない。あの時はアッジャール兵だけではなく多くのオルフ兵が出兵していたのだ。


■■■


 シルヴ元帥到着の三日後の夕方になって吹雪いて来た。到着当日は半端な悪天候だったので延期し、そして今日になって蒼天の神がやれと言っている。

 ここで気懸かりが一つある。今更この状況で、弟分までくたばった後で気懸かりなどとおかしいが、あるものはある。ランティス・カントバレーだ。

 ランマルカ革命時に北海に乗り出し、嵐で船が沈み、半死半生でオルフ沿岸に漂着。アストラノヴォで野生動物みたいに暮らす事しばらくし、文明の生活に戻ろうと従軍するために放浪していたロバを捕まえて乗って、何の武器も無いと駄目だからと生活に使っていた石斧を掴んで我が軍へ、らしい。

 何だか狂人じみていたいたのは、しばらく言葉を発していなかったら喋り方をしばらく忘れていたとか、人の表情を忘れていたとか、らしいことを言っていた。

 嘘にしても出来過ぎでアホ過ぎる。嘘の物語を作るのも面倒だから適当に言っていると分かる。ある程度は本当だろうが、どこまで本当か? 重要なのは、誰が何の目的でこいつを寄越したかだ。

 一応こちらは国王派閥内のオダル分派。

 アッジャール朝にはアッジャール系、オルフ系、少数民族系と大まかな民族派閥がある。加えて土豪、新興貴族、富豪、部族長とその混ざり物で更に細分化。偽装した共和革命派もいるだろうし、そこまで過激ではなくても貴族共和制くらいに落ち着かせようという連中もいるだろう。北西部のノスカ共和国は貴族共和制で、見本として現存する。範に取ろうと思う者はいるだろう。

 奴がどれか見分けはつきそうにない。単純にオダル宰相かマフダール大将軍が寄越した監視役というのもある。

 いっそタザイールに薬と催眠術をやらせて吐かせるか?

 取り合えずタザイールに物だけは用意させて、ランティスを天幕まで呼びつける。

「ランティス・カントバレー大尉、出頭しました」

 爪先から、型の合ってないアッジャール朝の軍服を着るランティスの面まで見る。小器用そうな感じがしてやがる。クトゥルナムの面を思い出してちょっとイラついた。

「おいランティス」

「はい」

 タザイールがランティスの背後に回って背中を、一歩前へ押し出す。あぁそうだ、タザイールにケツ掘らせるのもありか? ランマルカ人なら神聖教徒で男色はご法度だ。聖なる神の教えでは子供をたくさん産んで広まれということになっていて、穿っても糞ぐらいしか出ない男のケツは……どうでもいいか。

「何でしょう」

「お前、誰が寄越したんだよ。教えろ。吐かんと薬飲ませて怪しい儀式で頭穿り返すぞ」

「何ですか急に」

「おいタザイール」

 タザイールがランティスのケツを撫で、ランティスがビビって横に飛び退く。

「ああ、大丈夫ですな」

「大丈夫って何ですか!?」

 ランティスの面から視線を外さず、鼻くそを穿って靴の裏に擦る。それから煙草を咥える。タザイールが火を点ける。吸って吐く。

「……いやぁ、確かに私は怪しい者で、喋りますが密命を帯びてます。でも何か喋るようなことは知りませんよ。訳知りの事情通を鉄砲玉に送り込む馬鹿はいないでしょう」

「じゃあ何の情報を流してるんだ? 集めてるのか?」

「さあ? その時は指令でも飛んで来るのでは? あれですよ、下水道の道の方なんで、元と先は知らんのです。そういうものでしょう」

「給料は余計に貰ってるのか?」

「既に食べてうんこになってます」

 先払いと成功報酬? 恩義かもしれない。この世の中じゃ飯一つで命張るのも道理になってしまっている。”赤帽子”に釣られた自分が笑えることではない。

「そうか。お前、次の攻撃の先頭に立て」

「何ですかそれ」

「良く当たる矢弾占いだ」

「良く当たるって何ですか、死にますよ。いや、戦場に出るのが嫌ってことじゃないですよ。合法的に諜報員容疑者殺すには良い手ではありますけど」

「占い師の私が将軍の占いを保証する。当たる奴は良い奴だし、当たらない奴は運の良い奴だ。外れが無い。かなり良い発想だ。流石は将軍です。これは色々応用が利きますね」

「別に指揮は執らなくて良い。位が高くなったお前が頑張って先頭に立つのが色々と皆にウケるんだ。分かれ」

「マジですか」


■■■


 吹雪の中で夜襲を行う。視界不良の中での迷子の末の行方不明、凍死者の発生は甘受する。青天下に突っ込んで銃砲弾を浴びるよりは、雪と風に鼻と耳に指を腐らせながら白兵戦をやった方が被害が少ない。これが経験則だというのだから笑い話になる。

 天幕の中で身を寄せ合って人と馬――糞小便で臭くなるより寒い方が辛い――が寝ているところを起こし、簡単な整列をさせて前進させる。射撃戦を重視するのならば美しい横隊が望ましいが、悪天候の中ただ突っ込んで白兵戦を挑むのならば綺麗な隊列は不要。

 接近に当たってだが、包囲中に東側の壁外建造物は地道に兵隊を送って掃討済み。砲兵倉庫や騎兵厩舎などの重要施設はあったが中身は空に等しく、守備兵の配置もしていなかった。息子を兵隊に取られた老夫婦の農場もあったが無視する程度。猟師小屋のおっさんは世情に疎くて話にならなかった。風車小屋に残っていた小麦は腐って凍った後。要するに無害な地域になっている。

 まずはシルヴ元帥が”元帥砲”と、こちらが所持している大砲全てを使ってザロネジ東門と周辺城壁への破壊射撃を試みる。

 まずこちらが所持している大砲全てに砲身寿命が消し飛ぶ火薬量で弾薬が装填され、そして砲兵が退避。全点火孔に針金が接続されており、その針金の真ん中をシルヴ元帥が握り、あの甲高い異様な砲声とともに一斉発射。東門周辺の砲台がまとめて破壊され、極端な反動に大砲が後方に吹き飛びながら砲身破裂は一つも無い。効果は吹雪で良く見えない。発射されたのは鋳造弾だから爆発することもない。ただ石の塊がゴロゴロと崩れるような音は響いた。

 それからは元帥砲による断続的な砲撃が開始される。斥候を定期的に送って破壊状況を確認。

 我々が砲兵を送り込んで全く成果を出せなかったのに対し、斥候が送ってくる情報「もう半分崩れてます」とか「これ以上壊すとかありません」とか「もう瓦礫を上れます」だ。

 銘版どころか旗織って送りたいぐらいだ。

 東門周辺の崩壊箇所へ向け、軍を大体の縦隊にして、先頭に旗を持たせたランティスを立たせる。

 ランティスはやけっぱちなのか刀じゃなくて石斧を持ってやがる。白兵戦だとあんな感じの原始的な武器の方がかえって有利かもしれないが……いや、奴は良く分かっていた。

「石斧野郎が先頭だぞ!」

「本当だ! あの野郎更にイカれやがったか!」

「口を慎めお前ら、石斧大尉殿に敬意を示せ! ウラー!」

『ウラー! ウラー!』

 その喚声と吹雪と、城門城壁破壊後のシルヴ元帥の制圧射撃に負けぬように声を張る。

「全たーい! 前進!」

 聖職者はまだ生き残りがいる。前のような大合唱ではないが祝詞を唱え、手鐘を鳴らしながら前進する。鼓手が太鼓を連弾する

 除雪など当然していない場所を前進するので足は遅め。

「無駄に生きるな、今死ねぇ! 今死ぬぞ!」

『ウラー!』

 前進速度はランティスの速度となる。そうなるから根性入れて歩けと言ってある。

 城壁側からの迎撃射撃はまだ無い。松明を持って並び、良い的になっている我々の姿はもう見えているはずだ。

 順調に崩壊した城門城壁まで到着し、刀を振って「行け! 行け!」と促す。

 ランティスを先頭に兵達は崩れた残骸である石と土砂を駆け上がる。

 そして銃声。矢弾占いは当たり、石と土砂の頂上でランティスが倒れる。

「石斧野郎が一発貰った!」

「続けビビるな!」

『ウラー!』

 続く兵士が落ちた旗を持ち、そらに後続の兵士達が喚声を上げながら石と土砂の向こう側へ進む。思っているより敵の射撃は大人しい。主要な敵兵は残骸の中に埋もれているか?

 残骸を上って、脇に除けられたランティスを見る。左肘が完全に砕けて千切れかかっていて、誰かがスカーフで腕を縛った後。これなら肘の上辺りの切断で済みそうだ。

「当たったな。お前は良い奴だぞ!」

「それはどーも!」

 突入していく我が兵は勢いづいており、城壁の内側で迎撃に当たっていた敵兵をあっさりと排除して市街へ浸透していく。

 ザロネジは今我々が攻撃している東岸に建物が集中しており、西岸は幅の広いウォルフォ川を挟んで中洲のような中継地点も無い。ハッキリと二分される。

 こちらの東岸の都内突入後には伝令が、ミンゲスの騎兵隊へ凍結したウォルフォ川を下って西岸へ攻撃を開始するようにしてある。両岸を同時攻撃するので敵に余力は無くなるはず。

 こうして順調にことが進むと、都内中から爆発が複数、各所から火柱と黒煙。火の手が上がる。何の心算だ? 陥落するくらいなら諸共死ぬということか?

 火災のせいで建物に隠れていた一部の住民が、火の手を逃れるために外へ出てくる。

 この混乱はマズいと思ったが、次は各所で敵の守備隊が降伏を始め、そしてあろうことか同士討ちに協力しろとまで要請が来る。

 守備隊長ではないが、降伏した敵の士官がやってきて「ザロネジを燃やすあの革命糞野郎共をぶっ殺すから手伝ってくれ!」と言った程だ。

 自爆してまで戦おうという連中と、そこまでする気の無い連中に分かれていた。


■■■


 爆発後の都内制圧は市街戦と呼ぶには疑問符がつく仕事となった。

 まずするのが消火作業である。住民に呼びかけ、協力して消火して回ったのだ。革命と共に自爆したいほど共和革命派を信じている人間は驚く程に少ない。長く内戦を経験してきた住民も兵士もそこは分かっていて、何だか戦時の雰囲気ではなかった。

 残っていた過激な共和革命信者だが、降伏した守備隊と連携して鎮圧するという事態になってしまった。降伏してこちらに下って積極協力する現地の守備隊がいれば、市街に潜伏していても仕事は簡単だ。

 住民も積極協力して過激派を突き出して来るし、親が過激派の子供――いい歳した奴が大半――を連れて謝って許して貰えとやってくるぐらいだ。

 拷問で情報を吐かせるまでもなく、また革命はやってくると、首脳部や主要な信者はランマルカに亡命したことを捕らえた信者が喚いていた。

 ここに来て掘り当てたのは墓穴か抜け殻だ。一々馬鹿らしい。

 名誉も武勇も無いような掃討を行った。アッジャール朝の臣民になって元の暮らしに戻れと言っても聞かないような連中をザロネジ都内から発掘して外に集めた。拍子抜けするくらい簡単であった。

 広場に集めて揃えて絞首刑とかは気合が入らず準備が面倒臭いので、人を集めて見せるようにして、死刑にする連中は凍結するウォルフォ川の上に転がしてから大砲で氷を割って水中に落とした。這い上がれないようにそれぞれ脛と腕を棍棒で殴ってある。

 殺す人数は、突入当日の一度目は百人以下だった。

 翌日の二度目はもっと少なく、二十人くらい。

 翌々日の三度目はいい加減にしろと説教してから親や親戚、結婚相手とか友人とか、とりあえず色々な相手を見つけて引き取らせた。

 四度目は無く、定期的に広場に人を集めて聖職者達に任せた。人じゃなくて神に任せることにしたのだ。

 後は腹が減って馬鹿をしないように食糧を配って、暇をするとロクなことをしないように都内復興の仕事をさせる。後に逆転させ、仕事の対価に食糧を配った。

 下手に面倒を見たせいで住民が頼ってくるし、今更ここで紛争起こすのも馬鹿らしいので協力してたら夫婦喧嘩の相談まで受けた。あまりに小事過ぎることはタザイールに任せた。あいつはそういう下らないことが得意だ。

 住民の面倒を見るのも仕事になってしまったが、将兵の面倒も見るのが本業。

 ランティスは助かった、左腕は切って無くなったが。

 内戦続きで繁盛してしまっている義肢職人を探して作らせた。からくり付きで、歯車で指や肘が動く、歯車止めを効かせれば物を握ったままに出来る代物。

 一人に作ったら手足の無い奴全員に作ってやらないと駄目だ。負傷兵、欠損した奴はいくらでもいる。工兵とか、元木工職人だとか彫金技師だとか、手に職ありそうな兵士を本業から外して義肢の量産に充てた。

 兵隊を動かすには口頭でもいいが、一々顔を突き合わせるのも面倒な場合は命令文書を書いた。

 それからシルヴ元帥に行動記録を取った方が後々に役立つからと言われて命令文書を、余程の些事でなければ必ず書くようにした。一々どこの部隊が何をしたかと口で確認しなくて良い時もある。前まで重複した命令を出したり、暇な部隊があるのに仕事を掛け持ちにさせてしまって部下に注意されたこともあったが、それが無くなった。女なりに気がつく。失敗を経験済みか?

 食糧不足が心配されるとか言われたので、ウォルフォ川の氷を火薬で吹っ飛ばして、凍りつく前に網を引かせて魚や海老に蟹を獲らせた。死体は引っかかったが、しょうがない。死体は勿論魚や海老や蟹に食われていた。この辺は川でも海が近くて汽水のせいか海のものも獲れる。

 元猟師、銃の扱いが得意な奴に騎兵隊も出して周辺で狩猟をさせて鹿や猪、兎を取らせた。

 色々あるがまだ仕事にあぶれてる連中は木を切らせて燃料確保。機関車の線路を解体し、伐採所まで並べ、都内に残った予備の貨車を人に手で押させて薪運びに利用。

 病人が当然出てくるので隔離区画、そして体力の落ちた病人用に暖房部屋を作った。機関車用の石炭が多めにあるので備蓄は十分。薪の確保は予備と、暇をさせないためにやらせている。雪国が薪の用意をしていないわけがない。

 女達が冬の洗濯は辛いと話していた。兵士の数が多くて重労働で、雇った洗濯女達から逃げ出す者が出たとも。

 頭の器用な奴の発案で、凍結しない程度に沸かした水を使う屋内型の集団洗濯槽を設置。ここでは手ではなく、船を漕ぐ櫂でかき回した。かなりの力仕事になるので兵隊を動員。

 それから長く滞在していると兵士と、男が激減して体が余ってしまっている女が結婚するからとか言い出して、式に出てくれとお願いされる。

 結婚式のために教会を使おうと教会の再建工事が真っ先にされる。

 聖職者達は失った信仰を取り戻そうと、それはそれは熱心に活動を行う。何時寝ているのか分からない程度には熱心だ。

 あと何か知らんが「反省したからごめんなさい」とわざわざ言いにくる奴がいて、うるさいし、しつこいと思ったら元過激派らしい。


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 ザロネジで越冬する日々で、寝る前に共和革命派の三大聖典みたいな労働党宣言、英雄語録、革命軍野外教令を読んだ。これを読むとあっという間に頭が疲れて眠くなる。

 オルフ語の書き言葉は命令文書の作成程度にまで習熟したのだが読むのに苦労して、そして理解不能であると分かった。今までに無い概念のために新しい言葉が多数使われているせいでおかしなことになっている。

 一人で悩んでも解決しないので、慣れぬ義手で暇をしているランティスに解説付きで読み聞かせをして貰った。まず今後出会うであろうこの敵の考えを理解する必要がある。まずオルフ語訳の本は駄目だと言うので、ランマルカ語の原本で翻訳して貰う。誤解を覚悟して、理解困難な箇所を省略、要約してならオルフ語でいけそうらしい。遊牧諸語だと語彙が足りなくて不可能だとも。


 ・労働党宣言の要約

 貴族や聖職者、富豪のような上流階級のために政治があったのが旧体制であり、人民は家畜と同義であった。いくら良心的な政治運営がなされようとも、それは人民のために行われるものではない。旧体制下においては初めから彼らと我々は相容れないのである。

 人民のための政治を行うには新体制を築かなければならない。であるならば人民を人民たらしめるには旧体制の打破が必要である。この新旧体制は排他的であって共存出来ない。

 上流階級の持ちうる財産の、真の所有者は生産者たる人民である。人民の手によって作られた生産物は単純なる事実として人民の所有物であるのは明白だが、上流階級である旧体制の受益者があたかもその生産物の正当所有者は己であるかのように掠め取るのが旧体制の法である。

 新体制下にあっては人民の生産物は人民の所有物であることが法となる。これにより人民は不当に搾取されることなく、己の労働に応じた適切な収入を得る事が可能になり、正当な利益が得られる。

 新体制へ移行する際には富の再分配が必要とされる。不当に搾取した上流階級の財産は、本来の所有者である人民に返還されなくてはならない。返還の後、人民は正しく正当な富を所有する。

 貧しい人民の多くは明日生きるのも不確かな者達がいて、それはつまりは旧体制の犠牲者である。彼らの救済を優先するのは人道に適うので、再分配の順序は貧しい人民から行われるべきである。人民の財産は人民のために使われるべきであり、まず救済されるべき人民を優先するのが新体制的な美徳である。

 救済された人民は、何れ救済する人民となるように国家は導く必要がある。そうしなければ貧しい人民が旧体制の受益者のごとき存在となる。人民は家畜ではなく、人民が人民たるは正しく労働し正しく生産するからである。

 旧体制から新体制への移行は激しい変化を伴い、速やかなる決断組織が求められる。移行初期には労働者のための労働党に独裁的な政治的権力を与えなくてはならず、そして移行が終了次第独裁的な権力を放棄し、正しく新体制を理解した人民による公正で民主的な政治が行われなければならない。この時に権力を放棄しない者は旧体制の圧制者と同義である。

 実質的な上流階級の消滅のためには相続権等を廃止しなければならない。富の相続とその相続権利の保護のために旧体制はあったからだ。

 搾取する者を消滅させるためにはあらゆる産業を国有化しなければならない。公平公正な管理を行うためには、原始的貯財を本能的に行ってしまう私人ではなく、原始的本能が排除された先進科学的な公社が管理運営をするに適当である。

 人民を家畜に貶める無学化を防ぐためには正しく無償の義務公共教育を行わなければならない。無学による社会への盲目化は古来より成され、それを行ってきたのは旧体制の受益者、上流知識層である。彼らは無学で従順な家畜を欲するがために人民を無学化してきており、人為的な仕組みを施さなければ貧しく、生産行為にのみ駆り立てられてきた人民が自ら学問に励むことは不可能である。その旧体制の状況下では無学な人民の子は無学なままであり、その子の子も同様である。その悪循環を断ち切るために施される公共教育は人民の権利であると同時に必ず受けなければならない義務なのである。そして義務であるからして無償であらねばならない。新体制初期においては貧しい人民も多いと推定され、公平公正を期すために無償であるべきだ。

 新体制を実現させるためには、新体制によって利権を失う旧体制の受益者を滅ぼさなければならない。滅ぼすための革命運動には必ず流血が伴うであろう。しかし子や孫、それより先の子供達の未来を考えるのならば流血を厭う理由は無い。

 旧体制の者達の言う正当な手段で我々が家畜から人民になることは出来ない。何故ならば彼らは常に搾取する対象を確保しなければ生きていられないからである。真に芯から蚊や蛭、吸血鬼、人間を食らう人食い豚であるからしてその仕組みを変化させることを受け入れることはなく、相容れないのである。

 新体制へ移行するためには彼らが非難する不当で違法な手段に出なくてはならない。それこそが血を伴う革命闘争である。

 労働者よ、人民よ、我等が同胞よ。革命の火を焚き、旧体制の受益者をくべ、その熱で進化せよ。これは生存競争と知れ。


 理屈は分かるが頭が痛くなる。それとそれなりの信奉者がいる理由も分かる。

 実態的に人民とは妖精種族のことを指し、人間については勘定されていないことを理解しないと誤解するようになっているそうだ。妖精種族の高い集団性から、彼らの言う民主的な政治とは人間が行う民主的な政治とは性質が異なること。それを知らずに人間が読んで実行すると単なる人間同士の殺し合いとなる、らしい。そのような作為があるとのこと。妖精共に虐殺されたランマルカ人が言うのだから説得力はある。


 ・英雄語録から主要箇所抜粋

 第一回労働党大会にて、指導者。

 ”革命は起こるべくして起こる。労働者の権利主張のための階級闘争は自然発生的であり、そこに暴力が伴うのは悪しき封建主義的旧体制が労働者の頭上に横たわっているからだ”

 国有化工房第一号にて、国家国民需給品目審議数量査定委員会委員長。

 ”労働者よ、工房もまた戦場なのだ。革命闘争に必要とされる物を生産する行動もまた革命闘争である”

 革命軍大元帥による、全人民による革命闘争開始宣言。

 ”これは互いにどちらかが滅ぶまで行われる総力戦である。であるならば全人民が労農兵士として前線銃後の別無く闘争を行うのは必然且つ必要。老若男女総ての力を持って戦え。勝利とは我等に与えられるものであり、敗北とは敵に与えるものである。我等が敗北する時は、全人民の命が途絶える時だ”

 革命憲法発布時の指導者による演説。

 ”全人民は社会科学的に平等。職分はすべからく能力適正評価にて判断されるが貴賎は無い。同志達は己の職分を全うせよ。革命憲法はこれを保障する”

 第二代指導者による、ランマルカ革命闘争終了宣言より抜粋。

 ”我等が念願たる労働者のための政権が世界で初めて誕生した。次なる目標は同じく労働者のための政権を世界各地で誕生させることにある。我々は未だ世界にて孤児で脆弱である。であるならば同胞を増やし、強靭となって生存を確かにするよりない。従って世界を革命せよ”

 大陸宣教師出征記念式典にて、筆頭宣教師による宣誓。

 ”世界に並べられた限りある椅子の多くに人食い豚が座っております。我々は一つでも多くのその椅子を奪い取らなければなりません。仮に策足りず実力適わず奪えぬのであれば最低でも椅子の脚に傷を入れ、革命の残滓を残して明日へと繋げます。失敗とは諦めることにあり、諦めず継続的に忍耐強く闘争を続けるのであれば必ず成功へと繋がります。我々大陸宣教師は成功します”


 指導者による思想の形成から、ランマルカ革命成功に至る経緯の物語となっている。当時の話を時間が経ってからまとめた書き方になっていて、話の要所要所で名言が抜粋される。生々しい話があまりなく、多少伝説的。


 ・革命軍野外教令の序文

 革命軍における労農兵士の任務は旧体制を打破することにあり、打破の後はその築いた民主祖国と同胞諸国、そしてそれぞれの人民の防衛にある。

 旧体制の打破とは、完膚なきまでに旧体制勢力を討ち滅ぼす事にあり、二度と復活することの無きように殲滅することである。古き水に新しい水を足しても古き水であるが故、全てを排水した後に注ぐことと等しいと心得よ。

 防衛とは国土と人民、同胞諸国の保護みならずこの先進思想を永久的にすることにあり、これを犯す者があれば総力を挙げて撃滅しなければならない。

 革命軍における敗北とは共和革命思想の廃滅にあり、それまでは何人たりとも徹底抗戦を止めることを禁ずる。降伏、転向、武装解除等の背信行為は決して認められない。

 敵を打ち破れば徹底的に全局面において追撃を行い、完全に我等が共和革命思想を廃滅する意志を消滅させるまで攻撃を止めてはならない。全局面とは考えうる直接、間接、精神的な局面の全てである。

 敵に撃ち破られようともあらゆる方策にて生存を画策し、共和革命思想を廃滅せぬように戦略的遅滞戦を継続し、機会を忍耐強く待って逆襲すること。最後の一人が倒れるまで絶対に諦めてはいけない。

 闘争とは全局面に対しての闘争である。武力行使とそのための生産活動も闘争である。自勢力下の人民の教導、敵勢力下の人民の教導も闘争である。有事、平時の別無く常に敵を削減しその資源を削減ないしは利用し、自己と同胞を増強しその資源を確保増強し、最大効率で利用しなければならない。資源とは人民とあらゆる物資の質量を合わせた値である。

 共和革命思想に共感する同胞は世界中にいる。その同胞は旧体制勢力の圧制者達に強制され、洗脳されている。彼らは潜在的には我々の味方であるので正しく教導し、新たな同胞とする努力を忘れてはならない。打倒すべきは旧体制勢力であって人民ではない。従って敵勢力との闘争は世界革命と同義である。労農兵士は末端に至るまでこの至上目的を失念してはならない。

 労農兵士とは武装する全人民のことを指す。つまり全人民は労農兵士であることを心得なければならない。民主祖国は人民による人民のための国家共同体であり、それを運営するのも防衛するのも人民であり、全人民が労農兵士であることは義務である。この義務は共和革命思想ある限り続く。

 これより記される内容はあくまでも基本的な指針であり、流動的な戦場での的確な判断材料となる保証は無い。これを学ぶ者はその点を承知して教条主義に陥らぬよう心されたい。


 序文の後は軍組織としての行動指針が具体的に、長年軍人として働いているのならば間違いなく共感するような基本的なことが、素人向けにややしつこく丁寧に書いてある程度であまり政治的ではない。住民対策や指揮官としての心構えには政治的な色はあったが、言葉を変えただけで普通のことが書いてあるだけだ。当たり前にやるべきことを全て当たり前にやるからこそ非常に強い軍隊が出来る、と書いてあると言えよう。

 戦争における行為全てに気を遣うのは、疲労と混乱が常に付き纏う戦場では難しい話だ。そしてこれを士官かもしかしたら下士官、文字が読めれば兵士にまで教育しているとして、そんなのが敵だと考えると末恐ろしい。末端兵士まで為すべきことを高次元に理解していたら、既存の組織とはまったく別の行動が取れるのではないか? 具体的には無数の小集団が同一目的を持って、広い地域に散らばって行動するとか。そうしたからどんなことが出来るとか、直ぐに思いつかないが。

 敵を勉強しながら、ザロネジでの越冬は馬鹿に忙しかった。

 シルヴ元帥もここで越冬するので色々と仕事はしていたが、威圧的な雰囲気に誰かが積極的に頼るようなことはなかった。そうすると自然とこちらに負担が増えた。

 住民は自分を長老か何かと勘違いしてないか? そう思って春を迎える前に気がついた。

 ……ザロネジの市長や市議を決めてなかった。誰か指摘しろよ。

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