第156話「不屈」 ゲチク

 イーゲリにある亜神女大聖堂の天井には砲弾で穴が空き、陽が柱のように射して舞っている埃を見せる。

 穴が空いているところが丁度天井画の、救世神教の預言者の母である亜神女レーベの股座なのだからご利益がありそうである。あそこから神の子、預言者が出てきたらしい。

 辛気臭い年寄りばかりの信者が膝を突いて手を合わせ、辛気臭い年寄りばかりの聖職者が立って並んで歌っている。

 その聖職者の中にパトロ爺さんが、ザンバラに長いカツラと付け髭をつけている。その姿は荒野にて俗より離れ、外界に影響されず純粋に教えを学び、修行したという証拠らしい。徴兵時に髪と髭を剃られたせいで応急的にそんなことになっている。見た目は大事だ。


  極星の空より云われん

  無限の影より云われん

  神の子へと云われん


  ・手鐘を鳴らす


  皆終は共に、総ては何れ灰へ帰す

  死の影を恐れず、続きを畏れよ

  畏れる者を助く音を聞け、救済の手は畏れる者に

  死の大地より、光栄の彼方に誘う音は高く

  音に聞け嬰児、死の続きに参れ

  何れ導かん


  ・手鐘を二回鳴らす


  預かりし者から使徒へ

  学びし使徒から弟子へ

  高き声にて広まらん


  ・手鐘を鳴らす


  聖なる御前、ただ我等膝を突いて畏れる

  畏れて祈り、聴く耳を立てる

  高き音が聞えるまで、救いの揺籃を護る

  命を与える父、世を救済なさる御手

  死の続きを待ち、光栄の彼方へ

  何れ導かれん


  ・手鐘を二回鳴らす


 高き音と表現されているから鐘を鳴らして甲高い音鳴らすってのも何だか、違うんじゃないか? だって鳴らしたところで救われていないじゃないか。救われるまで鳴らして待つのか? 待つんだろうな。

 大聖堂の扉は開かれている。万人に門戸を開くという意味で開けっ放しで、今日まで続いた戦争の埃が屋内に積もって靴跡が出来ている。

 扉の近くで、上下引っ繰り返した東大洋由来の大花瓶を椅子にしてこの辛気臭い集まりを眺めていたら犬が寄って来た。白と茶の斑毛で、痩せてあばらが浮いている。

「おい、食っちまうぞお前」

 こちらに向かって鼻を突き出し、何がどうしたか知らないが尻尾をアホみたいに振っている。垂れた耳を掴み、親指で撫でてやると尻を床に付けて鼻を鳴らし始めた。こうやって飯を食い繋いできたか。

 救世神教には重要な祭日が五つある。他にも祭日はあるがどちらかと言えば民族的。

 預言者の誕生日が、聖誕祭。

 いずれ聖と魔に継ぐ救世神が到来することを神が預言者に告げた日が、預告祭。

 預言者が最初の弟子達と教えを説いて回り始めた日が、巡説祭。

 預言者の命日が、昇天祭。

 統一オルフ王聖ゼオルギ一世が救世神教を国教とした日が、聖ゼオルギ祭。

 今日のお歌は預告祭に因んだものだ。

 婆さんみたいな爺さんが、壁にはめ込まれた絵物語になっている装飾硝子窓――半分以上割れてる――の内、太陽に照らされて白い丸が浮び上がっているところに右手を翳す。

 婆さんみたいな爺さんは元イーゲリ=ノルザルキー主教。宦官みたいな面なのは、真に教えに殉じる者は去勢するからだそうだ。竿は残して、睾丸を縛って腐らせてやる去勢だそうだが。

 だから偉いからといって去勢するわけではないようで、一応は一番偉いベランゲリ総主教は妻子持ちで、娘の一人は故イスハシル王に嫁へ出された。その娘も死んだそうだが。

 金玉取りなど趣味の範囲だろう。そう言ったら反論するだろうが。しかし趣味で金玉取るとか、信じられん。

 主教は翳した右手の平と甲を交互に陽に当て、助祭が持った水の入った桶にその手をつけて膝を突いている信者達に水、聖水をかける。とにかく利き腕かは関係無く儀式には右手を使うらしい。

 聖水をかけて邪なものから護るという。水に濡れるとそこが光るので光の保護が与えられるということと、生まれたばかりの子が羊水に濡れているように、救世神の嬰児であると自覚して信仰を再確認して高めるという意味がある。水じゃなくて油の方が良いらしいがそこは物資欠乏の現状だ。

 パトロ爺さんが自分を改宗させようとしつこく喋りやがったので大体覚えてしまった。今日も爺さんに誘われて儀式に参加した。オルフ人共を手懐けるには聖職者の影響力が必要だからだ。

 ここに集まっている聖職者、徴兵されなかった年寄りの中から従軍志願者を見つける。こいつらは兵器だ。有効活用しないとな。

 寺院に何か当たったかカツンと鳴る。鳥?

「堕落の後退者!」

「反革命め!」

「不労の略奪者共! 人民の財産を返せ!」

 開かれた門戸から石が投げ込まれる。

 割れた装飾硝子窓の方から覗くと、徴兵されていないような十代前半の若者達が石を投げている。皆、あどけなく、声が細く高く、体は痩せて骨張った頭が大きく見える。

 若い連中は共和革命派に染まっているらしい。道理で年寄りばかり。

「ギャ!」

 遂には投石が信者の痩せた爺さんに当たり、主教の水かけが止る。

 腕で顔を守りながら、熊みたいな太ったおばさんが開いた扉の方へ進む。石に打たれても足を止めず、その迫力に投石は止んでいった。

「くぉら馬鹿息子! 何やってんだぁ!」

「げ、母ちゃん!?」

 腕を下ろしたおばさんが怒鳴り、息子の方が間抜け面になる。

「だって、先生が宗教は人民精神を腐らせるって!」

「あんた分かって言ってるのかい!」

 おばさんが息子を平手打ちで殴り倒し、襟首を掴んで引っ張っていく。

 自然と若い連中は解散した。

 そして儀式再開と、主教が説教を始めるべく、没収前は銀の預言者像があったという台を背にして立つ。

「皆さん、神の嬰児達……」

 今度は笛の音。この音は良く聞くと言えば聞く。

「解散! 解さーん!」

「違法集会は解散しろ!」

 今度は青帽子の憲兵共が殴り込んできた。けったいな連中だ。

 大花瓶から尻を離し、パトロ爺さんの肩に手を置く。

「相手している内にとっとと終わらせろ」

「とっとと、ですか?」

「中止よりは良いだろ」

 足について回る犬を抱えて、手下を引き連れてきた憲兵士官に放り渡す。すると受け止め、それからゆっくり地面に下ろした。こいつは話が通じそうだな

「第八五連隊、第三大隊長ゲチク……あぁ何だ、千人隊長より下のあれだ、少佐だ。少佐で合ってるか?」

「軍服は?」

「敵には見せてやるよ」

「立場ある者が何故このような場所に?」

「禁止する理由が分からん」

「聖職者という特権階級の存在は許されない。祈ってパンが降って来るわけもなく無為である。祈る時間があるのなら畑を耕し、道具を作り整備するべきであり、明日の労働に備えて休息すべきである。取り返しのつかない時間という資源を人民より搾取している」

「そう言うか」

「救世神など科学的に証明出来ないまやかしである。その特権階級が搾取するための詭弁である。教会より没収した財産で我々がどれ程人民に物資を分け与えることが出来たか知らないのだろう」

「知らんな」

「そして救世神の教えとはただ耐え忍ぶことだけ。敗北主義的な思想に染まっているのでこれからのオルフには不要である。攻撃前進の精神無くしてこの戦いに勝利は出来ない。理解したか?」

 大体は同意するが、納得するものではない。

 戦闘前に行ったパトロ爺さんの祝福は戦意高揚に役立っている。反論したところで何もならないし、オルフ人同士の内輪揉めだ。

 それに説教はお喋りしている内に素早く、とっとと終わった。

「解散だな」

「報告はするぞ」

「好きにしな」


■■■


 預告祭の一部に参加し、兵舎にしている屋敷に戻ると最近まで高熱を出して寝たきりだったノグルベイがしきりに体を捻りながらも飯炊き中。腕に脚、致命的な胸や腹に首に銃剣、銃弾しこたま食らっておいてこの野郎、生きてやがる。

 怪我の処置はタザイールがやった。内臓に達する無数の傷の縫合をノグルベイの肉や内臓で作った糸で縫った技術には感心したものだ。

「何か、まだ腹に残ってる気がすんだけど」

 死なないだけ幸運な重傷だったのにこの野郎、足取り軽く歩いてやがる。縫ったとはいえ肌の傷はもう、跡がついているとはいえ塞がっている。傷の治りは昔から早かったが。

「残ってんじゃなくて足りない。グチャグチャになった肉取って、内臓も切ったからな」

 肉っぽい何かを短刀で刻むタザイールが、その刃物の腹でノグルベイの腹をペチペチ叩く。

「おいインチキ、ちゃんと弾抜いたんだろな」

「玉は抜けてるかもな」

「やんのかてめぇ糞呪い師!」

「うるせぇ呪い殺すぞ。腹の傷に銃弾の代わりに豚の骨詰めといたからな」

「あっ!? 馬鹿てめぇ、ぶっ殺す!」

「二人共止めろ」

「だって兄貴! 豚の骨!」

「嘘に決まってんだろ。はっ、馬鹿を呪うのは簡単でいいな」

「あーにーき!」

「タザイール、頭出せ」

「えっ、将軍、えっ?」

 タザイールに拳骨食らわせる。

 二人が作った肉っぽい何か――たぶんとことん煮込んだ革靴――が入ったお粥を食う。腹が減ってると大体何でも美味い。

 食べ終わってからは床に寝転んだノグルベイの腹を枕に寝転がっていたら青帽子の憲兵がやってきた。大隊付きの監視密告役の奴ではなく、連隊付きの奴だ。

「ゲチク少佐はいらっしゃいますか?」

「おう、どうした?」

「連隊司令部までお越し下さい」

「あいよ」

 連隊司令部に呼び出された。

 ノグルベイの寝面に屁をかけてから司令部に行くと連隊長、補給士官、あの憲兵士官の三人が席を並べて仲良く飯を食って、酒を飲んでいる。

「ゲチク少佐、亜神女大聖堂にいたそうだな」

 二十は年下の連隊長が凄んだ顔を作る。髭も薄いくせに、顔だけ頑張ったものだ。

「レーベ様の股座に大穴が空いたの見に行ってた。光が射してたぞ」

「何故集会に参加した? 人民解放軍将校としての示しがつかん」

「共和屋の流儀にはうといんでね」

「こちらも通報されたらやらねばならん」

 こんな会話にも記録が必要なのか、手帳に何か書いている憲兵士官が言う。

「北岸、後方の熱心な連中は知らんが、前線の状況も……あぁ、愚痴を言ってもどうにもならんが、余り目立つようだと銃殺だぞ、ゲチク少佐。分かったな?」

「兵隊共に勇気を振り絞らせててもか?」

「それはいい」

 憲兵士官は書くのを止めた。

 連隊長は杯に酒を入れて一杯差し出してきた。受け取って飲む。

「イーゲリ=ノルザルキーの戦いで敵は攻撃を失敗し、弱っている。そこで一挙に反転攻勢に入る。二日後の朝に出発だ。明日には補給物資が到着する。明日だな?」

「はい連隊長。ウォルフォ川を制圧するために艦隊が出ますから、確率は高いです」

 補給士官が安心出来ないことを言う。

「物資を受け取ったら準備をさせ、出発に備えろ。以上だ」

「了解だ連隊長殿」

 兵隊共の真似をして挙手敬礼をしてみる。

「ゲチク少佐、敬礼は左手じゃなくて右手だ」

「坊主共も右手だぞ」

「それはいいんだ」


■■■


 翌日、予定通りに補給を受けたが武器は全て従来の、旧来のものだ。しかも少ない。

 錆だらけの、又杖で銃身を支える型の重たい火縄銃が混じるぐらいだ。中原では湿気対策に使ったが、ここではただの骨董品。火縄銃は装填する時に、点火薬を入れるときに火縄を外さないと暴発の危険性あってちょっと扱いが面倒である。今、欲しい武器ではない。加えていい加減なことに火縄の支給はなく、又杖もない。オルフ兵は三日月斧を又杖代わりに使うのだが、さてそんな戦闘用の斧はこの部隊で見たことがない。棍棒にしても重たい。アホか。

 火縄銃より酷いのは火薬が足りないこと。手持ち分だけで補給分が無い。馬鹿にしてる。対策としては発砲は至近距離に限って弱装にするという手も、一応あるのか? やったことはないから何とも言えないが、これしかないか。

 これだったら銃じゃなくて槍を送って来てくれた方が良かった。銃剣で槍を作らせた方が本当に良いかもしれない。使えそうな竿を部下共に盗みに行かせるか。

 射撃武器もいっそ、投石器に統一してやろうか。銃弾は鉛製だから熔かして投石用の大きさにしてやれば案外馬鹿にならん武器になる。でもちょっと、かなり本格的に兵隊を訓練しないと厳しいか。狙いをつけないならいけるか?

 構想としては、弱装填の近距離射撃、銃剣突撃用の銃兵。既存の槍と合わせ、銃剣から作った即製槍の槍兵。乱戦用の刀剣、棍棒兵の三種混交で戦う心算だ。

 突撃距離を稼ぐ工夫さえ何とかなれば、銃兵中心の敵相手なら割りと行けるか? 雨天を狙うのなら希望はある。オルフは草原地帯もあるが、割りと降雨量はある。

 こんなことを考えさせられるくらいだから補給に施条銃は無く、あの後装式の銃も、大口径の銃弾を連射する斉射砲も無い。軽量小型の歩兵砲も無く、防御用の大型小銃も当然無い。あっても火薬が無いからただのゴミだが。

 最新兵器は全て戦争開始当初からいるような正規部隊に支給され、我々のような即製部隊にはそのお下がりが与えられていると聞く。配られた箱の中身を見る限り、現状ではそれ以下だ。

 そうなっているのはあの黄金の羊のせいらしい。職人や工廠は全てアッジャール朝側で完全に管理をしていたために疎開は素早く――不可能なら皆殺し――人民共和国側では最近までマトモに工廠を稼動させることが出来ず、設計図を貰っても生産が出来なかった。ランマルカから供与される物に頼り切りでは需要には満たなかった。

 アッジャール朝の工廠設備を人民解放軍が奪取してもそれらは破壊され、中身は持ち去られた後というのが緒戦の常であったらしい。

 加えてオルフの鉄鉱石需要を賄うヴァリーキゴーエ公領は開戦初期からアッジャール朝側にある。

 遂には工廠の疎開がエデルト国境側に行われたとなれば手出しが難しくなった。下手に国境へ接近すればエデルト軍と開戦してしまう恐れがあってどうにもならない。

 地図で見ると人民共和国はオルフの過半を手中に治めているが、肝心の工業能力は完全にアッジャール朝の手中にある。

 武器不足をどうにかしようと補給士官の口に短刀を突っ込みながら聞いた話なので間違いないだろう。咄嗟に吐く嘘にしては詳しかった。

 こりゃあ考え物だ。補給が糞のように脆弱であること以外も考えよう。

 人民共和国の東はヤゴール族の、そしてレスリャジンの大王の勢力圏だ。いつ、どんな理由で攻めてくるかも知れない血に餓えた狂犬がお隣にいる。地理的にはアッジャール朝は西に押し込められているが、その先は王室結婚も予定に入っている友好国エデルト。危機的状況を迎えているのは人民共和国の側だ。

 イーゲリ=ノルザルキーの戦いで、強引無秩序に奪った部隊指揮権が後追いで承認が、勲章付きでされるあたり人的損失の度合いが知れようというもの。人民共和国は階級に依らない能力主義とは言いようだが、お粗末なものだ。秩序も受け入れられないくらいに疲弊しているという話だ。

 親父の言うことも聞いてられないくらいに荒れた家ってことだ。虫しか寄らない。


■■■


 補給を受けて一応の出発準備を整え、第八五連隊は出発。

 他の部隊より先行しての出発だ。見送る友軍の目も何だか非友好的で、この第八五連隊の立場が知れる。異民族、反革命、犯罪者、数合わせ、そういう括りである。

 任務は目的地までの先行。大隊長の身分で聞けたのはここまで。通過地点ならばともかく、目的地はどこかは分からず、とにかく西進あるのみ。

 独自に解析するに、ある程度の規模の敵に接触するまで進んで、接触したら死ぬまで戦って、死んでいる内に後続の友軍が到着して何とかする。そんなところだろう。証拠に食糧の配給が無いか、わずかである。損失前提。

 味方の補給部隊、連隊のではなく更に後方の師団管理の部隊へ”斥候”を放つと後続の正規軍の連中は腹一杯食ってやがった。

 正規軍と我々のような新設の懲罰部隊に等しい徴集部隊とでは扱いが違うのであろうが、しかしこれではやってられない。

 連隊司令部の天幕に行って抗議をしに行く。一応、大隊長という肩書きを貰っているので事前通告無しに喋りに行ける。

「連隊長、後方の宿敵正規軍への攻撃命令を出せ。奇襲でぶつければ勝算はあるぞ。そのままアッジャール朝に転がりこむ。俺が話をつけてやる。自慢だが将軍ゲチクの名前は通じる」

「上に再三要求しているが来ない、耐えろ。俺もこの前、二日前の師団司令部の会議でリンゴ二切れ食って来たのが最後だ。それに私的な略奪は禁止されているぞ。兵站部が軍事科学的に公平に分配する」

 直接的な回答はしたくないぐらいに上が怖いか。

「本気で言ってるか?」

「政治的にはそれが正しい」

「お前等のジェルダナ母さんのお釜と、あっちのポグリア母さんのお釜はどっちが熱いんだ。え?」

「そんなこと知るか」

 連隊長がボロくなった机を爪で穿って木屑を作る。

 隣には気まずそうに下を向いている、連隊付きの青帽子の憲兵将校。

 補給士官は懐から、手作りらしき燻製肉を取り出したが受け取るのはなしだ。

「人食っても騒ぐなよ」

 この捨て台詞も何だかな。


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 味方から奪うのは断念した。宿敵じゃない方の敵から奪うしかない。

 先ずは独自に、無許可に斥候を放ち、住民がまだ存在する村を発見した。

 別働隊を編制して襲撃させた。大隊長不在ではマズいのでタザイールを指揮官に任命。

 そして戦果報告。食糧を積んだ牛に、羊の群れまでも連れて来た。

 それから口封じに住民は皆殺しにしようと思ったが、住民も兵士も、略奪されている割に同情的だし、若い男が全くいないので若い女が誘おうとしているような状況でそれどころではなかったそうだ。

 まずは大隊で食って、それから連隊司令部へ、夜間にこっそりと置き土産。ここでこれを食うか、補給部隊へ正規手順で預けるのかは連隊長次第だ。そこまで面倒なぞ見てられない。


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 飢えを何とか凌ぎ、西に敵方に前進し、当然のように敵軍と接触した。

 この第八五連隊は三個大隊で構成され、千四百名程度。敵軍の先行部隊規模はとりあえず、斥候が確認したところでは一万は簡単に超える。それに後続部隊が加わるというところ。

 直々に第三大隊まで顔を出しに来た連隊長から命令。

「第三大隊は北の方角にある丘に先行、安全を確保した後に残る二つの大隊を向かわせる。後続の友軍が到着するまでとにかく持ち応えるぞ。その将軍ゲチクという名前は戦功で本物にしろ」

「嘘じゃねぇよ」

「上層部にだ」

「あいよ」

 丘に対して戦列を並べる。弱装小銃兵が前列、中列に槍兵、後列に刀剣、棍棒兵。投石兵は訓練する時間と、鉛を熔かす時間に設備が無かった。しょうがない。

 向かう先、その丘は切り株だらけの昔は森だった場所だ。伐採し尽くして間もないようで切り口から芽が出たり、キノコが生えていたりはしていない。

 丘の上には既に敵の部隊が陣取っていることは、こちらが出した斥候が銃撃されたことで確認済み。

 進む前に先頭でタザイールが、略奪して食った羊の肩甲骨を焼いて占いをする。

「幸先良し、です」

 本当か?

「ならば良し」

 村から奪った、というよりは貰った酒を指に付け、天に向かって振る。それから大地に中身を全部空ける。

 そしてパトロ爺さんと、勧誘した聖職者の爺さん達が右手に日の光を当て、それから祝福にと並んだ兵士達に聖水をかける。以前に手鐘で掬ってかけたのは、パトロ爺さん一人で全員にかけるためのちょっとした一工夫。

「兄弟達よ。救世神の到来まで、麦のように踏まれても耐え抜け。耐えた先に楽園が待ち受け、挫ければこの地獄に囚われる。布のように団結せよ」

 イーゲリの戦いで根性が座っているように見えた奴の中から選んだ旗手が血染めの赤黒い旗を掲げる。元は白旗で、まるで死んでも降伏しない意志が感じられてしまいかねない。

「前へー!」

『ウラー!』

 丘から頂上までは長い。

 振り上げた刀を掲げ、前へ振る。刀身には目立つよう、屋敷から掘り出した赤いスカーフを風や振りになびくよう巻いてある。

 撃ち下ろしの、強力かつ正確な銃撃を受けながら前進。施条銃混じりで強烈。坂であるから前のめりに倒れず、仰け反って倒れる仲間ばかりで、もつれ合って隊列の乱れが激しい。

 前列の銃兵、頂上に辿り着くまでに残るか?

「英知の言葉、つつしみて聞け。我等は安寧を神に祈らん」

「逃げたら終りだ! 前しかないぞ!」

『ウラー!』

 丘の切り株のせいで歩き辛い。銃撃で死なずとも転倒者続出。これはちょっとした柵だ。射撃を邪魔しない柵、これは厳しいな。

「互いに各々を、並びに我等の命を神に託さん」

「怯まず進め! 足を止めたら粉砕されるぞ!」

『ウラー!』

 敵部隊であるが、二門だけだが小型の大砲を丘に持ち込んでいやがった。

 大砲は大砲、砲弾の撃ち下ろしは大隊の横隊など縦に、胴体千切って貫通。

「憐れめよ。救世の神よ、その恩寵を持って我等を助け、救え。憐れみ、守れ」

「自分を人間だと思うな! 足が止るぞ!」

『ウラー!』

 遠くから見ると、車輪に対して砲身が玩具みたいに見えるがしっかり大砲だ。

 続いて砲撃を受ける。装填から発射までの速度はそこそこ、普通か。標準速度が普通に怖いな。

 距離が近づいて来たせいか、敵は大砲一門に対して砲弾二つを装填して撃ってきた。命中率は下がった。

「憐れめよ。聖なる人よ、その記憶を持って我等は倣い、行う。憐れみ、守れ」

「奴等は俺等を殺してるぞ! やり返すぞ! 殺してやるぞ!」

『ウラー!』

 ちょっとした要塞攻略戦になってしまった。嫌な感じだ。

 近づいた分砲弾、銃弾の命中精度が上がってきている。前列の銃兵の数が減ってきた。後列の刀剣、棍棒兵には小銃を拾うように言ってあるが、その余裕はあるか?

「救世神来る時、鐘が鳴る」

「前進! 前しーん!」

『ウラー!』

 至近距離からの射撃だ。砲弾はともかく、銃弾すら見えそうだ、いや今見えたな。

 敵の大砲が散弾を撃ち始めた。残り僅かな銃兵も、減ってきた槍兵も、突き立った槍の柄も薙ぎ倒される。

「鐘が鳴り、死が滅ぶ」

「突撃! 走れ! 死ぬまで走れ!」

『ウラー!』

 駆け足。切り株と坂のせいでこれが厳しい。

 ノグルベイとタザイールが後方から火矢を曲射で丘の頂上、敵の中へ射る。火薬への誘爆狙い。

「死が滅び、墓にある者へ命を与えん」

「足を止めるな! ここで逃げても背中を撃たれるだけだ!」

『ウラー!』

 敵の顔が、銃口の中が暗くて黒いのが見える距離。

 火矢が突き立った敵の一人が火薬に引火して火達磨になって滅茶苦茶に叫ぶ。

「命を与える者、救世神」

「撃てぇ! 突っ込めぇ!」

 銃兵が弱装の近距離射撃。近いだけに敵に当たる、倒れる。

『ウラー!』

「神の敵を薙ぎ倒せ! オウルァ!」

 腰が引けてる敵兵の銃剣付き銃身を刀で払い、その切り返しで首を切る。

 銃兵が銃剣を突き出して敵の中に突っ込んで刺して、銃剣が折れたら小銃を棍棒にして殴る。

 槍兵が槍に折れた柄を突き出してその後に続いて、打っ叩いて、刺して、前へ。

 頂上にいる敵の塊に銃兵と槍兵が差し込んで、足場を確保してから刀剣、棍棒兵が前へ出て、乱戦。

 ここまでくれば火薬の力など何のこともない。殴って斬って殺す。

 妙に体の大きい聖職者達の振る、真鍮の塊である手鐘で頭を殴って削られて殺された敵兵は救世神教徒か?

 守りの敵は怯んで、死にまくって坂を上ったこちらの勢いは止らない。聖職者はやはり兵器。敵の中からは聖職者に対して「神様ごめんなさい!」と謝って抵抗を止める奴も出てくる。

 この雰囲気で敵はもう抵抗を止めて降伏。丘の頂上を取った。

 それから第八五連隊の残りが歩いて到着する。

「遅かったな」


■■■


 第八五連隊は丘の上で布陣し、簡易塹壕を掘って死体から装備を剥ぎ取り、死体も積み上げて防御陣地を作成。丘は高さの割りに頂上が狭く、守りやすい。

 捕虜は後送、数名はこちらに帰順。所詮は内戦。

 そうしている内に敵と味方、双方の軍がこの丘を中心に陣形を組み始める。

 師団司令部からの伝令が、将軍が褒めてたとか勲章だとか、早口で色々喋っていた。

 頂上の敵から奪った携帯食糧を食いながら待機していると、夕方に近くなってからこの丘を奪取せんと敵部隊が下の方で整列、そしてラッパを合図に突っ込んで来る。

 夜通しやる気か。今度は逆にやってやる。

 そう思ったが、砲弾が降り注ぎ始めた。イーゲリでも使われた臼砲が山形弾道で、ほぼ真上から降ってくるように。

 真上から砲弾が降ってくる。塹壕に身を潜めればいくらかマシだが、叩き潰され、その砲弾の導火線が焼き切れて炸裂。人間の形じゃなくなる仲間が続出。全く目に見える。

 頂上の敵から奪った小銃、大砲で迎撃。銃弾砲弾を浴びせても、坂を上って切り株に足を取られながら敵部隊が果敢に進んで来る。我々のように足を止めない。

『ウラー!』

『ウォー!』

 気合が入っているのは敵も味方も同じだ。

 白兵戦に移行する距離にまで近づいて来る。死にに行く方がオルフ人共は気合が入るのか?

 敵の砲撃は未だ止まず、そして砲弾の量が増えて来た。それも、前後から飛んできているように見える。味方の砲撃だ。

 連隊長を見つけ、頭を掴んで耳元に喋る。

「後ろの馬鹿共に砲撃中止要請を出せ!」

「分かってやってんだよ!」

 丘の頂上は狭く、歩兵の突撃を迎撃するには良かったが、集中砲撃を受けるには良くない。そんなこの一箇所に第八五連隊は固まっている。マトモな塹壕も無く、あっという間に挽肉団子だ。

 今、丘の下から突撃してきた敵兵すらも先程まで覚悟していた白兵戦も忘れ、千切れて破片を散らした死体が詰まっている浅い塹壕に体を捻じ込んできた。

 自分の背中に顔を擦り付けるようにやってきた敵兵に、敵と味方の方へ指差し、どうなってやがると聞いてみると、理解不能の顔で首を振る。

 何か戦ってる場合じゃねぇよな。

 空中で砲弾が激突している様が見られるぐらいに酷く撃ち込まれている。

 敵も味方も耐えられないと身を竦める。流石に歴戦でもこれは生きている気がしない。

 何でわざわざこんな撃ち方しやがるのか分からん。

 お互いに丘へ増援を送り込むのを阻止するのに丘向こうへ砲弾を送り込んでるってか? 頂上に着弾しているのは流れ砲弾混じり? 冗談じゃない。

 しかしこのまま寝転がってもただ挽き潰されるだけだ。

 ノグルベイを立たせ、肩の上に立つ。砲弾飛び交う中、戦場を観察。耳の近くを砲弾が二回通り過ぎた。

 丘より南の平原では人民解放軍と革命前進軍がアッジャール朝軍を血塗れにしているように見える。

 両軍の戦列を見れば、アッジャール朝軍側の方が遥かに削れている。だが後退する気配は無く、根性では負けていないように見える。決着は直ぐにつかないだろう。

 丘より北の伐採され尽くしていない森の方では、どっちがどのくらい優勢かは判断出来ない程度に銃煙が上がっている程度で判別不可能。

 この丘を巡っては、頂上で敵味方なく浅い塹壕で震えているのを除き、両軍とも砲兵を集中して撃ち合い、砲弾で充分に耕されるのを待って控えている歩兵縦隊が何列も待機中。全く、互いに示し合わせて同時攻撃でも画策しているのではないかと思える程に両者、考えていること、兵力の配置がこの丘では同じだ。

 この状況を変えるものが一つある。アッジャール朝の騎兵隊が、一体人民解放軍の連中はどこに目をつけていたかは知らないが、南側から側面攻撃を直撃させられる進路上に現れている。

 丘の取り合いに気を取られたか、とにかく素早く――それこそ食糧供給がおいつかない程――前進しろと判断したのか側面警戒が糞もなっていない。先に大活躍した騎兵隊はどこにいった? 斥候任務もマトモに出来ない騎兵もどきばかりか?

 まだ騎兵隊は遠い。高いところに上らないと見えないし、目が悪いと見えてもあれが何なのか判別は難しいだろう。霧が出ているわけではないが、今日は風で巻き上がった塵が多いのか空気濁っていて遠くが見辛い。夕方に至ったこの時刻では尚更暗くて見えない。その上この戦闘の喧騒に、鉄砲大砲が吐き出す白煙が混じっているとなればどうにもならない。

 まだ直撃まで時間はあるが、直撃しなくても横に取り付かれた時点でこんな戦い敗北だ。数は減っても戦線を維持している時点であるアッジャール朝軍は、現時点では無傷に等しい。傷付いても生きて動いている限り死んではいない。

 鞍替えだ。人民解放軍と、おまけ程度の革命前進軍に打開策があるようには見えない。勘でも感じられない。徐々に近づいてきているアッジャール朝の騎兵隊の規模は、どうやって隠匿していたか知れない規模だ。今血塗れになっている歩兵戦列は囮程度の規模と見れば、そう見える。

 次は将軍職を頂こうか。後援する影響力がある部族から美人の若い嫁さんも欲しいな。ちゃんと手柄を立てて名を挙げてやるから遠慮無く嫁に出すといい。

 死体と怯える連中の背中を這って連隊長に迫る。

「この戦いはアッジャールの勝ちだ。そろそろ騎兵突撃が側面に当たる」

「何!? 報告……」

 肩を掴んで、自分の顔を近づける。

「アッジャールに下るぞ。降伏するか死ぬか選べ。一緒に来るなら俺の軍の下でちゃんと使ってやる」

「正気か?」

「マトモな奴がこの歳まで生き残るかよ」

 連隊長とて人民解放軍からマトモに扱われてきた者ではない。

 それに、この敵味方の砲弾が飛び交う下では正気でいられない。既にその目はもう普通ではない。

「……一緒に行きます」

「じゃあ仲間だ」

 一緒に砲撃から隠れていた敵の中から将校を見つける。

「おい、降伏してやる」

「は、はあ?」

「将軍ゲチクだ。名を知らんのならモグリだな。そちらのアッジャール人の高級将校と話させろ。俺は名将だ。地位と仕事と軍隊を寄越せ」

 この位自信満々に言わないといけない。

「ゲチクってあのジャーヴァル戦から天政に行って強盗になって荒らし回ったしぶといあの、不屈のゲチクか?」

「他所じゃそんなカッコイイあだ名なのか? まあいい。とりあえずお前等の旗を揚げて振って、伝令に増援要請を出せ。この丘はお前が取ったんだ。戦の流れも変わる。勲章貰う用意をしとけ」

「は、はい」

 敵味方から砲弾を撃ち込まれているせいか、皆が敵味方の区別、判断能力が麻痺している。

 何だ、幸先が良かったじゃないか。

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