第141話「葬儀と結婚」 フィルエリカ

 ご老公が床に伏せってしまった。病気というよりは老衰と過労。

 三十年前の北領戦争時で既に五十代。最近はあまり呼ばれないが、アルドレド鉄心公などと呼ばれるほどにエデルト撃退に腐心した時にはもう年齢以上に老けていた。

 部屋の空気が篭り気味なので窓を開け、それからご老公が寝る寝台に座る。

「どうせなら敗北が決まる前に死にたかった」

「ファイルヴァインは保持した。中央同盟は一瞬でも存在した。権限が根こそぎ削がれたとはいえ聖王が我々の方から出た。長生きして正解ですよ」

「違う。イスタメルの傭兵がイスルツを包囲する前だ」

「それは我がまま」

 手土産に持ってきた篭からリンゴを出して短刀で剥く。大丈夫、これで人を切ったり刺したりしたことはない。

 今日までご老公が余命を保ったのはエデルトが二回目の北領侵攻を諦めていないと分かっていたからだ。

「生まれて今まで我がままなど言ったことはない」

「今のは?」

「予定じゃそうだと気付かれる前に死んでいた」

「ご立派」

 剥いたリンゴを食べやすい形に切って、一つずつご老公の口に入れる。老衰で死にそうな歳のくせに奥歯はまだ何本か残っているのでシャクシャク噛んでグシュグシュと舌で潰している。

「守るはずだったところが全て取られた。もう死にたい」

「どうせそろそろ死ぬんだから大人しくしていて下さい」

「心残りばかりだ」

「広く見ればエデルトからベルシアまでの縦の線が同盟を組んだに等しい状態になっています。名前はついていませんが、言わば神聖同盟。たぶんこんな名前がつきますよ」

「恐ろしい数が死んだ」

「二つ三つ世代が下ればまた困るだけ生まれますよ」

「それで良かったか?」

「悩むのも評価するのも先の世代ですね。後のことまで分かるものじゃありません」

 リンゴの次は……ブドウでいいか。ヘタから実を取ってご老公の口へ。種吐き用に皿を用意。

「悪い年寄りだ」

「先祖代々そうですよ。今更です」

「文句を言うならカラドスに言えか」

「歌劇の台詞ですね。それを言うなら聖なる神だ、と返しましょう」

「それを言ったらお終いだ。歌劇か、その台詞しか知らなかったか。若い時にもう少し見とくべきだったか。勉強ばかりで遊ぶ暇も無かった」

「劇団なら知り合いがいます。呼べますよ」

「フィルエリカ、キトリンに帰りなさい。恩は余るだけ返して貰った。後は一人で死ぬ」

「葬式ぐらいは出ますよ」

 ご老公の目蓋が重たく、閉じ始めている。呼吸もゆっくり深くなり始めている。

「ああ……北領戦争の時だ。懐かしいな」

「私が助けたあれですか」

「ははは。落馬して危うく敵に殺される寸前でお前が拳銃で助けてくれた。いくつだったか、六つか?」

「はい、あー、五つです、ま、そんなものです」

「そうか。何時まで寝小便垂れてんだジジイ、お前が羊一つ数えてる内に百人死ぬぞ立て、だったか?」

「当時は怖いもの知らずで。あと小便は間違いなく垂れてましたよ」

 篭からイチジクを取って食べる。甘さが足りないな、もう少し置いた方が良い。

「あれから早いな。今度は奴の息子と娘が大軍でやってきた。その間に何も出来ていなかった。フェンベル様をお迎え出来ていればまだ……今どうされているか。探してきてくれないか? やはり真に我々の柱となるべきはあの方だ」

 今更? あぁ、そうか。

「彼女にその気はありませんよ。身の安全でしたら聖女ヴァルキリカの厳重な保護下にあります」

「ああ、そうだった。何だ、記憶の順番が変な気がする。頭がぼやけてきているな。あるべき形に戻った……わけではないなぁ」

「中央同盟の記憶は無駄にならないはずですよ。何より聖王がいます。大丈夫ですよ」

「んむん……だといいが」

 ご老公が目を閉じた。布団を引いてやって首元まで覆う。

「ジジイはもう寝ていいんですよ」

「うん……」

「じゃあねジジちゃん」

「ん……」

 呼吸は更に深く静かになって寝てしまった。

 額に口付けして去る。


■■■


 その翌日、ファイルヴァインの屋敷にて戦後処理に当たっているとご老公の逝去が伝えられた。

 もう数日は寝ぼけ半分に横になっているのだと思っていたが案外早かった。

 若い執事に聞いたら、朝起こしに向かったら安らかな顔で冷たくなっていたそうだ。

 今日まで苦労の連続だったのだ。張り詰めた糸が切れた、というところか。

 ファイルヴァインでは半旗が掲げられ、弔鐘も鳴らされて弔意が示された。

 終戦直後で派手に、国を挙げての国葬をやる余裕も雰囲気も無い。実際的にも新市街地は黒焦げで、堀や焼け跡から死体がまだ見つかるぐらいなのだ。

 ハルメリーと腹の子、ディタバルトの葬式も略式でやった。伝統的にリルツォグト家では略式か、完全省略で埋葬だけで済ませるかだが。


■■■


 宮殿内にある礼拝所で関係者だけ呼んで葬儀を行った。

 祈りの言葉はルサンシェル枢機卿が行う。敵対していた者が式で重要な役目を果たしたということは、もう対立も解消されたという証にもなる。

「聖なる神は無から全てを創られて世界としました。創られし者アルドレド・コッフブリンデは死んで無に還るのではなく、この世界を巡ります。彼が巡った長く苦しい旅は終わりました。苦痛の全ては生ある内に終えられ、今彼は解き放たれました。悲しむべきことではありません。ですが流れる涙を止めることはありません。それは彼の死を受け入れるために必要なことなのです。グランデン大公としての重責を終えた彼にはこれ以上望んではなりません。死から始まる新たな始まりを見送りましょう。その始まりは喜ばしいものなのです。そうであると先の人々は語ります。長く語られています。アルドレド・コッフブリンデという人間に課されたあらゆる負担は取り除かれました。あらゆる穢れは濯がれ、高潔であった彼の俗なる穢れは拭い去られ、聖なる魂のみを残すことになったのです。先の人々と同じく聖なる神に近づき、安らかなところへ魂になって入られました。今後は聖なる神の決して破られぬ誓約の下に永遠に守られます。聖なる神よ守り給え」

『聖なる神よ守り給え』

 最後に別れた時の、あの寝た顔を見せているご老公、アルドレド・コッフブリンデの棺桶に花を一本入れる。

「良い三十年でした」

 色々苦楽もあったが、喉元過ぎればか、総括するとこの言葉くらいしか出てこない。

 肝心の聖王マリシア=ヤーナ陛下であるが、遺族の涙も吹っ飛ぶぐらいにベロベロに酔っ払いつつグシャグシャに泣いて棺桶に縋り付いている。

 何故泣いているかだが、大体が遺族からの貰い泣きだ。メイレンベル伯領問題ではかなり世話になってきているからその分もありそうだが、どうかな?

 ファイルヴァインにはカラドス王朝の者が何人か亡命同然にやってきており、あまり関係無いがその場にいたので、という感じで出席している。非常に内情が危ういのが分かる。

 ハウラからの手紙では”ロシエでは国王即位と同時に立憲君主制に移行。反乱軍の弾圧は最終的解決を目的とするという苛烈なものになっています。またユバール議会は新国王を非承認とする決議を出しています。占いついでにロシエ国債の底値を狙ってちょっとだけ買ってみますね。後でそちらにも送ります”だそうだ。

 明日への火種にはこと欠かないようだな。

 弔いの空砲が鳴る。


■■■


 ファイルヴァインでの後始末が一段落してからキトリンに戻る。まだやることがある。

 旧グラーベ家の屋敷の前に関係者を集めた。宮中伯は欠席だ。一応、礼儀として招待状は出したし、向こうも最低限の礼儀として祝文だけを送って寄越した。こんなものだろう、これで良い。

 目の前にはアブゾルが、姿を使い古しの修道服ではなく、親衛隊の黒い軍服としており、跪いている。別に犬のお座りでは……半ば無い。

「今の騎士と昔の騎士の違いについて語ろう。古くは従士という役があった。まだエグセンの人間が聖なる神を奉じる前からの、信仰ではなく伝統が生み出した役である。即ち私兵。その従士の解釈から拡大し、土地や権限を与えて一定の兵士を供給する源として昔の騎士爵が生まれた。そして今では後進地域を除き、連隊区制度に置き換わって本来の役目を終えた。終えたとはいえまだまだ武人文人としての誇りと教養を持ち、士官や官僚の供給元として役目を果たしている」

 儀礼用の古い剣を抜剣。柄を両手で持ち、拳は心臓の位置、切っ先を天に向ける。

「私が叙勲するのは私兵としての騎士、従士だ……今、聖なる神と古い先祖の名の下にアブゾル・パンタグリュエン。汝をキトリン男爵の権限において、武功ありと認め、騎士爵に叙勲する」

 剣の腹でアブゾルの左肩を叩く。

「その信仰と名誉に恥じず、身を挺して仕えろ」

 次に右肩を叩く。

「その挺身と犠牲は忘れず、分を賭して応える」

 剣を鞘に収める。

「立ってよろしい」

 アブゾルの頬に平手打ち。力加減については議論はあるが、リルツォグトでは赤く手の形がつくぐらい、口から血を垂らすぐらいに張る。こちらの趣味ではなく、代々だ。

「この痛みを持ってその二つの言葉を忘れるな……続いて」

 フェンリアに儀礼用の剣を渡し、アルヴィカから黒い双頭の犬の、親衛隊旗が付いた旗竿を受け取り、アブゾルに渡す。

「聖王を守る親衛隊隊員に任ずる。今からその身は矢弾のような消耗品だ。全ては聖王を守るため、肉の弾となって壁になれ」

 アブゾルは旗竿を両手で持ち、踵を鳴らして揃える。

 手空きの者達が拍手。我がリルツォグト家、キトリン領内の騎士爵家、ヤーナの別荘の使用人、親衛隊幹部の一部、画家のルメウス一家。

「キャー! 私を守って騎士さまー! ご飯食べて酒飲んでうんちして寝る私を守ってー! 褒美にワインも毎年あげるからねー! 頑張って作るよー!」

 聖王になってしまったヤーナは大声を出しながらアシェル王子に抱きついてグラグラ揺らしている。王子は胸に顔を潰されて苦しそう。

 聖王陛下がご出席である。メイレンベル伯の時と同じように過ごしていらっしゃる。

 ファイルヴァインでは変わらず、新しいグランデン大公が宰相として働いている。今回からは神聖教会が派遣してきた聖なる官僚共がいるので業務が軽減されて良い具合になりそうだとご老公の息子殿から聞いている。

 聖王に実務で権限を握られるとマズいというのが神聖教会の考えである。であるならばいっそ、遊びほうけて一切関知しないという手も打てるのだ。ヤーナの理想とするところ。

 親衛隊としても、前より一層人の出入りが複雑で管理し辛くなったファイルヴァインよりも見知った者しかいない田舎のキトリン男爵領とその近くのヤーナの別荘にと範囲を絞った方が遥かに警備が容易だ。

 アブゾルが新居、旧グラーベ家の玄関先に親衛隊旗を設置する。

「気をつけ!」

 号令を掛け、そして自分を含めた親衛隊関係者が起立をし、旗に向き合う。

「敬礼!」

 この場合の決まった礼式があるわけではないのでちょっと変かもしれないが、まあいいだろう。たかだかリルツォグトが率いる親衛隊になって四百年だ。もう少ししたら、役立たずの年寄りにでもなったらその辺りを整理してもいいか。

「お前等夫婦の新しい家だ。家は古いがな。あと家臣も古いぞ」

 旧グラーベ家の妖怪婆が「イヒヒヒ」と笑う。一緒に引き渡す家臣団も年寄りばかりで笑い方も下品。

 玄関の前にアブゾルと、パンタグリュエン家の生き残りエゼリカが白い花嫁衣裳で並ぶ。今日は結婚式も兼ねるのだ。

 ヤーナとの二重奏で伴奏をして、聖歌”プリワオスの星”斉唱。


  聖なる神は、種よ広がれと言われた

  薄暮に彷徨い、盲目のように彷徨った

  嘆きは悲惨に、万年続く


  聖なる神は、人よ集まれと言われた

  愛に導かれ、恵みの地に我々は辿り着いた

  賛歌は赤々と、それより続く


  聖なる神は、火よ高まれと言われた

  弱きを知り、人と家と家々を結びつけた。

  彼と彼とを、今から永遠に


「これより結婚宣誓を行います」

 領内の修道院に仕事を頼んだ。年寄りと若者が二人来て、年寄りの方は若者がちゃんと仕事をするか見届け役で来ている。

「アブゾル・パンタグリュエンは、エゼリカ・パンタグリュエンを妻と認めますか?」

「はい」

「エゼリカ・パンタグリュエンは、アブゾル・パンタグリュエンは夫と認めますか?」

「はい」

「異議あるものは?」

 肯定とする沈黙。

「では新郎新婦は指輪の交換を」

 新郎新婦の――買ってやった――指輪を、両手に敷布を敷いた上で置き、ヤーナが新郎新婦の前に立つ。チュっと音を鳴らして二つの指輪に唇を付けた。

「はーい! ありがたい聖王様が祝福みたいなのしといたよ!」

 新郎新婦がヤーナにつられて笑って指輪を取り、新郎が新婦に、新婦が新郎の指に嵌める。

「それでは結婚誓約書に各自署名を」

 次に結婚誓約書を修道士が同じ物を二枚出し、新郎新婦がそれぞれ署名する。そして列席者に掲げて見せる。皆で拍手。

 新郎新婦が列席者側に向き直って指を嵌めた手を掲げて見せる。更にもう一度拍手。

「結婚誓約の成立を認める」

 結婚宣誓が終了。若い修道士は一度深呼吸する。

「世界を創りし聖なる神よ、今結婚の誓約を交わしたこの夫婦に祝福を与えて下さい。不幸にも一時は離散してしまったパンタグリュエン家再興のためにも祝福を与えて下さい。かつて失ったものを得た幸運を二人の愛で逃さないようにして下さい。互いに苦労を分かち合って下さい。その苦労は必ず聖なる神が見守っていて下さいます。幸運なる祝福と同時に苦難多き使命を二人は同時に負いました。ですが愛と信仰あらば必ず立ち向かうことが出来るでしょう。一つの使命は二人で負って果たしなさい。二人の兄弟達がそれを支えてくれるでしょう。そして二人はその兄弟達を支えてあげて下さい。例え支えてくれる兄弟がすぐそこにいなかったとしても、自分達からすぐそこにいる隣人を支えて兄弟として下さい。二人は二人に対し、家族に対し、世間に対して良き行いに務め、兄弟には信仰と名誉と謙虚の心を持って接しなさい……これでアブゾル・パンタグリュエンとエゼリカ・パンタグリュエンの結婚式を終え、解散とします」

 修道士は緊張していたが、喋りに淀みは無かった。感情を込める言葉でもないが、暗誦に懸命で棒読み気味かな? と思ったぐらいだ。

 自分が補足しておこう。

「愛とは育むものである。ある日突然その場に強く大きく発生してそのままなのではない。今は小さくとも、大事に育てれば大きく、大輪の花を咲かせるだろう。まあ、私はそんなことをしたことがないから良く分からんがな!」

 アルヴィカが言う。

「愛を知らぬお母様! 新しい服を欲しがるように男を誘って子供を産む!」

 フェンリアが言う。

「言いすぎです! 産むのはたまにです!」

 笑える。皆も笑う。

「構え!」

 親衛隊からは小銃による空砲で礼砲。銃兵は十人。

「撃て!」

 十丁の一斉射。

 それからは庭先に準備してある宴席で飲めや歌えや、だ。

 各自が席につき、料理が並べられてからヤーナ自作の新作ワインで乾杯をする。

 乾杯のお言葉は聖王ヤーナである。こいつが喋るだけで場の空気がこう、楽しげになる。

「アっくん、エっちゃん、結婚おめでとう! えーとあとまあいいや! 古くて高いワインがなんだ! 新しく安い私のワインを浴びるほど呑め! アホほど呑め! 吐いても構わん、大地に還るだけさ! これは聖王の勅命である! ビールも呑んでおしっこ漏らせ! ひやぁん漏れちゃうー! お、あ、そうそう、乾杯!」

『乾杯!』

 杯の新作安ワインを飲み干してからは気取ったものではなく、村の祭日にやるような明るい踊りの曲を演奏する。勿論、演奏は自分とヤーナに、親衛隊の楽団の一部。

 ルメウスにアブゾルとエゼリカの絵を描かせている。金はちゃんと出しているので奥さんからは睨まれていない。

 しかし動き回るのに違和感が出るくらい腹が大きくなり始めている。これが初めてじゃなくて七回目だが、でも少し休暇が欲しい気もする。

 育った娘達に任せていいかな?

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