第140話「スコートルペン会議」 ベルリク

 遂に聖戦軍と中央同盟の間で講和会議が開催されることになった。北部諸侯連合如きには主導権は無い。

 やっとか、と思うのは講和会議の調整が事前にされた情報のせいだ。もうか、と思うのはまだ一年が経過していないことだ。

 もう少し待てば一年になるが、戦争の規模に比べて短過ぎる感じがする。神聖教会圏にある国はほぼ全て直接ではなくとも関係者であり参加国なのだ。

 神聖教会の権力が一時は世俗諸侯の手によって弱体化されていたのがひっくり返ったという歴史的大事件まで起きているというのに、どうもあっさりだ。ロシエの介入が最初で躓いたせいかな?

 あれ、我が軍の活躍のせいじゃないか。会議中はどのくらい顔をデカくして良いのだろうか?

 講和会議の開催場所は中立的なザーン連邦のスコートルペン市で行うことになった。会議の議長は中立を保ったザーン連邦から連邦議長を招いて行う。

 賊の集団程度にしか思われていないザーン連邦の地位向上のために何やら議長閣下は張り切っているという噂である。

 候補としてはザーン連邦以外に、中立的と言えるエスナル王国が候補になったが北大陸の西端となっては道が遠過ぎた。魔神代理領はイスタメル州シェレヴィンツァ市でやるという案も一応は出たが、流石にそれはなかった。

 スコートルペン市はザーンの連邦議会議場が置かれた都市でもあり、連邦都市の中では一番マシな場所である。他は貧乏臭過ぎてとてもじゃないが要人を招くどころではないのだ。保安上の問題もあるとも、非公式に発言あったとも無かったとも。

 ルドゥが、会談のために用意したわけではないだろうが新しい三角帽子をくれた。

 黒くて艶がある生地。茶と金混じりの糸で縁取り、そしてベルリク=カラバザル・グルツァラザツク・レスリャジンと名前が刺繍されている。被ると大分具合が良い。手触りも良いが、あまり触ったことのない感触のような気がする。

「大将、人間は妊娠も出来ないような小さい女の子供が犬猫のように好きだと話に聞いた」

「その評価は何か微妙だが、性格がひねてない奴だったら大体それなりに好き……だとは思うぞ」

 帽子とその話がどう繋がるんだ?

「シゲヒロから聞いたが、アマナでは弾除けのお守りに処女の陰毛を持つそうだ。男性器に精液を弾丸に例えたまじないらしい。この帽子は幼い女の子供の中でも強姦や銃殺をされた様子の無い者の中から更に頭髪の状態が良い物を集めて糸にして作った」

 はあーん、そう来ましたか。

 偵察隊員が集合してきて、一人が小さい声で「せーの」と言い、それから『みんなで集めました!』と声を合わせた。

 あまりに可愛くて涙がちょこっと出た。

「弾が避ける代わりに頭を食われそうだが、ありがとう……お前から来い」

 隊員を一人ずつ呼んで、抱きしめては頭をグリグリ撫でて回った。


 スコートルペン市公館で開催された会議には、有象無象と呼べるくらいの出席者がいた。戦争期間はそれ程でもなかったが参加国が多過ぎた。その中には前線で指揮を執っている者も参加している。会議中の点数稼ぎは止めようという意思が見える。ベイナーフォンバットの件もあり、会議に参加する主要な面子が欠けてはマズいということだろう。

 聖戦軍からは第十六聖女、聖戦軍指揮官ヴァルキリカ・アルギヴェン。会議の主導は彼女がするであろう。

 聖皇領からはメノ=グラメリス枢機卿、聖皇特使ルサンシェル。聖女ですら役が足りない案件を扱うということであろうか。

 エデルト=セレード連合王国からは第一王子、北領遠征軍指揮官ヴィルキレク・アルギヴェン。先頭に立つ彼がここに来ているということは本格的に戦闘終了か。

 レスリャジン部族からは頭領、マトラ人民義勇軍共同指揮官ベルリク=カラバザル・グルツァラザツク・レスリャジン。我々の事は雇い主の聖女猊下が責任を持つのだから出席はするものではないが、ロシエ側からの出席指名と聞けば面白そうだ。

 中央同盟からはメイレンベル大公、中央同盟盟主マリシア=ヤーナ・カラドス=ケスカリイェン。盟主自らの出席とは暗殺も恐れぬ覚悟だ。劣勢だからせめて出席することで会議はせめて優勢に持ち込む気か?

 同じく中央同盟からは、空席の聖王の宰相グランデン大公、中央同盟盟主補佐アルドレド・コッフブリンデ。三十年前のエデルトとの北領戦争でも総大将を務めた老人だ。もう杖を突いて歩くのもやっと。盟主が介添えしているくらいである。

 ロシエ王国からは王弟、外務大臣マリュエンス・カラドス。ユバール王国の主張もするらしい。それから、こちらに指名をしただけあってかなり睨んできている。

 議長が会議の開催を宣言する。

 自分の場違いさ加減は分かっているが、中央同盟盟主よりは場違いではなかったので少し気が紛れた。

 盟主としての立場としては全く場違いではないが、彼女の雰囲気が既に場違い。一瞬知恵遅れを疑ってしまいたくなる程に何とも、鼻歌をしながら楽しそうに酒を飲んでいる。議長が開催宣言をする前に既に瓶を一本開けて「おっいしー!」とか「何で皆そんなおっかない顔してるのかなー?」とか言って、「私が作ったワインをどうぞー」と各自に一本ずつ配られた。挑発しているのかと思ったが、どうにも違う。

 それぞれが講和条件を述べる。議長が言い合いになりそうになったら制止する。弱小諸侯共の条件は省略。

 聖戦軍が求めたのは、中央同盟の解散。フュルストラヴ王領、マインベルト王領、沿マウズ川枢機卿管領、ファイルヴァイン枢機卿管領の設置。門、橋、道路、河川並びにそれに類する交通網の自由且つ無税通行。神聖教会が行う活動の妨害禁止である。ほぼ全面降伏と同義であろう。

 エデルト=セレード王国が求めたのは北部諸侯連合地域の併合承認のみである。

 中央同盟が求めたのは強烈であった。盟主マリシア=ヤーナの聖王としての戴冠である。それからの要求も劣勢の割りにはなかなか面の皮の厚いもので、ブリェヘム王の身柄引き渡し要求。フュルストラヴ公領の正当な権利者バステリアシュ=ヴェツェル・ルコラヴェ公爵への権利復旧。それから中央同盟参加諸侯の独立と、それら臣下の権利の保障に北部諸侯連合の独立保障だ。

 もともと中部がバラバラだったせいでナスランデン、ガートルゲン、オルメン、上下ウルロンに、次いでに南部諸侯に対しての権利の復旧などと発言する権利が無いのでこの程度だ。これは我々が手早く侵略した成果である。

 ロシエ王国の要求は何というか私怨じみていた。グルツァラザツク将軍の身柄引き渡し、損害賠償金六億タリウス、オーボル川東岸沿いの防御施設の撤廃、ナスランデン地方の中立化である。

 王弟外務大臣殿の発言中は笑いっぱなしだった。我々はたかが傭兵だというのにこの怯えようは滑稽であった。

 さてこちらの名前を出すということはこちらから要求しても良いということかな? ということでレスリャジン部族及びマトラ人民義勇軍として要求を出した。ロシエ軍の我が軍に対する個別的な敗北宣言、謝罪は不要。ロシエ主権内の全妖精奴隷の引渡し。アホな事を言わない外交官の今講和会議の参加。

 こんな感じにお互いに無理難題を吹っかけてこれは譲れないと分厚い面の皮を用意して言い合った。

 挨拶みたいなものだ。これを本気にする奴は脳内花畑だ。講和会議の調整など本当に行われたのかと思うところはあるが、それはそれ。

 実務段階の話し合いと、面子下げての話し合いでは違うのは当然だ。

 それに各有力諸侯の意見を潰したり妥協させたりした上で何とか開催にまで漕ぎ付けている。聖戦軍に参加した敬虔な諸侯も、中央同盟側の諸侯も、かなり好き勝手要求を出していたという噂は聞くまでもない。

 講和反対勢力が双方にいるくらいだから、この好き勝手言っているような要求でさえ大分抑え込んだ結果であろう。

 我々は喧嘩別れのためにわざわざ前線を放り出してこんな田舎まで来たのではないのだ。

 それにしても初日は、盟主殿が酒を用意してくれなかったら飽きるくらいに長かった。要求を出して、文句がついて、それに文句をつけて、皮肉を言って、歴史的な悪口を混ぜて、個人攻撃までして長かった。主要な出席者以外にも補佐や秘書に出席するのも怪しい諸侯に、還俗すれば諸侯関係者の聖職者がいて連鎖したのである。

 出席者を絞らないで会議を行ったのは何だろう、一応は発言させてやったということか。


 お互いに無理難題を吹っかけ合った講和会議は休止し、また数日後に調整がついたら始めるということになっている。水面下での調整の時間だ。

 前線では各勢力が睨み合い、隙あらば領土の奪取を目論んでいる状態である。前線指揮官が抜けても動く軍は動く。

 我が軍はラシージとカイウルクが責任を持って待機中である。東西どちらにでも、瞬時に侵攻が出来るように準備をしている。

 エデルト=セレード軍では残る北部諸侯への攻勢を強めて取りこぼしが無いようにしている。直接戦闘は行っていないが、相手領内への前進は止めていない。

 聖戦軍と中央同盟軍は戦闘を本格的に停止しているが、フュルストラヴ公と公から離反した臣下達の戦闘はまだ激しく続いているらしい。

 会議の休止中に行われるのは社交会である。主だった催しは舞踏である。舞踏会と名付けないのは、そういう会に聖職者が参加し辛いからである。拘らなくても良いような気はするが、神聖教会とはそういう組織である。伝統とはそういうものだ。

 ジュレンカと一応は練習して来たが誘ってくれるご婦人がいなかった。自分から知らない女を誘う気は無いし、ジルマリアを誘ったら断られた。僧籍には無くても聖職関係者で、服装も聖職者風なのでするわけもないのだが。

 そもそも自分はこちらの社会の社交用の綺麗な服は持ってきてないので遊牧衣装な軍服のまま。踊る気無しと見られるか。シルヴがいれば良かったが、彼女はヘレンデン市で防衛作戦中である。わざわざここまで来る程の格も権利も無い。

 踊らずにお喋り。久し振りに合ったセデロ修道枢機卿には別れた後の戦いの話をしてやったら、「既にお役に立てないのは重々承知ですがご同行したかった」と残念そうに言っていた。

 少々様子は伺われていたが、社交界開始から比較的早くにブリェヘム王の行方を国王代理の王子に聞かれたが「雨天でしかも夜襲ですし、騎兵突撃をしたんですよ? それも同時期に別方向から聖女猊下も攻撃しています。可能性がいくらでもあり過ぎます。私の兵隊にはエグセン語もフラル語も、当然ですがヤガロ語なんて分かる者はほとんどおりません。魔神代理領共通語が怪しい奴だって当然いますよ」と言っておいた。別に嘘は吐いていない。

 ルサンシェル枢機卿とグランデン大公が部屋の隅の席で、ほとんど口は開いていないが、互いに何か、遠くからでは聞き取れない一言を交し合って握手をした。何かを予定通りにどうにかするようだ。

 社会見学としてアクファルを連れて来ている。勿論踊れないし、遊牧衣装であるので誘いに来る者もいなかったが、盟主メイレンベル大公にまとわりつかれた。触ったり嗅いだり抱きついたり、はしゃいで無邪気にやるものだから、とりあえず子供を相手にするみたいに抱えてグルグル回し始める。

 しばらく二人がじゃれつくみたいにお子様相撲をしていると、黒い軍服の親衛隊長フィルエリカ・リルツォグトが盟主を受け取りに来た。

 稲妻フィルというあだ名が有名な剣の名手だ。初めて人を殺したのが五歳だとか、未婚だが何人だかいる子供の父親が全部違うとか、決闘と暗殺で直接殺した人数が百人を越えるだとか。最近ではファイルヴァイン包囲戦で勝って、その際に人質に取られた身重の妹と甥を迷いもせずに射殺したとか、中々の女傑伝に溢れている。見れば面も性別関係無しに良い顔だ。

 ジルマリアが親衛隊長リルツォグトを睨み、相手は軽く頭を下げる程度の礼で返す。

 親衛隊長リルツォグトが盟主をアクファルから引き剥がすと、盟主は次の目標を見つけ走って、会場で椅子に座って、ルサンシェル枢機卿からお相手を老人貴族達に代えて話をしていたグランデン大公の重い腰を引っ張り上げて無理やり踊り始めた。

 グランデン大公は関節が痛そうな感じで、でも嬉しそうに踊っている。祖父と孫がじゃれてるみたいで周りもそれを見て微笑ましくしている。

 それから敵味方関係なく、その辺の爺さんも若いのも女も、何でも引っ張って踊りに誘っている。断れないような人懐っこい誘い方をしているのだ。何をどうして、こうしてという技術的なものは分からないが、作為の無さがそうさせるのか、皆応じてしまう。踊り方は優雅ではなくヘンテコだが、笑わずにはいられない感じだ。

 自分の番もやってきた。椅子に座っていると、椅子を持ってきた盟主が実際に膝と膝がくっつく距離に椅子を置いて座った。

 何か違和感を覚えた。

「あなたがえーと、何だっけ? まいっか!」

 えへっと笑った盟主が片手に持ったワインの瓶をあおって飲み、「ぶへー」と言いながら半分になった瓶を渡してきた。とりあえず全部飲む。飲んでいる間、ずっと太股を触られる。

 違和感が分かった。ちょっとしたことで瞬く間に好きになっているのだ。これは……ウラグマ総督の時と同じだ。

「ほらこっちおいで、えいほらよーい!」

 手を引かれ、多少は生まれると思った抵抗感も全く芽生えず、一緒に踊った。ジュレンカとの練習は全く役に立たず、「あれー? どうだっけ、何するんだっけ、おにーさんどうだっけ!?」と常道から完全に外れた動きで、酔っ払い相手のヘンテコ舞踏を行った。良く分からないがかなり楽しかった。

 盟主は馬鹿っぽいが、これはこれで才能だ。案外、あれが聖王でいいんじゃないか?

 微笑ましい気分でいると、次は笑いたくなってきた。ロシエの外務大臣が熱い視線を飛ばしている。攻撃をしてきたのはそっちが最初だと分からないか? 聖戦軍旗下、ナスランデン王とガートルゲン王に対してだ。思いっきり指差して笑ってやった。

 もう一つ面白そうなものを発見。聖女猊下に慇懃な礼をして踊りに誘うヴィルキレク王子を、猊下は笑ってバン! と張り手でビダン! と打ち倒した。久し振りの姉弟の再会があれだ。

 ちょっと、自分も張り手を貰いたくなったので聖女猊下を誘ってみる。猊下に笑ってバン! と張り手でビダン! と打ち倒された。

 こうなってはしょうがないので、一曲も踊ってないし、ヴィルキレク王子を誘って踊った。

 しかしこの王子、近くで見て嗅いで触っても凄ぇ良い男だな。こんな逞しい美人に誘われたら断れない気がしてくる。妃殿下と離婚して……?

「殿下、良い匂いしますね」

「へへへ、おい馬鹿やめろ」

 女は相手にしてくれなさそうなのでヴィルキレク王子と何曲か続けていたら、演奏手が変わった。盟主メイレンベル大公と名手稲妻フィルの二重奏だ。専門の奏者と比べて技術では遜色無く、情緒ではたぶん上。

 男臭い踊りは終り。次は何して遊ぼうかと思っていると、会場が徐々にざわつき始めた。

 大きな声は出さずに、まるで伝言遊びみたいに皆耳打ちをしているので、耳打ちがされ終わったルサンシェル枢機卿を頼ってみる。

「どうしたんです?」

「ロシエ国王が退位して第一王子が即位したと一報が入ったんですよ」

「退位する歳ではないですよね」

「まだ四十になったばかり、元気ですよ」

「ということは強引にですか」

「その上戴冠式は延期。そして国王権限の大幅な制限が議題に上がって紛糾中だそうですよ……あ」

 ルサンシェル枢機卿の「あ」で視線を追うと、ロシエの外務大臣夫妻が足早に公館を出て行く。

「講和会議を放り出して帰るとは相当にマズい状況らしいですね」

「お家が焼けているのかもしれませんね。何の成果も無い外回りをするよりは椅子の一つでも玄関先に出した方が賢いですよ」

 それからルサンシェル枢機卿とロシエの悲惨さを言い合って楽しみ、談笑することしばらく、袖をわずかに引かれた。そんな可愛いことする奴に知り合いはいないので誰かと思ったが、ジルマリアだった。

 どうした? と言うのも何なので、エラく愉快そうに笑うルサンシェル枢機卿に一礼して席を立つ。

 そして密談に良さそうな、公館の中にいくつもある一つの個室に入る。アクファルに扉の前で番をして貰い、ジルマリアの話を聞くことになった。

「キトリン男爵フィルエリカ・リルツォグトを殺して下さい。直接の仇です」

「ここでやったら信用ガタ落ちだ。残虐と無法は別だぞ。アホかこのハゲ。今になって言うなよアホかこのハゲ。もっと前に言えよ、アホ、ハゲ」

 こいつ目的が色々と達成されてきて本当にボケ来てないか? 何かの糸がブチ切れてるような気がする。

「むぅ」

「唸ってもダメ」

 睨まれる。何だか以前の迫力が全く無い。

「チューしてもダメだぞ」

「しません」

 こうして拒否すると妙にしょげて見える。本当に大丈夫か?

「ヴァルキリカ様です」

 アクファルが扉を少し開けて言う。拒否するもないな。

「どうぞ」

 聖女猊下が部屋に入って来る。改めて、部屋に入るとその巨体が際立つ。この部屋こんなに狭かったっけ? 顔の位置が見上げる位置。なのだが、それが下がって目線の位置だ。あろうことか聖女猊下が膝を突いた。

「猊下!? どうされました?」

 一番驚いたのはジルマリア。思わず聖女猊下に駆け寄った程。

「二人共来い」

 次に自分が聖女猊下に近寄ると、二人一緒に長い腕に抱かれる。顔、綺麗だけどデカいなぁ。

「ベル坊、アレは好きにしろ」

「良く分かりませんが、ありがとうございます」

 良く分かります。本当に良いのかよ。

「ジルマリア。私にとっての子供はお前のような奴だ。好きに生きろ」

「何のことか分かりません」

 ジルマリアが、短い付き合いなので当たり前といえば当たり前だが、見たこともない泣きそうな潤んだ目をしている。その目はこっちに向きそうにない。

「私の下にいてもつまらんぞ。お前の聖王ぶりは良く見せて貰った。忘れられるのか? アレを?」

「いえ、その……」

「いいから行って来い。一生カビ臭い寺にいるつもりか?」

「いえ」

「ならそうしろ、もう歳だぞ。このケツが腐る前にな!」

 聖女猊下がデカい手でジルマリアのデカい尻を掴んだ。

「はい」

「こっちは大丈夫か!?」

 聖女猊下のデカい手が自分の股座を掴み上げた。

「証明しましょうか?」

「あっははは!」

 聖女猊下に笑いながら、股座を掴まれたまま逆さ吊りにされて、窓の外へ放り投げられた。

 空中での姿勢を確かめ、着地地点を検討し、公館の庭の生垣に体を引っ掛けつつ、受身を取って転がって勢いのままに立ち上がる。少し痛いが大したことはない。

 公館の庭園。噴水と面白い形の生垣、それから花壇。社交界も昼過ぎに始まって、もう夜になっている。

 暗がりに篝火が並んでいる。衛兵がチラホラ。外で話合っている人間もそこそこ。講和会議の為の話し合いそっちのけでイチャイチャしている男女も見えるし、それが若いとは限らない。

 少々体が熱いので、噴水近くの長椅子に座る。体が冷えそうになったら中に戻ろう。

 パチっと異音。何だと思ったらあの稲妻フィルが、撃鉄が下りた拳銃を向けて近づいてきた。

「おや親衛隊長さん、ごきげんよう。月は曇り空で見えませんな」

 親衛隊長リルツォグトは、キザっぽく引金にかけた人差し指で拳銃をクルっと回して銃把を向けて差し出して来たので受け取る。

 拳銃を見れば、火打石は当たり金に当たって砕けている。粗悪品か?

 火皿に思いっきり息を吹き込むと、ほんのわずかに火薬が銃口から吹き出る。なんじゃこりゃ?

 親衛隊長リルツォグトが笑い崩れる

「あはへっ。空砲でせめて”私はお前を殺してやれた”と言ってやろうと思ったら! 火打石が! 粗悪品! へっひへ。失礼を将軍閣下、お許しを! しかし! これは酷い! あっひゃはははははは! 腹が痛い、流産する! あはははは!」

 どうやら身重らしい親衛隊長リルツォグトは腹を抱えて笑っている。

「ご挨拶が遅れました。お気づきか分かりませんがアンブレン修道院以来でご無沙汰です。あの料理は最高でした。キトリン男爵フィルエリカ・リルツォグトと申します。この場でお礼申し上げます」

 謝罪にお礼を言うような態度ではまるでないが、まあいいや。

「隣、座ります?」

「いえ、ひへへ、ここまで来てお誘いに乗らないのは不躾ですけども。ホントお腹痛い、あまり怪しいことをしていると、あなたの妖精に殺されそうで、怖いので、それにヤーナ、あの盟主の面倒を見ないと、あ、いえ護衛です、はい」

 笑い過ぎて聞き取り辛いが大体は分かった。

「お返しします」

 受け取った拳銃を差し出す。

「すみません、格好悪い」

「私には弾除けのお守りがありますからね。当然の結果かもしれません」

 ルドゥに貰った三角帽子を摘み上げる。

「お守りですか?」

「東大洋のアマナでは処女の毛が弾避けのまじないの効果があるとされているそうで、今回の戦いで銃殺、強姦の跡が無い少女達の毛を妖精達が集めて紡いで織ったそうですよ。髪を切り売りしたちょっとした苦労話ではないでしょうね。作ってくれた妖精達は特に狩ったものに価値を見るので」

「ご冗談?」

「ちょっと被ってみます?」

 親衛隊長リルツォグトは笑い顔を消して、姿勢を正す。

「それでは失礼します」

 お笑いにもならないか。


 第一回目ではお互いに派手で無茶なことを言い合ったが、第二回目の妥協案で可決となった。

 会議前の調整と、社交界での再調整を経て可決である。ロシエ事情の非常な不安定化もあって、長々と交渉を先延ばしてやるのは良くないと双方が意識したからかもしれない。

 講和は五か条、非公式には六か条でまとまった。

 一つ。中央同盟解散の代わりに、同盟主を聖王へ戴冠する。ただし聖戦軍指揮権は聖皇が任ずるところにあり、聖職叙任権も同様に専権事項である。

 二つ。旧中央同盟参加諸侯の自治とそれら臣下の権利は聖王の名の下に保障される。

 三つ。北部諸侯連合地域のエデルト王領への併合を承認する。併合の際には当該諸侯の権益をいちじるしく損なわないよう努力しなければならない。

 四つ。フュルストラヴ公爵バステリアシュ=ヴェツェル・ルコラヴェの権利は、当該公領への残留を望まない諸侯の離脱と独立をもって保障される。

 五つ。マインベルト辺境伯領は王領として神聖教会が認可する。

 そして非公式に六つ。ブリェヘム王ヴェージル・アプスロルヴェの身柄は見つかり次第、無条件で引き渡すものとする。

 一番の争点になったであろう第二聖王の誕生がなされた。カラドス死後千五百年ぶりだ。そして神聖教会における聖皇、聖王、聖女の聖なる三役の席が埋まった。

 聖皇は流石にこの地へはやってはこなかったが、その代理であるルサンシェル枢機卿が認めたのだ。事前に条件によってはそうして良いと言われてきたのは間違いない。

 本家のカラドス家ではなく、傍系カラドス=ケスカリイェン家に長い間ロシエが欲しがっていた聖王の冠が頂かれることになって決着したのは、ロシエ王家の危機的状況も平行して歴史的大事件であろう。

 中央同盟は解散となったが、代わりに神聖同盟と呼べそうな枠組みが誕生したことになる。

 条項には新たな同盟のような条約の存在は記載されていないが、聖女と聖王は、言わば聖皇の指揮系統下にある。実質、中部と南部が統一された。これにエデルト=セレードとの軍事同盟も加われば北部も含まれることになる。それに加えてロベセダから繋がるベルシアとの、両姉妹王国との同盟も加わればより強大な同盟となる。

 この新たな大同盟に対して、ロシエはどう出るのか?

 旧体制が維持されれば更なる大大同盟になるかもしれない。魔神代理領と戦う自信が沸きあがる程になるかもしれない。

 だがもし共和革命派のような勢力に引っ繰り返されたら?

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