第132話「侵略の転換点」 ベルリク

 少年達が遊びと訓練を兼ねて行っている羊の取り合い競争へ参加する。皆騎乗し、二つの軍に分かれて羊の死体を奪い合い、自軍側の地面に描いた輪に置いたら得点が入る。落馬すると減点。故意に相手を殴って蹴って掴んで投げて落馬を狙ってはならないが罰則規定は特に無い。

 しばらく振りに参加するのでまずは様子見。赤帯、青帯で敵味方の区別をつけて取り合う。皆元気で良い良い、可愛いねぇ。

 独走状態になって腕を振り上げて勝ち誇っている赤帯、赤軍の騎手が見えた。横から青帯、青軍の自分は悠々と羊を掻っ攫い、青軍の地面に描いた輪の方へ取って返して馬を走らせる。

 これが予備兵力の運用で、奇襲効果の現れで、待ち伏せ攻撃。そういった軍事基礎もこんな遊びで学べてしまう。

 それに対応して”火消し”に動くのも遊びで学べる。見越したように待機していた赤軍のアクファルがやってきて羊を掴まれる。勿論離すまいとするが、鞍から尻が浮いて体ごと持っていかれそうになったのでやっぱり離す。

 ここで落馬したら減点、それ以上に騎手が馬が羊目掛けて殺到、踏まれてグチャグチャにされる危険性がある。これはお遊戯だが死傷者が出るお遊戯だ。

 それにしてもアクファル、お前の握力は一体どうなっているんだ? 全く保持出来る手応えも無かった。指揮仕事ばかりしているが、自分の体は貧弱じゃないし食って動いているのでそこそこに肥えて重い。

 アクファルから奪おうとする青軍の騎手もいるが羊を掴んでも奪い返せないし、しつこく食い下がれば馬を増速するか走る向きを変え、掴む姿勢が無理になって引き摺り下ろされそうになって諦める。

 落馬すると減点になる決まりになっているので皆、無理は出来ない。そして減点以上に、アクファルの掴んだ羊に掴まり、馬から落ちて引き摺られ、引き回し状態になるのは恥ずかしい。

 落馬しても試合は続行されるので、仲間に手伝って貰って主を失った馬に乗ったりなど、本当に目立って恥ずかしいものだ。

 握力もそうだが、クセルヤータに乗って鍛えたアクファルの下半身の力は凄まじい。片手で羊と男一人を引き摺って姿勢に揺らぎ一つありはしない。赤軍、アクファル側の輪に羊が投げ入れられて加点。

 両軍が管轄する輪の側に立てた旗の色、赤青が交代。投げ入れられて地についた羊を赤軍の騎手が掴み、新たな赤軍の輪へ運び始める。

 青軍のカイウルクは奪い合いに参加するよりも指揮に徹する。指揮は声を張り上げても、旗を振っても、ラッパを鳴らしても良い。

 カイウルクが指揮で自軍の騎手達を操る。羊を持った騎手を包囲させて動きをとめ、力自慢を突っ込ませて奪い返し、今まで動かずに体力を温存していた騎手に投げ渡して青軍の陣地の輪へ走らせて得点を入れる。

 カイウルクは必要に応じて動きはするが、やはり全体を見渡せる位置に常にいて、分捕り合いの熱狂の中にはあまり入らない。遊びだが遊びじゃない。

 赤軍のヤヌシュフはまだまだがむしゃらに突っ込んで奪う奪われるの世界かな? 仲間に譲ればいいところで無茶に進んで奪い返されたりしている。頭の中が沸騰しちゃっている。顔も真っ赤で息が荒い。若者らしいといえばそうである。

 青軍のシゲは奇声を上げて気合を入れるのが癖になっていて、「うるせぇ!」と言われながら参加している。

 この遊びはあまり慣れていないのでヤヌシュフのようにただ突っ込んで取る程度だが、体が出来上がっているので熟練者相手でも簡単に羊を奪われたりしない。

 個人的に注目するアクファルとの奪い合いになった。

 シゲが羊を奪われまいと踏ん張る。アクファルは片手でグイグイ引っ張る。手で掴み、腕に肩に腰で引っ張り捻る。その為に落馬しまいと馬を股で挟み、足を突っ込んだ鐙を姿勢にあわせて動かして踏ん張る。

 上半身は互角かと思えたが、馬術ではアクファルが勝っていてシゲが落馬。

 しかしシゲもさるもので、落馬したが地に足つき、徒歩でまだ羊を引っ張る。ただ馬の脚に敵うものではないで引っ張られるのだが走って追随する。

 アクファルは馬を増速させ、方向転換しながら振り回して解こうとするがシゲは宙に浮きながらも踏ん張る。ここまで食い下がる奴は見たことがない。

 水を浴びたような汗に泥を混ぜながらシゲは踏ん張る。アクファルは弄ぶように馬を走らせて振り回したり、引き摺ったり、わざと段差のあるところ進んで転ばせようとする。しかしシゲは一度も膝を突かない。

 両軍に分かれて行う競技だが、ここまでくると皆は馬を止めてこの一対一を、口笛を鳴らしたり歓声を上げて見守る。

 ヤヌシュフが何だか突っ込みそうだったので止める。

 そして遂に、両者の握力の凄さが垣間見れた。羊が裂けてしまったのだ。血と内臓を抜いた羊ではあるが皮に肉に筋に骨も残っている。それが素手で裂けた。

 裂けた勢いでアクファルは体を大きく振って落馬しそうになるのを踏ん張る。シゲは地面に転がるが、受身を取って回転して綺麗に立ち上がる。

 拍手。皆も拍手

 両者はしばらく千切れた羊を手に持って睨み合っていた。


■■■


 若者と馬に揉まれ、体を洗ってからオルメン公館に戻ると、いつも無表情しかめっ面のジルマリアが、いつもより機嫌悪そうな面で喋る。でも可愛い。

「人間社会に適応できる服装の警護部隊は作れないのですか?」

「あー? あー、言わんとするところは分かった」

 そろそろ聖女と手下の諸侯共がオルメンにやってくる頃だ。偵察隊の個性豊かで愉快な衣装が気になるんだろう。

「奥方、我々は着せ替え人形とやらではないぞ」

 これまたいつも無表情しかめっ面のルドゥが、いつもより機嫌悪そうな面で喋る。でも……こいつは可愛いとかじゃないな。

「奥方じゃありません。では何なんですかその不気味な格好は」

 怒ってる怒ってる。ここで尻触ったら腹刺されそうだな。

「人間を恐がらせるため。自分で殺した奴で飾るため。死んだ同胞と共にいるため。単純に着飾るため」

 そういえばルドゥの帽子飾りの内二本は、ルドゥと自爆死したシクルの子供の指だったな。いつもと声が違う。

「時と場所を考えて控えてはどうですか」

「人間の習慣を何故気にする必要がある。大将が人間であるからと何か勘違いをしていないか?」

「人間の間で行う外交の場には不適当だからです。外交担当者との意思疎通に障害が発生します」

「知るか。どうしても変えたいなら親分に言え。その指示には従う」

 大将じゃなくて親分か。確かに、妖精による人間への心象をどうにかするという目的の音頭を我が方で取っているのは自分ではなくラシージだ。”しゅるふぇ”号計画だったっけ?

 ここは手っ取り早くラシージを呼ぶ。お忙しいラシージを呼ぶのは滅茶苦茶気が引けるが、ここで二人に口喧嘩をさせていても糞にもならない。

 ラシージを偵察隊員が連れて来る。いつ見てもラシージは可愛くて俊英鋭敏、色気がある切れ長の目は垂れることを知らず、疲れ等知らぬように見えていつも無表情のラシージが、いつもより機嫌悪そうな面で喋る。どう見ても可愛い。

「お話は伺いましたが、ジルマリア殿の警護員のみそのようにすればよろしいでしょう。貴女の外交には差し障りありません」

「十人いて一人でも元のままなら意味はありませんよ。道中、見かけるじゃありませんか。それに常に私は一人であるわけでもありません」

「妥協点は以上です。現状偵察隊以上の護衛もおりませんし、要人である貴女を聖女猊下にお返しする日まで最善の人員を配置するのはこちらの義務です。それと、女の我儘なら自分の男にでも言えばいい」

 ラシージの意見に対しては公私共に自分としては何も言えません。

「……分かりました」

 ここでこっちに我儘言ってくれたら応えちゃうんだけど、ジルマリアは大人しく引き下がった。

 何だか皆の顔がおっかない。疲れてるんだろう。

「将軍閣下」

 ラシージはそう言ってから歩き始める。会議室へ。

 部屋で待機していた、敬礼する伝令へ返礼してから手紙を受け取る。

 ロシエからガートルゲン、ナスランデンからの撤兵をしろと警告文が届いている。

 ”掛かって来い、相手になってやる”と返信したいが、あくまでも我々は聖戦軍である。いいや返信しちゃえ。

 会議室中央の大きい机には広義の”中部”全体地図が広げられ、新たに出現した敵性勢力を示す駒が配置されている。

 ロシエ軍が国境沿いまで軍を展開、介入の兆しである。動員量も隠せないほどで十万規模になる見通しだ。国内で共和革命派との闘争片手間でこれなのだから凄まじい国力だ。我が軍の新たな使命こそがロシエ軍の攻撃を食い止めること。

 南部西側国境の方、シェルヴェンタ辺境伯領側にはあまり軍を配置していないと情報が入っている。国境付近は地形的に大軍を展開し辛く、攻撃側が劣勢になる地形だ。だからこそ国境になって民族に言葉も違うのだが。

 ジャーヴァル遠征で遭遇した出先機関の兵力をロシエの本領と思ったら大間違いだ。ロシエの本気は財政破綻しながらも血の気の多い兵隊を搾り出せるところにある。無論限界はあるが、戦いに勝って略奪と賠償金でどうにかしようと考える向きもあるので侮れない。

 意思表示だけで終わる連中でもない。聖皇を太陽として自らを月と呼称こそするが、必要ならそんなことも無視して聖皇領に軍を差し向けて脅した歴史もある。こちらが正式な聖戦軍だからと遠慮するような可愛い連中では決して無いのだ。望ましい聖皇を擁立するくらいは平気でやるし、聖皇の挿げ替えをした歴史もある。今までは無かったが、今回上手くいったらロシエ王が聖王として戴冠することもあり得る。

 ケツに火が点いた奴というのはとんでもないことをやらかすものだ。財政破綻寸前だから思ったより攻勢は始まっても長く続かない可能性は以前として高いものの、ここに至って重たい初撃は決まったようなものだ。我々が全力でかからねば止められない。

 ロシエに対する西部戦線南半のガートルゲン地方は、ウルロン山脈から流れるオーボル川が国境となっているので分かりやすい。山そして水源はこちらが確保しているのでスラーギィのように水を、工事次第でこちらが操れる、はず。

 西部戦線北半のナスランデン地方は、西にロシエ、北西にユバール、北にザーンと接触する広い平野部で湿地帯だ。南部の守りは良いが、北部の守りに不安がある。ナスランデン北部からユバール東方、ザーン全域にかけて大きく広がるエヤルデン湿地が現在我々の急所だ。

 エヤルデン湿地は大きく沿岸部にまで達し、無数の河川、湖沼が入り混じって水上の迷路となっている。季節や雨量によって水路が変貌してしまうのも余所者には不利だ。ナスランデン北部を統括する、湿地に精通したクネグ公が聖戦軍に参加してくれなかったらここの戦いは正に泥沼となって障害になっていた。

 そんなクネグ公軍だけでこの地を守りきれはしないだろう。ロシエの物量に支援されたユバール東方の河川軍相手では部が悪いようにしか思えない。財政破綻寸前で雇えるかどうかは不明だが、ザーンの河賊を雇い入れる可能性は捨てきれない。中部諸侯が雇う可能性もある。

 こちらの軍をそんな湿地帯に投入しても地形が特殊で全力発揮は難しい。エデルト海軍が進入してくれれば多少望みはあるが期待は出来ない。セリンを呼んだら勝ち目が見えてくるが今回はそんな戦争じゃない。

 先にこちらがザーンの河賊を傭兵に雇うという手もある。これが決め手か?

 エヤルデン湿地の水源はオーボル川、そしてサボ川とモルル川がオルメンで合流して出来たイーデン川である。それらの川の流れを止めて水を枯らせて強引に陸上戦闘に持ち込ませるというのもある。スラーギィでは増水させたが、今度は逆に減水か? いや規模が大き過ぎて無理か。

「ラシージ、エヤルデン湿地の水抜きの実現性は?」

「夏の渇水時期に、水害にならないように川から水抜きをする案はありますが、抜いた先をどうするか選定する事も含めて着工しますと十年単位で時間が必要になります」

「ダルプロ川のようにはいかないか」

「はい。他所の土地でやるような事はありません」

「だなぁ」


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 とりあえず突っ走って目につく敵を殺して土地に侵入することに熱狂する時期も過ぎて次の行動の為の準備を粛々と進めて時が経つ。

 遂に防御の季節が過ぎて、攻撃の季節がやってきた。とは言っても攻撃の季節に我が軍は防御を行うことになっている。

 ようやくオルメンに聖女猊下と、聖戦軍に参加した敬虔なる諸侯達が到着した。集会があるので主だったお偉方、顔役は大体参集している。南部のロシエ国境を守る軍を指揮する者達は流石にいないが代理人は寄越している。今戦争における同盟関係者は大体出揃っている。

 諸侯や代理人は大抵が南部のフラル人、中部のエグセン人だ。その中で東部から来たヤガロ人は目立つ。

 敵対諸侯の中を突っ切ってやってきた東部貴族、中でもフュルストラヴ公から離反した連中が少数派ながら一番目立つ。ジルマリアが殺す殺さないの手口で獲得した諸侯なのだ。それはそれは目立つ。まあ、警備についた偵察隊には敵わないがな!

 聖女猊下が行うのは会議ではなく決定事項下達の集会だ。公館の舞踏会場を使う。

 卓は無くて各自勝手に椅子をみつくろえといった風だ。人に対して椅子は足りていない。

 社交舞踏の一つでもあるかな、とちょっと第四師団師団長のジュレンカに頼んで少し練習したが無駄になった。

 催し物やらなんやらは開催されていない。貴族ならばともかく聖女猊下は聖職者だ。それも僧衣を着た軍人の最先鋒みたいな存在。質実であれこそ華美ではありえない。

 会場の、一段高くなった舞台の壁には広義の”中部”が記された大地図が壁に吊るされている。そこに聖女猊下が立って喋る。

 一番前に椅子を置いて陣取る。聖女猊下が歩くたびに良い匂いがフワっと漂うぐらい近く。ジルマリアは他人のように――他人ではあるが――聖職者に紛れている。

 話を始める前に聖女猊下が、一人だけ椅子に座っている自分を見てフっと笑って頭を撫でてくれた。

「諸卿等聞け。大体は耳にしていると思うし、聖都では一度発表した事だがもう一度行う。聖皇聖下から勅任された私、第十六聖女ヴァルキリカが中部で宣言する」

 場所と事実が名目的に重要。

 聖女猊下が地図を指し棒で突きながら喋る。

「順に行く。ウステアイデン枢機卿管領をセデロ修道枢機卿が管理する事を認める」

 セデロがまた涙を流している。彼がもう先頭に立って降伏勧告をする事は無い。役目も戦い方も今日から変わったのだ。

 ウステアイデンはイスタメルからメノ=グラメリスの中間に当たる。傭兵仕事が終わった後もちょくちょくと関わり合いがありそうだ。

「ロベセダ王領をルベロ・アントバレが戴冠して管理する事を認める」

 ここで何の功績も無いベルシア王国の王子が引っ張られて来たのは、ベルシアの後援を得るためである。

 ロベセダは南部の横断街道と縦断街道の十字路周辺に位置。元は都市国家が集まっていたような地域だ。地縁も無い外人国王が議会に強権を振るうこともないだろう。

「ギローリャ=ヴァリアグリ王領をメリオ=レドアール・トギラが戴冠して管理する事を認める」

 旧ヴァリアグリ方伯の義弟ギローリャ男爵にして、シェルヴェンタ辺境伯の息子。南部西方におけるロシエ国境近辺をまとめ上げるに随分と都合の良い血が混ざった人物である。

「上ウルロン枢機卿管領をホストロ修道枢機卿が管理する事を認める」

 アタナクト聖法教会の官僚畑から引っ張って来た修道枢機卿と聞いている。セデロに次いで二番目の修道枢機卿だ。神聖教会においてアタナクト聖法教会派閥の権威は現在有頂天にあるのだろう。

 上ウルロンはウルロン山脈南部一帯のこと。上とは聖都に近いという意味だ。聖都に対しての”上下”という概念は懐古主義の聖職者界隈から見てもかなり古臭いらしい。

「下ウルロン王領をアーチャルス・ヘトロヴクが戴冠して管理する事を認める」

 ジルマリアの手腕で裏切ったレギマン公の息子だ。寝返れば報酬をくれてやると良く分かる事例だ。ただこの新王は現地のエグセン語が話せないそうだが、フラル語かロシエ語が話せればなんとかなる。

 上ウルロンに対して下とは北側、聖都より遠い方になる。

「オルメン王領をウルラシュ・ゼケルフュルティが戴冠して管理する事を認める」

 フュルストラヴ公を裏切り、聖戦軍に参加したイスベルス伯の兄が王になった。一時は敵対しても裏切れば良い目を見られることもあるという例。これもまた外国人国王。地縁とは切り離されている。

 オルメンとは都市の名前で地方名ではない。都市周辺の細かい地方を統合してのオルメン呼称だ。

「ガートルゲン王領をマロード・フッセンが戴冠して管理する事を認める」

 一番の裏切り者、走狗伯とかあだ名されているらしいヴァッカルデン伯がガートルゲン王になった。嫌われ者が王である。地縁があっても簡単に二度目の裏切りは出来まい。今度は走狗王かな? 良く働けばそれで良い。

「ナスランデン王領をシレム・パンタブルム=ユロングが管理する事を認める」

 聖戦軍に参加したクネグ公その人である。ロシエ、ユバール、ザーン、メイレンベル相手に国境争いを続けてきており、そして潰されていないという事実だけで一筋縄でいかない老獪さが伺える。エヤルデン湿地の趨勢を握っている人物である。

「聖戦軍としては聖領独立の目標はほぼ達成している。後はそれを認めない勢力を叩き潰す段階にある。今後潰した後に立ち上がれないようにするためにはエデルトに北領を取らせて恒常的に北から圧力を加える必要がある。叩き潰すのは第一にこれから介入してくるであろうロシエとユバール、そしてメイレンベル伯、グランデン大公、ブリェヘム王の中部三大勢力とその手下、それから北部諸侯連合」

 舞台の上で喋る聖女猊下が下へ一段降りる。一段程度下りてもその巨体は皆が見上げる高さ。

 聖女猊下は皆に見上げさせながら会場を歩きながら喋る。

「グランデン大公国首都カラドス=ファイルヴァインにはまだ我々に逆らう気を持っている諸侯共が代表を送りこんでいる。遂に今更の大同盟を結ぶようだ。聖戦軍の旗に集った諸卿等、ここからが本当の切り取りの季節だ。まだお前等は貰った餌を食っているだけの豚だ。これからは自分で獲物を狩る狼になれ。豚がいつまでも重用されるなどと、まさか思ってはいないだろうな?」

 それから聖女猊下が個々人に話しかけ初め、それぞれ勝手に交流しろという感じになって、一応は集会が解散となる。

 セデロに挨拶。

「あなたの口上が聞けなくなると思うと寂しいですね」

「お世話になりました。イスタメル国境の担当になりますので今後も何かとあるかと思いますのでよろしくお願いします」

 次はナスランデン王だ。筋骨逞しい老人である。

 河川艦隊の増強が必要という話をし、ザーンの河賊を雇う段取りを話した。王は狐と狼を混ぜたようないかにも手強い風の爺さんで愛郷心が強い者だと感じた。郷土防衛となればこそ頼もしい限りであった。味方である内はだが。

 それからガートルゲン王。三十歳程のほぼ同年代の男。

 彼とは既に面識はあったが、王となった彼に改めて再確認を求めた。ガートルゲンを、彼の直轄領さえも場合によっては焦土と化してもロシエを撃退するということをだ。反発は予想されたが、どうも権力が好きなようで被害は全て許容するとのこと。都合が良いのは良いことだ。


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 我が軍はオルメンからデッセンバル公国の首都バールザールへ作戦司令部を移す予定だが、まだ時間はあるので作戦会議室で今後の予定を話し合う。

 ラシージを中心に組まれたその予定の大枠は大体出来ている。詰めの部分はまだまだだ。現地に行かねば詰めるものも詰められないが、ここである程度形にしてから出発する。

 久し振りに見る顔がある。ゼクラグにジュレンカだ。

 第二師団師団長ゼクラグ。全身傷だらけで顔の七割は焼けて削れてで片目も潰れている。妖精には珍しくヒゲを生やしている。

「良く働いたなゼクラグ、お前には単独行動をさせても全く危なげがない。今この我々の軍の規模を考えれば俺とラシージの分身を得たに等しい。バシィール城に着任した時から考えれば想像出来ない働きだ」

 このゼクラグはバシィール城着任時からいる奴だ。この傷もイルバシウスの門でシルヴが仕掛けた地雷の爆発を受けてのことだ。

「もっと褒めて良いぞ将軍、頼れ頼れ」

 ゼクラグのヒゲの生えた顎に手をやってジョリジョリ鳴らす。

 顔が変わり過ぎて負傷前のこいつを思い出せない。当時は妖精を見分けようとする余裕なんて無かったしな。ともかく、こいつは自分とラシージが組んで行って来た軍指揮のおよそ全てを見聞きしてきた奴だ。南部西方の攻略速度から見ても分かる通り、我等二人の後継のような存在だ。

 第四師団師団長ジュレンカ。意志の強い女妖精というとあの曲者シクルを連想してしまうが、彼女は実直だ。わざわざ長い髪を短髪に見えるように複雑に編みこんでいるお洒落さんで、軍服も派手にならない程度に飾られている。耳飾りに首飾りに指輪もしているのだから妖精らしくないと言えばらしくない。靴も良く見れば踵が高い。

「ゼクラグに従って良く任務を遂行してきたなジュレンカ。行動記録を見たが迷いも無く即断して動いているし、問題点も簡潔に処理していて更に素早い。それと今日も一段と美人さんだぞ」

 ジュレンカはマトラ系ではなくオルフ地方からやってきた元妖精奴隷であり、垢抜けて上流階級然としているのは高級奴隷に類されていたせいだ。なので解放された後も意志が強い方の妖精だけあって人間臭さが抜けてない。

「はい将軍閣下、与えられた仕事をこなしたまでであります」

 ジュレンカはニコっと笑い、胸に手を当てながら優雅に人のように一礼。

 煌びやかな衣装を着ての社交舞踏――貴族子弟に教えていたぐらいなので上手い――が出来るぐらいの貴婦人振りなので一礼がえらく様になっている。女性同伴の社交場に出る時は頼れそうだな。予定は無いが。

 不公平はいけない。

 第三師団師団長ボレス。妖精とは大体に中肉か痩せているのだが、このボレスは例外でちょっとした貴族のように太い体をしている。顔付きもふてぶてしく、皮の厚い平面顔の闘犬のようでもある。

「ボレス、お前の妖精らしからぬ、反抗するのを全く躊躇しない性質は得難い。憎たらしいくらいだ」

 ボレスはマトラ山地でもかなり東部の出身で、イスタメル公国と争いはせずに独自共同体を作っていた。本流に流されない奴だ。他人と違うことが出来るというのは才能だ。ラシージ指揮下でも”親分”の威光に屈せず、適確な意見を出してラシージの完璧さに磨きをかけていたと報告に聞いている。セナボンの電撃的陥落、グランデン大公軍の追撃中止も彼がいたからこそである。

「今更ですなぁ、将軍」

 ボレスの腹の肉を掴んでプヨプヨする。そうするとボレスは「ハッハッハッハ」と笑う。

 因みに無名時代に放浪していたナシュカを引き入れたのは彼の功績だ。太っているのもナシュカの功績らしい。性格も影響しているのかもしれない。

 第一師団師団長ゾルブ。いかにもマトラ妖精といった見た目で特徴が薄く、意志の強い妖精であるかどうかは会話してみないと分からないくらいの、見た目だけは凡庸な男だ。

「ゾルブ、お前の軍指揮は確実だ。無茶はしないで全て確実に戦う。行軍する時も隅々まで遅滞が見られない。俺が昼寝してたとしても今日までの成果はお前が生み出しただろう」

 ゾルブだがランマルカ留学から帰って来た妖精の一人だ。ラシージやシクルに並ぶ、マトラ妖精にとってはある種伝説の英雄の一人。

「私如きに勿体無いお言葉です将軍閣下!」

 ゾルブは踵を合わせて鳴らし、背筋を伸ばす。

 ゾルブはマトラ人民義勇軍編制となって初めて存在を知った奴だ。今まで埋もれていたというのも、やや不可解。ランマルカ留学から戻って来たのはもしかして最近か?

 ラシージ。自分はラシージについては何も言うべきところはない。あれやこれやと言う次元には無いのだ。どうしても一言添えるならば、呼吸をするが如く。

 ということでラシージを抱っこして膝に乗せる。縦深防御のための工事計画を六人で話し合おう。

 ロシエ国境の橋は全て破壊する事で合意。

 逆侵攻という手段がほぼ立ち消えになるが、目的はあくまでもロシエの侵攻を防ぐ事にあり、中部諸侯の降伏を待つことにある。少々じれったいが雇い主である聖女猊下の意向だ。豚を狼にするための。

 橋の破壊を前提に、何時でも再建が出来るように設計図を、そして部品に橋脚の基礎をそれぞれの架橋予定地点を測量して作っておくべきだとボレスが言いながら設計図の一つを提出。

 敵が橋を再建、工事をした時に妨害出来るように上流に破砕船を用意するべきだとジュレンカが言う。船の調達と破砕船の設計図を提出。

 ナスランデンからガートルゲンにかけて塹壕と防塁の防衛線、都市と要塞に塹壕と防塁を加えた防衛線で多重に線を引いて地雷原を設置する。

 防衛線には、偽装退却による誘引から、後方遮断による包囲殲滅が出来るように、どの地点からで出来るように弾性を持たせるにはどうするか検討する。

 何においても機動力が要求されるので整備された軍用道路が必須。前進後退、前後の道路。兵力集中、左右の道路がだ。ゾルブが理想的配置の草案を提出。

 運用できる資源量と作業要員、時間との兼ね合いでどこを重点的にするか、どこを省略するか、代替して作業を軽くするか何に対しても配分が必要だ。それを下支えするのは人の数。ゼクラグがジルマリアと練った動員計画書やら見積もり書やらが詰まった箱を出す。

 焦土作戦計画。どの順番で何を焼いて、拠点爆破に割く火薬量はどうするか。

 拠点を罠にして引きこんだ敵を吹き飛ばす火薬量、工作部隊が無人化したヘレンデン市で稼動させている陸軍工廠をいつでも爆破廃棄出来る火薬量の算出はラシージがした。

 戦闘に使うために前線に配置する火薬と、焦土作戦に必要な火薬の配置配分が重要であるとボレスが言う。前線を優先するのは当然で、そして後退時に大量の火薬を運ぶのは困難であるから当然の懸念だ。

 焦土作戦に必要最低限の火薬量を算出して後方に置き、それから獲得する火薬を全て前線に置くという手法をゾルブが提案。単純だがそれが良いだろう。

 開戦してからの前線の火薬消耗量を測り、補給量を上回る状況になったらどこを妥協して破壊しないか優先順位をつける。ジュレンカがざっと順位を指定、詳しく資料を見比べて順位を並べ変える。

 内なる敵への対処法がある意味一番困難だろう。

 邪魔なガートルゲン軍本隊は聖女猊下が違う戦場に持っていってくれるので助かる。ナスランデン軍は王の希望もあってエヤルデン湿地防衛に居てくれるので助かる。数は現状で三万程だが、河川軍がいるのだから実数だけで判断するところではない。

 後は従来通りに保安隊、補助警察、神聖公安軍に統制させるしかない。ただ武器狩りと火薬の没収は徹底させるようにしないといけない。それに反発するなら良い口実で反乱分子の頭数を減らせる。

 現在の配置予定表から、反乱等がどこで発生した場合にどの程度の部隊を抽出するかゼクラグが草案で出す。草案は草案、現地で配置についてからじゃないとこれは手のつけようがないな。でも仕事は早くなる。

 大筋がまとまってから、我が軍、エデルト=セレード軍、聖なる諸侯連合軍とロシエ軍、ユバール軍、北部諸侯連合軍、中部諸侯軍にザーン軍、バルリー軍を不確定要素に加え、あらゆる不敗神話を取り除いてからあらゆる状況を想定して六人で机上演習を繰り返す。

 ナスランデン戦線を担当する軍が特に孤立しやすく、包囲の危険に晒されているのは間違いない。

 エデルト=セレード軍の北部諸侯撃破が早いか遅いかで大分命運が左右されるのは間違いない。

 何かの機会にそちらを支援出来れば安心出来るかな?

 敵が戦争に備える前に行われる奇襲攻撃というエデルトの得意技が成功していないのが苦しい。北部諸侯の要塞線に足止めを食っているというお話だが、予定通りなのか間抜けをしてしまったのか。あちらはまだまだ開戦間もないわけでもあるし、何とも言えないが。


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 西部戦線へ出発する日取りが決まってきたので、その前に済ませておくことがある。

 オルメンの新しい行政官に聖戦士達の兵営とは何であるかをナレザギーと一緒に見学して貰った。兵営はあくまでも教育施設に分類されるので最前線には配置しない。移設は見送りだ。

 良く訓練されている傭兵団には属していない、農民に盗賊同然の雑魚傭兵達が集められ、メルカプール秘伝の薬と儀式による洗脳行為が行われている。

 建物は兵舎というよりは阿片窟のようでもある。薬の服用以外にも香が焚かれ、ジャーヴァルの者から見ても奇怪な祝詞も唱えられている。理解不能で意味不明なのに頭に衝撃と混沌が注ぎ込まれるような絵柄の壁掛け絨毯が強烈。

「いつ突っ込ませられる?」

「万全を期すなら二十日後だね」

「いつまで使いものになる?」

「今の先行分だと来年の春先かな」

 対ロシエ戦では投入時期を考えないといけない。東大洋の時みたいにとりあえず突っ込ませれば何とかなる状況ではない。

 行政官殿にはいかに聖戦士達が規律正しいかを確認して貰った。それこそ耳を切り落としても瞬き一つしない程の規律厳正さをだ。次元が違うね。


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 ニクール率いる獣人奴隷候補達も西部戦線に来ることになった。

 再会したニクールだが、苦笑いをしていた。

「昼夜問わずの物資配送はな、距離が伸びると渋滞する。送る作業と持って行く作業に不均衡が生じたせいだ。二の線で、二つの一の線に合流するところに送れば良いという論理でいったが、現場はいつも不安定だ。時計での時間合わせで仕事をさせるなんてのも距離が伸びれば伸びる程不可能だ」

「長距離で道が多くなるとダメか。短距離直線は良かったって聞いてたが……人数が乏しいとどうにもならないな」

 新たな試みがダメではないが何とも、劇的効果も望めなかったのだ。兵站改革だ! と叫べるものにはならなかった。

「全面採用じゃなくて一部の実験にして良かった。これからは南部からこっちの西部に場所を移して軍の直近で行う。夜襲も手伝えるぞ」

「一部だけ凄い事やってもダメか。焼け石に水だな」

「だがその代わりに見えたものがある。補給より再配置任務だ。荷物を迅速に必要な地点に、敵と接している危険な地域で昼夜徹した移送を行う。後方ならともかく、いつ敵が攻撃を加えるか分からない前線だ。砲兵を運ぶとしてだ。昼間は砲兵自身で動き、夜間はこっちで砲兵毎荷物にして運んで馬車で寝て貰う。通常の連絡用の”縦”の駅じゃなく、戦線連絡用の”横”の駅を作ればどうだ」

「攻撃される場所を誘導する自由しかない防御側としては嬉しい限りだが、また実験になるか」

「なる」

「ラシージと話を詰めてくれ。俺は賛成だ。戦争は今回だけじゃない」

「提案を受けてくれて感謝する。それと、お前は人の提案を蹴ることがあるのか?」

「あんまりしたくないね、そういう事は。馬鹿な提案をされた事が少ないだけかもしれないけどな。まあとにかく、今は西部防衛線の構築中だ。その”横”の連絡線は良い感じ」

 良い報せというか発見? もある。もう一つの新しい試みをやっても良い余裕があることだ。


■■■


 西部戦線へ移動するために、日夜街や森を焼き、ロシエ義勇兵を追いかけてはブチ殺していたグラスト分遣隊が戻ってきた。

 彼等は足も早ければ長く保つ上にあっという間に敵拠点をぶっ壊すのでついつい酷使してしまうし、酷使されても思ったより元気で文句無しである。むしろ良くやり過ぎてベリュデイン総督への感謝の手紙の内容に前向きな意味で困ってしまうぐらいだ。

 久し振りに見たアリファマだが、顔付きも体つきも姿勢に雰囲気も全く山野を駆け巡ったことを感じさせない健全さを見てとれた。グラストでの訓練、日常に比べれば中部での作戦なんか景勝地の散策程度だとでも言わんばかりである。

「アリファマ殿、ご苦労様です。今日は皆の飯をナシュカに作らせますので腹一杯食って下さい」

「文明の飯が食える……あー、ご配慮? うん、感謝します」

「どうぞどうぞ」

 死傷者が出て五百人以下にはなったが、それでも五百近い大飯喰らい達の食事の量は半端ではない。

 パンと汁で適当に済ませるのならある程度簡単に出来てしまうが、ご馳走を食わせるのだから我が本軍の料理部隊は全力になって取り掛かる。

 それを平らげる彼等を見てナシュカは「馬かお前等」と結構ご満悦顔。

 食事後、グラスト分遣隊の活躍、被害状況と戦線の拡大、縮小の予測を立ててベリュデイン総督に増派、引き上げの検討の手紙を出す。遠隔地なので返事は直ぐに来ないが、どうなるか?


■■■


 セリンから手紙が来た。エデルト船籍船を巧妙に守ってやったという自慢話から始まり、正規軍ではない海賊ならではの方法でロシエをまた締め上げるようにファスラを初めとした連中に連絡をしたと繋げ、シゲヒロをアクファルと結婚させろ、と締めくくられた。

 自分が想い人と結ばれなかったため、自分の子と想い人の子を代わりに結婚させようという悲恋な物語はそこそこありふれたものだ。

 内縁関係にあって、相手の妹と自分の親戚とを結婚させて代わりに子供を産ませるような考え方は……理解出来る。女である内に魔族化したセリンの心中は察せられるものではないが、常人の常識の枠内に閉じ込めようとしてはいけないとは思っている。

 何の前フリもなくこんな手紙が来たというわけでもないだろう。シゲがこの前アクファルとの結婚を土下座して頼んでいたことから、前から親戚同士で喋っていた可能性は大である。

 今はとりあえずシゲには、アクファルが示したように弓の努力をして貰うしかあるまい。

 シゲは何だか間抜けなところはあるが、死地は潜り抜けて見せているし、敵将首も上げている。雑魚相手とはいえ鏑矢一斉射撃の指揮も執ってみせた。それにまだ若いし伸び代は十分にある。血縁で見てもギーリスの兄弟姉妹に連なっているのでこちらとしては下手な大陸貴族よりも好印象。

 お兄ちゃんとしては否定要素はないな。この前の羊取り競争でも男は見せた。

 自分の現状とアクファルの意向を伝える手紙に、似てないセリンの似顔絵を添えてセリン宛てに出す。


■■■


 西部戦線にはアソリウス軍も参加する。エデルト=セレード本軍への合流は考えられていない。

 大好きなシルヴ、可愛いヤヌシュフ、共感するところの多いハリキ人のカルタリゲン中佐にはあんまり言いたくないことがあるが、会いに行って言う。

「信じたくもないんだがお前等の本軍鈍くないか?」

 シルヴが喉の奥から絞り出すみたいに鼻で笑う。

「きっとエデルト人が馬鹿なんですよ」

 ヤヌシュフがセレード人としては満点の返事をする。貴族としちゃダメだ。シルヴがヤヌシュフに「本当のことでも言ってはいけません」と拳骨を打ち込んだ。

「内部分裂したとはいえ俺達のセレードの王座を勝ち取ったエデルト軍がだ、情けない事になってるんじゃないか? 奴等の精神を継承して実行したのはセレード人の俺だけなのか? 思わずセレード独立戦争を起こしたくなってしまうぞ。どうなんです中佐」

 カルタリゲン中佐が頭を掻く。

「北部戦線の西側、沿岸部では堤防を決壊させた洪水の防壁で安全圏が確保されてしまっています。沿岸諸国は豊かで金も工房も多くてロシエからの支援を海路で直接受けられますので致命傷が中々与えられません。それに中部諸侯の中でも北部寄りの諸侯は義勇兵を出しています。その状況下でシアドレク獅子公が予言者のように内陸側の要塞線を渡り歩いて機動防御に成功しているのです。ナスランデン征服時にこっちに南下する余裕を見せるぐらいの予言ぶりはご存知でしょう」

 あれは凄かった。テオロデンに噛み付いていたら面倒には絶対になっていた。

「シアドレク獅子公は先の大戦の時から予言者のような采配をすることがありましたが、大戦後の小競り合いでその感覚が磨かれたようです。戦場を越えて広大な地方を何らかの感覚で捉える奇跡の持ち主か、単純に情報戦に長けているのかは不明です。奇跡の方に関しては突飛過ぎますがね」

「そんな戯言を情報局がほざく程度に情報戦には敗北している状態なんですか?」

「耳の痛い話です。それから両オルフによる未亡人戦争の煽りでセレード軍が国境に張り付けになっていますので、本当にエデルト人が馬鹿な感じですね」

 まだやってんのかよ。知ってたけど。

「本当に馬鹿をやったんですか?」

「一番は動員の段階で北部諸侯を分かりやすく警戒させてしまって奇襲に失敗している間抜けぶりが最たるものでしょうか。前回の北領戦争での失敗があったせいか準備万端に攻撃しようという声が強かったんですよ」

「常態で臨戦態勢、隙は逃がさず手に武器持ってとりあえず素早く攻撃するというエデルトの良さが無くなっているのは思っていました。作戦計画を立てた間抜けは誰です? ヴィルキレク殿下とはちょっと思いたくないんですけど」

「ドラグレク陛下と古参軍人達の三十年越しの復讐戦になってしまっているのは間違いありませんね。彼等の作戦をヴァルキリカ殿下が補足した形ですかね」

「三十年越しのカビ臭さが漂いますね。セレード戦線で良い士官が払底したんじゃないでしょうね」

「死傷率は凄かったですねあれは。良い奴から死んでいくってのを肌で感じましたよあの時は」

 エデルト最強の男、王女ヴァルキリカが頼りとはちょっと情け無いじゃないか。

「シルヴ、冗談抜きで本国軍に入って馬鹿どもを締め上げないとダメなんじゃないか?」

 シルヴは声を出さずに腕を組んで笑っている。

「ヴィルキレク殿下から色々と手紙が来てるのよ。でもこれは父の戦争だって」

 カビが生えているのは本当らしい。

「北部戦線を立ち直すのならシアドレクの目の外から一発入れれば良さそうだな。予言の外れる予言者は信用されない」

「ロシエ軍が控えてるから後の話ね。アソリウス軍単独で陽動攻撃したって見え透いてるし、道も遠いし、自分で何とかするしかない」

「全くだ。海軍は何しているんです? 沿岸部への攻撃は?」

 海軍情報局のカルタリゲン中佐は勿論海軍軍人だ。

「海上交通網の維持で上陸攻撃どころじゃありませんよ。少し盛り返してきたロシエ海軍との戦いがありますし、今回は魔神代理領が中立状態です。エデルト海軍の方が厚待遇ですけど。それからセリン提督がこちらの商船を庇ってくれた案件がありますよ」

「それ知ってる」

「ですか」

「奥様にはお世話になりっぱなしね。奪った年代物のワインでも送るわ」

 ジリジリとした消耗戦の未来が見えてきている。それはそれでいいんだが、努力は怠らないものだ。そうしながら蒼天の囁きを待つしかない。

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