第131話「老人達の徒労」 フィルエリカ
聖都で娘の力を借りて目標をほぼ特定したは良いが、これから中部に戻るのも一苦労である。敵地と戦場を長々と突破しなくてはならない。行きより帰りは、敵に逆行して進まない分だけ紛れやすいが。
得意の修道女に変装して移動する。エマリエに指摘されるまで忘れていた――意図的に忘れようとしていたかも――アブゾルが乗るための馬を買った。犬みたいに後ろを走ってついてくるのがオツだったのだが仕方が無い。
聖都を去る時、エマリエは流石に人生経験があるので澄ましたものだったがポルジアはグズった。まだ八歳だ。服を握って離れない娘を引き剥がすのは友人のヤーナと違って辛い。だがこちらは普通の母ではない、許せ。
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聖都から船でペシュチュリアへ戻る。チラっと覗いたがあのジャーヴァル料理店は相変わらずの満席状態だ。今後の状況次第では店舗を拡大させるという噂を聞いたのが幸いなような、敵の勝利を喜ぶような、何とも言えない感じだ。
金を出せば香辛料は手に入るだろうが、それを料理として活かすとなると話が違う。自前でそれに精通した料理人を揃えるのは難しい話だ。生きている内にもう一口でも食べられるだろうか? あの悪魔の香りは忘れられない。
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ペシュチュリアからウルロン山脈への縦断街道を目指す。
荷馬車の通行量は多い。それだけ敵が暴れ回っている証拠だろうか?
魔神代理領から運ばれて来た武器の情報か何かを得られないかとは思ったが、そういう物資は妖精が隙無く見張っていたので諦めた。
道中では良く神聖公安軍の巡回部隊を見かけたが、正体を隠して行けたのでむしろ旅を助けて貰った印象の方が強い。
行き会った聖職者とは、聖典や名著を利用した質疑応答でもって論理を求める哲学論議も行って信頼を得たりもした。
神聖教会得意のママラ哲学的弁証法で昨今猛威を振るいつつある共和革命派の意図するところを解き明かせそうだと言ってたご老人の相手はかなり手強かった。彼等の主義主張は政治ではなく宗教のように強い思想であって、ある境界に止まるものではなく、そして以前まで境界で止まっていたものが越境して無数の亜種を伴って成長し、淘汰される向きになっても擬態による意識的、そしてなにより無意識的な潜伏によって諸文明の意識に変革が起こって絶滅は不可能なのではないかとのことだ。話し込んでしまって旅の目的を忘れるところだった。アブゾルは耐え切れずに寝ていた。
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ウルロン山脈を北進縦断。聖戦軍の旗を掲げる南部諸侯の軍勢が列を成して山を越えていた。
あの悪魔の軍勢が切り開いた道を彼等は悠々と進んでいる。領地を広げるまたとない機会に彼等の士気は高く見える。
人の心理であろうが、自分達が居た方角から来る者に対してはほとんど警戒心が無い。自分達と同じ方向へ進むこちら二人を仲間だと信じて疑わない。アブゾルに至っては神聖公安軍の兵士と見分けるべきところは一つも無い。
山道の途中でアンブレン修道院には寄る事が出来たが、目的が果たせていないということでアブゾルは拒否した。少し日程を変えるだけで済むのに律儀な奴だ。やはりワンコの才能がある。
それにロクに稼ぎ方も知らないアブゾルを傭兵に出していたあの修道院だ。口減らしの意図はあっただろう。捨て犬は拾った。
聖戦軍、神聖公安軍、そういったものに紛れて進むのは容易に過ぎた。
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ウルロン山脈を越えて北麓の、遂に占領された中部の南側に出た。行く道で聞いて集めた情報で目標の位置は分かっている。あと一歩だ。
その一歩が精神的に険しくなった。修道女の格好ぐらいでどうにもならなそうな連中と遭遇した。
「ぼっくらは正義の保安隊ぃー! 悪ーい奴等をやっつけろ! 構え、狙え、撃て! ドーン!」
並べられて怯えて震えている農民が歌と共に銃殺される。その後は銃剣でトドメが刺された。
人間ではない、妖精の兵士達だ。保安隊らしいが。
妖精達は魔神代理領の共通語で喋る。間違いなく悪魔将軍の虐殺部隊だ。急速に拡大した占領地域の治め方がこれか!
神聖公安軍相手なら適当にあしらえるが、こいつらは話がまるで通じなさそうだ。
銃殺されたのは抵抗力がある男達で、その後の女子供老人は家に押し込められて火を点けられた。特に小さい子供達は井戸に押し込められてから石で蓋をされた。
遠巻きに、望遠鏡でその様子を観察しながら林に潜んで虐殺部隊が去るのを待つ。村が皆殺しにされて焼かれるのを待った。
アブゾルが嘔吐しながら義憤に燃えていたが何とか抑えた。「人間じゃない」とか言っていたが、まあ冗談で言ったわけではないだろう。そういう表現だ。
良くも悪くも自分は慣れているので平気だったが、これがキトリン、ファイルヴァインまで来るとなればどうだろうか。
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目標のいるオルメンを目指す。神聖公安軍など何程も無い連中である。道中行き違っても挨拶するだけで済む。
妖精による保安隊が活動している現場を嫌でも見る事はある。
堂々と街道を通り過ぎれば疑われる事も無いとは思うが、あのアンブレン修道院で遭遇した、人を解体して装飾にしていた連中のような恐ろしく鼻の利く連中がいるのではないかと思うと安易に堂々ともしていられない。
生気の無い、木製の農具を持った人間の作業員が集まっている。工事現場のようでその周囲はいくつも穴が掘られている。
そして悪魔の軍勢の、妖精の兵士が囲んでいる。それぞれ腕には腕章を巻いている。そして人間の民兵も同じ腕章を巻いて囲んでいる。
兵士の代表らしき者――服装が違っておそらく士官――が演台に立って馬鹿に明るい声を出す。
「皆さんおはようございまーす! 今日も一日溌剌と攻勢的勤労精神を遺憾無く継続発揮し、革新的模範労働者を目指しましょう!」
その脇にいる修道士がエグセン語に通訳して喋る。翻訳は良く出来ているが、単語が何やら聞きなれない。
ラッパが鳴ると人間達、作業員が散らばって穴を掘り始める。
この作業が直ぐに終わるわけはない。いつまで隠れて、隙はどの程度のものを狙うか、判断に困る。堂々と通れば良いのかもしれないが……せめて目標に接触する機会があるまでは命は懸けたくない。
様子を伺っていると、体力が尽きたか気力が尽きたか、穴掘りの手を止めた者がいた。保安隊の士官が笛を鳴らす。
「あ、反動的勤務怠まーん! ダメなんだー!」
手を止めた者が兵士に指差され、「違う違う!」と叫ぶ。
言い訳は無用で、その人間は連行され、演台の上に立たされる。
「皆さん、労働基準量を暫時突破しながら聞いて下さーい! この悪い人がいけない事をしました! 皆さんが労働に対して英雄的に闘争しているのに一人だけ消極的破壊活動を行ったのです! 労働者失格の姿たるや正に汚い負け犬、悪辣なる唾棄すべき反乱分子です!」
修道士が――こいつも目が死んでいる――が反射的に行っているような感じで通訳。
「引き回し始め! ごめんなさいをしろー!」
その人間は両足首を縄で縛られ、そこを馬に繋がれて工事現場の周囲を引き摺られる。掘り返された土は柔らかいかもしれないが、それ以上に砂利が散乱しているのでその人間は削られる。
最初は悲鳴を上げていたが、直にただ引き摺られる死体になる。
作業員達は目線を引き摺られる者にやったりはするが手は止めなかった。
こんなものを見ていてもどうにならないので迂回する道を探す。余り外れた道を進むのは怪しまれるので避けたいが。
迂回しようとした方角から上着で目隠しをされて縄で繋がれた、上半身裸の老若男女の捕虜の列が腕章巻きの妖精と人間の民兵に護送されてやってくる。
動くに動けないのでまた様子を見ることになる。
成されたのは単純な事であった。その捕虜達は掘られた穴に突き落とされ、そして埋められるのだ。生きたまま。
埋められる捕虜達は目隠しがされているので何が起こったかわからない様子で騒いでいる。だが騒いでいるだけ。
神経が麻痺させられているのだろう、民兵も作業員も騒がずに生き埋め作業をこなしている。
作業員達が今後解放されるかどうかは知らないが、民兵達は自分の家に帰ってからこの事を、控えめな表現で話す事もあるだろう。
恐怖で占領地域が席巻されている。これは反乱軍なんて容易に発生してくれるような雰囲気ではない。
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以前の中部とは、小競り合いに強盗が絶えない悲惨な地であったがそれは一変していた。治安はおそらくすこぶる良好に保たれている。以前ならもう三度は強盗が現れているような距離を進んでいるが、規律正しい神聖公安軍の兵士がいて、行商人に農民の移動を保護している姿が見られる程だ。
彼等と擦れ違っては一礼。敬虔な信者らしくうやうやしく挨拶を返してきた。
そんな道中、油断していた心算はないが妖精の保安隊と擦れ違う。
冷静に、当たり前のように一礼した。可能性は低くとも、生きた心地がしない。
そんな不安は妖精達は知らず、少年少女のように無邪気に笑って手を振ってきた。
「これあげるー!」
と苺で作ったお菓子を貰った。
「これもあげるー!」
とワインも貰った。
東から来た遊牧騎兵とも擦れ違った。こちらにも一礼をしたら照れたみたいに笑顔で返してきた。
皆少年で、片言のフラル語で一人が「カミノ、お、お、お、ゴカゴ? ヲ」と言ってきた。
「あなた方にも神のご加護を。道中の安全をお祈りしています」
と丁寧に礼をして返事をしたら。嬉しいやら照れたような顔で、抑えきれないようにもじもじしていた。何とも可愛らしい反応をすることか。
去り際に言葉が通じていないと思ってか。
「あの美人の姉ちゃん嫁に連れて帰りてぇな」
神のご加護を、と言った少年が遊牧諸語のいずれかで喋る。セレード語に近いと思うが、とりあえず聞き取れる。
「何で頭領、手も口も出すなって言ってんだ?」
「お前あれ、聖職者ってのは神さんにチンポもケツも捧げて一発もヤらねぇらしいぞ」
「えー勿体ねぇ」
「あいつらから金貰ってんだから……ダメなもんはダメだ」
「だよなぁ、でも農民は嫌だなぁ。馬も乗れねぇの連れても邪魔だしよ、羊みてぇに走りゃいいけど」
末端はとても、恐ろしいまでに純粋な奴等が多そうだ。そいつらの上に残虐な指導者が現れると容易に惨劇が繰り広げられる。
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焼かれた村、焼かれたが復興作業が進められる村を横目にオルメンへ到着する。
勿論警備は厳重だ。以前見た時より要塞化されている。周囲には塹壕が多重に複雑に掘られ、土塁が築かれ、馬防柵が立てられ、砲台も増設されて川にも向けられ、オルメンを見下ろせる位置にあった丘が掘り崩され、隠れられるような森が焼かれている。
聖戦軍の旗は当然だが、エデルト=セレード連合王国の旗も立って、エデルト軍の兵士が守備についている。エデルトからオルメンまでの縦断回廊でも形成されたとかと一瞬思ったが、こいつらはアソリウス島嶼伯軍か。魔神代理領軍との共同作戦もこなしていて、指揮官はセレード人のシルヴ・ベラスコイ、没落した名門の出だ。魔族化したという噂だが。
アブゾルに馬と荷物を預け、服装を貴族の物に整えてからカツラと付け髭無しで正面から会いに行く。ここで命を懸ける。
「アブゾルくん。話をしに行って、その後の扱いがどうなるかは全く不明だ」
「はい」
「ここに至って君は逃げようとはしないと思うが、ならば自害する覚悟は出来ているか」
「そうなれば一人でも多く道連れにします」
「拷問を甘く見ていないか? きっと君の知らない事を吐かせようとするのだから死ぬまで続くぞ」
「待っています」
「そうか」
ワンコめ。
あの人間を解体して装飾した妖精を探す。神聖公安軍やエデルト兵相手では話が面倒になるだろうが、妖精ならば真っ直ぐ繋がりそうだ。
重要な地域にあの妖精はいると思われる。市の公館付近へ行けば居た。
顔を覚えていたようで、あっと言う間に囲まれた。両手を上げる。
「キトリン男爵フィルエリカ・リルツォグトだ。そちらのジルマリア殿にお会いしたいのだが都合はつくだろうか?」
妖精の中の指揮官らしき人物の目配せ一つで公館へ一人が走って行く。
自分を囲む彼等は何も喋らない。こちらに銃口と銃剣を向けるか、周辺を警戒するかだ。余裕があったら軽口でも効いてみたいが。
公館に入った一人が戻って来る。
「お会いになります」
「案内して貰えるか?」
妖精の包囲はそのまま、案内されるままにオルメンの公館に入る。ここで騎兵大尉を引っ掛けたのと、宴の主催者を階段で転ばせて失神させ、こっそり首を折って暗殺したのを思い出す。良い仕事だった。罪もその大尉に被せたし、完璧だった。
今日はその完璧ぶりが発揮されるかは全く自信が無い。生きて帰れるだけで成功と見たいな。
公館の一室に案内される。そこには広い机に書類を山と積んだ席に座る、修道服姿で、黒い植物の刺繍入り白いスカーフを頭と首に巻いた、灰色の恐ろしげな瞳の女。眼鏡をかけている。髪の色は剃っていて確認出来ないが、これは改めて見れば間違いない。
「お久し振りです。キトリン男爵フィルエリカ・リルツォグトです」
「ご用件は?」
口の中が乾いて舌が痺れている気がする。ここまで緊張するのも久し振りだ。頭が浮いて耳が遠くなっている気がする。何やら底知れぬ目付きで監視している妖精の兵士達に気圧されてではない。眼前の机仕事が忙しそうな女一人のせいだ。こんな人物に育ってしまったか。
「クロストナ・フェンベル様、中部諸侯が聖王のご帰還をお待ちです」
「都合の良い時にお待ちして、悪ければ弾き出す。私ももう良い歳ですよキトリン卿。乙女でも素直でもありません。意地の悪い年増です」
どう見てもブリェヘム王が期待した、この世に絶望して意志を無くして操り人形になっている姿ではない。期待自体、希望的過ぎて馬鹿らしい。
「しかし皆が認める聖なる王たる血を受け継ぐのは貴女しかおりません」
「カラドスは聖なる神の教えに目覚め中部を統一した。この一般的な解釈をキトリン卿はどう思いますか」
答え一つで首の上げ下げが決まりそうだと思っているのはここでは自分だけだろう。
「結果そうなった野心家だとは思っていますが」
「そうですね。では今中部諸侯が求めるカラドスとは何ですか?」
「中部を纏め上げ、古代の栄光を取り戻す英雄です」
「どうぞこれをご覧ください」
クロストナから手渡された書類は二つ。ある村の抹殺命令書と、その村の土地の売買契約書。同じような書類が広い机に山積みになっている。
墨なのに血生臭さすら感じる。紙の擦れる音が悲鳴とすすり泣く声に聞えてくる。昼なのにここだけ暗がりに堕ちたような気さえしてきた。盗賊が一つ二つ村を略奪するのとはわけが違う。一体何万人殺して殺し合わせている? 今までの道中で見てきた非道が彼女の指示によって行われていたということか?
「これを貴女がやっているのですね。ご自分の為さっている所業は自覚されておいでですね?」
「リルツォグト家は新参なので違和感がおありでしょう。今の親衛隊以前の猟犬であるペンツェルク家、アンベル家、シュライゼンビュール家とファイルヴァインで記録を遡ってみてください。歴代親衛隊の記録を見るだけじゃ分からないものが見えてきますよ」
「中部に荒廃をもたらしているんですよ」
クロストナが、さあ見ろ、と書類の山へかざすように手を振る。
「これこそ現代に蘇ったカラドスの姿です。父祖カラドスが中部を統一した方法がこれなのです。神聖教会へ改宗するかどうかで敵味方の色分けをし、人口を減らして管理し易くして、収奪した土地を使って臣下を増やした。敵に敵を殺させた。今は聖女ヴァルキリカに従うかどうかで色分けをし、収奪した土地を分け与えて反乱分子を抑える。違いがあるとすれば父祖カラドスなんかより圧倒的にグルツァラザツク将軍の軍が強力であるということぐらいでしょうか。一季節過ぎる前に南部を征服してウルロン山脈を越えて橋頭堡を確保、ガートルゲンにナスランデン地方まで征服するなんて事は蛮族上がりのカラドスごときには出来ませんからね」
カラドスは神聖教会の権威を借りて中部を統一した聖王。決して中部王ではなかったという事実は指摘されないと中々気付けない。統一時に一体どれだけのエグセン、ロシエ、バルマン、ヤガロ、ザーン、ククラナ、フラル人が虐殺されたか記録は定かではないが、だが今はそれが薄っすらと見えてくるようだ。
クロストナが立ち上がって――背は彼女が低い――上目に見てくる。
「幼少期に不運を使い果たしたと最近は思っています」
存在は知らなかったとはいえ、彼女の両親に召使いを殺したのは自分だ。それは間違いなく不運の範疇。
「なるほど」
ツケが回るとはこの事か。幻想の聖王は怪物に成長していたか。
「そちらは都合の良いカラドスをお求めでしょうが、それはもう作り上げるしかありません。間に合えばですがね」
「そうですか」
「折角の機会ですから恨みのある貴族など居ましたらお名前をお聞かせ下さい。友人に頼まれたのでこいつは殺してくれとグルツァラザツク将軍に言えば結構望みはありますよ。彼、信用出来るぐらいに頭がおかしいですから」
親の仇にそれを言う。言っているのに遠回しな脅迫なんてちゃちなものは感じない。本当に言ったら親切でこの女はやってくれるだろう。
もしやだが今の境遇を喜び、この状態に追いやった自分にねじくれた感謝をしてすらいるのではないか?
「それをする時は己が手で行います」
「そうですか。私にはそのような腕はありませんので羨ましい限りです」
「血がお望みのようならば如何なる誘い文句も無意味ですね」
「はい。今となっては復讐なんてものは焦がすようなものはありません。両親の死も今日この場に至る為の架け橋の一つだったと思えば何程の復讐も生まれませんよ」
憎悪も超越しているのか。
ジルマリアが首飾りを胸元から出す。筒が下がっており、振ってカラカラと音を鳴らした。
「両親の指の骨が入っています。貴女が致命傷を与えた後、私が止めを刺して二人共川へ入れました。召使いは自殺したように見えておりましたか」
「はい」
殺せずに仕損じていたか。
「小さいなりに成功していたようで安心しました」
仕事は完全に失敗していた。ご老公にブリェヘム王、謝罪と恨み言を同時に言いたい。墓の下の先代メイレンベル伯め、棺桶に犬の死体を詰めて抱かせてやる。
「去る前に一つ、優しいリフカお姉ちゃんは本物でしたか?」
「アンブレン修道院は良いところでしたが、力を手に入れる前の私には長く耐えられる場所ではありませんでした。間違いなく偽物ですよ。あそこに留まるしか無かったのならばこの歳になる前に耐え切れず自害していたでしょう」
あの時点で既に人ではなくなったか。
「アブゾルが外にいますが、何か伝えますか」
「思い出は綺麗なままにしてあげてください」
「分かりました。語る事はもう無いようです。失礼します」
一礼をし、部屋を出ようとする。
「誘拐はされないのですか?」
「まさか。勇敢な心算ですが命知らずではありませんよ」
「そうですか」
公館から無事に外へ出る。途中で遊牧民に口説かれたが、言葉が分からないフリをして袖にした。歳を言えばあっさり引き下がるような気もしたが。
今日は空が青く、気温は涼しいほうで空気が美味い。何だか出獄した気分だ。
待たせていたアブゾルのところに戻る。こんな街で宿泊なんかしていられない。
「どうでしたか?」
「年寄りが馬鹿なせいで若い連中が苦労する」
「駄目でしたか?」
「もう何をどうしても駄目だという気がするな」
「そうですか」
「全て手遅れだ。自分がその年寄りの一人だと思うと泣けそうだ。もう発つぞ」
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