第130話「陽動と防御」 ベルリク

 占領地が、現有兵力に対して過剰拡大気味である。土地面積は勿論だが、人口密度が高い。思ったより高い。ジルマリアが新大陸産の芋を食用にしてどうとか言っていたが、確かに高い。

 オルメンは確かに交通の要衝だったが、ここを抑えただけでごっそりと占領統治範囲が広がってしまった。雪崩打ってと言わんばかりに弱小諸侯等が聖戦軍に下ってきたものだ。中部における孤立していた聖領との接続の連鎖も手伝っている。焼き討ちに虐殺と目玉抉りでの恐怖戦略も効果を出している。

 このままこれ以上進撃するには占領地を維持する部隊が更に必要だ。防衛する部隊もやはり欲しいだけ欲しい。食糧問題との兼ね合いもあるが、可能なら青天井で欲しいくらいに神聖公安軍が足りない。随時増員中であると聞いているが今度は質が気になる。騒ぎを起こすくらいなら来ない方が良い。

 とにかく進撃速度が早過ぎたのだ。かと言って神聖公安軍の充足を待ってのんびり進んでいては敵に対応をさせてしまう。

 今の保安部隊による処理だけでは治安維持業務は中々おいつかない。死傷による損失分以上に補充はしているが根本の解決に至らず、雇った補助警察の能力には限りもある。

 降伏はしたが敵か味方か分からず、監視の必要な諸侯が多い。聖戦軍の名を借りて堂々と盗賊化している場合は厄介だ。蒼天の神じゃないから四六時中誰が何をやっているかまで監視していられない。

 時勢の変化に乗じて反乱を起こして当主の首を取り、成り代わるその血縁者も多い。これで敵味方が入れ替わるとまた面倒臭い。また当主が継承順によって遠隔地の者になってしまうとそれも面倒臭い。南部諸侯の誰かに継承されるならまだいいが、エスナルだとかベルシアだとか遠隔地の人間が当主になると手紙を送るだけでも時間が掛かる。

 諸々の問題が発生するので安易に降伏させないで問答無用で破壊して皆殺しにした方が良かった地域すら出てくる。しかし降伏の受け入れは義務でもある。降伏すれば――とりあえず都合が良ければ――所領領民を安堵するとして抵抗を抑えているので何ともし難い。

 オルメンの公館を借用した作戦本部の会議室では、急拡大して混沌と化したオルメン周辺地図をジルマリアが睨んでいる。睨みながら色分けされた石を置いて、差し替えし、計画を立てている。現状を認識し直している。

 その剃り上げた禿頭の中にはどれほどこの地の情報が詰まっているのか? 二日三日で喋り切れない程にはありそうだ。

 その頭で狙った小領主や自治体を焼いて虐殺し、余った土地を餌に協力者を獲得し、食糧や金に現地協力者を確保している。巧妙に現地人同士の敵対関係も利用している。

 一体今日の今日まで何を考えて生きてきたか不思議だ。何故そんな知識があるのか? やってくれと言ったら何故そんな事があっさりと出来るのか? 腹の中はドロドロの怪物のようになっているに違いない。

 そんなジルマリアなのだが、地図が乗った机へ乗り出す形で手を突いている。つまり、あのデカい尻を突き出している体勢だ。

 お尻触ったら怒っちゃうかな? と思って触ったら、「お疲れ様です」と普通に挨拶を返してきた。集中し過ぎて尻を触られた事に気付いていないのか? もう怒る気力も無いかもしれないが、どちらにしろ彼女への負担が強い。ほとんど寝ている姿も知らない。

「その頭と面でしかめっ面作ってもおっかないだけだぞ」

「元からです」

「もっとサパっと殺してもいいんだぞ。真面目に対応し過ぎなんじゃないか? 色分けもいいがよ、砂粒選り分けてられるか? 細やかさにも限度があるぞ。麦粒数えて配膳しないだろ。もっとザクっとやっちまえよ。余った土地はホイホイくれてやればいいんだよ。別に百年統治するわけじゃないんだろ。今が良ければ良い程度だ。それとも何か、聖領の拡大までする気か? しないだろ。新しい王は立てるらしいが、細かいのはその王に任せろ。聖女猊下だってそろそろご到着だ。面倒な仕事はぶん投げろ」

「そんなわけには……む……」

 ジルマリアは大きい溜息を吐いて椅子に座り込んで眼鏡を外し、顔に手を当てる。かなりな働き者だとは思っていたが、これは放っておくとぶっ倒れるまで働く性質だな。

「意地になっても仕方ありませんね。補助警察を更に増員して処理に当たらせます。その予算を貰います」

「遠慮無く使ってくれと。それからそっちの仕事で略奪した分はそのまま流用しろ。一々帳簿に移すのは面倒だろ。手間は出来るだけ省け」

「略奪分をそのままこちらで運用させて頂けるのですね。助かります」

「よしそれでいけ。食糧は金に換えるなよ」

「心得ております」

「もう一つ、命令だ。休め、死ぬぞ」

「まだです。まだまだ」

 まだまだ?

「ラシージ」

 会議室の隅っこではラシージが報告書の山へ順に目を通して戦況の整理を行っている。ラシージの軍もオルメン入りを果たした。

「はい。疲労で作業効率性が低下し、尚且つ誤判断をし易い状況は歓迎されません。名将が凡将以下となり、凡将に至っては一番の敵となります。働かせるより射殺したほうが良い、というような事です。ジルマリア殿の指導する治安維持活動は素晴らしいものです。その質を維持して頂きたいと考えます。個人的にも健康でいて貰いたいのですが」

 ラシージが人間に対して個人的になどと、聖皇聖下が個人にお言葉をくれるぐらいに希少なものだ。部屋にいる警護の偵察隊員すら思わずジルマリアに視線を一瞬集めたではないか。

「何ですか……そこまで疲れていません。ちょっと休めば何も」

「じゃあジルマリア。さっき俺がお前のケツ触ったのに気付いたか?」

「え? 嘘」

 今まで見た事の無いようなジルマリアの気の抜けた顔。気の張った顔しか見た事は無かったか。

「よし決まった」

 椅子に座ったジルマリアを抱き上げる。右腕は膝の裏、左腕は腰。

「ちょっと!」

「ジルマリアたんとオルメンをお散歩するぞぉ。偵察隊前進!」

「了解だ大将。各員続け」

『はーい!』

 ルドゥの号令で偵察隊員が周囲を囲み、行く先に展開する。館内ではまず扉が開け放たれ、各所に刺客がいないか確認がされる。

 外に向かって進む。進みながらアクファルがジルマリアの頭と首にスカーフを巻く。

 偵察隊が進行に合わせて進路を拓く。厳重に過ぎるようだがその動きがいっそ鮮やかで清々しい。

「降ろして下さい!」

「頭が良いなら分かるだろ。降ろすわけがない。おー良い女からは良い匂いがするな」

 ついでに暖かくて妙にフワフワ柔らかい。

「恥ずかしいから嫌です!」

 確かにジルマリアの顔が赤い。公館を警備する妖精達は何やら面白そうな光景に顔が明るいし、部族の少年兵達は何だ何だと集まり始めている。

 折角だが、流石に可哀想なので下に降ろす。降ろして直ぐに腕を組む。

「戻ります!」

 アクファルが反対側について腕を組み、ジルマリアを持ち上げて公館から出る。浮いた足が何やらジタバタしている。

「おお、おお、暴れる暴れる」

「お義母様、足をどうかされましたか?」

「くっ……」

 ジルマリアが地に足をつけて大人しく歩き始める。アクファルが離れて後ろからついてくる。

「馬は?」

「死ね糞野郎乗ります」

「じゃあ馬だ」

 馬に乗ってオルメン観光へ繰り出す。偵察隊が先行しつつ護衛に騎兵がつく。

 観光と言っても正直この規模の都市程度で見るような場所は寺院ぐらいなもので、後は地味に小奇麗な通りに公園、それから川に面した実用的に小汚い港や運河だ。

 そんな見所の無さも、細かく見ていけば暇はしない。そもそも散歩で見る風景ってのはそこまで刺激的である必要も無い。ただ単調じゃなければ良い。

 前から寄ってみたかった硝子工房へ行く。寺院の絵窓や、壁一面を覆うような一枚鏡をオルメンでは生産している。さしもの魔神代理領でもこれには負けている、と話を聞いた事がある。

 工房の直売店で中々良い感じの、二個で一組の硝子杯を買う。

「これはセリンに贈る。あいつはこういう単純なので素直に喜ぶから可愛い」

「魔族の提督が内縁の妻でしたか」

 ジルマリアは嫌々ながらも会話に付き合ってくれる。

「そうだ。結婚したら間違いなくジルマリアが第一も糞も無いが、一番だぞ」

「私なんか比べようもなくお二人に釣り合わない下の人間ですよ。こんな修道女もどき」

「俺が家名だとか財産だとか理屈で相手選んでるように見えるか? セリンなんぞ魔族でまず女じゃないんだぞ。酒飲めば店が潰れそうになるくらい大暴れするわ、キレれば鉄砲ぶっ放すし窓破って壁に穴を空ける。子供の産める女どころか動物の雌も何だか憎いらしくて腹を裂きたがるし、敵の首を切りまくって血塗れになってはキャッキャと喜ぶ。髪の毛が毒針で口から強烈な酸を吐いて、顔面吹っ飛ばされても元通りに再生する。それに比べてなんだジルマリアお前、単なる穢れ無き乙女みたいじゃないか」

「だからなんですか」

「中部諸侯の首切り放題、領民殺し放題でも満足しないのか? 並みの奴なら反吐が出て自殺も考えるぐらいの貢ぎ物だ。ちょっと色気見せてくれてもいいじゃないか」

「話が違います」

「メイレンベル伯、グランデン大公、ブリェヘム王の身柄は?」

「む……話が違うと言いました。それにそのお三方の身柄は好き勝手出来るような泡沫諸侯達とはわけが違います。聖女猊下に身柄を引き渡して判断して貰うような相手です」

「ほーう、ねぇ」

 何かと中部諸侯に恨み骨髄かとは思っていたが、その三人に熱い思いを抱いているとは中々、思いの成就は難しかっただろう。だが今はそれが現実路線で見えてきているとなれば、確かに寝る間も惜しいな。

 それからついでにオルメン郊外に建設中の聖戦士達の兵営を見に行く。

「これは隔離施設ですか? 伝染病対策に確かに必要ですが」

「聖戦士達の兵営だ」

「聖戦士? 聖戦軍の兵士とは違うんですか?」

「ジャーヴァルはメルカプールに伝わる秘術によって生み出される死を恐れぬ戦士達の事だ。弾除けに丁度良い」

「なるほど、分かりません」

 外を適当に散歩して回った後、ジルマリアは本日会議室には立ち入り禁止にして、護衛の女性偵察隊員には面会謝絶状態にさせて別れた。


■■■


 強制休息の翌日、会議室には元気なジルマリアの姿があった。

 元気だった。尻を触ったら平手打ちを連続で三発喰らい、顎を殴られ、水の入った硝子の水差しを頭に叩きつけられ、割れた硝子で切れてダラっと血が流れたぐらい。

「元気になったじゃないか」

「どうも」

 頭の傷をアクファルに縫って貰いながらラシージの話を聞く。

「狙撃兵対策が必要です」

「初期想定より酷いか」

「義勇兵的な猟師による散発的行動ではなく、ロシエ義勇兵による組織的な待ち伏せ攻撃です。施条銃による狙撃で行われ、偵察騎兵への被害が増大しております」

 ロシエが猟兵と呼ぶ連中の仕業だ。

 平原ならばともかく、森林部では騎兵が圧倒的に分が悪い。森に潜んだ狙撃兵が騎兵に強いなんていうのは簡単な理屈だが、やられるまで深刻に考えてなかった結果がこれだ。

 行動を改める必要がある。死は覚悟しても罠に突っ込む必要はない。

 死ぬ事が前提の部族騎兵、若い少年達は家を継げない者達だ。これは栄光の口減らしであるから被害は受け入れている。勿論、身内を殺されて黙っているわけでもない。複雑だなぁ。

 狙撃兵狩りの部隊と騎兵を連携させる必要がある。直ぐに思いついたのはマトラの森林警備隊だ。犬を連れて弓で武装していた連中だ。だがここにすぐさま引っ張っては来れない。

「森林警備隊またはそれに準じる経験者を各隊から抽出して偵察補助隊を作って指導的立場に添えて、狙撃能力のある仮想敵部隊を相手にして訓練させろ。偵察補助隊には開戦当初並の展開速度は不要だが鈍いのも困るな。人民義勇軍の騎兵隊から兵も馬も抽出しろ」

 マトラ人民義勇軍の騎兵は騎乗歩兵としている。馬で移動して下馬してから戦うのが基本。騎兵として訓練が中途半端で馬もそこまで良くないという二線級の騎兵である。だがあくまでも魔神代理領基準、スラーギィの遊牧騎兵基準の話ではある。中部のロバ乗り共相手とは比べ物にならない。騎乗射撃も抜刀突撃もやってやれる。

「頭数が足りないなら山岳歩兵を安上がりにした感じの部隊にしたらいい」

 山岳歩兵隊はロバと荷車を多めに装備させており、補給部隊から独立しても長期間行動出来るようにしてある。荷物を多めに運べるし、ロバや荷車に乗ってそこそこ早くも動ける。騎乗歩兵と歩兵の中間ぐらいの存在だ。騎兵隊の馬を流用すればそこまで困難ではない。

 普通の人間の騎兵は愛馬を荷駄馬にされるなんてのは我慢ならない侮辱だが妖精は全く違う。疑問にすら思わないだろう。

「はい。今日この時の問題ですので即座に実戦投入をしたいのですが」

「まず偵察隊と親衛隊を使って試験運用しろ。こいつらでどうにもならないならどうにもならんだろう。問題点を見つけて訓練に反映しろ。訓練期間中は勿論偵察は中止しないから治安維持活動から山岳歩兵を引き抜いて偵察の援護に。敵が拠点化しているような森があるならグラスト分遣隊を回して灰にしろ、こっちの勢力圏内は特にだ。乱暴にやってもいいからとにかくロシエ義勇兵への対処法を見つけろ。それと森だから人狩り用の犬もいるな」

「分かりました」

 ラシージは即座に命令文書を書き始める。もうどこそこに何を命令して要請すれば今の指示が形になるか分かっているのだ。

「ジルマリア、ロシエ義勇兵がどこで待ち伏せをしているか現地協力者に密告させる仕組みが欲しい」

「時間と精度に保証がつけられるようになるのは先ですが可能です。よろしいですか」

「頼んだ。ロシエとはたぶん長期戦になるからその心算で。それから山岳歩兵とグラスト分遣隊を保安任務から抜いて支障あるか?」

「グラスト分遣隊に破壊して欲しい拠点があるのですが、今直ぐにロシエ義勇兵相手に投入されますか?」

「ゾルブ、ジルマリアと相談して旅団を編制して攻略に当たれ。今直ぐに陥落させないとケツに火が点くわけじゃないだろ」

「確かにそうですが、火種は長く残せません」

「今から準備すれば明日早朝には出撃できます!」

「なら誤差範囲です」

 ゾルブとジルマリアが破壊したい拠点について協議を始める。喋りながら命令文書を作り始めた。

 対処は出来るはずだが、野戦無敵の弓騎兵の寿命が段々と見えて来たようだ。

 銃の普及で重装備の騎士が没落した。施条銃の普及で次は遊牧騎兵が没落? いやいや、ようやく対等に渡り合う時が来たのだ。

 しかし凄いな、良いなこの状況。簡単に指示出しているだけで軍が回ってるよ。自分の代わりになんか旗とか像とかでも立てておいてもいいんじゃないかな。

 暇ではないが、各地の近況を報せる文書を読む。新聞も混ざっている。

 エデルト戦線の続報。

 北部諸侯連合軍は篭城策でエデルト=セレード軍に対して持久戦へ持ち込んでいる。

 北部諸侯がザーン連邦より傭兵を呼び込むかは未だに決めかねているらしい。ザーンの傭兵は端的に言ってならず者だ。良いだけ国内を食い荒らされて泣き寝入りという惨状もあり得るのだ。

 そして中部諸侯の軍はこちら聖戦軍を相手に身動きが取れないのだが、その状況で持久戦を行うということは、ロシエ軍の介入が当てに出来るということ。少なくとも状況証拠的にはそうなっているが。

 西部戦線の続報。

 ロシエ軍の攻撃を見越してゼクラグ軍は鋭意防衛線を構築中。オルメンまでに至る縦深防御陣地を予定している。計画だけならウルロン山脈南麓まである。

 ヴァッカルデン伯率いるガートルゲン連合軍は、西部北側のナスランデン地方への圧力を強めて聖戦軍入りを促している。ロシエと中部諸侯からの圧力もあるだろうから現地は気が気でないだろうな。

 ナスランデン地方はガートルゲン地方の北側にあり、両地方を持ってロシエと中部の国境地帯となる。またここからユバールにもザーンにも繋がる。ここの通行権を握るか握らないかで今後のなりふりは変わってくる。そんな地域だからロシエ義勇兵が出没し、可愛い部族騎兵が撃ち殺されている。

 中部にて新たに接続した聖領群について。

 中部の聖領はそもそも豊かではないし独立志向も高く、我々が命令して動かすような連中ではない。

 彼等の扱いは到着した聖女猊下が何とかするだろうという程度である。協力するのか裏切るのかただ引き篭っているのか、何やら判断し難いボヤっとした印象の連中だ。いっそ敵対世俗諸侯であれば対処も分かり易いというのに。

 オルメン周辺の続報。

 北のメイレンベル伯軍三万、北東のグランデン大公軍三万、東のブリェヘム王軍五万の軍勢の、表面的な頭数は変わらない。常備軍と即応してくれるぐらい信頼関係のある傭兵軍との取り合わせだろう。

 新兵の募集と訓練は既に始まっているらしいが、それを始めたのがついこの前である。志願兵募集の報せも最近の事で一月も経ってない。

 ある程度の軍を集めていてもまだ行動に移らないのは予備人員が足りないからか? ともかく今この時点では三軍相手に負ける気はしない。増強されてもだ。

 問題はロシエ軍の介入だ。ロシエ軍からの攻撃を防ぐ為にナスランデン地方を手に入れたい。

 大事なナスランデン地方が危機に陥っているのに義勇兵の派遣程度の対応しか出来ないロシエも不気味だ。財政破綻寸前で議会が大荒れなんじゃないかな。金の動きが不安定で激しいのは先の大戦後からのお馴染な状態なので逆に判断材料にならないし。

 どうしようか?

「ボレス、机上演習に付き合ってくれ」

「机上演習? 暇人ですなぁ」

 とてもマトラの妖精とは思えぬ、恰幅が良くて歯に衣着せぬ口調の第三師団師団長ボレスとナスランデン地方奪取の為の机上演習に取り組む。

 ボレスはナシュカに比べれば大人しい、と言った程度に遠慮が無いので敵役にさせるとちゃんと苦戦が出来る。

 途中からシルヴも交えてやってみる。シルヴにはロシエ軍役をやって貰ったが、現状で横合いから殴られると必ず酷い劣勢に陥る。それが簡単に分かってしまうのに現実には攻撃して来ないのだ。あの積極介入好きで歴史上知られるロシエがだ。わざわざ脅迫文を送ってくるぐらいに注目してやがるのにだ。

「シルヴどうだこれ」

「ロシエ人じゃないみたい。内戦片手間に侵略戦争するような連中が大人し過ぎる」

「だよなぁ。何か情報無いの?」

「議事が進まない議員議会が閉鎖されて閣僚会議だけで国政が進められて一年。アラック農民戦争終結から二年。バルマン近衛騎兵の無断帰郷から三年。エスナルへの新大陸領地売却から四年。ユバール議会とのすれ違いが目立ち始めて六年。共和革命派の運動暴動が目につきはじめて八年。アレオンを喪失して財政破綻が囁かれ初めて九年」

「何もかも今更だな。王室が夜逃げしないのが不思議だ」


■■■


 手紙を出す事にした。あまり知らない相手に手紙を出すことがないのでちょっと心配だ。メイレンベル伯は女性だそうだが、女性向けの文面ってあったっけ? 緊張しちゃう。

”聖なる神の僕にして敬虔なるメイレンベル伯爵マリシア=ヤーナ・カラドス=ケスカリイェン閣下。拝啓、秋を前にして収獲準備に忙しいことと存じます。早速ですが我々聖戦軍は貴卿とその領民の参加をお願いしたく存じます。参加の受付は随時しておりますので何時でもお気兼ね無くお尋ね下さい。参加して頂いた諸侯等には所領の増加等をさせて頂いております。ご盟友の方々もお誘い合わせの上でご参加下されば嬉しい限りです。敬具。レスリャジン部族頭領にしてマトラ人民義勇軍共同指揮官、聖戦軍旗を掲げるベルリク=カラバザル・グルツァラザツク・レスリャジン”

「どうだジルマリア」

「迂遠」

「面出すか首落とすか選べって書くか?」

「礼儀で顔を売るわけじゃないからどちらでもいいんじゃないですか」

「まあな」

 似たような内容の手紙を中部諸侯に出す。またゼクラグ軍に命令を出す。


■■■


 手紙を出してから数日待ち、準備も完了して行動に移る。

 第一、第三師団はメイレンベル伯国の国境へ前進させる。これは陽動だ。

 カイウルク軍に先行させて、メイレンベル伯領との国境沿いのマウズ川の橋を確保、出来なければ浅瀬や川幅の狭い箇所の偵察へ行かせる。偵察補助隊の訓練はまだ出来ていないので山岳歩兵の投入で偵察補助に当てる。

 アソリウス軍はオルメン防衛に専念。万全の状態のシルヴが守る街なんて、敵にルサレヤ館長みたいなのがいなければ一体何万の兵力が必要なのか分からない。

 これでグランデン大公軍やブリェヘム王軍が雪崩れ込んで来ても、ガートルゲンからゼクラグ軍、ウルロンから聖女猊下の軍がやってくるので半包囲出来てしまう。後顧の憂い無し。


■■■


 陽動作戦を開始して二日でマウズ川に到着。メイレンベル伯軍とグランデン大公軍がこちらの北上に合わせて接近中との報せ。これで両軍を抑えた。ナスランデン地方はガラ空きだ。

 ゼクラグ軍よりナスランデン地方侵入の報告。少し遅い、陽動開始直後には侵入しているはずだった。街道が思ったより良くなかったか、それともガートルゲン連合軍と街道か補給で摩擦があったか?

 目前のマウズ川の橋は守備が固められており、要塞化した橋も多くて先行した騎兵単独での突破は見送られている。

 こちらの攻城能力は算定済みらしく、橋で守りを固めるぐらいならば、と橋は全て落とされているという報告が届いている。そして河川砲艦もいるそうだ。

 さてどうするか? こちらは本軍とラシージ軍と合わせて四万五千。

 相手は前の報告時点から、直前情報でもほぼ変わらず三万。グランデン大公軍の三万と合流して六万になれば数的優位は取れる。要塞能力を足し算出来ればもっと上がる。だが所詮その程度だ。

 前進は停止しない。浅瀬で川幅が狭い箇所にある村を襲撃。管理が面倒なので捕虜は取らずに全部殺して川に流す。

 砲兵に砲台を構えさせて河川砲艦、敵軍にこの渡河地点へ近寄らせないようにする。

 工兵には橋を作らせる。これは補給線確保のためで、時間は少し掛かってもいいから丁寧に作る。

 そして軍を突入させるために、グラスト分遣隊に川を凍らせて! 本軍は北上する。川が川で無くなるというのもまた凄い。

 メイレンベル伯は中々に金持ちで、川沿いの要塞線を築くだけの財力はあったが所詮は小国止まりだ。

 マウズ川の北にある要塞と街が形造る要塞線へ、降伏勧告無しに攻撃を開始。規模も小さく、砲撃で簡単に崩れるし、守備兵も少なく抵抗わずか。そして略奪して、敵の兵士と住民全ての目を抉って北へ送った。収獲前の畑も焼いた。

 手紙で降伏は促しているので作法には一応則っている。そして降伏しないのは織り込み済みである。

 メイレンベル伯軍の本隊は北に逃げているので、あまり殺せていないのも織り込み済みである。

 グランデン大公軍が東から迫っているのでそちらはラシージの軍に任せ、こちら本軍は側面を気にしないでメイレンベル伯軍を追撃。これはあくまで陽動だ。本命はナスランデン地方。

 メイレンベル伯領を占領するには聖女猊下の聖なる諸侯連合軍や、対ロシエ防御が固められた西部、そして北部諸侯軍に対して優性となったエデルト=セレード連合軍が必要だ。

 ただでさえ占領地は過剰拡大気味なのだ。だから手紙を出したという作法を前提にして、降伏勧告をしないで焼き討ちと虐殺ならぬ徹底した目玉抉りで敵の資源を削ぎ取っていく。何れは占領するかもしれないが今は占領しない。ならば利用出来ないように焼く。


■■■


 その三日後、ラシージ軍とグランデン大公軍が接触し、戦闘を開始したと報告が上がる。敵は牽制するような消極行動に出ているので即日に決着はし辛いとの事。

 その深夜にはグランデン大公軍を夜襲で撃退したと報告が来る。そしてブリェヘム王軍包囲攻撃に備えて追撃を控えるとのこと。ラシージの考えがそうならば、そうなるだろう。

 同時期にゼクラグ軍よりナスランデン地方の南半攻略の報せが届く。ロシエ義勇兵が旅団単位で出現しているそうだ。

 また現地のクネグ公爵がメイレンベル伯の窮地を知って聖戦軍に参加し、ナスランデン地方の諸侯を説得して回る運びにもなったそうだ。手土産にロシエ義勇兵の首が届いたとか。

 それからブリェヘム王軍によるオルメン侵攻開始の報せも届く。ラシージの考えた通りになった。

 本軍はまだメイレンベル伯軍を、焼き討ち、略奪、目玉抉りを徹底して行いながら追撃中。そして首都テオロデン周辺の要塞群まで迫った。一伯爵が持っているとは思えないほどテオロデンは規模が大きく、綺麗な都市であった。五十万くらいの人口らしい。こちらが焼き討ちをしないで動員が軌道に乗っていたら伯領単独で十万以上の軍は吐き出していたかもしれない。

 テオロデン陥落の匂いにつられて再度降伏の打診をしてみたが、メイレンベル伯の姿も見せずに敵の士官による大声での拒否がされた。捕らえたテオロデン周辺住民の目玉を抉って城門に送ってその返事をする。しょうがないなぁ。

 流石に魔神代理領を出て開戦から今日までの連戦で大砲の磨耗も少し酷くなってきている。追撃続きで兵も疲れているし、靴が悪くなっているとも聞いている。武器の点検に交換も必要だろう。そろそろ陽動攻撃も潮時か。

 ここまで来るとテオロデン陥落の誘惑が強くなってくるがそれは予定に無いし、目標でも無い。

 撤退の用意を始めさせる。それから馬と兵士を休ませる。休みながら牽制だ。


■■■


 テオロデンを目前にした小休止中に報告が来る。

 ブリェヘム王軍が撤退を開始した。北からラシージ軍、西からガートルゲン連合軍、南から聖なる諸侯連合軍が包囲機動を取ったからだろう。

 続けて朗報。ゼクラグ軍がナスランデン地方を陥落させた。ロシエへの防御体制を築く地盤が出来た。

 そして急報、北部諸侯連合軍がシアドレク獅子公指揮でこちら本軍へ、テオロデン防衛のために軍を進めているそうだ。北部での要塞を活用した遅滞作戦はそこそこ順調ということだろう。

 疲れている状態で、噂では凄いシアドレク公の北部諸侯連合軍と戦うのは趣味の範疇であって、仕事ではない。

 引き際なのでここで引こう。本軍は陥落間もないナスランデン地方へ入る事にする。

 西部はゼクラグ軍、ガートルゲン連合軍が固める。本軍は西部に位置しながら北部諸侯や体力が削られたメイレンベル伯に対して何時でも攻撃に移れるようにする。勿論、ロシエの介入にも備える。

 ナスランデン地方はロシエの兄弟国家ユバールとも領域を接している。油断ならない場所だ。

 オルメン北部でラシージ軍はメイレンベル伯とグランデン大公軍に備える。それと同時にガートルゲン、ナスランデン両地方どちらへでも何時でも加勢に行けるようにも備える。予備兵力だ。

 そして占領地の治安維持、ブリェヘム王軍に相対するのは聖女猊下の聖なる諸侯連合軍に神聖公安軍だ。

 ここまでお膳立てをしたのだから、エデルト=セレード軍が北部を突破して中部にまで侵攻出来なければ極めて格好悪い。撤退しやがったら笑ってやる。笑った後でセレードに戻って独立してやる。弱いエデルト人国王なぞ排除してやる。

 そうなる事とならない事、両方を祈ろう。

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